新しい友人の到来(三)

伊藤悠可氏誌す

「なぜ、ここにいる」と先生を罵倒した男。先生は全共闘を彷彿されたという。全共闘世代。これは先の親世代が甘やかして育てた過剰肥料の産物だ。或いは、心が緩んでいた時に生んだ子供たちだ。戦争で緊張感があった。その時代に命をなげうった人には子供がいない。終戦で、死ぬかもしれないという危険がゼロになった。そこでどっと子供が生まれた。「ああ、死ななくてよかった」と弛緩したときに生まれた子供たちなのだ。だから二十歳になってイタズラをしたのだ。今まで彼らがやったことを児戯でなかったと思ったことは一度もない。そのオフセット版がいみじくも先生があぶり出した保守屋の中年。全共闘世代を評する限りサルトルは当たっている。「この世に放り出されただけ」の存在なのだ。私も全共闘世代に入るらしいが。

そう言えば、「保守」の人口が増えたなというのが、あるときからの印象である。今回のような事件をみると、水増ししたに違いない。こんなにいるはずがない。あの当時は全然いなかった。

こういうときは悪人のほうがわかりやすい。善人は語るべきときに語らず、語ってはならないときに語ったりする。不測の事態というときには、善人が当てにならないだけではなく、実際に悪い役割を果たす。

「愚直」というのはない。愚かなるものは必ず曲がる。「愚曲」はあり、「愚直」はなし。私が歩いた拙い人生からでもそれが言える。自分で愚直といってえばる人間はほとんど曲がっている。

「保守」という言葉も、全共闘が汚してしまった「総括」と同じように穢れてしまうのだろうか。紫の朱を奪うものたちの手によって。

「目的の為には手段を選ぶ」。これが日本人の澡雪の中心である。先生は昔から左翼であっても進歩主義者であっても、隔意なく人間として敬意をもっておつきあいなされた。それを最近の日録で知って我が意を得たりと思った。九段下会議で先生の身振り手振りをみているだけで、それはわかるはずだ。

「目的の為に手段を選ぶ」。その中には、禮も長幼の序も金銭の使途の性格も、さらに言えば団体に参加しているという動機までも、規範されるものであろう。つまり、卑怯をしないということだ。

わが古代から中世へかけて廃れていた思想に「恩を知る」ということと、「分を守る」という思想があって、それは平和的な感情でもあるが、運命的な思想に培われたものであると私は信じる。けれどもその運命を裏切らんとした人々が不必要な動乱を敢えてしたために、世の人々が難渋したことも幾度もあったので、これも日本だけのことではないであろうが、この二つの感情が自然と流れていた時代と人世にノスタルジーさえ感じる。
突き詰めて言えば、この二つさえ放擲しないで生きられるなら、人としてあまり大きな過ちはおかさないでいられると思うほどである。

保守知識層が結集してやっておられる運動の大半は、「大衆感化運動」だと思っている。大衆覚醒運動と呼んでもかまわない。しかし、この運動の核にほとんどの大衆が入ってきては困るのだ。

こちらが大衆浴場になってしまったら、誰に呼びかけるのであろうか。
(つづく)

 つくる会の種子島会長、八木副会長は4月30日の理事会で会長・副会長のみならず理事も辞任し、会そのものから離れると発表しました。

 さらに新田、内田、松浦、勝岡の四理事も辞任。

 ただし、会長、副会長の自己弁解を披瀝したつくる会FAX通信172号は、新執行部(高池会長代行)の成立直前に、これを出し抜いて出した種子島、八木両氏の犯した、不正かつ卑劣な文書で、ただちに無効となっている。

 私はただ、八木は知らず、種子島の何故かくも、陋劣なるかを、彼を知る旧友とともに哀れむのみ。

4/30 追記

新しい友人の到来(二)

 それからしばらくして、さらに次のような長文の感想文が届いた。今の私が今の私の置かれた環境をこれ以上語ることは困難だと思っていた矢先、外から私と私の環境を心をこめて語って下さる次のような文章を得て嬉しい。さっそくにも紹介したい。


伊藤悠可氏誌す

「つくる会」幹部の不可解。おそらく語るに落ちる行状がふくまれているにちがいない。尋常なら今のような収拾(注・4月3日の段階・八木氏副会長へ復帰)をするはずがない。易経の水地比の卦にある「人に匪ず。また傷ましからずや」といったものだろう。「人にあらざる人と交わりを強いられ」先生が心を傷められたという卦です。それらの大部分を胸内に秘めて語らずにおられるのは、保守の軒下にいるはずのない人間がいたという衝撃と、もう一つは理ありとも事に益なきは君子言わず、という思いがおありになるからだ。ここでいう「益」とは足を引っ張ってきた君たちが思っている「利益」「私益」ではない。「実りあるもの」に資するという意味なのだ。先生は大変な忍耐をしておられる。

事実無根の中傷と誹謗に対して、おのれ自身のために弁明するのは時として徳を損なうかもしれないが、人がいわれなき中傷誹謗にさらされているのを見たときは、断然その人のために弁明しなければならない。それが日本人ではなかったのか、保守ではなかったのか。理事の面々よ。

産経新聞の某記者まで繰り出して、狂騒乱舞しはじめた「つくる会」。やっぱり「ふるいにかけられた」連中は想像したとおりの愚をおかす。彼らは苦しくてしかたがないのだ。つまり、先生の眼前で、正体をあらわしてしまった悶えにすぎない。これからもっと百鬼夜行のような景色がみられると思う。楽しみにながめていたい。

八木氏は、蘇生する最後のチャンスを自分でつぶしてしまった。わざわざ先生が一日、会って下さったというのに。転んだ少年がまた馬上に乗っかってしまった。彼はいつか見たことのある「上祐さーん」というようなファンがいっぱいいる。先生が日録に書かれた御婦人たちもその類になる可能性が高い。目覚めてほしい。

「つくる会」が内部から腐ってしまったというのに、「つくる会」の看板だけ磨いて住みつづけようという人がいる。Bestではないが、Betterならよいと、声援をおくる人が私の近しい中にもいる。私はいずれもうまくいかないと思う。同志的結合でない利害集団はかならず内ゲバをおっぴろげる。小人の群はそれが専売特許だから。

泣いて馬謖を斬ろうとしたら、「ぼくは斬られるのがイヤだ」と馬謖が走り去ってしまった。そんなやつなら「魏」に逃げ込むのだろうと、思っていたら何と「蜀」に戻ってきていて、この国をよくしたいと言い出した。西尾先生の泣く機会を奪った八木さんの罪は重い。だから先生は泣かないで笑うしかないのだ。

つくる会のゆくすえを案じる方々、どうか不謹慎だとお怒りにならないでください。吾々がいま見ているのはまさしく「喜劇」なのだ。国は「喜劇」のなかにおいて亡びていく。「悲劇」のなかでは国は亡びない。
(つづく)

SAPIO最新号(5月10日号)に怪メール事件が報じられました。

4/29 追記

新しい友人の到来(一)

 九段下会議は最近開かれていないが、以前そこで知り合った伊藤悠可さんという方がいる。いつも無口で、静かに注意深く人の言を聴いている方だが、最近私に励ましのメールを下さってからこの方のご文章に感服し、文通が始まった。

 ご自身の自己紹介によると「記者・編集者を経て編集制作プロダクトを営むかたわら、易経や左伝の塾を開いている」という。これは丁度いい、私も徂徠の難著『論語徴』を読み始めた所なので、難解な箇所を教えてもらおうと思う。

 伊藤さんは高校時代に拙著『ヨーロッパの個人主義』を読んで、生涯のうちに必ずこの本の著者に会えるかもしれないと思っていたそうで、こういう勘は全部当っているという。小林秀雄先生にも、岡潔先生にも、思った通りに会えて、直に御話しする光栄に浴したという。福田恆存先生にも編集者時代に目の前にお姿を拝したという。

 私も会えると思って伊藤さんが読みつづけて来て下さった一人に入れていただいているようでむしろ光栄だが、まず書簡の一部を紹介すると、


九段下会議に小川揚司さんが君も来ないか、西尾先生にご紹介するからと呼ばれたとき、ああ38年ぶりにあの頃思ったことが実現せられるのだとドキドキしたことでございました。大石さん経由のメールがきっかけで御葉書の文に接し肩がすぼみました。恐懼して居ります。

つくる会の連中はこの先生の怖さがわからないのです。犬猫は神社の境内、神前でも尿を排して悔ゆることはありません。先生にあのような言葉が吐けるということ自体彼らは既にその類である証明、人倫国家を語る以前の問題で、人品の賤しき保守というのは高潔な詐欺師というに等しく本来矛盾の存在です。

先生が目撃なされた彼らの卑怯は想像を超えたものと察します。私個人の感情としては、もうあのような低劣な人達の中で孤軍奮闘なさるのは痛々しく、誰か先生に代って泥とつきあう者はいないか、弟子はいないかとはらはらしていたことでした。実際先生の文面をなぞって、今度は幾夜自分のほうが憤りを制御するのが難しい程でした。
(中略)
つくる会で暗躍する者は早晩自壊作用をもよおします。彼らの行動はなめくじが塩を求めることになりましょう。率直な気持ちを申し上げれば、先生はしばらく地上の雑音から遠ざかり一旦成層圏に昇られ悠々と俯瞰なさることが一番ではないか。
(中略)
然し先生にふるいをかけられ、正体をあばかれた者たちは大いに煩悶し、憎悪の念を燃やし妬忌を行うでありましょう。悪知恵は尽きることはありませんが、現下の先生の沈黙は却って彼らを苦悶させ、自壊を促すとみています。
(中略)
先生には世俗的な表現に過ぎますが、いのちの洗濯をなさることがあってもいい、手塚富雄先生のお言葉を以って、私などが西尾先生に呼びかけるのは本末転倒ですが、「行動する人間にとっては、正しいことを行うのが重要な問題である。正しいことが起こるかどうかについて心を煩わすべきではない」とゲェテは箴言と省察の中で言い、手塚先生は世に正しいことはほとんど起こらないが、「しかし広く見る者は、それにもかかわらず自分のする正しいことが人間の世界にたいして意味をもつことを疑いはしない。それは微小でも時と共に象徴として力を増してくるのである」と仰せられ、まさしくこれは西尾先生の御立場だと、発見した気持ちになりました。

怪メール事件(四)――

思想的背景を明らかにする新しい解説とそれへの補説を文末に記す。(4月21日)
ジャンプ
新しい解説の第二弾を加えました。(4月23日)ジャンプ
新しい解説の第三弾を加えました。(4月24日)ジャンプ   
私の立場を代弁している二文を掲げました。(4月25日)ジャンプ 
               
              
  (一)
 
郵便ではなくメールの時代になり、他人への転送も手軽になって、信書が他人に見られる危険も増大している。メールにだって公私の区別はある。私的メールは封筒に切手をはって出した私信と原則同じである。

 知人からのメールを第三者に無断で渡すのは、自分の立場を守るために行い、差出人の名誉を顧みない場合には、どう考えても社会的道義に反する。ましてメールの差出人を脅迫するために、見えない処から差出人に匿名でメールを送りつけるのは、ただの不道徳にとどまらない。刑法上の犯罪を構成する可能性があると私は考える。

 前回の日録で私はどこからか不意に送られてきた「怪文書2」を紹介した。その中に次の一行、「藤岡は『私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した』と証拠書類を配りました。」があったのを読者は覚えておられるだろう。証拠書類を藤岡氏が理事会(3月28日)に配った、という意味である。「怪文書2」をもう一度お確かめいただけると有難い。
 
理事会にそのような証拠書類は配られてはいなかった。ただ私の自宅に、「怪文書2」の送られた前日(3月31日)と同日(4月1日)に念を入れて二度、証拠書類が送られてきた。
 
証拠書類は私が過去に藤岡氏に出したメール(2月3日付)である。私信が回り回っていつしか覆面の脅迫者の手に渡っていて、脅迫文と一緒に、藤岡氏が「西尾の煽動に反論して」八木氏に屈服した証拠書類としてファクスで送られてきたのである。

 このメールは私が藤岡氏に「つくる会」の会長になることを強く要望し、藤岡氏がためらって逃げ腰であることに私が失望したという内容の、互いに正直に内心を打ち明けた往復私信であって、一枚の紙に二人で書き込まれ、ファクスで往復された(後に全文を公開する)。
 この2月3日付の「西尾・藤岡往復私信」が3月末日に覆面の脅迫者の手に渡っている事実からいえることは、まず第一に藤岡氏が私信を無断で他に流用した道義的罪である。第二に藤岡氏は敵対している勢力――八木秀次・新田均・宮崎正治の諸氏に脅迫されたか何かの理由で屈服し、秘かに私を裏切って、内通し、相手への自己の忠誠を誓うしるしとして差し出しているのではないかという私の疑問である。

 私は早くからこの疑問を抱いて、今回の怪メール事件のクライマックスはこれだと踏んでいた。なぜなら「西尾・藤岡往復私信」の西尾・藤岡以外の所有者が、覆面の脅迫者であり、彼こそ他でもない、「怪文書2」の作成者並びに発信者と同一人となるからである。犯罪人を突きとめる立証のカナメである。

 4月6日付の「日録」「産経新聞への私の対応」(四)のコメント欄に「永吉さんへ」と記した私自身の書きこみがある。そこに「そしてきわめつきは、私が理事の一人を支援すべく数ヶ月前に書いた文章に添え書きしたその人の反論がそのままファクスで送られてきた。その理事はもう八木氏に屈服した、これが証拠書類だ、と記した別の紙が届けられる。彼が自分の身を守るために相手にこれを渡したことは間違いない。」と書いた。
 
