月別: 2007年4月
管理人による出版記念会報告(十三)
たいへん、お待たせ致しました。ここで乾杯です。乾杯の御発声は『江戸のダイナミズム』を出版していただきました、文藝春秋の代表取締役社長、上野徹(うえの・とおる)さんより頂きます。皆さま、お手元のグラスにお酒、ビール、ウーロン茶などをご用意下さい。
それでは上野社長、一言ご挨拶よろしく御願いします。入り口付近が込み合っておりますので、どうぞ皆様前の方へおつめくださいませ。乾杯のご用意をお願いもうしあげます。
それでは上野社長、ひとこと乾杯のご挨拶をお願いいたします。
上野 徹 文芸春秋社長 乾杯の音頭
ご紹介いただきました文藝春秋の上野でございます。この会の発起人の一人として、また版元からの御礼ということも合わせまして、発声のご挨拶をさせていただきたいと思います。
西尾先生、『江戸のダイナミズム』どうもおめでとうございました。さきほどもご紹介がありましたように、これはわが社の『諸君!』という雑誌に足掛け四年、さらに先生の場合は推敲と注の製作に二年という、本当にご苦労でなった本であります。
一人の思想家というのでしょうか、身を削るような長い思索と、研究の旅の結果が素晴らしいタイトルの本に結実したのではないかと思います。改めて先生には敬意を表したいと思います。先生もご本の中にお書きになっておられますけれど、日本の近代化というのはもう西洋史とは関係ないんだと。
日本の歴史の中そのものから醸成されたものがあって、これが西洋に比べて早く、かつ先進的であるのは、日本の歴史に立ち返って、それをバネとした力がこれを生んだからだとおっしゃっています。
このサブタイトル「古代史と近代史の架け橋」というのがこれだと思います。このテーマというか基調というか、それは本当に先生がおっしゃっていますが、テーマが何度も何度も繰り返されていて、時にはそのテーマが変奏曲のようにですね、何度も何度も繰り返されているのを読んでいると、だんだん自分の中にある一つのクッキリしたイメージが浮き立ってくるという、そういう仕掛けの本じゃないかと私は思っているんです。
私は個人的には読んでいると、なんていうんでしょうか、交響曲っていうんでしょうか、交響曲というか、雄大なシンフォニーの中に身を置いているような感じがいたしました。先生がおっしゃっていますけれど、日本人っていうのは、なにかこう、何者にも左右されないある背景の中に生きている、あるいは先生の言い方を借りると、不思議な鷹揚たる宇宙世界、その中に生きているんだと。それを一生懸命、それは何なんだろうというのを、生涯を通じて追求したのが本居宣長だとおっしゃっています。
ただ、しかしこの言葉というのは、やはり西尾先生にそのままさし上げていい言葉じゃないかと私は思っております。今なかなか思想的に混迷した時代に、西尾先生のこの本というのは、非常に貴重な、大事な本が出たのではないかと思っております。
あまり乾杯なのでおしゃべりをしてもいけませんので、それではですね、西尾先生にこういう素晴らしい本を書いてくださったことへの感謝と、さらにこれからのご健康とご活躍を皆さんと共に杯を挙げて、乾杯したいと思います。よろしいでしょうか。では乾杯!
