村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム(第十五回)

村山秀太郎:昭和38(1963)年生。早大大学院修士、社会思想史専攻。大学受験「世界史」の予備校名物講師として知られる。

 16歳で単身ヨーロッパを回遊した。その後世界各国を100か国以上、紛争地帯を含めて踏破し、その知見に基くユニークな講義で名を高からしめた。著書は『わかりやすい世界史の授業』『よくわかる中東の世界史』『朗読少女とあらすじで読む世界史』(以上角川書店)、『世界史トータルナビ』(学研)

(8-1)平等と無差別とを取り違えてきた日本人のものの考え方が、しだいに教育の現場にまで歪んだ影響を及ぼしている証拠であろう。

(8-2)つまり一方に平等への無理強いの力が働く分だけ、他方に現実の必要からくる人間の能力の選り分けが、十八-十九歳というある一時期に集中的に、仮借ない形式でおこなわれざるを得なくなるのである。それが学校に対する明治以来の日本人の特殊な感情―抑圧とルサンチマン(復讐心理)に基く階級上昇の感情―に由来することはあらためて言うまでもなく、遠因は日本の近代化の構造にあるのだが、しかしそのことによって教育を本当に教育のために考え、学問が好きで高い知識を得ようとする少数の人間がどんなに迷惑をしているかということを言っておかなくてはならないのである。

(8-3)なにも学校だけが人生のすべてではないとどうして教えないのだろうか。手に技術をもち幸せに自信をもって生きてゆけるのだという国民教育を一方でおこなうことが必要であると同時に、他方では、高度の能力をもつ優秀な頭脳にとって張り合いのある競争体系を、教育組織のなかに作っていくべきではないだろうか。

(8-4)人間が人間を選別し、評価する行為は、当然冒険であり、賭けである。それがこわいのでできるだけ避けようとする逃げの姿勢が、日本の社会には明らかにある。その結果が学歴依存である。(中略)「学歴社会」は明らかに責任主体を欠いた日本社会の、このような逃げの姿勢が生み出した病いの一つである。

(8-5)男の子をしっかり自分の手の中に握っていることが出来ない最近の父親の弱さが、こうした事件(中学生殺人事件:村山注)の遠因をなしていることを反省する言葉はどこからも聞こえて来なかった。

出展 全集第8巻 教育文明論
(8-1) P10 上段より 「日本の教育 ドイツの教育」を書く前に私が教育について考えていたこと
(8-2) p14 上下段
(8-3) p16 下段p21,下
(8-4) P17 上段より
(8-5) P24 上段より

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