3月後半の「日録」

 3月中旬からの「日録」を綴ることにしたい。

 14日に高橋史朗氏の新著『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』という長い題名の本の書評845字を書いた。産経新聞文化部に送った。

 この日安倍総理が河野談話の「見直し」はしないと明言した。日米韓の三国会談をひかえてのアメリカからの圧力があってのことに違いないが、やっぱりそうかとがっかりする。

 クリミア併合へ向けて急展開するウクライナ情勢を横目に見て、「正論」5月号の原稿を書く。20日の情勢まで入れて「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」(30枚)を書き上げた。雑誌の要望で題を短くする必要があり、「無能なオバマは日中韓でもつまづく」に改めた。

 私の家は建てて早くも17年経ち、外壁と屋根を洗浄することになり、建設業者が出入りし始め、20日から3~4日忙殺される。こういうことが起こると落ち着かない。実際の工事は5月末に始まる。

 日本文化チャンネル桜が『言志』というネット雑誌を作っていたが、今度紙の雑誌としても出版することにしたそうで、その第一号のために「日本はアメリカからとうに見捨てられている」を書く。わずか8枚だが、一日かかった。

 3月24日夜、私の呼びかけで、関岡英之、河添恵子、坂東忠信、河合雅司(産經編集委員)に産經新聞社に集まってもらって、「日本を移民国家にしていいのか」を世間に訴える移民問題連絡会をつくった。

 5月に『正論』編集部主催のシンポジウムを開き、それを皮切りに「年20万人移民導入」という自民党案に待ったをかける。

 26日午后3時から福井義高氏と対談。私の『正論』2、3、4月号の「『天皇』と『人類』の対決――大東亜戦争の文明論的動因」は私としては最近では最も充実した一作のつもりである。福井氏にコメントを付けてもらった。書きっぱなし、出しっぱなしではなく、一論文に、直接コメントで感想や異論を付けてもらうのはありがたい。編集長が同席し、面白いのでこれも雑誌に出した方がいいと仰有ったが、どうなることか。

 福井義高氏は欧米の現在のジャーナリズムや学会における第二次世界大戦観について幅広い知識に通じている。西尾の考え方はその中に位置づけてみると異端どころかむしろ正統派に属するのだ、といつも言っている。この点を検証してもらうのがポイントだ。

 27日前橋市に赴き、群馬正論懇話会の講演会で「歴史の自由を取り戻せ」と題して1時間30分語った。翌日新聞に出た内容案内を記しておく。

 西尾氏は、第二次世界大戦を戦った日本を「欧米列強の侵略を免れた唯一の国」とし、「欧米は侵略に『NO』を突きつけた日本を『悪』と決めつけた」と主張。「今もその流れは続いている」と自身の歴史認識を示した。

 安倍晋三首相は平成5年の「河野談話」の見直しを否定したことについて「アメリカの影響があった」とし、「アメリカは中国と韓国を利用して、自らが築き上げた戦後秩序を何としても守ろうとしている」と主張。「米政府は首相の靖国神社参拝に『失望』を表明したが、日本政府も中国の民主化に熱心でない米政府に失望したというべきだ」と訴えた。

 28日新潮社編集部と会談した。私の単行本『天皇と原爆』が8月に文庫化される件について話し合い、巻末解説に渡辺望氏をお願いするかねての提案が確認された。

 28日日本文化チャンネル桜でも移民反対キャンペーンを展開したいとの私の提案について、全面的に了解される。水島氏側でも同様の計画をもっていたらしく、4月以後のスケジュール調整をした。

 お花見のお誘いを各方面からいただいているが、参加できない事情は以上のような過密スケジュールのゆえであり、了承されたい。3月31日付で「GHQ焚書図書開封 ⑨」の『アメリカからの宣戦布告』が出版された。

遺された一枚の葉書

遠藤浩一氏追悼文

 私は1月3日に遠藤浩一さんから葉書をいただいた。5日に知人から「未確認情報ですが、遠藤さんが亡くなったらしいんです」と電話が入った。一体何を言っているのかと訝しみ、福田逸さんに問い合わせた。福田さんも聞いておらず思い切って奥さまに電話を入れて事実を確認し、私にも知らせてきた。奥さまは取り乱しておられる由、私は面識もないので遠慮して電話は控えた。葬儀は執り行われないというのでどうしてよいか判らない。いただいた葉書の日付をみると12月31日に書かれていて、1月1日に投函されている。内容は贈呈した私の新刊本へのお礼である。年賀状の端に書けば済むし、他の人はそうしているのに、十行にわたって本の中味に及んでしっかりした文字で書かれている。年内に間に合わせようと急いで書いて急いで出したものらしい。礼儀正しい人なのである。ひょっとすると絶筆かもしれない。この一枚の葉書をどう扱ってよいか後で考えたい。

