私の家に3月8日に届いた最初の「警察公安情報」の出所が何処かは、勿論分らない。「発信04481」という信号は、私には何のことか見当がつかない。
怪メール事件は2月27日と3月28日の二つの理事会の間に起こり、「つくる会」を揺さぶった。それが問題である。会が八木=宮崎プラス四人組のグループとそれ以外の勢力に完全に割れてしまっていることは、この問題を考える前提である。そして八木氏は2月27日に会長を外され、屈辱の中にあった。会長としての職務放棄と指導力不足、具体的にいえば、長期にわたり理事会を開かず混乱を放置し、唐突な会長声明を出してそれをまた取り消すなど、何をやっているのかといわれるような体たらく振りが理由で、解任されたのに、自分は何も悪いことをしていない、不当な解任だと言いつづけていた。そのことは既報の通りである。(解任は票決によるもので、議長票を入れれば7対5という厳粛な決定である。)
3月20日福地惇理事は八木、宮崎両氏と会談した。八木氏は自分の方から「警察公安情報」の存在を知っているか、と問うた。福地氏は「単なる噂ではないか、自分は見ていない。それは何処に根拠があるのか」と問い質した。八木氏は「単なる噂ではない。公安情報を正式につかんでいる。警察公安と自分はパイプがあって、これには確かな証言がある」と自信ありげに、得意げに強調した。
八木氏は会談中に同テーマを二度も口にし、強調したそうだ。恐らく他のさまざまな人にも言って歩いているのであろう。情報メールを私に送ったのはひょっとして八木氏自身ではないかとさえ思うが、真偽は分らない。しかしメールの発信者でないとしても、公安とのパイプを強調し、それを種子に「つくる会」の理事を貶める言動を示したことは、メールを未知の人に秘かに送るのと同じ行為である。少なくとも公安を用いて仲間を脅迫していることでは同じである。
八木氏は一体自分がしていることがどんなに恐ろしいことかに気がついているのだろうか。氏は「公安のイヌ」になり下がっているのである。
昔ならそれだけで言論人としての資格剥奪である。今だってそれに近い措置をされても文句を言えまい。
八木氏は大きな政治背景をもつ謀略の意図があってやっているのならともかく、それよりももっと悪いのは、謀略のまねごとに手を出し、自分が何をしているのか分っていない「未成熟」な人間なのである。私は丁度そのころTVに問題にされていた民主党偽メール事件の永田議員と同じだなァ、と思った。永田議員は小泉内閣の幹事長が憎い。シメタと思って後先を見ない。藤岡氏が憎い、シメタと思ったのとよく似ている。
やっていることは「政治ごっこ」である。それでいて仲間を確実に傷つけ、自分の属する会を内部から撹乱し、不信感をかき立ててきた。
そしてさらに重要なことは、産経の渡辺浩記者は今日までに八木サイドとの関係をすべて打ち明けたようだ。渡辺氏は「警察公安情報」をずっと前から何度も八木氏から見せられ、炊きつけられ、記事のトーンが八木サイドになったのはそのせいだ、ご免なさい、と謝罪したそうだ。これは重要である。
謝罪の言を聴いた人は高池勝彦氏と藤岡氏で、渡辺記者は自分の報道の偏りを認め、八木=宮崎サイドにのみ情報ソースを求めていたのは失敗だったと告白したそうだが、私にはどこまでもまだ間接情報である。けれども八木氏が「公安のイヌ」となって、自分の地位上昇のために、新聞記者を威して、報道を誘導し、ねじ曲げさせたことは疑いを容れまい。
仄聞する処では八木=宮崎その他四人組の一部はいつも合議し、そのつど渡辺氏が呼ばれて同席していたという。3月1日、2日、9日、29日の偏向報道の上手に仕組まれた構成はこうして作られた。
とりわけ11、12日の評議員・支部長会議を前にした9日の二つの記事は意図的である。「つくる会北海道支部が反旗、前会長解任、白紙化を要望」は北海道支部から事実誤認と抗議が発せられたことからみて、意図的贋報道である。次いで、つねづね藤岡ぎらいの伊藤隆氏に懇請して、藤岡氏非難の「つくる会」退任の弁を書かせて(ヤラセである)、タイミングを見計らって辞意を新聞にのせさせ、前記会議で、内田智理事が読み上げた。これも同日新田均理事が袋一杯の悪言罵倒文書をつめて、出席者に配ったのとあいまって、彼らが新聞との連携プレーで、学生運動まがいの情宣活動を展開した記録の痕跡である。
尚新田氏と八木氏は早大大学院政治学科小林昭三ゼミの先輩後輩の関係で、八木氏は先輩の結婚式にも招かれている近い仲である。
不思議なことに八木氏は汚れ役をやらない。人にやらせる。彼は11、12日の評議員・支部長会議に姿をみせなかった。6日の首都圏支部長会議にも出席しない。批判を浴びそうな場からはパッと身を引く。「逃げも隠れもしないよ」という男らしさがない。理事会を長期間開かなかったのもこの手である。連絡をしないで相手をじらせる手も知っている。そしてウラで知能犯的な作戦を練る。小型スターリンの真似である。身体を張らないで、上昇志向のみ強く、心は冷たい。
