オバマ広島訪問と「人類」の欺瞞

 オバマ大統領の広島演説を聴いた。予想した通り「人類」という言葉が使われた。短い発言を区切って一語一語をたしかめるように語り、演説の効果を高めていた。うまいと思った。

 その後につづく安倍首相の演説は長過ぎた。内容もやや低調だ。きれいごとを冗漫に語りつづけ、もうここいらで止めたらいいのにと何度も思った。

 大統領に謝罪を求める気持ちが日本人にないということがアメリカに伝わり、好感情を持たれ、それがオバマの訪問を後押ししたといわれる。何ごとにでもすぐ安易に謝罪したりされたりしたがる日本人が、原爆投下に対してだけは謝罪を求める気持ちを持たないということは深く複雑で、簡単にすぐ解ける問題ではない。

 70年間にわたり日本人を支配したのは「恐怖」だった。今も消えてはいないし、これからもつづく。アメリカに対する怨みや、憎しみや、敵意といった単純な心理で説明することのできない、何とも言いようのない理不尽なものを感じつづけてきた。悪ではない、悪以上の何か、非道なことを平然とやってのける冷酷さを感じつづけてこなかった日本人は恐らくいないだろう。

 「恐怖」を逃げるために日本対アメリカの対立構図を避けて、日本とアメリカの両方を越える「人類」という概念に救いが求められる。そして、オバマ大統領も私が予想した通り「人類」の語を使った。日本の被爆者代表の人もよくこの語を用いたがる。

 恩讐の彼方に、ということなのだろうか。そんな風に単純に考えていいのだろうか。

 私はオバマ訪日の5月26日の二週間前に、新雑誌「月刊hanada」のために27日の広島を予想して一論考を書き上げ、編集者に渡した。題して「オバマ広島訪問と『人類』の欺瞞」

 ところが雑誌が店頭に並ぶ26日より2日前に私の手元に一部届けられ、目次を開いたら「オバマ広島訪問と拉致問題」にとり替えられていた。私は正直がっかりし、また悲しかった。ずっとそのあと気分がすぐれず落ち込んでいる。

 私の論文は拉致問題を話題にしてもち出してはいるが、単に冒頭に論述上の枕として用いただけで、拉致のテーマは論じていない。私の従兄の原爆死、叔母の悲嘆、従姉との思い出などを基本に、あの有名な原爆碑の碑文をめぐるテーマを取り扱っている。オバマが「人類」という概念を用いるであろうことを三週間前に予想して書き上げた内容だ。

 私の読者に告げておきたい。雑誌にのる私の文章の題名は私がつけるのではない。題名を無視して欲しい。内容を読んで、私の真意を自らつかんで欲しい。

 「オバマ広島訪問と『人類』の欺瞞」が「オバマ広島訪問と拉致問題」に取り替えられたとき、文章の内容の70%はすり替えられてしまっている。私の真の読者はごまかされないだろうが、一般の広い読者は誤読するだろう。こんなことは一昔前の言論界にはなかったことだ。

 いつの日にか私はこの論文も単行本に収める日が来るだろう。そのときには元の題「オバマ広島訪問と『人類』の欺瞞」に戻すだろう。しかし書誌的には私が本に入れるときに改題したということになり、不本意な思いが残る。

 こういうことが最近あまりに多い。だんだん書く元気がなくなってきている。

 で、読者の皆さまにお願い申し上げる。私の評論が雑誌に出たとき、標題はないものにして考えないことにして欲しい。標題が目に入っても大抵これは別の人の作為が入っているから当てにならない、と考えて欲しい。そして「人類の欺瞞」がこの評論の中心テーマだと知って今気持ちをあらためて当該論文を手に取って読んで欲しい。

特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(三)

●文芸評論家の使命

菅家 先生は数々の文芸評論家と関わって来られましたが、最近の文芸評論家について感じられることは?
西尾 もう文芸評論の時代は終わりました。そんなものはもうないのですよ。私も人生をかける仕事だと思って入り込んだのですが間違えました。当時はそう思った人がたくさんいました。
 世界から文学がなくなることはありません。けれども、詩や小説のレベルが低下した時代に、一流の文芸評論は生まれません。
 昭和の高度成長期、あの時代は文芸評論を志す人がものすごく多かった。それで才能を発揮できなくて敗北。でも私は途中でふと気がつきました。文芸評論なんかやっていても駄目だと。それで九十年代の初頭に足を洗いました。
菅家 時代は昭和から平成へと移った頃ですね。
西尾 私の評論活動の価値を申し上げておきます。謙虚に申し上げます。私の評論活動の意義は、冷戦崩壊後にやっと起こったと自己解釈しております。
菅家 冷戦崩壊後にですか?
西尾 はい。冷戦崩壊後に共産主義の世界的な動きを論じ、その全体主義の危険と影響を見極め(『全体主義の呪い』)、引き続いて起こったアメリカの対日批判に向き合い、日本のポジションを主張し、文化的・経済的意義を説き、そして散々それを論じて一歩も引きませんでした。
 まもなくその淵源が先の戦争の是非にあると知り、教科書改善運動に取り組み、それを主導し、終わって一挙にこの運動からも離れました。
 その後、歴史、文明の独自の世界観を切り開くことにし、長編評論をいくつも書き、その結果、主なもので『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』『少年記』などを出版しました。『少年記』は私の五歳から十七歳までの文学的表現です。戦争真っ最中の記録。ですから私の戦争体験記でもあるのです。
菅家 先生は戦時中、どちらで過ごされたのですか?
西尾 茨城県の水戸と栃木県寄りのとある寒村です。つまり疎開です。
菅家 それも読んでみたいですね。
西尾 私の独自性、つまり小林秀雄や福田恆つねあり存や竹山道雄(三人とも日本を代表する文芸評論家)と異なる点は、冷戦崩壊後にやっと発揮されたということです。
 彼らは冷戦前ですから、はっきり言って「反共親米」だったのです。 しかし私は若い時からアメリカを批判していました。世界の現実を見ようという立場から親米ではなく、「反共反米」にならざるを得なかったのです。

