お知らせ3件 追記有り

1、 講演  

 西尾幹二講演会
日 時:11月11日(日)午後1時開場 1時半開演
演 題:小林秀雄と福田恆存の「自己」の扱いについて
場 所:ホテルグランドヒル市ヶ谷
参加費:¥2000
主 催:現代文化会議(電話03-5261-2753に事前に申し込んでください。座席数が限定されているためだそうです。)

2、 対談  

 西尾幹二 VS 福井義高(青山学院大学教授)
  『正論』12月号(11月1日発売)
  徹底検証対談 アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか(上)
――世界救済国家論とオールドライトの思想――

3、 新刊 

  西尾幹二・青木直人『第二次尖閣戦争』
祥伝社新書
11月2日店頭発売
1章 正念場を迎えた日本の対中政策
2章 東アジアをめぐるアメリカの本音と思惑
3章 東アジアをじわじわと浸潤する中国
4章 やがて襲いくる中国社会の断末魔
5章 アメリカを頼らない自立の道とは

追記

 10月31日(水)路の会が開かれ、講師の孫崎享氏が新刊のベストセラー『戦後史の正体』と同じ題のテーマでお話して下さった。参集した会員は桶谷秀昭、高山正之、冨岡幸一郎、宮崎正弘、黄文雄、川口マーン恵美、西村幸祐、田中英道、藤岡信勝、伊藤悠可、倉山満、入江隆則、尾崎護、三浦小太郎、山口洋一、福島香織、北村良和、木下博生、大島陽一、佐藤松男、仙頭寿顕(文春)、小島新一(産経)、力石幸一(徳間)ほか徳間関係者数氏。

 孫崎氏はGHQが戦後日本語をやめて英語を公用語に、円をやめてドル(軍票)を通貨にせよと対日要求したことに身をもって抵抗し、日本を守った外相重光葵(まもる)、以下愛国者の系譜を強調して語ったが、これはとても共感をよんだ。

 総じてアメリカに対し主体的であろうとした日本外交の物語は共感をよぶ。たゞ鳩山由紀夫の「せめて県外移転」を同じ主体外交と氏が捕らえるのには少し違和感があった。

 孫崎視は領土問題に関して「先占の理論」(先に占領している方が勝ち)はもう古く、国際司法ではこれは植民地時代の名残りとみられていて、今では決め手にはならない。決め手は条約にどう書かれているかであるという。

 日本の戦後の領土問題はポツダム宣言受諾から始まる。同条約第8条で日本政府はカイロ宣言を受諾している。同宣言には日本周辺の諸島の帰属は連合国が決めると書かれていて、しかも「日本が中国から盗んだ領土」という文言があり、今後中国が有利であり、尖閣も北方領土も日本固有の領土という言い方は国際的に適用しないことになろう、等々。

 当然ながら会員から異論が続出した。

 日中間での「尖閣棚上げ論」はもともと日本に有利な考え方で、日本が率先してこれをくつがえすのは愚かであり、武力紛争になってもアメリカは介入しない、という氏の持論もくりかえされた。「棚上げ論」に立ち戻りたいというのは氏だけではなく、多分外務省の総意だろう。

 しかし「棚上げ論」は日本が壊したのではなく、中国が日本襲撃の機会を狙っていて、ことここに至ったのだと私は解釈している。私はそういう見方だとこのときにも述べた。

 孫崎氏と私とはアメリカへの不信と警戒において共有する側面があるが、中国観ではほとんど一致しない。中国を巨大市場とし、未来は中国にあるとの経済人に似た考えが孫崎氏にあるが、私はそう考えていない。

 尖閣問題についての私の考えは、昨日刊行されたばかりの西尾幹二・青木直人『第二次尖閣戦争』を見ていたゞきたい。

 路の会の今日の参集者は二十二名を越え、活発な論争が展開された。

追記の追記

 孫崎氏との間でオスプレイをめぐる論争もあった。彼は沖縄の米基地反対運動と同じタイプの考え方を述べたので、私や西村幸祐氏や高山正之氏らが反論した。

 私が沖縄にオスプレイが配備されたことは尖閣対策の一つであろう、と言ったら、孫崎氏は色をなして反駁し、オスプレイは尖閣防衛のためにあるのではなく、アメリカの世界戦略のためだけにあるのであって、尖閣のために使われることは絶対にないと断言した。

 私がなにかで読んだのだが、と断って、沖縄のオスプレイ配備で自衛隊は中国の上陸部隊よりも30分以上早く尖閣に着くことができる、と書いてあったと述べたら、福島香織さんが中国側がいまそのように計算して、オスプレイに脅威をかんじているのは事実、と言った。

 沖縄本島における、中国の侵略に対する警戒心や恐怖心のなさに私はつねづね驚いている、とも言った。沖縄県庁は中国のスパイに支配されているのか、それとも沖縄住民は血統的に中国系が大半で、中国領になった方がよいと思っているのか分からない、これは謎だ、と私は言ったが、孫崎氏のそれへの反論はなかった。

 沖縄人が全員オスプレイに反対で反米闘争は全土を蔽っているといわんばかりの孫崎氏の見解に対し、現地を見て来た西村幸祐氏はそんな事実はなく、反米闘争は沖縄の外から来た左翼運動団体に牛耳られ、メディアが押さえこまれているだけで、住民はまったく違う自由な考え方を持っていると証言した。

