ゲストエッセイ
坦々塾塾生・つくる会会員・石原 隆夫
9)つくる会教科書潰しの朝日新聞記事と文科省の不作為
ざっと「つくる会」の辿った道を振り返ってみた。波瀾万丈の道のりだったと言っても良い。
そんな「つくる会」の主な目的は、我々(自由社)の教科書で出来るだけ多くの中学生が歴史や公民を学び、子供達が将来誇りある日本人として振る舞うことである。そうなれば、70年にわたって続いてきた「戦犯国日本(東京裁判史観)」の国民意識をも払拭することもできると思うからだ。何処の国の歴史にも光と影がある。日本だけが光の部分を隠し影の部分だけを日本の歴史として教える。かつてイギリスの教科書も植民地の贖罪意識で酷い教科書だったが、サッチャー政権で「誇りあるイギリス」史観が復活したという。イギリスでは教科書改善ができて、なぜ日本はできないのか。答えは簡単である。国民の意識の問題であろう。巷間よく言われることだが、外国の左翼は他国からの非難には保守と一致団結して反論するという。国内の議論では保守と対抗していても、国益が絡むと熱烈な愛国者に変身するのだが、日本はといえば、外国に通じ祖国を誹謗中傷することが愛国者だと思い、そうすることがかつて日韓を併合して植民地にし、中国を侵略し、遂にはアメリカ様に刃向かった「罪深く馬鹿な日本人」を糾弾する「良い日本人」であると思い込んでいるのであろう。「良い日本人」とは端的に言えば、「罪深く馬鹿な日本人」の一人が自分の先祖である事にすら気付いていないのであり、世界標準から見れば、売国奴であり根無し草の愚か者に過ぎないのである。日本が今歴史戦で苦戦を強いられている、南京問題にしろ慰安婦問題にしろ、全てが日本人が捏ち上げた嘘から始まっているのだが、それを利用して日本を攻撃する中韓の人達から見れば、彼らは売国奴であり嘲笑の的である。日本にとっては彼らは「内なる敵」であるが、彼らの思いの根底には「東京裁判史観」に基づいた長いあいだの反日教育があるのだ。エリートを輩出し国家の官僚に送り込んでいる東京大学をはじめとする主要大学や歴史学会では、牢固として日本悪玉論である「東京裁判史観」を遵奉している現状を考えれば、「内なる敵」の増産に歯止めを掛けるのは容易なことではなく、国民の意識が変わるような余程の奇跡が起こらない限り、売国奴は日本の教育を危機に陥れ続けるだろう。
「つくる会」はそのような日本に歴史教育を通じて一石を投じようとした。だがそれは言論、出版の自由や結社の自由が憲法で保障されていることが前提であり、まさか最初の検定で外務省が「つくる会」潰しを仕掛けるなどとは思いもよらないことだったし、再びそのような事が起きるとは思ってもみなかったのだが、現実は我々の認識は甘かったようである。
平成27年4月24日、朝日新聞にとんでもない記事が載った。直前まで検定調査審議会の歴史小委員長だった上山和雄氏が、『教科書検定「密室」の内側』というインタビュウ記事に登場したのだ。朝日の記事のタイミングは、文科省の検定結果発表の直後であり採択戦突入の直前であった。インタビューでは上山氏は問題発言を連発しているが、「つくる会」にとって見逃せないのは以下の発言である。(記事引用)『検定が厳格になったとは思っていません。むしろストライクゾーンが広がったと感じます。日本のいいところばかりを書こうとする「自由社」と、歴史の具体的な場面から書き起こす新しいスタイルですが、学習指導要領の枠に沿っていない「学び舎」。この2冊とも、いったん不合格になりながら結局、合格したのですから』、『自由社の方は、これまでも同じ論調の別の教科書を合格にしているので、【×】にすると継続性の点で問題がある。では、もう1社の学び舎を【×】にするかですが、基準を一方に緩く、一方に厳しくするのはまずい。結果として(両方を合格にしたことで)間口が広くなったと感じています』
詳しくはURLを参照して欲しい。http://digital.asahi.com/articles/DA3S11721215.html?rm=150
このインタビュー記事から採択権者が受けた印象は、「自由社」は日本のいいところばかりを書こうとする偏向した教科書であり、それ故に一旦不合格になったこと、「学び舎」は学習指導要領には不適格な教科書だったこと、最終的に両者を合格させたのは、「自由社」を合格させるなら「学び舎」も合格させないとバランスがとれないという妥協の結果だったこと等だが、致命的だったのは、「自由社」も「学び舎」と同じく学習指導要領に不適格な教科書だという印象を与えてしまったことだろう。我々から見れば、これは「学び舎」を合格させるために「自由社」を貶めてだしに使ったという証言であり、まことに際どい内容である。上山氏は直前まで検定に関わった人物であり、退職したとはいえ一定期間の守秘義務があるにも関わらず、敢えて採択戦の直前に「自由社」だけを取り上げて貶める報道をした朝日新聞と上山氏の狙いは一体何だったのか。当時、「つくる会」が何もしなかったわけではない。記事が出た翌日には文科省に厳重抗議したが、何ら返答は得られなかったのだ。
私は正直なところこの記事を見て、採択戦の敗戦を覚悟した。自分が採択権者であれば「自由社」と「学び舎」は採択しない。もし「自由社」を採択すれば、反対派からこの朝日新聞の記事を示されれば、全く反論は出来ないであろう。一方、学習指導要領から外れた教科書という認識があるにも拘わらず、文科省の根本権限とも言える検定制度を自ら否定したに等しい違反行為をしても敢えて「学び舎」を合格させた文科省と、朝日新聞の際どい記事が示す一連のながれを考察すると、いわゆる「つくる会効果」を良しとしない反「つくる会」勢力のなり振り構わない「つくる会」への反撃の姿が、私には見えてきたのである。
ところで、上山和雄氏とはどんな人物なのか?
