5月と6月の活動報告 (三)

6月28日産経の一面下に、「新・地球日本史」の告知記事がのっていたのにお気づきになったであろうか。
 
 この企画は私の責任編集で7月5日から約10ヶ月にわたり、日曜を除いて毎日、産経新聞に連載される大型企画である。私自身の担当執筆は、最初の第一回とあと中ほどで一回あるかないかである。誰かが事情で書けなくなった場合、私は責任上穴埋めしなければならない。その可能性も覚悟はしている。
 
 私が同企画を産経新聞社住田専務(現社長)から申し渡されたのは平成15年の2月だった。1年かけて特別の準備をしたわけでもない。書いてもらいたい人の名前が少しづつ心の中に浮かぶようになった。同年秋に新聞の編集局長と特集部長との打ち合わせ会が開かれ、私にテーマと人選が任された。しかし自分の仕事が忙しくて、テーマごとに執筆者を自分できめ、電話をかけまくったのは今年の3月であった。
 
 4月に私から執筆者諸氏に次のような挨拶文とともに、決定した39項目のタイトルと執筆者名の一覧表を送った。同企画の目的と内容が示されているので、ご参考までに掲げておく。
 
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                 平成16年4月
 
 地球日本史 
  執筆者各位
                    西尾幹二
 
        ご 挨 拶
 
 「新・地球日本史」という新しいシリーズを産経新聞が7月5日より連載いたします。この企画にご参加くださいますことをご諒承いただき、有難うございます。
 
 「地球日本史」はすでに平成9年11月3日から、翌10年12月25日まで長期連載を行い、16世紀から明治初年までの日本の問題をユニークな角度から抉り出し、好評を博したことがあります。連載後、扶桑社より3冊の単行本(各副題は第1巻「日本とヨーロッパの同時勃興」、第2巻「鎖国は本当にあったのか」、第3巻「江戸時代が可能にした明治維新」)として出版され、さらに扶桑社文庫ともなり比較的よく読まれました。
 
 このたび本年7月5日より、来年4月9日までの期間で、「新・地球日本史」20世紀前半篇を、産経新聞にて連載することになり、私は前回に引き続きコーディネーターを任されましたので、ここに39回(1回1週単位)の内容プログラムを作成し、提出させていただきます。皆様のご協力を得て、プログラムはようやく同封別紙のようにまとまりましたことにあらためて感謝申し上げます。
 
 「地球日本史」は題名が示すとおり、地球的視野で日本の歴史を見直すという狙いがあり、さらにまた今日的必要から、今の時代の問題に引き据えて各テーマを再検討するという目的をも担っております。地球的視野といっても、国際化という甘い感傷語の示す方向を目指すのではなく、日本人が気がつかない世界の現実の中に日本を置いて、あらためて問題を見直し、既成の歴史の見方をこわすというほどの意味であります。一つの角度から鋭い、衝撃力のある光を照射していただければまことに幸いです。
 
 また、歴史を語るといっても、過去の一時代の話題に限定する必要はなく、現代の新聞紙上を賑わしているさまざまな関連テーマを取り上げ、並べて論じていただくのも一興かと存じます。できるだけ広い世界の話題の中で、しかも今の人の身近な題材にも言及していただければありがたいのです。しかし、テーマによっては、短い紙幅に歴史事実を語ることで精一杯で、余計な話題にまで手をひろげようがないという場合もございましょう。その場合には、当該テーマを過去の一時代に限定して語っていただくことで勿論十分でございます。
 
 すべて制約はなく、フリースタイルです。どうかよろしくお願い致します。
 
 原稿ご執筆の詳細な規定と事前催促予定、原稿受け渡しの方法等につきましては、担当の産経新聞特集部より同封書にてご報告いたさせます。
 
 なお連載は平成17年前半に扶桑社より上下2冊の単行本として出版される予定です。
 
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 39回の連載は36人によって執筆される。第1回目の私の「日本人の自尊心の試練の物語」だけは総論で、それ以後はしばらく明治時代が扱われる。韓国併合が9月末から10月初旬、日中戦争のテーマはやっと年末から年初に登場する。
 