コメント欄の上記の一文に、長いこと互いに疎遠になっていた藤岡氏がパッと反応してきた。まるで釣餌にとびつく魚のようにである。その一枚をみせてほしい、と彼は言うのでファクスで送って、電話で「この紙は誰にいつ渡したのか」と藤岡氏に訊くと、「失くしてしまった。いま何処かにいってしまって分らない」と案の定子供みたいな返事をする。

 私は藤岡氏に正直に告白させるために手順を踏んだ。「怪メール事件」(三)を出して、次に私が「西尾・藤岡往復私信」を全面公開する意思を示して、4月14日に藤岡氏に質問状を送った。そして15日に会談が可能となり、真相と考えられ得る以下の内容が確認された。
       
                (二)
 
話は長くなるが、今回は総集編なので我慢してもらいたい。
 「つくる会」の事務局にいま事務局長は欠員だが、鈴木尚之氏という方がそれに似た役割で働いている。

 鈴木氏は私の会長時代にも働いて下さった方である。タフで、わけ知りで、情報通で、世故に長け、世に言う甘いも酸いも噛み分けた調停役で、若い人には親分肌で、年輩者には人情の機微を心得、人の気を外らさない話上手の心憎い人物である。国鉄をJRに変えた時代の労組関係の有名な立役者だった。しばらく他の組織にいたが、「つくる会」の危機に際し力を貸してほしいという要請を受けて舞い戻ってきた。

 鈴木氏は不思議なことに、八木氏と藤岡氏の両方から、信じられないほどに大きな信頼を寄せられている。両方からというのが奇妙である。私はつねづねそこに危うさを感じていた。

 成程、鈴木氏は人間通であり、学者たちの知らない方面の俗事に顔も広く、大人の知恵者であるが、また曲者でもある。何を考えているのか本当の処は分らないしたたかなひとだ。「つくる会」の行き止まりの危機に、ただひとり影響を与えているのは種子島氏でも、藤岡氏でも、八木氏でもなく、鈴木氏にほかならない。彼は重要なあらゆる会議に出席し、会を操縦している。

 組織が瀕死の危機にあるときには必ず不思議な人物が登場し、不思議な力を発揮するものである。鈴木氏は八木氏と藤岡氏を「握手」させるという「宥和」を根本方針としてきた。

 しかし本来的に和解できないものを和解させようとすると、病を重くする場合がある。解決をかえってこじらせる。円く収めるよりも膿を出した方がよい場合がある。そういう意味で鈴木氏がいい役割を果して来たかどうか、私はずっと疑問に思っている。
 
本題に入る前にもう一つ告げておきたいことがある。私が1月の理事会の翌日の17日に名誉会長の称号を返上し、会を離れる声明を出したのは、「つくる会」を見捨てたからではなく、会の外部に出て誰に遠慮もせずに内部の恥部を暴き、病巣を剔り出し、背後にうごめく他の組織の暗部に光を当てようと決心したからであった。
 
11月と1月の理事会で私は私が「四人組」と名づけた固い団結の分派活動に、異質の政治性を見た。会を呑み込まんとする陰険なネットワークの暗い闇を感じた。「四人組」とは新田均皇學館大学教授、内田智弁護士、勝岡寛治明星大学職員、松浦光修皇學館大学助教授であり、それに宮崎正治前事務局長がからむ。彼らは昭和44年5月発足の全国学生連絡協議会という早大を中心とした右派系学生運動の一団につながる。

 固い血の盟友関係を築いているせいではないかと思うが、2月と3月の彼らの行動を見ていると、汚れ役、文書役、見張り役、などのネットワークが出来ていて、連携プレーにそつはなく、パッと効果的に動き、集団で主張を通そうとする。彼らの行動の仕方について聞くたびに私は薄気味が悪い。

 彼らの目的は歴史教科書ではない。政治的支配権そのものが狙いだ。そして、新田氏の早大大学院政治学科の後輩である八木秀次氏は会長である立場を忘れ、昨年10月頃から事実上このグループの一員となって行動している。

 「四人組」は私に言わせれば「つくる会」の一角に取り憑いたガン細胞のようなものであって、放って置けばどんどん増殖するだろう。新しい理事として昔の組織の仲間を多数入れて、やがて八木氏も追い払ってしまうかもしれない。思い切って切除し、今のうちに強権で排除するか、それができなければ会そのものをスクラップにするしか、増殖を阻む手はない。Scrap and build againである。
 
私はこの会に「宥和」の政策はもはやあり得ないと考えている。八木氏の代わりに強力な指導者が立って、強権発動して「四人組」を排除してしまう以外に会が救われる道はなく、そのためには現状では同じ方針を公言していた藤岡信勝氏に会長になってもらうのが一番いいと思った。それ以外に方策はないだろう。1月後半から2月にかけて、私だけでは決してなく良識派は他に選択肢はないと認識し、おおむねそういう判断だったといってよい。丁度正論大賞の受賞もきまり、藤岡氏には追い風だった。何で氏が阻まれる理由があろう。

 私はこの希望や期待を会を離れた直後の当時、誰にも隠さなかった。1月25日に九段下会議が終って、飲み屋で友人数人に事情を全部開陳した。30日の路の会で保守系知識人の諸先生に背景の経緯を全面公開し、藤岡さんにいよいよ会長になってもらうべきときが来た、と言った。その席に小田村四郎氏、石井公一郎氏といった日本会議の重鎮もおられた。
 
たちまち八木氏の耳に入った。当然である。私は隠し立てするつもりもないし、名誉会長を辞めても一会員として主張すべきことを主張する権利を失ったわけではない。

 国家の機密じゃあるまいし、たかが私的団体のこれからの方向に期待を表明するのをなんで陰険に隠し立てする必要があろう。路の会の当日の席上には扶桑社の真部栄一氏もいて、聴き耳を立てていた。

               (三)
 
2月2日の午後6時ごろ八木氏から私に電話がかゝり、これから藤岡、鈴木の三氏でつれ立って私の家に来たいという。緊急の相談があるらしい。西荻窪に彼らを迎え、空腹の三人に酒と粗餐をさし上げて、なごやかに、気分も良く話し合った。これ以上会のことを他人に話さないでほしい、というのが八木氏の私への要望であった。別れしなに「八木さん、ときどき電話を掛けてくださいよ」と私は言った。

 私の藤岡支持に変更はなかった。しかし、藤岡氏は鬱病にでもかかっているのではないかと思われるほど元気がなかった。2月3日朝、私は「昨夜の意図は?」と題したメールを彼に打った。するとメールの行間に、彼がペンで反論を書きこみ、ファクスで送り返して来た。それが以下に掲げる「西尾・藤岡往復私信」の全文である。
===========
昨夜の意図は?        注:青字が藤岡氏による反論    
昨夜は貴方にとって何のためにもならない会合をなぜしたのですか。
八木氏と握手させようとしている鈴木氏があなたの最大の敵だということ
が分らないのですか。                    ↑全く
のまちがいです。  
わたしが「これからは八木コントラ藤岡のはてしない闘争が始まる」と
いっ
            ↑デタラメです。宮崎・4人組・八木の行動に
良識派が怒                         っている
というのが事実です。
たら、あなたはニヤニヤ笑っていればいいのに、なぜすぐ打ち消したので
すか。
きのうは鈴木さんに仕切られ、あなたは八木さんのペースにはまってしま
いました。なんのための会ですか。             ↑事実で
はありません。
それよりなぜ求めて執行部会を開かせたのですか。会合をしない会長の怠

     ↑執行部としての正統性を利用して、まず宮崎辞任に追い込む
ためです。
をついて、文書攻撃を開始すべきだったのではないですか。
行動は果敢に、そして孤独にひとりでやるものです。西部グループに公民
教科書で屈したときに、私は援軍もなく一人でした。小林を追放したとき
は田久保さんがみかたでした。でも貴方でさえ傍観者でした。
こんどあなたには私をふくめ、たくさんの援軍がいます。しかし援軍はあ
くまで、助っ人です。それ以上のものではありません。
覇権は自分で獲得するものです。
 ↑私は覇権を求めたことなど一度もありません。今までの私の全行動が
それを証明しています。西尾さんは政党と、こういう会を混同しているの
ではありませんか。私の目的はよい歴史教科書を多くの子どもに届けるこ
とによって日本を建て直すことです。覇権は関係ありません。※
私はあなたを緊急応援するように、三副会長と福地さんに今朝、檄をとば
しました。(西尾)
=========== 
ただし藤岡氏の最後の文章に私がもう一度見解を述べて再度ファクスで送り返している。「ここに書かれたことは・・・・・・」以下がそれで、これに対する藤岡氏の返信はなかった。
===========
※ ここに書かれたことはキレイゴトすぎます。良識派は私も含めて、藤岡会長にするのがさし当りの終着点なのです。あなたはそれに全力で応えなくてはならないのではないですか。
============ 
以上の「西尾・藤岡往復私信」を経過して、私は藤岡氏にいたく失望した。穏和しい性格ではないのに、妙に温良ぶっている。戦意をすでに喪失している。昂然の気概がない。それにまた、心を打ち明けあった「私信」にユーモアひとつ書けないようではもうダメだ、先行きこれは見込みないと正直がっかりした。
 
「覇権」ということばがたゞのレトリックだということがどうして分らないのだろうか。「私の目的はよい歴史教科書を多くの子どもに届けることによって日本を建て直すこと」だって?
 
冗談じゃないよ。なんでこんな当り前すぎる、教訓めいたことばしか出てこないのか。
 
せめてひとこと「私は覇道ではなく王道を歩みます。されば援軍は雲霞のごとき大軍となりましょう。ご心配なく。」くらいの悠然たる言葉をなぜ吐けないのか。心がちぢこまって、生真面目がいいことだと思って、言葉に遊ぶ心が全然ないのである。それでいて物静かで地味な真面目さが本領という人柄ではなく、何かというとむきになって、顔を真赤にして、激語乱発で怒っている。
 
もちろん怒ることはいい。怒りは精神の高貴さにつながる。しかし真の怒りにはどこか他が見て笑いが宿っているような風情がなくてはいけないのだ。
 
この「私信」は私が藤岡氏に本心をぶっつけ、彼が自分の正体をさらした最後の記念的文章だから全文をのせた。これ以後、会長候補として彼を支持する気持はどんどん失せていった。私は彼を可哀そうな人だと思うようになった。彼は何が理由か分らぬが、すでに背骨が折れている。

 1ヶ月後の3月初めにさらに何かが起こったようだ。藤岡氏は6日の首都圏支部長会議で「八木氏は日本の宝です」と発言し、周囲をびっくりさせた。5日にはメールの激語が八木氏の家族をおびやかしたからといわれて、菓子折を持って八木氏宅に謝罪に行ったという噂がパッと広がった。鈴木氏がここでも悪い役割(藤岡氏の男の値打ちを下げる)を果たしている。
 
あの「怪文書1」、「日本共産党離党H13」のメールがあちこちに撒かれたのは3月初旬の同じ頃である。因果関係は分らない。

 藤岡氏は3月11、12日の全国評議員・支部長会議で沈痛な表情で多くを語らなかったそうだ。いい気になって藤岡排撃の侮辱語を並べる新田氏の演説に隣席でじっと耐えつづけるその姿は、哀れを催すばかりの悲惨さであった、とある評議員が私に報告してきた。
 
「つくる会」の半年に及ぶ混乱の原因の第一は、もとより八木氏の職務放棄とくりかえされる反則行動にあるが、しかし、それよりもっと大きな原因は藤岡氏の人間としての弱さにある。一方が倒れかかっているとき、他方の軸がぐらついていてはどうにもならない。いよいよになると藤岡氏は不可測な行動をする。

 ある理事に私が「藤岡さんには失望した。彼は将たり得ない人物だ」と言ったのもこの頃である。
 
             (四)
 
さて、そこで「西尾・藤岡往復私信」の行方という本題にいよいよ入る。
 
私は藤岡氏に同情こそすれ、決して道義的な罪を犯したことはないが、氏は2月3日付の「西尾・藤岡往復書簡」を同じ日に鈴木尚之氏に渡した、と表明している。一生懸命に彼を支援しようとしていた私に対する、同じ日の直後に起こった背信行為である。
 
「八木氏と握手させようとしている鈴木氏があなたの最大の敵」と書いた私のことばに藤岡氏は「全くのまちがいです」と付記した事実はご覧の通りであるが、鈴木氏に対し自分が善良な心を持っていることを証明し、鈴木氏への忠誠心を誓うために私との「私信」を利用したのである。 
自己弁明のためにあっさりと他人を売る。しかもその他人は自分を守り、支えようとしている人である。信義は弁明より値が安い。自分が誰かに媚を売るために、信義なんか糞くらえ、なのだ。藤岡氏はそういう男である。

 「私信」の移動、藤岡氏から鈴木氏への移動の心理的動機には以上のごとく背徳の匂いがする。
         
      (五)

 それなら鈴木氏の手に渡った「西尾・藤岡往復私信」のその後の運命はどうなったのだろうか。

 3月28日の理事会で種子島会長の不可解な独断裁定によって、いったん票決で解任されていたはずの八木氏が復権して、副会長に戻った。天麩羅屋で共同謀議のされた可能性のあるあの日の夜、多分、四人組プラス宮崎氏たちは祝勝ムードであったろう。