こういうタイプが会長になれば「つくる会」は異様な雰囲気の漂う、自由にものの言えない沈滞した独裁体制になるであろう。そして何よりも、八木=宮崎プラス四人組グループ以外の多数派の理事が次々と辞意を表明し、逃げていくであろう。
どこまでも残留するのは、およそプライドというものを持たない藤岡氏であろう。何度も副会長を降ろされてなお辞めない。彼は教科書問題の残存する場所にひっついていなければ生きていけないからなのか。八木氏に奴隷のように扱われても、伏してお願いし、理事の末端に居残るだろう。そして最後に叩き出されるだろう。
このまま予定どおり八木会長体制が成立すれば、どうなるかの予想を描いてみた。八木氏は「公安のイヌ」であることを片時も忘れるな。
人間は目的のために手段を選ぶ。そこに人間の品位がかかる。
3月28日の理事会に先立って、種子島氏は八木副会長案を八木氏に打診した。八木氏は3月末にすぐ会長として復帰するのでなければいやで、副会長ならむしろ平の理事でいたい、と返答した。そして翌日誰かと相談したらしく、種子島氏に電話で副会長案を受け入れるとあらためて言ってきたそうだ。自分を何さまと思っているのだろう、とある人は言った。
しかし種子島氏はホッとした。なぜなら種子島会長は八木=宮崎四人組グループに、3月の初旬のあるときを転機に、完全にとりこにされ――なにか仔細があるかもしれない――今や百パーセント屈服しているからである。そこには理性も、道理も、判断力も、そして未来への予知力ももはや認めがたい。
かくて「八木問題」はいつしか「種子島問題」と化しているのである。
「私の党籍問題について」という藤岡信勝氏の文章が「怪メール事件」(一)に掲載されています。
4/10 赤字文章追加
今日の日録を拝見しました。
いよいよ誹謗中傷の度合いが鮮明になってきましたね。私は先生のお仕事に感嘆し、尊敬してきました。一連の作る会関連の記述も先生に振りかかってきた火の粉を払いのけるため・・・と解釈してきましたが、昨日といい今日といい、反論や弁明の域を大きく逸脱した誹謗中傷になってしまっていることに深い悲しみを覚えます。良識ある人なら、今の先生の言動に悲しまれることでしょう。
今日の日録を見る限り、早稲田大学ライトウイングサークル出身者が新しい歴史教科書を作る会の全権を握ったようですね。八木先生、新田先生、宮崎先生には心からお祝いの言葉を申し上げたいです。これで骨太の右翼・保守派の優秀な高校生達が早稲田大学を目指すようになれば早稲田大学にとって少子高齢化大学競争社会の中を勝ち抜くためにはプラスであると思いますし我が国の大学アカデミズムにとってもプラスでしょう。
ただしこれから八木先生が新しい歴史教科書を作る会をうまくマネジメントできるかは難しいです。マイナーライトウイング運動をやっていた人が大組織を動かすことができるかという人間力の問題と保守派論客の重鎮である西尾幹二氏と同レベルのオピニオンを発表できるかという知力・教養力の問題があります。知力・教養力の問題は若手の発掘に期待するとしてなんといっても人間力が重要が重要です。
まずは会員諸氏と酒を飲んだりカラオケ、ビンゴゲームをしたりしてアットホームかつ庶民派のリーダーを目指すべきでしょう。とにかく俺は大組織の幹部になったんだという慢心はいけません。
さて、藤岡信勝氏の共産党歴の問題ですが、これは簡単な問題です。藤岡信勝氏は共産党のアカデミズムコネクションで東京大学教授に昇進したわけですから、正式な離党はいつかは別にして教授昇進時こそが実質的に共産党を離党した時でしょう。東京大学教授のポストを手に入れればなにも共産党に忠誠を誓う必要はありません。藤岡信勝氏の思想傾向の変化は共産党員であったことを除けばレフトウイングから保守化した一般の団塊世代の方とさして変わりません。転向論を書こうと思っても書けないでしょう。なんとなくレフトウイングだったんでそんで大学教授昇進に有利だから共産党に入党したんだけどやっぱしもうそんな社会的影響力が無いんで離党したなんて話は普遍性も無いし暴露話としても面白くありません。
既に東京大学教育学部アカデミズムは共産党ではなく天野・藤田両氏の下で経済学なり統計学をマスターした東京大学教育学部プロパー達が共和制論的立場から構造主義的社会学の牙城をつくりあげました。東京大学教育学部発の「格差社会論」、「不平等社会日本」は今や論壇を席巻しています。我々の敵はこの共和制論者達であって共産党ではありません。とりあえず藤岡信勝氏にはこれからも保守派論客として頑張って欲しいです。残念なのは藤岡信勝氏の血統が東京大学では藤岡一代で途絶えたことです。せめても、藤岡信勝氏の血統の保守派教育学者が地方国立大学の教授ポストくらいはゲットしてくれればいいのですが。
