気が付けば「つくる会」の周りは敵ばかり(1)

ゲストエッセイ
坦々塾塾生・「つくる会」会員・石原隆夫

昨年10月、教科書出版会社の三省堂が、自社の教科書を採択の現場で有利に扱ってもらうよう
採択関係者や教師に賄賂を渡していたとして、突然文科省に呼ばれて注意を受けるということがあった。その後、賄賂を渡していた教科書出版会社が22社も自主的に名乗り出たのだが、一方で3839人の教科書選定・採択関係者が賄賂をもらっていたことが判明し、そのうち88件では謝礼を払った会社の教科書を採択したという。教科書大疑獄事件である。採択率50%超のガリバー企業である東京書籍が一番派手に贈賄をしていたことも判明し、異常な採択率の疑問が氷解した。しかしながら現時点において、収賄側は処罰されているにも拘わらず、贈賄側の教科書会社に対し文科省は厳重注意をしただけで、何らの実効ある処罰をしていないという異常な事態が続いているのだ。更に特筆すべきは、文科省の基準に合っていない「学び舎」という何処の国の教科書かと思えるような教科書がデビューしたことである。いま教科書業界に一体何が起こっているのか、「つくる会」の歴史を振り返る中からわき上がる疑問をぶつけてみたいと思う。

1)「つくる会」の惨敗に終わった5回目の採択戦

昨年、「新しい歴史教科書をつくる会」(以後「「つくる会」)は5回目の歴史・公民の中学校教科書の採択戦を迎えた。公民は修正程度だったが、歴史は全面見直しで画期的な教科書として満を持しての採択戦だった。画期的というのは、南京事件については無かったことが証明されたとして記述せず、代わりに実際にあった日本人居留民が虐殺された通州事件について触れ、東京裁判については、マッカーサーがトルーマンに語った反省の言葉をコラムで記述したからである。
採択戦が終わった8月末、「つくる会」会員は呆然自失で虚脱状態にあった。公立中学校での採択が、歴史・公民ともにゼロだったからだ。今までの採択では決して無かったことである。
頼みの私立中学校の採択も伸びず、「つくる会」の存続が危ぶまれる結果となった。

採択惨敗に対する原因究明の動きが、本部役員と会員双方から起こったが、原因については本部と会員の分析には乖離があった。会員の分析は主に「つくる会」側にあるとしたが、本部の分析は、期待された文科省の首長権限の強化の通達が、国会での共産党委員の巧みな質問に引っかかり、骨抜きにされて空振りに終わったこと、教科書選定委員会や教育委員会などの採択関係者の間に、「つくる会」の教科書の採択に対する長年の拒否反応があったことなどをあげ、「教科書採択の構造問題」(以後「構造問題」)にこそ根本原因があるとした。私は5回の採択を振り返って、「つくる会」の教科書が一度も採算分岐点と言われる5%にも至らず無視されつつづけてきた原因は、やはり「構造問題」にあると確信していた。

2)異様な歴史教科書「学び舎」の唐突な出現

平成28年3月19日の産経新聞一面トップには”慰安婦記述30校超採択”の大見出しが踊り、「学び舎」の中学歴史教科書について大きく報道した。
http://www.sankei.com/life/news/160319/lif1603190015-n1.html
(記事引用)>学び舎とは、平成28年度から中学で使用される教科書「ともに学ぶ人間の歴史」の発行会社。26年度の中学校教科書検定から参入した。当初、申請した教科書がいったん不合格とされた後、大幅に修正して再申請し合格した。「つづきを読んでみたくなる」教科書を目指すとして、全国の現職や元職の教員約30人が執筆し、歴史研究者らの支援を受けている。中学では唯一、慰安婦の記述がある。文部科学省によると、同社の歴史教科書の採択数は全国で約5700冊(占有率0・5%)。業界では「参入組にとって障壁が特に高い教科書業界では異例の部数」(教科書関係者)と受け止められ、「執筆者らの人的ネットワークで採択が広がった」(業界関係者)との見方もある。採択したのは少なくとも国立5校、私立30校以上。国立は筑波大付属駒場中のほか、東京学芸大付属世田谷中▽同国際中等教育学校▽東大付属中等教育学校▽奈良教育大付属中。私立では灘中、麻布中など、エリート養成校といわれる学校が軒並み採択した。

