北朝鮮核問題(六)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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< 「悪魔のシナリオ」>
<「外交は動いていなかった」のか>

 10月21日付朝日新聞一面は”中国訪朝一定の成果”、”金総書記「再実はない」”の大中見出しが躍り、社説も、「外交が動き出した」と、手放しのはしゃぎ様であった。

 ところが、それを目にする前に、唐国務委員と会談後、ライス国務長官は「金総書記は二回目の核実験を否定しなかった」との唐氏の発言内容をTVで語った。

 冒頭見出しの中の記事も、唐国務委員はただ「幸いなことに、会談は無駄ではなかった」とだけ述べたものである。狐につままれた様な話だ。10月26日の朝日は「無駄ではなかった」を解説し、一応中国側の面子を保ったとし、中国側にも限界がある、と言い逃れしたが、そんな次元の話ではあるまい。

 見出しは誤報で済まされる。だが、済まされないものがある。社説の「外交が動き出した」である。これは外交が”動いていなかった”の言い換えとなろう。過去、日米を始めあらゆる関係国が、あまたの「対話」による外交努力を尽くしてきた。然し、あらゆる問題で北朝鮮は誠実な態度を示すことは一度たりともなかった。米朝合意に違反し核を製造していただけではない。昨年9月の6カ国合意も破った。拉致を始めとする非道、悪行、不正の限りを尽し、一切それを改めようとしなかった。最後に対話を踏みにじるミサイル実験、核実験を目の当たりにして、他に手段の無くなった国連安保理は、全会一致で経済制裁を決めたのである。その様な長い外交努力がまるで存在しなかったかのように「外交が動き出した」の社説見出しはないだろう。これは巧妙なレトリックによる事実歪曲であり欺瞞である。これを朝日は執拗に繰り返すのである。

 一方、10月27日のNHKではスイスが同国の銀行にある北朝鮮口座を凍結、対北朝鮮贅沢品の輸出を禁止する経済制裁の実施を報じた。これは、情勢が、既に平常状態ではないことを示している。繰り返すが、これも、拉致を含む、数々の非道、悪行、不正、ミサイル実験、核実験の結果であり、総ての責任は北朝鮮にある。それをあたかも、北朝鮮にも言い分、利があるかのような巧みな表現でカムフラージュする。「外交が動き出した」は決して見逃せない表現である。

 さて、韓国ノ・ムヒョン政権も問題である。既に03年7月のUSCC公聴会で証人の一人は、「韓国には、北朝鮮の核保有に好意的な見方がある。それは核を保有する統一朝鮮を展望したものである」との趣旨の発言を行っている。これが多分ノ・ムヒョン政権の本音であろう。

 今迄の余りに一方的な、譲歩の名にも値しない「北朝鮮何でもOK」の「太陽政策」の説明はそれ以外につけようがない。

 ミサイル実験で、日本の反応を「騒ぎ過ぎ」と揶揄した韓国も核実験で説明がつかなくなった。だが、金正日とノ・ムヒョン政権が何をするかは判らない。

 中国はどうか。中国は、元々、今までの同じ社会主義体制の北朝鮮が核なしならば、良いとの立場であり、北朝鮮に寛大であった。北朝鮮のミサイル輸出に、自国の鉄道、港湾、空港を自由に使わせていた。(以上04年6月第二回USCC議会宛報告書)自らも国営企業を通じ、大量破壊兵器・運搬手段をイランなど懸念国へ輸出してきた。だが、困るのは、中国国内に影響が及ぶことである。北朝鮮の核武装による発言力増大は好ましくない。核を持つ統一朝鮮は更に困る。米国の圧力が強まった上、北朝鮮情勢は見過ごせなくなってきた。然し、この問題に軽々に深入りし、自らの体制に影響が及ぶのも避けたい。選択肢の中で、どれを選ぶか、慎重に検討している段階であろう。

 10月22日、胡錦涛国家主席は引退した江沢民、李鵬、朱鎔基各氏をも招き、大規模な長征70周年記念大会を開催、党の団結を呼びかけた。上海グループの汚職がらみの政治闘争が云々される今、国内の問題より、国、党が現下の国際情勢、即ち朝鮮半島情勢に鑑み団結を呼びかけたものである。これは、89年の6月4日の天安門事件の前、5月20日に戒厳令施行し、更に軍、政府、党の団結措置を密に進めたことと類似する。大事の前には常に団結が強調される。中国は最悪の事態に備え準備しつつあるとみるべきであろう。北朝鮮の鉱産物資源などは既に中国の権益下にある。吉林省の朝鮮民族の親戚も北朝鮮には多い。介入の理由は用意されよう。朝鮮戦争で人民解放軍は”義勇軍”の名で参戦した。

