西尾幹二、最後のメッセージ(二)

西洋文明の光と影・・・


 日本で歴史といえば、基本的に西洋は西洋諸国の歴史、日本は日本史として別々に考えられ、その2つが本格的に交わるのは明治維新である。その後は、西洋をお手本に近代化しようとする日本が道を誤り日米戦争に敗れ、民主主義国家に生まれ変わる、そういうお決まりのストーリーが描かれる。しかし、西尾氏の新著はまったく違う。

 これまでの歴史は、近代市民社会と民主主義を確立した西洋こそが理想像だという意識に囚われているというのが、氏の考えなのだ。

《日本人の理想としての既成のこの西洋像が今ぐらついて、根底から問い直す必要があるではないかと言っているのがもとより本書の趣旨ではある》

 この本では、15世紀以降の西洋(もちろん米国も含む)と安土桃山時代以降の日本の500年近くが並行して論じられ、西洋諸国がアメリカ大陸やアフリカ、アジアへ進出して現地の人々を虐殺し、奴隷にし、略奪しながら、キリスト教社会を押し付けていく姿が描かれる。宗教的な情熱の下に暴力と科学で異教徒をねじ伏せようとする西洋、それに対抗しようとせず明治維新後には従属していく日本が描かれるのである。

 こう書くと、まるで反西洋、反米、反民主主義の本だと思われるかもしれない。ひねくれた人は「西尾幹二は欧米の民主主義を批判することで、ロシアと中国の味方をしているのでは?」といぶかるかもしれない。しかしそれは違う。氏は冷戦時代に触れた部分でこうも書いている。

《私は……ストレートにソ連は嫌いで、中国には関心がなかった。相対的にアメリカがいいと思っていた。今も同じ考えである》

 西尾氏の真意は明らかだ。西洋文明であろうが、米国であろうが、民主主義であろうが、物事には必ず光と影がある。光の部分のみを見て、影の部分に目を閉ざすのは愚かなことだ。

西尾幹二、最後のメッセージ(一)

令和6年3月17日産経新聞オピニオン欄より


「日本と西欧の500年史」に秘められた怒り

 西尾幹二氏は怒っている。それは今の日本に対する怒りだ。

 最近は歩くこともできなくなった西尾氏は今、高齢者住宅で暮らす。体は日々衰えていき、普通なら気力も国家や社会への関心も衰えてもおかしくない。しかし、西尾氏はそうはならない。新著『日本と西欧の500年史』のあとがきでも時事問題に触れ、「現代日本に対する苛立ちや怒り」を書いている。

《人口が日本の八割ほどのドイツにGDPで追い抜かれ、日本は世界四位に転落しました。全ての災いは人口減少にあるやに思います。しかし「少子化」問題は男と女の間柄の問題であるはずなのに、カネを積めば解決する問題であるかのように扱われていませんか。日本人はパワーを失っただけでなく人間的知恵まで失ってしまったのでしょうか》

 日本の国力が急速に落ちた一因は人口減少にあり、豊かさと個人主義に安住する日本人の心の変化が社会活力の低下をもたらしているのだということを一顧だにしない日本の政治やジャーナリズムに怒っているのだろう。昨夏「西尾先生の体調がよくない」という噂を聞き、電話をかけたときも、電話口の声は少しか細くはなっていたものの、強い意志が感じられた。
「私は今度、新しい本を出すんです」
「先生、大きなご病気をやられて、入院中にも『西尾幹二全集』の校正をなさっていたのに、さらに新しい本ですか」
「いやあ、不思議なもんだねえ。いつの間にか書いていたのを、ある編集者が見つけてくれたんですよ」

 もちろん、「いつの間にか・・・・」というのは、氏の冗談である。今回の新著は西尾氏が月刊正論に平成25年5月号から、途中何度も休みながらも18回にわたって連載した文章を集め、加筆したものだ。といっても、過去の文章をホチキスでまとめたような本ではない。氏が不自由な体で筆を握り、新たな文章といってもいいほどに書き直した末に完成させた本だ。

 夏の電話のしばらく後、西尾氏の自室を訪ねたとき、氏は文字通り、机の上にかじりつくようにして、この本の推敲に没頭していた。「体が思うようにならなくて、時間がかかるんですよ」と口惜しそうに、原稿のゲラ刷りの上にペンを走らせていた。

ブログの皆様、愛読者の皆様へ


 西尾全集の完結が近く、22ABの二冊を残すのみとなりました。それを急いでいる今日この頃ですが、病床にあった最後の数年間に、先に『正論』雑誌に連載していた約700枚(400字詰)の長編評論「日本と西欧の五〇〇年史」が事実上終っていることが最近分りました。

 病中には出版を諦めていました。筑摩書房の湯原さんというベテラン編集者が長年じっと見つめていました。『あなたは自由か』(筑摩書房)を作ってくれた人です。

 病気がほゞ治ってガンは克服されたと判明してから、『日本と西欧の五〇〇年史』はすでにまとまっていて完結しているので、できる丈早く本にしたいと申し入れがありました。ありがたいことです。
 500ページ近い大作ですが、「筑摩書房」の一巻本として上梓される予定です。

 小見出しを立て、地図や図版を入れ、参考文献一覧を作成するなどまだ仕事が残っていますが、3月には刊行される予定です。

 全集がそれより先に終るかどうかきわどい所です。『日本と西欧の五〇〇年史』は『ニーチェ』『国民の歴史』『全体主義の呪い』『江戸のダイナミズム』につづく私の長編評論の代表作となるでしょう。というより、一番の問題作として注目を浴びるでしょう。何しろ今までこの関係史はペリー来航から始めるのを常として、文明と野蛮を固定化し、ペリー以後を文明開化と価値判断してきたからです。ヨーロッパの中世と近代の関係を闇と光ととらえて来たからです。

 今度の私の本ではヨーロッパの中世は(一)信仰、(二)暴力、(三)科学、の三要素が絡み合った何らかの動的な力の塊のようなもの、攻撃し前進する一個の全体主義的政治体制のように扱かわれて来たからです。これがアメリカ大陸の発見と共に、アジアを席巻し攻略したパワーの主体でもあったという解釈です。一種の西欧文明否定論の趣きもあります。

 今までの私の文明論と同一基調でありながら、反対方向へ一歩踏み込んでいます。 現在の戦争、ロシア対ウクライナ、イスラエル対ハマスを見ていて、我が国はまるきり関係ないなぁ・・・・・・と強く意識しております。
 新刊「日本と西欧の五〇〇年史」の小見出しが以下にここに目次の細目として打ち出されています。ぜひご一読下さい。また三月になったらこれを詳しく論述した一巻が出ます。ぜひご購読下さるようお願いします。

 なお、当ブログのコメント欄の自由な書き込みは禁じられていますが、内容が「日本と西欧の五〇〇年史」に関するものである限り、自由な記述は排除されるものではありません。是非一筆ご参加下さい。