●原発問題の本質

菅家 先程核武装のお話がでましたので申し上げます。先生の脱原発、本当に前から私も同じ意見です。
 五年前の東日本大震災、その年の七月に都内のホールで大きなシンポジウムがあり、パネリストで私も呼ばれたのです。錚そうそう々たるメンバーがたくさんいまして。
 それで私は何故ここへ呼ばれているのかなと自問して、古神道家としての観点からなのかと思ったので、あえて言わせて頂いたのです。私は「脱原発です」と。私以外、みんな原発推進論者でした。
 当然その理由はと聞かれました。それで、日本は火力発電がありますが、火の神様がいます。水力発電も水の神様がいます。風力発電、風の神様がいます。そして火山の神様、地熱発電、これも神様がいらっしゃいます。
 しかし、原発大明神などという神様はいません。つまり自然のエネルギーではないのです。プルトニウムという人間が勝手に作り上げたこの元素、これは異常です。これは日本の国柄には合っていません。
 だから私は脱原発。左翼団体の反原発とは違います。今の日本は確かに原発エネルギーが必要です。しかし十年計画、十五年計画を通して、原子力に替わる代替えエネルギーを産学官共同で研究開発すべきですと。
 しかしながら、左翼市民平和団体の主張は異常過ぎます。別の意図が隠されていますね。
西尾 私は原発もしばらくはあっていいと。ただ徐々に減らしていくべきだと当時書きました。私も核武装論者で、従って『平和主義ではない脱原発』という本を出しています。
菅家 はい、存じております。先生のおっしゃっていることと私の考えていることは全く同じなのです。
西尾 ただ原発の問題は益々難しくなってきています。今再稼働しても、やはり採算が合わないのではないでしょうか。
菅家 しかし日本の技術力と潜在的能力は、必ず近い将来ポスト原発の再生エネルギーを可能にすると信じております。
 ただ、この原発の件で保守派の意見が分かれていることは残念です。
西尾 これはおかしい。もうちょっと柔軟に考えなければ。
菅家 近代文明社会、即工業化社会、日本の保守派はそちらに流れてはいけないように思います。。
西尾 原発によって国土が汚されるのが不愉快でなりません。
 福島の汚染も解決していないのに、今度は西日本で起きたらどうなりますか。福島は海へ流れたからまだ良かったものの、西日本で起きると風が東へ流れるから大変なのです。
 一番問題なのはテロに対する防衛体制が脆ぜいじゃく弱すぎる。自衛隊が原発を守っていないということ。誰が守っているかというと民間の警備員です。
菅家 警備会社まかせです。
西尾 危機管理がなっていない。この国はどうなっているのかというのが、私の根本的疑問です。怖ろしい国ですよ。ですから原発賛成という前に、まず安全面を確立して欲しい。
菅家 原発を一つ襲われたら、日本人はかなり目が覚めるかもしれませんね。
西尾 全然わかってない。何度やられてもわからない国民だね。

●いま問う、戦後七十年という時代

菅家 西尾先生の『国民の歴史』を読んで、歴史家・言論人としての見識と情熱に改めて感動しましたが、
当時そうとう反響があったのではないでしょうか。
西尾 私はあの本を「日本から見た世界史の中に置かれた日本史」という構想で書きましたが、『国民の歴史』をそんなに評価してくれているのはあなただけです。
菅家 『人生について』も素晴らしい本です。みんなに読んで欲しい。
西尾 実は『国民の歴史』を書いてから悪口ばかり言われたので、傷ついてもいるのです。当時私の顔を見た国立大学のある先生が「国民なんてものはないんだ。国民の歴史なんて変だ。国民なんて概念はないんだ」と、そう言いました。お前は頭の固い馬鹿だと言わんばかりに。
 「国民国家とかいうものは過去のものだ」という意見なら、文明論上の議論を交わしてもいいと思いますよ。だけど国立大学の教師が「国民」という言葉をさも汚いもののように考えている。彼らはみんなそう。そう思っている連中にマスコミは媚こびを売っています。
 そんな勢力にああだこうだと言われてきましたから、あの本がいい本だなんて自分でもわかりません。 
 第一あの本を正面から論評してくれる人が殆どいません。批判的な単行本なら十冊位出て、左翼の歴史家から総立ちになって叩かれました。
菅家 注目されたんですね。反応があったんですよ。
西尾 彼らも痛いところを突かれたのでしょう。網野善彦などむきになって噛みついていました。
菅家 最後にお伺いしますが、文明論的に日本の歴史とは、いったい何でしょうか?
西尾 日本は、地理的、時代的に孤立した宿命を背負わされた民族で、他に類例をみない地球上の孤独な立場におかれてきました。
 それにも関わらず、極めて短期間にその悲運を跳ね返しました。そのわずか数十年の歳月を乗り越えた幕末、明治、大正、昭和初期までの日本人の対応力は、これまた世界史上に例がありません。
 でも、私は日本人は偉大だったなどと言うのではなく、そのことに耐えて戦った人々の苦難と悲しみを偲び、ただひたすら共感し、同情し、痛哭し、よくやってくださったという尊敬の念のみがあります。
 そして今を無思慮に生きる我々の焦り、怒り、苛立ち、空しさのことを考えております。
 安倍首相の戦後七十年談話はあっけなかった。期待していたのに、こんな馬鹿みたいな逃げ方は無かったと思います。私たちは過去の人たちをどんな根拠があって批判出来るのでしょうか。
 私は過去をなんでも礼讃するのではありません。健気な努力と悲しみで生きた人たちの想いに、ただ胸が痛くなるということだけです。
 そして西洋にただ同化すればいいと思っていた思想は空しくなりました。明治初期、時代はそういうものでした。それを今さら明治時代は偉大だと絶賛する人もいますが、それを言ったからってどうなりますか。
菅家 明治のバックボーンは江戸時代に培われた日本人の気質でした。
西尾 歴史は未来によって変わります。明治は偉大だったのではなく、悲しくつらい時代だった。幕末から昭和に生きた人々は国難に耐え、よくやったと思います。私たちよりも偉大な発展を短期間で行いました。それに比べれば私たちは一体何をやっているのでしょうか。
菅家 要するに、何も出来なかった。戦後七十年も経つのに、何も変えることができなかった。日本人はここまで西洋文明のマインドコントロールにかかってしまいました。
西尾 それもあると思いますが、同じようなことは明治にもあった筈です。あんな厳しい状況は無かったのですから。戦後の七十年間はそこまで厳しいとは言えません。何も考えないで、呑気に過ごしてしまった。
菅家 日本人の意識を変えて、西洋文明による病を克服しなければなりません。
 私事ですが、六月から「平成菅家廊下・翔塾」を開講いたします。総合人間力の向上を目的に知徳、人徳、天徳、知性、品性、霊性、これを高めていく本格的な人間教育をして参ります。
 西尾先生もどうか私たち後進を育てて下さい。本日は貴重なお話を伺えました。本当にありがとうございました。
西尾 ありがとうございました。

 

西尾幹二先生との対談は文字に起こすと三万文字を超え、これをどのようにまとめ、掲載可能な一万字に抑えることができるかと、とても苦労しました。削られた三分の二の中身の濃さは、本当に勿体無い限りです。
 西尾先生は若き日にミュンヘン大学の研究員となり、その体験を元に書かれたのが『ヨーロッパ像の転換』『ヨーロッパの個人主義』でした。これらは当時、学者、文化人、知識人から多いに注目され、哲学者の梅原猛は「一人の思想家の登場を見た」と言い、ジャーナリストの草柳大蔵は「論理の超特急」と評しました。
 私が西尾先生と最初に出会ったのは四十年近く前になると思います。先生は若くして知性派として知られ、いまでは天下の碩学であり、日本の言論界の重鎮として大きな影響力を持っておられます。その洞察力はあまりにも深くて鋭いものがあります。
 三時間近くに亘った対談はどれも素晴らしい内容のもので、その全てが載せられないのが残念でなりません。これからも益々お元気で日本の行く末を見守っていただきたいと思います。
 西尾先生、本当にありがとうございました。
菅家一比古