これから八木先生、新田先生、宮崎先生はまた学生運動をやっていた頃と同じように冬の時代を迎えるかもしれません。しかしとりあえず入れ物だけは最低限残すように努力すればいい。そうすれば必ずまた未来の骨太のライトウイング&保守派論客の活躍できるエネルギッシュな組織が蘇生されるでしょう。
早稲田実業学校が今年の選抜高校野球大会で関西高校と球史に残る素晴らしい試合をしベスト8に入ったのは斉藤投手の大活躍もさることながら甲子園に出場できない冬の時代を古豪早実の名を絶やさないように黙々と耐え続けた歴代早実ナインの努力のたまものでもあります。スーパーエース荒木大輔の卒業した早実。それが西尾先生が完全引退した新しい歴史教科書を作る会にほかなりません。
前々回のコメントへの返信ありがとうございます。
>永谷さん、私はこれらを黙秘すべきではないと今は考えだしている。
私は先生のおっしゃる怪文書というのが、つまらない脅迫の類だと思ってコメントしたのですが、実際にはこんな重大な事実が書かれ、実際に会に甚大な影響を与えたとは知りませんでした。脅迫の具体的な事実や、今日の八木さんの記事をよみ、
具体的な事情が書かれるにつれ、最初の「つくる会顛末記」を書かれたころと、明らかに状況が変わってきているし、実際のいきさつの重大さ、あげくに公安云々では事件性まで感じられ、黙って相手にしない、とはいかないというのもさすがに一理あるように思えてきました。
ただ、昨日の藤岡さんの記事のように、(他の人も書かれていますが)、性格の攻撃などは、まずいのでは……
過度の人格攻撃は批判でなく名誉毀損ととられ、先生に不利になるでしょう。書くにしてもせめて少し抑えた書き方になさったほうが賢明です。
日録の今後の展開はわかってます。
・種子島、藤岡はこうして変節した。
・福地理事はこう証言した(情報源はいつもこの人)。
・こんなひどい謀略文書がいっぱい届いた。八木たちしか知らないことが書かれてある。
・主犯は八木。4人組と扶桑社、産経も同罪である。
・こんな薄汚い会はつぶしてしまえ。良識派は去ろう。
ですね。
もういいです。先生の今の姿を見てどれだけのファンが悲しんでいるか…。よく自覚なさってください。
いろんな人がご忠告申し上げていますが、謀略文書を掲載するのはおやめください。藤岡先生の経歴問題はすぐに削除してください。
西尾先生は西尾ー藤岡の離間を目論む謀略文書に
まんまと引っ掛かって藤岡攻撃を行い、
ご丁寧に謀略文書の全文を公開してしまったのですね。
先生は「誹謗中傷」とか「おどかし」とかおっしゃいますが、
口頭やFAXでからかわれているだけで、
先生のように世界中にインターネットで流すのとは
次元が違うことを理解して下さい。
藤岡先生の名誉をどう回復するおつもりですか?
最初にFAXしたのは誰々だ、俺は来たものを「けしからん」と知らせただけだ
なんて理屈は通用しません。
からかわれたからといってカッとせず、
冷静になっていただきたい。
もうこれっきりにして下さい。
そして著作の世界で勝負して下さい。
渡辺記者の謝罪は、西尾先生の疑問が正しかったことの裏付けであり、重大な問題であると思います。
八木グループは、渡辺記者が嘘をついていると言う証拠がない限り、ゲームセットではないでしょうか。
もし証拠がないのなら、メール問題の永田議員の結末のようにならないよう、迅速な判断が必要かもしれません。
この場を借りて、ご連絡
コメントをいただいているある方から
怪文書の転載を一刻も早く削除するように
メールをいただきました。
管理人の責任が問われると書いてあります。
先生に転送いたしましたところ、返事として
続きを読んでください、とのことです。
昨晩、この旨を返信いたしましたが、
メールが届かないと帰ってきましたので、
この場を借りてご報告いたします。
>皆様へ
怪文書が広がると皆さん心配をされているようですが、
この怪文書には証拠がないのです。
ネットも発達してきていて、
根拠(証拠)のない情報はデマとして認識するだけの
知性が育ってきています。
これは永田議員の使った偽メールと同じ類のもので、
その同じものを使って藤岡先生を貶めようとしたのは八木氏で、この一連の流れは誹謗中傷ではなく、事実なのです。
西尾先生は、このデマを利用して藤岡先生を貶めようとしているのではなく、藤岡先生が被害者になっていること、
威されたことを白日の下に示し、ある意味
守っていることになるのではないでしょうか。
「つくる会」は今、危機的状況にあります。
その本当の意味での再生を願って、大手術をなさろうと決断された西尾先生へ、風当たりは強く、まるで破壊者のように受け取る方が多いようです。しかし、膿を含んだまま、傷口を縫い合わせ、形だけの「つくる会」を継続させたとして、本当に健全な形の運動を展開していくことができるのでしょうか?