                2023年10月16日西尾幹二

日本と西欧の五〇〇年史

 目 次

第一章 そもアメリカとは何者か

1 わずか350年ほど前のことだった
2 新世界の「純潔」を主張するために旧世界の「退廃」を叩かねばならなかった
3 アメリカは戦争するたびに姿を変える国である
4 昭和18年を境に日米戦争はがらりと様相が変わった
5 アメリカの脱領土的世界支配―金融と制空権を手段にした
6 「権力をつくる」政治と「つくられた権力」をめぐる政治の違い
7 アダム・スミスの「見えざる手」は余りに楽天的すぎないか
8 500年続いた「略奪資本主義」の行き詰まり
9 最初の帝国主義者スワード米国務長官の未来予見
10 日本排除はアメリカ外交の基本精神だったのか
11 そもそも拡大する必要のない国家アメリカの膨張政策
12 EU統合から振り返って200年前の「アメリカ統合」を再考する
13 フランス革命をめぐるジェファーソンとハミルトンとの対立
14 そもそも奴隷解放は南北戦争の目的ではなかった
15 もしも北アメリカの13州がヨーロッパのように複数の独立国の侭だったら?
16 政治の現実とキリスト教の信仰からくる現実との矛盾
17 戦後の日本人にアメリカ映画が与えた夢
18 世界を凌駕する大学文化
19 アメリカはまだ「中世」なのか、それともアメリカ史には「中世」がなかったのか
20 奴隷の必要性の認識は動かない
21 弱者に対する自由という剝き出しの生命のやり取り
22 自由と競争の現代的よみがえり
23 「アメリカ独立宣言」に含まれなかった黒人とインディアン

第二章  ヨーロッパ五〇〇年遡求史

1 歴史をあえて逆読みする
2 世界帝国になったスペインとイギリス
3 始まりは二つの小国―テューダー朝とアラゴン、カスティリアの連合王国
4 フェリペ二世に匹敵する秀吉の行動は日本「近代」の第一歩だった
5 オランダやフランスを手玉にとったイギリス外交のしたたかさ
6 大航海時代の朋友ポルトガルとスペインの相違点
7 ヨーロッパの出口なき絶望の中で、ポルトガルの西海の一ヵ所にのみ開かれた地形
8 15、16世紀アフリカ東岸はイスラム商人たちが屯する「寛容の海」だった
9 モザンビークの暴行からカリカットの略奪へ
10 自由だったインド洋に「ポルトガルの鎖」という囲い込みが作られた
11 世界史に影響を与えたローマ法王の勅許「トルデシリャス条約」
12 中世末に正しい法理論争が起こらなかったのはなぜか
13 首のない人間とか犬の姿をした人間が生まれた等々……無知と迷信にとらわれた最初のヨーロッパ人
14 インディオは人間かを問うた「バリヤドリ大論戦」の対談者の言葉をそのまま紹介する
15 当時の体制思想の代弁者セプールベタ
16 近代の人類という普遍概念に囚われたビトリア
17 どちらでもないとラス・カサスは叫び続けた
18 この島の現代における位置と領土
19 「エンコミエンダ」の撤廃のための孤独な闘い
20 実行家ラス・カサスによる魂ゆさぶる衝撃
21 異端と異教徒は別次元の存在
22 キリスト教的近代西洋は二つの大きな閉ざされた意識空間
23 ラス・カサス評価の浮き沈み

第三章  近世ヨーロッパの新大陸幻想

1 「海」から「陸」を抑えるイギリスの空間革命
2 イギリスが守った欧州200年の平和
3 北西航路か北東航路かのつばぜり合いが始まった
4 アフリカの海では魚釣りのように気楽にニグロを捕まえる
5 アメリカ大陸が「島」に見えてくるまで眼を磨かなくてはならない
6 略奪は当時の西欧の市民社会では日常の経済行動だった
7 他人の痛みに対する感覚が今とはまるで違っていた
8 「フロンドの乱」と秀吉の「刀狩り」
9 西欧内部の暴力はアジア、アフリカ、中東へ向かった
10 中世ヨーロッパの拡大意志から太平洋への侵略が始まる
11 宗教内乱を経験しなかった日本
12 キリスト教国でそもそも「世の終わり」とは一体何か
13 前千年王国論、後千年王国論、無千年王国論
14 ピューリタン革命始末記
15 『ヨハネの黙示録』の一大波紋
16 カトリック教会の七つの「秘蹟」の矛盾から起こること
17 ドストエフスキーの「大審問官」
18 人間は無意識という幻の中を漂って生きている
19 ルター=エラスムス論争と私の青春
20 救いの根源は神の「選び」のみにある
21 ルターからカルヴァンに進む心の甘さの追放劇、これが西欧「近代」の門戸を開いた
22 宗教改革はもう一つの「十字軍」だったのか
23 今にして思えば西欧の誕生地は文化果てる野蛮な僻地だった
24 人間としてとかく抵抗のある「境界領域」、すなわち文明と野蛮の境い目を自由に越えるモンテーニュ
25 モンテーニュの精神に近かったのは行動家ラス・カサスだった
26 次の世紀に人種や文明の境い目を自由に跳び越えたのはショーペンハウアーだった
27 裏目に出たグロティウスの「自然法」への依存
28 「人類のため」が他罰戦争の引き金になる
29 地球の分割占拠の遠因となったジョン・ロックとトマス・モア
30 科学革命と魔女裁判
31 コペルニクスやケプラー等の天体科学者たちの仮説と中世の神学
32 科学思想の先駆を走ったカルヴァン
33 「魔女狩り」は「純粋」を目指す近代的現象だった
34 ガリレオ、デカルトの「自然の数学化」の見えない行方
35 「最後の魔女裁判」は1692年のアメリカ

第四章  欧米の太平洋侵略と江戸時代の日本

1 慌ただしくて余りに余裕がなかった日本の近代史
2 ”明治日本を買い被るな“
3 イスラム世界の勢いと大きさに気づいていなかった日本人
4 太平洋と極東は世界の探検的関心の場末だった
5 急進的宗教家だったニュートンの意外な面
6 劣等人種の絶滅を叫ぶキリスト教徒
7 仏教は日本人の「無」の感覚にこの上なくフィットしている
8 呉善花氏がついに韓国人のホンネを明かした
9 10世紀唐の崩壊から明治維新まで日本は実質的な「鎖国」だった
10 武装しないでも安全だった「朱印船」の不思議
11 日本人にはじめて地球が丸いことを教えたマテオ・リッチ
12 「未開の溟海」太平洋の向こう側は新井白石も知らなかった
13 地球の果てを見きわめようとする西洋人の情熱は並外れていた
14 マゼランとドレークの世界周航
15 1600年代はオランダの世紀
16 アンボイナ事件と幕府の外交失敗
17 世界に一枚しかない年表をお見せする
18 マゼランvsドレークの「世界一周探検」は民族対決だったのか
19 18世紀後半に現れた本格的探検家ジェームズ・クックの登場
20 世界に一枚しかない年表(2ページ目)
21 英露「北西航路」を開く野心と戦争、両国は名誉とメンツをかけて戦った
22 ベーリングの探検、千島にも及ぶ
23 ジェームズ・クックの第三次航海、初めて北太平洋に入った
24 クックに次いでフランスのラペルーズ隊がやって来る
25 鎖国をめぐる百論続出
26 国法としての「鎖国令」の真相
27 深い眠りに入っていた日本は思わず「鎖国」に嵌まり込んだのだ
28 他方、救い難い「鎖『ヨーロッパ圏』意識」
29 クックの死―崇敬化の極みに起こった自己破壊衝動
30 スリランカの一文化人類学者の反撃
31 天皇の人間宣言―同じ文明錯誤をここに見る
32 日本は大陸に自国の似姿を探しても見つからなかった
33 日本との“雙生児”はハワイだったのではないか