(文責・編集部)

特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(二)

●司馬史観の克服

菅家 歴史ブームの中で以前から違和感があるのは司馬遼太郎です。彼は小説『坂の上の雲』で乃木将軍を非常に批判的に描いています。
西尾 とんでもないですよ、あれは。『坂の上の雲』は途中まで読んで馬鹿らしくてやめました。
 日露戦争から帰ってきた乃木将軍が凱旋行進をした時、他の将軍はみな馬車に乗っているのに、乃木は一人馬上にあり、頭こうべを垂れ、深々と羞しゅうち恥と謝罪の感情を示しつつ、うらぶれた姿で歩んだ。そしてこれに民衆は感動しました。しかし、これを「乃木は芝居を打った、パフォーマンスだ」というのが司馬の見方です。
 同じく司馬が書いた『殉死』の乃木将軍像もおかしいですね。読んでいて腹が立ってきました。人間の高貴さとか、健気さとか、美しさとかを認めないで、賎しいものとして描く。特に愛国的な賎しさというものを茶化して、それに司馬好きの人は迎合してしまっています。
 例えば乃木将軍は若い頃酒乱で女遊びもしたけれど、ドイツに留学して心機一転した。ドイツ人の規律正しさと軍人精神の一貫性というのを目撃して、自ら反省して乃木は急遽変わったと。
 それから日常生活では私服を一切着ないで、軍服だけ着て日々を過ごす。家へ帰っても軍服を脱がない。寝る時も脱がない。
菅家 板の間に何か敷いて、軍服のまま寝ていたといいます。
西尾 これを司馬はパフォーマンスだという。儀礼的形式に一人酔っているヒロイズム(英雄崇拝主義)だというのですよ。
菅家 違いますね。それはパフォーマンスではない。パフォーマンスでは続かないでしょう。
西尾 パフォーマンスというか、そういう芝居がかったある種の自己満足的自己顕示欲、それが乃木を支配していたと司馬はいいますが、私は違うと思う。司馬は人間を信じることが出来ない男。何かが欠けている。
菅家 『翔ぶが如く』を読みまして、最後に司馬遼太郎はこう結論づけるのです。五年間も連載していながら「とうとう私は西郷のことが分からなかった」と。それでこれが司馬史観の限界だと思ったのです。
西尾 分からないと書いているなら正直まだいい。結局、分からない人のおしゃべりなんですよ、司馬の小説というのは。

●三島事件の意義を問い直す

菅家 日本の歴史を考えた時にどうしても不思議なことは、危機的状況の時に、救世主型の人物が現れてきます。例え二十三歳の執権が、元軍を退けます。これが文永の役でし。そして三十歳の時、弘安の役で元軍を退けた後、すぐ死んで逝きます。
 或いは坂本龍馬という人間が現れる。しかし使命を果たした後、すぐ天が召していく。これも三十三歳。西郷と言う人物も、吉田松陰という人物も児玉源太郎もそうです。
 東郷平八郎は、連合艦隊を率いてあんな働きをするとは誰も予想しなかったわけですから、奇蹟的な人物だと私は思っています。それを作戦参謀として活躍したのが秋山真之。そのように日本の歴史を見渡すと、危機的状況の時に必ず救世主型の人物が現れました。
西尾 戦後史はどうですか?
菅家 人物と言っては失礼ですが、昭和天皇様のご存在がなかったら、戦後日本の復興はなかったのではないでしょうか。
 個人的にもう一人挙げるとすれば、三島由紀夫です。 三島由紀夫事件の歴史的な位置づけもやはりその時代によって変わってくると思いますが、今こそあの事件の意義を見直す必要があるように思うのですが。
西尾 誰の三島論を評価しますか?
菅家 今までかなり色々な方たちの三島論を読みましたが、どうもいま一つピンときませんでした。 
 ただフランス文学者で評論家の村松剛先生が、書かなかったけれども私に語ったことがあります。私は若い頃村松先生と親しくさせていただいた時期があったので、ある日ホテルで聞いてみた事があるのです。 「村松先生、どうして三島先生のことを語らないのですか?」と。
 その時、村松先生はこう言われました。 「口に出せば空しくなる。あのことは口に出したら空しくなってしまう。だから言わないんだ」と。
 要するにいくら言っても、誰も分からないだろうというようなニュアンスでした。
西尾 私は三島氏の死後四十年忌に「三島由紀夫の自決と日本の核武装」という題名の論文を雑誌『WiLL』に発表しました。
 三島さんは単に内面の死を遂げたのではなく、外の世界に政治的対応物があったと書きました。あの最期の「檄文」をもう一度丁寧に読んでください。あの中にはっきりと、NPT(核拡散防止条約)への憂慮が書かれてあります。
 そしてあの時の政治状況を考えてください。私は佐藤内閣の動きを全部丁寧に順を追って書きました。佐藤栄作の政治とやはり関係があるのです。佐藤はあの時、三島さんを気き違ちがいだなんて言いましたが、政治家には全く理解できない、非政治的政治行動だったのです。
菅家 三島由紀夫事件の、先生なりの歴史的位置づけというか、ご意見を聞かせて頂けますか。あれほど謎に満ちた、評価の分かれる事件はないわけです。
西尾 たびたび考えて、それで結局いつも徹底して考える事が出来ないテーマなんですよね。
菅家 でも西尾先生の論文を大変評価された方がおられましたね。澁澤龍彦氏は今まで三島関係の論文の中で一番的を射た、秀でた論文だというふうに評価していましたが。
西尾 それは私が三島さんの死の直後に書いた「不自由への情熱」という小さな論文のことでしょう。
 三島さんもよく知っているフランス文学者の澁澤さんが、直後に書いた私の文章を、「三島の死のラディカリズム、これはニヒリズムとラディカリズムの結合である。それ以上のものでもそれ以下のものでもない。そのことを正面からはっきりわかって書いた人は、西尾幹二の他にはいなかった」と評してくれました。
 「左翼にも三島由紀夫のファンがたくさんいるのは当然である」と、左とか右とかの話ではないということも澁澤さんは言っていましたね。
菅家 三島先生はこう言っていました。「私は目に見えない天皇に忠義を尽くすのだ」と。
西尾 それは私も同じ気持ちです。目に見えない天皇、つまり憲法の枠を超えた天皇、神話から始まる皇室の歴史、そういうものに対する帰依の意識だと思います。
菅家 私は若い時から古神道をやっていますから、その「目に見えない天皇」というのは、天皇、皇室を〝顕あらしめてやまないもの〟のことであることがわかります。
 天皇と皇室、日本というものを顕らしめているものはいったい何なのか、そこを三島由紀夫先生は見ていたのだと思うのです。
西尾 おっしゃる通りですね。
菅家 ですから政治的云々ではなくて、三島先生にはかなりの危機感があった。このまま日本の文化がどんどん衰退していって滅んでいくのか。あるいは日本の伝統文化を全面的に取り戻して、日本を立ち直らせるのか。さあどっちだと突き付けたのがあの『文化防衛論(三島由紀夫著)』の主旨でした。
 それがあの昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷に至ったのではないですか。
西尾 だから死ななきゃいけないというのは困るけどね。
菅家 でも三島先生があのようなかたちで死んだあとから、日本の言論界が変わってきたように思います。
西尾 三島事件と三島さんを失った衝撃は、当時相当なものでした。
菅家 三島由紀夫事件以降、言論活動が盛んになって、良識派、保守派の巻き返しが始まったのではないでしょうか。
西尾 雑誌『諸君!』の役割もあったかもしれません。その『諸君!』も廃刊されて、最近の『文藝春秋』
は左傾化してしまっています。
菅家 でも三島先生は私の心の中に生き続けてくれました。「後に続く者を信ずる」私の中には未だその言葉が生きております。言論と具体的な大衆運動を通してやっていくのみです。それが美し国「日本蘇り」運動です。