「良薬は口に苦し」と同じで、西尾先生の言論は時にあまりに苦く、破壊的で、摩擦を呼びますが、皆様には是非、その先を見ていただきたいと思います。
藤岡先生を守っているなんて、まさか。
メール問題を口実に藤岡先生に悪口雑言しているじゃありませんか。
いつ離党したかは自分で釈明せよ、
君には共産党的人格が残っている、
と、書かれているじゃありませんか。
きのうも書きましたが、先生のやってることは
「怪文書募集中」と呼びかけているようなものです。
困ったものですね。
私の知人の弁護士は、「問題を解決するには、暗部を隠そうとせず、オープンにする事が一番大切だ。」と言っています。
つくる会の問題を解決するにも、暗部を隠さずにオープンに議論していくのが、一つの有効な解決方法なのでしょう。
西尾先生が書かれた事に異議があるのなら、お互いある程度の礼節は守りながら、しっかりと反論すれば良いのであり、妙な策略謀略など考えず、未来の日本の為に堂々たる議論をするべきです。
藤岡先生についてのFAXがつくる会の運営上で何らかの役割を担ったのであれば、当然それは論じられて然るべきだし、隠す必要なんてないでしょう。藤岡先生も、しっかり反論・説明すれば良いだけです。
西尾先生に一言言いたい幹部の方もいるでしょう。未来の日本のために、遠慮なんかせずに反論するべき事は反論するべきでしょう。「名誉毀損」などと法の力で議論を封じるのではなく、しっかり論じ合うべきです。
皆さん国士なのですから、日本の為に論を戦わせ、反省すべき点は反省し、本当の日本人の歴史教科書をつくって下さい。
多くの方が、西尾先生は、腐敗したつくる会など放っておいて、書斎に篭もって作品に専念されてはどうかとおっしゃいます。私は、間違っていると思います。西尾先生の作品世界の素晴らしさは改めて言うまでもありませんが、西尾先生の「凄さ」は、行動する思想家として、己の生きた時代への責任を果たそうとするその姿勢にあります。書斎に閉じ籠もり、威勢のいいことを言って、ときどき現実世界に茶々を入れる。情勢が思わしくないとみるや、また書斎に引き籠もり、嵐の過ぎ去るのをひたすら待ちわびる。多くの知識人がこうした振る舞いをするなか、たった一人でも誤解を恐れず、正しい事を外に出て言い続けてきたのが西尾先生です。これがどれほど勇気のいることか。保守言論界のみならず、日本を変えつつあるつくる会という運動は、行動する思想家西尾幹二なしに存在しえたでしょうか。
今、先生が戦っていらっしゃる悪は、まだ小さいものです。ですが、今膿を出してしまわなければ、10年後20年後に取り返しのつかないことになります。己の欲望のためには、怪文書をばらまき、新聞という公器を誤らせても恥じない、そうした邪悪な精神が保守言論界の中心に居座って権力を振るうことの暗黒。このことを見通し、真剣に憂えるがゆえに西尾先生は孤軍奮闘されているのです。産経新聞との名誉毀損問題も、西尾先生との関係について言えば些細な問題です。より重大なのは、捏造記事を書く産経新聞社と欺かれた読者の問題です。産経新聞が正しい事実を報道する新聞として生まれ変わることが、日本の将来にとって決定的に重要であると認識されているからこそ、物言えぬ読者に代わって戦っていらっしゃるのです。保守言論界と日本の行く末を真剣に案じ、そして愛していなければ、こんな汚れ仕事を誰がするでしょう。つくる会への未練だとか矮小化して物をおっしゃる方は、どうしてこの高貴な精神を理解できないのでしょう。
藤岡先生に対する悪罵についても、批判する方がいらっしゃいます。西尾先生の書かれた言葉は、読むに堪えない人格攻撃です。前後の文脈から見ても、必要のない文章です。あんな言葉を投げかけたら、品位を穢し傷つくのは、藤岡先生よりも西尾先生の方です。そんなことは、西尾先生が知らぬはずがありません。では、なぜ己を貶めてまで、あんな悪罵を衆目に曝したのでしょうか。それは、八木に屈服し、立ち上がろうとしない藤岡先生の怒りに火をつけるためです。この悪を前にして、目をつぶるならば人格として終わりだ。なぜ、藤岡はそのことに気がつかないのだ。本当に藤岡は、それでいいのか。そう西尾先生が叫んでいるように思えます。きっと、行動と言論で藤岡先生が西尾先生の呼びかけに応えるのを見届けたとき、言葉は役目を終え、密かに削除されるのでしょう。
私は、まだわずかに残る良識派理事たちが、西尾先生の呼びかけに応えないのならば、つくる会は終わりだと思います。そして、日本も。
西尾先生の文章を讀んでいて、藤岡先生に対して貶めてゐるといふ印象は受けませんでした。
これが削除しなければならないものですかね。
藤岡先生は、普通に考えてやはり變ですよ。共産党の人がどうしてある日突然逆のことを云ふようになるのか、誰だつて疑問に思つているでせう。