西尾幹二全集 第四巻『ニーチェ』(第5回配本)刊行

 本書『ニーチェ』は昭和52年(1977年)に中央公論社より二部作として二巻本で刊行された。私の著作としては最初の大作であり、学問的論著でもある。平成5年までに四刷を重ねた。

 平成13年(2001年)にちくま学芸文庫として粧を改めてやはり二巻本で改版された。そのとき原著にはない人名索引が付せられ、さらに読者へのサービスとして、新聞雑誌等で原著に寄せられた大小十七篇の論評の中から、重要な七篇をあえて再録し、参考に供した。私の本の中では最も多く評価の言葉をいただいた作品であったからである。

 このたび本全集の第四巻として刊行されるに当り、論評集をも引き継いだが、原著に寄せられたもうひとつの大型の論評をも、古雑誌の中から引き出して新たに収録した。故渡邊二郎氏との対談「ニーチェと学問――『悲劇の誕生』」の周辺がそれである。これは雑誌「理想」1557号、1979年10月号の特別企画であった。ニーチェやハイデッガーの研究家で哲学畑の渡邊氏の批評の掲載には他にない意義が認められる。

 しかしこの本は決して読みにくい難しい本ではない。本全集には四人の校正者がついているが、その中の一人が「冒険小説を読むようにあっという間に読んだ」と言っていた。それには骨がある。序論をとばして、第一章「最初の創造的表題」から読み始めてほしい。一人の天才の青春物語である。

 その証拠に刊行時に、この本に推薦のことばを書いてくださった故齋藤忍随氏(古代ギリシア哲学)が次のように言っている。

「評伝文学の魅力」― 齋藤忍随氏
三つの逸話があれば、その人間の思想を描きうるという意味の言葉がニーチェにあるが、そのニーチェがギリシア古典の研究者としてスタートを切った事実は、いわば逸事としてこれまで完全に黙殺されて来た。若いニーチェの生活と思想に迫る西尾氏の文章は、初めてこの事実の解明を試みた綿密な研究であるとともに、評伝文学の魅力に溢れており、陶酔朦朧体の饒舌とも、乾燥無味調の講釈とも類を異にした傑作である。(東大教授・古代哲学)

 最後のことばに注目してほしい。学問とは物語だという私の主張がよく理解されている。

 本巻の帯には「あとがき」から次のことばが選ばれている。

ニーチェをその背後から、すなわち十九世紀の生活と思想の具体的な「場」に彼を据えて、そこから見るという視点は成立たぬものか。彼が否定した世界を矮小化せずに、むしろその動かぬ必然性の内部に彼を置いてみる。ニヒリズムを具体的に生きた一人の人間の形姿を、私はニヒリズムという言葉を使わずに描いてみたかったにすぎない。(あとがきより)

 本巻は二部作を一冊にまとめたので792ページ(ほかにグラビア10ページ)にもなり、定価も高くなっているのはお許しいたゞきたい。以下に目次を掲げる。

目 次

第一部

序論
日本と西欧におけるニーチェ像の変遷史
……………15
Ⅰ 一八九〇年 …………………………………………………17
最初の反響と興奮(18)一八九〇年代のドイツ(22)高山樗牛の誤解と正解(24)

Ⅱ 一九〇〇年 ― 一九二〇年………………………………32
弁護と解読のはじまり(32)アロイス・リールの文化的解釈(36)ファイヒンガーの『「かのように」の哲学』(37)ラウール・リヒターの生物学的進化論(39)ヨーエルのロマン主義者ニーチェ像(40)日本人の仕事の再検討(42)現代人にとってのニーチェの意味(44)和辻哲郎の独創と限界(47)ジンメルと阿部次郎(50)永劫回帰説をめぐって(52)マックス・シェーラーのルサンチマン論(55)

Ⅲ 第一次世界大戦 ― 一九三〇年…………………………61
ゲオルゲ派の神話的ニーチェ像(61)ベルトラムと小林秀雄(66)クラーゲスの心理主義(71)

Ⅳ 一九三〇年 ― 第二次世界大戦…………………………79
ドイツにおけるニーチェ観の多様化と深化(79)大戦前夜と日本の近代||シェストフ論争(82)解釈者自
身が問われるニーチェ解釈||ヤスパースとハイデッガー(88)『アンチクリスト』におけるルター批判の一
例(95)日本人としての課題(101)

第一章
最初の創造的表現
……………………………………………107

第一節
早熟の孤独
…………………………………………………109
六人の婦人と一人の男児(109)十三歳の自叙伝(114)フリッツ、ピンダー、クルーク(117)母からの解放と呪縛(120)
M・エーラー『ニーチェの祖先の系図』(124)父方の祖父母(127)幻想としての父親像(129)

第二節
思春期の喪神
…………………………………………………135
年少の覚悟(135)プフォルタ学院への誘い(136)プフォルタ学院生活とホームシック(141)得られなかった新しい友情(144)本書叙述の方法(148)母からの離反と信仰問題(150)青春の哲学的著作から(154)

第三節
ヘルダーリンとエルマナリヒ王伝説――青春の危機
……………161
「ゲルマニア」同人の活動(161)オラトリオの作曲(163)ワーグナー音楽との最初の出会い(166)ヘルダーリン発見の先駆け(169)多産な青春の危機(175)エルマナリヒ王伝説との格闘(182)