 ロシアはどうか。ロシアと中国の関係は微妙である。ロシアは上海共同機構の構成員であり、中露合同軍事演習も実施しているが、中国の力が強くなることを望まない。嫌がらせもしているらしい。(06年8月USCC公聴会証言)東シベリア油田のパイプライン敷設の終着点をナホトカにするか、大慶にするか、日中を競わせているのもそれである。NPT崩壊に繋がる、北朝鮮の核保有は望まないし、核を持つ統一北朝鮮も好まないであろう。しかし、中国の朝鮮半島への影響力増大も望むわけは無い。対北朝鮮政策での米中の緊密化も望まない。ロシアはその面、ウジウジし続け、韓国に次ぐ包囲網の弱い輪であろう。

 米国の基本姿勢はどうか。現在の米国の最も重要な対北朝鮮カードは中国である。米朝枠組み合意の失敗で、米国は、北朝鮮との約束には何の意味もないことを思い知らされた。拉致、偽ドル、人権など、非道、悪行、不正に、相当緻密な検討の上に策が練られたのであろう。北朝鮮の最大の鍵を握るのは、食糧、エネルギーを供給している中国である。戦争なしに、北朝鮮問題を処理するには、中国を引き入れる以外に方法は無いという論理である。どうやらそれは成功し始める。06年に入ってからの中国の政策変更は、その背景があろう。

 それに、北朝鮮の核保有は現実に近づけば近付く程中国はそのマイナスを感じるようになる。就任したばかりの安倍首相の北京訪問は、米中に日本を加えた三国の北朝鮮政策推進の為であり、靖国論争は中国にとり今や好ましくない。

<考えられるシナリオ>
 
 ここで、既に核を持った、北朝鮮を巡る数ヶ月のシナリオを描いてみよう。

 北朝鮮が、経済制裁で、核を放棄するシナリオである。次の二つとなる。
(i) 金正日が、制裁解除を求め、核を放棄し、体制を維持を図る。
(ii) 制裁の結果、異変が起こり、金正日体制が変わる。・・>亡命などで金正日は去り、核開発も放棄される。

 北朝鮮が、核開発、核軍備に邁進、再実験も行う。二つの可能性が存在する。
(i) 国連の武力制裁決議などにより、国際社会が一致し力で北朝鮮の核廃棄を実現させる。・・・・>金正日政権は崩壊するであろう。
(ii) 北朝鮮が粘り勝ちし、核保有国となる。・・・・>いずれ日本を狙うノドン200発以上の総てに核が装填される「悪魔のシナリオ」である。

 今後この4つから最終の二つのシナリオに収斂するであろう。金正日が(i)で臨む可能性はゼロに近い。それは、権威を失墜させ、自らを破滅に追い込むからである。(ii)の可能性も今後数ヶ月間は少ないであろう。

 金正日は飽くまで、(ii)を指向するであろう。そのためには、ある程度の期間なら、(i)を戦い抜く覚悟もあるかもしれない。北朝鮮は”国連軍”と戦った経験もあるのであるのだから。

 以上推定すれば、経済制裁にも拘らず、北朝鮮は第二回核実験を強行する可能性が高い。そうなれば、国連は武力制裁の検討に入る。

 既述のように、北朝鮮の核武装化で最も危険な直接攻撃に晒されるのは日本である。日本が(i)に国連を動かすしか方法はないであろう。国内では、武力行使の是非議が沸騰しよう。「とにかく話し合い」にカムフラージュされた「絶対平和論」が生き延びるか、或は議論が長引けば、(ii)は実現に近付く。やがてノドン200発総てに核が搭載され、北朝鮮は何時でも日本を壊滅出来るようになる。拉致も総ての非道、悪行、不正も解決不能となる。そればかりか、核の恫喝に従う、日本からの援助で苦境を脱した北朝鮮は核武装に邁進しよう。

 朝日や、一部政治家は、もう(i)と(ii)の選択肢しか残されていない段階になっても、それを”おくび”にも出さず、ひたすら「話し合い」「武力行使反対」を唱えよう。それが、日本の「空気」になれば、国際社会の関与も終わる。日本以外、核ミサイルの直接脅威は僅少だからである。日米安保はどうなるか。それも不明である。条件が変わるからであり、爾後の日本が、米国にとり最早守るに値しない国かもしれないのである。「悪魔のシナリオ」はかくて完結する。

 国を滅ぼすものは、外敵よりも内にある。方法は、瞬時の原爆によらず、ジワジワと時間をかけて蝕む毒薬、病原菌のようなものによる。シナリオライターは日本にもいる。これからの数ヶ月は重要である。覆水は盆に返らない。

秋の嵐(四)