乾杯の音頭までに上野さんを合わせて、7名のスピーチである。遠藤氏による朗読も15分。並みの講演会の半分は十分にある。しかも、並みの講演会ではこれだけのメンバーの集合はお眼にかかれない。
ただありきたりの、出版記念パーティーに来たつもりの人には、ご馳走を前にして立たされた状態でのこの時間はちょっと長いと感じたかもしれない。でもこうやってスピーチを活字にしてみると、それぞれの方が、おざなりな挨拶ではなく、西尾先生のご本を読んだのちに、しっかり自分のご意見を入れられた貴重な内容のお話しだったことがわかる。
できるならば、全員が着席してこれらを聞くことができたら、どんなによかっただろうと思った。(文・長谷川)
(乾杯ののち)
それでは皆さん、しばしご歓談ください。
管理人による出版記念会報告(十二)
つづきまして「花束の贈呈」です。どうぞ奥様も壇上へお上がり下さい。この大作のご苦労に対して、またそれを支えた奥様にたいしての贈呈でございます。
西尾先生には、呉善花(オ・ソンファ)さんから。奥様には石平(せきへい)さんから。
そのあと、せっかく韓国と中国から駆けつけて頂きましたので呉善花さん、石平さんから一言ずつ祝辞も頂きたいと思います。呉さんも石さんも西尾さんが主宰する勉強会「路の会」のメンバーでございます。
やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか
井沢 元彦、呉 善花 他 (2006/09)
祥伝社
(花束贈呈おわる)。それでは呉善花(オ・ソンファ)さん、一言お願いもうしあげます。
西尾先生、ほんとうにおめでとうございます。私にとって西尾先生には、ほんとうに大変お世話になっております。
というのは、私は韓国では、親日派イコール売国奴とされております。しかしそうでありながら、日本で多くの方に助けていただきながら、なんとか著作活動をさせていただいております。そんな中で西尾先生には先頭に立って守っていただいております。そういう意味で、私にとってはかけがえのない大切な方です。このたびの新しいご本、本当におめでとうございます。有難うございました。
有難うございました。呉さんは『スカートの風』『女帝論』などで知られる評論家、拓殖大学の教授でもあります。
つぎにデビュー以来、活躍目覚ましい在日中国人評論家の石平さんからひとこといただきます。
私は「毛主席の小戦士」だった―ある中国人哲学者の告白 石 平 (2006/10) 飛鳥新社 |
ご紹介にあずかりました、呉善花さんと同じく中国人の親日家、売国奴の石平と申します。今ひとこと申し上げますと、実は私自身も江戸時代にすごく魅力を感じていまして、両国博物館も見物いたしました。江戸の儒学ひとつとってみても、深さといい、純粋さといい、またあるいは誠実さといい、おそらく同じ時代の中国の儒学をはるかに超えたものだと思います。そういう意味では、中国の儒学孔子の考え、論語の思想は日本で生かされた、日本で生きているという事実には、私にとっては驚きでありながら、また好奇心もあります。
これから先生のご本を指南書として読みながら、もういっぺん日本の江戸時代の文化、哲学を勉強させていただきたいと思います。先生、どうぞご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。石さんの近作『私は毛主席の小戦士だった』が各界から高い評価をうけております。
それでは御降段ください。
管理人による出版記念会報告(十一)
そうしましたら、御本人の謝辞でございます。
ここでは短めの挨拶を頂きます。中盤以降、もう一度、西尾先生には御登壇いただき、スクリーンに様々な関連画像とともに解説をいただく予定です。では西尾先生、お願い申し上げます。
西尾幹二氏の謝辞
突然の春の嵐で、歩くのもたいへんな折に、皆様ご参集いただきまして、心から御礼申し上げます。
私は物書きのプロと思っておりまして、学者ではなくて、いわゆるライターとして生きてきたつもりでしたので、本を出したくらいで、出版記念会というものはやらないよと、ずっと言っておりました。ところがこの本に関連して、ある人が、先生、今度はお受けになってください。先生は明日にもお亡くなりになる可能性が常にあるのです、と、言った方が、しかも女性なので、愕然としたというよりも、卒然と悟ったということであります。
