池田俊二氏へ

「日録への池田俊二氏の投稿について」

池田俊二さんの「日録」への投稿の件、一応目を通しましたが、陰湿で執拗な個人攻撃が綴られており、読むに堪えない内容でした。

 このような事態に至ったキッカケや経緯はわかりませんが、結論を先に申し上げますと、この問題は西尾先生が直々に池田さんに対し注意勧告をしなければ収まらないのではないかと思います。

察するに池田さんは、下記のような精神状態に陥っているのではないでしょうか?
① 自分は西尾先生の最側近の長老格であるとの自負(思い上がり)がある。
② 西尾先生が施設に入られた今、会の運営に就いては、長老格の自分に相談があってしかるべきであるが、自分の知らないところで、西尾先生と一部の人間により何かが行われているようであり怪しからん。
③ また最近、元編集者である自分に相談もなく知らないところで(差し置いて)、西尾先生と一部の会員により全集の編集作業が行われているようであり、許せない。
④ 長老格である自分の「日録」への投稿を長谷川さんごときがブロックすることは許せない。
※西尾先生が事前確認できなくなった今、管理人である長谷川さんが内容不適切と判断した投稿をブロックするのは当然。
⑤池田さんはあのような投稿を行うことが「日録」を汚し、西尾先生、加えて自分の顔にも泥を塗ることになることが分からない程精神状態が劣化している。

 以上、思いつくままに記しました。

                          令和5年5月8日

                             中村敏幸 拝

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「あまり寂しいことをしないでくれよ、池田俊二さん」

 私は坦々塾の懇親会では何とはなしに自然と、池田俊二さんの傍に引き寄せられるのです。パーティ形式では隣の椅子に、テーブル席でも同じ輪の中にいることが多いのです。
 安心するんです。自分のつまらない話でもよく聴いてくれるし、また言葉を発しないでもそのまま水割りのグラスをかたむけ時間を過ごせます。こちらを預けてしまってかまわないと甘えて大先輩のふところに潜っているわけです。
 
 また池田さんが日録に綴られた文章の数々を私はよく味わい愛読してきました。最近の渡辺望さんのある感想に対して丁寧に応じておられるものなど、お二人の文にはうかうかと読み落としたら勿体無い貴重品が含まれています。

 更めて発見したのですが、池田さんは西尾幹二先生のことが好きで好きでたまらないのですね。敬愛して敬愛してなお余りあるという程のです。いや、その思いなら人後に落ちないという人は坦々塾の中に他にもおられるかもしれません。

 それでも私は池田さんの文章を読みかえしていて、先生思いの強さ、熱心さの正真の本物を感じ取るのです。行住坐臥、寝ても醒めてもというと、もう西尾幹二という道の修行者であります。池田さん、否定してもダメですよ、先生の「高貴さ」「大きさ」「深さ」を看取して日々を過ごしておられることでしょう。四国参りの法被には「同行二人」とあって、常にいつでも空海と二人なのだ。そこまでいかないと本物ではないのだ、と。

 そう言うお前はどうなんだ、と聞かれると困りますが、私は残念ながらそうではない。ついていくだけで息切れすることもある。先生がとどんどん先を行き、背中が遠く小さくなる。

 池田さんの文章の端々には信仰に似た〈覚悟〉があり、あえて求道心と表現しますが、これほど真剣に道を求めていながらなにゆえに、一つのことで大きく道をはずしてしまうのか。それが不思議でならないのです。先生を敬愛すればするだけ、その分、誰かを蔑まないと気が済まないか。愛情と憎悪はシーソーにならないといけませんか。ルターは「敵のあるほうが燃える」といったが、本質を衝いているとしても人間としてルターの長所とは言い切れないのではないか。

 ここまで来れば、池田さんに左翼も糞もないではありませんか。進歩的文化人も糞も捨ておけば好いではありませんか。後世に託せば良いのです。後世がダメならダメになるしかないのです。

 さて、池田さんはしつこい。管理人、長谷川真美さんに対する罵言はしつこすぎる。相手は子女ではないか。多少、年代をかさねておられるが子女ではないか。子女に向かっての口一杯の罵りは、たとえば池田さんのご母堂はお許しになりますか。お盆になりましたから、胸に手を当てて仏壇でも御霊舎の前にでも座ったらどうですか。

 それに、長谷川さんは日比谷公園には居たが、セクトなんかではないときっぱり否定しているではありませんか。それを「過去に触れるのはよろしくない」などと何文字ほど曲げて引用するのは清潔ではない。長谷川さんは左翼ではないと言っている。それで十分ではないか。

 長谷川さんは長きにわたって、ときには昼夜を厭わず日録を管理運営してきてくれた功労者です。犬馬の労をとって奉仕されたのであって、誰にでもできることではない。ずっと池田さんも彼女から恩恵を被っているのですよ。

