村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十六回)

(8-6)教育熱心の父親にかぎって、利己的な態度をとりがちで、自分の子供を偏愛する・・・(中略)・・・敵をも公平に客観化する目は、男性の方がいくらかましだと思い、これは価値の上下ではなく、社会的機能の相違から来ると考えているが、最近の家庭では、この点に狂いが生じているのではないだろうか。

(8-7)ヨーロッパでは日本と違い、(中略)少なくとも学校と家庭との役割の違いだけは、はっきりけじめがついている。国家の成員を育てるための公教育は学校が引き受けている。しかし、道徳や宗教に関する指導は親の責任である。

(8-8)大学における教育内容の適否が論じられることはほとんどないし、寡聞にして私は、学問の理念が問われたという話も聞かない。

(8-9)つまり教育には本来、人間が怠惰であることが許されたり、時間をかけてゆっくり成熟することが許されたりする閑雅な側面があるはずである。

(8-10)教育は教育を受けること自体に目的を持つのであって、社会発展の手段ではない。

出展 全集第8巻 教育文明論
(8-6) P24 下段より 「日本の教育 ドイツの教育」を書く前に私が教育について考えていたこと
(8-7) P25 上段より
(8-8) P31 上段より
(8-9) P31 下段より
(8-10) P32上段より

村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十五回)

村山秀太郎:昭和38(1963)年生。早大大学院修士、社会思想史専攻。大学受験「世界史」の予備校名物講師として知られる。

 16歳で単身ヨーロッパを回遊した。その後世界各国を100か国以上、紛争地帯を含めて踏破し、その知見に基くユニークな講義で名を高からしめた。著書は『わかりやすい世界史の授業』『よくわかる中東の世界史』『朗読少女とあらすじで読む世界史』(以上角川書店)、『世界史トータルナビ』(学研)

(8-1)平等と無差別とを取り違えてきた日本人のものの考え方が、しだいに教育の現場にまで歪んだ影響を及ぼしている証拠であろう。

(8-2)つまり一方に平等への無理強いの力が働く分だけ、他方に現実の必要からくる人間の能力の選り分けが、十八-十九歳というある一時期に集中的に、仮借ない形式でおこなわれざるを得なくなるのである。それが学校に対する明治以来の日本人の特殊な感情―抑圧とルサンチマン(復讐心理)に基く階級上昇の感情―に由来することはあらためて言うまでもなく、遠因は日本の近代化の構造にあるのだが、しかしそのことによって教育を本当に教育のために考え、学問が好きで高い知識を得ようとする少数の人間がどんなに迷惑をしているかということを言っておかなくてはならないのである。

(8-3)なにも学校だけが人生のすべてではないとどうして教えないのだろうか。手に技術をもち幸せに自信をもって生きてゆけるのだという国民教育を一方でおこなうことが必要であると同時に、他方では、高度の能力をもつ優秀な頭脳にとって張り合いのある競争体系を、教育組織のなかに作っていくべきではないだろうか。

(8-4)人間が人間を選別し、評価する行為は、当然冒険であり、賭けである。それがこわいのでできるだけ避けようとする逃げの姿勢が、日本の社会には明らかにある。その結果が学歴依存である。(中略)「学歴社会」は明らかに責任主体を欠いた日本社会の、このような逃げの姿勢が生み出した病いの一つである。

(8-5)男の子をしっかり自分の手の中に握っていることが出来ない最近の父親の弱さが、こうした事件(中学生殺人事件:村山注)の遠因をなしていることを反省する言葉はどこからも聞こえて来なかった。

出展 全集第8巻 教育文明論
(8-1) P10 上段より 「日本の教育 ドイツの教育」を書く前に私が教育について考えていたこと
(8-2) p14 上下段
(8-3) p16 下段p21,下
(8-4) P17 上段より
(8-5) P24 上段より

『天皇と原爆』の書評

 「毎日のできごとの反省」というブログがある。昨年気がついて、批評眼が秀れているので注目した。辛辣なところもあり、理解に奥行きもあり、バランスがいい。いろいろな人の新刊本の書評を読んだ。ブロガーのお名前をまだ知らない。

 『天皇と原爆』について昨年10月に書評をなさって下さっている。遅ればせだが、ご許可を得ていたので、掲示させていたゞく。

書評・天皇と原爆・西尾幹二・新潮社

2013-10-05 13:53:40 | Weblog

 今まで読んだ西尾氏の本とかなり重複している。同じ傾向の本を選択して読んでいるのだからそうなっても仕方ないだろう。ただ、要約されて総花的になっているような気がするので、頭を整理するにはいいのかも知れない。できるだけ重複しないものをピックアップしてみようと思う。

 サモアの分割、という話がある(P47)。19世紀後半にアメリカとイギリスが、南太平洋のサモアの領土保全を協定する。ところがドイツがサモア王にドイツの主権を認めさせたので、米英独が争った後にベルリンで話し合いサモアの独立を宣言する。ところが内乱が起こると、米英独が対立競争をするのだが、競争から英国が逃げると、米独で分割統治する。この事件は米西戦争、ハワイ併合のわずか二年後である。西尾氏は、これを太平洋における領土拡張の始まりの象徴である。と書く。米西戦争は一気に太平洋を越えてフィリピンまで行ったが、ハワイ、サモアと着々と太平洋の領土を拡大しているのだ。ドイツ領は第一次大戦に負けたため、信託統治領を経て、第二次大戦後独立をしているが、東サモアはいまだにアメリカ領である。この頃のアメリカは英国と同じく典型的な力による帝国主義の膨張国家である。

