「永眠」への10件のフィードバック

  1. 先生はご高齢で何時亡くなられてもおかしくなかったのですが、いざ聞いてみると、本当にショックです。
    私も心よりご冥福をお祈り申し上げます。

  2. 言い足りないことがありましたので、再度送ります。

    私は、西尾幹二という人間に知ることが出来てさらに生きる勇気をもらいました。

    本当にありがとうございました。

  3. 長谷川さま、ご無沙汰しております。
    鷹でございます。

    西尾幹二先生が亡くなられたこと、心かよりご冥福をお祈りします。

    若人ながらも、西尾幹二全集を集めきり読みきることが私ができることだと思っています。

  4. 西尾先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます
    膨大な著作はこれからも楽しませていただきます
    本当にありがとうございました!

  5. 巨星落つ

    7年前の御著書『保守の真贋』に、この日録に寄せた拙文を2頁にわたり掲載して頂き、御著書をお贈り頂いただけの御縁ですが、日本にたった独り生き残った最後の真正保守の論客が白玉楼中の人となられたことは誠に惜しむべく、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。先生、易簀のこの日、北が新型ICBMの打ち上げに成功したとマスメディアが他人事のように報じ、ほぼ確実に米本土が射程内に入り、日本どころかアメリカにとってさえレッドラインを越える事態となりながら、大統領選の空騒ぎに、何事も起きず、ある日、日本の大都市に、安倍政権以来の漫然たる経済制裁(戦争行為)への報復で、北の核が落ち、数百万人が死滅しても、世界の人々は米国の核の傘とNPTの虚しさ、日本の無策・怠惰への憐れみを語り、1年後には東アジアも世界も平静を取り戻すという悪夢のシナリオがあり得、それを防ぐには基地を爆撃するしか日本民族の安全を確保する道はないと警鐘を鳴らし直言する本物の論客が消え、本気で日本の最優先緊急の政治の仕事をする覚悟のない為政者ばかりが幅を利かせ、2003年の「座して死せず」で先生を失望させたあの石破茂が到頭首相となりました。日本はやはり地獄に堕ちるしかないのでしょうか。

  6. 二十歳の頃に読んだ、「ヨーロッパ像の転換」に感動しました。それ以来、先生の本、評論等を読むことを常としていました。先生の文章は読みやすく、わかりやすく、そして情熱がこもっていました。私が私淑する真の先生でした。心よりご冥福をお祈りいたします。

  7.  『国民の歴史』を書かれて以降、西尾氏は『江戸のダイナミズム』、『あなたは自由か』、『日本と西欧の五00年史』と、「運命と自由」、「日本と西洋」の問題につかまれ、繰り返し追求をし続けたように思われる。途中、中西輝政氏との対談本『日本文明の主張』、『日本の「世界史的立場」を取り戻す』などにおいても、丁々発止の精神の真剣勝負が演じられている。
     処女作から噴煙を上げていたこのテーマは、『国民の歴史』以降歴史を巨視的にたどることを氏に迫り、『五百年史』に至って『カラマーゾフの兄弟』の大審問官を取り上げ、ルターやエラスムスを論じて、キリスト教の精髄、西洋の精神に正面から対峙することになったのである。この精神の格闘が意味するものを、未だその鉋屑(かんなくず)が空中に舞っている今、しかと見定めることはできない。それは巨大な問題であり、西尾氏が果たした精神の足跡をたどり直し、しかとつかむことが後世に課された課題であろう。今は、近代日本屈指の巨大な精神の遂げた闘いに深甚なる敬意を捧げ、魂の安らかならんことをお祈りするのみである。

     われわれの追悼の思いに形を与え、整えるために、『新古今和歌集』「哀傷歌」から二首引かせていただく。
    括弧内は岩波新古典文学大系の現代語訳による。

    くちもせぬその名ばかりをとどめをきて枯野の薄(すすき)かたみとぞみる  西行
      (歌人としての不朽の名声を残し置いて、実方中将は、その身は陸奥の枯野に朽ちてしまわれた。わたしは  
       今、枯野の霜枯れの薄を中将の形見として見るばかりだ)

