「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」を読んで

令和2年7月17日
坦々塾会員 松山久幸

 最近、西尾幹二先生からこれを読んでみなさいと手渡されたのが「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」(令和2年6月22日発行、小学館)である。

 まず著者石戸諭(いしど・さとる)氏を簡単に紹介しておきたい。1984年生まれで立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年に退社後2018年からフリーランスとなりジャーナリストとして活躍。

 著者の立ち位置と当著作の動機については序章で次のように述べられている。アメリカのフェミニズム社会学者A・R・ホックシールドの言葉を引用しながら、「橋の向こう側に立ってこそ、真に重要な分析に取りかかれる」として「川のこちら側」(左派)から「川の向こう側」(右派)へと敢えて足を運んだと。

 従って、我々にとって著者石戸諭氏は「川の向こう側」の人だ。「川のこちら側」には西尾先生や百田尚樹氏、藤岡信勝氏、小林よしのり氏(当時)などの「愛国」グループがおって、それぞれベストセラーとなる本を出している。はっきりした右派なのに何故そんなに読む人がいるのだろうかと石戸氏には不思議でならないので「川のこちら側」に来て分析をしてみたくなり、代表的な各氏に精力的にインタビューを試みて書いたのがこの本である。

 第一部では百田尚樹氏に焦点を当て、「百田尚樹現象」とは、百田氏が『永遠の0』や『海賊とよばれた男』で大衆から人気を獲得し大衆の思いを汲み取ることでベストセラー作家の地位を確立し、そして歴史本でまた大いに売りまくっていることを指す。その大衆とは「ごく普通の人々」と石戸氏は規定しているが、百田氏のサイン会に来ていた読者達はインタビューの受け答えから判断するに「ごく普通の人々」よりレベルは上だったように受け取れる。また多くの人々に感動を与えた映画『永遠の0』の中で、『大東亜戦争』ではなく 『太平洋戦争』という言葉が平然と使われていることに石戸氏は疑問を呈し、何故なのかと質問をしていて、「映画は娯楽だから」と百田氏があっさりと受け流したことに驚き、百田氏の大衆迎合の感を強くしたのだろうか。

 また次のように書かれた興味を引く箇所もある。石戸氏が南京事件の否定論などは「歴史修正主義」と呼ばれてもおかしくないのではとの質問をしたのに対して、「僕は歴史修正主義者でもなんでもありませんよ。それまで事実を捻じ曲げてきたことが歴史修正であり、私は『日本国紀』で普通の歴史的事実を書いています。南京大虐殺があった、日本の強制による従軍慰安婦がいた、というほうが『歴史修正』だと思いますよ」と百田氏は明解に答えている。因みに、『日本国紀』は2冊の関連本と合わせて100万部を突破しベストセラー街道を驀進していると石戸氏は記している。

 第二部はつくる会発足の経緯が一般人にも手に取るようにはっきりと理解できるほど詳細に語られている。つくる会のことに関して色眼鏡を付けずに殆ど主観を交えず恐らく事実に対して忠実に淡々と記述されていると思われ、ここはジャーナリストとしての石戸氏の面目躍如たるものがある。このように第三者的立場で書かれたものは他に見当たらない。嘘の従軍慰安婦問題を契機に立ち上げたつくる会は出鱈目な歴史教科書の存在を多くの国民に知らしめた。当時私もその禍々しきことを初めて知った一人であり、これは酷い、何とかしなくてはという強い思いに駆られ直ぐさま会員になることに決めた。それまでの私は唯のサイレント・マジョリティーで、日々の営業の仕事に明け暮れるばかりであり、もしつくる会運動がなければ死ぬまでずうっと無為に日を送っていたかも知れません。昭和45年11月25日の三島由紀夫の死が余りにも衝撃的で、我が人生はそれ以降まさに放心状態であったと言っても過言ではない。そのようなことがあってつくる会の発足は私にとっても実に画期的なことであった。
 
 この運動のお蔭で教科書から従軍慰安婦が消えて運動の成果を喜んでいたのも束の間、学び舎なる極左グループによる教科書出現によって従軍慰安婦は復活し、今度はあべこべにつくる会の教科書は不合格に。嗚呼。前川某というトンデモナイ輩が官僚トップになる体たらくの文科省は腐臭が漂うほどに腐り切っている。良識派だと期待を寄せていた大臣萩生田も見掛け倒しでどうにもなりませぬ。西尾先生も初代会長として大いに尽力されたあのつくる会運動は一体何だったのだろうか。今は虚しさだけが漂っております。

 石戸氏のルポに戻りますが、百田尚樹現象とつくる会現象をニュアンスの差はあるにせよ、どちらもポピュリズムの社会現象と石田氏は捉えているが、これは間違っている。ポピュリズムを大衆迎合主義と規定するならば、少なくともつくる会運動はそんな低レベルの問題ではない。日本国家と日本国民の将来を見据え、世に蔓延った自虐史観を糺そうとした崇高なる国民運動ではないか。その結果が多くの国民を覚醒させて、そして既存教科書会社も従軍慰安婦を削除せざるを得なくなった。どうしたことか今はまたその記述が復活してつくる会の努力は無になって仕舞いましたが。