 豊臣秀吉や江戸幕府のキリシタン弾圧は今では非難を込めて語られる。長崎には日本二十六聖人殉教の地というのがある。しかし西尾氏が書くように西欧のキリスト教宣教師は海外の侵略の手先であったのが事実である。例えば中国では日中の離間を謀るために、宣教師は反日スパイの役割を演じていた(P54)。経費からすれば「アメリカがキリスト教伝道に使った額は全体投資額の四分の一というほどの巨額です。」と言うのだからすさまじい。

 ついでに最近のアフガニスタンへの介入やイラク戦争も、アメリカの西進の一環であると断定する(P55)。多くの保守論客が日米同盟のゆえにこれらの介入を支持し、反対するのは左翼である。しかし西尾氏のこのような観点は、一方で常に考えおかなければならない。知っていて同盟するのはいいが、盲従するのは政治家のすることではない。また、政治家なら日米同盟と言う現実的妥協の理由はあるが、思想家だけの立場なら別である。アメリカの「闇の宗教」(P74)という項はこの本の重要なテーマである。本書では繰り返し、日本と米国はともに神の国であり、それゆえ衝突したのは必然であるということを論じているからである。

 アメリカには、ヨーロッパ以上に強固な宗教的土壌が根強く存在します。ヨーロッパで弾圧された清教徒の一団がメイフラワー号に乗って新天地をめざしたという建国のいきさつからみても、それはあきらかです。・・・非常に宗教的な土壌から、「きれいごと」が生まれてくるのではないというのではないかというのが、私の仮説なのです。アメリカの唱える人権思想や「正義派」ぶりっこは、非理性的である。(P75)

アメリカ人のやることは非常に乱暴であるが、言葉は実に綺麗事に満ちている、というのは多くの体験で分かるはずである。日本国憲法からして、よく読めば論理的には日本は禁治産者だから軍備を持ってはいけない、ということを言っているのだが「諸国民の正義」とか綺麗な言葉が並べられている。それはアメリカ国内でも同様である。西尾氏は言う。占領政策で日本に持ち込まれた、グレース・ケリー主演の「上流社会」という映画は金持ちのアメリカ人の優雅な生活を紹介して、復興しかけの日本人を圧倒した。しかし、同時にインディアンへの無法や黒人へのリンチは公然と行われていた、ということは戦前には日本ではよく知られていたのである(P80)。

 ヨーロッパの魔女裁判は有名であるが、アメリカでも1692年にマサチューセッツ州でも行われている。これは硬直した宗教思想が欧米人にあり、異なった宗教や意見を許さないのである。アメリカの信教の自由と言っても、それは聖書に基づく宗教の範囲に限定されている。これに比べ日本は思想にも宗教にも一般的には寛容である。キリシタン弾圧は、キリスト教宣教師が侵略の尖兵であったためであり、防衛問題であるから宗教弾圧ではない。幕府の教学は朱子学であったが、それに反対意見を述べた荻生徂徠は罪に問われることもなかった。本居宣長は朱子学も幕府が保護していた仏教も排撃したが問題にされなかった。十八世紀のヨーロッパでは、キリスト教の神の絶対性にカントやフィヒテがほんの少し疑義を提出し、人間の立場を主張しただけで、大学の先生を辞めさせられたりするなどされた。(P81)日本には思想の自由がなく、欧米とは違う、というのも戦後吹き込まれた幻想である。

 アメリカが宗教に立脚した国であるということは、大統領が就任の宣誓をするときに、聖書に手を置くことでも分かる。そればかりではない。レーガン大統領は就任演説で「われわれは神のもとなる国家である。これから後も、大統領就任式の日が、祈りの日となることは、適切で良きことであろう」という一句があった。ところが演説を細大漏らさず翻訳した朝日新聞の記事には、この一句だけがすっぽり抜けていた。(P118)西尾氏は意図的だろうと考えながらも、宗教の事は個人的なものであり、枝葉だから省略したとして好意的に解釈している。森首相が『日本は神の国』と発言して問題にされたのは、この演説のよほど後だから、関連はないのだが、朝日新聞は、戦前、神国日本などと言っていたと批判しているのだから、アメリカ大統領が、公然と米国は神の国だと言っているのは都合が悪いから意図的に削除したのである。

 戦時に神国日本を強調した急先鋒は朝日新聞である。朝日新聞のコラムは戦前から「天声人語」である。ところが、昭和17年の1月から、昭和20年の9月まで、何と「神風賦」となっている。戦争が始まった翌月から「神風」と煽り、戦争に負けた翌月、すまして元に戻しているのである。変わり身の早さは見事である。

 森首相を批判したのは、神国という軍国主義を思い出させる、という理由の他に政教分離、という憲法の原則を持ち出している。ところが西尾氏によれば、国により政教分離の意味は欧米でも国によりかなり異なる。(P138)ヨーロッパでは、教会による政治に対する圧力が強過ぎた経験から、宗教権力から国家を守る、法王庁から近代市民社会の自由を守る、という意味である。信仰は個人の内面にとどめ、信仰が異なる人々の間でも政治の話が出来るようにする、という意味である。アメリカでは、建国の経過から聖書に依拠した宗教ならばどの教会派も平等である、という意味である。ところが、唯一日本のように厳格な政教分離を行っているのはフランスであるのだという。それは革命国家だからであり、学校にキリストの絵を飾ってもいけないし、教室で聖書を朗読することも禁止されている。