もっとも、私の家内は私が深夜風呂に入っているときでも、帰りが遅いときでも、常にどうかなっているんじゃないかと思っているようでございまして、葬式のことがたびたび話題になるのであります。いざというときに自分ではどうしたらよいのか、と。でも私は今、いたって健康で、残念ながらそういうときはすぐ来そうにもありません。
それはともかくとしまして、私は28歳のときに、ドイツ文学の学会の小さな賞をいただいたことがあるんです。丁度28歳でした。これは修士論文をまとめたもので、それから大体二本が対象になりました。論文の名前が「ニーチェと学問」と、もう一つが「ニーチェの言語観」という二つでした。これでおわかりと思うのです。「学問」というのと「言語観」というのは『江戸のダイナミズム』の二大中心テーマです。私の28歳のこの仕事が真っ直ぐ今回の本に繋がっているということが、今にして言えると思うのです。
まさしくこれは江戸の学問の話です。長谷川三千子さんとこの間Voiceで対談いたしました。そしたら長谷川さんが道元を持ち出されたのですね。そこでそれはちょっと違うんじゃないか、これは学問の話なんですよと、申し上げたのです。宗教にまで近づいた学問のテーマなので、いきなり宗教ではない。
学問論ですね。それから言語に対する興味というのが中心であります。ですから私の28歳のときの自己探求からこの本がまっすぐ繋がっているということ。そしてその賞をいただいたときに推薦してくださった先生、審査委員長の先生、そのときの学会の代表の先生の名前を言いますと、皆さんああ、聞いたことがあると思われるでしょう。つまり、推薦して下さったのが秋山英夫先生、論文の審査委員長が高橋健二先生、それからそのときのドイツ文学振興会の会長が手塚富雄先生。これらの先生はもうおられないのであります。
人生しみじみと無常を感じますのは、ああ西尾君よくやったねと、あのときの二論文からとうとうここまで来たんだねと、言ってくれる人はいないのであります。本日も多数のご参集をいただきながら、実はドイツ文学の関連者は数えるほどしか来ておられないのです。私が如何に、彼らと違う人生を歩んだか、そして如何に決定的に専門家嫌いであったかとあらためて思います。今度の本も徹底的に専門家を排撃しておりますけれども、私は専門家というものを認めない。専門家は全人的に生きていないからです。私は彼らから、如何にして離れようかと思った。あるいは裏返せば専門家にはなれないと言ってもいいのかもしれない、なろうと思ってもなれない。
しかし、今回の本を書くにつけて、昭和のある時期の国語学の先生ですごい人がいるなということを知りました。橋本進吉以下ね。これは専門家じゃなきゃできない仕事です。さきほどお話くださった吉田敦彦先生も専門家なんです。ものすごい専門家なんですね。専門家じゃなくてはできない仕事というのがたしかにあるんですよ。それはまた偉大なんですね。しかし残念ながら、私は出来なかったのです。それには理由がある。文学研究なんていうものは誰がどうやっても学問にならないからです。だから私は物書きになった。私は物書きにすぎなかった。でも、物書きなりに専門家に反逆したかったというのが、今度の本でございます。
どうも皆様、このような春の宵の大事なひとときを犠牲にしてお集りくださって、私のためにお祝いをしてくださることは、身に余る光栄でございます。あつく御礼申し上げます。有難うございました。
有難うございました。西尾先生、しばし壇上にお残りくださいませ。
管理人による出版記念会報告(十)
さて珍しい方がお見えになりました。福井から駆けつけて頂きました、チェコ日本友好協会副会長でいらっしゃいまして、福井県立大学のカレル・フィアラ教授でいらっしゃいます。
日本語の情報構造と統語構造
カレル フィアラ (2000/07)
ひつじ書房
中・東欧のことばをはじめましょう チェコ語CD入り
石川 達夫、カレル フィアラ 他 (2001/05)
