今回の大佛見学の「美学的動機」を西尾氏は、「『葛飾北斎ですよ。遠近法で見慣れた通例の景色を意図的に壊すために北斎は寸尺の合わないものを並べることをよくやりました。富士山を遠景にして、手前にバカでかい舟や木樽を置いて近景をクローズアップさせ、思い切って中景を省いたショッキング画法はよく知られていますよね。あれですよ。』といささか怪しげな美学の講釈をした」と書かれているが、これは「国民の歴史」第13章「縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎」の次の記述と照応している。 「(北斎は)思い切ったかたちで前景に焦点を絞り、遠景の富士とのあいだに当然想定される中景をいっさい描かない。中景を省いてしまうことで、遠近法の意図的な破壊を試みている。西洋から遠近法はすでに入っていて、北斎においてすでに一瞬のうちにそれが乗り越えられている。そのことが決定的に新しいのだ。なによりも、画面が与えるそのコンポジションの妙がもたらす視覚上の強烈な効果には、言うべき言葉がない」。 今回、氏は「石像そのものに興味はない」とも言っている。確かに仏像そのものには「美学的」価値はなさそうだが、氏の北斎への関心の持続、北斎的遠近法の破壊への偏愛はかくも強いということなのだろうか。「同乗の友人」ならずとも、牛久の大佛を見に行く氏の「美学的動機」には「狐につままれたような不可解な顔を」しても不思議ではない。 「日本文化の粋が幽玄であり、枯淡であり、わび・さびだという通念ではおさまりきらない」のであって、「日本文化の根っこは、むしろ鎌倉以前にある。そしてそうした流れは、また時代を変えて、見えないところでふたたび大きなかたちで爆発するし、世界史の一見外にいるような日本列島の中で、いっさいを先取りするような精神の冒険も行われる」。縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎を貫く「爆発」であり、「精神の冒険」であり、氏の強い傾倒もここに発するのであろう。縄文式土器は現代のアヴァンギャルド(レヴィ=ストロースによればアール・ヌーヴォー)を包摂し、かつ軽々と超えているし、定慶の「金剛力士」の肉体のダイナミズムは優にミケランジェロに匹敵する。北斎はセザンヌばかりかピカソの試みをも先取りし、「世界的な強い表現になって最前線に立っていたのである」。 折しも、東京国立博物館で「縄文展」が開催されている。われわれは火焔土器に何を見に行くのか。その形象は、「単なる模様かも知れないし、なにかの激しい情念の表現かもしれないし、信仰心の表れかもしれない。すべてはわからない」が、「地底的なもの、奥底から渦巻くように沸き出す幻想や情念など、どうしてもわれわれの感情の深部にかかわってくるものを感じ」るためだ。それが何かは定かでないが、われわれの存在の淵源にふれるものがそこにあることだけは間違いないという確信を得るためだ。 「われわれが日本の歴史を考えていく際に、有史以来の日本史の時間が、それに先立つ縄文や弥生の一万有余年の長大な時間量を背負っていて、歴史がその過去に動かされて今日に至っているということは無視できないように思われる」。「歴史はその背後にあるものの影でしかないということを意識する必要のために、一層の探求を求められているのが縄文時代だといってよいであろう。その大いなる“母なる母胎”、歴史を背後から支えているものとしての縄文文化―それこそが日本史の単なる前史なのではなく、いわば基盤をなす土台として、考えなければならない世界ではないだろうか。(「国民の歴史」第3章「世界最古の縄文土器文明」)。 そして、西尾氏は第6章「神話と歴史」において驚くべき指摘をする。 「文字を持たぬまま沈黙する(縄文・弥生)文明の積年のパワーが『光』であったがゆえにこそ、この列島には約一千年を経て、固有の文明が復活し(平将門の乱)、科挙や宦官に代表される古代中国の皇帝制度、文民官僚的専制国家体制をついに拒絶することに成功したのではないだろうか」。見事な漢心(からごころ)排撃の例である。 縄文土器にその最初の形象が定着されているように、「この国土と自然の中から、ときとして思いがけぬ大きなかたちで噴き出してくるものがある」。「自然の奥底への自己献身、自然と自我との一体感、自然そのものを生かし、自然を対象世界とはしない、自然を自我と対立した世界におかない一如の体験の中から、まるで地底からわきあがってくるような天地万物のエネルギーが姿をなし、かたちを整えて立ち現れるということがたびたび、繰り返されてきた」のである(第13章「縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎」)。 「国民の歴史」は私にとって、依然として汲めども尽きぬ知的愉悦と啓発に満ちた書物である。読者に高度の精神の運動を要求するこのような本がベストセラーになったのは、我々が何者であるのかいかに正当な自己認識を欲しているか、また、日本がいかに知的ポテンシャルのある国かを示すものであろう。たとえば「神話と歴史」の章など、これは何よりの啓蒙の書である。出版不況など上っ面のことで、国民の渇きに根源的に応える書物は大きな反響を生むという証左ではなかろうか。 返信