 八木氏は副会長に復帰して7月から会長になるという種子島氏のお墨つきを得た後――3月の末――でも、藤岡氏排撃の目的をやめようとしない。当り前である。こういう対立には原則として「宥和」はないからだ。それなのに、鈴木氏はまたしてもここで勘違いしたのだった。

 藤岡氏にはもともと会長を狙う気はないということを八木氏に納得させさえすれば八木側は鉾をおさめ、会は円くおさまり、融和すると鈴木氏は考え、「西尾・藤岡往復私信」を利用することを思いついた。そして「私信」を八木氏に3月30日か31日かに渡した。
 
八木氏は即日これを私への脅迫に利用した。「怪文書2」の「藤岡は『私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した』と証拠書類を配りました」という例の脅迫文句に対応させて、私に証拠書類として送ってきた。

 鈴木氏はその事実を次ぎのような経過で確認したと伝え聞く。
 鈴木氏は八木氏にこの件で4月6日から10日すぎごろまでに3回電話している。4月6日付「日録」のコメント欄に「永吉さんへ」という西尾署名の書きこみがあることは本稿(一)で記述したが、鈴木氏も目ざとくこれをよんで、例の「私信」が流出しているとピンと来た。

第一回目の八木氏への電話では

鈴木  「八木さん、あの書類は外に出していませんね。」
八木  「折り畳んで自室にしまっています。」
鈴木  「あなたが万一外に出したらすぐ分る仕掛けになっているんですよ。」
八木  「誰にも見せていませんよ。」
鈴木  「文章を私が精妙に改竄していて、西尾さんの所へファクスが届いている文章と合わせると、私にはあなたの手許にあるものと実物かどうか分るんですよ。だから、外へ出しちゃだめですよ。」
第二回目の電話では、
鈴木  「藤岡さんから問いつめられて、すでに西尾さんからファクスで送られて来た実物を見せられることになりました。そうすると、文字の改竄が一致すると八木さんの名を出さざるを得ませんよ。」
八木  「ウーン」
 これにつづく言葉はなかったそうだ。
第三回目の電話では
鈴木  「西尾さんから藤岡さんにファクスで送られてきた現物をついに見せられました。間違いなくこれは八木さんにお渡ししたものと同じものです。八木さん、ちゃんと確認しましたよ。」
八木  「いや 申し訳ない。だけれど自分がやったものではない。自分は新田氏にこれを転送した。」
 例によっていち早く他人に責任を転嫁し言い逃れをしている。しかし実行犯が誰であれ、司令塔である主犯格が八木氏である事実は覆らない。こういう場合には主謀者の罪の方が重い。
 新聞の誤報も、書いた渡辺記者に責任があるといわんばかりの言い逃れをしているそうだが、同じ卑劣のパターンである。
 
「西尾・藤岡往復私信」の実物一致を通じて、もうひとつの脅迫文章「怪文書2」の作成者ならびに発信人の主体がとりもなおさず八木氏であることがほゞ確定したと言ってよい。

 加えて八木氏は、「怪メール事件」(二)で追跡確認した通り、ガセネタの「怪文書1」(共産党党歴メール)を公安調査庁に依頼してホンモノであるとのお墨つきを得たとして(ガセネタをホンモノへと自分の意志で偽装したことになるが)、新聞記者を瞞し、報道を動かした犯行が重なっている。
 
藤岡氏の私に対する行為には人間的信義をゆるがす道義的な罪の匂いがするが、犯罪の匂いはしない。しかし八木秀次氏の私に対する行為には、脅迫罪や私文書偽造といった、刑法上の罪の匂いがする。

 尚、「怪文書2」に私が脅迫されたと感じた証拠は、当日録では少し羞しくて書かなかったのだが、夜中に私は完全にあれに瞞されて、理事会の本当の情報の恐ろしさを教えてくれた人がいるのだと信じ、教えてくれたのは田久保忠衛氏に相違ないと考え、感謝の文言を書いて田久保氏にファクスしたのだった。翌朝二人で笑い話になったのは言うまでもないが、脅迫罪が成立する十分な根拠といえる。
 
そしてその脅迫の文書の作成者ならびに発信人は「西尾・藤岡往復私信」の発信人と同一であり、八木秀次氏にほかならないことをここに確認し、私は彼を告発する。
           お わ り に
 
 余りにも悲しい物語である。全国の「つくる会」の支援者にはお詫びのことばもない。しかし真実は白日に曝されねばならない。人は苦い真実を直視して、眼球の奥に黒い斑点が映ずるまでじっと瞼を閉じないで、見つづけなければいけない。
 
余りに乏しい人材が生んだ悲劇である。八木氏を私は会長に推薦したし、藤岡氏に会長になってもらいたいと念願した。責任の半ばは私自身にもある。

 余りに彼らは孤独に耐える力がない。自分を守るために人を裏切ったり、オママゴトのような謀略ごっこをして、それで大学の先生がつとまるということ自体もおかしい。歴史や公民の偉そうな教科書をつくる資格なんか今や全然ない。
 
小さな学者の団体には荷が重すぎた。国内的期待の大きさと国際的軋轢の厳しさに比べて、責任を担おうとつとめた人間たちの器が、私も含めて、小さ過ぎた。理事の中で、名前だけ出して実際に働こうとしない人たちが余りに多すぎたのも問題だ。一部の理事が労働過重になり、バランスを失した面も間違いなくあった。

 最初はたしかに、政治的野心のない学者の団体が教科書を実際に作り、採択してもらおうとしたことに、信用があった。「つくる会」の人気の秘密は非政治性にある。けれども採択のために自民党の協力を得ようとし、各種政治団体にも近づいた。自民党がお願いしてくるのが筋であり、各種政治団の方が近づいてくるのが本来なのだ。「つくる会」は地味な教科書製作の職人団体、そして誇り高い知識人の集団であればそれだけで十分だったのだ。
 
学者に政治家の真似はできないし、してはいけない。代りに会の中心にいる事局長が政治的活力の源泉でなければいけない。政治力の権化のような人物を事務局長に欲しいと思った。私が事務局長更迭を言い出した理由はそこにある。私は俵義文氏は、そのエネルギーといい果てしない執念の強さといい、敵ながら天晴れと思っている。
 
宮崎正治氏は己を知らな過ぎる。彼が日本の武士道や儒学を勉強してきたというのなら、それは笑い話にもならないであろう。彼のことを「法隆寺に火をつけた男」と書いていた人がいるが、当らずとも遠からずである。
 
藤岡氏にもひとこと、多くの人が口にする正直な疑問を私がいま代弁しておく。共産党離党は平成3年(1991年)であると信じてよいが、それでも常識からみると余りに遅いのである。先進工業国でマルクスは60年代の初頭に魅力を失っていた。

68年のソ連軍チェコ侵入は決定的だった。左翼は反米だけでなく反ソを標榜するようになり、いわゆる「新左翼」となった。私は彼らは理解できる。しかし70年代から80年代を通じて旧左翼、民青、共産党員であったことはどうしても理解できない。
 
青春時代に迷信を信じて近代社会を生きつづけることがなぜ可能だったのか。藤岡さん、やはりあなたが保守思想界に身を投じたのは周囲の迷惑であり、あなたの不幸でもあったのではないか。私はあなたが党との関係史を一冊の本にして、立派な告白文学を書いて下さることを希望しておく。
 
「先生、私に分らないことが二つあります」と言って来た人がいる。「種子島さんはなぜ変心したのですか。それから岡崎久彦さんを教科書の内容になぜ介入させたのですか。」

ことに後者はアメリカ属国の教科書でいいのか、という意味で、それはフジサンケイグループが望んでいる方向なのか、という率直な質問であった。この二つの質問のどちらに対しても私は分らないと答えるしかなかった。
 
「つくる会」の全国の支部の方々には謝罪しか今は言えない立場ではあるが、ひとつだけ考えてもらいたいことがある。あなた方は口を開けば本部が宥和し、円く収めろというが、それがいかに間違いかはお分かりになったであろう。
 
地方の教育官僚や教育委員たちが何と言っていたか覚えていますか。「扶桑社版では角が立つから、帝国書院か東京書籍かをえらんで、何とか宥和し、円く収めて下さい」と。「つくる会」の全国支部の人たちの精神構造も、教育官僚や教育委員たちとほとんど同じだといっては言葉が過ぎるだろうか。
 
すでにしてすべてが末期症状である。至る処に蟠踞するのは小人の群れ、末人の戯れ、畸人の気の触れ。正常な社会から見れば、血迷ってどこかおかしいと思わざるを得ない。いつの日か再興の刻が来るのであろうか。
 
私はここで余りにも悲しい物語の幕を下ろすのみである。
                                  ――了
――
4/21 一部追加
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補記(4月21日)  
 保守思想界にいま二筋の対立する思想の流れがあり、私は早い時期からそれが「近代保守」コントラ「神社右翼」の対立であると公言もし、書きもしてきたが、裏づけがとれなかった。本日コメント欄に出た下記の意見は、私も個人的によく知っている、著作もある若い思想家の分析である。背景の諸事情によく通じている人の見方なので、ここに特別枠で掲示する。

 これにより今回の騒動の背景の事情が、ようやくくっきりと浮かび上った。「左」と「右」の対立軸だけで考えて来た戦後思想界に曲り角が来たことを物語る。保守系オピニオン誌も新しい二軸の対立をあらためて意識し、選択する必要が生じ、無差別な野合は許されなくなったというべきだろう。
 
いうまでもなく日本の曲り角でもあるからである。「つくる会騒動」は思いも掛けない背景の薄明に、明るい光を当てる結果になったことを喜びたい。
 
ところで、上記とは別件だが、「怪メール事件」(一)~(四)において私は「つくる会」をつぶせなどとひとことも言っていない。厳しい自己否定を潜らなければ、会の再生は望めないと言っているまでである。文章というものを読めない人がいる。否定で語りかけることが強烈な肯定であることがなぜ分らないのだろう。
 
私は裏切りや謀略に関与した6人の理事の辞任を一会員として要求する。残りの理事諸氏は会を再建させ、発展させる十分な力を有しているので、会員諸氏は安心し、これからも期待してよい。  西尾 幹二

 八木秀次氏と渡辺浩氏に反論と弁明のことばをいただきたいので、サイドバー右
上にある連絡用メールにメールして下されば、この欄に特別掲示します。
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 補記(4月23日)
 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程に在籍している岩田温氏と私とは3年ほど前からのお付き合いで、日録にも氏は時折書き込んでおられた。ストーンヘッジさんは岩田氏のことで、今回覆面をぬいで、正面からご自身の見聞と体験を、所持している数多くの資料にもとずいて語っていただくことにした。
  
ひきつづき数日内に、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程に在籍中の早瀬善彦氏に、日本青年協議会での学生研修の実体験を語り、それを通じての思想的立場をご披瀝たまわることにした。岩田、早瀬両氏に、私は23日にお目にかかりすでに 打ち合わせをすませた。
  
なお私の日録を中心にした今回の文章は、「つくる会顛末記―――右翼からの訣別―――」と題して、緊急出版する予定である。
4/23 加筆
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日本青年協議会と谷口雅春信仰の実情―自身の体験から―
今回の一連のつくる会内紛を引き起こした主犯である四人組の背後にはある宗教への信仰心とそれに基づく政治団体が存在することはすでに明らかになったことと思う。ではこの黒幕たる日本青年協議会は現在具体的にどのような活動を通しその谷口雅春信仰の流布を行っているのか。純粋無垢な保守派青年を食い物にし、自らの信仰する宗教に帰依させようと動いているのか。約一年に渡り日本青年協議会傘下の学生組織である学生文化会
議に在籍した私の個人的な体験談からそれを明らかにしておきたい。
 
私が日本青年協議会と初めて出会ったのは平成13年の夏のことである。その当時は小泉総理の靖国参拝問題ならびに初のつくる会教科書の採択戦が重なり、連日のように左派勢力がその妨害に血道をあげていた。保守主義者を自認する一人としてこれらの問題を注視していた私は雑誌「正論」誌上に掲載されていた「首相の靖国参拝を求める学生の会」の一面広告を目にし、志を同じくする学生がいるのかと大変嬉しく思い、浪人生という身分にも関わらず彼らと会いに単身九段の靖国神社へと向ったのだった。しかし実際に出会ってみると確かに何人かの学生はいたものの、その会の中心となっていたのは社会人であった。思えばこの時点でより警戒心を持つべきであったのだろう。
 
翌年、無事大学に入学した私は国家の問題について保守主義の立場から真剣に議論できるようなサークルを求め探していたところ愛国的なキャッチフレーズが載ったサークルの貼りビラを発見した。そこに書かれてあった学生の名前こそが正に昨年の夏、靖国神社で「関西にも保守的な学生がいるから是非会ってみて」と言われていた方の名であったのだ。愛国の思いを共に共有できる数少ない人物と出会えたことに嬉しさを感じ、このサークルにすぐ様入会してしまったことが正に宗教が背後にうごめくサークル加入への第一歩であったと言っても過言ではない。ちなみにこの方には先輩として個人的に大変お世話になり、また生長の家信仰を押し付けられたことはない、ということだけは申し添えておきたい。
 