 私が信頼している書き手が続々と姿を見せる。テーマもかなりひねって工夫してある。御期待ください。

5月と6月の活動報告 (二)

ブルガリアとルーマニアへ旅立った6月2日までに、私は『諸君!』の連載の原稿と、「新・地球日本史」(産経7月5日スタート)の冒頭の私が担当した6回分を書いて置いて行った。6月22日の小泉再訪朝への怒りを抑えつつ、コラム「正論」(5月28日付)を書いたのも同じ頃で、旅立つ前のあわただしさだった。

 6月13日に帰国した。14日から23日までの間に『正論』『Voice』に併せて55枚ほど書いた。

 24日は疲れて、何をする気にもなれず、朝食をすませた後もただわけもなくねむく、日中もひたすら眠った。よく身体がつづくなァ、と自分でも自分に感心している。

 そういうわけで、よく働いたこの月の成果、8月号各誌の寄稿は次の通りである。

 1)宣長における「信仰」としての神話(53枚)『諸君!』江戸のダイナミズム(第19回)
 2)冷え冷えとした日本の夏(29枚)『正論
 3)小泉純一郎“坊ちゃんの冷血”――ある臨床心理士との対話――(26枚)『Voice

  1)この連載は20回で終結の予定なので、いよいよ最後にさしかかっている。
  2)は皇室、少子化、イラク、平等と「個」など。
  3)は「小泉純一郎の精神病理」ないしは「小泉純一郎の病理学的研究」のいづれかにして欲しいと思ったが、編集部の方針で上記のような題になった。

 今月は私の企画立案による「新・地球日本史」の私の担当分の原稿もあり、『男子、一生の問題』もやっと刊行され、いろいろな方面の仕事が一度に集中した。

5月と6月の活動報告 (一)

6月2日から13日まで、私はブルガリアとルーマニアを旅行した。動機は、単にまだ行っていなかったからというだけのことである。

 あのあたりは東ローマ帝国の支配地域である。アラビア人が西から、スラブ人が北から押し寄せた混乱の歴史を刻んだ大地である。

 ベルギーの歴史家ピレンヌが「モハメッドがいなければシャルルマ―ニュもいなかった」という名文句を残したのを思い出しつつ旅をした。アラビア人の進出がなければ、シャルルマーニュ(カール大帝)の西ローマ帝国も成立しなかった、という意味である。

 アラビア人があのあたりから地中海一帯を支配して、その結果、ヨーロッパが西に移動し、誕生した。ギリシアやローマの文明を最初に受け継いだのはアラビア人であって、ヨーロッパ人ではないという逆説である。

 『江戸のダイナミズム』(第16回)で契沖とエラスムスを比較した一文を思い出していただこう。エラスムスはヴェネチアに行って、アラビア人からギリシア語を学んだ。聖書の原典はギリシア語で書かれていたので、エラスムスはギリシア語原文の復元をむなしくも試みたのだった。

 ヨーロッパ人はギリシアやローマの古典文化からも、キリスト教の聖書の原典からも1000年間も切り離されていたのである。断絶の歴史である。日本人はそういう不幸を経験していない。この歴史事実は日本では案外知られていない。

 ブルガリアとルーマニアを垣間見た感想は『正論』に2・3回にわけて分載する予定である。

『男子、一生の問題』 (二)

 この本についての読後感を何人かから早くもいただいた。評論家の宮崎正弘氏からの私信を、ご承諾を得て掲載する。
 
 宮崎さんはご自身の『宮崎正弘の国際ニュース・早読み』『宮崎正弘の国際ニュース・早読み』 6月26日の下欄通信に、拙著への同趣旨の感想文が掲げられている。私信よりくわしいのだが、ここは私信をご紹介する。