    かきとむることの葉のみぞ水茎(みずくき)のながれてとまる形見なりける  按察使公道(あぜちきんみち)
      (あのひとの書きとどめておいた言葉だけが、今では、いつまでも残るあのひとの筆の跡の忘れ形見となっ 
      た。それを書いたひとは、水のように行方も知れず消えてしまったというのに)

  8. 管理人 長谷川様 皆様もご無沙汰しております。

     先生の訃報を聞いて、私も本当にショックでした。最近、先生から『日本はアメリカに民主主義を教えよう!』を頂戴していたので、思わず、
    「先生、米大統領選の結果も見ないで、逝ってしまわれたのですか!?」
    と心の中で叫びました。
    西尾幹二という方は、つくづく比類のない人物だと思います。西尾先生と大体同世代で立派な知識人は何人かいらっしゃいますが、「博識」とか「知の巨人」などと言われても、失礼ながら、西尾先生ほど強烈な個性には、及ばないのではないでしょうか。

     以前、先生の市ヶ谷での講演会には何度か参加し、著作にサインをして頂いたり、
    名刺を頂いたりしましたが、名刺には、ただ「西尾幹二」と住所・電話番号だけが記されていました。こんな名刺は、あまり見たことがなかったのですが、確かに、先生は肩書がなくても、名前だけで通る、数少ない存在のお一人だと思います。
    (因みに、中国人の場合は、肩書が多いほど「拍がつく」ようで、小さな名刺に何段もぎっしりと肩書を並べたがるそうです)

     今から20年以上前の話ですが、先生が「正論」誌に、台湾に対する批判的記事を書かれ、出版社側と衝突したことがあったことを御記憶の方もいらっしゃるでしょう。私は詳しいことは存じませんが、ちょうどその頃、先生に電話する機会がありました。その時、先生は大変お怒りで、一読者の私に向かって、まくしたてるように、持論を述べられました。私は「何で私が怒られないといけないのかな~」と思いながらも、黙って聞いている他ありませんでしたが、最後には、先生は「どうもありがとうございました。」と丁寧に仰ったのです。
    その日、私は何だか神経が興奮して、よく眠れませんでした。

     また8年位前、先生には、文章の添削もして頂きました。その頃から、先生はお身体を悪くされていたので、ほんの2,3回でしたが、大先生にご指導を、しかも無料で賜ったことは、本当に名誉で、貴重な体験でした。
    その添削も、大変厳しいご指摘の言葉とともに、赤ペンだらけだったので、私がもし学生だったら、間違いなく「不可」を付けられたんだろうな、と思いました。

    その添削内容を見て感じたのですが、先生は、著作やテレビなどでの発言をみても分かる
    ように、外国(どの外国でも)のみならず、過去現在に関らず、どんな外国の学者や論客に対しても、全く気後れなく、対等に渡り合い、文字通り、世界を股にかけた、日本を代表する思想家だったと思います。
     それと同時に、話題を共有できる相手に対しては、年齢や性別、経歴には一切関係なく、平等に応対される、度量の深さをお持ちの方でした。

     今、先生の訃報に対しても、大手マスコミなども、地味な扱いしかしていないのは、恐らく、先生の影響力を恐れているからでしょう。
     現代、様々なジャンルで活躍している方々の中で、先生の著作の影響を強く受けながらも、素知らぬそぶりをしている人の何と多い事でしょう。

     先生は、以前から、ご自分の著作は百年経たないと理解されない、と書かれていましたが、先生の蒔いた種は、今、この瞬間にも、じわじわと成長してきていると、私は思います。

     最後に、私のような一読者に、好き勝手なことを書く機会を与えて下さったことに対し、西尾先生と、管理人の長谷川様に、心から感謝を申し上げます。
    本当に、ありがとうございました。

     

