牛久大佛を訪れて

 東京からさほど遠くないところに途方もない巨きさの大佛像が建っていると聞いて、一度近寄ってみたいと思っていた。私の住む街区からでもマンションの高い階からならば見えるのかもしれない。

 友人たちを誘って出かけることになり、たまたま一年で一番暑い日といわれた梅雨あけの7月14日が選ばれた。このところ盛んに吹いていた風もなく、朝からジリジリ照りつける熱暑の日だった。友人の一人が十数人乗れる大型のレンタカーを用意してくれた。朝8時に友人たちは約束どおり杉並の西荻窪の駅近くに集合した。

 私がこの巨大佛像を見たいと思ったのは多少の童心からと多少の美学的動機からだった。車に乗り込んでからすぐに一座の仲間に後者の動機について話をした。「葛飾北斎ですよ。遠近法で見慣れた通例の景色を意図的に壊すために北斎は寸尺の合わないものを並べることをよくやりました。富士山を遠景にして、手前にバカでかい舟や木樽を置いて近景をクローズアップさせ、思い切って中景を省いたショッキング画法はよく知られていますよね。あれですよ。」といささか怪しげな美学の講釈をした。

 私の目論見ではこの現代にピラミッド級の巨大な佛像が建立されれば、近隣に住む人にはえらく目障りに違いないアンバランスな光景が至る処に出現しているだろう、私はそれを見たいと思った。山中湖や河口湖の富士山にはこの驚きはない。甲府の町から見る富士山にはこの視覚上のショッキングがある。私は同じ驚きをカナディアン・ロッキーやドロミーテで経験した。私は牛久にもそれを期待した。だから像そのものに興味はない。周辺の光景との不釣り合いを見たいのだ、と行きがけの車中で一息にしゃべった。同乗の友人たちは狐につままれたような不可解な顔をしていた。

 近寄って分ったのは佛像の周りの環境は森林に覆われた地形が多く、現代的な建造物と重ね合わせるシーンが少ない。写真撮影の機会にも乏しい。それでも何度かシャッターチャンスはあった。皆さんが工夫して撮った数々の面白い映像とそれに伴うこの日の感想の言葉が今日から当ブログを賑わすことになるだろう。同じような似た画像が繰り返されてもよいことにしていただきたい。

 参加したのは次の方々である。
 阿由葉秀峰、伊藤悠可、岡田敦夫、岡田道重、佐藤春生、松山久幸、行澤俊治(現地参加)、吉田圭介の各氏である。

 なお私は病後にもめげず熱暑の中を歩きつづけ、一晩寝ただけで疲れも取れ、体力の自信を回復したことをご報告する。テレビの天気予報は「高齢者は安静にしていても熱中症になる恐れのある日だ」と警告していたので心配していた。

 天気予報は言い過ぎだ。ここまで言うのはかえって不安になるだけで良くない。

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「四十二」

(6-60)いかなる時代でも、いかなる社会でも、個人の仕事がなにかの新しさを発揮できるとしたら、長期にわたる訓練や修業を積んだあとで、はじめて新しさが可能になるのである。それも努力してやっとわずかばかりの新しさが出せるにすぎない。そういう経験は、今日でもなお実社会を動かしている現実の法則である。日本でも伝統芸能や職人芸はもとより、近代的テクノクラートの職業においてさえも、この法則は決して死んでいない。しかしどういうわけか学校教育だけが、このような法則を避けて通ろうとする。いわく児童や生徒の自主性を育てるという。いわく学生の自由な判断を尊重するという。個性をたいせつに扱うという。しかし結果的に、青少年は無原則、無形式の中で自分を見失い。自己形成の契機をつかめず、かえって古くさい既成の概念にもたれかかり、ステロタイプの枠の中に閉じこめられることが多いのである。

(6-61)個性は決して主張するものでのはなく、意図せずして自然ににじみ出てくるものでなければならないはずである。

(6-62)教育の成果は、求めてただちに得られるものではない。人はそれを長期の研鑚の結果、自然にもつのでなければならない。性急な期待と計算からは、何も生まれてはこないのである。自ら求めるのではなく、静かに成熟の時期を待つべきであって、もしなにかを求めるのだとしたら、人はむしろ罪過と苦痛をこそ求めるべきであろう。すなわち自らに課す掟をこそ求めるべきであろう。