あとがき

参考文献

池田俊二氏へ

「日録への池田俊二氏の投稿について」

池田俊二さんの「日録」への投稿の件、一応目を通しましたが、陰湿で執拗な個人攻撃が綴られており、読むに堪えない内容でした。

 このような事態に至ったキッカケや経緯はわかりませんが、結論を先に申し上げますと、この問題は西尾先生が直々に池田さんに対し注意勧告をしなければ収まらないのではないかと思います。

察するに池田さんは、下記のような精神状態に陥っているのではないでしょうか?
① 自分は西尾先生の最側近の長老格であるとの自負(思い上がり)がある。
② 西尾先生が施設に入られた今、会の運営に就いては、長老格の自分に相談があってしかるべきであるが、自分の知らないところで、西尾先生と一部の人間により何かが行われているようであり怪しからん。
③ また最近、元編集者である自分に相談もなく知らないところで(差し置いて)、西尾先生と一部の会員により全集の編集作業が行われているようであり、許せない。
④ 長老格である自分の「日録」への投稿を長谷川さんごときがブロックすることは許せない。
※西尾先生が事前確認できなくなった今、管理人である長谷川さんが内容不適切と判断した投稿をブロックするのは当然。
⑤池田さんはあのような投稿を行うことが「日録」を汚し、西尾先生、加えて自分の顔にも泥を塗ることになることが分からない程精神状態が劣化している。

 以上、思いつくままに記しました。

                          令和5年5月8日

                             中村敏幸 拝

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「あまり寂しいことをしないでくれよ、池田俊二さん」

 私は坦々塾の懇親会では何とはなしに自然と、池田俊二さんの傍に引き寄せられるのです。パーティ形式では隣の椅子に、テーブル席でも同じ輪の中にいることが多いのです。
 安心するんです。自分のつまらない話でもよく聴いてくれるし、また言葉を発しないでもそのまま水割りのグラスをかたむけ時間を過ごせます。こちらを預けてしまってかまわないと甘えて大先輩のふところに潜っているわけです。
 
 また池田さんが日録に綴られた文章の数々を私はよく味わい愛読してきました。最近の渡辺望さんのある感想に対して丁寧に応じておられるものなど、お二人の文にはうかうかと読み落としたら勿体無い貴重品が含まれています。

 更めて発見したのですが、池田さんは西尾幹二先生のことが好きで好きでたまらないのですね。敬愛して敬愛してなお余りあるという程のです。いや、その思いなら人後に落ちないという人は坦々塾の中に他にもおられるかもしれません。

 それでも私は池田さんの文章を読みかえしていて、先生思いの強さ、熱心さの正真の本物を感じ取るのです。行住坐臥、寝ても醒めてもというと、もう西尾幹二という道の修行者であります。池田さん、否定してもダメですよ、先生の「高貴さ」「大きさ」「深さ」を看取して日々を過ごしておられることでしょう。四国参りの法被には「同行二人」とあって、常にいつでも空海と二人なのだ。そこまでいかないと本物ではないのだ、と。

 そう言うお前はどうなんだ、と聞かれると困りますが、私は残念ながらそうではない。ついていくだけで息切れすることもある。先生がとどんどん先を行き、背中が遠く小さくなる。

 池田さんの文章の端々には信仰に似た〈覚悟〉があり、あえて求道心と表現しますが、これほど真剣に道を求めていながらなにゆえに、一つのことで大きく道をはずしてしまうのか。それが不思議でならないのです。先生を敬愛すればするだけ、その分、誰かを蔑まないと気が済まないか。愛情と憎悪はシーソーにならないといけませんか。ルターは「敵のあるほうが燃える」といったが、本質を衝いているとしても人間としてルターの長所とは言い切れないのではないか。

 ここまで来れば、池田さんに左翼も糞もないではありませんか。進歩的文化人も糞も捨ておけば好いではありませんか。後世に託せば良いのです。後世がダメならダメになるしかないのです。

 さて、池田さんはしつこい。管理人、長谷川真美さんに対する罵言はしつこすぎる。相手は子女ではないか。多少、年代をかさねておられるが子女ではないか。子女に向かっての口一杯の罵りは、たとえば池田さんのご母堂はお許しになりますか。お盆になりましたから、胸に手を当てて仏壇でも御霊舎の前にでも座ったらどうですか。

 それに、長谷川さんは日比谷公園には居たが、セクトなんかではないときっぱり否定しているではありませんか。それを「過去に触れるのはよろしくない」などと何文字ほど曲げて引用するのは清潔ではない。長谷川さんは左翼ではないと言っている。それで十分ではないか。

 長谷川さんは長きにわたって、ときには昼夜を厭わず日録を管理運営してきてくれた功労者です。犬馬の労をとって奉仕されたのであって、誰にでもできることではない。ずっと池田さんも彼女から恩恵を被っているのですよ。

 私は今回のことで、ふと晩年の小林秀雄と河上徹太郎のことを思い出したのです。新潮社か文藝春秋かは忘れたが、大事な対談の場が設定されていて、編集者たちと小林が先に到着し、風邪を引いたという河上が遅れてやってきたのだが、さあ始めようとすると、河上は手ぶらで何の準備もしてこなかった。資料やノートが対談に必需とはいえないとしても、河上はテーマさえ要領を得ない。分厚い資料を包んだ風呂敷をほどくまでもなく、小林は「いいよ、今日のは俺が一人でまとめておいてやる」と言って河上を家に帰した。小林は編集者たちの前で泣きながら、「風邪じゃないんだ、あいつはもう終わりなんだ。不治の病にかかっているんだ」というような場面があり、雑誌を探せばみつかるが、たしかそんな編集者の手記を読んだ記憶がある。

 最愛の人が斬られる話はわが神話にも、支那の五丈原にも残っています。池田さんは「出禁になるかもしれないが」と書いておられたが、池田さんだけでなく、誰もかも全員がこれで出禁になってしまった。あまり寂しいことをしないでくれよ、敬慕してきた池田俊二さん。

                    令和5年7月15日

                       伊藤悠可 

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「阿由葉秀峰から池田俊二氏への手紙」

浅学菲才の私が、池田様の「生涯のテーマ」(2023年6月23日「西尾幹二のインターネット日録の愛読者の皆様へ」の池田様の7月7日のコメントより)とされていることについて、物を申すのは恐縮ですが、「近代日本の栄光と悲惨が反映してゐる」からといって、管理人様への中傷のコメントを執拗に続けられるのは、とても拙いことと思います。

池田様のコメントは、言論界に生きている訳ではない管理人様を、不特定多数の人々に一方的に晒して、傷つけ続けています。管理人様が平静を保つのは容易ではないだろうと、心配でなりません。

僭越ながら私も、「私が強い愛着を持つてゐるのは、人生論ものです。人の心の襞を分けて、深部に這入り込み、そのありやうの仔細を洞察して、先生ほど緻密に、活き活きと描いた作品が、世界中に、他にあるのでせうか。私は知りません。」に強く共感を持つ者です。

