「永眠」への9件のフィードバック

  1. 先生はご高齢で何時亡くなられてもおかしくなかったのですが、いざ聞いてみると、本当にショックです。
    私も心よりご冥福をお祈り申し上げます。

  2. 言い足りないことがありましたので、再度送ります。

    私は、西尾幹二という人間に知ることが出来てさらに生きる勇気をもらいました。

    本当にありがとうございました。

  3. 長谷川さま、ご無沙汰しております。
    鷹でございます。

    西尾幹二先生が亡くなられたこと、心かよりご冥福をお祈りします。

    若人ながらも、西尾幹二全集を集めきり読みきることが私ができることだと思っています。

  4. 西尾先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます
    膨大な著作はこれからも楽しませていただきます
    本当にありがとうございました!

  5. 巨星落つ

    7年前の御著書『保守の真贋』に、この日録に寄せた拙文を2頁にわたり掲載して頂き、御著書をお贈り頂いただけの御縁ですが、日本にたった独り生き残った最後の真正保守の論客が白玉楼中の人となられたことは誠に惜しむべく、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。先生、易簀のこの日、北が新型ICBMの打ち上げに成功したとマスメディアが他人事のように報じ、ほぼ確実に米本土が射程内に入り、日本どころかアメリカにとってさえレッドラインを越える事態となりながら、大統領選の空騒ぎに、何事も起きず、ある日、日本の大都市に、安倍政権以来の漫然たる経済制裁(戦争行為)への報復で、北の核が落ち、数百万人が死滅しても、世界の人々は米国の核の傘とNPTの虚しさ、日本の無策・怠惰への憐れみを語り、1年後には東アジアも世界も平静を取り戻すという悪夢のシナリオがあり得、それを防ぐには基地を爆撃するしか日本民族の安全を確保する道はないと警鐘を鳴らし直言する本物の論客が消え、本気で日本の最優先緊急の政治の仕事をする覚悟のない為政者ばかりが幅を利かせ、2003年の「座して死せず」で先生を失望させたあの石破茂が到頭首相となりました。日本はやはり地獄に堕ちるしかないのでしょうか。

  6. 二十歳の頃に読んだ、「ヨーロッパ像の転換」に感動しました。それ以来、先生の本、評論等を読むことを常としていました。先生の文章は読みやすく、わかりやすく、そして情熱がこもっていました。私が私淑する真の先生でした。心よりご冥福をお祈りいたします。

  7.  『国民の歴史』を書かれて以降、西尾氏は『江戸のダイナミズム』、『あなたは自由か』、『日本と西欧の五00年史』と、「運命と自由」、「日本と西洋」の問題につかまれ、繰り返し追求をし続けたように思われる。途中、中西輝政氏との対談本『日本文明の主張』、『日本の「世界史的立場」を取り戻す』などにおいても、丁々発止の精神の真剣勝負が演じられている。
     処女作から噴煙を上げていたこのテーマは、『国民の歴史』以降歴史を巨視的にたどることを氏に迫り、『五百年史』に至って『カラマーゾフの兄弟』の大審問官を取り上げ、ルターやエラスムスを論じて、キリスト教の精髄、西洋の精神に正面から対峙することになったのである。この精神の格闘が意味するものを、未だその鉋屑(かんなくず)が空中に舞っている今、しかと見定めることはできない。それは巨大な問題であり、西尾氏が果たした精神の足跡をたどり直し、しかとつかむことが後世に課された課題であろう。今は、近代日本屈指の巨大な精神の遂げた闘いに深甚なる敬意を捧げ、魂の安らかならんことをお祈りするのみである。

     われわれの追悼の思いに形を与え、整えるために、『新古今和歌集』「哀傷歌」から二首引かせていただく。
    括弧内は岩波新古典文学大系の現代語訳による。

    くちもせぬその名ばかりをとどめをきて枯野の薄(すすき)かたみとぞみる  西行
      (歌人としての不朽の名声を残し置いて、実方中将は、その身は陸奥の枯野に朽ちてしまわれた。わたしは  
       今、枯野の霜枯れの薄を中将の形見として見るばかりだ)