昨年の4月6日に文科省が検定結果を発表し、その時私は初めて学び舎の出現を知ったが、学び舎の出現の仕方は唐突であった。新たな参入が難しい教科書業界だから、参入の動きがあれば事前に何らかの情報がある筈だが、学び舎については文科省が発表するまで判らなかった。異常なデビューと言っても良いのではないか。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/1358684.htm
更に驚いたのは、慰安婦についての記述が復活し、南京事件については、展転社裁判の原告であった夏淑金の証言をもとに虐殺の具体的シーンを記述したことであった。いままで全ての教科書に「慰安婦」の記述が無いのは、これを問題視して「つくる会」が発足し、初版の教科書で一切記述しなかったからであり、この影響が他社の教科書にも及び、中学校の教科書からは慰安婦の記述は一掃されたのである。「学び舎」の出現は、「つくる会」の教科書の先進的な記述が他社に与えるいわゆる「つくる会効果」を一挙に無に帰し、中学校の歴史教育を20年前の自虐史観の時代に戻してしまったのである。

3)つきまとう反「つくる会」の外務省の影

{つくる会」は平成9年1月、初代会長西尾幹二氏と副会長藤岡信勝氏のもとで創立宣言を発し、同時に文科大臣に教科書から「従軍慰安婦」の記述撤去を申し入れた。発足に当たっては日本の保守といわれる殆どの学者・識者が糾合し、会員数は1万人を超え、全国の支部は48支部を数え世間の注目を集めた。当時の保守運動体としては、「日本会議」以外では拉致問題の「救う会」があり、そこに教科書問題の「つくる会」が国民的熱気を伴って出現したのであり、これは左翼にとって脅威であった。また「朝まで生テレビ」に出演し慰安婦問題と教科書について提起し論争になった。第1回目の「つくる会」シンポジウムは『自虐史観を越えて』と題して開催され保守系の市民の喝采を受けた。また歴史と教科書問題について啓蒙する数々の本が出版され、「国民の歴史」はベストセラーとなった。私もこの本を読み、日本史を世界史の中に位置づけた雄渾な歴史絵巻に心が躍る思いであり、改めて日本史の面白さに気付いたのである。
「つくる会」初めての中学校用教科書「新しい歴史教科書」と「新しい公民教科書」が検定に出されたのは平成12年4月だったが、10月に事件が起こった。外務省から元インド大使が検定審議官として参加していたのだが、この検定審議官が「つくる会」の教科書を不合格にするよう他の審議官に働き掛けていたことがバレて罷免されたのである。外務省が「つくる会」の教科書を厄介者扱いにしていることが判り、その裏に蠢く得体の知れない存在に暗澹たる思いだったが、外務省の「つくる会」潰しの意図が何処にあったのか、不明なままこの事件は有耶無耶となった。

4)極左の採択妨害と中韓の内政干渉

翌年(平成13年)4月に「つくる会」の教科書は検定合格となったが、それを待ち受けていたかのように、中韓両政府が「新しい歴史教科書」に激しく反対し、日本政府に再修正を要求してきたのだ。5月には韓国政府が全ての歴史教科書に対し政府に内容の修正を強く迫ってきた。
不遜かつ無礼であからさまな内政干渉であった。ところが6月に歴史と公民の教科書を市販本として出版したところ、合わせて76万部の大ベストセラーとなったのである。中韓の内政干渉に呆れた多くの国民が「つくる会」への支援と好奇心から買ってくれたのである。