 このようなことから石戸氏がつくる会現象と、ベストセラー作家たる百田尚樹氏の人気現象とが同一のポピュリズム現象であると論ずることには無理があると私には思われます。

 蓋し、ポピュリズムやポピュラリティーという用語を右派自身が使うことはない。この用語は専ら左派が右派を否定的に捉え揶揄する時に使っているのではないか。唯、この左派用語「ポピュリズム」を良識派の新聞たる産経までもが何の疑問を差し挟まずに使っている。一体これはどうしたことか。

 最後に細かいことですが、石戸氏は左翼用語の交ぜ書き「子ども」を使わず「子供」と表記をしている。今は亡き東京都議古賀俊昭氏に倣って古き良き日本文化を守る為、普通に「子供」と書いてほしいと願う私には実に嬉しいことである。(令和2年7月記)

松本徹氏の『あなたは自由か』評

『あなたは自由か』を2018年(平成30年)に出してから、この本の主題の何たるかを読者がつかみかねていることに気がついた。もともとこの本には「自由をめぐる七つの考察」という副題をつける予定があった。自由の概念は七つに分れ、一貫して展開されていませんよ、と言いたかったからである。

「自由」は非歴史的な概念である。それなのに歴史を題材にしている。この矛盾も読者を戸惑わせたに違いない。「あとがき」をよく読んで下さいと申し上げるしかない。

そんな中で前三島由紀夫文学館長の松本徹先生が書いて下さった次の評文は私にはありがたい内容の一文であった。書評ではなく、私の全集の月報(第19巻、未刊)のために書いて下さったものだが、ポイントをつかんでおられ、広い読者のために役立てると思われるので、ご許可を得てここに掲示する。

尚、それに対する松本先生にあてた私の感謝の返事もご参考までに掲げておく。

明治150年ではなくて  松本徹

 三島由紀夫は自決する四年前の昭和41年(1966年)の晩春から夏にかけて、林房雄と対談(『対話・日本人論』41年10月刊としてまとめられた)したが、それまでと異なった態度を、林にみせた。これまで林の著書『大東亜戦争肯定論』と小説『文明開化』に対して絶賛、手紙を書き送っていたが、この席ではまったく触れないばかりか、林が再三、その件を持ち出しても無視した。三島の中の何かが変わったのだ。

 そうして対談の後半、大東亜戦争の敗因に話が及ぶと、鋭く対立するようになった。林は当時の日本が高度な科学技術の水準に達していたものの、それに応じた物量がなかったためだと主張すると、三島は、西洋文明の摂取でもって西洋に対抗しようとしたこと自体が「最終的な破綻の原因」だと厳しく言う。そして、物量だけの問題と捉えるなら、基本的に現状肯定の立場と変わらない。敗戦後、経済の高度成長を推進して来たのと同じ立場ではないかと、嫌悪感さえ示すのだ。

 そして、わが国の文学者が果たしてどこに自らの立脚点を認めているのか、と問いかけるのである。敗戦によって自分はこれまでの歴史伝統との断絶を覚えたが、決して完全に断絶したのではなく、子供の時に体験した二・二六事件を想起し、そこからさらに神風連へと及んだ、と述べる。これでは歴史伝統の捉え方が狭すぎるが、当時、『豊穣の海』第二巻『奔馬』の中の「神風連史話」の執筆にかかっていたという事情があったと思われる。

 こうした変化については拙著『三島由紀夫の時代―芸術家11人との交錯』(水声社刊)で記したが、この三島と林の対立は、かなり厄介な意味を持つと思われる。文明と文明が衝突する際に、どのような対処の仕方があるか、そこには文明なり国家の存亡が懸ってもいるのだ。そして、三島が自決するに至ったのには、この態度決定が係わっていて、林にしても後に、厳しい自責と哀悼の思いに苦しむことになった。

 この問題は、いま、一段と厳しさを増して、われわれの問題となっていよう。

 そのところを改めて考えるのには、西尾幹二さんの近著『あなたは自由か』(ちくま新書)が提示していることが大きな意味を持つ、と思う。

 西尾さんの愛読者にとっては珍しい指摘でないかもしれないが、その要点の一つを一言でいえば、歴史は百年や百五十年で区切ってではなく、少なくとも五百年の幅をもって考えるべきだとする主張である。最近では明治百五十年といったことが盛んに言われている。昭和では明治百年が言われ、平成の末には明治百五十年といったことが盛んに言われている。これでは林房雄の考えの枠の外には出られない。ヨーロッパ近代を全面的に受け入れ、その延長としてわれわれの現在と未来を考える段階に留まってしまう。

 いま求められているのは、ヨーロッパ近代なり、それに寄り添うことによって展開して来たわが国の在り様を根本に考え直すことであり、そのためには「明治から百五十年」の枠を大きく越え出なくてはならないのである。

 現にこの時代の枠組みを広げるだけでも、この世界の様相は大きく変わろう。例えば西尾さんのこの著書の第四章四節の題が、「欧米五百年史にみる〔人類〕」という概念の鎖国性」なのである。「人類」の概念は、世界性、普遍性を最もよく示しているはずなのだが、じつはヨーロッパとアメリカの内側のことであって、その外に対しては、一転、「鎖国性」を示す、と歴史的現実を冷厳に指摘する。