第四節
音楽と文献学のはざま
…………………………………………188
史実と神話の境い目(188)エルマナリヒ研究の重要性(196)雷雨とピアノ(199)自称初恋とエロの混乱(201)知識の拡散と「気分について」(206)職業の選択への迷い(210)

第五節
書物の世界から自由な生へ
……………………………………214
生徒ニーチェの語学力(214)ニーチェの生涯におけるプフォルタの意義(218)『悲劇の誕生』の萌芽(221)プフォルタ学院との別れ(225)ラインの旅とボン到着(229)学生組合フランコーニアへの加盟(233)

第二章
多様な現実との接触
…………………………………………241

第一節
フランコーニアの夢幻劇
……………………………………243
クライストとシェイクスピアの場合(243)ボン大学生の夢と行動(246)集団へのアンビヴァレントな関係(252)ニーチェの決闘事件(256)学生組合フランコーニアからの脱退(262)反時代的浪漫主義の挫折(269)

第二節
ショーペンハウアーとの邂逅
…………………………………274
ケルンの娼家と『ファウストゥス博士』(274)ボンからライプツィヒへ(280)『意志と表象としての世界』と
の邂逅(282)影響とは何か(286)

第三節
文献学者ニーチェの誕生
………………………………………291
リチュル教授と古典文献学界(291)文献学者としてのデビュー作(303)憂愁の悲劇詩人テオグニス(308)学者としての自己限定(312)青年の成熟と自己批評(314)
〔追記〕
ニーチェの父の死因  133
「 リチュル╱ヤーン争い」の経緯  296
プフォルタ高等学校の卒業論文「メガラのテオグニスについて」   315

第二部

第一章
自己抑制と自己修練
………………………………………325

第一節
哲学と文献学の相剋
……………………………………………327
生の慰めとしての哲学(327)リチュル教授一家との親交(332)ランゲの形而上学否定に感銘を受ける(338)

第二節
ラエルティオスとアリストテレス
……………………………344
テオグニス、スイダス、ディオゲネス・ラエルティオス(344)ディオゲネス・ラエルティオスの典拠批判(349)学問への疑惑のはじまり(354)アリストテレスの著作目録(358) アリストテレス研究史の流れの中で(360)抑えられていた世界観的欲求(368)

第三節
恋とビスマルク
……………………………………………375
女優ヘートヴィヒ・ラーベ(375)普墺戦争下のザクセンの状況(379)ニーチェのビスマルク観(384)

第四節
ライプツィヒの友人たち
………………………………………390
パウル・ドイセンの場合(390)さまざまな友人群像(396)エルヴィン・ローデの場合(400)

第二章
新しい飛躍への胎動
……………………………………………411

第一節
バーゼル大学への招聘
………………………………………413
本書叙述の方法(413)兵役義務に対する態度(417)軍隊と文献学へのイロニー(419)解釈学の新しい問題(423)
ワーグナーとの初会見(428)バーゼル大学への異例の招聘(431)

第二節
赴任前の日々
…………………………………………440
論文免除で学位を得る(440)スイス国籍に変わる(442)ローデの不遇にみせる姿勢(444)ドイセンへの絶交状(450)幸福と健康の底にある翳り(453)

第三章
本源からの問い
……………………………………………457

第一節
歴史認識のアポリア
……………………………………………460
古典文献学の伝承史的方法(460)就任講演「ホメロスの人格について」(463)十九世紀文献学の理想と使命(466)ニーチェの学問批判の根柢性(468)

第二節
ワーグナーとの共闘
…………………………………………472
バーゼル人気質とニーチェの孤立(472)トリプシェン初訪問(475)急迫する感激の高まり(478)蜜月時代(481)新しいギリシア像への転換と予言(486)自由人の行為の秘密(491)「 新しい大学アカデミー」を求める運動(497)

第三節
フランス戦線の夢と行動
……………………………………504
普仏戦争開戦(504)マデラーネル渓谷での決心(506)『悲劇の誕生』と『ベートーヴェン』(508)芸術家の陶酔と覚醒(513)ディオニュソス的人間はハムレットに似ている(516)認識者の実験(520)

第四章
理想への疾走
………………………………………………527

第一節
バーゼルの日常生活
…………………………529
バウマンの洞窟(529)オーヴァベックとの交渉(530)部屋、服装、散歩、社交界(533)高校教師としてのニーチェ(536)

第二節
『悲劇の誕生』の成立次第
………………………………………544
哲学教授への転籍をはかる(544)厖大広汎な書物の構想(549)『悲劇の誕生』の成立(554)ヤーコプ・ベルナイスによるアリストテレスのカタルシスをめぐる新解釈とニーチェの悲劇観(561)ブルクハルトとの交渉の発端(571)

第三節
歴史世界から自然の本源へ ―― 初期ニーチェの中心問題
…………578
近世形而上学の帰結としてのショーペンハウアー(578)主観的認識論を超えギリシア的存在把握へ(584)ヘラクレイトスと自然の原世界(591)HistorieとPhilologieの相反(595)ゲーテ以後の古典研究の状況(601)西欧的時間観念からの離脱(607)