採択戦はまるで戦争だった。共産党や社民党の支援を受けた反「つくる会」の市民団体や中核派などの極左の団体は、「つくる会」の教科書を『子供達を戦争に狩り出す教科書』だとして、愛媛県や栃木県など、「つくる会」の教科書が採択有望だと下馬票のあるところに押しかけ、採択関係者に「つくる会」教科書を採択しないよう圧力を掛けた。時には脅迫電話で採択関係者を縮み上がらせるなど不逞を働く始末だった。「つくる会」会員は正統な採択運動を進めながらも、反対運動に対抗するべく各地に出向いて彼らと対峙した。異常だったのは、韓国から地方議員などが採択地に押しかけ首長に面会を強要し、姉妹都市の解消をちらつかせて「つくる会」教科書の採択に反対したことである。教育の根幹である教科書採択に外国人が介入するという前代未聞の内政に関わる重大事件にも拘わらず、外務省は韓国に抗議もせず、彼らの入国を制限することもなく、彼らのやりたい放題を放置したのである。中核派に対する公安の動きも鈍かった。7月には一旦「つくる会」の教科書の採択を決めた栃木県下都賀地区の教育委員会は、反対派の脅迫に耐えかねて採択を白紙に戻すという事件が起こった。翌8月には遂に極左の革労協が「つくる会」の事務所に放火する事件が発生した。採択期間中にこのような暴力沙汰が易々と行われたのである。事件の報道は毎日、新聞の一面を飾った。新聞を読んだ採択関係者にとっては、「つくる会」の教科書を採択したくとも、極左の脅迫で家族が危険に晒されたり、韓国に姉妹都市を人質にされたのでは、断念せざるを得なかったのだ。中韓が教科書に介入してきたのは、反「つくる会」からの介入要請と、歴史戦で日本を貶めようとする中韓の思惑が一致したからである。
「つくる会」の初陣は、歴史の採択率0.039%、公民は0.055%で惨敗に終わったのだ。

平成14年12月、公安調査庁は平成13年版『内外情勢の回顧と展望』において、「つくる会」教科書の採択反対運動への過激派の関与を指摘し、「内外の労組、市民団体や在日韓国人団体などと共闘し、全国各地で教育委員会や地方議会に対して、不採択とするよう要求する陳情、要請活動を展開した」と記した。「つくる会」の教科書運動によって日本が目覚めることを怖れる内外の勢力が一斉に「つくる会」に襲いかかったといっても良い状況であり、これが多くの教育関係者に「つくる会」の教科書を採択することに対する、恐怖感を伴う深いトラウマを残す事になったのである。この事件での大きな疑問は、国家の教育の根幹である教科書の採択に、なぜ中国と韓国がタブーとされる内政干渉を仕掛けてきたのか、政府はなぜ内政干渉だと抗議をせず黙認したのか。韓国の議員や民間人が地方自治体に押しかけ、「つくる会」の教科書採択を邪魔する行動に対し、外務省が何らの行動も起こさず傍観していたのはなぜか、その後の採択でも国民の非難を無視し、韓国人の反「つくる会」行動を黙認してきたのはなぜか。検定時に「つくる会」潰しを図って失敗した外務省が、採択妨害のために中韓を呼び込んだのではないか。特に反日の為なら何でもありの韓国政府は、日頃から外務省に日韓関係の歴史観について圧力を掛けていたことは知られているし、教科書にも「慰安婦強制連行」を記述することを長年にわたって要求してきた。外務省は韓国の要求に応える代わりに、韓国議員と市民による「つくる会」潰しの内政干渉を許したのではないか。

5)トラウマを越えて

「つくる会」会員にとっては気が滅入ることばかりでは無かった。平成14年8月には、愛媛県立中高一貫校3校で『新しい歴史教科書』を採択した。また平成16年8月には都立中高一貫校で翌年4月から使う『新しい歴史教科書』を採択したのである。

平成17年、「つくる会」にとって第2回目の採択を迎えた。杉並区の山田宏区長が主導して『新しい歴史教科書』を採択するという情報が流れると、杉並区役所は戦場となった。中核派を中心に、在日韓国朝鮮人のグループや左翼の市民グループなどが庁舎内を占拠し、庁舎を取り巻いた。
「つくる会」会員も急遽招集を掛けて杉並区役所に押しかけ、反対派と一触即発の暴力沙汰になりそうな緊迫した睨み合いを続けていたが、一刻も早く採択が実現するよう祈る思いであった。
反対派が「つくる会」の教科書を「子供達を戦争に駆り立てる教科書」だとして喧伝した結果、普段はノンポリの筈である若い母親達が大挙して押しかけてきたのだ。彼女たちの金切り声をあげての必死の抵抗には、愚かなと思いつつも為す術もなく、たじろぐしか無かった。反対派の怒号の中で、杉並区は『新しい歴史教科書』を採択したのである。我々の萬歳の声が庁舎を揺るがせた。反対派はというと、敗れた途端に大人しくなり、日当の入った封筒を握りしめて占拠していた庁舎から退出していった。大方の人達は金で動員されたことが判ったのである。
杉並区の勝利は、改めて首長の力を見せつけた一戦であり、首長との関係が今後の採択戦の主要戦略となった。反対派が「つくる会」に仕掛ける巧みなレッテル貼りには感心するのだが、保守側は左翼の教科書を一瞬にして葬り去るようなレッテルを見いだせず、常に宣伝戦では左翼に完敗している状態だといえる。採択戦は一般の国民に対する宣伝戦でもあったのだが、「つくる会」はこの点で有効な手立てをまだ持っていない。