ここに書かれたことは新事実で、もし此れが事實とすればもはや「つくる会」は終わりにするべきです。なぜなら、そのような真実に對する不誠實さが蔓延している組織が、国家に置ける最も重要な仕事である教育に係わつてほしくないと思ふからであります。教育の根本は倫理道徳であり、正直さは學問の第一歩だから。
雪印乳業や三菱自動車は、社会的に制裁を受けました。これは缺陷品を作ったから制裁を受けたのでは、組織として不正直であって社会に對して不誠実だったから、世の中の制裁を受けたのです。
日本の保守層は、思想の転向といふものに対して無頓着でいい加減すぎる。すくなくても私はそう云ふ人は信じたくない。たとえば、西部邁氏なども全共闘で左翼だつたにもかかわらず、それについていかなる事情からそうなったか一切の説明を行つていないのを誰も問題にしないのは不思議です。
言論人の自浄能力の欠如と云はれても仕方がない。
さふいふやり方は、言論人同志でお互い庇ひあつて好き勝手やつている時は良ひが、言論人以外の人にはまったく通用しないのである。
私も西尾先生に賛同いたします。
のっけから大上段に振りかぶって大変恐縮ですが、黎明期には多少の混乱は付きまとうものでしょう。わが国の歴史を振り返っても、尊皇攘夷派でも開国派でも内部闘争がありました。保守、左翼という極めて大きな(粗い)分類では同じに属しても、思想信条の違いや人間性に対する考えの違いは集団になれば当然生じましょう。そしてその血なまぐささは、内部にいないと分からないもの。勿論闘争の原因も、内部告発という手段ではないと、つまびらかになるきっかけがないと考えます。
そもそも発端は産経新聞の「捏造」記事から由来したもので、先生がこれに反撃をされるのは当然でしょう。
我々は「保守」が一致団結しているなどど幻想を抱かずに、人間の集まりであることを確認すればいいのです。私はなぜだがホットした気持ちもありました。
そして一朝事あらば、外敵に対しては各々信じるところで内部闘争を一時棚上げして、当たってくれることでしょう。
何があつたのかは詳しく存じませんが、西尾先生はご自分がお作りになり、育ててきた組織の会員の多くが、不愉快に耐えてまだ会員として踏みとどまり、地道な努力を続けていることをお忘れではないでせうか。いい加減にしてください。
事ここに至っては藤岡信勝教授自らが、つくる会の理事会などの公の場で語っていただくほかないと思います。
共産党員としての初期から脱退に至るまでの活動の経緯、なぜソ連崩壊の頃の平成3,4年に共産党を離党したのか、そのとき渡米していたのはなぜか、共産党とは立場が全く異なるような主張をするに至った決定的な理由は何か、つくる会に関わるようになったとき共産党暦は隠そうとしたのかどうか、共産党暦が明らかになって今後もつくる会に残る積りかどうか。
>百舌きりさま
藤岡先生の文章を怪メール(一)に載せていますので、お読みください。
藤岡先生の投稿を歓迎します。
一部の人にとっては誹謗中傷のように受け取られたであろうが、西尾先生が差し延べた「誘いの手」に、藤岡先生が応えたのです。
何事も隠さず、臆することなく、互いに言論で闘う素晴らしい姿に、保守正論派の輝きを見る思いです。
願わくば、八木秀次氏にお二人のような潔さがあれば、と。
藤岡先生の投稿を歓迎します。
党籍問題に関する藤岡先生の真摯な証言は、誠に潔く、時宜にかなったものです。
一部の人にとって見れば「誹謗中傷」と映ったでしょうが、西尾先生が差し延べた愛情溢れる「誘いの手」に藤岡先生は正面から応えました。
私はこのお二人が、あくまでも言論で、臆せず隠さず闘う姿に保守正論派の輝きを見出しました。
それにひきかえ、八木秀次氏の卑怯は許しがたい。
私の諫言を逆手に取り、あたかもそれが藤岡先生の指令によるものと飛びつき、藤岡先生を「陰謀の首謀者」として攻撃しました。
真相究明のための評議員有志の呼びかけにも応えず逃げ回り、混乱の責任を取りません。
噂の産経記者は、このたびの謀略の手先になってしまった己の不明を恥じ入り、私に衷心の反省を申述べてくれました。
彼も過ちを認める潔さを持っている、前途あるジャーナリスト愛国者だと思います。今後の精進を待っています。
種子島会長にも再考を求め陳情したところです。
藤岡先生の文章を拝見しました。誤解が晴れてよかったです
ね。あれだけ間違いのあることを書かれながらも、落ち着い
て対応している文章に、藤岡氏の冷静さを感じ、立派だと思
いました。特に性格の攻撃に対しては何も言わず、目を瞑っ
てあげているのは、やはり西尾先生のことを思ってのことで
しょう。
共産党歴があっても、転向したのなら認めてあげるほうが
いいと思います。これは保守派の多くにいえることですが、
相手の多少の差異を攻めすぎです。同じ保守なのに、
少しアメリカへの態度がちがうと、親米だ反米だと責め、