 『宮崎正弘の国際ニュース・早読み』の情報量にはいつも圧倒されている。世界へ張った彼のアンテナの広さと機敏さにはたヾたゞ驚くばかりである。
 
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 前略

 ルーマニアから珍しい切手を貼った絵はがきが到着しました。有り難うございます。

 物価のおばけぶりがよく分ります。麦酒が5,000。写真撮影が300,000(!)。

 いつぞや小生も、トルコで日本料理をたべて、640,000リラと言われた時の驚き、ポーランドでジャガイモ・サラダが80,000ズローチと言われたときもそうでした。トルコでは3000円くらい、ポーランドは一万ズローチ=一ドルのころです。ルーマニアの通貨単位で10万が400円だそうですね。新円切り換えに類する通貨政策の遅れでしょうか。

 さて前日に届いた最新刊『男子、一生の問題』(三笠書房)を一気呵成に拝読しました。ニーチェにはじまり、ニーチェに終わる人生論の、いろいろな織りが鮮やかに出ていて、大変参考になりました。御言葉から勝手に引用させて頂くとすれば「さすがにプロの書き手」という感想です。御文章の立て方も「勝負を挑む」スタイルが随所に出ておられました。

 平明な文章なのにすべてが印象的なのは、無意識に強い語彙を選んでおられるからでしょうか?

 たとえば「敵の中にも友を見いだし、友の中にも敵を見失わないニーチェの言う真の友情は、現実にはじつに難しいのである」(42ページ)。

 三島さんが飛ぶように階段をおりてトイレに案内したり、六本木で踊ったり、いかにもあの人らしい情景が手に取るように浮かんできました。

 川勝さんへの忠告もかつ恬淡とでていて、小生などこの人を評価する人がおかしいのでは?と思っていた者のひとりですから。あ、小生のメルマガのご紹介まで頂いておりました。

 「保守論壇のレベルは下がった」と自戒をこめて言われるあたりも福田、三島なきあとの現状を目撃するにつけ、慄然とするほど真実です。

 取り急ぎ御礼方々

               宮崎正弘

平成16年6月22日

西尾幹二先生

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『男子、一生の問題』 (一)

 6月18日に発売が正式に開始され、店頭に並んだばかりですが、『男子、一生の問題』がたちまち増刷されることが決定したそうです。

インターネットの応援掲示板(http://bbs7.otd.co.jp/273430/bbs_plain)の方に次のような感想が載せられた由です。感謝して再掲させていただきます。

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嬉しいニュース やわらかあきんど 2004/06/16 11:20
男性 自営業 43歳 O型 北海道

「男子一生の問題」がようやく地方にも並ぶと聞き、安心しました。
しかも初版が15000冊と聞き大変驚いています。
先生もさぞかし喜ばれている事でしょう。
出版会社の営業マン次第でこうも実情が変わるものなんだなと思いました。
これこそがこの本で訴えている「行動」というものの本質なのかもしれないと思いました。
担当者の清水さんはこれで一気に名を売ることとなりましたが、現代の病んだ世相において勇気ある行動と決断ではないでしょうか。

小林よしのり氏を何故追放したのか先生の胸中が語られている部分で、私は強い感動を覚えました。もしもだらだらと彼の立場を容認していたらつくる会にとって望む方向には行かない危機感を先生はご判断されました。
この事一つを取ってもこの本の示す意義が充分あるだろうと思いました。

先生は今日の日録で本を話題にした議論が白熱することを望まれています。
多くの方々がこの本と接し、新しい西尾幹二先生の側面を見て欲しいです。
何と言っても読みやすい事が嬉しいです。
しかしよくよく読みこむとグサッと胸に突き刺さるものもちゃんとあります。

P218の『「自分に突き刺さってくるような一言」に立ち止まれ』に、なるほどな~と頷きました。読書は量ではなく全ての言葉が自分に向けられている事として受け止めるべきなのですね。

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お久しぶりです 岩田温 2004/06/17 10:43
男性 学生 20歳 A型 埼玉県

・・・・・略・・・・・

西尾先生の『男子一生の問題』拝読いたしました。私も紀伊国屋にってテスト販売で購入しました。埼玉の本屋を大体あたったのですが、こちらにはまだ入っていませんでした。
この本は読みやすく面白かったので、是非とも販売促進に一役買わせていただこうと、勝手連的に応援することにしました。勉強会でのテキストに使いますからここで、20部くらいは売れます。そして、私たちの会のメールマガジンでも紹介させていただきますので、これでも10部以上は売れるはずです。ささやかな応援をしていきたいと思っています。