 余りにも課題は巨魁で、探査の行方は深海に下ろす錘のごとくである。われわれは水面に浮んでいる浮標のごとく呆然とするのみである。第一次資料を読むなどという処へはとうてい行かない。他人の研究成果を追いかける以上のことはできない。

 それでも二つの裁判を重ねて見る、という方法と問題意識だけは最初から、そしてこの後も見失うまいと考えている。

 幾つかの新しい疑問にぶつかったので、ここに簡単に個条書きにしておく。

(1) 「戦争犯罪」と「人道に対する罪」は別の事柄であると今ではやっと広く認識されるようになってきた。前者は戦勝国にもあり、後者はホロコーストを指す。ところがニュルンベルグ裁判ではこの二つは必ずしも明確に区別されていなかったのではないかと疑われる。

 初期のナチ犯罪、テロ、人種政策、ユダヤ人迫害は、明かに「人道に対する罪」に結びついているが、戦争と直接結びついていないので、裁きの対象にはしないというのがニュルンベルク法廷の意見だった。この点は後日歴史判断にどう影響してくるだろうか。

 そもそもドイツの再軍備はベルサイユ条約に違反していた。しかし再軍備も、オーストリアやチェコの奪取も、「侵略戦争」のうちに入れられず、「侵略行動」とされたのみだった。

(2) 共同謀議、国際法が認めていない個人の責任、戦争は犯罪ではないのを無視した侵略戦争の概念、侵略の定義の不可能、遡及法(条例の事後律法的性格)、等々の国際法上の矛盾として知られる東京裁判の諸問題は、ことごとくニュルンベルク裁判にすでに同じ矛盾した問題として提起されていた。

 東京裁判はニュルンベルク裁判の結論をそのまゝ押しいたゞいている。前者は後者によって基礎づけられ、決定づけられている。

 ニュルンベルク裁判は「ジャクソン裁判」といわれたほど一人のアメリカ人の検察官の理念と活動に支配された。東京裁判ではそれがキーナン検事に引き継がれた。そしてマッカーサーが最終決定権を握っていた。アメリカによる「人類の法廷」の性格は両裁判にきわ立っていた。

 東京裁判ではフランスやオランダなどの欧州法との食い違いがたびたび露呈したが、ほとんどつねにアメリカによって押し切られた。人類の名における「アメリカの法廷」であったといっていい。

 私が気づいた疑問の根本は、ドイツの戦争犯罪を戦後裁判で裁くという計画が最初に意識されたのは1941年秋であったことだ。真珠湾より前である。

 日本が参戦するより前に、戦勝国による敗戦国に対する「裁判」が計画されていた。これは驚くべきことではないだろうか。

(3) 罪を問われた被告は両裁判ともに国家の行った戦争の正しさを主張し、個人に責任のないことを唱えたが、ニュルンベルク裁判の被告人には例外があった。

 シュペアー軍需大臣(判決20年)は裁判の正しさを認め、「裁判は必要である。官僚制度の下でもこのような恐るべき犯罪に共通の責任がある」と語り、ナチズムとナチスの指導部をこき下ろした。シャハト財務大臣(判決無罪)もゲーリングを面前で批判した。

 ドイツ人弁護人の中には犯罪の大きさと恐ろしさにショックを受け、被告のために最善の弁論を尽くせない人もいた。東京裁判ではこのような光景はみられなかった。日本人弁護人はけなげなまでに戦闘的に最善を尽くした。アメリカ人弁護人も、東京裁判の不成立である所以をくりかえし熱弁した。

 ホロコーストは「自然法」に反する。それゆえに「人道への罪」という概念が出て来たといっていいが、ニュルンベルク裁判で初めからホロコーストと戦争犯罪を区別する意識があったかどうかは上記(1)(2)からみても不明である。

 当時は勝者が敗者を裁くことに急だった。それは東京裁判だけでなくニュルンベルク裁判においても同様だった。

 裁判にかかった巨額の経費を負担したのはアメリカ一国だったという記載をどこかで読んだ――未確認だが――おぼえがある。これが案外問題を考える決め手かもしれない。

つづく

秋の嵐(三)

 東京裁判が最近も日本の国会では、首相答弁に出てくるほどホットなテーマであるのに、ニュルンベルク裁判のことは、ドイツ人の大半が問われて学校でさえ習った記憶がないと答えるそうである。ましてや東京裁判についてほとんどのドイツ人は存在自体すら知らないらしい。ドイツ在住のエッセイスト、来日中の川口マーン恵美さんから10月3日に聞いた話である。