それはまだ批判なのでいいのですが、それだけでもうあいつ
は保守ですらないというような偏狭な判断の仕様です。その
ような厳しい囲いを作るならば、当然、左翼から転向した人に
は、さらに厳しい判断がされてしまいます。英米の保守思想家
でも、オルテガやベルジャーエフなどは転向者です。そして彼
らは一流の保守思想家です。「敵でないものは味方」という態
度があってもいいのではないでしょうか。
藤岡教授がある種のタイプの人間であることはわかります(なんせ共産党に入るぐらいだから)。
ですから、その「パワー」を生かして教科書という局地戦(勿論これは重要)で思う存分戦ってもらえばいいのです。
西尾先生は、もっと広い見地から「人権擁護法」に反対され、茶の間のTVで嫌韓・嫌中ブログが自由に見られる日のために戦ってください。
西尾先生は単なるうわさ話を書き過ぎています。3月11日と12日に、九州くんだりから上京して評議委員会に参加した者の一人としてこのブログの成り行きを残念に思います。一泊二日を経て、今後の種子島体制に会の再生を託そうと決議したことをわたしは目の前で目撃しています。それにもかかわらず、このブログは新体制の種子島会長や八木副会長、藤岡先生の個人名を挙げての中傷話。「会の膿を出して」というもっともらしい意見もありますが、そんな言葉を信じる仲間はわたしの周辺にはおりません。運動をする者にとってけっしてプラスにはならないという声がしきりです。
ガセネタだということは、藤岡先生が弁解しなくてもわかります。そもそもここに載せたことは間違いですよ。
藤岡先生は傷口を広げまいと、あえて西尾先生からの中傷には反論しませんでした。会を潰さないための配慮です。
そういうみんなの思いをわかってください。
これ以上ガセネタを紹介するのはやめてください。
どちらが正しい正しくないということは、私のような愚民にはわかりませんが、少なくとも、今の西尾先生にとっては新しい教科書を作るという『公』よりも、ご自分の名誉という『個人』の方に、優先順位をおいておられるのだと思います。
MOMOさん
西尾先生がご自分の名誉を優先したとしても、それはむしろ当然ではないでしょうか。「公」と「私」をそのように分けてよいものか、げんざいの事態においては、私にはいくらか疑問に存じます。
とんでもないガセネタは、私とて読むも恥ずかしく、できれば公表していただきたくない気持ちにかわりません。しかし、ガセネタが西尾先生が仰るように、閉ざされた場で「公」の運営や意思決定を左右しているのだとすれば、それは一刻も早く白日のもとに晒さなければならないでしょう。
それを晒すエネルギーは、つくる会執行部すなわちタテマエとしての「公」には、おそらくないでしょう。闇を抱きつつそれを隠ぺいしながら「一致団結」を言っているのですから。
西尾先生はそこに危機感を感じておられるのでしょう。
先生が『個人の名誉を守る』という根源的な正義をもって暴こうとなさっていることは、「公」を蓋がわりに使おうとするものに対しての最終手段ではないでしょうか。
私には、先生の断腸のおもいが、ひしひしと伝わってまいります。
こうした展開は日本社会では珍しい。西尾氏のネット言論によって、日本社会の(和を以て尊しとなす)規範が打ち壊されつつある瞬間に思えた。
社会の規範について私が過去8年間教えていた内容の一部を以下に紹介する。
*****************************
●集団の「規範」
◇どんな集団にも、メンバーが守るべきインフォーマルな行動基準や価値基準(=「規範」)がある。これは集団の文化に相当する。
◇個人は集団の「規範」を取り込む
◇個人は集団に所属し始める初期には、自らの価値基準や行動基準と集団の規範との間にギャップを感じるが、集団に同調し、規範を取り込んでいくにつれてそうしたことが少なくなる。
●規範の取り込みに果たすコミュニケーションの役割
◇個人による集団規範の取り込みは、集団の「凝集性」を高めるために重要であるが、この集団規範の取り込みに際して、集団から個人へのコミュニケーションが大きな役割を果たす。
◇つまり集団には一定の規範を全体で共有し、凝集性を高めようという働きがあり、そのために活発なコミュニケーションが行われるが、ここで規範を取り込むものと、取り込まないものとの識別がなされる。
*****************************
(全文は私のHPの中の「その1 組織コミュ論、集団、日本社会など」http://www.k5.dion.ne.jp/~hirokuri/soshikicomm1.htmlにあります)
>木下あやめ様
はじめまして。
>西尾先生がご自分の名誉を優先させたとしても、それはむしろ当然なのではないでしょうか。
誤解されると困るのですが、私はそれを責めているわけでもなんでもありません。