今回の大佛見学の「美学的動機」を西尾氏は、「『葛飾北斎ですよ。遠近法で見慣れた通例の景色を意図的に壊すために北斎は寸尺の合わないものを並べることをよくやりました。富士山を遠景にして、手前にバカでかい舟や木樽を置いて近景をクローズアップさせ、思い切って中景を省いたショッキング画法はよく知られていますよね。あれですよ。』といささか怪しげな美学の講釈をした」と書かれているが、これは「国民の歴史」第13章「縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎」の次の記述と照応している。
「(北斎は)思い切ったかたちで前景に焦点を絞り、遠景の富士とのあいだに当然想定される中景をいっさい描かない。中景を省いてしまうことで、遠近法の意図的な破壊を試みている。西洋から遠近法はすでに入っていて、北斎においてすでに一瞬のうちにそれが乗り越えられている。そのことが決定的に新しいのだ。なによりも、画面が与えるそのコンポジションの妙がもたらす視覚上の強烈な効果には、言うべき言葉がない」。
今回、氏は「石像そのものに興味はない」とも言っている。確かに仏像そのものには「美学的」価値はなさそうだが、氏の北斎への関心の持続、北斎的遠近法の破壊への偏愛はかくも強いということなのだろうか。「同乗の友人」ならずとも、牛久の大佛を見に行く氏の「美学的動機」には「狐につままれたような不可解な顔を」しても不思議ではない。
「日本文化の粋が幽玄であり、枯淡であり、わび・さびだという通念ではおさまりきらない」のであって、「日本文化の根っこは、むしろ鎌倉以前にある。そしてそうした流れは、また時代を変えて、見えないところでふたたび大きなかたちで爆発するし、世界史の一見外にいるような日本列島の中で、いっさいを先取りするような精神の冒険も行われる」。縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎を貫く「爆発」であり、「精神の冒険」であり、氏の強い傾倒もここに発するのであろう。縄文式土器は現代のアヴァンギャルド(レヴィ=ストロースによればアール・ヌーヴォー)を包摂し、かつ軽々と超えているし、定慶の「金剛力士」の肉体のダイナミズムは優にミケランジェロに匹敵する。北斎はセザンヌばかりかピカソの試みをも先取りし、「世界的な強い表現になって最前線に立っていたのである」。
折しも、東京国立博物館で「縄文展」が開催されている。われわれは火焔土器に何を見に行くのか。その形象は、「単なる模様かも知れないし、なにかの激しい情念の表現かもしれないし、信仰心の表れかもしれない。すべてはわからない」が、「地底的なもの、奥底から渦巻くように沸き出す幻想や情念など、どうしてもわれわれの感情の深部にかかわってくるものを感じ」るためだ。それが何かは定かでないが、われわれの存在の淵源にふれるものがそこにあることだけは間違いないという確信を得るためだ。
「われわれが日本の歴史を考えていく際に、有史以来の日本史の時間が、それに先立つ縄文や弥生の一万有余年の長大な時間量を背負っていて、歴史がその過去に動かされて今日に至っているということは無視できないように思われる」。「歴史はその背後にあるものの影でしかないということを意識する必要のために、一層の探求を求められているのが縄文時代だといってよいであろう。その大いなる“母なる母胎”、歴史を背後から支えているものとしての縄文文化―それこそが日本史の単なる前史なのではなく、いわば基盤をなす土台として、考えなければならない世界ではないだろうか。(「国民の歴史」第3章「世界最古の縄文土器文明」)。
そして、西尾氏は第6章「神話と歴史」において驚くべき指摘をする。
「文字を持たぬまま沈黙する(縄文・弥生)文明の積年のパワーが『光』であったがゆえにこそ、この列島には約一千年を経て、固有の文明が復活し(平将門の乱)、科挙や宦官に代表される古代中国の皇帝制度、文民官僚的専制国家体制をついに拒絶することに成功したのではないだろうか」。見事な漢心(からごころ)排撃の例である。
縄文土器にその最初の形象が定着されているように、「この国土と自然の中から、ときとして思いがけぬ大きなかたちで噴き出してくるものがある」。「自然の奥底への自己献身、自然と自我との一体感、自然そのものを生かし、自然を対象世界とはしない、自然を自我と対立した世界におかない一如の体験の中から、まるで地底からわきあがってくるような天地万物のエネルギーが姿をなし、かたちを整えて立ち現れるということがたびたび、繰り返されてきた」のである(第13章「縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎」)。
「国民の歴史」は私にとって、依然として汲めども尽きぬ知的愉悦と啓発に満ちた書物である。読者に高度の精神の運動を要求するこのような本がベストセラーになったのは、我々が何者であるのかいかに正当な自己認識を欲しているか、また、日本がいかに知的ポテンシャルのある国かを示すものであろう。たとえば「神話と歴史」の章など、これは何よりの啓蒙の書である。出版不況など上っ面のことで、国民の渇きに根源的に応える書物は大きな反響を生むという証左ではなかろうか。