「歴史や政治に関するものだけが先生の本領では、決してない。」と池田様は確信され、再度私もそこに大きな共感を持っているだけに、この件は残念でなりません。

                   令和5年7月14日

                      阿由葉秀峰 拝

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「池田俊二氏の書込みについての批判」

 日録の書込み記録の回数を正確に数えた訳ではないが、その回数の最も多い方は池田俊二氏ではないだろうか。
 その氏が書込みの中で日録管理人の長谷川真美さんに対して執拗に異常なほど、非難・攻撃・バッシングを一方的に繰り返すのは、一体どうしたことか。
 不思議に思い、或る機会にそのことを長谷川さんにお尋ねしたところ、氏の書込みをシステムのトラブル以外で没にしたことは一切なく、また嘗て中核派に属したことなど全くない、全共闘運動が盛んだった学生の頃、野次馬的に日比谷公園へ行ったその時にたまたま松本楼が焼き討ちされるという事件に遭遇してしまったことがあるだけだという。
 管理人としての長谷川さんは反論が出来ない、まさにサンドバッグ状態だ。それにしても池田氏の長谷川さんに対する人格否定的な書込みには目に余るものがある。
 西尾先生の高校時代からの御親友であるあの紳士的な河内隆彌氏までが、私が別件で連絡を取った折り、お話が日録の話題になり、「最近の池田俊二氏の日録管理人に対する非難は酷いね」と仰有っておられます。
 坦々塾等の会合でよくお目に掛かる池田氏は、はっきりとした物言いの人格者とお見受けするが、こと日録管理人に対しての書込みは、甚だ常軌を逸している。
殆どヴォランティアと言っていい日録管理の仕事をすることはかなり大変なことに違いないが、長谷川さんはその仕事を長い間続けて来られた。その管理人に対しての氏の感謝・労いの念は片鱗すら窺えない。
 これはもう日録の主宰者たる西尾幹二先生に断固たるご処置をお願いするしかないのではなかろうか。

                       令和5年7月10日

                            松山久幸                     

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「池田氏へ先日出したメール内容です」

 この個人的メールを出して後、池田さんの出方を待っていました。最後まで池田さんのやり方は変わりませんでした。それで、今回の投稿をすることになりました。

池田俊二様
西尾日録管理人長谷川です。

 直接メールを書くのは久しぶりです。

 さて、今回私が池田さんにメールを書いているのは、西尾先生とも相談してのことです。西尾先生も周りの方々も、池田さんのコメント欄の一部の内容に大変危惧をされています。

 私を名指しの内容は、もちろん私にとってとても不愉快なものとなっています。
 私が学生の頃、日比谷公園で松本楼が燃えた場に居合わせたことをもって、中核派だと断じておられますが、中核派として行動をしたことは一度もありません。個人的に野次馬根性があり、あの場に居たことは事実で、心情的に確かに左翼的思考をしたことはあります。でもあさま山荘事件や、松本楼への放火などを見て、目的のためには手段を選ばないやり方は間違っていると思い、きっぱりと左翼的な思考とは縁を切りました。転向と言われればそれまでですが、そのことをことさら大勢の方に、管理人への批判として何度も何度もお書きになるのは、日録のコメントとしては不適切だと思います。

 また、コメント削除の件についてもそうですが、以前に申し上げたように、池田さんのコメントを故意に削除したり、投稿不可としたことはありません。そのたびに申し上げたように、ブログ更新時期後の器械の不具合や、本文削除の為のコメントの一体的不掲載でした。池田さんの表現の自由を束縛したことはありません。もし私にそのような下心があるなら、私への罵詈雑言をそのまま掲載しているはずはありません。その部分のみをカットすることもできるのです。

 それから、新しくコメントを書いて下さる方に対して、もう少し寛容に接していただきたいと思います。
せっかく読者になってくださっているのに、怖い常連に文句を言われるのは嫌で、再度書き込むのをためらわれるのではないかと恐れています。西尾先生は新しい読者を歓迎されています。

 最後に池田さんの表現の自由について、どうしても申し上げたいと思います。日録のコメント欄はあくまでも西尾先生の日録内容に関しての意見の場です。そこへ何度も私への攻撃や、その他ご自分が思っておられる他の人への不満を書かれることは大変に困るのです。西尾日録の品位を損なうものとなるのです。今回のような書きぶりは大歓迎ですが、先に申し上げましたように、他人への攻撃は不適切だと思います。

 今後、このメールの内容を不快に思い、今までの書き方を踏襲されるようでしたら、 管理人として、そういった部分を編集削除かあるいは全文掲載拒否とさせていただきます。西尾先生にも了承していただいています。池田さんがご自分の場を設定し、そこで何をお書きになっても自由ですが、ユーチューブでもどこでも、他人が主催し管理するサイトにおいて、管理の方針上表現の自由がある程度制限されることはご承知おきください。

                        長谷川真美

                                           

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「西尾幹二先生から池田俊二氏への手紙」

前略
        (一)
 貴方にこのような手紙を書くのはまことに遺憾ですが、私は病気で、筆を持つ指が自然に動かず、読みにくいのは勘弁して下さい。私はブログへの貴方の出稿にはだいぶ前から心配していました。

 第一に量が多すぎる。第二に相手非難の無遠慮な表現に抑制が失われている。第三に若手育成への配慮が足りない。例えば若い人が新しいことを書き出そうとするとそれを見守るのではなく、貴方は自分の言いたいことに夢中になり、若い人がもち出しているテーマなんかはそっちのけで、自分のテーマを長々と、冗長に、勝手気侭な論理で押し被せるように書くので、若い人はたまらなくなり、ブログから退散してしまうのです。

 こういうことが何度あったでしょう!貴方ご本人は気がつかないのですが、それはさながら大型トラックが自転車をはねとばしてシャーシャーとしているトラック運転手の様子に似ています。

 われわれはこれに交通整理に立ち上がらねばなりません。
今度ご苦労にも手をあげた方々は、今までにも仲介の労をとろうとなさって、見るに見かねて整理役を買って出て下さった方々と私は理解しています。

      (二)
 さてここで私の小さな体験をお話しします。
はじめは小さな過呼吸に始まり、朝服装を替えるころは何でもなく、外出して一駅目に向かうころに呼吸が乱れ、酸素を多く吸うことが必要となり、不安を覚えたのが始まりです。ガンの手術をした(2017年3月31日)より後に少しずつ顕著になりました。

 ガン研有明の呼吸器の先生の門を叩きましたが、手の打ちようがありません。呼吸には(一)自分の意思で自由にできる呼吸、(二)睡眠時の無意識の呼吸、の二つがあります。しかし私には第三の呼吸があって苦しんでいます。自分の意思ではどうしようもなく 眉、舌、歯茎、鼻、が勝手に動いて、口腔内が自由気侭な運動を始めてしまうのです。これに対し西洋近代医学を学んだ医師たちはどうにも答えられません。ガン研有明もお手上げです。

 「心療内科」の領分だ!と言われ私は吉祥寺の有名な精神科の門を叩きました。そこから先のことは詳しくなるので申しません。

 要するに思い切って今までと違う自分に挑戦することが必要だということを言いたいのです。私のように不規則な過呼吸に苦しみ「心療内科」の門をくぐる人はこの病院に来る人の何パーセントくらいでしょうかと尋ねると、20人に12人くらいだ、と聞いて数の多さに驚きました。

 池田さん、貴方も「心療内科」に通うべき人です。誰が見たってそうです。遠慮して周りの人は何も言わないでしょうが、長谷川さんその他に当てた貴方の文章、あなたのブログ(コメント)の常識外れの長文、措辞、形容詞、罵倒語に特有の独特のはずみ、などを症例として診察してもらい、分析の対象としてもらって下さい。

 貴方の今後の老後の安定と幸せのためにこそ必要な決断ではないでしょうか。
私も一度は「心療内科」の門をくぐったのです。何で貴方がためらう理由があるでしょうか。

     (三)
 次に「西尾幹二のインターネット日録」の今後の扱いについて断を下します。
これは私のブログです。私の思想、意見、社会的見解などを訴えるのを目的とした電子板です。いわゆる「コメント欄」を今後いっさい閉鎖します。
                               草々