つづく

特別対談 西尾幹二先生 × 菅家一比古主幹(一)

美し国会報より 

西尾幹二先生   ×     菅家一比古
評論家 西尾幹二     一般社団法人美し国教育創造研究所
電気通信大学名誉教授    代表

主幹 菅家一比古
(かんけ いちひこ)
社会教育家。古神道家。一般社団法人 美し国代表 株式会社ピュアーライフ 代表 取締役会長兼社長昭和28 年、北海道生まれ。20 代の頃より教育者を志し、青少年や母親を対象とした家庭教育から、企業の経営者を対象とした人間学まで、人材育成を目的とした講演を企業、学校、PTA など様々な団体で行なう。平成23 年に「日本蘇り」を目的とした国民運動「美し国」を立ち上げ、真の日本人の結集を呼びかけている。著書多数。

特別対談
〜歴史の読み直しを通してこれからの日本のあり方、
世界の流れを考える〜

歴史の風景を読み解く

●歴史の読み直し

菅家 西尾先生の歴史観の根幹には、哲学が土台になっているのではないかと思っています。例えば代表なご著書である『国民の歴史』の中では、歴史とは過去からくるものではなく、未来からくるものであるとおっしゃっています。 一般的に歴史から学ぶということは、過去の出来事からの照射と受け留めてきましたが、先生は未来から開かれてくるものであると言っておられます。
西尾 歴史が蘇る時代は、常に何らかの危機がある時代です。江戸時代の日本人はよもや幕藩体制が崩れてなくなるなどとは誰も考えていなかった。同様に戦時中は敗戦後の日本のことなど、当時誰も予想がつきませんでした。
 そこで幕末とか敗戦といった危機が訪れると、そのとき初めてどのような未来を歩まなければならないか、ということから歴史の読み直しが始まるわけです。すると未来への期待や危機感の如い か何んによって、過去はそれぞれ違ったように見えてくるのです。
 鎌倉幕府ができたとか、関ケ原の戦いや日本海海戦があったとか、そういう歴史の緒事実を変えることは出来ませんが、評価や解釈は未来の見方如何によって様々に変化します。
 例えば、山の姿が遠くから見るのと、私たちが動くことによって山の形が変わって見えるのとは別です。季節や時間帯によって山の景色が全く違って見えるのと同じように〝歴史も絶えず動く〟のです。
 つまり動かない過去は問題にしても仕方がないわけで、未来をどう創造するか、生き方によって過去は違って見えるということが大切です。
菅家 最近、明治維新についても全く否定的な本が出版されましたね。
「明治維新とは、吉田松陰を中心とするテロリスト集団の悪行である」などと書かれています。
西尾 全くバカらしい本です。GHQ戦勝国史観の変形ではないでしょうか。
 明治維新について一例をあげると、水戸学に会沢正志斎の『新論』という本があります。一八二五年に執筆されたのですが、出版を禁じられ志士達が手書きで広めました。既に幕末に近づいていて世界の情報がこの本にも随分入ってきていた。そこで著者は世界地図を頭に描いて、世界の情勢を書いている。完全なグローバリズムですね。
 日本を中心に遠くから世界を見て、こんなふうに凄い国がたくさんあると分析しています。しかもどこかの国を絶対化せず、どれも相対化して自国も絶対化していない。どこかの国を理想化したり、西洋が文明だなんて一言も言っていません。そういうグローバリズムの感覚に長けていました。
 それが吉田松陰をはじめとした幕末の若者達の世界像に乗り移るのです。
 ところが、明治の文明開化になると、西洋に一歩でも近づくことが良いことになります。そうすると自分が西洋文明の袋の中に少しづつ入っていくから、袋の外を見ることが出来なくなってしまいます。西洋文明に甘くなり、日本の文化は遅れているというようなことになる。当然そういう動きが出てきて、福澤諭吉はその代表的な一人です。西洋の袋の中に入ったことから自分の思想を樹てた人であり、私にとってはあまり魅力がありません。
菅家 福澤諭吉も森有ありのり礼も中江兆民も、西洋礼賛主義者でした。
西尾 中江兆民はたまたまフランスへ早く行ったからで、内村鑑三もその中では一番マシな方ですが、なぜキリスト教に改宗してしまうのでしょうか。
 結局西洋の袋に入ってしまって、日本の姿が見えなくなったのは明治維新以降ではないでしょうか。文明の方向は水戸学をも吉田松陰をも、どんどん否定する方向に進んで行くのです。
 ところが面白いことに、第二次世界大戦前に再び日本は会沢正志斎の『新論』と同じ世界像を見ることになります。野蛮なアメリカ、野蛮なヨーロッパ、どうしようもない白人主義。そういうものが改めて見えてきた。そして戦争が終わって、今度はアメリカ民主主義ということになると、全部またアメリカの袋に入って他は見えなくなってしまいました。
 アメリカでは大統領の有力候補にトランプなんかが出てきましたね。世界の陳腐さが見え出した今こそ、会沢正志斎の様なグローバル観が必要なときです。
菅家 トランプの様な人間が台頭し、持て囃はやされる世界がアメリカに厳然と存在しています。アメリカの良識を疑ってしまいますね。
西尾 結局アメリカは中国によく似た国じゃないですか。唯我独尊で好き勝手言って。いずれ日本人は目が覚めるでしょう。
菅家 トランプ大統領の悪夢!
西尾 次の大統領に一番可能性が高いと思っています。戦前日本を追い詰めたフランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)もそういう男でした。
菅家 まさにルーズベルトもそういう人でしたね。狡こうかつ猾で偽善的で性悪説を思わせるものがあります。
西尾 歴史は絶えず動いています。何月何日に何があったかという事は動かない。しかし、それを並べても歴史にはなりません。それを並べたものは「年代記」というのです。年代記からは歴史を学べません。
 歴史とは人間の生き方。並べた歴史事実をどう解釈し、どう理解するかによって、未来の生き方、考え方が見えてくるわけです。