第四節
十九世紀歴史主義を超えて
……………………………………614
教育問題への発言とブルクハルトの反応(614)『悲劇の誕生』をめぐるリチュル、リベック、オーヴァベック、ローデ(618)トリプシェン最後の訪問とバイロイト起工式(625)ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフの攻撃文書とニーチェの立場(627)ワーグナーとローデの応酬(636)理想への疾走(642)

〔追記〕
リチュル教授の生涯と学問 336
学生時代のニーチェの文献学業績総覧 370
パウル・ドイセンの学問上の業績 395
デモクリトス研究における解釈学の問題 426
『悲劇の誕生』の予備作品 524
ニーチェのバーゼル大学講義題目(一八六九夏 – 一八七二夏) 552
『悲劇の誕生』出版後の読者の反響 647

〔附録〕
ニーチェの祖先の系図 マックス・エーラー編 651
参考文献目録 675
あとがき 676
ひとこと 681
書評 浅井真男(683)茅野良男(686)植田康夫(691)吉沢伝三郎(695)平木幸二郎(701)桶谷秀昭(705)谷口茂(707)
追補 渡邊二郎・西尾幹二対談「ニーチェと学問」…………………711
後記……………………………………761
人名索引 790

西村幸祐放送局(二)

「西村幸祐放送局」という、西村さんが主催する個人広報のYouTube中心のブログが立ち上がり、すでに活動を開始しています。今度そこに「西尾幹二の世界」という新しい企画が始まり、これは第二回の放送です。このような取り組みがなされたことに対し、謹んで西村さんに感謝します。

西尾幹二の世界 第二回

知の巨人、西尾幹二の全存在が明らかになりつつあります。
厖大な著作を完璧に網羅するこの全集は、人々を知性の冒険と感性の探究に誘ってくれます。
今回は全集第一巻の内容を中心に話を進めました。

全集第一巻『ヨーロッパの個人主義』は、西尾幹二氏の初期評論を中心に編集されています。西尾氏の処女作『ヨーロッパの個人主義』(講談社現代新書)と次に出版された『ヨーロッパ像の転換』(新潮選書)は、氏を一躍論壇の寵児としました。昭和四十四年(一九六九)に誕生日を迎える前の三十二歳の西尾氏が半年の間に次々と上梓した作品は、言うまでもなく氏のドイツ留学が基底となっていました。

若きニーチェ学徒だった西尾氏が七〇年安保騒動で騒然とする当時の日本社会に新しい切り口のテーマを提起したのです。それは、明治以降の日本の近代化が欧州に追いつけ、追い越せというコンセプトで歩んできた我が国の歩みを根本的に疑ってみるということに他なりませんでした。そして、そのテーマが四十三年を経過した現在の日本にも、鋭い刃として衝きつけられているのです。

第一巻の本書にはそんな西尾思想の原点が凝縮されています。処女作『ヨーロッパの個人主義』と第二作『ヨーロッパ像の転換』が長年版を重ね、大学入試問題の定番にまでなった作家としての幸福を、氏はデビュー時から獲得していたのです。

なお、本巻所収の「ドイツ大使公邸にて」は二〇一〇年に執筆され、竹山道雄氏との対談「ヨーロッパと日本」は雑誌「自由」(一九七〇年十一月号)に掲載され、今回初めて単行本の収録された。(西村幸祐)

夏から秋へ

 今日はいま具体的にどんな活動をしているか、また今後どんな予定を立てているかをお知らせしておきます。

 勤務はないけれど、毎月必ず規則的にめぐってくるのは「路の会」の主宰と「GHQ焚書図書開封」の録画です。三ヶ月に一巻の全集の刊行も規則的にめぐってきます。

 「路の会」のことはほとんど書いたことがありませんが、この数回の外部講師は中野剛志さん、藤井聡さん、河添恵子さん、竹田恒泰さん、そして今月は孫崎享さんです。

 「GHQ焚書図書開封」の録画は第113回を数えました。本になっているのは約三分の二です。いま戦時中に書かれた近現代史の通史のようなものといえる大東亜調査会叢書シリーズを追っていて、今月は第112回「満洲事変とは何か」、第113回「国際連盟とは何だったのか」を放映します。

 このところ『WiLL』は少しお休みしていますが、書きたい新情報がないのです。今月は『別冊正論』(18号)と『正論』11月号とに書いています。どちらも中国問題で、前者は中国人に対する労働鎖国のすすめがテーマであり、後者は尖閣暴動に対する私の最初の所見です。

 チャンネル桜が『言志』というメルマガを始めたので、お付き合いですでに1~3号に書きました。4号もたのまれているので書く予定です。第1号は「戦後から戦後を批判するレベルに止まるな」、第2号は「取り返しのつかない自民党の罪過」、第3号は長い題に取り替えられたので思い出せません。尖閣がテーマです。第4号はメディア論を書けと言われています。いずれも8枚~10枚の短文です。

 西尾幹二全集第四巻『ニーチェ』は間もなく刊行されます。夏からずっとこの校正に苦しんできました。「後記」は第三巻ほど長くありませんが、それでも往時の諸事実を正確に思い出し、記録するのは大変でした。二部作を一巻にしましたし、長い付録もついていますので772ページの大著になります。

 それからこの後お伝えするのが夏から秋へかけずっと取り組んでいた新しい課題で、主要な部分は夏の前半にまとめ、この9、10月に整理した3冊の新刊です。

1.青木直人氏との対談本『第二次尖閣戦争』祥伝社新書(11月2日発売、7日には店頭)
   2010年に『尖閣戦争』として出したものの続編です。これは版を重ねました。