 西尾さん自身、若い時の著書『ヨーロッパの個人主義』では、ヨーロッパ近代の内側に入り込み、その理想をもっぱら見ていたから、現実が分らなかったが、一歩外へ出ると――ということは、日本人として本来の場所に立つと、「鎖国性」を露わにして、強力に迫って来ると分かる。明治以降、殊に大正、昭和と時代が進むにつれ、殊にイギリス、そしてアメリカが日本に対して示したのが、この恐るべき「鎖国性」であった。独善的、かつ、過酷に対応、日本を戦争へと追い込み、占領下に引き据えた、と捉える。

 大東亜戦争の開戦へ至る道筋、そして敗戦、当初の占領政策について、この視点から見なくてはならないことを教えてくれる。これは必ずしも過去になったわけではないのである。西尾さんの責任編集『地球日本史』、引き続いての著書『国民の歴史』によって打ち出された視点だが、以降の思索も踏まえられ、この著書はさらなる広がりと厚みを持つ。

 初めに触れた三島由紀夫と林房雄が持ち出した問題にしても、より広いところに持ち出し、さらに深めて考えるのを可能にするように思われる。殊に三島の場合、陽明学から水戸学へ、さらに神風連へと至っただけに、先への展望を開くのが難しい。そのところを打開するには、歴史をさらに遠くへと遡る必要があるだろう。三島自身にしても、最晩年、古事記、万葉集まで遡って『日本文学小史』を書いていたのである。

  

松本先生への令状 

前略

 御原稿拝受しました。

 予想した通り、深く納得のいく内容でした。
近代西洋の摂取の十分・不十分のレベルの問題にわが国の運命を置いて見ていた林、三島の時代認識ではたしかにもう間に合わず、近代西洋自体が自らの文明の行方をしかと見ていなかった、自らの行方がどこに行くのかわかっていなかったことも含めて今はページを白紙に戻し、500年史観を必要とするであろうという私の主張をおおむね理解して下さったように受けとめられ、うれしく存じました。

 とりわけ西欧文明の「人類」という概念の鎖国性の一語に気がついて下さったこと、これを強調して下さった唯一の例でございました。この点にも御礼申し上げます。

 あっちこっちへ概念が散れるような書き方をした一書でしたので、真意を分って下さる人も少なく、貴稿に救われる思いがいたしました。ありがとうございます。

 早速全集第19巻月報のトップ欄に掲載させていただきます。

 尚、貴稿を出す前に私のブログ「西尾幹二のインターネット日録」にのせさせて下さい。あの本はこういう風に読むのだという見本になると思うからです。

松本徹様                    2019年1月20日  西尾幹二

渡部昇一v西尾幹二『対話 日本および日本人の課題』書評

宮崎正弘の国際ニュース・早読みより

痛快・豪快に戦後日本の思想的衰弱、文春の左傾化、知的劣化をぶった斬る
  マハティール首相は激しく迫った。「日本は明確な政治的意思を示せ」

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渡部昇一 v 西尾幹二『対話 日本および日本人の課題』(ビジネス社)
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 この本は言論界の二大巨匠による白熱討論の記録を、過去の『諸君』、『WILL』、そして「桜チャンネルの番組」(『大道無門』)における収録記録などを新しく編集し直したもので、文字通りの対話扁である。
 討議した話題はと言えば、自虐史観、自由とは何か、歴史教科書問題、戦後補償などという奇妙な政治課題、朝日新聞と外務省批判、人権など多岐にわたり、それぞれが、対談当時の時局を踏まえながらも、本質的な課題をするどく追求している。

 目新しいテーマは文藝春秋の左傾化である。
 評者(宮崎)も、常々「文春の三バカ」として立花隆、半藤一利、保阪正康の三氏を俎上に乗せて批判してきたが、文春内では、この三人が「ビンの蓋」というそうな。えっ?何のこと、と疑えば文春を右傾化させない防波堤だという意味だとか。半藤などという極左がまともな議論が出来るとでも思っているのだろうか。
 半藤よりもっと極左の論を書き散らす立花隆について西尾氏は「かつてニューヨーク同時多発テロが起こったとき、立花は日本の戦時中の神風特攻隊をアフガンテロと同一視し、ハッシッシ(麻薬)をかがされて若者が死地に追いやられた点では同じなんだという意味のことを得々と語っていました(『文藝春秋』2001年10月緊急増刊号)。条件も情勢もまったく違う。こういう物書きの偽物性が見通せないのは文春首脳部の知性が衰弱している証拠です」と批判している(252p)。

文藝春秋の左傾化という文脈の中で、「朝日が慰安婦虚偽報道以来、いまの『モリカケ問題』を含め情けないほど衰弱していったのは、野党らしくない薄汚い新聞」に変わり果て、文春はどんどんその朝日に吸い込まれるかたちで、たぶん似たようなものになってくる」と嘆く。
評者が朝日新聞を購読しなくなって半世紀、月刊文春もこの十年以上、読んだことがない。なぜって、読む価値を見いだせないからである。
戦後補償について渡部昇一氏は「戦後の保障は必ず講和条約で締結されている」のであって、戦後補償という「とんちきな話」が半世紀後に生じたのは社会党があったからだと断言する。
この発言をうけて西尾氏は「中国の圧力を日に日に感じているASEANでは、米国の軍事力がアジアで後退しているという事情もあって、日本にある程度の役割を担って貰わなければならないという意識が日増しに高まっている。マハティール首相の発言にみられる『いまさら謝罪だ、補償だということをわれわれは求めていない、それよりも日本の決然たる政治的意思を明らかにして欲しい』というあの意識です。こういう思惑の違いははっきり出てきている。結局、戦後補償がどうのこうのというのは日本の国内問題だということですね」(104-105p)
 活字を通しただけでも、二人の熱論が目に浮かんだ。
         