 西尾氏は日本がフランスのように厳格に政教分離を行っているのが問題である、とするのだが小生に言わせれば、実は日本でも厳格に政教分離が行われている訳ではない。日本でも比叡山など、宗教が政治力を持って騒乱を招いた時代があるから、むしろ宗教が国家に干渉することを防ぐ歴史的必要性はある。ところが、公明党が支持母体の創価学会という宗教団体に操られていることは問題にされてはいない。問題にされているのは、玉串料を自治体が払ったなどということである。つまり政教分離を口実に神道だけが排撃されているのである。家を建てるとき地鎮祭をするように、神道は深層で日本人の生活に密着しているから、神道の行事に自治体が費用を負担するということが起きるのである。日本の左翼は可哀そうに、GHQに国家神道が軍国主義の支柱であり侵略戦争を起こした、などと吹き込まれて、忠犬のように従っているのである。彼等は日本人としての心の根幹を破壊されたのである。

 大統領の宣誓に見られるように、アメリカが政治に及ぼす宗教の影響が大きいのは、アメリカ社会が、ヨーロッパの十九世紀や江戸時代の日本のように、脱宗教の洗礼を受けていないからだ(P140)と言われると納得する。同じイギリス出身でもヨーロッパ人とアメリカ人がかなり異質な理由はこれで納得できる。アメリカの移民が始まってから、ヨーロッパとは歴史的に分離されたのである。アングロサクソン中心で純粋培養されたアメリカ。一方で多数の国民国家が競い合い、それにローマ法王庁が絡み合う、という複雑な歴史が妥協的な社会を作っていったのである。それはアメリカ建国後のことだから、アメリカは取り残されている。それでも、西洋人は一般的に日本人より原理主義的な傾向があることは否めない。

 同様に日本の政教分離は、歴史的には日本は独自の観念を持っているのだという。心や魂の問題は仏教に頼り、国家をどう考えるかという公的な面は天皇の問題になる、というのである。日本は江戸時代から迷信が乏しい国で、西欧の魔女裁判は元禄時代までも行われており、その時代に日本では現世を謳歌していた(P141)。日本人は現実的なのであり、だからこそ、万能の神があらゆるものを創ったなどという夢物語を信じられないのである。

 皇室への恐怖と原爆投下(P187)という項は、本のタイトルのゆえんであろう。アメリカにとって日本は「神の国」に反抗した悪魔だから原爆投下をやってのけた。天皇の名の下に頑強に抵抗した日本に畏怖を感じたのである。その後、意識が変化して原爆投下に対して罪の意識を感じるようになってきた。日本の統治に利用するために、天皇を残したというのは間違いで、天皇を倒すことはできないことがアメリカ人にはわかってきたのである。それで長期的に皇室を弱体化し失くす方法を講じてきた。ひとつの方法は皇室の財産を全部なくし、皇族を減らして皇室を孤立させた。もうひとつは教育である。今上天皇陛下の皇太子当時にクエーカー教徒の家庭教師をつけ、今の皇太子殿下にはイギリスに留学させた。(P191)頭脳を西洋人に改造しよう、というのである。

 さらに、皇太子妃殿下はカトリック系の学校出身で、現地体験から欧米趣味をもっておられ、洋風ではない皇室の生活がストレスになっている、というのだが、妃殿下との結婚までアメリカの陰謀だというのは出来過ぎた話のように思われる。ただ、西尾氏は雅子妃殿下について厳しい論調で批判している論文を世に出している。大日本史や、新井白石、福田恆存、会田雄次、三島由紀夫などの例をひいているが、元々民とて皇室は批判すべきことはきちんと批判すべきという考え方の持ち主(P231)なのである。

いずれにしてもイギリスが建国の英雄の娘であるアウンサン・スー・チーを長く英国で暮らさせて英国人と結婚させ、ソフトの力でミャンマーを支配しようとしているのと同類の高等戦術を使っている。(P190)西尾氏はそれでも日本は必要に迫られれば「神の国」が激しくよみがえる可能性がある(P192)と希望をつないでいる。

 和辻哲郎は高名な倫理学者であるが、昭和18年に「アメリカの国民性」という貴重な論文を書いている。(P211)その書でバーナード・ショウの英国人の国民性についての風刺を引用している。「イギリス人は生まれつき世界の主人たるべき不思議な力を持っている・・・彼の欲しいものを征服することが彼の道徳的宗教的義務であるといふ燃えるような確信が・・・彼の心に生じてくる・・・貴族のやうに好き勝手に振る舞ひ、欲しいものは何でも掴む・・・」のだという。これがアメリカに渡った英国人の基本的性格なのである。ショウは皮肉めかしているが内容は事実である。

 和辻によるイギリス人のやり方はこうである。土人の村に酒を持ち込んで、さんざん酔っぱらわせ、土人の酋長たちに契約書に署名させる。酔っぱらった酋長は彼らに森で狩りをする権利を与えたのだと勝手に解釈するのだが、契約書にはイギリス人が土人の森の地主だと書いてある。酔いが覚めた土人は怒りイギリス人を殺すと、契約を守らなかったと復讐し、土地を手に入れる。こうして世界中で平和条約や和親条約を使って領土を拡大する。(P217)和辻はこの説明をするのにベンジャミン・フランクリンを引用している。

そしてインディアンの文明は秩序だっており、イギリスからやってきた文明人と称する人たちのやりかたのほうか、むしろ奴隷的で卑しいものだと、インディアンたちは考えていたであろうと、フランクリンは気付いていた、というのである。これは西郷隆盛が西洋人は野蛮である、と断定したのと共通するものであろう。ところがフランクリンは、そう考えながらも、気の毒ながらインディアンには滅びてもらわなければならない、(P219)と考えたというから西洋人というのは怖しい。和辻に言わせると、フランクリンは良識的なのだそうだ。

