西尾幹二全集 第四巻『ニーチェ』(第5回配本)刊行

 本書『ニーチェ』は昭和52年(1977年)に中央公論社より二部作として二巻本で刊行された。私の著作としては最初の大作であり、学問的論著でもある。平成5年までに四刷を重ねた。

 平成13年(2001年)にちくま学芸文庫として粧を改めてやはり二巻本で改版された。そのとき原著にはない人名索引が付せられ、さらに読者へのサービスとして、新聞雑誌等で原著に寄せられた大小十七篇の論評の中から、重要な七篇をあえて再録し、参考に供した。私の本の中では最も多く評価の言葉をいただいた作品であったからである。

 このたび本全集の第四巻として刊行されるに当り、論評集をも引き継いだが、原著に寄せられたもうひとつの大型の論評をも、古雑誌の中から引き出して新たに収録した。故渡邊二郎氏との対談「ニーチェと学問――『悲劇の誕生』」の周辺がそれである。これは雑誌「理想」1557号、1979年10月号の特別企画であった。ニーチェやハイデッガーの研究家で哲学畑の渡邊氏の批評の掲載には他にない意義が認められる。

 しかしこの本は決して読みにくい難しい本ではない。本全集には四人の校正者がついているが、その中の一人が「冒険小説を読むようにあっという間に読んだ」と言っていた。それには骨がある。序論をとばして、第一章「最初の創造的表題」から読み始めてほしい。一人の天才の青春物語である。

 その証拠に刊行時に、この本に推薦のことばを書いてくださった故齋藤忍随氏(古代ギリシア哲学)が次のように言っている。

「評伝文学の魅力」― 齋藤忍随氏
三つの逸話があれば、その人間の思想を描きうるという意味の言葉がニーチェにあるが、そのニーチェがギリシア古典の研究者としてスタートを切った事実は、いわば逸事としてこれまで完全に黙殺されて来た。若いニーチェの生活と思想に迫る西尾氏の文章は、初めてこの事実の解明を試みた綿密な研究であるとともに、評伝文学の魅力に溢れており、陶酔朦朧体の饒舌とも、乾燥無味調の講釈とも類を異にした傑作である。(東大教授・古代哲学)

 最後のことばに注目してほしい。学問とは物語だという私の主張がよく理解されている。

 本巻の帯には「あとがき」から次のことばが選ばれている。

ニーチェをその背後から、すなわち十九世紀の生活と思想の具体的な「場」に彼を据えて、そこから見るという視点は成立たぬものか。彼が否定した世界を矮小化せずに、むしろその動かぬ必然性の内部に彼を置いてみる。ニヒリズムを具体的に生きた一人の人間の形姿を、私はニヒリズムという言葉を使わずに描いてみたかったにすぎない。(あとがきより)

 本巻は二部作を一冊にまとめたので792ページ(ほかにグラビア10ページ)にもなり、定価も高くなっているのはお許しいたゞきたい。以下に目次を掲げる。

目 次

第一部

序論
日本と西欧におけるニーチェ像の変遷史
……………15
Ⅰ 一八九〇年 …………………………………………………17
最初の反響と興奮(18)一八九〇年代のドイツ(22)高山樗牛の誤解と正解(24)

Ⅱ 一九〇〇年 ― 一九二〇年………………………………32
弁護と解読のはじまり(32)アロイス・リールの文化的解釈(36)ファイヒンガーの『「かのように」の哲学』(37)ラウール・リヒターの生物学的進化論(39)ヨーエルのロマン主義者ニーチェ像(40)日本人の仕事の再検討(42)現代人にとってのニーチェの意味(44)和辻哲郎の独創と限界(47)ジンメルと阿部次郎(50)永劫回帰説をめぐって(52)マックス・シェーラーのルサンチマン論(55)

Ⅲ 第一次世界大戦 ― 一九三〇年…………………………61
ゲオルゲ派の神話的ニーチェ像(61)ベルトラムと小林秀雄(66)クラーゲスの心理主義(71)