●トランプの出現は日本の天佑か

菅家 先生のご著書の中に、「アメリカという国家は一番東からどんどん西進し、遂に西海岸に辿り着き、更に西へと進みハワイを侵攻し、太平洋の一番端でとうとう異人種の壁にぶち当たった。これが日本だった。これをなんとか倒さない限りは、アメリカの太平洋覇権は成り立たなかった」と。
西尾 アメリカの歴史は大部分において西部の植民地化の歴史、つまり西部開拓史です。アメリカの歴史学者でターナーの「フロンティア学説」というのが有名ですが、この人はこんな面白い事を言っています。 日本史においても同じことが言える。日本は西から東に対する形で展開している。西部に発生した日本の古代王朝は、東部日本を未フロンティア開地として征服し、併合し、開拓して日本国家を統合し成長させてきた。つまり、今日の地域区分で言えば九州以外の西日本、中部、関東、東北、北海道をいわばフロンティアとして、日本列島全体の7割の面積を次第に征服して発展してきたのだ。それが日本国家だと。
菅家 なるほど。そういう見方もありますか。
西尾 これは日本に対する皮肉ですよ。でもこういう形の歴史はどこの国にだってあります。
 アメリカの発展には「移民」というのが必須要素で、アメリカ人にとってはついこの間まで新しい移民を必要とし、新しい移民は必ず今までいた移民を足場にして、何らかの形でアメリカ社会の中に自分の立場を築いてきました。9
 そして彼らが市民化すると次の移民が入ってきて、次の移民もまたその前の移民を踏み台にして、自分の利益と生活の場を見つけていく。こうやって発展してきました。 
 新しい土地を開拓するだけでなく、経済や金融なども拡大する。貿易も軍事も拡大していくことで、アメリカ文化をどんどん広げて行く。それがフロンティア精神で、これこそ神の定めだと言うのです。
菅家 しかしながら東西冷戦が終わり、パックス・アメリカーナの時代はもう終わったのではないですか。
西尾 だいたいベトナム戦争までですね。これは世界史の常識です。ベトナム戦争までがアメリカの覇権時代。あとは惰性です。
菅家 70年代以降、どう考えてもアメリカの外交戦略、世界戦争は無理がありましたね。
西尾 無茶苦茶ですよ。
菅家 湾岸戦争もイラク戦争もそうでしたし。
西尾 その結果がトランプですよ。
菅家 現実化したら怖いですね。トランプ大統領。でもそれによって、日米安保神話が崩れて、日本人が覚醒するということも考えられませんか。
西尾 期待します。
菅家 むしろこれは日本にとっては天てんゆう佑なのかもしれませんね。
西尾 トランプは日本を核武装させたらいいと言っていますしね。
菅家 トランプの発言には中国もしたり顔ですね。しかし中国はむしろ韓国と日本の核武装化を懸念するのではないですか。
西尾 それもあるし、中国をものすごく敵視していて、もうぶっ潰すとか言っているでしょう。少なくとも親中派ではない。一方クリントンは何をしたいのか見えてきません。
菅家 ロシアとの関係はどうですか。トランプはロシアを非常に持ち上げているではないですか。
西尾 親露外交は日本にとってマイナスではないでしょう。むしろロシアを味方にした方が良いのではないですか。日本は昔スコットランドに自動車産業を移しましたが、なぜロシアにしなかったのかと思います。 
 でもある人から聞いた話ですが、ロシア人は働くのがあまり好きではないらしい。中国人はお金になれば目の色変えて働きますが、ロシア人はお金があっても無くても働かないと。本当ですかね?
菅家 確かに、中国は昔から華僑の伝統がありますから。しかしロシア商人の凄さというのはあまり聞いた事がありません。
西尾 民衆は働かないで寝ているのでしょう。ほとんど冬ですから。
菅家 寒さでウォッカばかり飲んでいるのでしょうかね。日本の様に四季の彩りがしっかりしていれば、季節に合わせて自分の身体を動かしていくじゃないですか。
 ロシアという国はずっと氷に閉ざされたような環境ですから、一所懸命というような観念が生まれてこないのでしょう。

つづく

教育は錬金術か

ゲストエッセイ

佐々木純子          

国立大学が、まだ一期校と二期校に分かれていた40年少し前の事ですが、教育学の先生が、「(受験生は)『本当にこれがやりたい』と思って(大学に)入って来ればいいんです …(でも)受験勉強で疲れ切っているんです」と強調していた事が、今でも印象に残っています。

その後共通一次試験が導入され、さらに今のセンター試験の時代になっても、そうした状況が変わったとは思えません。

もし現代日本を特徴づける言葉があるとすれば、受験勉強を代表として「もっとやれ、もっと」という「際限のなさ」であり、その他の方面においても等しく広がる、「何処からとも言えない、もっともっとという現実的要請」ではないでしょうか。

以前スペイン・英合作で、ロンドンの女子寄宿学校を舞台にした青春映画を観て面白いと思ったのは、キーツの詩についてのレポートを生徒に返却する時、先生が「最低!」と言って評しながら、レポート用紙を宙に放り投げるシーンでした。しかしそのレポートを書いた生徒の方も負けてはいません。「キーツが私に一体何の関係があるっていうのよ」と放課後、同級生にぶちまけるのです。

一方我が国の教育はどうか。「何が何でも解らせる」ならまだいい、すべてが、最近のテレビ映画劇場で、古い映画を上映する時、最初の画面にほぼ毎回出てくる「この映画には、一部不適切な表現がありますが、製作者の意思を尊重し、当時のまま放映致します」のように、曖昧模糊とした表現に満ちています。

そんな中、我々は「これ以上踏み込まないように」という暗示を受けて、口をつぐむのです。同様に学校の生徒も、例え様々な疑問を持っても、「高校までは、考える材料を積まねばならない、それ以上は大学に行ってやれ」と教師に言われるか、授業内容を消化しきれないまま「見切り発車」するかの、いずれかです。

ところが「問題意識」を持って意気揚々と大学に入った学生も、その他の平均的な学生も、しばらくすると大学の「本当の事情」を知り、より現実的な目標を持つ方が得策だと悟って、卒業して行く人が大多数なのです。

こうした教育の結果生まれるのが、「奴隷の世界観」を持つ社会人ではないでしょうか。

つまり日本に居ながら、ある時はヨーロッパ大陸に、また別の時にはアメリカ大陸やシナ大陸に自身の身を置いたと想定して、物を考え続けていれば、GHQの政策そのまま「日本が悪かった」史観に染まっても無理からぬことで、我々の多くは、こうした現実的根拠のない様々な妄想に取り憑かれ、あげくに自分が何国人か分からなくなるという、昔は精神分裂病、今は統合失調症と名付けられた精神病の一歩手前に至っている、と言っても過言ではありません。