本の感想は、メルマガに載せるので、メルマガの配送が終わり次第こちらにも投稿させていただきます。

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Re:お久しぶりです やわらかあきんど 2004/06/17 12:04
男性 自営業 43歳 O型 北海道

・・・・・略・・・・・

お久しぶりです。
いつも活躍振りを拝見させて頂いております。
私は今この本を2回目の拝読に入ってます。
1回目とは違う角度が見えたりして、それがまた新鮮な感じになります。
1回目には感じなかった事なのですが、先生は今回かなりの決意を持ってご自分を語っております。しかしその代わりとして読者にもズバズバと注文を投げかけています。
それはまるで読者と一緒に酒を交わしながら会話している雰囲気さえ感じ取れます。
もの書きとして、教師として、親として、男として、人間として、その姿が変化し、多くの方達に受け入れられる内容となっていると感じました。

岩田君の地道な活動はこの本によってかなり勇気付けられたのではないでしょうか。
今後の活躍も期待しております。
頑張ってください。

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西尾幹二「男子、一生の問題」 総合学としての文学 2004/06/21 23:54
男性 31歳

 今日西尾先生の「男子、一生の問題」を読ませてもらいました。インターネット-実名で書かない自己欺瞞の章、「ハンドルネームの書き込みの者が、私に無礼な言葉で食ってかかってくるばかりか、知識も文章もレベル以下という場合がある。これは私には不平等であるばかりでなく、暴力であると言ってもいい」を読んで思わず爆笑してしまいました。
 
 さてネット論客の現実はどのようなものでしょうか?これは現実のネット論客と実際に会った人でなければわからないことですが、一概にすべての人が現実生活とインターネット世界での人格が別であるとは言えないでしょう。ちなみに私は自分自身は現実生活でもインターネット世界での人格は同じだと思っています。なにしろ私は京都大学出身の学者に向って「何故京都大学出身者は東京大学の学者に対して不毛な劣等感を持っているのですか?」なぞと平気で言う厚顔無恥な人間です。
 もっとも二重の人格を使い分けることのできる人もいるかもしれない。そういう芸当の出来る人を私は羨ましく思います。

 私がインターネット上で匿名投稿するのは、結局いま喋っている匿名の人がどんな人間か信頼できないからです。仮にその人が実名で投稿しようが自分の顔写真を掲載しようがやはり人間は実際に会って話してみないとその人のその人となりはわからない。
 
 したがって、公知の人でまともな人であろうと判断できる年上の長谷川さんと西尾先生には個人情報を公開しています。

 相互不信に基づく本音の会話というのはなかなか奇妙なものですが、結局それは会話ではなく、人間不在の自分自身の一人語りなのだと考える方が妥当な気がします。

 私はそれでもいいと思うのですが、真のインターネット上での人間同士の双方向性の会話を成立させるためには、管理人がユーザーを管理し、定期的に実際にユーザーが面会して茶話会等を開催するしかないでしょう。

 
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西尾先生の新刊を読んで 一読者 2004/06/21 22:36
男性 33歳

今夜地元の書店の店頭にて『男子、一生の問題』を購入し、今読んでいる途中です。
ここ五年くらい人生がうまく行かず半ば惰性で生きていました。前の職を辞めてから、不安定な職を転々としているのです。とはいえ自分の研究を同人誌に出すなどして自分らしさをいくらかでも主張しようとはしてきました。ただここ最近は土日もただ寝ているか食べているような状態で、自分を見失っていました。
しかし、今回の先生の新刊を少し読んでみて、何か奮い立つようなものを感じています。

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台風が過ぎ去ったあとに キルドンム 2004/06/22 17:57
男性 36歳 O型 岐阜県