Ⅳ 一九三〇年 ― 第二次世界大戦…………………………79
ドイツにおけるニーチェ観の多様化と深化(79)大戦前夜と日本の近代||シェストフ論争(82)解釈者自
身が問われるニーチェ解釈||ヤスパースとハイデッガー(88)『アンチクリスト』におけるルター批判の一
例(95)日本人としての課題(101)

第一章
最初の創造的表現
……………………………………………107

第一節
早熟の孤独
…………………………………………………109
六人の婦人と一人の男児(109)十三歳の自叙伝(114)フリッツ、ピンダー、クルーク(117)母からの解放と呪縛(120)
M・エーラー『ニーチェの祖先の系図』(124)父方の祖父母(127)幻想としての父親像(129)

第二節
思春期の喪神
…………………………………………………135
年少の覚悟(135)プフォルタ学院への誘い(136)プフォルタ学院生活とホームシック(141)得られなかった新しい友情(144)本書叙述の方法(148)母からの離反と信仰問題(150)青春の哲学的著作から(154)

第三節
ヘルダーリンとエルマナリヒ王伝説――青春の危機
……………161
「ゲルマニア」同人の活動(161)オラトリオの作曲(163)ワーグナー音楽との最初の出会い(166)ヘルダーリン発見の先駆け(169)多産な青春の危機(175)エルマナリヒ王伝説との格闘(182)

第四節
音楽と文献学のはざま
…………………………………………188
史実と神話の境い目(188)エルマナリヒ研究の重要性(196)雷雨とピアノ(199)自称初恋とエロの混乱(201)知識の拡散と「気分について」(206)職業の選択への迷い(210)

第五節
書物の世界から自由な生へ
……………………………………214
生徒ニーチェの語学力(214)ニーチェの生涯におけるプフォルタの意義(218)『悲劇の誕生』の萌芽(221)プフォルタ学院との別れ(225)ラインの旅とボン到着(229)学生組合フランコーニアへの加盟(233)

第二章
多様な現実との接触
…………………………………………241

第一節
フランコーニアの夢幻劇
……………………………………243
クライストとシェイクスピアの場合(243)ボン大学生の夢と行動(246)集団へのアンビヴァレントな関係(252)ニーチェの決闘事件(256)学生組合フランコーニアからの脱退(262)反時代的浪漫主義の挫折(269)

第二節
ショーペンハウアーとの邂逅
…………………………………274
ケルンの娼家と『ファウストゥス博士』(274)ボンからライプツィヒへ(280)『意志と表象としての世界』と
の邂逅(282)影響とは何か(286)

第三節
文献学者ニーチェの誕生
………………………………………291
リチュル教授と古典文献学界(291)文献学者としてのデビュー作(303)憂愁の悲劇詩人テオグニス(308)学者としての自己限定(312)青年の成熟と自己批評(314)
〔追記〕
ニーチェの父の死因  133
「 リチュル╱ヤーン争い」の経緯  296
プフォルタ高等学校の卒業論文「メガラのテオグニスについて」   315

第二部

第一章
自己抑制と自己修練
………………………………………325

第一節
哲学と文献学の相剋
……………………………………………327
生の慰めとしての哲学(327)リチュル教授一家との親交(332)ランゲの形而上学否定に感銘を受ける(338)

第二節
ラエルティオスとアリストテレス
……………………………344
テオグニス、スイダス、ディオゲネス・ラエルティオス(344)ディオゲネス・ラエルティオスの典拠批判(349)学問への疑惑のはじまり(354)アリストテレスの著作目録(358) アリストテレス研究史の流れの中で(360)抑えられていた世界観的欲求(368)

第三節
恋とビスマルク
……………………………………………375
女優ヘートヴィヒ・ラーベ(375)普墺戦争下のザクセンの状況(379)ニーチェのビスマルク観(384)

第四節
ライプツィヒの友人たち
………………………………………390
パウル・ドイセンの場合(390)さまざまな友人群像(396)エルヴィン・ローデの場合(400)

第二章
新しい飛躍への胎動
……………………………………………411

第一節
バーゼル大学への招聘
………………………………………413
本書叙述の方法(413)兵役義務に対する態度(417)軍隊と文献学へのイロニー(419)解釈学の新しい問題(423)
ワーグナーとの初会見(428)バーゼル大学への異例の招聘(431)