全集の最新刊(三)

宮崎正弘氏書評 第十八巻『国民の歴史』
 あの強烈な、衝撃的刊行から二十年を閲して、読み返してみた
  歴史学界に若手が現れ、左翼史観は古色蒼然と退場間近だが

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西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)
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 版元から配達されてきたのは師走後半、たまたま評者(宮崎)はキューバの旅先にあった。帰国後、雑務に追われ、開梱したのはさらに数日後、表題をみて「あっ」と小さく唸った。
 二十年近く前、西尾氏の『国民の歴史』が刊行され、大ベストセラーとなって世に迎えられ、この本への称賛も多かったが、批判、痛罵も左翼歴史家から起こった。
初版が平成11年10月30日、これは一つの社会的事件でもあった。もちろん、評者、初版本を持っている。本棚から、ちょっと埃をかぶった初版本を取り出して、全集と比較するわけでもないが、今回の全集に収録されたのは、その後、上下二冊の文庫本となって文春からでた「決定版」のほうに準拠する。それゆえ新しく柏原竜一、中西輝政、田中英道氏らの解説が加えられている。

 初読は、したがって二十年近く前であり、いまとなってはかなり記憶が希釈化しているのは、印象が薄いからではない。その後にでた西尾さんの『江戸のダイナミズム』の衝撃と感動があまりにも大きく強烈だったため、『国民の歴史』が視界から霞んでしまった所為である。
 というわけで、正月休みを利用して三日間かけて、じっくりと再読した。こういう浩瀚な書籍は旅行鞄につめるか、連休を利用するしかない。
 そしてページを追うごとに、改めての新発見、次々と傍線を引いてゆくのだが、赤のマーカーで印をつけながら読んでいくと、いつしか本書は傍線だらけとなって呆然となった。

 戦後日本の論壇が左翼の偽知識人にすっかり乗っ取られてきたように、歴史学界もまた、左巻きのボスが牛耳っていた。政治学を丸山某が、経済論壇を大内某が、おおきな顔で威張っていた。それらの歴史解釈はマルクス主義にもとづく階級史観、共産主義の進歩が歴史だという不思議な思い込みがあり、かれらが勝手に作った「原則」から外れると「業界」から干されるという掟が、目に見えなくても存在していた。
 縄文文明を軽視し、稲作は華南から朝鮮半島を経てやってきた、漢字を日本は中国から学び、したがって日本文明はシナの亜流だと、いまから見れば信じられないような虚偽を教えてきた。
 『国民の歴史』は、そうした迷妄への挑戦であった。
だから強い反作用も伴った社会的事件なのだ。
 縄文時代のロマンから氏の歴史講座は始められるが、これは「沈黙の一万年」と比喩されつつ、豊かなヴィーナスのような土偶、独特な芸術としての高みを述べられる。
 評者はキプロスの歴史博物館で、ふくよかなヴィーナスの土偶をみたことがあるが、たしかに日本の縄文と似ている。
遅ればせながら評者、昨年ようやくにして三内丸山遺跡と亀岡遺跡を訪れる機会をえた。弥生式の吉野ケ里でみた「近代」の匂いはなく、しかも発見された人骨には刀傷も槍の痕跡もなく、戦争が数千年の長き見わたって存在しなかった縄文の平和な日々という史実を語っている。
 魏の倭人伝なるは、取るに足らないものでしかなく、邪馬台国とか卑弥呼とかを過大評価で取り上げる歴史学者の質を疑うという意味で大いに賛成である。
 すなわち「わが祖先の歴史の始原を古代中国文明のいわば附録のように扱う悪しき習慣は戦後に始まり、哀れにも今もって克服できない歴史学界の陥っている最大の宿唖」なのである。
「皇国史観の裏返しが『自己本位』の精神をまでも失った自虐史観である悲劇は、古代史においてこそ頂点に達している」(全集版 102p)

 西尾氏は中国と日本との関係に言語体系の文脈から斬りこむ。
 「古代の日本は、アジアの国でできない極めて特異なことをやってのけた、たったひとつの国である。それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する。これは決然たる意志であった」(92p)

 「江戸時代に日本は経済的にも中国を凌駕し、外交関係を絶って、北京政府を黙殺し続けていた事実を忘れてはならない」(39p)。

 こうして古代史からシナ大陸との接触、遣唐使派遣中止へといたる過程を通年史風ではなく、独自のカテゴリー的仕分けから論じている。

 最後の日本とドイツの比較に関しても、ほかの西尾氏の諸作論文でおなじみのことだが、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の偽善(ナチスが悪く、ドイツ国民も犠牲者だという言い逃れで賠償を逃げた)の発想の源流がヤスパースの論考にあり、またハイデッカーへの批判は、西尾氏がニーチェ研究の第一人者であるだけに、うまく整理されていて大いに納得ができた。
 蛇足だが、本巻に挿入された「月報」も堤尭、三好範英、宮脇淳子、呉善花の四氏が四様に個人的な西尾評を寄せていて、皆さん知り合いなので「あ、そういう因縁があるのか」とそれぞれを興味深く、面白く読んだ。
 三日がかりの読書となって、目を休めるために散歩にでることにした。