 和辻氏は別のエピソードも紹介する。あるスウェーデンの牧師が、聖書についてアダムとイブの話からキリスト受難の聖書の話を土人の酋長たちにした。非常に貴重なあなた方の言い伝えを聞かせてくれた、お礼にと言って酋長が、トウモロコシとインゲン豆の起源についての神話を話すと牧師は怒りだす。「私の話したのは神聖なる神の業なんだ。しかし君のは作り話に過ぎない。」というのだ。土人も怒って、我々は礼儀を心得ているから、あなたの話を本当だと思って聞いたのに、あなた方は礼儀作法を教わらなかったようだから、我々の話を本当だと思って聞けないのだ、というのである。これは西洋人の独善をついた貴重なエピソードである。この性格の基本は今でも変わらないことをわれわれは心するべきである。

 そして和親条約を締結してからが、アングロサクソンの侵略の始まりである、ということは日本にも適用されていると和辻氏はいうのだ(P252)。ペリーは大砲で威嚇しながら和親条約の締結を迫ったが、拒めば平和の提議に応じなかったとして武力で侵略するつもりであった。対支二十一箇条の条約は、武力の威嚇の下になされたとして、欧米に批難された。不戦条約を作り一方で自衛か否かは自国が決める、と言っておきながら、満洲事変以後の日本を不戦条約違反であるとした。

 しかもこの身勝手な欧米人の行為を正当化したのがトーマス・ホッブスの人権平等説であるというのだ。ホッブスの人権平等説とは、あらゆる人間は自然、つまり戦いの状態に置いて平等に作られているというのである。簡単に言えば強い者は弱い者を叩いてもいい、という平等なのである。もちろん、インディアンや原住民にした行為が「正義」や「平和」のもとに行われることの矛盾は、欧米人も承知している。だが、原住民からあらゆるものを奪い取ることの欲求を抑えることが出来ないから、こんな理屈をこねるのである。

 荻生徂徠が「・・・『古文辞学』と言って、前漢より以前の古文書にのみ真実を求め、後漢以後の本は読まないと豪語し、ずっとくだった南宋の時代の朱子学の硬直を叩きました。」(P233)というのであるが、小生はこの言葉を西尾氏とは別の意味に受け取った。本来の漢民族は、漢王朝が崩壊すると同時に滅亡した。古代ローマ人が現代イタリア人とは民族も文明も断絶しているのと同じ意味で、秦漢王朝の漢民族と現代中国の自称漢民族は文明的にも民族のDNAも断絶している。儒学などの支那の古典は漢王朝までに完成したものである。それを異民族が勝手にひねくり回した南宋の朱子学などというものは偽物だと思うのである。徂徠は内容から、後漢以後のものはだめだと判断したのだろうが、小生は歴史的に判断したのである。

「中国 大嘘つき国家の犯罪」(宮崎正弘著)の解説

【文庫】 中国 大嘘つき国家の犯罪 (文芸社文庫 み 1-2) 【文庫】 中国 大嘘つき国家の犯罪 (文芸社文庫 み 1-2)
(2014/08/02)
宮崎 正弘

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解 説──浪漫派詩人の犀利な現実認識──西尾幹二 

 宮崎正弘氏の中国研究はすべて自ら脚で歩いて、見かつ聞いた現地情報を基本とし、それに中国語、英語のメディアから驚くほど多数の関連情報をもの凄いスピードで読みこなし、有名なメルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」──本書出版直前の2014年8月5日で通巻4300号を超える──を、氏は精力的に発行しつづけている。

 中国が日本にとって重大な意味を持つようになった二十一世紀に入って以降、このメルマガが日本の知的社会において果たした役割は大きい。政界、言論界はもとより、マスメディア以外にも、学者や一般読者にも影響を与えつづけて来た。何よりもその行動力と全身をアンテナにして捉えて来た権力中枢の動向から場末の下世話な話題に至るまでのリアルな情報は、この時代を敏感かつ真剣に生きている日本人には無関心であることが許されない読み物であった。早い時期に中国の全省に足を踏み入れ、いたるところを踏破し、新幹線が出てくればこれに全線乗り、北京と上海しか見ていない新聞記者顔負けの行動力で、日本人の知見を広めてきた。新聞社の中国特派員が宮崎氏のメルマガを見て書いていると聞いたことがあるが、さもありなんと思う。

 氏はメルマガをほぼ毎日、旅行中以外は休むことなく、ときに同じ日に二度三度と出すこともあるが、それに止まらず、ここで確認した体験をさらに整理し、ご自身の文明観や国際政治観を書き込んで、単行本を出しつづけた。そのスピードは年に五、六冊に及ぶ。昨秋百六十冊を数え、これを機に出版記念パーティが開かれた。本書はその中でもとりわけ氏の中国観を総集したような代表的位置を占めるのではないかと思う。

 「中国人は嘘が得意であるが、これは生存本能からくる生来の体質であって、生まれてから死ぬまで、日々の生活においても朝から晩まで嘘をつかないと不安なのである。言行不一致が矛盾であるという感覚もない」

「彼ら(中国人)の主張には理性と理論が欠落しているうえに、倫理がない。理論的、合理的、科学的論考を初めから拒絶し、『日本が悪い』という固定観念からすべてを発想する。日本に限らず、相手が常に悪いのであり、オレ様だけは常に正しいという、不思議な強迫観念に取り憑かれている」

