6月2日から13日まで、私はブルガリアとルーマニアを旅行した。動機は、単にまだ行っていなかったからというだけのことである。
あのあたりは東ローマ帝国の支配地域である。アラビア人が西から、スラブ人が北から押し寄せた混乱の歴史を刻んだ大地である。
ベルギーの歴史家ピレンヌが「モハメッドがいなければシャルルマ―ニュもいなかった」という名文句を残したのを思い出しつつ旅をした。アラビア人の進出がなければ、シャルルマーニュ(カール大帝)の西ローマ帝国も成立しなかった、という意味である。
アラビア人があのあたりから地中海一帯を支配して、その結果、ヨーロッパが西に移動し、誕生した。ギリシアやローマの文明を最初に受け継いだのはアラビア人であって、ヨーロッパ人ではないという逆説である。
『江戸のダイナミズム』(第16回)で契沖とエラスムスを比較した一文を思い出していただこう。エラスムスはヴェネチアに行って、アラビア人からギリシア語を学んだ。聖書の原典はギリシア語で書かれていたので、エラスムスはギリシア語原文の復元をむなしくも試みたのだった。
ヨーロッパ人はギリシアやローマの古典文化からも、キリスト教の聖書の原典からも1000年間も切り離されていたのである。断絶の歴史である。日本人はそういう不幸を経験していない。この歴史事実は日本では案外知られていない。
ブルガリアとルーマニアを垣間見た感想は『正論』に2・3回にわけて分載する予定である。