(6-63) タブーというものは社会が自己保全を必要とするときつねに生まれる。

(6-64) 人間は平等だから同じ教育を受けるべきだという風に考えるのではなしに、人間は同じ教育を受けていてもいなくても平等だ、という風に考えることはできないのだろうか。少なくとも近代の人格的平等、法の前での平等は、右のように考えなくてはならない。
 しかしさらに一歩を進め、人間の頭脳・才能・体力・容姿・家系に関し、要するに個体の差異においていったい人間は平等だろうか。というより平等であった方がよいと考えるべきだろうか。もしも個体の差異をできるだけ消し去った平等が具体化していったとしたら、かえってそこに怖るべき事態が出現するのではあるまいか。現実に平等でないことが、人間にはかえって安心であり、生き甲斐にもなる。現実の不平等が、人間の自己教育と自己鍛錬のためのもっとも有効な教師であるのではないだろうか。

(6-65)平等が正しい、競争はいけない、競争意識は権力意識だ、等々、日本人をとらえている固定観念をいったんは壊してみることが必要である。教育の目標は政治的平等の達成とは直接にはなんの関係もないし、むしろ正反対かもしれないのである。今の日本にだって、金儲けと権力主義ばかりが青年の心のすべてを支配しているわけではあるまい。努力し、競争し、自分の精神的成長のみを求めて、必ずしも権力をめざさない青年もいるはずである。私はそういう人が本当のエリートだと思う。

(6-66)民衆はつねに贋(にせ)の自由より、宿命のほうを望む。民衆は自分の覚悟に対して知識人のように虚飾が無く、正直だからである。民衆は役に立たない偽善や当てにならぬ期待よりも、自分の置かれた事態を正確に見る方を好む。宿命を認めてかからないかぎり、幸福への新たな可能性などは存在しないことを知っているからだ。不幸な人間が、不幸な前提などがまるで存在しないかのように、自分にも他人にも言い聞かせ、ごまかしているかぎり、いつまでたっても、彼は自分の手で自分の幸福をつかみとることは出来ないであろう。

(6-67)人間はなにか価値ある行為をするために生きている。しかし福祉は生きるための条件をよくすることであるから、もし福祉を生きる目的とするなら、人間はなにかのために生きるのではなく、生きるために生きるという以上のことは言いがたい。人間にとって何が価値ある行為であるかを考えるのが先決なのに、それを度外視して、条件づくりにばかり精を出しているのが今の文明の状況である。だんだん人間が動物に近づいていく徴候かもしれない、

(6-68)権力をもっている人間は、若干の後ろめたさと当然の感情とがあい半ばする意識をもって権力を行使する。権力をもたない人間は、いっさいの後ろめたさなしで、自分の正義を主張する。しかしそれが権力をもつ人間に対する復讐であり、怨念であり、変形された権力欲であることにはたいていの場合気がつかない。彼らがもしかりに権力を握れば、自分をのみ正しいとする途轍もなく危険な権力者になる可能性が十分考えられるのである。

(6-69) 不運や不幸や悪条件に見舞われた人間こそが、人間の心の内奥を覗き見、自分の弱さと闘う最大の課題を与えられた「選ばれた人」であるといっても過言ではないだろう。ところが福祉運動家は、不幸な人間が世間に対してとかくみせる「甘え」を保護しようとする。それが不幸を救い、悪条件を匡(ただ)す唯一の道だと単純に信じている。しかし不幸な人々が、不幸な人々同士で嫉妬し合い、いがみ合い、あるいは多少とも恵まれた人々に怨念をいだく等の、社会的な「甘え」は、ややもすると彼らには物事が半面からしか見えていないことの反映である。彼らは他人の悪には気がついても、自分の内部にもひょっとしたら同種の悪がひそんでいるかもしれないという自省の片鱗さえ欠いている場合が多いのである。
 しかし人間が道徳を考え、生きる価値求め、そしてなによりも高貴に生きるとは何か?を問題にするなら、まずこの自省を第一基盤にして、そこから出発すべきではあるまいか。

(6-70)福祉は施しでも恩恵でもない。恵まれない人々が生きる勇気をどう獲得するかが最も肝心な要点であることを、実践家は知っている(中略)。みかけの同情や物理的保護も、もちろんときにはたいせつであろうが、いちばんたいせつなのは、悪条件下にある人間にも、ときに自分の責任の欠如や性格上の欠点などに気がつくだけの内省の力をもつことなのである。みんな世間が悪い、自分たちは不幸だ、という観点だけでは、真の勇気は生まれてこない。

