明1月26日に『江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋――』(文藝春秋刊、640ページ、¥2762)が書店の店頭に出ます。よろしくお願いします。
この本の内容紹介は1月元旦付の当ブログ「謹賀新年」に譲ります。
新刊の刊行を機に、平成14年8月2日から4年6ヶ月つづいた「西尾幹二のインターネット日録」を本日より以後、当分の間、休載することを申し述べさせて戴きます。永い間ご愛読をありがとうございました。
理由は、残りの人生に私が自分に課している著述活動とブログとの両立が時間的にも、精神的にも難しくなったからです。人間が一日に文字を書くために意識を集中させるエネルギーの定量はほぼきまっています。
以下に私の著作計画、残りの人生のための本づくりの計画を、自分への誓約という意味もこめて、あえてお示しします。
1、国民の歴史 現代篇
呼称は、国民の現代史、または国民の昭和史、未定。
日露戦争後(1906)から平成18年(2006)まで。
3000枚(二部作)。
国民の歴史と同じポイント式記述。
徒らな歴史論議にはまらない大叙事詩構想。日本人の各時代の暮しに着目、文学作品や思想史にも注目、
戦後は経済史を無視しない。人間が各時代を生きていた呼吸が伝わるような叙述でありたい。
歴史は民族の生の物語であって、事実の正否を見定める論争書ではない。↑
その基礎作業 進捗状況
(イ) ヴェノナ文書や旧ソ連文書などを通じた主に英米の20世紀史、裏面史、あるいは中ソ関係の暴露史についてインテリジェンス研究家柏原竜一氏とすでに三年目の研究に入っている。研究は今後一段と活発化させる。(ロ) GHQ焚書図書開封と題して本年2月よりTV文化チャンネル桜で放映開始。毎月10冊程度紹介。 昭8-昭和20の国民感情と、日本から見ていた日本国民の世界像を再確立する。同名の書籍の出版も計画中。
(ハ) ニュルンベルク裁判と東京裁判と題した比較共同研究を在独エッセイストの川口マーン恵美さんとすでに開始(「秋の嵐」(三)(四)参照)。いずれ対論と各自の補論をまとめて刊行する。余談だが、『諸君!』3月号に拙論「勝者の裁き――フセインと東條のここが違う」を書いたが、すでに共同研究の成果が早くも少し現われている。
(ニ) その他の文献蒐集もすすむ。ご承知と思うが、『新・地球日本史』①②は、同じ時代のポイント式記述で、編者として私が経験をつませてもらったことは有難い。
以上は『国民の歴史』の現代版を書きたいともう三年も前から言いつづけて少しづつ準備し、『江戸のダイナミズム』の完成に追われて実現できなかった思いを表現してみたまでのものです。
対象時代は1906年から1950年(朝鮮戦争)までの案と、1989年(昭和の終焉)までの案とが考えられますが、平成の衰亡と拉致、領土、歴史教科書、靖国、郵政民営化まで書かないと収まりがつかないように思えます。
当然のことですが、『江戸のダイナミズム』の12ページに及ぶ「参考文献一覧」をみていると、次から次へと新しい研究のヒントが生じ、新しい本のアイデアが生まれてきます。ある人に「先生は200歳まで生きるつもりですか」とからかわれました。
『江戸のダイナミズム』の主題は、要約すると、「詩と言語と文字と音のテーマ」です。古代史は哲学的に書ける世界でもあります。現代史は哲学的に扱うと過ちますが、古代史は「詩と哲学」の世界といってもいいほどです。
というわけで、「詩と言語と文字と音のテーマ」で、例えば哲学的発想で、『柿本人麿論』を書けないかと空想しています。否、空想ではなくて、略体歌・非略体歌をめぐる研究最前線の重要文献をすでにどんどん蒐めているのです。ひょんなことになるかもしれませんし、ならないかもしれません。これはあくまでまだ夢です。
九段下会議という政治的な知識人会議をやっていたのはご存知と思います。昨年解散しました。最後までメンバーとして残った12人が私の許に再結集して下さり、その方々を中核として、その他に私の旧友等も参加して、「坦々塾」と名づける勉強会が結成され、メンバーはいま35人ほどを数えます。この侭いくともう少し増えるかもしれません。でも、気持の合ったクローズドな会です。