故吉村昭氏の推薦文

 私の『少年記』については、かつて作家の故吉村昭氏よりお言葉をいたゞき、今度本の帯の文に使わせてもらった。このご文章をいたゞいたのはもう18年も前になる。とても気に入った、有難いお言葉だった。私の全集第15巻を手に取った人はすでにご存知と思うが、そうでない方々のために同文をここに再録する。

 さいごに「史書」と言って下さったのはうれしい。本人は文学の積りだったが、子供の目で見た戦中から戦後へかけての日本社会のディテール、日本人の生活の細部が記録されている作である。小説家なら長編小説にしたであろう。文学であるような、歴史であるような一冊であって、決して思想の本ではない。

 吉村さんの目にとまったのは幸運であり、私には忘れ難い出来事だった。

少年の目に映じた昭和史 吉村昭(作家)

 作者の西尾氏は、小学生時代から中学生になるまで日記を書きつづけていた。これだけでも驚異であるのに、それが今でも作文などとともに手もとに残されているとは。しかも、小学校に通っていた頃は戦時で、当時の東京、疎開先の水戸市などでの生活が初々しい筆致でつづられている。

 この日記、作文を核として、当時の新聞、公式記録、外国の文献まで渉猟してその背景を的確に浮かび上がらせている。過去が現在であるかのような不思議な世界がくりひろげられていて、私は、遠く過ぎ去った戦時下に身を置いているような奇妙な感慨にとらわれた。

 まさしく「わたしの昭和史」であり、一個の感受性豊かな少年が歴史の時間を歩いてきたのを感じる。少年の眼に映じた昭和史は、時間の経過とともに一つの史書としてひときわ光彩を放つものになるにちがいない。

(『わたしの昭和史1』推薦の辞より)

一篇の書評の重さ

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 新刊の拙著『日本、この決然たる孤独』についてアマゾンに一篇だけ書評が出た。私には嬉しい評文であった。褒められているからだけではない。的確に評価されていると思ったからである。

5つ星のうち 5.0時代の核心を射抜く書
投稿者 土屋六郎 投稿日 2016/7/10

今、折々に雑誌に発表した時論をまとめて一本として出版される論客は、左右を見渡して西尾幹二氏ただひとりである。片言隻句まで聞き漏らすまい、現代の諸問題に何と発言するか聞きたいと願う読者が確実に存在しており、時代の潮流の中で読んだ雑誌掲載論文が本になると、思っていた以上にはるかに本格的な相貌を現す文章を書くのが氏一人になってしまったということだ。文学がほとんど滅んで久しい中、もはや目ぼしい後続を求め得ない最後の文学者と氏を呼びたいのだが、この本の「仲小路彰(なかしょうじ あきら)論」で仲小路を評した言葉「哲学が分っている歴史家、あるいは歴史的に思索する哲学者」という言葉がこんにちの西尾氏にふさわしい評言であろう。
「日本、この決然たる孤独」という表題は、孤独というネガティブと取れる状態を、決然たるというポジティブな形容語で規定し、日本が日本であるのは孤独を決然と受け入れて諸外国と自主的判断のもと渡り合う以外にないという意志の表現である。個々の論文はすべて行き着くところまで洞察が行き着いている。たとえば、「いつかは日本独自の歩み方の課題がもっと巨大化して、アメリカに『ノー』と言わなければならない局面がやってくるときがある。危険を覚悟して『ノー』と言うべきときがくるだろう」と著者は喝破する。アメリカのご都合主義と日本の生存の確保が決定的な亀裂を生む瞬間が戦乱の危機のさなかでないという保証はないだろう。
「北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険」というエッセイは、日本は上から下までアメリカの虎の威を借りて上から目線で経済制裁を強めろと言うが、経済制裁が既にして戦争行為であり宣戦布告をしたに等しいことに気づいているかという指摘である。先の大戦の日本の開戦時と同様の「自存自衛」のためという理由を与えてはしまっているのではないか。折しも高度1,000Km超のミサイル、ムスダンを打ち上げ、脅威は現実のものになっている。
朝日新聞を論じたエッセイの末尾、「戦争の敗北者は精神の深部を叩きのめされると、勝利者にすり寄り、へつらい、勝利者の神をわが神として崇めるようになる」。「今の朝日新聞は戦争に敗れて自分を喪った敗残者の最も無節操を代弁しているように見える」。先の大戦で戦時体制に最も迎合的に協力した朝日の無残極まるなれの果てへのこれ以上ない正確な鉄槌と言うべきであろう。
福田恒存の評論集にも、「勇気ある言葉」や乃木大将論など珠玉のエッセイがあった。この本にも「文学部をこそ重視せよ」という拳拳服膺(けんけんふくよう)すべき掌篇がある。文部省は、外務省に劣らず余りに絶望的な官庁であると言わなければならない。大学人よ奮起せよ。

 私は若い頃文芸同人誌と文芸雑誌で鍛えられた著述家である。およそ文筆に携わることは「作品」を書くことに尽きる、と心得ていた。たとえ見開き2ページの短文でも、独立した「作品」として完結していなくてはいけない。