2.竹田恒泰氏との対談本『皇室問題と脱原発』飛鳥新社(12月2日刊)
   皇室問題では女系天皇説の黒幕田中卓元皇學館大學学長を二人で彼の学問の危うさを突いて、根底的に批判しています。

3.『中国人に対する「労働鎖国のすすめ」』飛鳥新社(1月15日刊)
   1989年刊「労働鎖国のすすめ」の復刻が後半。前半は中国人定住者増加の現実とその政治的危険を戦前の中国ウォッチャー長野朗の洞察を取り入れて、私が書き下ろしたものです。

 以上三冊はほゞ作業の大変を終わっています。1.はあと2日で、2.はあと10日で校了となります。3.は整理に少しかかります。

 来月号になりましたら青山学院大の福井義高さんと行った日米戦争をめぐる対談を『正論』で二回掲載します。私の『天皇と原爆』(新潮社)を福井さんに論評してもらいつつ、彼のユニークなアメリカ観に耳を傾けます。

 そして恐らく3月号から私の長編連載『戦争史観の転換』が『正論』でスタートします。

 尚、11月11日に「小林秀雄と福田恆存の『自己』の扱いについて」と題した講演を行います。現代文化会議主催で、会場はホテルグランドヒル市ヶ谷。午後1時30分~5時、お申し込み予約は電話で03-5261-2753でお願いします。入場料¥2000です。

西尾幹二全集刊行記念講演「戦争史観の転換」要約と感想

ゲストエッセイ 

 中村敏幸氏による感想

 今回の御講演に於いて、先生はペリー来航以来我が国が対峙してきたアメリカに対し、そもそも「アメリカとは一体何者か」という根源的な問題提起をされ、続いて近現代史の定説を覆す画期的な数々の見解を披歴されました。以下に御講演の要点をまとめ些か感想を述べさせて頂きます。尚、「 」内は先生の御講演内容の要約であり、他は投稿者の感想です。

1.アメリカとは一体何者か

 先生は冒頭、「太平洋を隔てた遥か東の大陸に、今からわずか350年程前に、突然異変が起こりました。予想も出来ない異変。把握しがたい別系列の人種、別系統の文化、自然信仰ではない、一神教教徒の集団が出現しました。これがまた厄介な相手で、どんなにはた迷惑でも無視する訳には行かないのであります。この様な隣人の存在は正直言って、我々にとって不運であり、不幸であります。しかし、我々は過たない様にするためにその存在形式を見極めて耐え忍ばねばならないのも現実であります。アメリカとは一体何者か、アメリカ自身は最も代表的な国のような顔をしていますが、アメリカは一つの国家だろうかという疑念を抱くのであり、アメリカは他の国々と全く異質な国なのではないか」という極めて大胆で根源的な問題提起をされ、「我が国が道を過らないためにはその正体を見極めなけれはならない」と訴えられ、数々の見解を提起されました。
  
2.第一命題:「アメリカにとって国際社会は存在しない」 

 先ず、「先の大戦が終わって67年、米ソ冷戦が終わって23年、少しずつ分かってきたことが有ります。米軍がヨーロッパ、ペルシャ湾岸地域、東アジアに駐留していた理由は、長い間ソ連に対する脅威だと思い込まされてきました。しかし、冷戦が終わり、ソ連が崩壊して脅威が消滅しても、米軍は撤兵しない。世界中の基地を維持し続けています。そもそも日本の本土は兵力がほぼ空っぽなのに基地は返還されません。人々はアメリカのこの特権的な地位に対し、おやこれはおかしいぞと思い始めていると思います。第二次大戦の終結により、西欧諸国は植民地の独立を認めざるを得なくなり、冷戦が終わり、世界は『ウェストファリア体制』に立ち戻ったかに思われますが、しかし、どうもそうではない、アメリカはそういう国々の一つと思っていないようであり、アメリカは国際社会の一員ではありません」と説かれました。

 つまり、「アメリカは国際社会の一員ではなく、世界を一極支配する役割を担った国である」と自己認識している国であると結論づけられたように思います。

 確かに冷戦が終わっても、アメリカは一部を除き世界中の基地を維持しているだけではなく、湾岸戦争やイラク戦争、コソボ紛争に続いてテロとの戦いを唱えアフガン戦争を引き起こし、撤兵するどころかサウジアラビアやコソボなどに巨大な軍事基地を増設しています。また、アメリカは「六か国協議」という茶番劇を続けながら北朝鮮の核開発をなし崩し的に容認し、中国の軍拡もアメリカの東アジアに於ける軍事プレゼンスを正当化するために必要としており、フィリピンからの撤退も中国の脅威を助長するためではないかとさえ疑われます。

3.第二命題:アメリカ人の自己認識 

 ここでは、「アメリカは独立当初から、旧大陸ヨーロッパは老成し、頽廃し、病んでいる。新大陸アメリカこそ純粋な救い主であるという観念を基本として長い間持ち続け、『アメリカは一つの国家であると同時に世界である』と常に主張しているかに見えます。」と説かれました。