第二節
赴任前の日々
…………………………………………440
論文免除で学位を得る(440)スイス国籍に変わる(442)ローデの不遇にみせる姿勢(444)ドイセンへの絶交状(450)幸福と健康の底にある翳り(453)

第三章
本源からの問い
……………………………………………457

第一節
歴史認識のアポリア
……………………………………………460
古典文献学の伝承史的方法(460)就任講演「ホメロスの人格について」(463)十九世紀文献学の理想と使命(466)ニーチェの学問批判の根柢性(468)

第二節
ワーグナーとの共闘
…………………………………………472
バーゼル人気質とニーチェの孤立(472)トリプシェン初訪問(475)急迫する感激の高まり(478)蜜月時代(481)新しいギリシア像への転換と予言(486)自由人の行為の秘密(491)「 新しい大学アカデミー」を求める運動(497)

第三節
フランス戦線の夢と行動
……………………………………504
普仏戦争開戦(504)マデラーネル渓谷での決心(506)『悲劇の誕生』と『ベートーヴェン』(508)芸術家の陶酔と覚醒(513)ディオニュソス的人間はハムレットに似ている(516)認識者の実験(520)

第四章
理想への疾走
………………………………………………527

第一節
バーゼルの日常生活
…………………………529
バウマンの洞窟(529)オーヴァベックとの交渉(530)部屋、服装、散歩、社交界(533)高校教師としてのニーチェ(536)

第二節
『悲劇の誕生』の成立次第
………………………………………544
哲学教授への転籍をはかる(544)厖大広汎な書物の構想(549)『悲劇の誕生』の成立(554)ヤーコプ・ベルナイスによるアリストテレスのカタルシスをめぐる新解釈とニーチェの悲劇観(561)ブルクハルトとの交渉の発端(571)

第三節
歴史世界から自然の本源へ ―― 初期ニーチェの中心問題
…………578
近世形而上学の帰結としてのショーペンハウアー(578)主観的認識論を超えギリシア的存在把握へ(584)ヘラクレイトスと自然の原世界(591)HistorieとPhilologieの相反(595)ゲーテ以後の古典研究の状況(601)西欧的時間観念からの離脱(607)

第四節
十九世紀歴史主義を超えて
……………………………………614
教育問題への発言とブルクハルトの反応(614)『悲劇の誕生』をめぐるリチュル、リベック、オーヴァベック、ローデ(618)トリプシェン最後の訪問とバイロイト起工式(625)ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフの攻撃文書とニーチェの立場(627)ワーグナーとローデの応酬(636)理想への疾走(642)

〔追記〕
リチュル教授の生涯と学問 336
学生時代のニーチェの文献学業績総覧 370
パウル・ドイセンの学問上の業績 395
デモクリトス研究における解釈学の問題 426
『悲劇の誕生』の予備作品 524
ニーチェのバーゼル大学講義題目(一八六九夏 – 一八七二夏) 552
『悲劇の誕生』出版後の読者の反響 647

〔附録〕
ニーチェの祖先の系図 マックス・エーラー編 651
参考文献目録 675
あとがき 676
ひとこと 681
書評 浅井真男(683)茅野良男(686)植田康夫(691)吉沢伝三郎(695)平木幸二郎(701)桶谷秀昭(705)谷口茂(707)
追補 渡邊二郎・西尾幹二対談「ニーチェと学問」…………………711
後記……………………………………761
人名索引 790

「西尾幹二全集 第四巻『ニーチェ』(第5回配本)刊行」への1件のフィードバック

  1. 大変ご無沙汰しております。
    ここでは全集の話題をしなければならないとわかっていますが、やや路線を変えて時流に載せた話題からコメントさせていただくことをお許し下さい。

    表舞台では、現在石原慎太郎氏の突然の辞任が話題を拾っております。
    私はあまりネット舞台で話題を拾うことを好みとしないため、もっぱら表舞台での情報を頼りにしながら、一部のネット情報のみをきっかけにして、自分なりに思いを伝えていきたい性分なものですから、今回もそのようにさせていただきます。