 昨晩、『男子、一生の問題』店頭で購入致しました。
 早速深夜一、二時頃から繙き始めましたが、わが身を省みて、思わずドキリとするような記述と示唆とが冒頭近くからちりばめられており、そのたびごとに背筋を伸ばしながら拝読させていただいております。
 退勤次第、今晩もまた読み続けて行くつもりですが、まずは中間報告。

拉致問題の新しい見方 (五)

 
 一昨年の10月15日の帰国に際し、5人の記者会見があり、現地で一番地位の高いといわれる蓮池薫さんの目が異様に光っていて、無気味だったことを覚えている人は少なくないだろう。
 
 私は当時次のように書いた。
 
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 帰国直後、記者会見に出るのを最初いやがった1人の帰国者の発言は、私に奇妙なものを感じさせた。8人の日本人が亡くなられているので、「私のようなものが皆さんの前に出るのは忍びない。表に出るような身分ではない」(『読売』10月16日)という発言は不可解な印象を与えた。有名な元北朝鮮工作員から、この日本人は高い地位の工作員であったという証言も得られた。
 
 私は17日付の私の「インターネット日録」に「ここから先は憶測である。歴史から一つのことがいえる。ナチスのユダヤ人迫害には、ユダヤ人による組織的協力があった。全体主義の恐怖社会で生き残りに成功した者は、過去にそれなりのことはあった」と書き添えた。
 
 インターネットの書きこみに、私のこの言い方は余りに無情だ、容赦がなさすぎる、という批判が乱れとんだ。また私を擁護する反論もあった。(『正論』平成14年12月号)
 
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 ある自民党の有力な政治家が、「蓮池さんは犯行の当事者なのだから・・・・」という言い方をテレビで敢えて言った。私の直観はそう間違ってはいなかったのだと今は信じている。
 
 けれども過去に何があったにせよ、彼が悲劇の犠牲者であることに変りはない。表面的な善悪で問うべき事柄ではまったくない。けれども、お子さんがたも無事手もとに取り戻したのだから、ここで洗いざらい全部体験を語って、安否未確認者や特定失踪者の情報を待ちわびる人々の期待に応えるべきだと誰しもが思うのだが、私は必ずしもそうならないのではないかと、一抹の不安を抱くのである。
 
 強靭な意志力、したたかな心理眼、物怖じしない演技力、信じさせておいてさっと翻すあの裏切りへの胆力、知力、行動力――そういうものの一切を有していたからこそ両家は帰国できたのである。(曽我さんの場合には米兵がらみに北の目算があったためで、別ケースと思う。)
 
 私は蓮池・地村ご夫妻とそのお子さんがたを、あの社会の本質を知っている生き証人と考える。発言に注目したい。文章を詳しく書いてもらいたい。ことにお子さんの出版を期待する。私が心配するのは、彼らが北に残留する犠牲者に対し加害者の位置にあるかもしれないので、発言に自己防衛のかすみがかかり、これ以上の事態の解明にかえって蓋をしてしまう可能性が小さくないと考えられることである。

拉致問題の新しい見方 (四)

 蓮池さんと地村さんの親子がお互いに体制の相違について率直に話せない複雑な心理背景は、以上からだいたい推理できると思う。ただ、私は帰国した5人の子女をテレビで見ていて、ひょっとすると北朝鮮もまた子供の心を利用しようと年来計画を立てていたのではないかと、私の意識をフト横切るものがあった。
 
 いったいなぜ日本人を拉致する必要があったのか、という最初からの謎に、いまだ誰も分り易い答を出してくれていない。住民票を奪って日本人になりすました偽造旅券の一件があった。あの件の理由はよく分ったが、北朝鮮人スパイの教育係に、拉致した日本人が必要だという今までの説明はどうしても腑に落ちない。
 
 25年前の北朝鮮はまだ国力があった。拉致した日本人の二代目をつくらせ、1.2キロ四方の囲いの中で特殊な生活をさせ、親子の関係を利用して、洗脳された若い日本人スパイ(北朝鮮国籍の)を大量に、組織的に日本に送りこむ壮大な長期計画を展開しようとしていたのではないのか。だとすると、5人どころではない。拉致日本人の二世の子供たちがいま他にも多数育てられているのではないだろうか。
 