朝日出版社カレルさんは、チェコの方でいらっしゃいまして、西尾さんは15年前にプラハでお知り合いになりました。チェコからこられて日本の学生におしえる日本語と、日本文学の研究をつづけておられます。
カレル・フィアラ氏のご挨拶
西尾先生の御本を大変興味深く拝読致しました。西尾先生は江戸時代の文化を当時のヨーロッパ・中国等の文化と比較なさいましたが、この比較の結果から、当時代の日本人の精神的創造力が西洋人の創造力に劣らなかったことが推察されます。
日本文化の特性は、戦国時代のヨーロッパ人の目にもよく見えました。第二次大戦期ごろ、イエズス会史の研究者であった神父Franz Josef Schütteが注目したように、戦国時代の日本で活躍した神父Luis Frois(1532-1567)とザヴィエルの後任Alessandro Valigniano(1539‐1606)は日本文化の高度を認め、それを基に、日本の事情に合った独自のキリスト教布教法として、いわゆる「適応説」を提起しました。
天正年間の1582年から1585年にかけて遣欧された少年使節がポルトガルの王様とローマ教皇に日本事情を詳述する報告書を提出しましたが、この報告書も日本文化の特性を説明しています。
1620年以降、日本で多くのカトリックの信者が殉死しましたが、そのとき、幕府はプロテスタントの主張に誘導されたようです。たとえばカトリック宣教師の一人、カローロ・スピノーラの日記から分かるように、彼は同じヨーロッパ人であるプロテスタントの信者に密告され、日本の植民地化を狙っているという容疑を掛けられました。これで幕府までもヨーロッパ宗教圏の縄張り争いの罠に嵌りかけたようですが、このことは、江戸時代に入ってからも、当時のキリスト教のヨーロッパがいかに分裂していて、いかに混乱していたかを示しています。
また、ヨーロッパが産業革命の道を歩みだした後で、ヘーゲル哲学における「自」・「他」の融合で垣間見られるような全体主義の傾向が認められます。
階級・階層を無妥協に対立させ、人権に対する暴力を励ましたマルクス・レーニン主義とスターリン主義、人種や民族の問題を排他的に解釈し、ホロコーストに導いたナチズムやファシズム、さらに文明衝突を予測し、文明間の対話を予め難しくした過激的な文明衝突論―これらが皆、西洋文明の中心主義における不条理や不釣合いによって支えられた危険な偏りから始まったかも知れません。
日本では古来、西尾先生がお示しになったように、それぞれ異なる思潮が「寛容の衣に包まれて」共存していました。たとえば、中国で破壊された資料は日本で大事に保存され、五山仏教と禅の思想など本来の姿に近い形で生き続けています。
たびたび急進的民俗主義者として批判される宣長の考え方も例外ではありません。決して攻撃的な排他的思想ではありませんでした。世界の規模で見ても、日本語の活用体系と係り結びの仕組みを学問的に記述した宣長は先端の文法学者でありましたが、彼は先端のテクストの研究者でもあり、また先端の哲学者・宗教学者・民俗学者でもありました。民俗学者としての彼はまさに、西尾先生のお言葉を拝借すれば、「シナの学問の支配する言語空間」を冷静に見直し、「儒学万能」の偏見への想像力を働かせながら、・・・「外国のものを排撃したのではなく」、「外来のものを無防備に崇拝する」日本人の悪い癖を問題にしただけです。
また、西尾先生のご指摘のとおり、宣長の「日本魂」の捉え方自体が軍国主義的国家ナショナリズムの表れではなく、東アジアを広く包む中華思想に対し、この国、またこの国に住む族の繊細な文化アイデンティティを擁護する試みにすぎなかったようです。宣長の考え方のどこかが、同時代の人間であったヘルダーの個々の民族文化の擁護論にも何となく似ているのではありませんか。
以上は一例だけですが、この例からも西尾先生の御本の面白さ、また江戸時代の日本人の創造力の深さがが窺えます。
あの「平家物語」をチェコ語に訳されたばかりか、「源氏物語」の翻訳にも取り組まれ、まもなく完成と伺っております。『江戸のダイナミズム』もあっという間に読まれたそうです。それではカレル教授、ありがとうございました。