ただ、今までの長谷川様たちの運動を見ていて『新しい教科書』=『公』という認識でありましたから、例え誰の話であっても、個人の名誉とはかりにかけたことには変わりなく、少々違和感を感じているのは事実です。
ただ、あやめ様が仰るように、西尾先生の名誉云々が根源的な正義であると言うならば、逆もまた然りとなるわけですから、泥沼にはまるのではないか?と危惧もしています。
知足さん
どの口がそれを言う(笑)
というか、マルチポストはもうやめれ
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=1225;id=
http://f35.aaa.livedoor.jp/~masa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi?cmd=one;no=1226;id=
で、「和を以て尊しとなす」をぶち壊しとるのは、ネガティブなディスインフォメーション【disinformation】ながして謀略企てた人たちなんでないの? 誰とは言わんけど
腐った組織は一旦叩き壊したほうがいいかも
MOMOさん
あっしも最初は、ここ見て「なんだかなぁ」と思ってたけど、藤岡さんが言挙げしてからちくっと流れが変わったかも
『新しい教科書』=『公』はそうでも、今の作る会の上層部に「公」なんてないみたいね
あなたの言うように、仮に【ご自分の名誉という『個人』の方に、優先順位をおく】んだったら、あっしだったら、言挙げしない
まったく、損な役回りというか、損な性格してらっしゃる・・・
みなさん、この際、徹底的にやったら?
「公」とみなされるような組織に、変な奴がのさばったらいかんよ
いまさら引っ込めたところで、今や世間様の「作る会」の偉い、「中の人」たちに対する見方は変わらん
だったら、とことんやれ
その方がスッキリする
大体、産経が、もっと重大なニュースがあるにもかかわらず、作る会についての落書きを新聞に書くから悪いのよ
あれが、最大のディスインフォメーションだね、書いた人の想いと裏腹に
それ、認識してますか? 産経の「中の人」
これは、西尾さんと藤岡さんの共同釣り作業なんだよ
としたら、是非ともちゃねらになって下さい
まず、何故名誉会長にまで奉られた先生が、会を辞することになったのか・・・が、一番大きな問題だと思うわけです。
私の勝手な予想ですが・・・因みに、誤解して欲しくないのですが、私はつくる会の会員でも何でもありません。ですから私個人の予想として読んでいただきたい・・・私は、先生への圧力は昨年の春、又は八木会長が就任したころから除除に始まったのではないかと思うんです。その出所は何処かと想像すると、扶桑社もしくはその上のフジサンケイグループだと思います。ちょうど昨年の春は、ライブドアとの擦った揉んだで、フジが大きく揺れていた時期です。私はこの騒動がけして無関係ではないと予想します。あの頃フジは企業体質を世論に問われていました。まるで、針のムシロにいる気分です。当然慌てたフジは勝ち残りの為に、全社一丸となることを必要とした。その中で一番隅っこにあった、つくる会との関係がけして小さくない問題だったのだろうと思うわけです。
つくる会にとってはフジとの縁が断絶するのは致命傷です。八木氏は会長としてそれを一番懸念した。
私の予想はたぶん間違いないと思います。また、この点においては同情の余地はあると思います。しかし方法論を正すとそれが間違いだらけだったのではないかと思うのです。
何故ならその槍玉に上がったのが西尾先生だったからです。
先生は日頃からどんな事にも真っ直ぐな対応をされてきましたから、ある意味いくらでも罠に嵌めやすい存在となります。
文句を言いやすいタイプなんでしょう。ただし先生自身はそれを覚悟していたのでしょうけど。
それは別としまして、とにかく八木氏はフジに脅されたのではないか。
時はまさしく採択の秒読み段階です。余裕がなかったと見るべきかもしれません。これが不運だった。たぶん八木氏はかなり自ら折れる立場を覚悟したのでしょう。そのため扶桑社側からの要望に応えるしかなかった。そこで邪魔になったのが西尾先生だったわけです。自分がイニシアチブをとるには、西尾先生の論文を教科書から排除しなければ保てないと踏んだのでしょう。岡崎氏を選んだ理由は解りません。たぶん扶桑社との協議の結果だと思いますがね。
こうしてまず最初の圧力が発生しました。
次に衆議院の解散がありました。フジはここで西尾先生とは全く逆の立場をとります。つまり小泉擁護のビラを撒きます。それに乗せられた保守層は徐々に西尾先生の理論に首を傾げます。フジの思惑は的中しました。先生はフジの態度が信じられなかったのではないでしょうか。
失望もされたと思います。そして会もその歩調に合わせるかのように怪しい談合があちこちであったはずです。そうして西尾先生を茅の外に追いやった。