 嘘が「不安」に発し、自己正当化が「強迫観念」に由来するというこのような観察に、中国人に対する宮崎氏に特有の見方がある。中国人には何かが欠けている。人間の生き方に根底がなく、落ち着きや静かさや優美さが感じられないのは、貧寒たる大陸に住む人間には「生存本能」しかないのかもしれないと見ている。

 「中国人の特筆として『大きなことを先に言ったほうが勝ち』という原則がある」

 

 「そもそも共産党上層部は農民を馬鹿にし、労働者を差別している。……共産党員だけがエリートであり、国民の五%ほどしかいない。他の九十五%は奴隷としか認識していない」

 「中国には『住民票』という制度がない。……戸籍証明をとるのも戸籍を変更するにも、賄賂が必要なのである。だから戸籍の売買が公然と行われ、死んだ人の戸籍も生きていることにして高く売れる」

 

「貧乏人が路傍で死んでいても党は構わない。老人ホームであるとか、国民健康保険という制度は、もちろん確立されていない」

 「開廷して被告人が証言しているのに裁判官は携帯電話で横向きになって喋っている。裁判官で法学部を出た人は稀で、いや、そもそも大学を出ている人が少なく、下級裁判所の多くは共産党が任命した地方のボスが多い。
 また陪審員が裁判長の愛人だったりするから、これも裁判の進行に関心がなく、携帯電話で長話をしている。公判は公平に行われず賄賂が判決を左右し、殺人でも無罪になるかと思えば、裁判長の虫の居所が悪いと万引きでも死刑判決が出る」

 以上の引用はすべて本書の第二章からであるが、これだけを見ても中国社会のすさまじい無法ぶり、無秩序、混沌が的確にえぐり出されている。じつに恐ろしい社会である。

 次のような諸事実も中国人旅行者が増えて日本社会にも浸透してきた。

 

「他人のために無償の行為を行うという発想は中国人にはない。
 他人への配慮、思いやりに乏しく、だから信号は守らない。投げ捨てタバコ、道路につば、痰を吐く。地下鉄で排便する。バスの中で麺をすすり、窓から容器を投げ捨てる。若い美人がコーラの瓶を平然と窓から投げている現場を、筆者は何度も目撃した」(第三章)

 最近の中国の大都市に林立するニューヨーク並の摩天楼はわれわれもテレビ等で見慣れているが、宮崎氏の観察は鋭い。

「瀋陽も大連も都心部に林立するビル群は奇妙なデザインばかり。……まるで都市設計の思想がない。いや中華の伝統が皆無に近い。……これほど迅速に中華の匂いも風情もない町並みを急増する神経とは、いったい何なのか。むしろそのことを熱烈に知りたいと思うのは筆者ばかりではないだろう」(第四章)

 進歩を信じ過ぎた遅ればせ急ごしらえの「近代化」が熱病のごとくこの国を襲っているのは紛れもないが、ただそれだけではない。この荒涼たる風景には、中国文明そのものの持つ貧しさが根本の原因をなしているように思える。私自身も支那の文学、哲学に魅力を覚えたことがない。古い時代の作品にも、そう多く触れたわけではないが、宗教性がなく、政治過剰である。『論語』も道徳の書というのは日本人の誤解で、政治教本のように思える。このあたりの問題でも宮崎氏は見るべきものをしっかり見ている。

「仏教の聖地とされた場所に共通するのは、寺はともかく麓の街は俗化しているということだ。参詣客が蝟集する麓のレストランにはハトの丸焼き、牛豚羊ばかりか、犬肉料理もある。……率直に言って中国の仏像は優しさを感じない。端的に言うと、品がない……」(第四章)

 「優美な曲線や優しい顔つきとか、情緒を含む笑いとか、日本の仏像や庭園は、その造形自体が芸術である。ところが中国の公園は、地獄で閻魔大王に舌を抜かれる様や、身体を八つ裂きにされる処刑を受ける極悪犯罪者などを、露骨に図形や人形にして展示しており、その彫刻も絵画も宣伝用ではあったとしても、少しも芸術の香りがしないのだ。奇岩をならべてどうだ、と客に見せる図太い神経は、仏教寺院の周囲にある記念館や博物館でも同じ」(第四章)

 各地を見て歩いた氏の描写力には実感がこもっている。

 以上いくつか取り上げた例から分かるように、見て歩いて感じ考えたことを次々と筆の赴くまま、思い出すままに語ったこの本の自由自在な筆致は、何年何月の記録というのでも、特定の政治事件の報告というのでもない。現代中国そのものの体当たり体験記である。恐ろしく広範囲に及び、恐ろしく奥深いが、けっして概念的ではない。観念的ではない。ご覧の通り視覚的である。文学的である。

 私は氏は浪漫派放浪詩人だと思うことがある。日本的美感の奥ゆかしさを愛している詩人であって、中国を研究し、歩き回ってはみたが、中国をどうしても好きにはなれない壁にぶつかり、幾度も立ち停まっている。

 

「食欲、性欲、物欲に関して言えば、中国人の欲望表現は原色志向である。ぎらぎら、べたべたの直截な表記しかできない。奥ゆかしい比喩が苦手である。色彩感覚にしても彼らの横断幕は朱色と黄色の原色が多く、夜のネオンは高尚なレストランも下卑た曖昧宿も、色彩の下品度は同じ」(第六章)