管理人による出版記念会報告(九)
吉田敦彦氏のご挨拶(三)西洋で文献学が犯す破目になった、このような近代の理性の物差しを当て嵌めて見ることで、古代の真実を卑小化したり、雲散霧消させてしまう誤りに陥ることを、『古事記伝』で宣長は、彼が「いささかもさかしらを加えずて、古より云傳えるままに記されたれば、その意も事も言も相稱て、皆上代の實なり」と言う、『古事記』に記された「上代の實」に、後の代の意、さかしらによる批判を加えることを断固として拒否することで、すでに先んじて18世紀に回避していた。
その『古事記伝』のことを西尾氏は、「宣長の『古事記伝』は形而上学的衝動と言語科学的分析が両翼となって、当時の日本においてもなにか説明のできない、人知を超えた巨魁のようなものを露呈されました」(254~255頁)と言われる。『古事記』が露呈させたと西尾氏が言われるこの「なにか説明のできない、人知を超えた巨魁のようなもの」は明らかに、ニーチェが「ディオニュソス的なもの(das Dionysische)と名づけたものに対応する。
つまり宣長は、西尾氏が『古事記伝』の両翼と言われる一方の翼の言語学的分析で、ヴィラモヴィッツ・メレンドルフに比肩すると同時に、他方の翼の神話的始原を志向して止まぬ形而上学的衝動では、それに批判の痛撃を加えることになるニーチェの卓見もすでに先取りしていた。西尾氏の大著を繙く者は、そのことをまざまざと感知させられ、それによって宣長の卓抜した偉大さに、あらためて心の底からの強い感銘を覚えさせられる。
宣長の『古事記伝』の価値をわれわれ日本人にとって、どういう価値を持つか、それがわれわれに一番大切なことであるわけですが、世界の思想史の中でも非常にユニークなものであるということを極めて見事に、博覧強記をもって明らかにしてくださった。
そういうことで、この本はいわば現代の学問の一つの頂点を極められた大作ではないかと私は感動をもって受け止めさせていただきました。西尾先生にそのことを、心より感謝申し上げたいと思います。
吉田先生、ありがとうございました。
上記の吉田先生のお話は、この日の為の原稿と、実際にお話になったテープを元に再現している。原稿の方がかっちりとしているが、当日の話し言葉のほうが、私にはやはりよりわかりやすいような気がした。
内容を読まれてお分かりのように、出版記念会での来賓のご挨拶なのに、まるで吉田先生のミニ講演会のようであった。
吉田先生といえば、神話については本当に大変権威ある先生でいらっしゃる。出版記念会に出席し、直にご挨拶いただいたことは、西尾先生にとっても、大変名誉なことではないだろうか。(文・長谷川)
管理人による出版記念会報告(八)
吉田敦彦氏のご挨拶(二)
19世紀の後半から20世紀の前半にかけてドイツで一つの頂点を極めた、ヴィラモヴィッツ=メレンドルフを代表者とする西洋古典文献学は、古典古代の事象を文化人類学に照らし解釈しようとした。フレーザーらいわゆる英国ケンブリッヂ学派の能率家揃いの学者たちの膨大な著作などには、傲然として一顧も与えずに、原典の厳密な本文校訂を達成した。
だが、一見すると「古代ギリシァのことは、あくまで古代ギリシァ語で」という、禁欲的な立場を見事に貫徹したように見えるヴィラモヴィッツ流のこの文献学は、西尾氏が「現代市民風の健全かつ凡庸な理性」(100頁)と喝破される、宣長の言う「後の世の意」を持って、古代ギリシアのことに終始対していた。それでその理性の常識ではそもそも、捕らえられようはずの無かった、明るい文明の表層の奥にある神秘と非合理の深層の把握がまったく欠落しているという、西尾氏が「想像を絶する一撃」と呼ばれる批判の痛打を、ニーチェから浴びせられることになった。
他方で聖書解釈学の方は今や、西尾氏が「われわれはイエスが実際に語ったこと、本当に行なったことに、解釈学の研鑽を重ねることによって、いったいほんの少しでも正確に近づくことになるのでしょうか。それとも相対化された不可知論の空虚の中に、すべてが放り出されたままに終るのでしょうか」(104頁)と述べられて表明された、懸念のまさにその通りの袋小路に入り込む結果に立ち至っていると思われる。