 1月10日に彼もメンバーである「路の会」という勉強会の新年の集いがあった。急逝で気を鎮められない人が多く、21人も集まった。しかし急死するようなご病気があったとは誰も聞いていなかった。死の前後の情報も伝わってこない。なぜ逝ったの?と繰り返し呟くのみである。十日経ってこれを書いているが、私はまだ彼の死を受け入れる気持ちになっていない。現代では55歳は夭折である。12年前に坂本多加雄さんの死に私は同じこの夭折という言葉を用いたことを思い出した。

 私が遠藤浩一さんに出会ったのは39年前の1976年、彼が高校三年のときであった。私の側に初対面の認識はない。彼がそう言うのである。彼の母校県立金沢桜丘高校の創立記念祭で私が講演したのは覚えている。彼は会場で聴いていた一人である。数年前に電話でそう言い、何を話したかすっかり忘れていた私に「ちょっと待って下さい」と言ってどこからか講演録をさっと持ってこられた。「どこに置いてあったの?」とその早さにびっくりしていると、いつも書棚の一角に置いてあるんですと言われてさらにびっくりし、ひたすら感激し、申し訳なくさえ思った。

 「個人・学校・社会――ヨーロッパと日本の比較について」と題した私の話を収めた校友会誌のコピーを後日送ってくれた。モントリオールオリンピックの年で、韓国の選手たちは金メダルを獲ると高い報奨金をもらえるのに日本の選手にはそれがない、という不平不満が一種の社会問題になっていた。私は保証のない自由、それが本当の自由ではないか。自由とは自己決定であり、つねに安全とは限らないのではないか。悪を犯す自由も、怠惰である自由も、真の自由のうちには含まれているのではないか、というようなことを高校生を前に必死に説いていた。遠藤少年の琴線に触れたことは間違いない。私と彼とは23歳も違うが、師弟関係ではない。あれからずっと「真の友情」が続いた。民社党の月刊誌『革新』の編集者になってからたびたび私は訪問を受け、今度調べると八回のインタビューが全部彼の手で論文として纏められていた。彼の理解は早く正確だった。

 2002年に「路の会」のメンバー20人で合同討議本『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったのか』を出した。遠藤さんは自分は戦争直後を知らない世代だがと断った上で、永井荷風の『断腸亭日乗』の昭和20年9月16日の記述を読み上げた。荷風が「国民の豹変して敵国に阿諛(あゆ)を呈する状況」を見て、戦時中「義士に非ざるも……、眉を顰め」ずにはいられない、と述べている箇所にとくに注目している。荷風は戦時中、日本軍部に秘かに冷や水を浴びせていたことはよく知られ、戦後しばしば賞賛されたが、遠藤さんはそういう個所ではなく、戦後たちまち所を替えて米占領軍に「阿諛(おべっか)」を呈するわが国民に冷や水を浴びせている荷風の姿勢に目を向けている。そして8月15日より以降、荷風が「しばらくの間、休戦」といい、「敗戦」とも「終戦」とも言っていないこと、戦意の継続意志の表明があることに着目し、「義士」にあらざる荷風が解放感で大喜びしたりせず、アメリカは依然として「敵」であり続けたことを重視している。こういう個所を読み落とさず、しかと目を据えている点に遠藤さんの本領があった。

 私に最後にくれた例の葉書でも「安倍総理の靖国参拝に、中韓のみならず、米国をはじめとする世界中の国が騒いでみせていますが、これも日本の国家意志の表明が国際政治を左右しはじめていることの証だと思はれます」と書いていた。右は首相の靖国神社参拝の五日後、彼の死の四日前の認定である。

 遠藤さんは若い頃芝居を書いていて、文学の徒である。アマチュアの役者でもあり、声は張りがあり、朗々としていた。政治論より文学の話題を交わすのが楽しかった。福田逸さんを交えて三人で間を置いて飲み会をやっていた。日本橋に炭火を囲む面白い店を見つけたので年が明けたら集まろうよ、とつい先日言ったばかりなので、私はまだ今日の事態を理解することが出来ずにいる。

『正論』2014年3月号より

慰安婦、オバマ、ウクライナ、フランクリン・ルーズベルト、日米開戦史

 3月14日に安倍首相は正式に河野談話の見直しはしないと表明した。その少し前に菅官房長官が談話の成立過程を政府内研究会をつくって検証すると言った。ワシントンのサキ報道官はこれを承けて首相の決定を「前進」と評価し、今後とも歴史問題を解決するよう日本政府を促していくと語った。すると菅官房長官は日を置かずに、談話の「検証」はするが、その結果いかんに拘わらず「見直し」はしないと重ねて強調した。