  9. 西尾先生
    世界で最もトランプの真価を見抜いていたかもしれない西尾先生の願ったとおり、トランプが圧勝しましたよ。
    高市早苗さんは今回、惜しくも敗れましたが、彼女もいずれ首相の座に就くでしょう。
    「我に利あり」と仰った先生の見立ては20年後に正しいことが証明されるように思います。
    西尾先生が亡くなっても非情な私は涙一つ出ませんでした。
    毎日一杯食べて一杯飲んで過ごしています。
    今は当ブログの過去ログを見ることが毎日の「楽しみ」です。
    先生との対話はずっと続いていくのだと思います。

  10. ・西尾先生に申し上げたかったこと

    先生、トランプ氏がアメリカ大統領選に勝利しましたよ。
    いつものように、先生のお見立ての通りです。

    先生の予言は必ず当たるのです。
    直ぐに結果が出るものも有れば、二十年三十年の時間を経て実現するものも有りますが、いずれにしろ的中するのです。

    それは先生が真にフラットな視点をお持ちだったからであり、その視点は真の自由を求めてやまない先生の精神によって形作られたものだったということが、今は良く分かります。

    「日本はドイツのように戦争を反省していない」というマウントに日本人全体が押し潰されそうになっていた時、「やったことが違えば謝り方は違って当然」という誰もが納得せざるを得ない道理を用いてそれを鮮やかに覆した西尾先生。

    経済人だけの論理で安易に進められようとしていた外国人労働者受け入れ論を、「社会的・文化的・民俗的な問題として考えなければ必ず大問題が起こる」と警告してその流れを押し止めた西尾先生。

    近隣諸国への配慮という巨大な同調圧力の中、従軍慰安婦問題に対して行動を起こした藤岡信勝氏に真っ先に賛意を表明し、自ら教科書改善運動の先頭に立たれた西尾先生。

    「愛子妃が問題なのではなく、その次の代になった時の国民の尊崇の念の低下が問題なのだ」という、誰もが理解し共感できる説明で女系天皇論の急進を食い止めた西尾先生。

    「人権委員会」の存在の危険性をいち早く指摘し、保守系の政治家やメディアも全く気づいていなかった人権擁護法案の異常性を広く認識させて法案を廃案に持ち込ませた西尾先生。

    そして、あらゆる言論がトランプ非難の大合唱だった中、トランプ勝利の十分な可能性と、それが日本にとって有益である理由を敢然と説かれたのも西尾先生でした。

    先生、先生はいつだってトップバッターでいらっしゃいました!切り込み隊長でいらっしゃいました!
    それも、マスメディアやアカデミズムが特定の意見一色に染まり、「みんながそう言うならばそれが正しいのかも知れない…」と、声の小さな者たちが確信を失いそうになった時、まるでドアを蹴破るように、テーブルをひっくり返すように、大音声で正論を叫ぶ勇者でいらっしゃいました!

    「西尾幹二ってカッコいいよなぁ」
    「西尾幹二って人は何回、独りで国を救うんだろうね」
    私は友人たちと酒を呑みながら、幾度となくそんな会話で盛り上がったものです。
    友人の一人は話の締めくくりに必ずこう言います。
    「西尾神社を創建しなくちゃいけないね」
    勿論これは半分冗談ですが、私は満更冗談とは思っておりません。

    先生、先生は以前、ご自身の主宰する勉強会「坦々塾」で(確か女系天皇問題についてご講話を頂いた時だったと思いますが)、お話が終わって懇親会になり、お酒もまわってさぁお開きという時に、「ああ、オレはもう言うべきことは言ったし、あとはどうにでもしろってんだ!」と言いながら破顔一笑されたことがありましたね。

    ご尤もです。全くもって、おっしゃる通りです。

    残された私たちが、先生が憂え続けていらした事柄を少しでも正すことが出来るのか。先生が斯くあるべしとお示しになった方へ少しでも世界を近付けることが出来るのか。
    先生、どうか泉下で、或いはWalhallaで、お見守りください。

    西尾幹二先生、本当に有難う御座いました。

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