 それにその頃、著名な編集者から、貴方の書くものには「芸」があるといわれてひどく嬉しかったことを覚えている。「芸がない」という評語は、へたくそで出鱈目の意味で悪口として普通に使われるが、「芸がある」という言い方は、あまり用いられないであろう。面白く読める、という意味が「芸がある」の第一の意味だと思うが、どんな短文でも、政治評論でも、時局に合わせた、適当に都合のいいムード的文章ではなく、後日に読んでも通用する「作品化」を目指した文章になっている、というほどの意味でもあるだろう。

 上にとり上げた一篇の書評は、我田引水と思われるかもしれないが、このような意味でいたく私の心に適っていた。書かれた未知の方に御礼申し上げる。

『日韓 悲劇の深層』(二)

10月3日 宮崎正弘の国際ニュース早読み 4671号より

朴権恵は「前代未聞の反日政権」と呉善花さんが言えば、
  「日本人は反省しすぎるんです」と西尾氏

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西尾幹二 vs 呉善花『日韓 悲劇の真相』(祥伝社新書)
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 いまの日韓関係は「史上最悪」、すべての原因は韓国の狂気ともいえる反日感情と行動にあるが、だからと言って国交を断絶するわけにも行かず、日本外交の転換が試される状況にある。韓国の世論を日本から判断すれば、ほとんど狂気の沙汰である。
 本書にはこういう会話がある。
 西尾「日本は古いものを大事にするので、すべての時代の仏像が残っています。前代のものはほとんど破壊してしまう中国文明に対して、日本は神話を始め、すべからく大事に保存する文明です」
 呉 「日本文化は『和合』『融合』を軸にして形成されてきた、ということが分からないと、とても理解できません。中国や朝鮮半島の文明は『対立』を軸に文化国家を形成して来ましたから、その目で見る」(中略)「他者との向き合い方が、とにかく対抗的、敵対的なわけです」
 西尾「北朝鮮の異常さと韓国の異常さは、かつては別のものと考えていましたが、しかし最近はどこか同質な一面があるのではないかと思っています。たとえば北朝鮮の独善性と、韓国の『対他者意識の欠落』は、よく考えてみると、じつにそっくり」
 呉 「韓国を知るには北朝鮮を見ると分かりやすい、韓国を極端にしたのが、北朝鮮」。

 いやはや本質をすばり抉り出す語彙が次々とお二人から機関銃のようにでてくる。他者を意識しないジコチュウがここまで高まると手に負えないともいえる。
 だから韓国の政治家らは世界中が日本が悪いと認識していると一方的に思いこんでいるわけで、ところが韓国大統領が西側に「告げ口外交」に行くと、ハナから馬鹿にされる。韓国の社会とは「分裂抗争が拡大増幅する社会だ」と呉さんは指摘する。
 西尾氏が続ける。
 「韓国は『日本は反省していない』と言いますが、日本人は反省しすぎるんです。愚かと思えるくらい反省する国民です。これほど反省ばかりしている日本を、『まったく反省しない国』と言いつのる韓国は、いったい何処を見ているのだろうと、不思議でなりません」。
 対して呉さんは、韓国人ジャーナリスト等は「日本がアジア解放に大きな役割を果たしたという評価が世界にあることは知っています。しかしそうした評価は、彼らとしてはあってはならないものです」

 日本に留学前まで、呉さんは「韓国が日本から大規模な経済技術援助を受けていたなど、まったく知りませんでした」と率直に告白するほどに、韓国の教育現場もマスコミは身勝手なのである。
 かくして二人の話題は縦横無尽に朝鮮半島に関してのあれこれを話し合う。
 とくに呉善花という稀有の思想家がいかに形成されてきたか、西尾氏は当人に鋭角的な質問を浴びせつつ、両氏の文化文明論が会話の随所に加わるので、それだけでも読書の醍醐味がある。

さて評者は、この本を読みながら、過去半世紀の個人的な韓国との関わりを連想していた。
最初に韓国を取材したのは1973年だったと記憶するが、一週間ソウルに滞在し、毎晩のように閣僚らとも懇談した。金鐘泌首相、文科相、スポーツ担当相ら、全員がなんと日本語を喋った。それも格調高き戦前の日本語だった。
この時期、「開発独裁」を掲げていた朴正煕政権は日本に対して謙虚とも言えるほどの態度をとりつづけ、日本の親韓派といえば、ほぼ全員が保守系だったのである。なぜなら韓国は「反共」の砦であり、国際的は反共運動が盛んであったし、韓国を批判していたのは岩波、朝日など例によって左翼だけだった。
 それが朴政権の退場によって続く軍人政権はふたりとも日本語を喋ったのに人前では決して親日的態度を示さなかった。
驚いたのは朴政権時代の政治家をパージし始めたことだった。前政権否定が、韓国の常識であることをしらなかったから、なんとカメレオンのように変貌するのかと思った。
同時に日本の反共保守陣営も徐々に韓国から遠のいた。
 それからしばらくも仕事の関係でソウルへよく行ったが、この間に国際シンポジウムで招かれ、高坂正堯氏、黒田勝彦氏らと参加したことがあった。強烈な反日姿勢を感じることはなかった。とはいえ、なにか、距離が遠くなったなぁという感想をいだいた。
88年ソウル五輪前にも国際会議があって、竹村健一、日高義樹氏等と参加したが、日本との距離が大きくひらいたという気がした。
評者はこの間に、池東旭氏と二冊の対談本を出した。
 韓国が露骨な反日を示し始めたのは金大中後期、そして盧武鉉で確定的となった。なぜかと言えば「反共」が西側の政治スタンスから消えたからである。
そのうえ、中国がグローバルな視野に躍り込んできたため、韓国の政治スタンスががらがらと変わった。
韓国外交は露骨に北京寄りとなった。日本は「どうでもよくなった」のである。
 李明博政権後期からは誰もが認める反日がスタンスと代わり、反日を言わなければ政治家の資格がないという韓国特有の不思議な雰囲気に変わってきた。
 異形な韓国の反日は、病的に進化し、こんにち狂気の反日政治家、朴権恵を産んでしまった。そして次の韓国大統領はおそらく、いまのより酷い反日家がなるであろう、と絶望視される。
 このような時代の変遷を本書は西尾氏が、「日本極右勢力の女王様」と韓国のネット上で批判され、入国も出来ない呉善花さんの来歴をずばり質問してゆく過程のなかで随所に述べられている。知的興奮に満ちた書物である。