 続いて「私が最近読んだ、1968年に出版されたアーネストリー・テューブソンという宗教学者の『救済する国家アメリカ』という本の序文には『旧世界の頽廃と新世界アメリカのイノセンス』、と書かれており、ヨーロッパは駄目だアメリカこそ救い主だと言っている訳で、このような観念がアメリカ人の胸中に宿っていると思います。」と説かれました。

 思うに、建国の父といわれた清教徒は、旧約聖書の持つ選民意識、残忍性、世界支配欲を色濃く反映したカルヴァン派の流れを汲んでおり、アメリカに入植した清教徒にとって、アメリカ大陸は約束の地であり、自分たちは選ばれた民であり、その意識が今日でも根強く残っているのではないでしょうか。確かに、今日のアメリカに於いて強い影響力を持つキリスト教原理主義者は、旧約聖書の無謬性を信仰の中心に据えており、旧約聖書に書かれたことをそのまま信仰する者にとっては、世界は選ばれた民の支配するべきものであり、この観念がアメリカ人の心の奥底に脈々と受け継がれているように思います。

4.戦争のたびに劇的に変化し、国家の体質を変えてきた国アメリカ

 「アメリカという国は最初から強い国であった訳ではなく、19世紀の初頭までは実力のない新興国でしたが、独立戦争、南北戦争、米墨戦争、米西戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を戦い、戦争のたびに劇的に変化し、国家の体質を変えてきた国です。第二次世界大戦に於いても、戦争の初期と終わり頃とでは、アメリカの戦争の仕方はガラリと変わりました。戦争の初期はシンガポール陥落に見られる様に、平家物語の世界のように一番乗り、二番乗りを讃え、また、第一次大戦風の意識で戦っていました。しかし、1943年(昭和18年)以降大きな転機を迎え、アメリカの戦い方はガラリと局面を変えて、命中精度を求めた戦いから、大量の弾薬を消費する戦争になりました。集中砲火、火炎放射器の登場、そしてB29が登場して絨毯爆撃が始まり、最後には原爆投下まで行い酷薄で無慈悲になりました。」

 「わずか350年前に生まれ、東アジアには無関係な国が何故そこまでやるのか、あの国の異常さとは何なのかを歴史を遡って考えて見ることが重要です。何故アメリカは繰り返し戦争をする国なのか、戦争の度に国家規模を大きくする国、少なくとも国家体質を大きく変化させる国、戦争が終わってからではなく戦争の真っ只中に変質する国、そして、それが次の時代への適応を果たす国。こんな国はアメリカの他に例がありません。そして、それは戦争が終わった以降の70年近くに及ぶ地球支配の構造を決めています。」
  
 また、「日本はみすみす負けると分かっていた戦争に準備不足のまま不用意に突入したと言われますが、そんなことはありません。開戦当初は勝敗のゆくえは分からなかったのです。ところが、アメリカは1943年以降、突如、巨大で酷薄な軍事国家に変身したのです」と説かれました。
 
 振り返って見ると、アメリカは建国以来戦争を好み、現在に至るまで殆ど絶えることなく戦争を繰り返し、その都度変質を遂げて強大になってきた国です。そして今日に於いても、アメリカは国力が衰え始め、世界一の借金国になりながらも、世界一の軍事費を使用し、更に日本や欧州諸国に支援を強制してまで戦争を続け、アメリカ一極支配によるワンワールドを目指しているように思われます。
   
5.権力をつくる政治と権力がつくられた後の政治

 「権力と政治の関係には、『権力をつくる政治』と、それに対し『つくられた後の権力をめぐる政治』の二通りがあり、『権力を作る政治』はむき出しの暴力を基本としていますが、我々が議論している政治は皆後者です。第一次大戦後、ワシントン会議やロンドン軍縮会議が行われましたが、これも何処かで権力がつくられた後の政治です。
 
 しかし、つくられた権力が行き詰まり、大きな裂け目が生じた時には、権力をつくる政治が行われ、その時にはむき出しの暴力が出現するということを歴史の上で度々経験させられてきました。現代もそうです。500年続いた資本主義の歴史が行き詰まり、金融資本主義が限界まできています。」と説かれ、アメリカによって、「また新たな権力をつくる政治」が行われつつあると警鐘を鳴らされました。
   
6.第三命題:脱領土的他国支配  

 ここで先生は、アメリカの他国支配が脱領土的遠隔支配であることを説かれました。

 「白人文明はスペイン、ポルトガルの覇権時代からは自国の外に掠奪の土地、奴隷的搾取の領土を求めることを通例としてきましたが、アメリカは例外で自国の外に奴隷の地を確保する必要が全くありませんでした。アメリカは領土と資源に恵まれ、人口密度も希薄で、移民を必要としていた位ですから膨張する必要の全くない国でしたが、その国が何故膨張してきたのか、ここに大きなこの国の持つ矛盾と謎があると思います。アメリカの西進は膨張する必要が無いのに『マニフェスト・ディスティニー』という、神がかり的な宗教的信条に基づいて行われてきたことは良く知られています。アメリカは中国大陸で列強が根拠地を求めて戦うことに冷淡でした。必要が無かったからです。そこで、『脱領土的他国支配』の方式を考え出したように思います」

 「大戦前、日本の指導者には利害関係に於いてイギリスを中心とするヨーロッパ的なギブ&テイクの国際関係は理解しやすかった。しかし、アメリカは、ヨーロッパ的なやり方を取らない。最初に私が提起した第一命題のように『アメリカにとって国際社会は存在しない』のです。日本の指導者にはアメリカの心の闇は理解出来なかったのです。イギリス人にも読めませんでした。イギリスにも読めなかったことが日本に理解できる訳がありません」 