この年の12月、警察庁は平成17年の『治安の回顧と展望』において、中核派について「『「つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会』と共闘して、市民運動を装いながら、杉並区役所の包囲行動、教育委員会への抗議・申し入れ、傍聴等に取り組んだ」記述した。公安調査庁は「教育労働者決戦の一環として、教職員組合や市民団体に対し、同派系大衆団体を前面に立てて共同行動を呼びかけた」として、「つくる会」への反対運動における中核派の関与を指摘した。
オール左翼対「つくる会」の構図がはっきりとした戦いだった。この時も韓国からは大挙して日本に押しかけ、採択戦を妨害して回ったのである。杉並決戦では忘れられない想い出がある。
「つくる会」が勝利し萬歳を叫んで歓喜に浸っていたとき、韓国のTVクルーが私にインタビュウーを申し込んできたのだ。今のお気持ちはと聞くので、韓国の人達には残念なニュースだと思うが、あなたたちの内政干渉のおかげで我々はますます燃えて採択を勝ち取ったんだ。韓国人が反対すればするほど「つくる会」の教科書採択は増えるし、韓国批判も増えるぞ、と言ってやったが、カメラマンが途中でスイッチを切り不快そうにしているのを私は見ていた。

つづく

「気が付けば「つくる会」の周りは敵ばかり(1)」への1件のフィードバック

  1. 大變な歩みですね。挫折を重ねながら、なほも志を捨てず、ですね。衷心より敬意を表します。

    「周りは敵ばかり」は當然として、内部はどうなのでせうか。

    昨年の安倍總理大臣の70年談話に對して、つくる會として抗議・批判聲明を出すべきだとい
    ふ意見があつたと聞きます。これに對して「いや、安倍さんには色々と世話になつてゐる(ある
    いは、世話になつた)のだから、批判すべきではない」といふ意見もあり、結局後者の制すると
    ころになつたとか。そして、これを不滿とする役員が退任したとか。

    我が國を譏り、我等の先人を貶しめて得々としてゐる安倍さんに對して、一言も注意できない
    人たちに、教科書の運動などできるのかーーなどと野暮なことを申すつもりはありません。

    ただ興味深いのは、今も會にとどまる人たちの態度の變化です。以前は安倍さんに批判的で、
    かなり惡口を言つてゐた人たちも次第に曖昧になり、中には積極的に擁護する人まで現はれ
    ました。先日は「安倍さんは大石内藏之助だ」と言ふ會員に會ひました。つまり、討入の意志
    を見拔かれないために、腰拔けのふりをしてゐるのだといふことです。

    その説の當否は分りません。私が感じたのは、自分の考へと違ふ會の方針に從つてゐるとい
    ふ思ひはさぞ苦しいだらうな、その逆に、自分の方針が即 會の方針なのだと思へれば、氣分
    が樂だらう、といふことです。樂になるための大石説ではないか、ふと、そんな氣さへしました。

    そして思ひ出したのは、嘗て西尾先生が名譽會長の稱號を返上される際におつしやつたこと
    ですーー「政治家が我々に近づいて來べきなのに、我々の方から政治家に近づいてしまつた。
    採擇を有利にしたい一心だつたが、これが間違ひのもとだつた」。痛切な反省ですね。

    (根本を忘れて)擦り寄つたり、言ふべきことを言はないのは、マイナスになることが多いので
    はないでせうか。妥協や配慮は如何なる場合も必要ですが、それが過度になることは禁物で
    す。

    壓倒的な敵に對して果敢に戰つてをられる方々には感謝に堪へませんが、會の中の風通し
    が惡く、空氣が澱んでゐるのではないか、そのために、敵との戰ひ以外に神經を使ふことが
    多く、餘計に苦しい思ひをしてをられるのではないか、そんなふうにも見えます。部外者の見
    當外れなら、お詫びします。

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