さて、入会後しばらく経って聞かされたことは実はこのサークルは学生文化会議近畿ブロックという大きなサークル連合の一つだ、ということであった。このとき彼らはもちろん日青協の名前など一文字も出すことはない。まさに正体を徐々に徐々に小出しにしていく、という宗教サークルの手法の典型例である。ところで私は何の根拠もなくこの文化会議を宗教サークルと呼称したのではない。私が入会して、一ヶ月ほどが経過したとき聞かされたのが、文化会議が伝統的に師として仰いできた四先生の教え、というものであった。それこそがまさに「三島、小田村、葦津、そして谷口」の各氏であったのである。ここであまりに奇妙だったのはこの四先生なるものの「教え」を聞いたとき、このことはある程度以上の地位に就いているサークル幹部にしか教えてはならないものであり、他の誰にも口外してはならないと厳しく言われたことであった。正に秘境的教えともいうべきものである。通常の団体であれば自分たちが仰ぐ思想家を誇りに思い堂々と世間に対して表明するのが普通であろう。この四人中、谷口雅春ただ一人だけが宗教家であり新入生から怪訝に思われる、という危惧があったことは間違いないと思われる。しかし彼らが谷口氏を宗教家として信仰しそれに誇りを持つのならば堂々とその内実を初めから明かし、文化会議とはそういう流儀のサークルとして活動してきたのだということを素直に表明してくれてさえいれば私としてもそれなりの距離を置きながらこのサークルと付き合っていくという選択肢もありえたのかもしれない。

が、後にも詳しく述べるが彼らは最後の最後まで谷口雅春を信仰する宗教的要素をもった団体であるとは認めることはなかった。要は保守界全体において日本会議の中枢部・日本青年協議会が特殊な団体であり、ある種統一教会などと変わらないカルト的要素をもった組織であると私が断定し非難せざるを得ない理由がここにあったのである。ここで断っておきたいのは、彼らが谷口雅春の教義を信仰していること自体を非難しているわけでは決してない。例えばキリストの幕屋という保守系の宗教団体があるが、彼らはつくる会の会合に参加するときもごく普通に幕屋の信徒であることを明かしており、またつくる会の運動に参加することを利用して自らの宗教への勧誘を行ったりはしていない。愛国・反共産主義という思想の一致点において共闘しているにすぎない。彼ら日本青年協議会もこの幕屋と同じような運動方針でやっていれば私も非難するところは全くないのであった。が、彼らは最後まで非宗教の仮面を被り純粋な政治活動のみを行っていると強弁する。それでいて谷口雅春信仰を続け学生にはそれをひた隠しにしつつ巧みにその信仰を植えつけていく。彼らがよく使う論理として「われわれは谷口雅春を宗教家としてではなく一人の思想家として尊敬しているのだ」というものがあるが、悪質な詭弁に過ぎないのではないか。オウム真理教はすでに辞めたが、麻原彰晃を未だに尊敬してやまないと公言する人間をもはやオウム信者ではない、と言うのと同様の論理であろう。こうした日本青年協議会(=文化会議)という組織と付き合えば付き合っていくほど私の不信感は募って行くばかりなのである。
 
おりしも小泉総理の訪朝によって北朝鮮の国家犯罪が明らかとなりわれわれもこの国家の一大問題を考えるべく横田ご夫妻を大学にお呼びし講演会を開いたときのことである。私が講演会宣伝のビラにこの北朝鮮の大犯罪たる拉致を厳しく糾弾し非難する文章を執筆し、また北朝鮮を弾劾する発言をしていたところ、彼ら文化会議のメンバーが「君は少し過激すぎる」といった批判をしてきたのである。左翼の巣窟と化している大学当局からも同じような批判や注意があったことは納得できるにしても、我が陣営の方からも批判が来るとは夢にも思わず大変憤ったことを覚えている。私は今でもあの北朝鮮を批判した文章や発言が過激であったとは一切思っていない。無辜の日本国民を拉致していくという完全なる悪行を悪として厳しく難詰するという行為にこそ倫理・道徳といった精神が宿るのであって、その悪を放置することは不道徳へと繋がっていくのではないか。ただ私は彼ら日青協の北朝鮮への何かしらの甘さというものの根底には彼らの個人的な性格・パーソナリティというよりむしろ彼らの信仰心という問題が大きく関係しているのではないかと見ているのである。というのも、谷口雅春の教えの中には「人類は全て神の子である」という教義があるらしく、その教えに従えばあの金正日でさえ完全な悪人ではないという論理が成立するのである。彼らがそういった信仰心を持つこと自体はかまわないが冷徹な国際政治観を踏まえ拉致問題を考える私の思想を非難されることには怒りを感じざるをえない。詰まるところ彼らの信仰に基づく忠誠心を無意識であるにしろ非信徒に押し付けてきた事例であると言えよう。それは彼らの谷口雅春への信仰心の中でも最も重要な要素である「天皇信仰」という教義においてはさらにそれが顕著となるのである。
 
12月ごろ、文化会議の幹部の一人として私は中央委員会なる幹部会議への出席を求められた。このころからようやく私にも日青協という組織の実態が見え隠れしてきたことで、この学生文化会議なるサークルが実は何の主体性も有していない日青協傘下の完全な下部学生組織であるということも分かり始めてきていた。
 
逆に言えばこの中央委員会に呼ばれるということは日本青年協議会の実態を少しずつ明かしてもよい地位についてきたということなのであろう。私が見た彼らの資料の中には方針として、
一年目には四先生の教えを徹底させる。
二年目には天皇信仰を徹底させる。
そして三年目には総仕上げとして谷口雅春氏の教えを最後に植え付ける。
という裏のカリキュラム(洗脳プログラム)とでも言うべきものがある。この中央委員会では、かの四先生の名前とその教えが簡単に書かれたレジュメを渡され皆で「葦津先生、三島先生、小田村先生、谷口先生のご遺志を受け継ぎ、天皇国日本の再建を目指さん」と何度も復唱させられるのである。さらに心許してきた学生に対しては「今度、尊師(谷口雅春)のお墓に行こうと」と誘い、またより組織に定着してきたと思われる学生には谷口雅春の主著である『生命の実相』を読むように薦められる。こうしたやり方がカルティックといわずして何と言うのだろうか。

また彼らが口癖のように使う言葉として「思いが足りない」というものがある。例えば勉強会のときにニーチェ、オルテガといった西洋の思想家の名を出し彼らに反駁しただけで「君は日本人としての思いが足りない」と非難されるのである。が、果たしてこの抽象概念である「思い」というものを単純に比較・計量できるものなのであろうか。彼らの言う「思い」の多寡とは単なる信仰心に比例するものではないのか。この言葉は要するに彼らに対して論理的な反駁や質問を投げかけたときに、ある種の避難経路として使われるものにすぎない。さらに驚くべきことは、四先生よりも私は渡部昇一先生や福田恒存先生、西尾幹二先生の方を深く尊敬している、と言ったとき彼らは「西尾先生たちは思いが足りないから」と一言で斬り捨てたという事実である。要するに彼らの人物評価基準は学者としての能力性や愛国心の有無にあるのではなく、全ては天皇への信仰心の強さにあるのだと言ってよい。しかも、その天皇信仰という思想(ドグマ)そのものも元を辿っていけば谷口氏雅春への帰依に行き着くのである。彼らはまたいつ何時も天皇陛下が今何を考え、何を思ってらっしゃるかを考えて日々生きていけ」と説き、それこそが天皇陛下の大御心に従った正しい生き方である、と説く。かつて彼らのあまりにも度が過ぎた天皇信仰に嫌気が差した私は一度日青協幹部の一人に「『もし天皇が無辜の日本人に対してサリンを撒け』と命令したらその大御心に従いあなた方はサリンを撒くのか?」と敢えて過激に問うてみたことがある。そのとき彼らは本気で答えに窮したのであった。真に天皇陛下を敬うのであれば命を賭してでもそれをお止めするのが真の保守主義者の務めではないのか。思想や哲学といったものはあらゆる状況下においても耐えうるものでなくてはならない。単なる盲目的信仰と洗練された思想の違いはここにある。単なる右翼と保守主義者の違いもここにある。付記しておくならば、この質問を機に私は文化会議と完全に袂を分かったのである。
 
また彼らは日本青年協議会内部において昔の生学連の子弟たちへの態度と、私のような彼らの組織の二世ではない人間への扱いをいつまで経っても明確に分けていることも指摘しておきたおい。これは特に日本会議(日本青年協議会が事実上動かす組織で、実態のない空気のような組織)に当てはまることなのだが内部(日本青年協議会)で語っていることと外部の団体に語ることが往々にして異なることが多いのである。つまり外部団体には表面的には丁寧な態度を取る一方で内情はまったく以って明かさず、谷口雅春信仰のことや天皇信仰のことについては必死に隠そうと務めるのである。この事実からも彼らが愛国心の多寡というよりは、結局のところ谷口雅春への信仰心の有無によって相手への態度をすべて変えていることがわかるだろう。
 
以上、私がかつて文化会議に所属し日青協の内情について知りえたことを記してきたわけであるが、本論考からこの組織の特徴として、大きく三つのことが分かるのではないだろうか。すなわち、
1、 組織の運営全てにおいてドグマに基づく独善性で貫かれている
2、 カルティックなまでの天皇崇拝・信仰を下に動いている
3、 1,2の行動・信仰も全ては谷口雅春への帰依が元になっている

1については宗教であれば得てしてどれも同じことなのであろうが、先にも指摘したようにその教義を他者に対して強制的かつ執拗に押し付けてくるか、こないかという点で大きく違ってこよう。彼らはあくまで「宗教ではない」と言いながら徐々に徐々にその信仰・教義を植えつけてくるのであり、それを一般社会では「カルト」と呼ぶのである。(『マインドコントロールの恐怖』などを参照)

2についてであるが、英米系保守主義の伝統に立脚する私としてはやはりどうしても個人的にはついていけない思想である。日本史における天皇家というものを考えてみたとき、それが伝統的な日本の文化・連続性の象徴であり、将来の日本国の存続・秩序の安定にとってなくてはならない高雅な存在であることは確かである。しかしそれが天皇陛下への個人崇拝になってはならないし、それこそあのソ連のスターリン崇拝や北朝鮮の金正日崇拝と同質のものになることが決してあってはならない。あくまで立憲君主制のもとでの統治を私は支持するものであり、戦前の2・26事件のような悲劇を二度と繰り返してはならないと考えるのである。

3に関しては、「全ての人間が神の子であり善なる心を持っている」という教義一つをとってみても全く以って納得のできないものであり私は谷口雅春の教えを絶対に信じる気にはなれない。埼玉の女子高生コンクリ詰め事件の犯人などに見るように、一部の人間はやはり途方もない残忍性、凶暴性をもって生れてくる。こういった厳然たる事実を谷口雅春の教義はどう説明し、納得させてくれるのだろうか。
 
そして最後に指摘しておかねばならない何よりも重要な問題は彼らの教義には確固としたアンチの思想が成立しえない、という点であろう。未だに徹底した暴力革命を目論む日本共産党や日本を心の底から憎悪し、日本国の消滅を願うカン・サンジュンのような一部の在日勢力とは断固として戦闘を続けていかねばならない。彼ら日本青年協議会の信仰心の論理でいけば日共などもまた同じ神の子となり、徹底的に闘っていくことが不可能と
なる。(然るに今回の謀略FAXや謀略メールを見ていると、彼らのダブルスタンダードが見え隠れするのだが・・・)とにかく共産主義思想などは時に愛国主義の仮面を被りながら国家を知らず知らずのうちに内部から蝕んでいくところにその恐ろしさがある。彼らの信仰が共産主義系の団体と相容れない理由はただ一点、マルクス・レーニン主義といったイデオロギーが決して君主制、すなわち日本で言えば「天皇制」を認めないという点からであろう。彼らと話をしていていつも思うのは共産主義そのものへの反発・義憤がないということである。仮に天皇を中心とした共産社会を目指すなどという戦前のような特殊な共産主義者が出現した場合彼らがなびく可能性がないとは言い切れないのではないだろうか。
 
今回の一連のつくる会内紛の問題において幸か不幸か世に判明したことは四人組が一つの宗教心から連帯しており、それを支える日本青年協議会及びその日青協がその中枢部を支配する日本の保守界の大御所と一般には思われている日本会議そのものが特定の宗教右翼の影響力の下にあるという恐るべき事実であった。西尾氏も書かれているとおりこの日本国がこの先永遠の繁栄を築き、その高貴さを永続させていくには日本保守界を特定の宗教右翼ではなく真の保守主義者たちの手に取り戻さねばならないのではないだろうか。
 