    石原氏の辞任は、本来自民党総裁選の前に決断すべきだったと思いますね。
    人情がやや売りの方とお見受けするべきであれば、今回は少し迷われた時間が長すぎた印象があります。橋下市長との連携を示唆するご意見は多々ありますが、私はこの方が、ご自身の立場をなんとか国政に利用できないかという思いを、まずは尊重した上で考えてみるべきではないかと思い、保守層とはズレた見を晒すことになるかもしれませんが、ここで書かせて頂きたく思い、時流の分かれ目を分析してみたいと思います。

    石原氏という人物は、本来おそらく本流肌ではないんでしょう。彼はそれに尽きます。書物だけで収まっていれば、おそらく時代に残るものを発表できたかもしれません。しかし彼は政治の世界に足を踏み入れた。波風を浴びることが快感だと感じる性分なんでしょう。ご本人は戦うことを表したいのでしょうが、おそらくご自身も気づかない心の中心には、『犠牲心』が宿っているのかもしれません。しかし、それとは別に彼を動かすもう一つの原動力は『反骨心』であり、この二つの心理が彼の内部で美化され瞬間、彼の行動は決まるのでしょう。彼が絶対の自信としているのは、一般人とは違う土台を築いた自分の『名前』が意外に大きく有り、政治家になってからはここを活用する術を惜しまなくなった人生でした。
    国民はそれを期待しながらも、彼を見切る一つの印象として、その事実を暗黙の中に押し込めてしまい、彼のポジティブなイメージだけを表社会に紹介し、彼を信頼することを心で受け入れながらも、ある段階で彼を切り捨てる心理も彼の人間性から感じ取りながら、ここまで付き合ってきたと思うわけです。

    つくづく彼は犠牲心が旺盛なんでしょう。しかし彼は一つ誰よりも感性が鋭い面があって、まるでそれは一種プロデューサー的なセンスなんでしょうが、光り輝く物体がまだその輝きを放たないうちから、物体の力を読み取る能力に長けていて、その自身のセンスを絶対だと信じきっている。
    ここに彼の本当の心理を見ることができるのではないかと思うわけです。

    そうした要素が自分の目の前にある限り、自分はそれを活かさなければならない使命を感じるのでしょう。これが彼を動かす一つの要素ではないか。ここには理屈はないでしょう。彼の美学に近い価値観でしょうから、他人が理解できる範疇を越えているはずです。
    80歳にもなって起こす一連の行動は、ここに軸を置いているのではないかと感じるわけです。
    うがった言い方が許されるならば、弟の存在が一種彼を動かす要素であるのは間違いない事実でしょう。
    彼はおそらくどんな時代を迎えようが、自分は裕次郎の兄を貫きたいのでしょう。裕次郎の兄が自分ではなく、自分は裕次郎の兄・・・という意識にこだわりがあるはずです。彼は弟を愛しながらも、一方で弟を憎んだこともあるはずです。しかし自分が兄である立場がすべて自分自身の内部で問題が解決でき、その『兄』の優位性を時間と共に積み重ね、絶対の自信を築き上げた人生だったのではないでしょうか。

    そうした身内を意識する感情は、誰にでもあるが故に、逆にそれが政治で利用できる手段を彼は選んでしまった。彼の唯一人間的で幼い部分はここに凝縮していると私は思うわけです。
    一歩間違えると三流役者になるような演じ方を、何故か彼は敢えて行ってきた。おそらくそこには強い哲学が存在しているのでしょう。
    しかし、彼が政治家になってからは、その哲学は本来通用させるべきではなかったはずです。どこか彼は一般人とかけ離れていて、80歳になった今も、一般人と同じ土俵に立てない心理がどこかにあるような印象を感じて止みません。
    彼を簡単に裁いてしまうことは容易ですが、何故か彼には幼さからくる寛容を感じてしまい、それがもしかすると日本人の本心とかなり近いところに在るが故、彼の存在感がそのまま心に響いてしまう傾向があるのではないかと思います。

    かなり勝手な推理で語ってしまいましたが、それなりに広い公約数を得る感情論ではないかという自負はあります。なかなか掴みどころがない石原氏ですが、彼は国民に掴んでもらいたい時に、案外幼さが露呈してしまうようです。

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