(6-71)私は世を怨む失敗者をこれまで無数に見て来たと同じくらいに、自分の能力を知らず、偶然を必然ととり違えた成功者をいかに多数見てきたことであろう。

(6-72)他人に要求する前にまず自分に要求する、あらゆる自分の行為に自由でなく宿命を見る

(6-73) 明らかな社会上の不公平が少しずつでも取り除かれることを正しいとする考え方に反対する理由はなにもないが、しかし今の時代に、権利を侵害された者が黙っていれば損をし、抗議すれば利益が少しは保証されるのは、権利の主張が戦術に依存していることを意味している。抗議が効果をあげるためには、ただおとなしく型通りの抗議をしているだけでは駄目で、集団を組み、あらゆる威嚇の手段を利用して、戦術に訴えなければならない。これは現代のいわば常識である。つまり弱い者の立場を守るのも、じつは正義の理法によってではなく、社会の弱点の利用によってなされている。現代では、強いもの(成功者や既得権者)が自分の才能と知恵によってのみ強くなったと考えるのはまったくの空想であり、これもたいてい社会の弱点の利用によってなされてきた。つまり強者も弱者も同じ原理によって生きている。それだけ人間が同質化し、同一線上に並んで競争し合っている証拠である。既得権者は防衛し、立場を奪われた者は攻撃する。どちらもエゴイズムの拡大という点では共通している。

(6-74)近代に入って、自由競争が人間に繁栄をもたらして来たが、同時に人間を不幸にしたともいえる。競争によって他を出し抜く心理、他人に対する思いやりの喪失があたりまえになってしまったし、すべての者が強者であろうとして、取り残された弱者はただ権利を主張すること(それもやはり強者になろうとする意志の一種である)によってしか、自分を生かせなくなってしまったからである。

(6-75)自分の中の俗物性を認めてかかるという生き方を選ばないかぎり、人間は自己矛盾を犯す可能性もある。誰でも完璧に、自分の論理性を守り、最後まで潔癖でありつづけることは出来ない相談だからである。

(6-76)批評だ、批判だと人々が口にする内容の多くに、どれくらい相手を育てようとする大きな愛情があるだろうか。これは日本の今日のジャーナリズムの問題でもある。にぎやかな世相批判が、ただ風潮に終わって、生産的でないのは、批判している当人にどだい改変への情熱が欠けているからである。批判によって何かを動かそうという気迫が最初からないし、批判という自分の行為をすら信じていない。自分は行動せず、ただ口先でたえず批判的ポーズを示すことが、知識人の身分証明だと思っている。

(6-77)ショーペンハウアーはヘーゲルを憎んだ。トルストイはワーグナーを理解できなかった。ゲーテはベートーヴェンをうるさそうに遠ざけた。ヘルダーリンはゲーテにも、シラーにも評価されなかった。こんな話は歴史の中に無数にある。私はときどき、互いに対立し衝突し合っていたこれら個性同士の葛藤を、現代人が色の褪せた古写真を見るように軽んじて、今頃になって気のきかない調停者の役割を演じては、これをもって「学問」と称しているようにさえ思えてならない。もちろんわれわれが、葛藤のすべてを今や相対化して眺めるに十分な距離を手に入れているのは争えない事実であろう。しかしそれはそうなのだが、生命のなまなましい一部が枯渇して、からからに干あがった結果のようにもみえる。

(6-78)小さな人間の偏見は歴史を歪めるかもしれないが、偉大な歴史家の偏見によって歴史ははじめて枠組を得るのである。一面的な好みや傾向性の展開の中にこそ、かえって普遍性が自然な形式で発露するのでなければならないであろう。そして直接的な人生体験とのつながりをもたないような学問が、どうして豊かな学問として成立するだろうか。

(6-79) 歴史的に思考する者にとっては、過去があるだけで、現在も未来もない。過去の理解が、現代に生きるわれわれの人生体験と切っても切り離せない関係にあるという事情、あるいは未来へ向かうわれわれの意識とも結びついているという事情は、彼らによってはまったく無視されている。

(6-80)過去は固定的に定まっているのではなく、生き、かつ動いているのである。また、過去を認識しようとしている人間もまた、たえず動いている。歴史は、動いているものが動いているものに出会うという局面ではじめて形成される創造行為である。

(6-81)過去をわれわれが意識するのは、過去そのものがわれわれを引っ張るからではなしに、われわれの現在の欲求、あるいは未来をわれわれがどう生きたらよいかという期待に応じて、そのたびごとに過去が違った形でわれわれの前に姿を現わすからだともいえよう。つまり定まった過去像があるのではなしに、現在の関心が過去に対するイメージを決定する場合が多い。

