(2-42)昔の子供は、大人になるまでに気の遠くなるような数多くの困難を乗り越え、厄介な課題を解決しなければならないことを肌身に感じて知っていた。そして困難な諸条件をクリアすることによって初めて大人になったのですが、今は何もまだ出来ない子供が自分を一人前の大人だと思っています。
(2-43)人間は自由ということに長期間にわたって耐えられない存在なのだといえるでしょう。人間は束縛を欲する存在なのです。束縛からの甘い解放の歌を歌いたがっている人に限って、えてして奴隷になりたがるものなのです。
(2-44)人間は、悪を避けてしまえば善だけで生きられるというような単純なものではないでしょう。むしろその逆です。悪の存在しない理想郷の看板を掲げ、いかなる自己愛も許さない社会では、悪は消滅したのではなく、意識下にもぐり、偽善という悪の形態をもって民衆の道徳感を麻痺させ続けているのです。
悪を是認しない思想はそれ自体「悪」である。不合理の存在しない社会は、もっとも不合理な社会なのである、
(2-45)非核三原則がいけないのは、汚いもの怖いもの臭いものは全部国の外にしめ出して、目を伏せ耳を塞いでいれば外からは何も起こらずわれらは幸せだ、自分の身を清らかに保ってさえいれば犯す者はいない、という幼稚なうずくまりの姿勢のほかには、いっさいをタブーとする迷信的信条の恐ろしさである。
(2-46)文学者が自己表現をするためには自己を超えた何かを持つことが必要である。神であれ歴史であれ、何かを信じていることが必要である。自己を解消する何かを欠いた自己表現は、空しい心理の断片か、観察の断片かに終わるのが常である。
出展 全集第2巻 「Ⅴ 三島由紀夫の死と私」
(2-42) P525 上段「三島由紀夫の死 再論(没後三十年)」より
(2-43) P538 上段から下段 「三島由紀夫の死 再論(没後三十年)」より
(2-44) P539 上段「三島由紀夫の死 再論(没後三十年)」より
(2-45) P559 上段「三島由紀夫の自決と日本の核武装(没後四十年)」より
「後記}
(2-46) P594