 私は今回のことで、ふと晩年の小林秀雄と河上徹太郎のことを思い出したのです。新潮社か文藝春秋かは忘れたが、大事な対談の場が設定されていて、編集者たちと小林が先に到着し、風邪を引いたという河上が遅れてやってきたのだが、さあ始めようとすると、河上は手ぶらで何の準備もしてこなかった。資料やノートが対談に必需とはいえないとしても、河上はテーマさえ要領を得ない。分厚い資料を包んだ風呂敷をほどくまでもなく、小林は「いいよ、今日のは俺が一人でまとめておいてやる」と言って河上を家に帰した。小林は編集者たちの前で泣きながら、「風邪じゃないんだ、あいつはもう終わりなんだ。不治の病にかかっているんだ」というような場面があり、雑誌を探せばみつかるが、たしかそんな編集者の手記を読んだ記憶がある。

 最愛の人が斬られる話はわが神話にも、支那の五丈原にも残っています。池田さんは「出禁になるかもしれないが」と書いておられたが、池田さんだけでなく、誰もかも全員がこれで出禁になってしまった。あまり寂しいことをしないでくれよ、敬慕してきた池田俊二さん。

                    令和5年7月15日

                       伊藤悠可 

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「阿由葉秀峰から池田俊二氏への手紙」

浅学菲才の私が、池田様の「生涯のテーマ」(2023年6月23日「西尾幹二のインターネット日録の愛読者の皆様へ」の池田様の7月7日のコメントより)とされていることについて、物を申すのは恐縮ですが、「近代日本の栄光と悲惨が反映してゐる」からといって、管理人様への中傷のコメントを執拗に続けられるのは、とても拙いことと思います。

池田様のコメントは、言論界に生きている訳ではない管理人様を、不特定多数の人々に一方的に晒して、傷つけ続けています。管理人様が平静を保つのは容易ではないだろうと、心配でなりません。

僭越ながら私も、「私が強い愛着を持つてゐるのは、人生論ものです。人の心の襞を分けて、深部に這入り込み、そのありやうの仔細を洞察して、先生ほど緻密に、活き活きと描いた作品が、世界中に、他にあるのでせうか。私は知りません。」に強く共感を持つ者です。

「歴史や政治に関するものだけが先生の本領では、決してない。」と池田様は確信され、再度私もそこに大きな共感を持っているだけに、この件は残念でなりません。

                   令和5年7月14日

                      阿由葉秀峰 拝

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「池田俊二氏の書込みについての批判」

 日録の書込み記録の回数を正確に数えた訳ではないが、その回数の最も多い方は池田俊二氏ではないだろうか。
 その氏が書込みの中で日録管理人の長谷川真美さんに対して執拗に異常なほど、非難・攻撃・バッシングを一方的に繰り返すのは、一体どうしたことか。
 不思議に思い、或る機会にそのことを長谷川さんにお尋ねしたところ、氏の書込みをシステムのトラブル以外で没にしたことは一切なく、また嘗て中核派に属したことなど全くない、全共闘運動が盛んだった学生の頃、野次馬的に日比谷公園へ行ったその時にたまたま松本楼が焼き討ちされるという事件に遭遇してしまったことがあるだけだという。
 管理人としての長谷川さんは反論が出来ない、まさにサンドバッグ状態だ。それにしても池田氏の長谷川さんに対する人格否定的な書込みには目に余るものがある。
 西尾先生の高校時代からの御親友であるあの紳士的な河内隆彌氏までが、私が別件で連絡を取った折り、お話が日録の話題になり、「最近の池田俊二氏の日録管理人に対する非難は酷いね」と仰有っておられます。
 坦々塾等の会合でよくお目に掛かる池田氏は、はっきりとした物言いの人格者とお見受けするが、こと日録管理人に対しての書込みは、甚だ常軌を逸している。
殆どヴォランティアと言っていい日録管理の仕事をすることはかなり大変なことに違いないが、長谷川さんはその仕事を長い間続けて来られた。その管理人に対しての氏の感謝・労いの念は片鱗すら窺えない。
 これはもう日録の主宰者たる西尾幹二先生に断固たるご処置をお願いするしかないのではなかろうか。

                       令和5年7月10日

                            松山久幸                     

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「池田氏へ先日出したメール内容です」

 この個人的メールを出して後、池田さんの出方を待っていました。最後まで池田さんのやり方は変わりませんでした。それで、今回の投稿をすることになりました。

池田俊二様
西尾日録管理人長谷川です。

 直接メールを書くのは久しぶりです。

 さて、今回私が池田さんにメールを書いているのは、西尾先生とも相談してのことです。西尾先生も周りの方々も、池田さんのコメント欄の一部の内容に大変危惧をされています。

 私を名指しの内容は、もちろん私にとってとても不愉快なものとなっています。
 私が学生の頃、日比谷公園で松本楼が燃えた場に居合わせたことをもって、中核派だと断じておられますが、中核派として行動をしたことは一度もありません。個人的に野次馬根性があり、あの場に居たことは事実で、心情的に確かに左翼的思考をしたことはあります。でもあさま山荘事件や、松本楼への放火などを見て、目的のためには手段を選ばないやり方は間違っていると思い、きっぱりと左翼的な思考とは縁を切りました。転向と言われればそれまでですが、そのことをことさら大勢の方に、管理人への批判として何度も何度もお書きになるのは、日録のコメントとしては不適切だと思います。