                   二〇二三年七月十二日
池田俊二様    
                       西尾幹二

西尾幹二のインターネット日録の愛読者の皆様へ

雑誌「正論」8月号(7月1日刊行)に

西尾幹二の幸運物語

――膵臓ガン生還記――

が掲載されます。ガン研究会有明病院で大手術が行われたのは2017年3月31日でした。あれから六年の歳月が流れました。ガンは克服されましたが、体重を17キロ落とし、脚力減退し、正常な歩行が出来なくなりました。今必死にリハビリに励んでいます。かたわら全集の完結と、新しい大著『日本と西欧の五〇〇年史』の仕上げにいそしんでいます。後者は「筑摩選書」として700枚を一巻本で出版される予定です。これから私の三大代表作は『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『日本と西欧の五〇〇年史』の三作といわれるようになるでしょう。よろしくお願いします。

ある旅の思い出

                      西尾幹二

 あれはいつ何処でしたでしょうか 山陰地方のとある城下町でしたね 武家屋敷と旧い商家の並ぶ町でした 行けども行けども同じような軒の深い屋並がどこまでも続いていて 街道沿いの溝には鯉が泳いでいました 

 先生と私は屋並が途切れた所にある一つの門をくぐりました 同行の女の子たちもがやがやとくぐりました 門の内側は床几というか木組みの坐席になっていて そこにみんなで坐りました 先生も私も坐りました 中庭には人影もなく飾りもなくがらんとしていました しかし何もない庭が良くて私たちはぼんやり眺めていました 誰も出てこない庭が良くて 私たちは眺めていました 戸口に人の動きはなく シーンと静まり返っている そんな時間が良くて じーっと眺めていました あれはいつ何処でしたでしょうか 山陰のよく知られた町であることは確かであって つい先頃までは町の名も形ももっとはっきり覚えていたはずですのに

 先生と一緒に歩いたたくさんの町がありました 足が悪いからという先生を置き去りにして 若い者が先にどんどん行ってしまう失礼を笑って見ている先生を私も遠慮なく置き去りにして 自分が見たい名所旧跡を先に見たくてどんどん行ってしまいました そうです 本当に一時間も二時間も置き去りにしてしまったのでした 銅像の並ぶ中央広場も 旧商家の豪邸をぐるりと一周する回遊式の庭園も 先生はご覧にならなかったのではないでしょうか それとも女の子たちに囲まれて賑やかに背後からついて来られたのでしょうか 先生はとある公園の中で 絵ハガキを売っている小さなキオスクの椅子の上に置かれたままにされていて 長い時間笑って待っておられました 先生はお菓子の袋をひとつぶら下げていました そういうたくさんの町がありました そんな旅が私たちの好きな旅でした その頃私は普通に歩けて 先生はほとんど歩けませんでした しかし今は私が歩けず 先生はほんの少し歩けるご様子です 天と地の違いです

 こういう旅をもう一度やりたいですね 夢に浮かんでは消える懐かしい旅の一景です

 時間は二度とめぐって来ません 今私は 閑雑な午後のひとときを 東京の老人ホームの日の射す一室でウツラウツラしながらこれを書いています 無責任な時間です 人生は空に流れる雲のようですね 一瞬たりとも止まりません 一瞬たりとも同じ形になりません しかし 明日になると 同じような似たような形を繰り返すことも間違いありません 「おーい雲よ!」と山村暮鳥のように叫びかけたくなります 子供のときのように声をかけたくなります 「何処へ行くのか?」と

 私の人生はついに終りに近づきました 「何処へ行くのか?」とたえず自分に呼びかけつづけ答のないまゝついに終りに近づきました 先生! 先生は「何処へ行くのかが分っておられるようにお見受けしました それは強みです 人生の強みです けれども ご自身はいつも人生の弱みであるかのようにお振舞いになってきましたね 先生は雲をしかと摑まえているようにお見受けしてきましたというのに 先生と私は残された時間は同じです 先生は迷いなく充実した時間になさるであろうことを私は祈り かつ確信しております

                  (二〇二三年六月七日)

朝まで生テレビ

若いころ「朝まで生テレビ」に出演した映像を、たまたまインターネットで拾った。

日付もわからないけれど、文字起こししました。

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 ドイツの話が出ているから申し上げますとね、ドイツはその五十年後の前の話はもう忘れて、あるいは許されてというけれども、おそらくドイツは千年後も許されないだろうと私は思いますね。つまり、ドイツのやったことというのは、日本のやったことと根本的に違う。ひとつの民族を地上から抹殺するために、600万700万の人間をですね、強制収容所に入れてガス室で殺したというその犯罪はですね、おそらくスターリンが似たようなことをやっているかもしれないけれど、おそらく全く日本の軍国主義なんかと比肩できるような問題じゃないんですね。

 でそこでですね、日韓という関係でよく言われるのは、ドイツとポーランドの関係なんです。みなさんはね、ドイツのやった犯罪についてはユダヤ人とかジプシーのことばっかりを考えているかもしれないけれど、ドイツのやったポーランドに対する犯罪というのはすさまじくてですね、ドイツ人はポーランドの占領時代に小学校四年生以上の教育は許さないと、百まで数え、五百まで数えられるべく自分の名前が書ければ良いと、あとはドイツ人に従順な奴隷を作るために高等教育を受けたものは粛清されるべきだと言って、実際に占領地時代に百万人の指導階級が虐殺されているんですよ。百万人ですよ。そしてたとえば学校の教師とか弁護士とかってのは軒並み理由もなく連れ去られて虐殺されているんですね。

 そうしてですね、そのようなことをやったポーランドとドイツの関係は複雑ですけれども、そのポーランドですらも露助よりは良いと言っているんです。ドイツには文化があるからと。ロシア人よりはまだいいと、ドイツには文化があるからと。それが世界の歴史のすさまじい現実なんですよ。

 そこで比較して比較で申し上げますよ。小学校四年生以上の教育を与えないといったドイツと日本が朝鮮民族の絶滅を考えたことが一度でもありますか?夢に見たことさえないでしょう、そんなこと。それどころか、日本人になってくれと言ったんじゃありませんか。いいですか、小学校四年どころか、京城には京城帝国大学を作ったんですよ。京城帝国大学は大阪帝国大学よりも前に作っているんですよ。台北にも帝国大学を作りましたが。そしてそれはどういうことを意味したかというと、日本の優越感だったでしょう。高等教育を与えてやっているんだぞという類の、優越感があったことは間違いありません。しかし、それがその後に韓国に切り開いた近代化の道になんにも役に立たなかったなんていうことは絶対にあり得ないはずです。それを素直に認めなければ、日韓関係は正常なものにはならないだろうと、私は思います。

よく時々変なことを言う人がいるんですよね。ユダヤ人に対して十分な償いをしたドイツ人の百万分の一も日本人は韓国にやっていないと。そりゃあやったことが違うんですから。例えばエコノミストというのが七月に日本人が外国からもうとやかく言われるのはもう時代が終わりだと、五十年前の歴史は政治家が議論すべき問題ではなくて、歴史家に委ねるべきだというよう発言がありました。