さらに悪い事は、幼稚園や小学校から大学に至るまで、段階を追って選別されるため、すべてをランク付けせずにはいられない強迫観念と、「負け組」意識が染みつきやすいことです。これは個人間でも国家間でも同じで、「負け組」国民は、何事も挑戦する価値がないと思わせる原因となっています。

「エジプトのテーベから発掘された“パピルス文書”には、金属を模造する方法が、150通りも記録されている。金に銅や亜鉛を加えると、合金されて何倍にも増量するが、何も知らない人の目には、あたかも銅が金に変わったように見えた。それがやがて、金を作りだすという夢へつながっていった。」

「ギリシャの哲人アリストテレスは、すべての物質の根本は“質料”と称する基本物質で、別に水や土や空気は元素である、と考え、生物も土や水の中から自然に生まれてきた、と主張した。“質料”の配合を変えたり、量を増減すれば、土くれを金にすることもできる。これが、後の錬金術を生む重要な理論になった。」

「あらゆる物質の中で、金は完全な金属、銅や鉄や鉛は、自然の失敗作で不完全な金属である。だから病める不完全な金属を治療してやれば、やがて金に変わる。その治療薬が全物質に含まれていると思われる“賢者の石”という元素だ。」
(「錬金術入門」資料・監修 京都大学助教授 吉田光邦 資料 森島恒雄
企画・構成 大伴昌司 『少年マガジン』‘70年代前半)

こうした錬金術の理論を見ると、現代の「教育理論」や学習のハウツーものを思い出します。例えば、「どんな子供にも、無限の可能性があります」「学力ではなく、子供の自主性を尊重し、生きる力をつけます」「三か月で英語がしゃべれるようになります」といった「殺し文句」です。

またちょっと分かりにくいのは、学校現場によくある考え方で、一定の情報を子供に与えていけば、子供たち自身で「自然に道筋を見つけるだろう」というものですが、これは「盲人が盲人を導く」と同じで、失敗した錬金術の方法です。

以上のような現代の、底なし沼のような教育現場に、「日本人の自我」という筋金を通した杭を打ち込んだのが、西尾先生の『国民の歴史』をベースとした『新しい歴史教科書』(平成13年)でした。この教科書は、教育にとって肝心なのは、情報と共に、受け手である生徒の自我を啓発して初めて身についた知識となる事を前面に打ち出した点で、共産主義者を中心とする左翼と呼ばれる人たちに、相当の脅威を与えたに違いありません。

その例の一つが、今問題となっている「学び舎」と呼ばれる会社が作った歴史教科書です(http://manabisha.com/)。

この会社の教科書を灘や麻布といった、所謂一流校と呼ばれる学校が採択したそうですが、上記のサイトを見て、私はつくづくこれらの学校の生徒が気の毒になりました。教科書の具体的な中身は見ていませんが、唯一「慰安婦」の記述があるという、それこそ左翼の大好きな用語で言えば「時代に逆行」し、おまけに「つくる会」を強烈に意識した「学ぶ会」という名前や、「こんなに歴史はおもしろい!」という謳い文句を使いながら、「歴史との出会い」「問いを生みだす」等々、何十年前に流行したような古臭い教育理論に則っています。
こんな「つくる会」にギラギラの対抗意識をむき出しにした「現場の教師たち」が作った教科書で、いくら「自主性」を刺激されたとしても、生徒たちは、結局昔の詰め込み式の大量暗記をこなさねばならないのだから、目次を
見ただけで、新興宗教のパンフレットかと勘違いしそうな教科書で、大切な授業時間を費やすのは、徒労以外の何物でもありません。

数学者の広中平祐氏によれば、「数学の問題であっても、同レベルで難しくしようと思えば、いくらでも難しくできる」そうです。奴隷根性の教師たちが作った教科書でどれだけ学んだ所で、奴隷根性しか生みださないでしょう。もし仮に、歴史教育における奴隷根性を打ち破る生徒が出てきたとしたら、それは、まさに彼らが養成したがっていた「生徒の自主性」に他なりません。

「新世界に征服の触手をのばした白人は、ついに1543年、最後の目的地黄金の国ジパングにたどりついた。だが、インカやアステカと違って、日本人は手ごわかった。武力による征服はだめだと判断した白人は、平和的手段で足がかりをつくろうとして、キリスト教の宣教師を送りこんできた。キリスト教は、ヨーロッパの富をふやす働きアリのようなものだった。武力で征服した民族の反抗心を封じるために、進んで力を貸したのだ。信長も秀吉も、はじめのころはキリスト教を優遇し、布教の援助をしたこともあったが、秀吉はやがて、そのうらにある大きな目的を見ぬいて禁止した。徳川幕府は、さらに白人すべての上陸を禁じ、国内に残るキリスト教信者を処刑して、鎖国時代にはいった。こうして、日本は自ら世界に目をとじたが、黄金につかれた白人たちに荒らされる心配もなくなった。向かうところ敵なしとみられたヨーロッパ人は、戸じまりの厳重な日本にはじめて手痛い反撃を受けたのだ。」

「16世紀にはいって、ヨーロッパの文化は、すばらしく発展した。すぐれた芸術家が続出し、けんらん豪華な美術品や巨大な建造物が生みだされ、市民生活は豊かになった。だが、アフリカは暗黒大陸とよばれて、未開のまま放置され、黒人と鉱物資源だけが際限なく運び出された。南アメリカも、アジアも、貧しく荒廃していった。12、3世紀まで、ほとんど変わらずに発展してきたヨーロッパと東洋、南アメリカの文化水準が、探検の時代をすぎるころから、いちじるしく変化して、ヨーロッパの文化はぐんぐん高くなった。白色人種は優秀で、有色人種は劣等であるという評価が、その結果生まれてきた。
なぜヨーロッパ人は、この時代に世界を征服することができたのだろうか。それにはいろいろな説があるが、ヨーロッパ人は遊牧民族の子孫なので、世界の果てのどこへでも出かけて行き、征服することがじょうずだったからだろうと言われている。力のあるものが、力の弱いものを征服する。弱肉強食は、生物が生き続けていくかぎり、さけがたい宿命なのだ。」
(「探検の時代 新世界の勝者と敗者」企画・構成 大伴昌司 『少年
マガジン』‘70年代前半)

この40年以上前の『少年マガジン』のグラビア記事よりも、遥かにソフトな記述の「つくる会」の教科書を否定するなら、学び舎の教師や元教師たちは、いっそ「日本はもう既に『移民国家』なのだから、歴史教育を廃止し、アメリカのように、他民族と仲良く暮らして行くための公民教育を徹底すべきだ」と、本音をはっきりと主張すべきでしょう。

そうではなく、あくまで自分たちが主張する「生徒の自主性」に固執するなら、自分たちの奴隷根性をしっかりと自覚して、『国民の歴史』を推薦図書として生徒に読ませるのが筋です。教師の矛盾とブレほど、生徒にとって迷惑なものはないからです。