 日本ではみんな穏和しくしているが、これは大変な決定である。日本の名誉はこれで永久に救われないことになる。外地で慰安婦像の撤去のための地味な運動をしている日本人愛国者たちに、安倍さんは会わせる顔がないだろう。

 オバマ訪日を前にしてこの動きがきまっていくプロセスのかたわら、ウクライナ問題が進展し、クリミアのロシア支配が決まった。

 私が当ブログの更新を怠っているときというのは、雑誌〆切りの原稿に没頭しているときと思っていたゞきたい。慰安婦、南京、侵略概念という日本を苦しめる歴史のテーマと、ウクライナでアメリカが有効な手を打てず無力をさらし、中国が西太平洋を狙って不気味な沈黙を守っている情勢とはぜんぶつながっている。

 私は『正論』5月号(4月1日発売)に「無能なオバマは日中韓でもつまづく」という論文を出した。これは表紙に出る文字で、目次は少し違って、「ウクライナで躓いたオバマはアジアでも躓く」である。本当は後者が私の立てた題である。長過ぎて表紙に用いるのに具合が悪いので前者の題にしたと編集長が言った。

 私は慰安婦=河野談話問題とウクライナ=オバマ問題を一つながりのテーマとして扱ったので、毎日動いていくニュースを追う関係で時間がかゝり、当ブログはしばらくお休みになった。

 もう一つのより大きなテーマをこの論文にからめている。その話を少しさせて欲しい。フランクリン・ルーズベルト大統領の対日開戦の責任と中国を共産国家にしてしまったアメリカの戦後処理の失敗責任について、アメリカでも研究や議論が進展している。気鋭の歴史家・渡辺惣樹氏の『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(2013、草思社)は新しいアメリカの歴史の見方を紹介している重要な著作である。

 ところで私の「GHQ焚書図書開封 9」『アメリカからの「宣戦布告」』は3月のうちに全国の書店に出始めている最新刊で、アマゾンではもう売り出されている。渡辺さんの本と私の本とは結論が近づいている。それは何を意味するか。

 日米開戦の責任をめぐる戦勝国の今の認識と敗戦国の当時の認識が接近してきたのである。敗戦国の見ていた歴史の真相を戦勝国も70年経って認めざるを得なくなってきたのである。

 当ブログの読者の皆様へ申し上げたい。『正論』5月号にすべて詳しい、突っ込んだ分析を展開されていますので、まずそちらを見て下さい。当ブログは私の考えの展開の場ではなく、私の活字世界の活動のご紹介の場です。

 私の考え方を正確に知っていただきたいので、以上のようにお願いする。

ウクライナ情勢と安倍外交

 ウクライナの情勢を憂慮しています。ことに日本の立場、安倍外交の判断の難しさは、予想されていたこととはいえ、同情に値します。

 距離が遠い国は、ある程度、あいまいに対応、ずるい逃げの姿勢でいるのを許されることがあります。かつて天安門事件のとき、欧州各国は中国に対し冷淡に拒否的でした。日本政府は孤立する中国を助ける方針を打ち出しました。ロシアのウクライナ政策に対するアメリカと欧州の制裁に日本は必ずしも参加する必要はなく、せっかくうまく行き始めた対ロシア外交を日本政府としては大切に守りたい思いでしょう。ロシアは日本の隣国です。菅官房長官はそういう方針を口にしていました。

 しかしロシアのクリミア奪い取りは中国の尖閣奪い取りと同レベルにも見えるので、ウクライナの主権を平然と犯すロシアの軍事行動を日本が黙認することはブーメランのごとく自分にはね返って来ます。ここは原則尊重で、アメリカや欧州と同一歩調をとることが一応は必要に思えます。しかし、アメリカと欧州の対ロシア制裁はどのていど本気なのでしょうか。

 欧州も戦火を交える気は毛頭なく、アメリカも同じように武力行使など考えていません。ロシアはそこを見越していて、一気にクリミアを併合する構えです。中国はこれを後押ししています。

 日本はアメリカに顔を立てても、たゞロシアの不興を買って、せっかくアメリカからの自立外交として目立っていた対ロシア接近は効果激減となるでしょう。ここは一番踏ん張って、何年か先の政治効果を狙ってロシアの顔を立て、制裁はやならいという方針もあり得るだろうと考えられます。

 しかし、しかし、ここがよく考えなければならない正念場です。ロシアと中国は接近し始めています。一連の動きは「冷戦」は終っていないこと、北方共産回廊が亡霊のごとくユーラシア大陸に再び暗雲をひろげ始めたとも考えられます。

 だとすれば、日本は反共国家として、アメリカと欧州各国の行動に歩調を合わせざるを得ないということになりましょう。結局、そういうことになり、安倍自主外交はしばらくお休みいたゞくことになるのではないでしょうか。

 尤も、この面倒な諸国家間の関係をどう泳ぐかで安倍外交はその真価を試されているともいえます。