何をしているかというと、講師のお話をきく勉強会で、私も講演をし、政治的活動はいっさいいたしません。講師は第一回が宮崎正弘氏、第二回が高山正之氏、第三回が関岡英之氏で、近く第三回が行われ、第四回には黄文雄氏を予定させていたゞいています。
ここで、毎回私が1時間半の講座を持つ約束になっていて、第三回より『江戸のダイナミズム』からの継承テーマとして、『日本の天皇と中国の皇帝』を連続講義することにいたしました。日本・中国・西洋のカミ概念の比較が狙いです。『国民の歴史』の第8章「王権の根拠」の拡大版でもあるといえば分り易いかもしれません。
うまく行くかどうかまったく分りません。途中で私はもうダメだと投げ出してしまうかもしれません。今の日本で流行している天皇論は閉鎖的にすぎるし、中国論は反中国論でありすぎます。もっと相対化した立体的な高い視点からの「天皇考」が必要だと思っていますが、私には荷が重く、これも口で言ってみるだけで一冊の著作になるかならないかまったく分りません。
以下に次は順不同ですが、出版社もきまっていて、いずれも実現しなければならないものばかりを列記します。
2、 あなたは自由か ちくま新書 約三分の一完了
3、 ゲーテとフランス革命 「諸君!」連載決定
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その基礎作業 ゲーテとの対話 PHP新書200枚 今年前半に約束。4、 翻訳ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代の哲学ほか」(中公クラシクス)
2、と4、はすぐ近い将来にお目にかけます。4、はむかしやった仕事の復刻ですが、じつは少年時代のニーチェの文章を新たに新訳で加えようと今毎日訳しています。
ニーチェは高校生のころに三人の幼な馴染と同人活動をやっていました。そのときの文章ですから、私は少年らしい訳文にしたいと、「僕たちは」を主語にしたういういしい気分を表現します。この本は9月刊行予定とききます。ショーペンハウアーの「中公クラシクス」(3冊)は今の時代に珍しく増刷がきまりました。
3、は大仕事です。すでに日録の「秋の嵐」(一)(二)で、構想を報告ズミであるので再論はいたしません。資料はドイツの研究書も、日本の文献もほぼ蒐集終了です。
5、 韓非子 新潮社 約束ズミ
6、 わたしの昭和史 続篇 新潮社 約束ズミ
7、 ニーチェ 第三部(人生の義務)筑摩書房
8、双六のあがりは昭和のダイナミズム1000枚
どうせこんなにたくさんはできないだろうとお笑いになるでしょう。私に徳富蘇峰の生きた時間を天が与えて下さいますように。それでも無理みたいですね。
それにまた時局をめぐる雑誌論文もある程度――数をあえてへらしても――書かねばなりません。それと本の出版とは別のことで、連載はありがたいのですが、雑誌を追っていると本を書けなくなります。そこにインターネットが入ると身体が三つに分れてしまいます。
勿論今まで「インターネット日録」を書くことで自説の整理もしていましたし、コメント欄の鋭い観察のことばがいつまでも心に響き、私の思考を豊かにしてくれることもたくさんありました。
日録は役に立っていました。他でできない面白い活動でもありました。でも、最近だんだんゲストエッセーが増えたり、入試問題を出したりするのは、私に時間とこころの余裕がなくなっている証拠でした。
いつ再開できるか分りませんが、将来もう一度やってみたいと思うことがあるかもしれません。そのときは多分、今のスタイルとは違ったブログとして再登場することになるでしょう。
いずれにせよ、私はいまひたすら本を書く仕事に没頭したいのです。まだまだ体力があるのです。
本を書くのに必要な力は知力ではなく体力です。少くとも今の私にとってはそうです。
私の体力維持にご協力下さい。
「西尾幹二のインターネット日録」の休載をお許し下さい。