以上私が実際に体験した諸事実からこの度の論考を進めてきた。仮に事実と異なることがあれば提示して頂きたい。また読者の中には今回のつくる会内紛や私の論考が保守派の分裂を招き、憲法改正や皇室典範改悪反対など日本国の存続にとって急務となっている諸問題の進行が停滞してしまう、と危惧される方々も多いかもしれない。しかし、今回あの四人組が自らの信仰心に基づいた宗教的連帯を守り通すためだけに、一度は祖国再生のために志を共にした西尾氏らに対しあの卑劣極まりない謀略メールや怪文書をばら撒き、つくる会の内紛を引き起こしたという恐るべき事実を事実として受け止める勇気を時に人は持たねばならない、と私は考える。それゆえに今回私はあらゆる誹謗中傷を覚悟の上で筆を取ったしだいである。
       (文責・京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程一年
 早瀬善彦)
4/24 追加
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私には難しいことはよくわかりませんが、ここで西尾先生に対して抗議をなさっている方に申し上げておきたいことがあります。
コメント欄に生長の家関係のかたがおられ、西尾先生が生長の家を否定していると捕らえられ、短絡してお怒りになっているようですが、昨日の分だけ見て、岩田さんの言葉だけにカッカとなっておられます。でも、今回の騒動の顛末はもっと広い、異なった視点からとらえるべきで、本質を見失ってはいけないと思うのです。
今回の顛末を最初から読んでおられるでしょうか?怪メール事件も読まれましたか?
つくる会事務局長人事の混乱において、最初に日本会議や、日本政策研究センター、神社関係の組織名を出し、俺をやめさせればこれらの団体の協力が得られなくなるぞと言い出したのは宮崎前事務局長その人でした。
11月の理事会で、仲間がそろって事務局長を助けようと立ち上がった。その背後にどういう仲間であるかを探っているうちに、日本青年協議会など宮崎前事務局長に縁の深い団体等々、色々なことが判明してきたのではありませんか?
つくる会内部のことなのに、外部の圧力をあてにする人々が最初からいなければ、ことはこんなに大変なことにはなっていませんでした。
そしてまた、退会を宣言された西尾先生の元に、怪文書さえ届かなければ、ここまで解明しようとする気持にもならなかったでしょう。怪文書を出しているのは誰ですか?産経新聞に西尾先生を貶める記事を書かせたのは誰ですか?その人たちのしていることは正しいのですか?正しくないことを容認してまで、西尾先生を非難されるのですか?
つくる会にはいろいろな宗教団体が協力をしてくださっていて、私はそのことはそれで、とても有難いことだと思っています。ただ今回のように、宮崎前事務局長が、つくる会という独自の会なのに、自分の背景の団体をバックに、会の独立を犯し、自分の利益を守ろうとしたことが問題の発端なのです。(詳しくは「つくる会顛末記」に書かれています)

どなたかがおっしゃっているように、団体の意志としてそうなさったのかどうかはわかりません。しかし少なくともその威光をかざした人間がいたという事実、それにびびった会長がいたという事実、他団体の影に怯えなければならなかったという事実があります。
保守系にはいろいろな団体の、いろいろな運動があり、それはそれぞれ大切なものであると思います。しかし、それらの一つが他の団体の主権を踏みにじり、人事案件に関与し、どちらかの団体が親分で、どちらかの団体が子分のような関係になってはいけない。西尾先生はそのことの違和感から、出発されているように思います。
大切なことは、各団体の独立を尊重し合うことです。つくる会も小さいながら独自の団体であり、協力関係は距離をもってやりたいと言っているのです。人間はできるだけの自由を自分にも他人にも保証できるようにしなければならないということです。数をたのんで脅したり、理不尽なことを通すために怪情報を流したりという不正にはきちんと向き合ってそれらを許さないことです。たとえそれがどんなに危険で、孤独で、困難でも。

ここで、西尾先生にお別れを宣言なさっている方は、怪情報を流すような人々をこのまま許せとおっしゃるのでしょうか。つくる会の人事案件を内部で収束させようとしたのに、外部に持っていって圧力をかけた人たちがいるのに、その罪を責めずに目をつむれとおっしゃるのでしょうか。そして外部の団体の人たちは黙っていますが、何の責任もないのでしょうか。
私はそれらの団体こそ、こんなことをする人間は破門する、あるいは、自分達の組織の名を騙らないでくれと、言明するべきだと思っています。
最後にもうひとつ申し上げます。西尾先生はどんな宗教もその信徒の方々も、神社も、神主さんも、みなさんに感謝こそすれ、批判などしておられないと思います。ただ、宗教家の方々や信徒の皆さんを束ねている「事務局」に問題があると暗示なさっているのではありませんか。そして、その「事務局」が特定のむかしの学生政治運動組織に牛耳られかかっているのが、一番の問題ではないかとおっしゃっているのではないでしょうか。
それぞれが、自分の関与する場において、今回のことを契機に反省をしなくてはならないと思っています。
Posted by: 長谷川 at 2006年04月24日 13:56

今回の事件の根本にあるものは、現代人が陥りやすい宿命だと断定しても過言ではないのかもしれません。つまり、つくる会はいったい何の為に存在しているのかという単純な理念からどんどん離れてしまっていく様を、執行部は自身の言動によってそれを現してしまったと言えるのかもしれません。本来は国民の民度を高める教育の一端を担うことに心骨を注げばよいものが、いつしかその理念は空洞化し、活動の為の活動に化けてしまったと言えます。それは西尾先生にとっては自身の思想の世界では怠惰の分野に位置する行動であり、絶対に許認できるものではないのです。
1976年に出された「地図のない時代」という西尾先生の本にこんな節があります。
<引用開始>
P44から抜粋(ニーチェの言葉から始まります)
「彼らもやはり働く。というのは、働くことも慰みになるからだ。しかしその慰みが身をそこねることがないように気をつける。彼らはもう貧しくなることも、富むこともない。両者ともに煩わしすぎるのだ。もう誰も統治しようとしない。両者ともに煩わしすぎるのだ。牧人は存在しない、存在するのはただ一つの蓄群である。すべての者は平等を欲し、平等である・・・」 「彼らはみな怜悧であり、世界に起こったいっさいのことについて知識をもっている。だから彼らはたえず嘲笑の種をみつける。彼らも争いはする。しかしすぐに和解する-そうしなければ胃をそこなうからだ」
(中略)
彼の言おうとしているのは、およそ次のようなことであろう。人間は昔より多く理解し、多く寛容になったかもしれないが、それだけに真剣に生きることへの無関心がひろがっているともいえる。すべての人がほどほどに生きていて、適当に賢く、適当に怠け者である。それならば現代人には、成熟した中庸の徳が身にそなわっているのかというと、けしてそうではない。互いに足を引っ張り合い、すきを見つけて互いに他人を出し抜こうとしている。権威ある者を嘲笑し、すべての人が平等で、傑出したものなどどこにもないと宣伝したがっている。それなら本気で、権威と敢然と闘おうとしているのかというとそうではない。本当に他人と争うのかというとそうでもない。彼らはすぐに和解する。「そうしなければ胃をそこなうから」である。
<引用終わり>
1976年といえば西尾先生が41歳です。現在の八木氏とほぼ同い年です。私は詳しく八木氏の生き様を認識しておりませんが、一言言えるのは、上に引用した言葉と相対して、西尾先生はこれまで戦い続けて来たのは間違いないと思います。こうした一貫性はけして単なるこだわりと片付けられません。それよりも逆に自分を疑い貫き自分を嫌い自分を蔑め自分を逆境に追いやり続けた姿にこそ、真実があります。先生は尚今も戦い続けています。これは半端な行動ではないのです。
しかし、自分を疑う姿勢は同時に他にある良質な因子を受け入れる姿勢でもあるわけです。そうした賭けと言いますか、常に可能性を信じる原動力は西尾先生独自の悲劇を厭わない勇気と覚悟に下支えされていると言えますでしょう。
Posted by: あきんど@携帯 at 2006年04月25日 18:05

怪メール事件(三)

 ここで遡って私の日録の「産経新聞への対応」(一)3月29日13時50分付及び(二)4月2日16時36分付を思い出していただきたい。3月28日に理事会があり、29日の朝刊の渡辺記者報道が「つくる会」本部の「FAX通信」で訂正された、あのときのことである。

 「『西尾元会長の影響力排除を確認』『宮崎正治前事務局長の事務局復帰も検討』は明らかに理事会の協議・決定内容ではありません」という記事の訂正内容であった。ここで私の名前が出たので、初めて私の抗議行動が始まった。始めてみると次々とおかしなことが判明した。

 渡辺記者に28日夜に事実と異なる情報を流した理事会参加者がいるということは明らかとなり、天麩羅屋の一時間半の八木・新田両氏その他の会談が怪しい、なにか臭うぞ、という話になったのは周知の通りである。そしてだんだん臭うどころか、くさいものの蓋が取れて中味が次第にあからさまになってきている。

 以上の日付を再確認した後で次の展開を読んでいただきたい。3月30日に、平成5年7月3日付『赤旗』の総選挙応援の「各界各層の人びと」一覧が私に差出人不明で送られてきた。そこに、枠をつくって、舩山謙次(元北海道教育大学学長、元日本学術会議会員)の名が大きく刷られ、「藤岡先生の岳父、舩山謙次先生の活動のごく一部です」と大書されている。

 藤岡氏の岳父が共産党の有力な支持者であることがこの際何の関係があるというのだろう。西尾は共産党アレルギーだろうと思って、こんなものを送ってきて西尾と藤岡を分断させようとする人の気が知れない。こんなことをするのを「右翼」という。親族に誰がいようが、個人の思想信条に関係はない。私の叔父は野呂栄太郎の片腕、共産党草創期の党幹部で、昭和9年に治安維持法にひっかかって逮捕されている。知識人の家庭なら身内にそんな人の一人や二人は必ずいる。

 このバカバカしい一枚が八木=宮崎=新田一味ないしそれと密接に関わる方面から送られてきたことは次の「怪文書2」で十分に推定できるのである。

 4月1日、私が丁度、天麩羅屋の密談の可能性に疑問を抱きだしたか、あるいはまだその動きをキャッチしていたかいない頃のことだが、夜2時頃、ファクスの前の紙の山を整理していたら、その中に記号をすべて消した白紙に次の文字の並んだ一枚がふと目に入った。

 深夜だったせいもあるが、私は異様に不気味なイメージを受けた。

福地はあなたにニセ情報を流しています。伊藤隆に言い含められて八木支持に回りました。理事会で「これからは西尾が何を言っても相手にしないようにしよう」と言い出したのは福地です。西尾先生の葬式に出るかどうかの話も出ました。「フジ産経代表の日枝さんが私に支持を表明した」と八木が明かすと会場は静まり返りました。

宮崎は明日付で事務局に復帰します。

藤岡は「私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した」と証拠資料を配りました。代々木党員問題はうまく逃げましたが、妻は党員でしょう。

高池はやや藤岡派、あとは今や全員八木派にならざるを得なくなりました。八木はやはり安倍晋三からお墨付きをもらっています。小泉も承知です。岡崎久彦も噛んでいます。CIAも動いています。

                                     (怪文書2)

 私はからかわれているのであるが、理事会に出席していない私に詳しい情報はなく、不安を抱かせるに十分に巧妙に仕組まれた文章である。狡智をもってうまい所を突いていて、よく出来ている。

 「FAX通信」で産経の記事の誤報を知った私が29日13時50分付で、当日録で、「理事会に出席していたある人に電話で聞いた処によると、新聞は他にも事実に反することを書いている。八木氏が先に解任された主な理由が会長としての職務放棄、指導力不足にあったことが昨夜の理事会で確認されているのにそれは述べられていない、など。」と書いた内容に即座に反応している文面なのだ。

 私が理事会の様子を教えてもらった「ある人」は福地惇氏である。後からさらに二人の協力も得たが、しかし最初の日は福地氏であった。敵はそのことを調べあげたのである。

 30日藤岡氏の岳父の情報を流した理由もここに出ている。そして1日にこれを送ってきた。「産経への対応」(一)29日13時50分付の段階で、早くもあの手この手で私を黙らせようとする。まだほんの一寸しか疑問を述べていないあの早い段階で、私の臭覚を恐れ、拡大を防ごうとする人々が知力をしぼっている。

 私は初め誰か親切な人が私に理事会での確かな事実をそっと教えてくれようとしているのかと思った。情報をもたないということは恐ろしい。もし私があのあと独房に入れられたら、内容をそのまゝ信じてしまったかもしれない。

 私は福地氏とのお付き合いはまだ浅い。氏が伊藤隆氏の弟子筋であることは知られている。福地氏が師匠に振り回されるような玉でないことは最近はっきり知ったが、そのときはまだ氏をそこまで理解していない。私の人間信頼をぐらぐら揺るがす内容だった。

 国家の情報部員でもないのに友人にこういう謀略を仕掛けるのはじつに悪魔の所業なのである。

 葬式云々はわざとらしいいやがらせであろう。不吉なイメージのことばを唐突に出す出し方はうまい。最後の「安倍、小泉、岡崎、CIA」も私を社会的に孤立させる負のイメージで、しかもCIA以外はそれぞれ理由らしきものがあるのはご承知の通りである。いかにも自民党主流派とフジサンケイグループが八木秀次氏を担いでいて、もう西尾には用はないと言っている、と言いたげな内容である。

 自民党にも、岡崎にも、CIAにも私は用はないから、どうぞご勝手にと言うだけだが、八木氏をこういう全体的イメージで自らがあるいは周囲が持ち上げようとし、種子島会長が彼のその戦略にまんまと嵌まってしまったことが今の問題でもあるのだ。

 理事会のメンバーが「今や全員八木派にならざるを得なくなった」はマッカな嘘であることは翌日にもすぐばれた。ここに述べられたことで真実は、八木氏が日枝氏の名前を自分から言い出したただその一行だけである、と複数の出席者から証言を得た。それは次のような情景だったらしい(会話は推定)。

種子島  八木氏をフジサンケイグループが支持している。
勝岡   そこにフジTVが入っているのですか。
田久保  誰が支持した、と確認しているのですか。
      つねづね産経は第一に「つくる会」の人事に無関心であり、
      第二に教科書という大目標だけを支持する。
      特定の人を支持するというはずがない。おかしいのでは?
種子島  産経はたしかに人事介入はしないと言った。
八木   (色をなして)フジの日枝さんが「あなたを支持する」と私に言った。

 このとき会場は静まり返ったのではなく、みんな鼻白んで呆れて言葉が出なかったというのが正しいらしい。

 私はよほど日枝氏に「八木さんからこんなことを言われていますよ、大丈夫ですか」と電話で聴いてみようかと思ったが、「そんなこと私は言うはずないよ。人事の件で言ったんじゃないよ」とすぐにたしなめられてしまいそうで、迷惑もかかり、失礼なので止めた。