また生徒の方も、仮にも自分を「エリート」だと自認するなら、時には自分の足元を見て、今自分が案楽に暮らせているのは何故かを考える必要があります。日本語で読み、日本語で考え、外国人と対等に付き合えるのも西尾先生が『江戸のダイナミズム』で書かれたように、我々の先祖たちが何百年もの時間をかけて、国語を整備し、外国の強大な影響から我々日本人の精神の独立を保つべく、不断の努力をしてきたからです。

ただし西尾先生の著作に「挑戦」する時は覚悟も必要です。なぜならそれらを読んで「自我に目覚めた」者は、もう自分自身から逃げることができなくなるからです。そして生まれてきた以上何をすべきかは、自分自身の力で考
えるしかないと、つくづく思い知らされるのです。

      平成28年5月4日   
        佐々木純子

日本人の精神

ゲストエッセイ

坦々塾会員 浅野正美

三菱自動車の燃費改竄が発覚した。同様の不祥事としては、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)が排ガス規制をクリアするために、実験に不正な操作を施して、正確でないデータを提出していた事例がある。そのとき、溜飲を下げる思いをした日本人は決して少なくなかったのではないかと思う。今でも一部の富裕層にとって、外車に乗るということはステイタスのようだ。もちろんそれは本人にとってというだけで、そんなことに一片の価値も見出さない日本人の方が圧倒的に多いだろう。VWは決して高級車メーカーではないが、同等の国産車と較べれば高い価格設定になっている。それでも乗りたいという人が少なからずいるということを、純粋な経済学の合理性モデルからは説明できないが、人間の行動や意志決定には、経済学の教科書が説明するような、完璧な合理主義に基づくモデルなど存在しないのだ。日本人は、ドイツとドイツ製品に対して拡大鏡で見てしまうという癖がある。私が職業上扱っているカメラを例にとれば、ライカと国産の同等スペックとの製品価格差は、5倍から10倍である(*注)。断言してもいいが、その価格差に見合うだけの性能上の優劣はなく、出来上がった写真の出来上がりに関してもまったく差はない。自動車に関して私は何一つ興味もないが、ドイツ製品と日本製品における、実体を伴わない価格差についてはカメラと似たようなものではないかと思う。だからこそ、日本人のドイツ(製品)崇拝に対する冷めた見方も多分に存在するはずだ。そういう人たちにとって、先のVWによる不正事件には、喝采を送りたくなるというねじれた感情も沸き上がったのではないかと思うのである。

ほとんどの日本人は、自国の工業製品に絶大な信頼を寄せている。だから、そういう人たちは反射的に、不正を働かなくては市場のシェアを獲得できない惨めなドイツと、優秀で価格競争力もある日本という構図が鮮やかに浮かび上がり、内心ではほくそ笑んだのではないかと思う。

多少業界の内部を知るものとして、カメラのことをもう少し詳しく書いてみたいと思う。現在まで、工業大国も新興国もどうしても追いつけない特殊な工業製品の一つがカメラなのである。カメラを発明したのは、ドイツ人ではなくて実はフランス人である。1839年にルイジャック・アンデ・ダゲールがダゲレオタイプの銀板写真機を発明したのが写真機の始まりである。カメラの歴史もまだ200年に満たない。なにによらず、新しいテクノロジーが登場したときの例に漏れず、これを批判する人達はいつの時代にもいる。ドイツのライプツィガー・フォルクスツアイトウング紙に掲載された次の記事には、そんな当時の雰囲気がよく現れている。

「つかの間の映像を捉えたいという望みは、単に叶わないだけでなく・・・・・それを願い、そうしようと考えるだけでも神を冒涜する行いである。神はご自分の姿に似せて人間を作られたのであり、人間の手になるいかなる機械も、神の姿を捉えることがあってはならない。永遠たるべき根本法則を神がお捨てになり、一介のフランス人をして世界中に悪魔の発明を提供せしめるなどということがあってよいものだろうか?」

今でこそドイツは、カメラの母国のように装い、世界もそれを信じているが、それは虚構なのだ。さて、ドイツのカメラが世界を席巻したのは、1913(大正2年)年に発売されたウルライカ(Ur Leica 「Urは古い・元祖」)と、1954(昭和29年)に発売されたM3によるところが大きい。ところがM3から5年後の昭和34年にニコンが発売した一眼レフカメラニコンFによって、業界の勢力地図は一気に塗り変わる。これ以降、報道や創造の分野で使われるカメラは、そのほとんどが一眼レフとなり、その後も半世紀にわたってその情況に変化はない。ニコンF以降、高級カメラの代名詞でもある一眼レフは、日本がほとんど世界で唯一の原産国であり続けているのである。

ここまでは前置きである。実は、冒頭の三菱の例は氷山の一角ではないかと思ったのである。私も40年近く会社員生活を続けてきたが、最近の風潮として、明らかに仕事に対する姿勢に変化が生じているのではないかと感じている。こんなことをしていたら、世界が賞賛する「日本品質」などあっという間に溶けてなくなってしまうのではないかと。

昨今ブラック企業という言葉がマスコミを賑わした。確かに報じられた居酒屋チェーンの勤務実態は、人を人とも思わない残酷なものだった。多分創業社長は、会社を軌道に乗せるまでは、それこそ寝食を忘れて、必死で働いたことだろう。自分がやってきたことなのだから、他人にもできないことはないという思い込みもあったと思う。だが、心身の健康を害し、従業員を自殺にまで追い込むような労働の強制はもちろん論外である。私が感じている違和感は、そういった極端な事例ではない。いま我が国で見られる風潮とは、社会全体が何となく物わかりが良くなり、真綿でくるまれてぬくぬくとしていられることこそが幸福であるかのような甘やかしではないだろうか。

最近の日本人は明らかにひ弱になった。困難に対する耐性が脆弱になった。時代精神がそういったひ弱な日本人に寄り添ってきたのか、甘やかした結果がこうした国民を大量生産したのか、こうした詮索は「にわとりとひよこ」の議論になってしまうのだが、多分お互いが影響し合って今日の事態を招いたのではないかと思う。そのことは最近の文学作品にも見て取れるのではないか。そんな物語に見られるのは、なにやら自閉的で社会との折り合いが悪く、いつも自分を責めては、取るに足らない個人の問題を、あたかもこの世の大問題であるかのように煩悶し、のたうち回っている若者の姿である。社会学者であれば、こうした情況を見て、豊かさがもたらした新たな渇望といったような気の利いた分析をして済ますであろう。私は決して豊かさを悪いことだとは思わない。むしろ豊かさを追求することは人の本性に叶うことであり、幸福を追求する上に置いても必要不可欠なものですらあると考えている。

世の中に少しでも不安が蔓延すると、人々は決まって「清貧の思想」を口にする。最近もウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏が来日し、その言動が大きな注目を浴びたことは記憶に新しい。元大統領の、「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」といった言葉は、名言として多くのメディアに取り上げられた。特に若者がこの言葉に強い共感を示したことをテレビは無邪気なまでに喜んで伝えていたが、そもそも「無限の欲があり、いくらあっても満足しない」のが人間であって、それ以下でも以上でもない。そういう人間性に対する理解のないところで、聖職者のようなきれい事をいくらいったところで、人間の本質はなんら変わらないのではないだろうか。