 信ずべき情報筋から聞いた話だが、蓮池・地村両氏は二年前の10月15日に、北朝鮮当局から子供たちを連れて帰ってもよいと言われたそうである。両氏はすぐに断って、夫婦だけの「訪日」を希望したそうだ。かりに喜々として当局の提案を受け入れたら、忠誠心を疑われ、彼らの「訪日」は取り消され、そして別の二組が代わりに選ばれただろう、と。
 
 恐しい話である。しかしあの体制の真実をえぐっている。両氏は信じるもの乏しき荒涼たる心の戦場をくぐり抜けて今日ここに立ち戻った人々である。大変なことである。待っていた親の愛があり、故郷の土を踏んだ日の暖い歓迎があり、全国民の支援がウソでないことが歳月と共に分って、ようやくマインドコントロールは融けた。彼らの子供は若い柔かい心を持つだけに融けるのが早いともいえるし、親と違って、故郷に帰ったわけではないからマインドコントロールは容易に融けないともいえる。どちらかは分らない。

拉致問題の新しい見方 (三)

  
 弱点を握られた特権階級が、一番従順なスパイになり易いという。体制への反抗心を強く抱いていればいるほど扱い易い。親か子のどちらか一方の身柄を押さえてさえおけば、思想的に西側自由社会の色に染まっていてくれたほうが、西側に浸透し易く、東側にはかえって便利で、ありがたい。顔色ひとつ変えずに西側の人間になり澄まし、東側の体制の悪口を言い、裏切り者の顔をして、いよいよ最後のところで逆転してもう一度裏切ればいい。
 
 自由社会に浸透したこの種の二重仮面の人間は南北朝鮮の間にも数えきれぬほど存在するだろう。日本の政治家や言論人にも必ずいるにきまっている。そういう人間を育てるのが謀略国家の目的の一つであったからだ。
 
 東ドイツの場合に、東ドイツ社会に反抗的な一家の子供は、家庭で話すことと学校で話すこととをたえず厳密に区別しなくてはならなかった。西側自由主義社会がいかに物資が豊かで、情報が自由であるかを、親子はよく知っている。子供はそれをその侭学校で喋るわけにはいかない。彼らは言えと学校で自分を使いわける演技を幼い頃からつづけている。これは一流のスパイを育てる技術を幼児期から毎日磨いているようなものである。事実、東ドイツの超一流の名を轟かせたスパイは、国際的学者や演奏家など、東西を行き来する特権をもつ者の家庭の子供から育てられた場合が多い、と関係書にしばしば書かれている。
 
 東ドイツには西のテレビや書物が入って、今の北朝鮮の息づまるような閉ざされた密封社会とは少し情勢が違うかもしれない。しかし、共産主義的全体主義社会の基本性格には変りはないと思う。
 

拉致問題の新しい見方 (二)

2004年06月18日拉致問題の新しい見方 (二)
 
 東ドイツの例でいうと、独裁者がいちばん恐れているものが三つあった。教会の牧師、文学者、そして子供の心。この三つは独裁者の手の届かない、どう動くか予測のつかない恐しいものだった。体制に裂け目が生じるとすればここからだと思われていた。
 
 そこで教会の牧師の組織では、枢要のポストに秘密警察の非公式協力者が配置された。もちろん聖職者がそれになりすましていたのであって、密告のシステムが張りめぐらされていたということである。一方作家や詩人や文芸評論家にはそういうやり方をしなかった。相互監視の方法もとらない。出版物への検閲は勿論あるが、それもさほどうるさくない。文学者には自己検閲をやらせた。当局は「もうこれで十分だとご自分でお考えになったところで提出してください。」と言った。文学者たちにはこれはかえって不気味であった。どこまでが制限枠かが分からないからだ。すると人間は自分で夢中になって自分を縛る方向へ走る。体制に忠順な「いい子ちゃん」であることを一生懸命に自己証明しなくてはならない。全体主義の国ではこのやり方が文学者を体制順応型に縛り、文学を国家の奴隷に文学者を仕立てていく最も有効なやり方であったと聞く。
 