 まことにわれわれが知る中国はまさにこの通りである。が、政治論議の多い最近の中国ウォッチングには体験の原点に立ち戻ったこのような誰しもが気がついているはずの正直な言葉に欠けている。日本人としての自分の感性からもう一度見直してみるという文化批評をほとんど見かけない。

 「日本の紳士の高級な遊びは中国人にはおそらく理解不能だろう。
 手も握らないで和歌遊びなんて、中国人には絶対に理解できない」(第六章)

 こう述べて、京都の茶屋遊びや茶室の知識人のサロンに育まれた日本文化の粋に思いを致す宮崎氏は、中国と中国人に対するある深い断念の意識に立ち至っている。なぜこのようなことになったのだろう。中国がいかに経済成長を遂げても、思想も宗教もなく、芸術は物真似、モラルも不在、総じて文化が枯渇しているなら先行き文明の行方は知れている。現在がピークで、中国はこのまま衰退に向かって行くだろう、と氏は本書の結論を突き放したように語っている。

 宮崎氏以後、若い現代中国研究家が続々と出現した。ある人は、世界各地にあふれ出し、欧州、アメリカ、その他をボロボロにするほどに迷惑をかけている中国人移民の生態とその政治的なトラブルを主なテーマにしている。またある人は中国人労働者、農民工の生活の苦しい内実、ことに中国人女性の暮らしぶりやものの考え方について数多くの観察レポートを書いている。またある人は中国と日本政府、官僚、財界人の不正なつながりに光を当て、中国進出の日本企業の陥った非情なる苦境について徹底的に追及している。こうした多士済々な活動は、宮崎氏が一度は何らかの形で手を着け、すでに発言し、展開しているテーマのうちにあるが、しかし、宮崎氏ひとりでは追い切れない特殊テーマの個別的研究といった体のもので、よく考えると氏が広げた大きな展開図の中で、単身では及ばなかったテーマの個人的追究といったものであって、氏はいわば現代中国研究の総合的役割を果たしてきたのだなと思い至るのである。後から来た世代は宮崎氏の仕事を横目で見て、それと重ならぬように、そこから漏れたテーマに焦点を絞って、意図的に個別の研究をすすめているように思える。宮崎氏の中国ウォッチングはそれらの人々の前提であり、先駆であった。すなわち宮崎氏は黙って一つの「役割」を果たしていたのだな、と今にして思い至るのである。

 2013年秋で160冊を数えた宮崎氏の著作だが、1971年、三島由紀夫論が処女出版で、中国論が出版されたのは32冊目、1986年であった。その一冊から、十五年間中国論はなく、1990年の28冊目にやっと二冊目の中国論が書かれている。そういうわけで、氏の中国論がたくさん書かれるようになったのは2001年より後である。2001年から今日までの68冊のうち45冊が中国ものとなっている。私が知り合いになったのはそれより少し後であった。

 では、それ以前の宮崎氏は何をしていたのだろうか。経済評論家であり、アメリカ論者であり、資源戦略や国際謀略などに詳しいグローバルな動機を基礎に置いた国際政治に関する著作家であった。

 私は成程と思った。中国語の読み書きはもとより、英語の能力が高い。新聞雑誌の英語をもの凄いスピードで読む。メディアの英語は学校英語と違って、背景の広い国際知識をもたないと読めないもので、難しいのである。びっくりするのは世界の無数の政治家、経済人の名前をつねに正確にそらで覚えている。欧米人だけではない。中東から中央アジアの政局にも詳しく、キルギスとかトルクメニスタン、あのあたりに政変があると、片仮名で書いても長くて舌を噛みそうになる固有名詞をそらで覚えていて、次々と出す。パソコンを片端から叩いて、何も見ていないのであろう、全部頭に入っている。これにはたまげる。

 宮崎氏はどういう時間の使い方をしているのだろうか? いろいろな人の本を次々と書評もしている。私と同じ時期に送られてくる新刊本、整理べたの私がまだ本の封筒の袋を開けていないときに早くも宮崎氏のメルマガの書評欄にその本の書評がもう出ている。一体どうなっているのか。宮崎氏はどういう時間の使い方をしているのだろうか。ほとんど怪物だと思うこと再三であった。記憶力抜群、筆の速度の天下一、鋭い分析力と時代の動きへの洞察力──もう負けたと思うこと再三であった。

 中国論は世に多いが、経済の理法を知らなければ今の中国は論じられない。また逆に、中国の動向を正確に観察していなければ、今の世界経済は論じられない。宮崎氏の仕事は世に出るべくして出て来たのである。

 昭和前期に長野朗と内田良平という蒋介石北伐時代の中国ウォッチャーがいたが、宮崎氏はどちらが好きで、どちらが自分に似ていると考えているだろうか。一度きいてみたいと思っている。どちらも愛国者であるが、長野朗は農本主義者で、内田良平は日本浪漫派風の国士であった。私は内田良平のほうに似ているのではないかな、などと考えている。

 宮崎氏は人情に篤い。友人思いである。友人の死はもとより、その奥様が急死なさる──そういうとき彼は自分の仕事を捨てて飛んで行く。友人のために働き、友人のために気配りし、自分のスケジュールを犠牲にしてもいとわない。

 私はいつも思うのである。あの「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ……東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ」彼はそうなのだ。「丈夫ナカラダヲモチ、慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシズカニワラツテイル」……

 本当にそうなのだ。仲間で言い合いがあって、少し激しくなってくると、宮崎氏はいつも茶化すような、思いがけない方角からの茶々を入れてみんなを笑わせ、一座の興奮を鎮めてしまう人である。