 いったい何ということであろう。八木という人物は何を考えて生きているのであろう。

 田久保氏はいつも正々堂々としていて立派である。「怪文書2」の件で電話で全文根拠なきことの説明を受け、私は心から安心した。いったん電話を切ってから田久保氏はさっき言い忘れたともう一回掛けて来られた。大切な一語なので書き記すことを両氏にお許しいたゞく。

 「福地さんの名誉のために言っておくけど、何ヶ月か前電車で一緒に帰るとき、『自分は恩師の伊藤先生よりも今は西尾先生の方を信じます』と言っていましたよ。」

 怪文書の分断工作の直後だっただけに、田久保氏のこの内輪の話は私に深い安堵を与えた。私はずっと前から福地氏を信頼し、何かと話し合う機会が多かったが、心ない怪文書で不必要に苦しまなければならない処だった。私は人を信じるということがいかに大切か、そして今でもそれが可能であることをあらためて知ってうれしかった。

 田久保氏の誠実さ、福地氏の剛毅さ、高池氏の智謀――この三つはいまだ「つくる会」に望みを託せる人間の存在を告げ知らせてくれる。何らかのことで三氏が会を去れば、この会は本当に終焉を迎える。

 それにしても、つくる会の会長のポストは人生に損害を与えることの多い危険な仕事なのに、いつそんなにおいしいポストになったのであろうか。これは不思議でならない。

 藤岡氏と八木氏以外に有力な名前が理事に並んでいるのに会長になろうとする人がいない。藤岡氏も自ら会長に向いていないことをむしろよく知っている。それで他にいないので今の事態を迎えている。なりたいというその人の動機が「稚気」でなければよいがというのが本当に私だけでなく、多くの関係者の抱いている心からの憂慮であり、警戒なのである。

 なにしろこの「怪文書2」もまた紛れもなく、「つくる会」内部の人間関係の微妙さを良く知った人の、奸智に長けた文書であって、こんなものまで「八木サイド」から投げこまれたことはまことに人間不信の底をつく、教育者の団体ではあってはならない呆れ返った事実なのである。

「私の党籍問題について」という藤岡信勝氏の文章が「怪メール事件」(一)に掲載されています。

怪メール事件(二)

 私の家に3月8日に届いた最初の「警察公安情報」の出所が何処かは、勿論分らない。「発信04481」という信号は、私には何のことか見当がつかない。

 怪メール事件は2月27日と3月28日の二つの理事会の間に起こり、「つくる会」を揺さぶった。それが問題である。会が八木=宮崎プラス四人組のグループとそれ以外の勢力に完全に割れてしまっていることは、この問題を考える前提である。そして八木氏は2月27日に会長を外され、屈辱の中にあった。会長としての職務放棄と指導力不足、具体的にいえば、長期にわたり理事会を開かず混乱を放置し、唐突な会長声明を出してそれをまた取り消すなど、何をやっているのかといわれるような体たらく振りが理由で、解任されたのに、自分は何も悪いことをしていない、不当な解任だと言いつづけていた。そのことは既報の通りである。(解任は票決によるもので、議長票を入れれば7対5という厳粛な決定である。)

 3月20日福地惇理事は八木、宮崎両氏と会談した。八木氏は自分の方から「警察公安情報」の存在を知っているか、と問うた。福地氏は「単なる噂ではないか、自分は見ていない。それは何処に根拠があるのか」と問い質した。八木氏は「単なる噂ではない。公安情報を正式につかんでいる。警察公安と自分はパイプがあって、これには確かな証言がある」と自信ありげに、得意げに強調した。

 八木氏は会談中に同テーマを二度も口にし、強調したそうだ。恐らく他のさまざまな人にも言って歩いているのであろう。情報メールを私に送ったのはひょっとして八木氏自身ではないかとさえ思うが、真偽は分らない。しかしメールの発信者でないとしても、公安とのパイプを強調し、それを種子に「つくる会」の理事を貶める言動を示したことは、メールを未知の人に秘かに送るのと同じ行為である。少なくとも公安を用いて仲間を脅迫していることでは同じである。

 八木氏は一体自分がしていることがどんなに恐ろしいことかに気がついているのだろうか。氏は「公安のイヌ」になり下がっているのである。

 昔ならそれだけで言論人としての資格剥奪である。今だってそれに近い措置をされても文句を言えまい。

 八木氏は大きな政治背景をもつ謀略の意図があってやっているのならともかく、それよりももっと悪いのは、謀略のまねごとに手を出し、自分が何をしているのか分っていない「未成熟」な人間なのである。私は丁度そのころTVに問題にされていた民主党偽メール事件の永田議員と同じだなァ、と思った。永田議員は小泉内閣の幹事長が憎い。シメタと思って後先を見ない。藤岡氏が憎い、シメタと思ったのとよく似ている。

 やっていることは「政治ごっこ」である。それでいて仲間を確実に傷つけ、自分の属する会を内部から撹乱し、不信感をかき立ててきた。

 そしてさらに重要なことは、産経の渡辺浩記者は今日までに八木サイドとの関係をすべて打ち明けたようだ。渡辺氏は「警察公安情報」をずっと前から何度も八木氏から見せられ、炊きつけられ、記事のトーンが八木サイドになったのはそのせいだ、ご免なさい、と謝罪したそうだ。これは重要である。

 謝罪の言を聴いた人は高池勝彦氏と藤岡氏で、渡辺記者は自分の報道の偏りを認め、八木=宮崎サイドにのみ情報ソースを求めていたのは失敗だったと告白したそうだが、私にはどこまでもまだ間接情報である。けれども八木氏が「公安のイヌ」となって、自分の地位上昇のために、新聞記者を威して、報道を誘導し、ねじ曲げさせたことは疑いを容れまい。

 仄聞する処では八木=宮崎その他四人組の一部はいつも合議し、そのつど渡辺氏が呼ばれて同席していたという。3月1日、2日、9日、29日の偏向報道の上手に仕組まれた構成はこうして作られた。

 とりわけ11、12日の評議員・支部長会議を前にした9日の二つの記事は意図的である。「つくる会北海道支部が反旗、前会長解任、白紙化を要望」は北海道支部から事実誤認と抗議が発せられたことからみて、意図的贋報道である。次いで、つねづね藤岡ぎらいの伊藤隆氏に懇請して、藤岡氏非難の「つくる会」退任の弁を書かせて(ヤラセである)、タイミングを見計らって辞意を新聞にのせさせ、前記会議で、内田智理事が読み上げた。これも同日新田均理事が袋一杯の悪言罵倒文書をつめて、出席者に配ったのとあいまって、彼らが新聞との連携プレーで、学生運動まがいの情宣活動を展開した記録の痕跡である。

 尚新田氏と八木氏は早大大学院政治学科小林昭三ゼミの先輩後輩の関係で、八木氏は先輩の結婚式にも招かれている近い仲である。

 不思議なことに八木氏は汚れ役をやらない。人にやらせる。彼は11、12日の評議員・支部長会議に姿をみせなかった。6日の首都圏支部長会議にも出席しない。批判を浴びそうな場からはパッと身を引く。「逃げも隠れもしないよ」という男らしさがない。理事会を長期間開かなかったのもこの手である。連絡をしないで相手をじらせる手も知っている。そしてウラで知能犯的な作戦を練る。小型スターリンの真似である。身体を張らないで、上昇志向のみ強く、心は冷たい。

 こういうタイプが会長になれば「つくる会」は異様な雰囲気の漂う、自由にものの言えない沈滞した独裁体制になるであろう。そして何よりも、八木=宮崎プラス四人組グループ以外の多数派の理事が次々と辞意を表明し、逃げていくであろう。

 どこまでも残留するのは、およそプライドというものを持たない藤岡氏であろう。何度も副会長を降ろされてなお辞めない。彼は教科書問題の残存する場所にひっついていなければ生きていけないからなのか。八木氏に奴隷のように扱われても、伏してお願いし、理事の末端に居残るだろう。そして最後に叩き出されるだろう。

 このまま予定どおり八木会長体制が成立すれば、どうなるかの予想を描いてみた。八木氏は「公安のイヌ」であることを片時も忘れるな。

 人間は目的のために手段を選ぶ。そこに人間の品位がかかる。

 3月28日の理事会に先立って、種子島氏は八木副会長案を八木氏に打診した。八木氏は3月末にすぐ会長として復帰するのでなければいやで、副会長ならむしろ平の理事でいたい、と返答した。そして翌日誰かと相談したらしく、種子島氏に電話で副会長案を受け入れるとあらためて言ってきたそうだ。自分を何さまと思っているのだろう、とある人は言った。

 しかし種子島氏はホッとした。なぜなら種子島会長は八木=宮崎四人組グループに、3月の初旬のあるときを転機に、完全にとりこにされ――なにか仔細があるかもしれない――今や百パーセント屈服しているからである。そこには理性も、道理も、判断力も、そして未来への予知力ももはや認めがたい。

 かくて「八木問題」はいつしか「種子島問題」と化しているのである。

「私の党籍問題について」という藤岡信勝氏の文章が「怪メール事件」(一)に掲載されています。

4/10 赤字文章追加

怪メール事件(一)

 3月初旬から20日ごろにかけて、「警察公安情報」と題した一枚の簡単なメールがファクスで「つくる会」のあちこちに送られた。私の家には8日に届いた。扶桑社にも送られたと聴いている。多分、産経新聞社にも送られたろう。種子島会長の処には来ていないと仰言っていた。

 八木秀次氏が会長を解任された失権の理事会、種子島氏が代りに会長になった理事会は2月27日である。そして3月28日は八木氏が復権を果たし得るか否かの、彼にとって大切な理事会であった。これから述べるすべての出来事はこの日付の前後に起こっている。

 拙宅に届いた最初の怪メールは次の通りである。

警察公安情報
藤岡教授の日共遍歴

日共東京都委員会所属不明
S39 4月16日開催の道学連在札幌編集者会議出席、
    道学新支部再建準備会出席
S41 北海道大学大学院教育学部所属
S56 東大教育学部助教授
H10 東大大学院教育学部研究科教授
H13 日共離党

                          (怪文書1)
 
 そしてこの一枚には06年3月8日(水)10:05という日付と共に、「発信04481」という信号とP.01の文字がある。

 私の問い合わせに対し藤岡氏は、平成3年か4年にアメリカに旅行した際に、日共の規則で離党し、帰国後も離党のままにする旨口頭で東大の主任教授に伝えた、と電話で回答した。東大教育学部が共産党と人事面で一体となっていた恐るべき実体を今にして知ることが出来た情報で、これはこれで驚異とすべき事柄ではあるが、当面の問題ではない。

 次の理事会の近づく3月25日に種子島会長と福地氏が党籍離党の時期について本人に面談して事情聴取をした。上記とほゞ同じ答えであったが、離党者に対して伝え聞く厳しい査問や迫害はなかったのかという福地氏の質問に対し、藤岡氏はソ連が消滅した90年代より後には日共も方針を替えて、鉄の規律ではもはやなくなったと答えたそうだ。

 入党や離党が「口頭」でできるものなのか、入離党の規律は90年代には査問もなく、そんなにあっけらかんとしたものになってしまったのか、いまだに私にはよく分らないし、謎である。平成13年離党がもし事実なら、私の「つくる会」会長時代に藤岡氏は日共党員であったということになる。これは私には小さくない衝撃だった。3月初旬から私だけでなく、少からぬ理事諸氏がこの問題に悩んだ。藤岡氏を「つくる会」副会長にもう戻さないという種子島会長の決定に、この怪メールがある心理的役割を果したことは否めない。

 共産党との離党のいきさつは藤岡氏が今後正直に文章で告白して、日本の思想界の承認を得なければいけない論点である。他人の心をつかめずに他人の自由を操ろうとして、それが謀略めいて見えて、信用を失うことを彼は10年間、そして今も繰り返している。自分の権能の及ぶ範囲と及ばぬ範囲との区別が彼はつかない。このため小さな策を弄して、他人を言葉で操って動かそうとし、現実が大きく変わるとたちまち昨日言ったことを替えて、結果的に彼を支持しようとしてきた人の梯子を外す。裏切りである。言うことがクルクル変わる。昨日顔を真赤にして怒りを表明していた相手に、今日はお世辞を言って接近する。今日たのみごとがあると下手に出て礼をつくすことばで接触するかと思うと、用が終ると、同じ人に数日後に会っても鼻もひっかけない。

 彼と付き合えばみんな分っているこういう彼の性向挙動は、多分共産党歴の長い生活と不可分で、党生活が人間性、普通の良識ある社会性を破壊してしまったものと思われる。彼は平成に入ってもなぜかビクビクして生きてきたように思える。

 しかしそれは彼の教科書問題における業績とは別である。産経新聞社は彼の党歴は承知の上で「正論大賞」を授与したはずである。「つくる会」の会長もまた同様に、過去の経歴を当面の問題にはしない、と決定して、理事会に臨んだ。それはそれで良いと思う。

 藤岡氏へのこの信用の問題は「つくる会」とは別個で、藤岡氏自身がこれから書くべき告白文章と日々のビヘイビアで人々の納得のいくように解消してみせなければいけない。従って、これとは切り離して、3月の「つくる会」を揺さぶって、28日の理事会とその後に大きな影響を与えた怪メールの存在は、あくまで藤岡氏の党歴とは別個の問題として取り組まなければならないことは言うまでもない。