友人からの応援歌

 WiLL新年号に久し振りに少し力の入った評論を書いた。「トランプよ、今一度起ち上れ」という檄文のようなタイトルの文章である。

 小石川高校時代の友人・河内隆彌君からこれに同意し、応援する趣旨の手紙をもらった。河内君は元銀行員、70過ぎてか友人からの応援歌ら国際政治の名作を次々翻訳して、喝采を浴びた巨才である。その彼から誉められたのでうれしくなって、ここに掲示させてもらう。

 拙論については、他の方々からの論評も出始めているので、各自参考にして、考えをまとめて書きこんでいただけるとありがたい。

 勿論トランプへの批判があってもそれは自由である。

西尾幹二大兄

WiLL1月号読みました。西尾幹二ここにあり、西尾節の復活嬉しく拝見。電話だとうまく会話が続かない懸念あり、お手紙にします。本信のお返事は気になさらないで結構です。

 

 で、大論文ですよね。現代世界の病理、不条理の根源である2020年のアメリカ大統領選挙の不正を糺す内容ですが、雑誌編集部は表紙には出さない、目次の扱いも小さい、ほかのクダラナイものは(岸田とか木原とか)鳴り物入りの扱いが」不満ですが、これがいまの日本なのでしょうか?それでも、貴兄の言論活動復帰は、大いに驚きであり、内容の分量、充実度はいまさらながら敬服しております。

 思えば、トランプの二期目は当然、という空気で、これから彼氏がディープステートや中国とどう戦ってくれるのか、楽しみにしていたユメはあの不正で絶たれてしまいました。しかしこの中間選挙で少なくとも下院を確保、2024年本選挙にユメの復活を賭けたいと思っています。

 木魚の会などで、貴兄が馬淵睦夫氏らに批判的であることは承知していましたが、今度の論文で馬淵氏をいささか評価されていますね。背後にどのような「闇」や「謎」があるのかわかりませんが、何かがなければこういう世の中になるはずはありません。

 「闇」といえば、日本ではやはり安倍さんの暗殺事件だと思います。物事本質の矮小化、焦点すり替え化(?)の典型だと思いますが、この事件はわざと別の方向に誘導されているのでしょうか?容疑者の鑑定留置が切れる11月には検察の態度が決まり、裁判が始まれば少しは真実に近づけるのか、と期待していましたが、鑑定留置期間が来年1月に延長されました。その筋は、何かあいまいに片づけたいと思っているのでしょうかね?

 ウクライナ戦争にしてもトランプが二期目をやっていれば起こらなかっただろうし、すべてがあそこから始まっている気がするけれど、これは「陰謀論」になるのですかね?

 取りあえず本日は大論文の感想まで。 

              河内隆彌   令和4年11月26日

トランプよ、今一度起ち上れ!

WiLL 2023年1月号より

 なぜトランプか――それは彼の自己英雄視のロマンティシズムが時に役に立つからだからだ

高知能、低知性の時代

 米国の中間選挙の投票が終わり、注目の上院の大勢がきまらず、ジョージア、アリゾナ、ネバダの三州の行方が未定の十一月十一日にこれを書いています。予想されていた共和党の圧倒的大勝は下院にも起こらず、民主党は大敗を免れた、と安堵と喜びの声を発するだけでなく、次期大統領選挙への見通しも明るいと言わんばかりの勢いです。

 その際バイデン大統領は一貫して「民主主義」が共和党によって脅かされているという前提に立ってものを言っています。恐らく米国民の半数は、このもの言いに反発しているでしょう。いったい民主主義を危うくしていたのはどこの誰だったのか、忘れているわけではあるまい、と。けれどもメディアは気が早く、トランプの勢いに翳りが出て来たのをここに見て、共和党内部の混戦を予測し、新しいスターとしてフロリダ州のロン・デサンティスの名を持ち上げ始めています。ブッシュやクリントンやバイデンのような職業政治家の嗅味紛々たる常識を打ち破ったトランプの魅力。その大言壮語や子供っぽい所作や芝居がかったパフォーマンスの政治効果は、すでに早くも終りかけているとメディアははやし立てています。メディアはいつでも、どこでも所詮浮気なのです。ロン・デサンティスは若いのだから慌てない方がいいでしょうね。私はトランプの時代が終わったとはまったく思っていません。

 トランプは保守の思想がしっかり身についている指導者です。素朴な家族主義、伝統と信仰への信頼、初め分からなかったのですがいざというときにはっきり示された軍事力への傾斜、しかし彼は戦争嫌いで、一方軍は彼を最も信頼しているという逆説。小さな政府という理念とそれに見合った減税政策、オバマやバイデンには出来なかった徹底的な反中国政策、メキシコとの国境の壁の具体的なリアリズムに現れた確信と実行力、北朝鮮に単身乗り込んだ勇気ある人間力、等々を挙げていけば切りがありません。

 この間あるインテリぶった男がテレビでオバマは教養があり、言葉使いも豊富だけれども、トランプはワンセンテンスの単純な表現力しか持っていない、と言っていましたが、言語の力というものを知らない人間の言うことです。トランプのワンセンテンスの繰り返しには力があり、変化もあり、展開もあり、決して単調ではない。政治家は文学者ではありません。現代は知能指数は高いけれども、知性の低い人がいわゆる政界・官界・企業社会を覆い尽くしています。日本も同様です。オバマは八年間の大統領の立場を利用し、六千~八千人の体制順応派を造り、行政府の高級官僚、裁判所の判事、警察の幹部、目立つ政治家を手なづけ、今の左翼全体主義に導き、アメリカ社会を牛耳りました。彼らが司法省を抑え、FBIを支配し、今やりたい放題に振舞っています。「ロシアゲート事件」はその代表例でした。これはトランプ政権の末期に「オバマゲート事件」と名を替え、新たに告発され、民主党の悪事がとことん白日の下にさらされる切っ掛けとなるところでした。

 政権が変わらない限り法律も新たに動き出さない。法の秩序は普遍中立ではない。これが今のアメリカ社会ではないですか。

 2020~21年の大統領選挙は目も当てられない不正まみれだと日本のユーチューブで言葉の限りを尽くして罵っていたケント・ギルバートさんが、ある日突然同じメディアで選挙に不正はありませんでした、バイデン当選を認めることこそがアメリカ民主主義ですと言い出したとき、私は腰を抜かさんばかりにびっくりしました。手の平を返すような大変身ぶりを見せたのは、あのいつもは手堅いもの言いの古森義久氏にも認められました。いったい今までの自説はどこへ行ってしまったのでしょう。私はしきりに首を傾げました。しかし考えてみるとご両名はアメリカに戻ればアメリカ人として、あるいはそれに近い立場で活動をつづける人々です。右の措置はご両名のいわば運命への屈服にほかなりません。

 二年前、アメリカで何かが起こったことは間違いありません。それはアメリカの建国の理念を揺さぶるほどの、一歩間違えば内戦をも招きかねないほどの大事であったことを世界中の人々は承知しています。国連もEU諸国もみな知っていても知らぬ振りをしているのです。アメリカであれどこの国であれ、代表者が仮面を替え、国内はこれで決まったと新しい仮面を主張し始めたら、どこかおかしいと思ってもその国がそれでいいと言っている以上、他国が口出しする余地はありません。バイデン政権はそのような疑念と不安定の中を船出し、今なお本来の権威を失ったまま走航しているのではありませんか。