新刊『維新の源流としての水戸学』(一)

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宮崎正弘氏の国際ニュース早読み4644号より

松陰も西郷も水戸学に激甚な影響を受けて奔った
  幕末日本を激震に導いた水戸学の根幹に何があったのか?

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西尾幹二『維新の源流としての水戸学』(徳間書店)
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 GHQ焚書図書開封シリーズ第十一巻は「水戸学」である。このシリーズの目的は米占領軍の日本人洗脳工作の一環として行われた重要文献の焚書本を探し当て、時代的背景の考察や、諸作の根源的なエネルギーに光を当てる地道な作業だが、この文脈から、本巻は水戸学へアプローチする。
 しかし過去のシリーズとはやや趣を異にして、これは「水戸学の入門書」を兼ねる、西尾幹二氏の解説書になっている。
 徳川御三家でありながら、尊皇攘夷思想の源流となって幕末維新を思想的に領導し、結果的に徳川幕府を倒すことになった、その歴史のアイロニーを秘めるのも水戸学である。
 「幕府は水戸学という爆弾を抱えた政権だった」(165p)。
 吉田松陰は水戸へ遊学し、会沢正志齋のもとに足繁く通った。松陰は水戸学を通じて、日本史を発見し、先師・山鹿素行をこえる何ものかを身につけた。兵法、孫子、孔孟と松陰がそれまでに学んだことに重ねてかれは万世一系の日本の歴史に開眼する。
 西郷隆盛は水戸学の巨匠・藤田東湖に学び、また横井小楠は、藤田を絶賛した。維新回転の原動力は、こうして水戸学の学者・論客と志士たちの交流を通して始まり、桜田門外の変へまっしぐらに突き進んでいく。
 吉田松陰の斬首は「長州をして反徳川に走らせる決定打」となった。西郷は命を捨てても国に尽くす信念をえた。
 その水戸学である。
 前期、中期、後期とわかれる水戸学はそれぞれの時代で中味が異なっている。
 前期水戸学の大きなテーマは「南朝の是認」であり、北畠親房の「神皇正統記」と同じく南朝が正統とみる。しかしながら前期水戸学は「天皇のご存在をものすごく尊重しておきながら、神話は排するという点でどこかシナ的です」。
 水戸光圀は、ほかにも独自の解釈で『大日本史』の編纂を命じた。

 後期水戸学には国学の風が流れ込む。
 その前に中期水戸学は藤田幽谷が引き継ぎ、この古着屋の息子が水戸藩では大学者となった。身分差別を超越した、新しいシステムが水戸では作動していた。幽谷の異例の出世に嫉妬した反対派の暗躍が敗退し、後年の天狗党の悲劇に繋がる。
 そして「後期水戸学」の特色は国際環境の変化によって「歴史をもっと違う見方で見るようになってくる。欧米という先進世界と戦わなければならない状態になって」、国防が重視されるという特徴が濃厚にでてくるのである。
 それでいて水戸学には儒学を基礎として仏教を排斥するとマイナスの要素があった。
 「非常に早い時期から「脱神話世界」を掲げたのが儒教の歴史観」(107p)だったから、初期水戸学は「脱神話」であるのに、後期水戸学は「神話的歴史観に近づいていく。思想が変わってきた」わけで「『古事記』『日本書紀』を認め、日本のありかたを単純な合理主義では考えなくなっていく」のである。
 そこで西尾氏は藤田東湖の父親、藤田幽谷の再評価を試みる。
 それも国際的パースペクティブから「モーツアルトと同時代人」であり、かれは十八にして藩主に見いだされたうえ、藩校を率いた大学者、立原翠軒と対立していく。これがやがて天狗党の乱という血なまぐさい事件へつながり、凄絶な内ゲバの結果、尊皇攘夷の魁となった水戸藩から人材が払底してしまうのだ。
藤田幽谷は家康を神君とは認めず、『当時の儒学者の「多くは支那と日本との国体を判別する力に乏しかった」がために立原は、幽谷との対決の道に陥った。
 幽谷の息子の藤田東湖は「なんと十年かけて『弘道館記述義』」を完成されているが、これは『儒教と神道が一つになっていることがわかります。しかも、この『弘道館記述義』は、GHQの焚書図書の対象とはならず、翻訳まででた。
 したがって奇妙なことに「国学のひとたちは儒仏思想を排斥しましたが、水戸学は仏教を排斥したものの、儒教は排斥するどころか、依存しています」(280p)。
 かくして西尾幹二氏の水戸学入門はきわめて分かりやすく、その思想の中枢と時代の変遷を活写している。
 最後に西尾氏は、「戦争体験者の歴史観、戦争観には失望してきた」として、大岡昇平、司馬遼太郎にならべて山本七平への批判を加えている。
 ページを開いたら止まらず、一気に読んでしまった。