 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」……宮崎氏の場合は玄米ではなく「一日ニ焼酎四合」と言い直したらいいだろう。そして「少シノ野菜ヲタベ」というのは本当で、宮崎氏は飲み出すと物を食べない。これはいけない。健康に悪い。それからもうひとつ煙草を吸いながら酒を飲む。これもいけない。われわれが止めろといくら言ってもきかない。

 宮崎氏の生活行動は文学者のそれで、日本浪漫派の無頼派の作家、破滅型の作家のモラルに似ている処があって、そこが心配である。最近は酒の量が少し減っているように見受ける。メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の欄外に飲み歩きの記録、消息案内があるのだが、最近その記事がいくらか減っているようで心配である。二、三年前には、西荻窪から中央線に乗って途中で降りないで眠ったまま東京駅まで行ってしまうようなことがあったが、いくら何でももうそんな無茶はしないで、大事にしていただきたいと思う。

中川八洋氏に対する名誉毀損裁判の途中経過報告

 私は中川八洋氏がオークラ出版の雑誌『撃論』第3号と日新報道が出版した中川氏の本において、私の名誉を著しく毀損していると判断し、かねて東京地方裁判所に名誉毀損で三者を提訴していました。三つの案件のうち先頃、オークラ出版とは和解が成立し、同社のホームページに次の謝罪文と告知文が掲示されましたのでここにご報告いたします。

 平成26年8月13日 

                             西尾幹二

             お詫び

 弊社は、弊社刊行物(撃論 vol.3)の発行により、西尾幹二氏に大変ご迷惑をお掛けし、不愉快なお気持ちにさせてしまいましたことについて、深くお詫び申し上げます。なお、弊社が発行しておりました雑誌「撃論」は廃刊と致しました。

平成26年8月1日 

株式会社オークラ出版
代表取締役 長嶋うつぎ

 なお、このオークラ出版のホームページ上の掲示は8月1日から90日間行われる約束になっています。

國字としての漢字

ゲストエッセイ
    田中 卓郎 坦々塾会員 哲学者

 通常國字と言へば、支那から輸入された漢字ではなく、我が國に於いて案出され、支那には無い國産の「漢」字、例へば「峠」や「榊」などの文字を文字を指す。それら以外の漢字は、支那傳來の文字といふ意味で文字通り漢字である(津田左右吉は『支那思想と日本』に於いて「支那文字」といふ表現を用ゐてゐる)。
 さういふ譯で、漢字は支那が本國で、我が國はその輸入國に過ぎず、現在に到るも漢字に關するあらゆる事柄の最終的判斷基準、根據は依然として支那や支那の典籍、あるいは支那人學者の言に在るとわれわれのうちの大多數は信じ込んでゐるやうに思はれる。このことは一般の素人も專門家も變らず、殊に專門家はその多くが研究對象を盲目的に崇拜愛好するので、漢字に關する支那本家意識は素人よりも一層強いとも想像される。その證據に、支那文學、史學、語學等を問はず、支那關係諸學で支那を正しく「支那」と呼んでゐる專門家は現在皆無に近いのではないか。「中國」などといふ美自稱を卑屈に受け容れさせられて使用してゐる主要先進國は、戰後の我が國だけではないのか。一般に或る國をどのやうに呼稱するかはその言語使用者が決定することであり、明確な蔑稱でなければその使用に問題は無い筈である。現に歐米主要先進國での支那の呼稱は「支那」(の語源である秦、Chin)に由來するものである。私は西洋諸語に於ける我が國の呼稱JAPAN及びその變化形を個人的には好まないが、それは外國語に於ける呼稱であるから許容する。自ら名乘る場合は、ローマ字表記ならばNIPPONが當然の呼稱であるが(一九七〇年代くらゐまでは概ねさうであつたかと記憶する)、最近は「オール・ジャパン」などと平然と叫んで何の躊躇ひも無い。眞に滑稽で堪へ難いのは、それに「サムライ」などといふ形容詞を附けて、「サムライ・ジャパン」などと言ふことである。正確な現實認識の第一歩は正確な言葉遣ひであることを改めて想起する他は無い。

 現在のわれわれの常軌を逸した支那への卑屈な迎合は、勿論主に戰後の占領政策及び共産黨政權成立後の支那への左翼的幻想に由來すると考へられるが、より長期的、文化的な次元での支那認識の問題としてこの心理を考へると、文字の輸入といふ問題がその本質的な一部として伏在してゐるやうに思はれる。現に我が國の文字といふ意味で「國字」と言つてみても、高度な、學問的な觀念、概念を表現してゐるのは漢字及びその結合體たる漢語であり、かかる意味に於いて、「國字」と呼んでも實際は支那文字に過ぎず、これを突き詰めて考へても國語には辿り着かないのではないか、といふ疑念が心中に蟠居してゐるのではないかと思はれる。この意識はある意味でわれわれの潔さ、道徳性の高さの現れとも考へられるが、同時に自我の弱さとも考へられ、われわれの正確な現實認識を妨げてゐる。

 周知の如く、現在のヨーロッパ諸國で廣く用ゐられてゐるアルファベットは、その名が示す如く、ギリシア人がフェニキア人の文字を改良して案出したものであり、アルプス以北のヨーロッパ人が發明したものではない。にも拘らず、彼らはそれを自らの言語を表現する文字として使用し(勿論、西歐諸國が使用してゐるアルファベットはローマ人が使用したラテン・アルファベットであるが)、その使用によつて表現可能となつた自らの諸言語を用ゐて近代以降の世界支配を可能としたあらゆる思想、科學などを記述した。西洋諸語を母語として使用する者達は、その記述文字であるアルファベットが自分達の發明品ではないがゆゑに自らの言語に蟠りを覺えることはあるまい。自らの言語を普遍文明の言語たらしめたことは自分達の力以外には有り得ない、と強固な自我をその第一の特質とする近代ヨーロッパ人達は當然考へてゐるであらう。