 人間の心の弱さにつけ込んだ卑劣なやり方である。独裁者にとって一番こわいものの三つ目、すなわち子供の心は、牧師や文学者に対するやり方のいずれでもうまく行かない。子供はどう出るか分からないからだ。親の安否を抑えれば有効だが、子供というのはそれでも分からない。
 
 東ドイツ秘密警察のミールケ長官は14歳以下の小学校のクラスの中からスパイの適格者を選び、特訓する方針を打ち出した。15・6歳になったらもう遅い、と彼は言う。独裁者とその輩下たちが年端もゆかぬ子供を最も恐れていたのだから、面白い。
 
 選んだ子供にクラスの他の子供たちや教師をスパイさせるのである。子供たちを通じてその親たちの動静をさぐらせるのが目的である。外国にしばしば出て行く職業がある。外交官、国際的学者、音楽家、スポーツ選手、船舶や航空機の関係者、彼らは共産主義的全体主義の国ではいわば特権階級であった。ひごろの言動で体制に最も忠誠な安全人間でなければ選ばれない。それでもたびたび外国へ行き、自由社会に触れているうちに変心する人が出てくる。親の行動を子供に密告させる絶好のチャンス、そういう手続きがいよいよ必要になる場合といってもいい。しかしそれよりも、西側を知った人間は親子ともども体制への反抗心を募らせるという方向へ傾く人々がはるかに多かったという。
 
 東ドイツの秘密警察当局はこういう親子を見つけるとゆっくり動き出す。逮捕するためではない。彼らを威嚇して手なづけるためである。
 

拉致問題の新しい見方 (一)

2004年06月17日拉致問題の新しい見方 (一)

 いま多分皆さんが一番関心のあるテーマについて、陸上自衛隊の親睦雑誌『修親』にエッセーをたのまれて、蓮池さん、地村さんのお子さんがたの帰国に伴う微妙な諸テーマについて書きました。『修親』には一歩早くて悪いのですが、タイムリーなテーマなので、掲載します。
 
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 5月22日拉致被害の蓮池・地村両家の子女5人が帰国した。タラップを降りて来た16歳から23歳までの5人のテレビ映像は、日本中の視線を釘づけにした。少し小柄で、政府が用意したのであろう余所行きの服装は若干流行遅れで、面立ちは同年の日本人に比べやゝ幼く、しかしはにかみや礼儀正しさや慎ましさが感じられて、見慣れている日本の生意気な若者よりいい印象であった。
 
 その後の様子を詳しく知るわけではないが、両親の記者会見によると、親は一族の数奇な運命をすぐには話題にしていない。子供も聞かない。話題はいつまでも核心に入らない。双方のそんな遠慮が伝えられた。
 
 恐らくそう遠くない時期に、親子は真剣に討議し、論争し合うときを持たざるを得なくなるだろう。親のさし当りの沈黙は、子に対する思いやりであるが、子の沈黙は必ずしも日本という新しい現実・未知の世界への恐怖からだけではない。それもあるとは思うが、それだけではない、と私は考えている。
 
 共産主義的全体主義の国家では、人が意見を持つことは過失であり、才知を見せることは落度であり、大胆であることは罪悪である。そのように教育され、躾けられてきたに相違ない。ましてこの5人の若者は工作員教育を受けてきたと聞く。対日工作が目的の施設で、親兄弟から切り離されて、幼児時代から特訓を受けてきた。
 
 何年もしないうちに5人のうちのいく人かが北朝鮮へ帰りたいと言い出すかもしれない。日本で生れ育った親とは違うのだ。両家の親はそのような子供の心の動きをよく知っているので、警戒しているのであろう。心の奥には触れないようにし、腫れ物に触るようにしているらしい。
 
 5人の子供は笑顔は見せるが、テレビで見る限り、無表情である。面白い発言をした、というニュースはなかなか聞こえてこない。そのうち奇抜な日本観察があって、われわれを驚かせるようになれば、心がぐっと開かれた証拠である。