 「日露戦争の後1907年頃から日米関係が悪化したことは良く知られています。ワシントン会議からロンドン軍縮会議を経て、正義のきれいごとを唱えるアメリカ、そのじつ武力と金融力によって世界の遠隔操作を目指すアメリカの変質、これは日本には理解出来きず、何とか折り合いをつけ妥協しようとしましたが翻弄され続けることになりますが、ここにもアメリカという国の権力の出現が影響していると思います」
  
 「日本はあの大戦前どうしてよいか分かりませんでした。アジアを解放しようとするより、アジアに仲間が欲しかったのです。そして、恐怖や不安を仲間と分かち合いたかったのです。一緒にやろうと、早い時期に中国にも韓国にも呼びかけているわけですから。しかし、相手が無知迷妄、危機感もないし、危機感を持っていたのは日本だけでしたから、ひたひたと不安が押し寄せていました」と世界の脱領土的な遠隔支配を企てるアメリカの野望に翻弄された日本の戸惑いと苦悩を語られました。
 
 司馬遼太郎は日露戦争までの日本は賢明であったが、それ以降急激に愚かになり、特に昭和は愚かで嫌いだと切り捨て、保守と称する人々の多くも司馬史観なるものに毒されておりますが、司馬氏を地獄の底から連れ戻し、先生のこの見解を下に論戦を挑みたい衝動に駆られます。また、ウクライナ大使等を歴任された元外交官の馬渕睦夫氏は、近著「いま本当に伝えたい感動的な日本の力」の中で、「昭和に入ってから急に大政治家戦略家がいなくなったわけではありません。明治維新以来の課題が先送りされ困難が積み重なってきた結果、昭和に入って進退窮まってしまったのです」と書いておられますが、西尾先生が展開された論にも相通じるように思います。

 司馬氏や昭和史の大家と称せられる輩は、アメリカの理解しがたい「脱領土的他国支配」に翻弄され包囲された当時の為政者の苦悩を憶念することなく、西尾先生の言われるように日本国内のことのみを考察するだけで、当時の世界がどのような意図のもとに動いていたのか、更にその下に隠されていた闇を見ない、先生の言われる「蛸壺史観」の持ち主に過ぎません。
 
7.戦後書かれた歴史書は中立的で日本人の叫びが書かれていない。 

 次に先生は、大東亜戦争調査会から出版されたGHQ焚書図書の一冊である「米英の東亜制圧政策」という昭和16年に出された本を取り上げられ、「戦後書かれた歴史書はまともな本でも、どれを読んでも中立の立場で書く、当時の追い込まれていた日本の声を誰も書いていない。即ち半分はアメリカの立場で書いている。これを読むと当時の日本人の叫びが全部分かります」と語られ、「この本の中にワシントン会議に出席したフランスの海軍大学校長カステックス海軍中将が、『世界大戦中日本は協商側に属した、ところがワシントン会議が始まるとイギリスはたちまち仮面をはいで、海軍
の海上優越権をアメリカに譲りたくないという腹から、20年来の盟邦日本を見捨てることに同意し、日英同盟を廃棄してしまった。・・・・。この時から日本とアングロサクソンとの潜在戦争は重大化した』と述べたことが書いてあります。戦争は始まっていると言っているのです」と説かれ、更に、「この本の中に『アメリカとイギリスによる対支文化工作の具体的内容』という章があり、キリスト教布教を中心とする文化侵略について詳しく書かれております。

 支那大陸では学校等の文化施設がキリスト教組織に支配され、大変巧妙なやり方で牧師や教会が後ろから支那の青年たちに反日を焚き付け、反日運動に対し英米系のキリスト教組織が背後に有ってお金を配って煽動していました。日本は調査を徹底して行い事実を知っていたのです。だとしたら日本は方策を過ったのではないでしょうか。

 知識人は知っていて書いているのに政治家を中心とする要路の人には届かなかったのです。読んでいても動かない、具体的な行動に反映させなかったのです」と説かれました。

 我が国は世界の情勢を把握することなく、やみくもに無謀な戦争に突入したというのが定説になって居りますが、そんなことはなく、少なくとも当時の識者はアングロサクソンの世界支配政策をしっかり調査し把握していたのであって、その事実はGHQによる焚書によって闇に葬られてしまったのです。そして、先生は戦後書かれた歴史書には対日包囲網の中にあって苦悩する日本人の叫びが聞こえてこないと訴えられました。
  