地球上の存在で「足を知る」ことがないのは確かに人間だけである。過剰な欲望や蕩尽は人類だけが持つ妄執であり宿痾といっても良い。およそ人類が引き起こす犯罪や争いごとのほとんどは、人類のこういった性質が引き起こしてきた。だからもういい加減そんなことはやめようというのは一見正論だが、中学校の学級委員会かせいぜいが成人式の決意表明程度の正論であろう。「無限の欲を棄てよ」ということは、人間であることをやめよ、というに等しいのである。何事にも光と影があるように、このような人間の際限のない欲望が、人類の進歩と繁栄をももたらしてきたという動かしがたい事実が一方にはある。こんなことは改めて言うまでもないであろう。そして我々日本人は、現時点における、そうした結果もたらされた豊饒な果実の最終受益者でもあるのだ。

ホセ・ムヒカ氏は慈善家でも聖職者でもなく一国を代表する大統領だった人物である。そうであれば、国家の指導者としての最大の務めとは、国力を増大し、国民の生命財産を守ることにあるのではないだろうか。国力には多様な要素があるが、経済力はその中でも特に重要な分野であると思う。戦争は確かに愚かしくも痛ましいが、過去の戦争がそうであったように、将来起こる戦争も、信仰の対立と経済的利得を争う戦いになるであろう。人間とは、互いに殺し合いをしてまでも、豊かさへの渇望を持ち、そしてその裏返しである、貧困や欠乏への恐怖に苛まされている存在だということは改めていっておきたいと思う。偉大な文学作品が繰り返し描いてきたのは、人間の心が抱える深い闇である。どのようなメカニズムによって、このような複雑で功罪の多いプログラムが人の脳に埋め込まれたのかはわからないが、わかっているのは人間というものはそのように極めて厄介な存在であるということだけである。

私が若い頃に仕事を通じてお付き合いがあった人のなかには、戦後の窮乏期を生きて会社を興した、ぎらつくような欲望を全身から漲らせているような男たちが何人もいた。今その人たちはほとんど鬼籍に入られた。その後を継いだのが、学歴があり、スマートで、礼儀も弁えた二代目である。その二代目がどうなったかといえば、そのほとんどは世間の荒波に立ち向かうことができずに廃業していった。確かに、彼らの父親である創業者たちは強烈な個性や、強引ともいえる仕事のやり方で敵も作ったが、商売の本質は直感で理解していたのではないかと思う。円満な社交や、ときには偽善すらも、人間同士が利害を調整する場面では大切な潤滑油であることはいうまでもないが、二代目のほとんどは、あたかもそれが目的であるかのように勘違いをしているのではないかという場面に私は何度も遭遇して驚いたことがある。往々そうであるように、人はよく目的と手段を間違えて、手段を目的にしてしまうという愚を犯す。

国力の土台は国民である。それ故、国家を発展させるための国民教育は絶対に不可欠である。読み書きができること、簡単な計算なら暗算でできること、迷信の闇から開放されることは、教育を通じて身につけていくしかない。その教育も今や立派な目的となった。教育には、正しい判断をするための基礎的な素養を身につけるという機能はあると思うが、社会の様々な障害に直面しても、個人の力でそれを乗り越えていくという人間力を教えることは困難だ。これは学校で教えることが主として知識であるのに対して、生きる力というのは、経験や年長者の振る舞いを通して身につける智恵だからではないかと思う。今、その智恵が急速に衰えてきているのではないかという危惧を覚える。世の中にはきれい事ばかりがはびこっている。偽善を偽善と認識できる社会はまだ健全だが、現在の情況は、偽善をまとい続けたために、それが善だと信じ込んでしまっている情況ではないだろうか。

青少年期において、学問の基礎を徹底的に身に付ける唯一の方法は、正しい学習を繰り返し行い完全に我がものとする以外に方法はないであろう。運動であれ、芸事であれ、地道な稽古をせずに一人前になることはできない。それは確かに、人生のある時期における苦役ともいえるのだが、人生の全般においてこうしたことを忌避する人間は、職業においてもなにがしかのことを成し遂げることは不可能であろう。

ヨーロッパの製品は、自らの製品に対する物語を作ることでブランド力を高め、それを維持するという戦略の下、およそ品質とは懸け離れた高い値段でも買う富裕層だけを顧客にすることで生き残りを計った。一部の識者は、日本も今後はそうした戦略に方向転換せよという。しかしこれは、ある種の敗北宣言ではないかと思う。また、そのような戦略で二番煎じが通用するほど、ビジネスの世界は甘くないだろう。

例え会社員であっても、長い勤労生活を送る内には、ここぞという勝負時はあるのである。また、大なり小なり、何らかのプロジェクトを期日までに仕上げなければならないという立場に立たされることもある。そうしたことも否定して、法律に定められた時間だけ働けば良しとするような人間ばかりになったら、間違いなく国力は衰退するだろう。圧倒的な技術力があるから日本の優位は揺るがないという人もいるが、その技術を確立した原動力がなんであったかということに想像力を巡らすことは必要だと思う。

どんな職業であれ、働く現場から「ブラック」の要素を完全に払拭することは不可能である。誰かが不眠不休で働くことによって社会が支えられているという状態は今後も決してなくならないであろう。すべての人間がそうせよというのではない。使命感を持った一部の人間の、そうした自己犠牲ともいえる行為は、歴史を通した偉人伝でも読んできたことである。私が憂えるのは、そうした行為そのものが、自己満足であるとか、組織への隷属であるとかいった言葉で否定され冷笑される社会が到来することなのである。

日本は今、様々に困難な問題に直面しているが、では、歴史上様々に困難な問題に直面していなかったというような太平楽な時代などあったというのであろうか。かつての日本には、「頑張れば明日はきっと今日よりも良くなる」という希望があったという。飜って現在の日本には、将来の絶望しかないではないかと。しかし、その国の時代を作るのは、国民のベクトルの総和であるということは認識しておく必要があるのではないか。

 

(*注)

独ライカと日本製カメラの価格差を比較するのは、実は単純ではない。それはライカが日本製品と同じ土俵で戦うことを避けているからである。ライカの主力商品であるM型と呼ばれるカメラは、驚くことにいまだにピント合わせを撮影者自身で行う必要がある。Mは「Messsucher」(メスズーヒャー・距離計)の頭文字だが、ピント合わせの原理は三角測量である。M型ライカの店頭実売価格は90万円から100万円だが、日本のメーカーでは類似品を生産していない。

レンズが交換できないコンパクトカメラの場合、ライカが35万円、同等スペックのニコンなら5万円である。人間の視覚に近い50㎜の単焦点交換レンズでは、ライカは46万円、ニコンは5万円である。ライカは伝説と神話を頼りに生き残る道を選択し、富裕層の信者だけをターゲットとするブランドとして存在し続けている。