そのへんのことはたとえば、斯学のわが国における第一人者で世界的にも権威であられる、A氏の主著の一つを評して、門外漢だがきわめて慧眼のN氏がいみじくも、「猿がらっきょうの皮をせっせと剥いて行ったら、実が出てこなかったという本」と断じられた、至言に照らしても明らかであろう。
つづくつづく
管理人による出版記念会報告(七)
長谷川真美
つづきまして学習院大学名誉教授の吉田敦彦(よしだ・あつひこ)先生です。
ブーバー対話論とホリスティック教育―他者・呼びかけ・応答
吉田 敦彦 (2007/03)
勁草書房
面白いほどよくわかるギリシャ神話―天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて
吉田 敦彦 (2005/08)
日本文芸社
世界神話事典
大林 太良、 他 (2005/03)
角川書店
日本神話
吉田 敦彦 (2006/05)
PHP研究所吉田先生は神話に関する研究書や一般書をたくさん書かれた、人も知る神話学の世界的な権威、日本を代表する神話学者でいらっしゃいます。お願いもうしあげます。
吉田敦彦氏のご挨拶(一)
西尾先生、本日は本当におめでとうございます。私のような者が、お話させていただくのは、本当に僭越ですけれども、先生からのご指名ですので、しばらくお耳を汚させていただきます。
本文だけで550ページに垂らんとする大著述の『江戸のダイナミズム―古代と近代の架け橋』で、西尾幹二氏は、本居宣長の『古事記伝』をその精華とする「文献学」における、わが江戸期の文化の世界にも比類の無い価値と先進性を、端倪すべからざる博識を駆使され、満腔の情熱を傾注されて、もののみごとに解明してのけられた。
西尾氏によれば「歴史意識」と呼べるものが成立した地域は、地球上でただ地中海域と中国、日本のみだが、「文献学」は奇しくも17世紀から19世紀にかけての時期に、これらの三地域に並行して勃興した。ただ中国で、古代語の精密な解明を目指す清朝考証学が開花したのは、乾隆、嘉慶の両皇帝の時代(1725~1820年)であり、この中国の文献学には、聖典として尊尚された経書の絶対性をそもそもの前提としていたので、その聖典であるテキストへの本来的懐疑は存在のしようがなかった。
聖典であるテキストをも相対化する文献学は、西洋と日本でだけ成立したが、西洋で近代文献学の真の端緒を開いたヴォルフの『ホメロス序説』は、1795年に刊行された。ところがわが国では、清朝考証学の全盛期より半世紀も前にすでに、荻生徂徠の儒学によって、脱孔子の道を拓こうとする野心的な模索がされており、そのあと1745年には、当時30歳だった富永仲基によって、仏教の経典を批判的に考究した主著『出定後語』が刊行されていた。
このような「聖典」に対する批判的な態度を西尾氏は、「一つの自立した知性が聖典の背後にまわり、宗教の開祖を相対化する破壊の刃を突きつけるという危険な意識」と呼ばれ、「不思議なことにそのような意識にいちばん早く目覚めたのは、・・・・江戸時代の日本であったことに気がつきます」と、言われている。
ところがこれらの徂徠の儒学と仲基の仏教経典研究のあとに出て、国学の基礎を確立した偉業となった『古事記伝』44巻の中で本居宣長は、言語科学的分析を、それらよりいっそう厳密なものにする一方で、それによって明らかにされる『古事記』に書かれていることに対しては、後代の知恵による懐疑や批判を加えるのを、いっさい許容せぬ立場を徹底して貫いた。『古事記』のテキストに対するこの宣長の態度は、エッカーマンとの対話の中でゲーテが「ヴォルフはホメロスを破壊してしまった」と論評したという、ホメロスの原文に対するヴォルフの取り扱い方とは、まさに正反対のもので、一見すると徂徠や仲基の文献学に世界に先駆けて見られた、先進的な批判精神をいっきょに後退させてしまったようにも見える。
だが西尾氏はこの宣長の『古事記』の原文の扱い方が、西洋古典文献学とその方法に倣って聖書、とりわけ福音書の原文を分析しようとした聖書解釈学とが、やがて共に陥ることになる陥穽を先んじて回避していたという点で、じつは別の意味できわめて先進的で、あった所以を、鋭く指摘されている。
