さて珍しい方がお見えになりました。福井から駆けつけて頂きました、チェコ日本友好協会副会長でいらっしゃいまして、福井県立大学のカレル・フィアラ教授でいらっしゃいます。
日本語の情報構造と統語構造
カレル フィアラ (2000/07)
ひつじ書房
中・東欧のことばをはじめましょう チェコ語CD入り
石川 達夫、カレル フィアラ 他 (2001/05)
朝日出版社カレルさんは、チェコの方でいらっしゃいまして、西尾さんは15年前にプラハでお知り合いになりました。チェコからこられて日本の学生におしえる日本語と、日本文学の研究をつづけておられます。
カレル・フィアラ氏のご挨拶
西尾先生の御本を大変興味深く拝読致しました。西尾先生は江戸時代の文化を当時のヨーロッパ・中国等の文化と比較なさいましたが、この比較の結果から、当時代の日本人の精神的創造力が西洋人の創造力に劣らなかったことが推察されます。
日本文化の特性は、戦国時代のヨーロッパ人の目にもよく見えました。第二次大戦期ごろ、イエズス会史の研究者であった神父Franz Josef Schütteが注目したように、戦国時代の日本で活躍した神父Luis Frois(1532-1567)とザヴィエルの後任Alessandro Valigniano(1539‐1606)は日本文化の高度を認め、それを基に、日本の事情に合った独自のキリスト教布教法として、いわゆる「適応説」を提起しました。
天正年間の1582年から1585年にかけて遣欧された少年使節がポルトガルの王様とローマ教皇に日本事情を詳述する報告書を提出しましたが、この報告書も日本文化の特性を説明しています。
1620年以降、日本で多くのカトリックの信者が殉死しましたが、そのとき、幕府はプロテスタントの主張に誘導されたようです。たとえばカトリック宣教師の一人、カローロ・スピノーラの日記から分かるように、彼は同じヨーロッパ人であるプロテスタントの信者に密告され、日本の植民地化を狙っているという容疑を掛けられました。これで幕府までもヨーロッパ宗教圏の縄張り争いの罠に嵌りかけたようですが、このことは、江戸時代に入ってからも、当時のキリスト教のヨーロッパがいかに分裂していて、いかに混乱していたかを示しています。
また、ヨーロッパが産業革命の道を歩みだした後で、ヘーゲル哲学における「自」・「他」の融合で垣間見られるような全体主義の傾向が認められます。
階級・階層を無妥協に対立させ、人権に対する暴力を励ましたマルクス・レーニン主義とスターリン主義、人種や民族の問題を排他的に解釈し、ホロコーストに導いたナチズムやファシズム、さらに文明衝突を予測し、文明間の対話を予め難しくした過激的な文明衝突論―これらが皆、西洋文明の中心主義における不条理や不釣合いによって支えられた危険な偏りから始まったかも知れません。
日本では古来、西尾先生がお示しになったように、それぞれ異なる思潮が「寛容の衣に包まれて」共存していました。たとえば、中国で破壊された資料は日本で大事に保存され、五山仏教と禅の思想など本来の姿に近い形で生き続けています。
たびたび急進的民俗主義者として批判される宣長の考え方も例外ではありません。決して攻撃的な排他的思想ではありませんでした。世界の規模で見ても、日本語の活用体系と係り結びの仕組みを学問的に記述した宣長は先端の文法学者でありましたが、彼は先端のテクストの研究者でもあり、また先端の哲学者・宗教学者・民俗学者でもありました。民俗学者としての彼はまさに、西尾先生のお言葉を拝借すれば、「シナの学問の支配する言語空間」を冷静に見直し、「儒学万能」の偏見への想像力を働かせながら、・・・「外国のものを排撃したのではなく」、「外来のものを無防備に崇拝する」日本人の悪い癖を問題にしただけです。
また、西尾先生のご指摘のとおり、宣長の「日本魂」の捉え方自体が軍国主義的国家ナショナリズムの表れではなく、東アジアを広く包む中華思想に対し、この国、またこの国に住む族の繊細な文化アイデンティティを擁護する試みにすぎなかったようです。宣長の考え方のどこかが、同時代の人間であったヘルダーの個々の民族文化の擁護論にも何となく似ているのではありませんか。
以上は一例だけですが、この例からも西尾先生の御本の面白さ、また江戸時代の日本人の創造力の深さがが窺えます。
あの「平家物語」をチェコ語に訳されたばかりか、「源氏物語」の翻訳にも取り組まれ、まもなく完成と伺っております。『江戸のダイナミズム』もあっという間に読まれたそうです。それではカレル教授、ありがとうございました。