上山 和雄(うえやま かずお、1946年-)は、日本の歴史学者。國學院大學文学部教授。専門は日本近現代史。博士(文学)(東京大学、2005年)とある。
上のインタビューで述べている中から、いくつか上山氏の歴史観がよく判る下りを上げてみよう。東京裁判については『日本人から、自分たちが学んできた歴史への誇りと信頼を失わせました』などの記述が問題になり、私を含む何人かが批判しました。『歴史研究のイロハを踏まえてない』『教科書としてのバランスが崩れている』と」、「戦勝国の行為を裁かなかったことや、平和に対する罪を過去にさかのぼって適用したことの不当性など東京裁判の問題点ばかりを取り上げ、民主化や戦後改革がなぜ必要になったかなどを十分記述していなかった点です。」、「教科書には、守るべき最低ラインがあると思うんです。戦後の日本は、太平洋戦争を引き起こした仕組みの否定、つまり東京裁判を受け入れ、民主化を進めるところから出発したわけです。これは政府見解というより国民の共通認識でしょう。そこを否定するのは戦後の日本を否定するものと言わざるを得ません」、「歴史の見方には、いくつかあると思います。お国自慢をする『花のお江戸史観』、その反対の『自虐史観』。もっとも、自虐史観と非難される人々が日本を愛していないわけではない。愛しているからこそ過去の誤りを率直に認め、二度と起きないようにする考えもあるでしょう。三つ目としては戦前の皇国史観のように国民を動員するのを狙うものもある」、「教育の最大の目的は、子どもたちがきちんと生きていけるようにすること。一面的な考え方しかできない。近くの国と仲良くできない。そんな人間をつくっていいとは誰も思わないでしょう」などと述べている。また別の場所ではhttps://www.youtube.com/watch?v=OBaj2Mzk2ZQ「領土問題で考慮すべきは、単に日本固有の領土というような政府の言いなりではなく、領土問 題には相手がある事なのだから中国や韓国、ロシアの言い分も子供達に教えるべきだ。そうで なければ子供達は納得しない」、「良い教育とは何かといえば、戦前の「日本が一番」「天皇・国家のために死ぬ」という最悪の 教育の反省として戦後の教育があるのであり、それを自虐的とかいうのは当たらない」などという。上山氏がまさに東京裁判史観にどっぷり漬かっている事が判るコメントであり、これでは自由社の教科書を目の敵にするのも無理はないだろう。検定の過程を見れば、文科省の検定調査審議会は上山氏のような東京裁判史観しか見えない浅薄な歴史観をもつ委員が多いのではないかと思う。上山氏のコメントは、東京裁判を否定するコラムを書き、南京事件に触れず、逆に中国の国際法違反が明確な通州事件を書いた「新しい歴史教科書」を念頭に置いた「つくる会」潰しの露骨な謀略的批判であったと思う。
それを確信させたのは、産経新聞平成27年5月7日の【日本の議論】という記事で学び舎を取り上げ、これは一体どこの国の教科書なのか…新参入『学び舎』歴史教科書、検定前“凄まじき中身”という記事だった。(URL参照)
http://www.sankei.com/premium/news/150507/prm1505070008-n1.html
これは検定合格前の「学び舎」に関する記事だが、その内容はまさに今までの自虐史観教科書の存在が薄れるほどの凄まじさである。修正した検定合格後の中身は判らなくとも、今までとは全く異なる教科書であることは十分想像できた。何度も言うが問題は、学習指導要領から外れた「学び舎」の教科書を、なぜ文科省は検定合格にしたのかということである。一字一句にまで注文をつける検定の厳しさは何処に消えたのか。「学び舎」を特別扱いする理由があったのではないか。一方で自由社は今回の検定でもいつもと同様にかなり厳しい対応を受けた。一旦不合格になった理由は内容よりも主に誤字誤植を指摘され、それの修正に時間が掛かったために慣習的に一旦不合格になったにすぎないのである。その証拠に、他社の検定合格日は3月31日付けで自由社は4月6日と1週間違いに過ぎないのだ。上山氏が言うように内容的に記述が偏っていたからなどでは決してない。上山氏の発言には自由社を貶める意図が明確に見えるのだ。
ここから先は私の仮説ではあるが、決して根拠がないわけではない。過去20年の「つくる会」運動の歴史を振り返ることから見えてくる事実をつなぎあわせれば、朧気ながらも「学び舎」の必然的出現とその意図が見えてくるのである。