 それを見抜いて正確に分析し、自由な立場からアメリカをときに批判しときに教導するのが外国のメディア、日本のような同盟国の言論人の本当の仕事ではないでしょうか。言葉を封じられている病めるアメリカのメディアの口移しそのままの垂れ流しをつづけるだけの日本の新聞・テレビ・出版界のていたらくは見るも無惨というほかありません。

 そこで二年前の現実のアメリカをもう一度吟味し直す必要があります。あのとき何があったのか。トランプはなぜ権力を失ったのか。なぜ正論を貫くことが出来なかったのか。彼は実行力あるリアリストではなかったのか。それとも感情に溺れる空想家だったのか。何処でどう間違えたのか。今あらためて問い直してみましょう。

 私には当時SNS大統領選挙観戦記を書こうとしていたときの生のデータ、耳と目の経験しかありません。でも、その方がかえっていいのです。

堕ちた米民主主義

 振り返ってみてトランプを苦しめたポイントは三つありました。第一に連邦最高裁判所の徹底した無責任、逃げの姿勢です。アメリカがこれほどひどい司法の無力をさらけ出す国とは思いませんでした。無力というより司法の腐敗、堕落、背徳です。

 各州の判事、司法長官のレベル以下の逃げ口上や怠慢はまあ予想の範囲内でした。目の前に不正を見せつけられた例の夜中のジョージア州の一件。開票所の監視カメラが映したごまかしようのないシーン、何千票ものトランプ票がみるみるバイデン票にカウントされる光景を州の公聴会で見せつけられても言を左右する司法関係者を見て、傍聴席は哄笑の渦に包まれたそうです。つまり大衆は全部を知っていて大笑いだったのです。

 問題は、連邦最高裁判所の判決です。トランプは一年も前から最終決定の場として最高裁に期待し、必ずここがやってくれると確信していました。郵便投票のデタラメを罰するのもここしかないと。しかるに判決は一切の理由説明なしの「却下」でした。

 テキサスを筆頭に南部諸州が怒り出しました。北東部のペンシルバニアなど四州の憲法違反を提訴しました。「お前たちの勝手な不正投票で大統領選に番狂わせが起こるのは迷惑千万だ」と。憲法遵守は各州平等の義務のはずです。これはまったくの正論です。テキサスには全国から一斉に拍手が送られました。しかるに最高裁は狂っているとしか言いようがありません。

 最高裁は再び「却下」です。二度目には理由をつけていました。テキサスなど南部諸州はペンシルバニアなどの遠い他州の選挙を問題視する機能がないというのです。単に距離が遠いというそれだけの理由です。小学校の自治会の取り決めですら、こんな理屈はあり得ますまい。

 「廊下を走らないようにしましょう」と全校自治会が決めました。校舎のはずれにある五年生の子は授業が終わると野球やサッカーの道具を持って走り出します。違う建物の三年生の生徒から出口でぶつかって痛いと声が上がり、自治会にこれを止めさせてほしいと提訴しました。自治会はいかなる理由をもって提訴を「却下」できるでしょうか。建物や階数が違うのは理由になるでしょうか。

 戦後日本は教育をはじめアメリカ式の民主主義を文化の基本原理の一つとして受け入れました。しかし日本国民は今ここにきてアメリカの民主主義をもはやまったく認められない、と宣言すべきです。多数決の原理すら公正に運営できない国は民主国家とすらいえない。否、法治国家とすらいえないのかもしれません。西部劇時代の野蛮と非文明の地肌が再びさらけ出されました。

 連邦最高裁はただただ内乱が怖かっただけです。ロバーツ長官は判事たちに「お前たちは責任がとれるのか」と問責したという話も伝わっています。しかし、それは政治の領域の判断です。司法の番人は司法の公正に忠実であればよい。政治への出すぎた介入は慎むべきです。アメリカという国家はすでにどうしようもないほどに病んでいるといえます。

 連邦裁判所の身勝手な思い込み、差し出がましい政治への干渉をもって、米大統領選挙は事実上ここで終焉を遂げています。

 トランプ大統領はこのとき声明を発表しました。

「悲しいかな選挙は不正であり、その多くが詳細に触れることもなく、完全にゲームを変えてしまった。最高裁をはじめとするすべての裁判所は裁定(正しい判決の実行)をせず、“根性なし”だったし、そのように歴史に残るだろう」(2021年3月20日)

 このときトランプはほぼすべてのソーシャルメディアから追放されており、最後の砦であったパーラーへの参加すらアドバイザーから阻止されていると言われていたので、「Save America Now PAC」を通じてかろうじてメールでこの声明を発表することができました。

 自国の大統領の最後の言論の自由すら奪ったアメリカ社会の異常心理については後に述べます。

ペンスの裏切り

 トランプを苦しめた第二のポイントは、ペンス副大統領の裏切りでした。ペンスとの仲はいまだにはっきりしません。その後、ペンスはトランプを讃える演説などをして関係を修復しようとしていたようですがペンスの果たした「ユダ」の役割は党にとっても本人にとっても致命的でした。2018、19年の二度にわたるペンスの反中国・反共産主義の名演説は世の月並みな副大統領の成し得ない洞察力に富んだもので、力量に感服しましたが、残念ながら1月6日にやるべきことをやらなかった「逃げの選択」は政治生命を左右しました。

 年末から年始にかけて選挙人投票の獲得票数は民主党若干有利のまま両党が鍔迫り合いを演じていました。ただ「不正選挙」という嵐のような国民の声が沸き起こり、大統領選の勝敗の行方はどうなるかわからないままクリスマスを迎えました。

 全米各州からの選挙人は結果を未開票のまま1月6日にワシントンの連邦議会に集まりました。通例はそこでシャンシャンと手打ち式をして無事に終わるのですが、このときは違いました。選挙人の投票は結果を初めてここで公開して、認定するか否かを裁定するのは、副大統領の仕事と決まっていました。副大統領が議長役を務めるのが年来の取り決めでした。今回はペンスの一挙手一投足に注目が集まりました。

 ペンスが問題の多いいくつかの州の選挙人獲得数は認定できない、ときっぱり言えば、驚天動地、大統領選は振り出しに戻ることになります。そして連邦議会が改めて投票によって大統領を決めることになります。ただし議員全員の多数決ではなく、各州が一票ずつ投じる百年以上前の方法に戻るべきともいわれていて、共和党が有利になり、あっというまにトランプ当選の決定が下されるともしきりに言われていました。トランプ陣営の最後の期待でもあったのでした。

 しかしペンスは不正の多いと言われる州の認定を拒否するとはついに言いませんでした。失望が走りました。と、そのとき、言っている間もなく連邦議会議事堂内部への暴徒の乱入が始まり、議場は総立ちとなり、議員はみな逃げ出し、何が何だか分からなくなってしまいました。

 私はあのときペンスが認定拒否表明さえしていれば、情勢は変わったと今でも思っています。トランプ勝利にすぐに道が開かなかったとしても、トランプに暴徒煽動の罪を被せるという「弾劾」の声をメディアが一方的に広げるわけにもいかなくなり、乱入者にはANTIFA(アンティフア)などもいることが正式に証明され、もう一つの道程が公表されるという利点があっただろうと信じるからです。

 このあたりの事情は謎だらけで、深く闇に包まれています。なぜペンスは裏切ったのか。彼は1月6日の行事を済ませた直後にイスラエルに行くことになっていました。しかし行事の何日か前にイスラエル行きは中止すると宣言されました。ペンスの身に危険が迫っていなかったとどうして言えるでしょう。一枚岩の左翼はいざとなったら何でもするのです。イスラエル行きの計画自体も、あるいはまたその中止決定も、どちらも実は身を護る手段だったのかもしれません。