    かきとむることの葉のみぞ水茎(みずくき)のながれてとまる形見なりける  按察使公道(あぜちきんみち)
      (あのひとの書きとどめておいた言葉だけが、今では、いつまでも残るあのひとの筆の跡の忘れ形見となっ 
      た。それを書いたひとは、水のように行方も知れず消えてしまったというのに)

  8. 管理人 長谷川様 皆様もご無沙汰しております。

     先生の訃報を聞いて、私も本当にショックでした。最近、先生から『日本はアメリカに民主主義を教えよう!』を頂戴していたので、思わず、
    「先生、米大統領選の結果も見ないで、逝ってしまわれたのですか!?」
    と心の中で叫びました。
    西尾幹二という方は、つくづく比類のない人物だと思います。西尾先生と大体同世代で立派な知識人は何人かいらっしゃいますが、「博識」とか「知の巨人」などと言われても、失礼ながら、西尾先生ほど強烈な個性には、及ばないのではないでしょうか。

     以前、先生の市ヶ谷での講演会には何度か参加し、著作にサインをして頂いたり、
    名刺を頂いたりしましたが、名刺には、ただ「西尾幹二」と住所・電話番号だけが記されていました。こんな名刺は、あまり見たことがなかったのですが、確かに、先生は肩書がなくても、名前だけで通る、数少ない存在のお一人だと思います。
    (因みに、中国人の場合は、肩書が多いほど「拍がつく」ようで、小さな名刺に何段もぎっしりと肩書を並べたがるそうです)

     今から20年以上前の話ですが、先生が「正論」誌に、台湾に対する批判的記事を書かれ、出版社側と衝突したことがあったことを御記憶の方もいらっしゃるでしょう。私は詳しいことは存じませんが、ちょうどその頃、先生に電話する機会がありました。その時、先生は大変お怒りで、一読者の私に向かって、まくしたてるように、持論を述べられました。私は「何で私が怒られないといけないのかな~」と思いながらも、黙って聞いている他ありませんでしたが、最後には、先生は「どうもありがとうございました。」と丁寧に仰ったのです。
    その日、私は何だか神経が興奮して、よく眠れませんでした。

     また8年位前、先生には、文章の添削もして頂きました。その頃から、先生はお身体を悪くされていたので、ほんの2,3回でしたが、大先生にご指導を、しかも無料で賜ったことは、本当に名誉で、貴重な体験でした。
    その添削も、大変厳しいご指摘の言葉とともに、赤ペンだらけだったので、私がもし学生だったら、間違いなく「不可」を付けられたんだろうな、と思いました。

    その添削内容を見て感じたのですが、先生は、著作やテレビなどでの発言をみても分かる
    ように、外国(どの外国でも)のみならず、過去現在に関らず、どんな外国の学者や論客に対しても、全く気後れなく、対等に渡り合い、文字通り、世界を股にかけた、日本を代表する思想家だったと思います。
     それと同時に、話題を共有できる相手に対しては、年齢や性別、経歴には一切関係なく、平等に応対される、度量の深さをお持ちの方でした。

     今、先生の訃報に対しても、大手マスコミなども、地味な扱いしかしていないのは、恐らく、先生の影響力を恐れているからでしょう。
     現代、様々なジャンルで活躍している方々の中で、先生の著作の影響を強く受けながらも、素知らぬそぶりをしている人の何と多い事でしょう。

     先生は、以前から、ご自分の著作は百年経たないと理解されない、と書かれていましたが、先生の蒔いた種は、今、この瞬間にも、じわじわと成長してきていると、私は思います。

     最後に、私のような一読者に、好き勝手なことを書く機会を与えて下さったことに対し、西尾先生と、管理人の長谷川様に、心から感謝を申し上げます。
    本当に、ありがとうございました。

     

  9. 西尾先生
    世界で最もトランプの真価を見抜いていたかもしれない西尾先生の願ったとおり、トランプが圧勝しましたよ。
    高市早苗さんは今回、惜しくも敗れましたが、彼女もいずれ首相の座に就くでしょう。
    「我に利あり」と仰った先生の見立ては20年後に正しいことが証明されるように思います。
    西尾先生が亡くなっても非情な私は涙一つ出ませんでした。
    毎日一杯食べて一杯飲んで過ごしています。
    今は当ブログの過去ログを見ることが毎日の「楽しみ」です。
    先生との対話はずっと続いていくのだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です