『あなたは自由か』を2018年(平成30年)に出してから、この本の主題の何たるかを読者がつかみかねていることに気がついた。もともとこの本には「自由をめぐる七つの考察」という副題をつける予定があった。自由の概念は七つに分れ、一貫して展開されていませんよ、と言いたかったからである。
「自由」は非歴史的な概念である。それなのに歴史を題材にしている。この矛盾も読者を戸惑わせたに違いない。「あとがき」をよく読んで下さいと申し上げるしかない。
そんな中で前三島由紀夫文学館長の松本徹先生が書いて下さった次の評文は私にはありがたい内容の一文であった。書評ではなく、私の全集の月報(第19巻、未刊)のために書いて下さったものだが、ポイントをつかんでおられ、広い読者のために役立てると思われるので、ご許可を得てここに掲示する。
尚、それに対する松本先生にあてた私の感謝の返事もご参考までに掲げておく。
明治150年ではなくて 松本徹
三島由紀夫は自決する四年前の昭和41年(1966年)の晩春から夏にかけて、林房雄と対談(『対話・日本人論』41年10月刊としてまとめられた)したが、それまでと異なった態度を、林にみせた。これまで林の著書『大東亜戦争肯定論』と小説『文明開化』に対して絶賛、手紙を書き送っていたが、この席ではまったく触れないばかりか、林が再三、その件を持ち出しても無視した。三島の中の何かが変わったのだ。
そうして対談の後半、大東亜戦争の敗因に話が及ぶと、鋭く対立するようになった。林は当時の日本が高度な科学技術の水準に達していたものの、それに応じた物量がなかったためだと主張すると、三島は、西洋文明の摂取でもって西洋に対抗しようとしたこと自体が「最終的な破綻の原因」だと厳しく言う。そして、物量だけの問題と捉えるなら、基本的に現状肯定の立場と変わらない。敗戦後、経済の高度成長を推進して来たのと同じ立場ではないかと、嫌悪感さえ示すのだ。
そして、わが国の文学者が果たしてどこに自らの立脚点を認めているのか、と問いかけるのである。敗戦によって自分はこれまでの歴史伝統との断絶を覚えたが、決して完全に断絶したのではなく、子供の時に体験した二・二六事件を想起し、そこからさらに神風連へと及んだ、と述べる。これでは歴史伝統の捉え方が狭すぎるが、当時、『豊穣の海』第二巻『奔馬』の中の「神風連史話」の執筆にかかっていたという事情があったと思われる。
こうした変化については拙著『三島由紀夫の時代―芸術家11人との交錯』(水声社刊)で記したが、この三島と林の対立は、かなり厄介な意味を持つと思われる。文明と文明が衝突する際に、どのような対処の仕方があるか、そこには文明なり国家の存亡が懸ってもいるのだ。そして、三島が自決するに至ったのには、この態度決定が係わっていて、林にしても後に、厳しい自責と哀悼の思いに苦しむことになった。
この問題は、いま、一段と厳しさを増して、われわれの問題となっていよう。
そのところを改めて考えるのには、西尾幹二さんの近著『あなたは自由か』(ちくま新書)が提示していることが大きな意味を持つ、と思う。
西尾さんの愛読者にとっては珍しい指摘でないかもしれないが、その要点の一つを一言でいえば、歴史は百年や百五十年で区切ってではなく、少なくとも五百年の幅をもって考えるべきだとする主張である。最近では明治百五十年といったことが盛んに言われている。昭和では明治百年が言われ、平成の末には明治百五十年といったことが盛んに言われている。これでは林房雄の考えの枠の外には出られない。ヨーロッパ近代を全面的に受け入れ、その延長としてわれわれの現在と未来を考える段階に留まってしまう。
いま求められているのは、ヨーロッパ近代なり、それに寄り添うことによって展開して来たわが国の在り様を根本に考え直すことであり、そのためには「明治から百五十年」の枠を大きく越え出なくてはならないのである。
現にこの時代の枠組みを広げるだけでも、この世界の様相は大きく変わろう。例えば西尾さんのこの著書の第四章四節の題が、「欧米五百年史にみる〔人類〕」という概念の鎖国性」なのである。「人類」の概念は、世界性、普遍性を最もよく示しているはずなのだが、じつはヨーロッパとアメリカの内側のことであって、その外に対しては、一転、「鎖国性」を示す、と歴史的現実を冷厳に指摘する。
西尾さん自身、若い時の著書『ヨーロッパの個人主義』では、ヨーロッパ近代の内側に入り込み、その理想をもっぱら見ていたから、現実が分らなかったが、一歩外へ出ると――ということは、日本人として本来の場所に立つと、「鎖国性」を露わにして、強力に迫って来ると分かる。明治以降、殊に大正、昭和と時代が進むにつれ、殊にイギリス、そしてアメリカが日本に対して示したのが、この恐るべき「鎖国性」であった。独善的、かつ、過酷に対応、日本を戦争へと追い込み、占領下に引き据えた、と捉える。
大東亜戦争の開戦へ至る道筋、そして敗戦、当初の占領政策について、この視点から見なくてはならないことを教えてくれる。これは必ずしも過去になったわけではないのである。西尾さんの責任編集『地球日本史』、引き続いての著書『国民の歴史』によって打ち出された視点だが、以降の思索も踏まえられ、この著書はさらなる広がりと厚みを持つ。
初めに触れた三島由紀夫と林房雄が持ち出した問題にしても、より広いところに持ち出し、さらに深めて考えるのを可能にするように思われる。殊に三島の場合、陽明学から水戸学へ、さらに神風連へと至っただけに、先への展望を開くのが難しい。そのところを打開するには、歴史をさらに遠くへと遡る必要があるだろう。三島自身にしても、最晩年、古事記、万葉集まで遡って『日本文学小史』を書いていたのである。
松本先生への令状
前略
御原稿拝受しました。
予想した通り、深く納得のいく内容でした。
近代西洋の摂取の十分・不十分のレベルの問題にわが国の運命を置いて見ていた林、三島の時代認識ではたしかにもう間に合わず、近代西洋自体が自らの文明の行方をしかと見ていなかった、自らの行方がどこに行くのかわかっていなかったことも含めて今はページを白紙に戻し、500年史観を必要とするであろうという私の主張をおおむね理解して下さったように受けとめられ、うれしく存じました。とりわけ西欧文明の「人類」という概念の鎖国性の一語に気がついて下さったこと、これを強調して下さった唯一の例でございました。この点にも御礼申し上げます。
あっちこっちへ概念が散れるような書き方をした一書でしたので、真意を分って下さる人も少なく、貴稿に救われる思いがいたしました。ありがとうございます。
早速全集第19巻月報のトップ欄に掲載させていただきます。
尚、貴稿を出す前に私のブログ「西尾幹二のインターネット日録」にのせさせて下さい。あの本はこういう風に読むのだという見本になると思うからです。
松本徹様 2019年1月20日 西尾幹二
【令状】
「れいじょう」の辞書の結果
命令の書状。 「召集―」。裁判官が、人・物に対する強制処分(例えば逮捕)のために発する書状。