 ユーチューブに「中川牧師の書斎から」という味のある時局解説のコーナーがありました。中川牧師は、トランプは戒厳令を敷いて軍の正式の協力体制の下に中国など外国の選挙介入を調査し、票の再監査を行うべきだと早くから主張していました。大統領の権力を維持している間にできる最後のチャンスを生かすべきだとも言いました。それにはペンスの命がけの協力が必要で、彼の認定拒否は神の与え給うた千年に一度の信徒としてなし得る信仰の力の見せ所だ、というようなことさえ言いました。福音派の信者たちはあのとききっと同じ心境だったのでしょう。

 ペンスの「ユダの弁明」を私は知りません。したのかどうかも知りません。ペンスに限らず共和党議員が今回危機感に乏しかったのもトランプの誤算でした。マコーネル院内総務などという米上院の「二階俊博」にトランプは怒りまくっていました。もし今回の選挙で敗退すれば共和党は二度と大統領選では勝てないだとう、というような広い危機感が党内に分有されていたようには私には見えませんでした。

 保守はどこの国でもぼんやりしているのが取り柄なのかもしれません。民主党新政権は九人いる最高裁判事をいっぺんに十三人に増員して、増やした全員を左派で占める案をすでに考えているとか、移民をどんどん入れて左派の人口を増やし同時に民主党に投票する有権者数をも比例的に増大させるなどのアイデアが実行に移されだしています。国家や国民の幸福など念頭にありません。「左翼の独裁」が目的でしょう。選挙人投票という大統領選挙の伝統的方式をすら変えようとしていると聞きます。これが実現したら共和党にもう勝ち目はなく、アメリカは今までわれわれの知るアメリカとはまったく別の国に姿だけではなく内実ともどもがらりと変わってしまうことになるでしょう。

馬淵大使「先見の明」

 トランプのぶつかった第三の壁は、すでに先にも申し上げている通り、マスメディアが堂々と憲法違反し、言論の自由を破壊し、自分の国の大統領の発言まで封殺して当然という顔をしていたことです。しかも永久封鎖まで宣言したというのは驚くべき事実です。それよりもさらに驚くべきは、これらのすべてをやり抜けて選挙を完遂したあと、あれは少しやりすぎだったと反省する人は少しいたかもしれませんが、やりすぎとの自覚があるフェイスブック、ツイッター、グーグルなどの全社を挙げての一連の行動を犯罪として摘発し、そのCEOを犯罪人として弾劾するべきだという声が少しも効力を示さないことです。

 アメリカはもはや完璧に憲法を逸脱した非民主主義国家に成り下がっています。以上に取り上げた事例は、アメリカ合衆国の権力構造に明白に異変が生じ、ホワイトハウスの大統領府を超えた何らかの新しい権力がすでに実在し、選挙を動かし、政府を取り換え、官僚の任命権を握り、軍の司令塔を左右している(軍だけは今もバイデンにではなく秘かにトランプに忠誠心を尽くしているという説もありますが)という一連の力の交代劇が行われているという恐るべき事実を示しています。

 これはやはり「革命」でなくて何でありましょう。日本の政治学者諸氏にこの点をお尋ねします。革命でなかったら何と名付けたらいいでしょうか。

 それからもう一つ。アメリカの権力構造が変動し、ホワイトハウスの上位に「超権力」が存在するらしいことは、かねてディープ・ステートの名で言われ、日本では馬淵睦夫さんが早くから指摘して周知され、「establishment」という言い方もありますね。馬淵さんが最初に言い出した頃には半ば疑わしく見え、陰謀論だという反論さえありました。しかしたとえ馬淵さんが言うほど歴史に明白なラインが引けるかどうかは今からないとしても、今度の選挙で現実に異変が存在することが具体的になりました。馬淵さんの先見の明の功績は讃えられるべきだと私は思います。

 しかし、それでも歴史として語られることが多いので、私には馬淵さんの言う政治権力の実態は今ひとつ明らかにならないのです。ディープ・ステートはウォール街の金融資本につながり、地球をワンワールドとして支配するユダヤ民族の自己解放運動に由来するといくら言われても、私に推量できるのはそういう思考心情が存在することすなわち政治心理の次元までであって、世界を現に統括する組織、機構、議会、政体までが一元的にユダヤに支配されつつあるとはとうてい思えず、これも一種の観念論のように思えてなりません。

 パワーの泉は結局は経済でしょう。それならわかります。グローバリズムの経済運営が格差社会を増幅させ、世界の富の一極集中を引き起こして、中国とも協力関係を結べる条件の広がりをもたらすということ、確かにそういう不安はあります。しかし、アメリカ政府の上にあるとされる「超権力」は習近平とはおそらく相容れず、さりとて中国の民主化・近代化に手を貸すつもりもなく、あの大陸には何らかの独裁国家が必要だと思っているに相違ない・・・・・と私はここではたと立ち止まって考えます。この「超権力」は戦前の軍閥が群雄割拠していたあの古めかしい中国のイメージに依然として囚われたままでいるのではないでしょうか。

 まあ、色んな疑問が湧いてきます。

 二年前に多くの人の予想に反しあっという間にトランプが失脚し、バイデンが正式に大統領の座を射止めた背景の動きには何があったのか、永遠の闇に終わるのか、今後少しずつ解明されて行くのか、今のわれわれにはことに外国人である私にはたしかに明確なことが何か言えるテーマではありません。しかしこの背景にはアメリカ社会の変貌があります。アメリカが今急速に中国やロシアのような全体主義国家に体質が似て来ていることは深く憂慮されます。「中川牧師の書斎から」が言っていたように、あのときトランプは戒厳令を敷いて軍の正式の協力体制の下に、中国やベネゼエラなど外国の選挙介入を調査し、票の再監査を行うべきだったのではないでしょうか。それにはトランプ自身が“右翼ファシスト”として内外から非難される覚悟を要しました。しかし実際に彼がしたことは、ワシントンDCの連邦議会議事堂前の広場に予想されるところの大群衆の支持者を呼び集めることでした。大群衆に歓呼の声で迎えられることを彼はひたすら希望していたのでしょうか。戒厳令か、それとも連邦議会議事堂前か、この二者択一は運命の岐れ目だったのではないでしょうか。

 乱入事件に対しトランプに政治責任はありません。彼は煽動演説をしていませんし、乱入の始まったとき現場からはるか離れた位置にいました。けれどもなぜ連邦議会議事堂前に1月6日に大群衆を必要としたのでしょうか。左翼の罠にはまるのは目に見えていた筋書きではありませんか。私はあのときすでにそう心配していました。トランプには自己英雄視のロマンティシズムがあり、これが唯一の政治的欠点でした。

 しかし他方から見れば、米中対立、米露対立のような硬直した場面で大戦争を引き起こさないためには、固定観念に囚われないこのロマンティシズムが、いよいよになると役に立つ光であり、希望でもあり得るのです。ウクライナ戦争の行方を決めるこれからの国際政治の光景(シーン)にトランプがいないのは私は口惜しい。いざというときに自国の強さと弱さを計量できないバイデンのような職業政治家はとてもあぶない。

 大切なのは、自分の立場や姿勢を固定せず、現実の変化に当意即妙に対応できる自分に関する自由の感覚への信頼です。今の世界の指導者の中でこの自由を保持している人物がトランプのほかにいるとは私には思えません。