 同樣のことが漢字についても妥當するのではないか。幕末期以降、西歐列強の侵掠の嵐の中に在つて、我が國はこれを防禦し、植民地化を免れる爲に彼の者達の文明を理解し、その力を我がものとする爲に西洋の學術書の讀解、翻譯に力を注いだ。その翻譯の爲に、西洋語の專門用語に對應してその内容を擔ひ得る「漢」語を「漢」字の組合せによつて案出した。それは、われわれの漢字の本質的な理解と西洋の學術書の正確な理解とが相俟つて初めて可能となる高度に獨創的な語彙の發明であり、これらの高級語彙の案出によつて初めて西洋の先進科學の受容が可能となり、その結果、我が國は列強の侵掠を免れて急速な近代化を成し遂げ、非西洋諸國唯一の近代的大國の地位を得たのであつた。これらの學術的な高級語彙たる日本製「漢」語は支那へも輸出され(「逆輸入」といふ表現はこの場合適切ではない)、彼の國の西洋理解を可能とする決定的な契機となつたのではないか。

 この歴史的事實を認識するならば、學術的高級語彙としてのかかる日本製「漢」語の案出こそ漢字使用に於ける決定的な成果であり、漢字を近代文明の先端を擔ふに足る文字と爲した決定的な偉業と言ふべきであり、これを成し遂げた我が國こそ「漢」字の本家であり、これらの學術的高級語彙こそ眞に「國字」の名に相應しいと言へるであらう。

 かかる認識の普及の爲にも、我が國由來の「漢」語を網羅し、とりわけ學術的な高級語彙を詳細に解説した書籍、辭書類が必要不可缺であるが、その要を滿たすものが見當らない。もし既に出版されてゐるのであれば、お知らせ願ひたいし、未刊であれば、然るべき專門家の先生方にその編纂を切に御願ひ申し上げたい。

『天皇と原爆』書評

『天皇と原爆』 堤堯氏書評

 本書は著者がCS放送(シアターTV)でおこなった連続講話をまとめた。小欄は毎回の放送を楽しみに見た。これを活字化した編集者の炯眼を褒めてあげたい。

 著者は日米戦争の本質を「宗教戦争」と観る。アメリカは「マニフェスト・ディスティニー(明白な使命)=劣等民族の支配・教化」を神から与えられた使命として国是に掲げ、それを「民主化」と称して世界に押しつける。ブッシュの「中東に民主化を!」にも、それはいまだに脈々と受け継がれている。

 かつて第10代の大統領タイラーは清国皇帝に国書を送り、

「わがアメリカは西に沈む太陽を追って、いずれは日本、黄海に達するであろう」

 と告げた。

 西へ西へとフロンティアを拡張した先に、これを阻むと見えたのが「現人神」を頂く非民主主義国(?)日本だ。これを支配・教化しなければならない。

 日露戦争の直後、アメリカはオレンジ・プラン(対日戦争作戦)を策定した。ワシントン条約で日英を離反させ、日本の保有戦艦を制限する。日系移民の土地を取り上げ、児童の就学を拒否するなど、ことごとに挑発を続けた。

 日中衝突を見るや、いまのカネに直せば10兆円を超える戦略物資を中国に援助する。さらに機をみて日本の滞米資産凍結、くず鉄、石油の禁輸で、真綿で首を絞めるがごとくにして日本を締め上げる。着々と準備を進めて挑発を重ね、日本を自衛戦争へと追い込んだのは他ならぬアメリカだ。それもこれも、神から与えられた使命による。

 彼らピューリタンからすれば、一番の目障りは日本がパリ講和会議で主張した「人種差別撤廃」の大義だった。大統領ウィルソンは策を用いてこれを潰した。彼らの宗教からすれば、劣等民族は人間のうちに入らない。かくて原爆投下の成功に大統領トルーマンは歓喜した。

 ニューヨークの自然史博物館に、ペリー遠征以来の日米関係を辿るコーナーがある。パシフィック・ウォーの結果、天皇システムはなくなり、日本は何か大切なものを失ったといった記述がある。インディアンのトーテムを蹴倒したかのような凱歌とも読めるが、一方で、わがアメリカの抵抗の心柱となった天皇を、なにやら不気味な存在と意識する感じも窺える。

 戦後、アメリカはこの不気味な存在を長期戦略で取り除く作業に取りかかる。憲法や皇室典範の改変のみならず、いまではよく知られるように皇室のキリスト教化をも図った。日本の心柱を取り除く長期戦略はいまだに継続している。このところ著者がしきりに試みる皇室関連の論考は、それへの憂慮から来ている。

 従来、戦争の始末に敗戦国の「国のかたち」を改変することは、国際社会の通念からして禁じ手とされてきた。第二次大戦の始末で、はじめてそれが破られた。

 改変の長期戦略は、日本人でありながら意識するしないに拘わらず、アメリカの「使命」に奉仕する「新教徒」によって継続している。

 むしろ「宗教戦争」を仕掛けたのはアメリカだとする主張――それが本書全編に流れる通奏執音だ。いまだに瀰漫する日本罪障史観に、コペルニクス的転換をせまる説得力に満ちた気迫の一書である。