  

『膨張するドイツの衝撃』(ビジネス社)書評

 宮崎正弘の国際ニュース・早読み 8月14日より

西尾幹二・川口マーン惠美共著『膨張するドイツの衝撃』(ビジネス社)
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                        評 玉川博己

 先にフランスの人口学者であるエマニュエル・トッドが書いた『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる~日本人への警告』(文春新書)がセンセーションを巻き起こし、ベストセラーになっている。
エマニュエル・トッドは今のEUの実態がドイツによる欧州支配であり、それは今やウクライナからバルカン、中東にいたるまで版図(ヒトラーの用語を用いればレーベンスラウム=生存圏)を広げつつある事実を指摘し、これが21世紀における新ドイツ帝国に他ならないとさえ言いきっている。

この程ドイツ文学の泰斗であり、思想家・歴史家である西尾幹二氏とドイツで生活しながら多くの著作を通じて現在のドイツ情勢を生き生きと読者に伝えている川口マーン惠美氏が対談の形でドイツを論じるのが本書である。
そして本書の本当の主題は「日本は『ドイツ帝国』と中国で対決する」と副題でうたっているように、中国というキーワードをからめて日本の今後あるべき政治、外交、経済などを熱く論じる「憂国の書」であることに尽きよう。
 まず両氏はいわゆる歴史認識問題において中韓両国が「戦争責任を謝罪し、歴史を清算した」ドイツとそうでない日本を対比させて日本を非難し、また少なからざる日本の左翼マスコミや反日知識人がこれに同調する状況を厳しく批判する。
両氏によればいわゆるワイツゼッカー演説に代表される戦後ドイツが行ってきた謝罪とは、ナチスが行ったホロコーストに対する謝罪とホロコーストの犠牲者への補償であり、それ以外の戦争と戦争責任については一切謝罪も補償も行っていないことに言及する。言い換えればポーランド侵攻に始まり,独ソ戦を含む第二次欧州大戦は、あくまで国家主権の発動たる通常の戦争であり、これに対してドイツは一切謝罪も行ってこなかったし、戦争責任も認めていないのである。
この事実が案外日本では知られていないのである。
 同じ敗戦国である日本についていうと、西尾氏は大東亜戦争が欧米の植民地支配からアジアを解放する戦いであったことを中韓を除くアジア諸国が認めていることを指摘する。
 またドイツとの比較において西尾氏は(1)日本にとっての中国は、ドイツにとってのロシアであり、(2)日本にとっての韓国は、ドイツにとってのポーランド、あるいはチェコであり、(3)ドイツにとってのフランスを筆頭とする近隣諸国は、日本にとってはアメリカである、とのアナロジーを説明するくだりは大変興味深く、説得力がある。

これにひきかえ、戦後の日本は昭和40年に締結された日韓基本条約において莫大な賠償金を韓国に支払う誠意を見せて、補償問題を完全かつ最終的に解決した筈であったが、その後も韓国は約束を反故にして、日本の謝罪を受け入れないばかりか、どんどん要求をせり上げてきており,強請りたかり同然であると、西尾氏は現在の韓国を手厳しく批判するのは当然であろう。
 かつてのドイツの仇敵であったフランスとロシアがドイツに対してとってきた「大人の関係」は、現在の中国と韓国には望むべくもない。
中韓両国の反日姿勢の根底にはひとり近代化に成功し、中華秩序を破壊した日本への怨念があるという指摘も納得がゆく。またイスラムと中韓に共通するのはそれぞれ「分家」である欧州と日本に追い抜かれた「本家」の怨みであるという解釈も首肯できよう。このように西尾氏と川口氏の議論は世界史的な文明論まで視野に入れて展開される。
 
冒頭に紹介したエマニュエル・トッドの「新ドイツ帝国論」に対して、川口氏は、「いまのドイツにはEUの頸木があるので、どちらかというと神聖ローマ帝国の復活だと思っている。新しいドイツ皇帝の座が、かつてのように張子の虎で終わるか、あるいは実行力を伴ったものになるかは、これからの歴史の流れ次第だ」と慎重な意見を述べ、また西尾氏はギリシア問題に示される南北問題を例にあげつつ「現代の『ドイツ帝国』はまだ成立していない」
しかし条件付きながら「けれどEUが南北格差の矛盾を克服し、統合を強力に押し進めていくには、たぶん『ドイツ帝国』の方向しかないだろう」との見方も示す。

そのほか、本書において両氏はドイツの教育問題、難民・移民問題で苦悩する欧州や原発問題など広範なテーマを論じているが、紙幅の都合でこれ以上紹介できないのは残念である。
ドイツ問題を中心に極めてグローバルなテーマを取り上げた本書であるが、結局、本書の目指すところはわが日本がこれから如何にあるべきかをドイツや中国を鏡に論じた憂国論である、というのが評者の感想である。