 また、コメント削除の件についてもそうですが、以前に申し上げたように、池田さんのコメントを故意に削除したり、投稿不可としたことはありません。そのたびに申し上げたように、ブログ更新時期後の器械の不具合や、本文削除の為のコメントの一体的不掲載でした。池田さんの表現の自由を束縛したことはありません。もし私にそのような下心があるなら、私への罵詈雑言をそのまま掲載しているはずはありません。その部分のみをカットすることもできるのです。

 それから、新しくコメントを書いて下さる方に対して、もう少し寛容に接していただきたいと思います。
せっかく読者になってくださっているのに、怖い常連に文句を言われるのは嫌で、再度書き込むのをためらわれるのではないかと恐れています。西尾先生は新しい読者を歓迎されています。

 最後に池田さんの表現の自由について、どうしても申し上げたいと思います。日録のコメント欄はあくまでも西尾先生の日録内容に関しての意見の場です。そこへ何度も私への攻撃や、その他ご自分が思っておられる他の人への不満を書かれることは大変に困るのです。西尾日録の品位を損なうものとなるのです。今回のような書きぶりは大歓迎ですが、先に申し上げましたように、他人への攻撃は不適切だと思います。

 今後、このメールの内容を不快に思い、今までの書き方を踏襲されるようでしたら、 管理人として、そういった部分を編集削除かあるいは全文掲載拒否とさせていただきます。西尾先生にも了承していただいています。池田さんがご自分の場を設定し、そこで何をお書きになっても自由ですが、ユーチューブでもどこでも、他人が主催し管理するサイトにおいて、管理の方針上表現の自由がある程度制限されることはご承知おきください。

                        長谷川真美

                                           

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「西尾幹二先生から池田俊二氏への手紙」

前略
        (一)
 貴方にこのような手紙を書くのはまことに遺憾ですが、私は病気で、筆を持つ指が自然に動かず、読みにくいのは勘弁して下さい。私はブログへの貴方の出稿にはだいぶ前から心配していました。

 第一に量が多すぎる。第二に相手非難の無遠慮な表現に抑制が失われている。第三に若手育成への配慮が足りない。例えば若い人が新しいことを書き出そうとするとそれを見守るのではなく、貴方は自分の言いたいことに夢中になり、若い人がもち出しているテーマなんかはそっちのけで、自分のテーマを長々と、冗長に、勝手気侭な論理で押し被せるように書くので、若い人はたまらなくなり、ブログから退散してしまうのです。

 こういうことが何度あったでしょう!貴方ご本人は気がつかないのですが、それはさながら大型トラックが自転車をはねとばしてシャーシャーとしているトラック運転手の様子に似ています。

 われわれはこれに交通整理に立ち上がらねばなりません。
今度ご苦労にも手をあげた方々は、今までにも仲介の労をとろうとなさって、見るに見かねて整理役を買って出て下さった方々と私は理解しています。

      (二)
 さてここで私の小さな体験をお話しします。
はじめは小さな過呼吸に始まり、朝服装を替えるころは何でもなく、外出して一駅目に向かうころに呼吸が乱れ、酸素を多く吸うことが必要となり、不安を覚えたのが始まりです。ガンの手術をした(2017年3月31日)より後に少しずつ顕著になりました。

 ガン研有明の呼吸器の先生の門を叩きましたが、手の打ちようがありません。呼吸には(一)自分の意思で自由にできる呼吸、(二)睡眠時の無意識の呼吸、の二つがあります。しかし私には第三の呼吸があって苦しんでいます。自分の意思ではどうしようもなく 眉、舌、歯茎、鼻、が勝手に動いて、口腔内が自由気侭な運動を始めてしまうのです。これに対し西洋近代医学を学んだ医師たちはどうにも答えられません。ガン研有明もお手上げです。

 「心療内科」の領分だ!と言われ私は吉祥寺の有名な精神科の門を叩きました。そこから先のことは詳しくなるので申しません。

 要するに思い切って今までと違う自分に挑戦することが必要だということを言いたいのです。私のように不規則な過呼吸に苦しみ「心療内科」の門をくぐる人はこの病院に来る人の何パーセントくらいでしょうかと尋ねると、20人に12人くらいだ、と聞いて数の多さに驚きました。

 池田さん、貴方も「心療内科」に通うべき人です。誰が見たってそうです。遠慮して周りの人は何も言わないでしょうが、長谷川さんその他に当てた貴方の文章、あなたのブログ(コメント)の常識外れの長文、措辞、形容詞、罵倒語に特有の独特のはずみ、などを症例として診察してもらい、分析の対象としてもらって下さい。

 貴方の今後の老後の安定と幸せのためにこそ必要な決断ではないでしょうか。
私も一度は「心療内科」の門をくぐったのです。何で貴方がためらう理由があるでしょうか。

     (三)
 次に「西尾幹二のインターネット日録」の今後の扱いについて断を下します。
これは私のブログです。私の思想、意見、社会的見解などを訴えるのを目的とした電子板です。いわゆる「コメント欄」を今後いっさい閉鎖します。
                               草々

                   二〇二三年七月十二日
池田俊二様    
                       西尾幹二