阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十三回)

2-6)本当に懐疑する心とは、とどまるところを知らぬ執拗な、忍耐強い自己批判力である。

(2-7)選択の自由の可能性があり余っているために、ついに行動の自由を奪われた近代人の懐疑癖は、疑っているのではなく、はじめから信ずる力を持っていない、というに過ぎまい。

(2-8)人間に過去は知り得ないが、歴史体験とは、知り得ないという事実を確然と知る、その瞬間、瞬間の知を信じるということである。

(2-9)なんらかの安全な立場からなされる他者批判ほど容易なものはない。それは自分を善とし、他を悪となすことで終わるからである。事実、現代はそういう批判力ばかりが旺盛になっている自己正当化の氾濫する時代である

(2-10)一人の人間の自由は他の人間の不自由の上にしか成り立たない。自由の理念は原理的に平等の理念と一致はしないのである。そのことが自明の前提とされていた時代には、人間の価値はその人を超えている普遍的ななにものかによって保証されていたのであって、自分の価値を自分で定立し、主張するような力技を個々人が強いられることは起こらなかった。自由と平等がともに主張される近代に入ってから矛盾とデカダンスがはじまった。

出展 全集第2巻 「Ⅰ 悲劇人の姿勢」
(2-6) P69 上段 「小林秀雄」より
(2-7) P71 下段 「小林秀雄」より
(2-8) P84 上段 「小林秀雄」)より
(2-9) P97 下段からP98上段 「福田恆存(一)」より
(2-10) P102 下段 「福田恆存(一)」より

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