(6-82)宗教にとって最重要なのは信仰であって、知識ではない。しかし宗教学は学問である以上、信仰とは一致せず、むしろ信仰を弱め、こわす役割を演じ勝ちである。宗教学者は信仰家である必要はないし、またあってはならないのである。なぜならどれか一つの宗教にとらわれ、凝り固まったなら、いかなる宗教をも正確に客観化することはできなくなるし、さまざまな宗教の比較研究をし、相対化して観察することも、むずかしくなるからである。信じるということは、どれか一つを信じるのであって、あれもこれもを信じるのではない。宗教学者は信じるのではなく、多様な宗教現象を歴史的な相において冷静に、知的に分析することを求められている。彼はどれか一つに限定せず、幅広い知識をもって歴史を展望しつつ、対象をしだいに狭くしぼっていく

(6-83)信仰をどうして学問の対象にすることが出来るだろうか。しかしこの点に関していえば、信仰とは厄介な概念であって、信仰を知るとは物体の運動法則を知ることとはわけが違い、あくまで自分の心が問われるのである。物体の運動法則を知るとは、物体を自分の心の外に対象化し、客観化した後の結果であるが、信仰を知るとは、なにかの対象を知ることではなしに、対象化できないなにかにぶつかることなのである。宗教学者がさまざまな宗教現象を学問研究の対象として眺めているかぎり、彼は信仰についてはほとんどなにも知っていないに等しい。宗教に関する知識をなにももたなくても、敬虔な心をもっている田舎の農婦は、宗教学者よりも信仰において強く、深い可能性がある。ドストエフスキーはこういうコントラストをたびたび描いてみせた。

(6-84)後世のわれわれは、たしかに記録され保存された言葉を介してしか過去の思想家には接し得ないが、言葉の中に思想があるのでは必ずしもない。残された言葉は、思想への媒体にすぎない。比喩にすぎない。内奥は言葉の届かぬ所にある。言葉という間接的な手段を介してわれわれ後世の者は、はるか昔に立派な人間として生きかつ教えていた行為人の誰彼にまでさかのぼって、過去を再構成し、生きた思想の内奥を追体験するところまで行かない限り、その思想を理解したことにはならないだろう。

(6-85)初めに行為ありき、であって、初めに言葉ありき、であるべきでは決してないのだと私は思う。そして行為は瞬時にして消えうせ、言葉をただ媒体として残すのみである。言葉はいかに行為を映し出そうとしても、行為の比喩であり、また影絵でありつづけるほかないであろう。

(6-86)自由は障害を除去することでもないし、制限から解放されることでもない。そういう自由はこのうえなく消極的な概念である。消極的な意味においてすでに自由に達しているにもかかわらず、人間は身体を持つ存在である以上、どうしても自由にはなれない。自由の問題はそこからはじめて出発するのである。

(6-87)今は教養ということが地に堕ちた時代だが、教養とは机に向かって書を繙(ひもと)き、知識を身につける受け身の享受であればよいというそれだけの概念であるなら、衰退するのはむしろ自然の方向だし、そんなに悪いことではないのかもしれない。

出典全集第六巻
(6-60)(439頁下段から440頁上段「教育について」)
(6-61)(440頁上段「教育について」)
(6-62)(440頁下段「教育について」)
(6-63)(442頁下段「教育について」)
(6-64)(443頁上段「教育について」)
(6-65)(445頁上段から下段「教育について」)
(6-66)(446頁下段「教育について」)
(6-67)(448頁下段「高貴さについて」)
(6-68)(450頁下段「高貴さについて」)
(6-69)(453頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-70)(453頁下段から454頁上段「高貴さについて」)
(6-71)(455頁下段「高貴さについて」)
(6-72)(456頁上段「高貴さについて」)
(6-73)(457頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-74)(457頁下段「高貴さについて」)
(6-75)(464頁上段「高貴さについて」)
(6-76)(466頁下段から467頁上段「高貴さについて」)
(6-77)(470頁上段から下段「学問について」)
(6-78)(471頁下段から472頁上段「学問について」)
(6-79)(479頁上段「学問について」)
(6-80)(482頁上段から下段「学問について」)
(6-81)(482頁下段「学問について」)
(6-82)(487頁上段から下段「学問について」)
(6-83)(487頁下段から488頁上段「学問について」)
(6-84)(497頁上段から下段「言葉について」)
(6-85)(499頁下段「言葉について」)
(6-86)((504頁下段から505頁上段「言葉について」)
「後記」より
(6-87)((644頁「後記」)