 怪メールはこのあとも続々と送られたからである。

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 藤岡氏から次のような明確な自己説明と状況説明をいただき、曖昧な靄がはれる思いがした。できるだけ多くの人に読んでいただけるよう、掲示のうえでも工夫したい。  

私の党籍問題について(投稿・藤岡信勝)

 西尾幹二氏の4月8日付けブログ「怪メール事件(一)」で、私の日本共産党の党籍問題が取り上げられている。私自身とつくる会の名誉のために、ここに正確な事実を明らかにしたい。この投稿の掲載を認めていただいた西尾氏に感謝する。

 湾岸戦争(1990-1991年)で目覚めるまで左翼だったという前歴を私は今まで一度も隠したことはない。党歴について語らなかったのは、あえてその必要もなかったからである。1990年8月の湾岸危機の勃発は、憲法9条を理想化していた私の思考枠を根底から破壊するものだった。この時期、産経新聞を読むようになり、1991年の前半に急激に思想的転換を遂げた。

 平成3年(1991年)年8月から翌年の8月までの丸一年間、私は文部省の在外研究員としてアメリカ合衆国に派遣された。家族ぐるみで渡米する前に、私は所属していた日本共産党を離党した。それは私の意思と合致していたと同時に、共産党の規則に従ったものでもあった。それには次のような事情があった。

 1970年代のことと記憶するが、韓国で太刀川という人が国際的なトラブルを起こすちょっとした事件があった。この人がたまたま日本共産党の党籍があったために、日本共産党はかなり不利な立場に立たされた。そこで、これ以後、長期にわたって海外で活動したり生活したりする党員は離党させる規則がつくられた。

 1年間の在米体験は、みずから獲得した新たな立脚点の正しさを確信させるものとなった。日本に帰国してから、私は自分が属していた支部の責任者に、「考えが変わったので党をやめる」という意思表示を行った。その人は特に引き留めもせず、私の意思を了解した。それ以後、ただの一度も党の関係者と接触したことはなく、また党の側からも私を呼び出したりしたことは一切ない。ついでにいうと、私の妻も地域支部所属の党員だったが、上記と全く同じ時期に、同じ手続きで離党した。

 私が歴史教育の改革に取り組む前に明確に離党の意思表示をしたのは、その後の言論活動が日本共産党の方針と鋭く対立するのは明らかであったから、「反党分子」などのレッテルを貼られ除名されるのを予め避けるためであった。実際、従軍慰安婦問題などについてのその後の私の言論活動に対する共産党の攻撃は熾烈を極めたが、私は党を除名されていない。私が先に離党していたからである。

 西尾ブログには、上記の私の離党の経過について間違っている箇所があるので指摘しておきたい。西尾ブログは、私の発言として《帰国後も離党のままにする旨口頭で東大の主任教授に伝えた》と紹介し、《東大教育学部が共産党と人事面で一体となっていた恐るべき実体を今にして知ることが出来た》と書いている。私は「私が属していた組織の責任者に」離党の意思を伝えたとお答えしたのだが、「私が属していた組織」という言葉を西尾氏は、大学の学部の学科やコースなどの「組織」と混同したらしく、「責任者」が「主任教授」に西尾氏の頭の中で変換されてしまったようだ。東大教育学部が共産党と人事面で一体となっているなどとは全くの事実無根である。

 また、西尾ブログには、次のような記述もある。《入党や離党が「口頭」でできるものなのか、入離党の規律は90年代には査問もなく、そんなにあっけらかんとしたものになってしまったのか、いまだに私にはよく分らないし、謎である》。私の学生時代には党員証というものがあった。ところが、党員証の紛失事故が頻発し、ある時期から党員証などの証明書を発行することはしなくなった。少なくとも私が所属してきた組織に関する限り、共産党は文書主義をほぼ完全に払拭していた。だから、私は文書で離党届を提出したのではない。口頭で伝えたあとは、責任者が上部機関に対して報告し、そこで何らかの処理が行われたものと思われる。しかし、それ以後のことは私は関知しない。

 「査問」についていえば、党員の身分のままで「反党行為」と称される行為をしたと推定される人物についてはなされるかもしれないが、自分の意思で離党する者には「査問」などあり得ない。昔は離党者に対して執拗な説得が行われた時期があるようだが、そんなことをすると「共産党はいったん入ると離党の自由がない」という噂が立って、新規に入党する人がいなくなるということで、離党者への執拗な説得はしてはならないことになっていた。西尾氏の記述は、戦前や戦争直後の共産党に対するイメージや知識で現在の共産党を見ているもので、実体とはかけ離れている。

さて、そこで、今回の発端となった差出人不明のファックス文書であるが、3月8日に西尾氏宅に届いたという文面を読むと、これがガセネタであることは簡単に見破ることのできるシロモノである。例えば、《H10 東大大学院教育学研究科教授》とあるから、この年、教授に昇進したという意味なのだろうが、これは全くのデタラメである。私が教授に昇進したのは、平成3年6月で、私の人事記録で簡単に証明できる。私の教授昇進が平成10年だとすると、平成8年に刊行した『教科書が教えない歴史』に著者である私の身分を「東大教授」としているのは経歴詐称ということになる。

 この一行だけで、「警察・公安情報」と称するこの文書がいかにひどいガセネタであるかがわかる。その他の行もほとんどすべて間違いだらけである。この文書の最大の眼目は、《H13 日共離党》の一項であろう。そうすると、この年まで私は日本共産党の党員で、いわば私は共産党のスパイであるかのようなイメージになるが、スパイは既存の組織を弱体化したり破壊したりするために活動するものである。ところが私は、自由主義史観研究会や「新しい歴史教科書をつくる会」などをゼロから立ち上げてきたのである。

 こんなガセネタを流してまで私を貶めることに利益を感じている人物がいることになる。しかし、このような卑劣な方法は断じて許されるものではない。私自身とつくる会の名誉のために、この問題を徹底的に明らかにする。(4月10日午後)

4/10 藤岡論文追加

産経新聞への私の対応(四)――共同謀議の可能性――

 福地惇理事のお話によると、3月28日の理事会が終って、関係者が居酒屋に集合する約束だった。すぐ帰宅に向かった人は別として、会合に出ると約束していてなかなか来ない人が何人かいた。八木秀次氏、新田均氏など何人かの理事である。

 彼らは別の天麩羅屋にいるということで、事務局の鈴木尚之氏が携帯を入れて早く顔をみせてほしいと言い、やっと八木、新田の両氏は一時間半も遅れて会合場所に現れた。八木氏は「あゝ、天麩羅を食い損なった」と言って席につき、「お待たせしました」の挨拶の一言もないので、福地氏は例によって礼儀を知らない無礼な奴だと思ったので遅れた時間を覚えているという。

 この一時間半が問題である。ここで彼らは誰と会い、何をしていたのか。産経の渡辺記者や前事務局長の宮崎正治氏と密談をこらしていたのかいなかったのか、それはまだ分らない。渡辺氏は私に理事からの取材は電話で行ったと伝えている。彼らは天麩羅屋で密談し、産経新聞を誘導する電話の内容を練りあげたのかもしれない。

 いずれにせよ、当夜ウェッブ産経に、そして翌3月29日の東京朝刊に、「八木氏が会長復帰へ」というまだ決定されていない内容が大見出しで掲げられ、「宮崎氏事務局復帰も検討」「西尾幹二元会長の影響力を排除することも確認」という、理事会の議事内容と反する事実が表現された。

 渡辺記者は種子島会長からは勿論電話取材をしているが、八木派の理事以外の他の一般の理事からはどうやら取材していないらしい。

 問題は3月29日の記事だけでなく、3月1日、2日、9日と立てつづけに八木氏を支持する一方的な偏向記事が連続して出て、産経の会社としての意志を示すかのごとき誤解を広い読者に与えた。11日と12日の評議員・支部長会議を前にした微妙な時期であっただけに、「つくる会」会員一般に、これらの記事が「圧力」として作用したことを疑うことができない。

 産経の住田社長は私にも、田久保、高池の両理事にも、つねづね、「つくる会」の人事には干渉しないだけでなく、関心をもってもいけないと社員には注意していると語っている。渡辺記者の偏向記事は異常で、際立っていた。高池理事が渡辺氏に「一方の話ばかり書いている」と電話で直接抗議したこともあった。私もじつに異様だと思っていたが、自分の名前が出るとき以外には何も言えないので黙っていた。

 渡辺記者に対しどういう処分がなされるかは産経の問題である。八木、新田の二理事が天麩羅屋で共同謀議をしていたか否かについては「つくる会」の理事会に調査権がある。物事を自分に有利に運ぶために報道機関を利用した罪は重く、悪辣であり、調査の結果いかんでは、「つくる会」からの二理事の追放処分が当然の措置となる。

 一連の怪メール、ファクスによる脅迫も八木氏のみに有利になるための工作で、いずれ天下の白日にさらす必要がある。

 尚これとは別件だが、2月28日の理事会の投票に関して、不在者票はカウントされなかったが、それはそれとして、「八木宛」とされる中西輝政氏の用紙はあらかじめ「八木会長殿」と一任する旨の文言が印刷され配達されてきて、すぐサインだけして送り返せというものだった。3月冒頭に中西氏ご本人から直かに聴いた人の証言による。遠くにいて、事情の分らない理事の票を偽装工作までして集めたという姑息な手がとられていたのである。尚、工藤美代子氏の委任状は手書きで藤岡氏の自宅に直送されている事実も確認されている。

 ところで、「日録」の4月4日付けの同記事(三)のコメント欄に「松田」という名で書きこまれているご意見は『諸君!』論文に関連して述べられている内容だが、私の気持ちに添うものなので、ここにあらためて掲示させていたゞく。

過去録を読んで、過去に教科書リライトに関してどういう軋轢があり、それが今回のすったもんだの背景をなしていたことも分かりました。

(中略)

 ただし、この一件そのものは、今回の産経新聞記事による誹謗中傷事件とは分けて考えるべきだと思います。なぜなら、産経新聞は扶桑社の出版案内でも社内報でもなく、一般売りされている全国紙だからです。
 今回の捏造誹謗事件の要点は、事実報道を旨とする新聞という公器において、一団体や一個人に対して事実とは反する報道を意図的、ないし過失によって行なってしまった。この生じてしまった報道被害に対して、産経新聞はどう対応をとるのかとらないのかということであります。その捏造記事の背景に自社関連会社の利害があったかどうかは、この際関係ないのであります。問われているのは、むしろ産経新聞の新聞としてのクオリティそのものであります。

 ここで、また長野県知事の捏造記事事件を例にとるのは、多少いやらしいかもしれませんが、わかりやすいので挙げます。長野県庁ホームページで音声ファイル公開されている知事定例会見をときどきお聴きになっている方はご存じでしょうが、あの記者会見(表現道場)において、朝日新聞も信濃毎日新聞もつねに田中知事に対して敵対的であり、ネチネチとつまらない質問を際限なく繰り返しています。これは朝日も信濃毎日も地元長野県企業から広告をとっているので、地元企業やその代表である県議会と対立する田中知事に間違ってもいい顔はできないからであります。つまり、朝日新聞は本来は田中知事とは利害を異にする会社なのであります。ですから、捏造記事事件においても、田中知事の抗議を受けて記者を処罰するということはしたくはなかったはずですが、やはり公正中立で事実報道に徹する新聞という建て前から、解雇という異例とも思える厳しい処置に踏み切ったわけであります。この際、朝日新聞と田中知事の間にはさまっている利害は関係ありません。むしろ相反するからこそ、ポーズとしても厳しく出ざるをえなかったのです。

 ですから、今回の産経新聞・西尾幹二問題に関しても、産経新聞がその子会社である扶桑社と利害を共にするからといって、新聞としてモラルに反する結果となってしまった記事やそれを書いた記者をそのままにしていいということにはなりません。朝日新聞事件からもわかるとおり、そこになんらかの利害の関与が疑われる場合にこそ厳粛に襟を正さなければならないのです。それがまっとうな会社というものです。ましてや、W記者は西尾ブログで抗議されるや、勝手に飛びだしてきて、2ちゃんねらーまがいのウソにウソを重ね、会社の顔に泥を塗った社員なのです。これをそのままにした日にはなんぞ、うちの新聞はどうせ三流紙でありんすから、記者もこんな程度でようござんす、え、うちの記事なんてしょせん扶桑社の出版案内程度のもんでござんす、と自分で言っていることになってしまいます。けれども、こうした事前了解がおそらくは産経新聞上層にはなかっただろうことは、W記者が名指されてもいない段階で、泡を食って飛びだしてき、直接交渉でもみ消しをはかったことからもわかります。よって、当該記者に対しては、なんらかの処罰が産経新聞自身による社内調査によって科される可能性が高いと思われます。そうでなくっちゃなりません。

 4月2日付の(二)のコメント欄にある「松田」さんの文内に朝日新聞の事件が次のように説明されている。

最近の似たような例では、長野県の田中知事が朝日新聞記者の捏造記事によって被害をうけ、記者が処罰されました。報道被害を受けた者が、好むと好まざるとにかかわらず、相手に抗議せざるをえないのは、それが新聞という何百万も刷って世間に配布される公器によるものであるからです。しかも、匿名記事・伝聞ときてはもはや放置できないでしょう。
・長野県知事記事捏造での朝日新聞のおわび

4/5 一部修正

産経新聞への私の対応(三)――『諸君!』なども――

 昨4月2日夜、産経の渡辺記者から直接電話があった。昔から友好関係を結んで来た方だけに静かな口調で話し合うことができた。ただ今回に限り一方に偏した報道内容には3月1日付の「院政」云々の憶測記事以来、北海道支部の誤報抗議もあり、言わずもがなの田中上奏文解説もあり、最後の私への名誉毀損をはらむ一行で、意図的な読者誘導は明らかであった。私も黙っているわけにいかなくなった。