つづく
管理人による出版記念会報告(六)
佐藤雅美氏
それではここで何人かのゲストの皆様からご挨拶を頂きます。トップバッターは発起人を代表しまして、直木賞作家の佐藤雅美(さとう・まさよし)さんでございます。
覚悟の人―小栗上野介忠順伝
佐藤 雅美 (2007/03)
岩波書店佐藤さんは『大君の通貨』で鮮烈のデビューをされまして、江戸時代の造詣が深く、また十日ほど前には『小栗上野介伝(おぐりこうずけのすけ)』を岩波から出版されました。五月からテレビ朝日のゴールデンアワー、午後7時より、佐藤さんの小説がテレビドラマ化されます。まさに売れっ子作家でございます。
それでは佐藤先生、お願い申し上げます。
佐藤雅美氏のご挨拶
今ご紹介いただいた佐藤と申します。私ごときが、また畑違いのものが、こんなところでご挨拶させていただくというのは、まことに恐れ多いのですが、ご指名いただきましたので、一、二分時間をとってご挨拶させていただきたいと思います。
この江戸のダイナミズムが『諸君!』に連載されていたときに、ふと、本当にふと目が留まりまして、一度、二度、多分三度は読んだと思います。それで、早く本にならないかなとずっと楽しみにしておりました。その間に、先生のことは私は一ファンで存知あげなかったのですが、ご紹介いただいて、先生と親しくさせていただくようになりました。それで、いつごろ本になるんですか、とずっと尻をたたいていたというか、そう催促しておりました。
昨年の暮れ、来年の何月ごろかに出ると決まって、いくらか私も文藝春秋の方と親しくしていただいておりますから、自分で書評をやらしてくれ、というふうに売り込みました。売り込んで、なかなか返事がいただけなくて、ちょっと心配だったのですが、二ヶ月くらいたって、やっとお願いしますという電話がかかってきたときには、嬉しかったです。
もちろんそっくり一から読み直しまして、直ぐ書き上げて、原稿を送って、それがおかげさまでここに収録されております。内容については私は門外漢ですので、あれこれ言える立場にもおりませんが、特に私が感服したというのは、ちょっとこのくだりですが、書評に書いた部分を読んでみます。
といって内容は類書にありがちな、二、三行も読むと瞼が塞がる無味乾燥なものではなく、そこには巧まずしてストーリーがあり、倦ませることなく飽きさせることなく展開していて、こういっては畏れ多いのだが文章もこなれていて読みやすく、またはっとするほど、小説家も顔負けするほど、表
現や比喩に天性の上手さ巧みさがある。
これが私が内容もさることながら、非常に感服して言いたかった点であります。先生はご存知のように当時は超難関高校の小石川高校から、もちろん超難関大学である東京大学に進まれておられますから、当然のことながら思想というそちらの方へ進まれたと思うのですけれど、もし先生が私らのように、私らのようにと言えば失礼なのですが、私のように並みの高校から並みの大学に進んでおられたら、学問の世界に進まれるということがなく、ひょっとしたら小説でも書いてみようか、などと思われたかもしれない。挑戦しておられたら、大作家になられておられたかもしれない、という風に思ってもみます。
そんなことで、いろいろと今度の本も改めて読ませていただいて、感服いたしました。なんでも先生によると、あと10年は仕事を続けるということです。お酒もとても強くて、がんがん飲まれる、お仕事もこれからもどんどん続けていかれて、いついつまでも何冊も何冊も本を出して、読ませていただきたいと思います。どうも失礼しました。
佐藤先生、ありがとうございました。
管理人による出版記念会報告(五)
小澤征爾―日本人と西洋音楽
遠藤 浩一 (2004/09/16)
PHP研究所遠藤先生の朗読のつづき