8.アメリカがどうしてパワフルな統一国家になったのか   

 「アメリカは独立戦争が終わると中央政府の力は衰え、主権のある独立したバラバラの州をどうやって一体性のある一つの国にまとめるかというのがワシントン以下の政治家にとって重大な課題でした。それが確立されアメリカがアメリカになった時、それが南北戦争です。大事なことはこの戦争の究極的な目的は、奴隷解放がメインではなく、州権を押さえて統一ある連邦の回復でした。リンカーン自身が大統領就任演説で『私は現在の奴隷州の奴隷制には直接的にも間接的にも干渉するつもりはない』と言っております。長い戦争であり、戦争が進行していく中で、結局奴隷制そのものを無くさないと南部の権力を倒すことが出来ないということが分かってきました。逆に言うと南部を叩き潰すことによってアメリカはアメリカになったのです。これによって、19世紀以降のアメリカの膨張の礎石が築かれ20世紀の運命を大きく変えてしまったとハッキリ申し上げてよいと言えるでしょう。何故なら、南北戦争以降、急速にアメリカの経済は発展し、産業国家としてアメリカの勢いが増し、膨張国家としても激しく大きくなって行き禍を世界中に振りまきました。もし南北が円満に分かれ
て州が独立した国家になっていれば、ヨーロッパのようにアメリカ大陸がいくつかの国に分かれていたら我が国の運命はどんなにか救われたことでしょう。私の今日の話はここに行きつく訳です。」と語られました。

 「南北戦争に於いて奴隷解放は手段であり、統一された連邦国家の実現こそが戦争の目的であり、この戦争によってアメリカがアメリカになり、膨張国家として世界に禍を振りまくスタート地点になった」と南北戦争に対する常識を覆す見解を提示されました。そして次に、それでは南アメリカは統一出来なかったのに、何故北アメリカは統一出来たのかに論題が移ります。

 9.南アメリカは統一出来なかったのに、何故北アメリカは統一出来たのか  
 「南アメリカには16の独立国家が生まれました。統一しようという動きは勿論ありましたがそれが出来ませんでした。それに対しアメリカは何故出来たのか。それはメシア的な思想によるものです。リンカーンは宗教家です。宗教的な信条が強かった人です。アメリカは国家であると同時に世界である。アメリカは常に世界政府を目指す。むきだしの暴力によって権力を作る政治を目指す。つくられた権力による政治は他の民族に任せておけば良い。アメリカが権力をつくるのだ。これは宗教的な情熱なくしては出来ません。その証拠として先程申し上げたテューブソンの思想をいくつか紹介しますと『合衆国は黙示録の指定された代理人として自らを正当化する必要は殆どない。神の摂理のステージ・マネージャーが歴史というステージの両翼からアメリカ国民が立ち上がるよう命じたかの如く思われる』、『千年至福王国理論の考え方はアメリカ植民地に対する独立の考えが誰かの頭に浮かぶ遥か前からあった。それはデモクラシ―の理想から独立して存在した』。即ちアメリカ国民は聖なる国民であると言っているようなもので、こういうことが力と結びついていたことは間違いないと思います。」と説かれました。

 テューブソンは、そもそもアメリカは独立戦争の前から、「千年至福王国を実現するために誕生した国であり、これは神の摂理である」と主張しているのですが、この宗教的信念によって北アメリカは統一を実現したと先生は説かれたのです。

 10.海上覇権国家ポルトガルとアメリカ 

 最後に先生は、アメリカは「脱領土的遠隔支配」をポルトガルの海上支配に学んだのではないかという仮説を披歴されました。
    
 「地球上を最初にかき回したのはスペインとポルトガルでした。つまり500年位前に『トリデシリャス条約』というものによって世界を二分しました。これは私の仮説ですが、スペインとポルトガルが世界へ進出した時のやり方に違いがありました。スペインは陸即ち領土を侵略するやり方でしたが、ポルトガルは海でした。脱領土のやり方でした。スペインは荘園をつくって大土地所有による領地支配をしたのですが、ポルトガルは海上を支配しただけなのです。スペインは大西洋を西へ真っ直ぐに進んだのですが、それに対しポルトガルはバスコ・ダガマがアフリカの西海岸を南下して喜望峰を回って北上しインド洋へ出ました。スペインとポルトガルでは侵略した地域の文化程度がちがっていました。ポルトガルが侵略した印度洋やアジアは豊かな海域であり、侵略した地域と折り合うことができませんでした。そこで、ポルトガルは『ポルトガルの鎖』を海上に張り巡らして、入港してくる交易船を掠奪しました。このやり方をイギリスが真似をします。18世紀位まで海上を封鎖する方法をとります。アメリカは遠隔操作の国と言いましたが、金融と海上と空の支配、ポルトガルとやり方が似ていませんか。アメリカは世界的規模で起こったことをしっかりと意識の中に持っていたと思います。」
   
 「外から地球全体を支配する発想。最初の話に戻りますが、日本列島から遠く離れたところに約350年前に特殊な集団が異常繁殖して巨大な意思を持つ権力を作り上げ、その権力の下に各種の政治学が生まれ、その政治学を一生懸命勉強していますが、しかし、それが行き詰ればまた更地にしてむきだしの暴力が新たな権力を生むということを繰り返すだけ、その様な発想で歴史と言うものを考えました」と御講演を結ばれました。

 今回の御講演に於いて先生は、常にきれいごとを唱え、清教徒的理想主義の仮面を被った覇権主義国家アメリカの歴史と正体を余すところなく説かれました。イギリスの清教徒革命は千年至福王国を夢見た革命であり、それが後にアメリカ建国へとつながったと言われておりますが、このようなアメリカの闇は親米保守主義者たちの目には見えません。世界各地への軍事力の展開と、グローバリズムや金融資本主義による世界の一極支配も限界に近づき、新たな裂け目が生じようとしている今日、アメリカによる「権力をつくる政治の動向」を諦視しつつ、我が国再生への道を模索しなければならないものと思います。

文:中村敏幸