 渡辺氏を無用に苦しめるつもりはないが、私は前記(二)に記述した通りで、考えを変えることはできない。この後は「貴方とつくる会会長との話し合いになるだけである」と私は答えた。そして、「理事会の確認と異なる誤情報を意図的に貴方に伝えた一人ないし複数の理事の名を貴方は結局は明かさなければならないだろう。さもなければ貴方は自分の立場を維持することができなくなるだろう」と申し上げた。

 渡辺氏は情報源に対しては守秘義務がある、の一点張りだったが、これはおかしい。守秘義務とは、身に身体上の危険の及ぶ可能性のある人の秘密を守る、というのが本来の趣旨で、今回のようなケースには当て嵌まらないと私は今申し上げておきたい。

 3月に入ってから「つくる会」の周囲には精神的になにか異様なものが漂っている。怪メール、脅迫状、偽情報を用いた新聞利用――などなど余りにも不健全である。「つくる会」がこれからいかに再出発しようとしても、こういうただならぬ空気を抱えた侭で自由で、暢びやかな活動が果してできるのであろうか。私はそれを心配している。

 さて、別件であるが『諸君!』5月号の仮名記事の筆者・西岡治秀なるジャーナリストは、私の推定では扶桑社書籍編集部の教科書担当者の真部栄一氏ではないかと考えられる。一昨年の教科書リライト問題において日録にM氏として登場している前後の記述(ここをクリック)※をお読みいただきたい。

 また文中のAさんは工藤美代子氏である。工藤氏の名誉のために言っておくが、感情的な意趣晴らしをはらむ間違いだらけの情報内容であった。私に関する見当外れについてはあえていま何も言わない。

 全体をよく読むと元事務局長の言い分だけを取材した文章であり、「事務局長の資質」「八木会長の指導力」の問題があると指摘しながら、ほとんど掘り下げないで逃げている。この二点こそ今回の事件の核心であるのに、論点をすり替えて、理事たちの心情をあれこれ憶測するだけの無責任な内容になっている。

 それでいて自分の勤務する会社に対し自分を守り、弁護し、個人的に恨みを抱く何人かの人に適当に意趣返しをして、また誰かに肩入れして、会を自分のつごうのいい方向に動かそうとしていて、全体としてまさに「愉快犯」のごとく振舞っているいい気な文章である。

 「つくる会」に残った人の中にも少数だが理想を失っていない人がいる。彼らは「事務局長の資質」「八木会長の指導力」に疑問を突きつけてきた。彼らは世間に広くまだ名前を知られていない。彼らがいや気がさして会をやめれば、そのときこそすべての幕が閉じるであろう。

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※ 参考箇所抜粋(過去録・教科書リライトについてより)

①(平成15年7月15日    (二) 重要発言より)
 教科書を担当している扶桑社の書籍編集部は、じつは私の一般書籍の出版を引き受け、私がひごろ世話になっている部局でもある。現に同じ時期に『日韓大討論』の製作が進行中で、5月30日付で同書が出版されている。書籍編集部の責任者M氏はPHP時代に『国民の油断』を出版した歴史教科書問題のベテランであり、「つくる会」運動に最初から関わってきた出版サイドの中心人物にほかならない。

 彼が問題の所在が何処にあるかを知らぬはずはなく、彼に悪意や変心があるなどとはまったく考えられない。私は彼の人柄をよく知っている。彼は私の永年の盟友である。しかしリライト作業が始まってから以降、「つくる会」の教科書を他の七社の教科書とは異質なものとして際立たせ、主張するのではなく、できるだけ同質のものに近づけようとする平均化への働きかけが、強力に、休みなくわれわれに向けられた。

 私はM氏自身さえ気がついていないなにか別の力が目にみえない形で作用していると考え始めていた。採択を成功させるため、という表向きの理由はよく分かっている。私はそこにもうひとつの別の力が介在している、と言っておきたいのである。分かり易くいえば、文部科学省と教科書協会の予測不能な圧力を、扶桑社自身がなんとなく予感し、意識し始めているということである。

 しかし、だからといって、今の私の目の前に出されたテキストの第一素案の現物を「これで結構です」と黙って看過すことは私にはできなかった。

②(平成15年7月15日    (三) 重要発言より)
 少しでも現場の教員の通念に合わせることで採択してもらいたいという欲求のために、会は本来の目的を見失っています。文部省はページ数の制限を求めていません。教科書協会が文部省との間で話し合ったと称して、ページ数の大よその目度を示しているだけです。ページ数の目度も独禁法では許されない「談合」なのです。すでに市販本を出すなど教科書協会の枠を破って行動してきた「つくる会」の教科書が、今さら教科書協会にすり寄り、その基準に合わせてみたところで、だから採択に有利になるという保証はありません。採択のために、できるだけ世の教科書の外形に自分を合わせたいという編集会議と扶桑社スタッフの気持ちも分らないではありませんが、それは前回の失敗が生み出した心の迷いです。自らの特色、自分のもっている良さを見失ったら、元も子もないのです。

 そこで以下私は編集会議と扶桑社スタッフに次のことを要求します。
 ①五月二十三日付「つくる会FAX通信」が明示した「総ページ数を320ページの現行版より約100ページ減」の方針を改め、削減幅を約20ページ減の程度に修正する。
 ②本文テキストは表現の平易化、漢字の平仮名化、中学生に不要な知識の削除などを主な改筆作業の課題として、現行教科書の叙述の流れと表現とを可能なかぎり踏襲する。(ガラリと別のイメージを与えるものにしない。)
 ③現行版のコラムをもう少し整理短縮し(例えば現行二ページの人物コラムを一ページにしたり、コラム「日本語の起源と神話の発生」や「明治維新と教育立国」――これらは私が書いたものですが――などをとり除く等)主なページ削減はそういうところで実行する。
 以上はすでに改筆作業の始まる前後に、編集会議のメンバーに、私が文筆で二度、理事会で一度、要請した内容とほぼ同じです。私の要請は三度無視され、その結果、教科書は今のような状態になっています。
 
③(平成15年7月15日    (三) 重要発言より)
 もはや私の力を越えたところですべてが行われております。私は会の理事でもなく、編集委員でもなく、いかなる権限もありません。ただ現行版の代表執筆者として傍らで観察する役割を与えられていると信じ、ここに警告を発し、ご協力をお願いする次第です。

 私は現行版の維持にこだわっているのではありません。そうではなく、現行版をいっぺんに解体して一から作り直そうとするということで果たしていいのか。現在リライトを進める編集会議と扶桑社のスタッフに誰もそこまでの権限は与えていないはずです。分量を三分の一も減らせば一から書き直すしかないのです。本のリズムはこわれてしまいます。分量を大幅に減らす方針を扶桑社サイドから出され、会が押し切られたことに最大の原因があるようです。

産経新聞への私の対応(二)――種子島会長の書簡公表――

 29日朝の産経新聞29面に昨夜の「つくる会」理事会の内容が報道されているが、11時12分に、「つくる会」本部から「FAX通信」第170号が送られてきた。この通信の発行者は「つくる会」本部である。

 それは理事会報告の概要を伝えた後で、四角で囲んだ次の特別記事を掲げて読者に注意を促している。

 

『産経新聞』(3月29日付朝刊)で報道された理事会の内容は、憶測を多く含んでおり、「つくる会」本部として産経新聞社に対して正式に抗議しました。とくに、「西尾元会長の影響力排除を確認」「宮崎正治前事務局長の事務局復帰も検討」は明らかに理事会の協議・決定内容ではありませんので、会員各位におかれましては、誤解することの無いようにお願い致します。

 上記内容は会長の承認を得ているはずである。会長の意向に反して何ものかが捏造記事を記者に流したことを意味する。理事会に出席していたある人に電話で聞いた処によると、新聞は他にも事実に反することを書いている。八木氏が先に解任された主な理由が会長としての職務放棄、指導力不足にあったことが昨夜の理事会で確認されているのにそれは述べられていない、など。

 産経新聞の記者の中に明かに会の一部の勢力の謀略に協力して、捏造記事を※書く者がいることが以上で明瞭になったので、私に対する名誉毀損も含まれているので、本日、産経新聞住田良能社長に書簡を送り、事実調査をお願いした。記者の名を公表し、厳重に処罰することを要求した。書簡は29日付の郵送である。

※下線部分を以下のように訂正いたします。
それとは気づかずに、公式見解と記者が取材で得た事実を区別しないで

(上記訂正理由:渡辺記者から次のような内容を含む通信が管理人宛にきましたので、記事そのものが捏造ではないことを確認し、一部訂正いたしました。)

FAX通信についてのつくる会への抗議に対して、けさ種子島会長から電話で返答がありました。要旨は「記事が間違いだという意味ではない。今大事なときなので、過激な人たちを収めるために『公式発表と記者が取材で得た事実は区別して読んでほしい』という意味でFAX通信に書いた。辞めた西尾先生がブログなどでつくる会に言及することは理事一同迷惑している。また、宮崎さんについては記事の通り4月から戻ってもらう」との内容でした。

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4月2日の新稿はここからです。

 上記のいったん取り消した「捏造記事を」の五文字を復活させ、原文にもどします。

 (上記再訂正理由:種子島会長から「西尾幹二日録訂正お願い」という連絡が、管理人の長谷川さん宛てに4月2日午前9:58に入りました。種子島氏の全文を私の責任で掲示します。これによるとやはり「捏造記事」であったといわざるを得ません。)

Subject: 「西尾幹二日録」訂正お願い

4月1日付け日録、産経新聞記事に関する箇所で、渡辺記者から管理者あて
メールで、小生談話として紹介されていますうち、西尾名誉会長及び宮崎氏
に関する部分は、小生発言した覚えなく、同記者にも確認を求めております
。この点、日録上で訂正下さい。以上

 大切なことを申し上げます。私は渡辺記者を責めているのではありません。種子島会長の公式見解と明らかに違う「西尾の影響排除」「宮崎氏の事務局復帰検討」という虚報を産経記者に意図的に流した会の理事ないし幹部がいるということが明瞭になりました。

 誰がリークしたのでしょうか。渡辺記者は情報提供者の名を明らかにすべきです。それができないというのなら「捏造記事」を書いたインチキ記者の汚名を甘んじて受けるほかありません。

 なおコメント欄に出ていた次の指摘は理にかなっています。

違った見方をします。内部情報提供者による情報操作と思います。東京支部板に書きました。

>産経ウェブより 本文省略
>(03/28 21:53)
・先ず第一に、理事会が28日午後7時から開催されて、いろいろ言われているような議事進行があったとして、産経webが、上記時間(21:53)に発表できるということは、事前に事務局または八木前会長筋から、情報が流れていたということになる。
・しかも、理事会で論議されていなかったことが、あたかもつくる会の公式見解のごとく産経が書くのは、予め流した原稿が一定の予測(シナリオ)であったことを意味する。実際の理事会では議論されていなかった部分は、つくる会fax通信の末尾で「抗議」の形で訂正している。
・そこで推理すると、産経記者w氏がつくる会内部(事務局員または最近宮崎氏に代わり頻繁に事務局に出入りしているS氏)と通じていることである。八木前会長の関与が大であろう。

Posted by: 中年z at 2006年03月30日 14:04

 渡辺記者はどういう時間帯に誰から取材し、28日21時53分までにWEBに上げるのに間に合わせたのか、も明らかにしてほしい。

 信頼する複数の理事からいただいた説明によると、理事会では会長が宮崎氏の円満退職を淡々と報告し、それで終り質疑応答もなく、宮崎氏の話題はそれからいっさい出ていないそうです。

 ある理事が西尾の「院政」云々を話題にしようとしたが、別の理事が「誰が外で何を言おうが自由だ。それに踊らされる皆さんでもないでしょう。しかも、西尾さんは正しいことも言っている」別の一人が「先輩のことばだから聴くべきことは聴くべきだ」と言った後、「院政」云々を持ち出した理事も沈黙したそうです。予想外にこの日はおとなしかったとか。西尾の話はそれ以上出ていないそうです。「影響排除」などは討議も確認もされていないのです。

 従って3月28日の産経記事は明らかに異常であり、特殊な力が働いた突飛な内容で、恐らく八木支援者側の理事もわが目を疑うほどの虚報であったでしょう。渡辺記者は何者かに操られたのです。その人の実名を公表する以外に記者が身の正しさを証明することはできません。

 じつは今回はおかしなことが相次いで起こっている。3月に入ってから理事や出版社や私に白紙で名無しの怪メールのファクスが乱れとび、昨4月1日にまでも私あてに脅迫まがいのファクスが来ました。(いつか公表します。)それは必ず私と誰かを分断し、一定の勢力を有利にしようとする内容で、明らかに会の裏面を知っている近い筋の人の手になるものです。

 渡辺記者がそうした勢力に利用されていないことを証明できることを今は祈るばかりです。

 私は心機一転して、昨日は「桜の咲く少し前」を日録に出して、バカバカしいことから離れたいと思っているのに、後から後から追いかけてくるのです。申し上げておきたい。私は会に関与などしたくない。一般会員証も返したいと思っている。たゞ私は不正を憎んでいる。なにかがおかしい。今回はなにかが狂っている。

 私の持っている全資料を駆使して実情をマスコミに明らかにする日が近づいているのかもしれない。