(七)伊藤仁斎の『論語古義』はもとよりとてもいい本です。例えば孔子が鬼神や人間の死生を論じないのは、こういう問題は人おのおのが自得すべきことで、本来人に教えるといった性質のものではない、だから口に出さなかったのだ、という解釈(巻の六十一余論)など、私はハタと膝を打ち、内心深く納得します。仁斎の孔子解釈は悪くないのです。しかしこれはあくまで仁斎の孔子解釈であって、『論語古義』を読んでいると純粋なる孔子、あるいは孔子それ自体というものがあたかも実在するかのごとく、そしてそれを自分だけが知っているというがごとくであって、彼が囲いを作って孔子の言説をその中に追い込んでいくような印象を受けます。
新井白石にも荻生徂徠にもそれは感じません。『論語』をはじめ四書がテキストとして不完全だという自覚が仁斎にはまったくないかのごとくです。孔子の残した客観的で正確なテキストなどじつは存在しないのです。門人によって纏められた現存の『論語』の外に、孔子をめぐる膨大な言説と伝承がある。それは畢竟、すべてが神話です。この自覚こそほかでもない、私が本書でくりかえし強調して来た主題でした。
(十)北ヨーロッパ人の人文主義者エラスムスが古代復興を志して真っ先にしたことは、ヴェネチアに行ってギリシア語を学ぶことでした。不完全なギリシア語の知識で彼は新約聖書のギリシア語訳を完成させようとします。そもそも聖書の原典テキストはギリシア語で書かれていたからです(中略)。
ヨーロッパ人が同一性を確立するのに、十五-十六世紀には異教徒の言語であったギリシア語の学習から始める――この不条理は日本人にはありません。仏教や経書といった聖典の書かれた文字の学習を千年以上にわたって断たれた不幸な歴史を、日本人は知りません。
(十三)文献学は認識を目的とします。しかし宣長やニーチェのような人にとって、認識はなにかのための手段でしかありません。二人は徹底的に文献学的ですが、また文献学の破壊者でもあります。通例の安定した客観性を目指している認識の徒には、とうてい理解の及ばない目的があるからです。
それは一口でいえば、余り単純な言い方で気がひけるのですが、神の探求です。しかしそれは神の廃絶と同時に行われる行為で、懐疑と決断は別のものではなく、つねに一つの行為です。
本章ではヨーロッパの文明の開始起点に不安があり、中国にはあまりそれがない、という観点をひとつ提起してみました。不安のあるなしは幸、不幸とは関係ありません。
中国には不安がない代わりに、歴史もありません。否、中国は歴史の国といわれていますが、歴史は自然と違って、変化の相を特徴とします。事実の一回性を尊重します。そういう意味での歴史がないのです。
(十四)地球上に歴史意識が成立したのは三地域しかありません。地中海域と中国と日本列島です。十七―十九世紀に、そこで文献学が同時勃興しました。江戸の儒学・国学が一番早かったといえるでしょう。古代と近代を結び合わせる言語ルネッサンスが、西洋古典文献学においても、清朝考証学においても、江戸につづいて相次いで起こりました。本書は可能な限り、三者を比較しつつ総合的に描こうと試みました。
文献学は宗教の問題でした。私は思想史に関心がなく、偉大な思想家にのみ関心があります。
遠藤さん、有難うございました。
会場は500人は入るという大広間。スクリーンに朗読中の文字を映すため、場内の照明は薄暗く落とされた。
始まったばかりなので入り口は、人と人がぶつかるほど混雑しており、私は人混みを掻き分け、壁際の椅子が並んでいる場所に移動した。遠藤先生は、正面演台に向かって左手にある司会台に両手をつき、大きな体を少し前かがみにして、マイクに向かって朗読なさっていた。右手の大きなクリーンには、朗読されている文字が映し出されていた。
西尾先生の文章は内容があるのに難解ではない。声に出せば心地よいリズムがあることがわかる。そのうえ、薄暗い中で遠藤先生が、ソフトでありながら力強く、メリハリの効いた口調でそれを朗読されるのだ。私はまるで芝居の世界に迷い込んだような、なんともいえないよい心地がした。その場は、背景の音楽とともに幻想的な雰囲気がかもし出されていた。宮崎さんの心憎い演出である。
今、手許に来た朗読のテープを改めて聞いていると、つい聞きほれてしまう。音声をアップする技術が身に付いたら、是非この箇所だけでも皆さんにお聞かせしたいと思う。
なお、上記に漢数字の番号が打ってあるのは、小冊子に抜粋してあるものと同じ便宜上のものである。
映し出された画像
朗読する遠藤氏