ここまでは八木氏の思惑通りでした。ところがある事件が起きます。
(この時点でなにやら会内部でも悶着があったようですが)
突然ホリエモンが逮捕されました。これによって自民党はかなりヤバイ立場になりました。当然小泉擁護に立ったフジの立場も、メディアとしての質が低下したと見てとれます。フジは慌てました。偏った判断のツケは大きかったわけです。私はここで内部に問題を抱え始めたつくる会に対し、フジが八木氏を通じて何らかの圧力があったのではないかと思うんです。
西尾先生もブログに書いていますが、八木氏の理解不能な行動が頻繁にあったわけです。それがどういう具体的な圧力だったかは、さすがに私には解りませんが、何かあったのは事実だと思うんです。次第にそれは八木氏を追い詰めました。フジも八木氏を擁護する代わりに要求も同時に行ったと思います。
そのあとの結果は皆さんもご存知の通りです。
さて、ここで問題なのが、やはり採択率の低さなわけです。扶桑社としては、一企業で有る限り利益は追求せねばならない。しかも親会社からは再三それを厳しく言われる。将来性を見据え、はたしてつくる会の考え方は国民に受け入れられるものなのか、それが予想もしていなかった角度から力が加わり、理想はもろくも崩れ落ちたわけです。
西尾先生はこの一連の出来事を当事者でありながら傍観者としても見ることも同時に可能だった。ですからある意味よく見えていたわけです。ある意味会長職を他人が務めていたことは歯痒くもありましたが、ラッキーでもあったと今は言えるかもしれません。
いずれにせよつくる会の当初の理想はこうして崩れました。しかし、逆を言えば誰にも出来ない壮大なロマンでもあったわけです。
それを立ち上げた西尾先生はその事こそが大切なんだとおっしゃりたいのではないでしょうか。
会長になる方にはそれが不可欠なんだと。いや会長のみならず人間は常に何かと闘う決心がなくてはならない。それを失っては何も生まれない。つくる会はそうした生き方を目指し教育することを信条としてきた。
違いますでしょうか?先生!
(何度も申し上げますが、これは私個人の意見であります)
どうでもいいことですが、ホリエモンの逮捕についていえば、あれで巨額の富をえた人がたくさんいるはずです。彼が自民党候補として出馬するまでは登り調子で、株価もあがり放題、逮捕で一転して急落。これを予測、あるいは知っていた人は、濡れ手に粟で大儲けできたはずです。本来、容疑の内容からいうと、いつ逮捕してもよかったはずです。タイミングをみはからっていたといえないこともありません。
この大儲けした人たちが誰なのかを調べれば、この国で誰が一番悪いやつなのかわかります。新聞もこの操作に大いに協力していたように思えます。あげて、さげる。
経済捜査を担当する警察官の親戚はみんな金持ちだと思いますが、それは、ま、当然の役得として。
あきんどさんへ
あきんどさん、あなたはいいつもいいことをお書きになるのですが、今度のような勝手な当て推量をしないで下さいね。
歴史教科書を一部親米色にぬり変えようとしたことに八木さんは関与していません。
公民担当の八木さんは歴史の本には関与できないシステムです。
歴史教科書が大東亜戦争史観からありふれた太平洋戦争史観へ少しづつ塗り変えられていることが、旧版から新版への一つの動きで、こういう変化こそ全国の「つくる会」会員が真剣に討議すべきテーマではないでしょうか。
次にライブドア事件では、私が「正論」に裁判記録まで丁寧に追跡して最も緻密なフジ擁護の論文(『民族への責任』所収)を書いて、関係者から感謝されています。これに関するあなたの推理は当っていません。
たゞ小泉劇場選挙の評価に関しては私と産経の主たる主張は食い違いました。それはたしかでしょう。しかし雑誌「正論」編集部は必ずしも小泉劇場選挙の支持ではありませんでした。いといと入り組んでいるのです。
これは左翼勢力による離反工作である
つくる会は全力を持って阻止すべし!
>西尾先生
私の推測の前半部分が見当違いであることが先生のご指摘により間違いであることを理解いたします。
また、このような推測でものを言う態度をとりましたことにも反省を含め謝罪いたします。
八木氏が歴史教科書部門に口を出せないシステムであることを今回初めて知りました。
八木氏に対し、確証もないまま不愉快な推測で名誉を傷付けた事に対しお詫びいたします。
そして先生のご忠告により、ブログでのご発言は、先生が八木氏並びにつくる会に対して、深い愛情を示す一つの言動であることを信じることも、私なりに可能となりました。
私の推測は私の中に蔓延った疑念を解明したかった事に理由があります。
それに対し先生から直接お答を戴けましたことに、大変感謝いたします。
この場をかりてお礼とお詫びにかえさせていただきます。