 日本では東京裁判については今でも新刊本が相次ぐ。ニュルンベルク関連の本はたまに出るが、これはこれまですべて翻訳ものであって、日本の研究者によるニュルンベルク裁判の秀れた研究書が出たとは寡聞にしてきかない。東京裁判に関するアメリカ人の研究書はあるが、ドイツ人の研究書はこれまた私は耳にしていない。(間違えていたらどなたか教えてほしい。)

 戦争責任や戦後補償をめぐって世界の目はかってドイツにのみ厳しく、今は逆転して不当なまでに日本に厳しくなった、そしてドイツに優しくなった、とどなたかが書いていた。しかし本当にそう言えるのかどうか、まだ私にははっきりは分らない。新聞のトピックスに出てくる話題では多分そうなのかもしれない。中国人ロビーがアメリカ政府内で暗躍していろいろなことが起こっているということはあると思う。

 ニュルンベルク裁判では三人無罪だった。東京裁判では全員有罪だった。しかし終身刑まで含めて日本人のA級戦犯は講話締結後に釈放されている。

 国内でこれは国民挙げての要望であった。外交手続きを踏んでの措置ではあっても、不満や非難が国際的に起こって当然であった。なのに、不可解という声は少しは起こったらしいが、海外から目立つ批判や抗議は起こらなかったようだ。

 このことは謎である。東京裁判そのものへの戦勝国側の後めたさが反映しているのではないかと私は推量している。ニュルンベルク裁判の法的手続きと同じ鋳型を嵌めるような、「共同謀議」などといった乱暴な措置をしたのは間違いだった、という内心の気まづさが作用したと考えるのはいささか甘いだろうか。

 釈放のときの不問が今頃になってまだごたごた言われる原因になっていると考えることが出来るかどうかもよく分らない。ニュルンベルク裁判がナチスの犯人を裁いてナチズムを弾劾し、国家としてのドイツを免責したのと違って、東京裁判は「一億総懺悔」の日本人を問責し、国家としての日本を裁いている。その不当さに日本人は納得しないから、裁判に対する不服従はドイツ人よりも頻繁に表に出る。それが今でもごたごた言われる原因だろうか。

 とにかくドイツと日本は歴史上後にも先にもない異例中の異例の国際軍事法廷の裁きを受けた。東京裁判史観の克服をとかくに口にする人が多いが、ニュルンベルク裁判をよく知り、両裁判を比較研究しなければ、われわれの認識が新しい地平を拓くことはこのあと決して起こらないだろう。

 私は『異なる悲劇 日本とドイツ』の著者としてずっとそう思ってきた。しかしどこから手を着けてよいか分らなかった。

 私は1992年を最後にドイツに行っていない。98年を最後にDer SpiegelやDie Zeitや Frankfurter Allgemeineを読まなくなってしまった。信頼できるドイツ在住の、同じ問題意識を持つ日本人の協力を得なければドイツの州立図書館や公文書館の窓を開くことももうできない。

 そう思いつつ半ば諦めていた処へ『ドイツからの報告』(草思社)の著者川口マーン恵美さんと出会う機会に恵まれた。われわれはたちまち肝胆相照らし、共同研究への意志が固まり、メイルで文献や書物の情報交換をした。

 そして10月3日に二人だけの第一回の討議を行った。

つづく

秋の嵐(一)(二)

 9月の末から10月6日までの私の身辺の出来事を「秋の嵐」と題して綴り始めたところ「北朝鮮核問題」が発生し、(一)を出した直後にすぐ中断せざるを得なかった。

 本日は(一)(二)の両方を一緒に掲示することで連載を再開したい。

 
 秋の嵐(一) 

 晩夏から秋に入っても、今年は雨が多かった。10月6日には関東は嵐に襲われ、ある会合に出ていた私はタクシーを拾えず、ずぶ濡れになって帰った。

 9月は月の半分を軽井沢で過したが、雨ばかりだった。一夕知人を迎えて草津の温泉宿に遊んだ。が、その日も強い雨だった。

 浅間山の稜線がくっきり美しく明晰に見えたのは滞在も終りに近い最後の二、三日だけだった。私は山荘で独居し、読書ばかりしていた。選んだのはゲーテだった。暫らくして当「日録」のゲストコーナーに伊藤悠可さんが登場して下さって、書かれた文章の主題をみたらゲーテだったので私は偶然に驚いた。

 このところ私が日々何を勉強し、誰と会い、どういう会合や対談に参加しているか、「日録」らしい記録を提示していなかったので、9月末から10月6日の嵐の日までに身辺に起こった毎日の出来事を少し丁寧に語って、報告を兼ねて、近事の感懐を述べておきたい。

 今年の6月イギリスを旅行したときにエミリー・ブロンテ『嵐が丘』の古跡を見る予定になっていたので、この長篇小説の新潮文庫訳を持参し、往路の機内とバスの車内で全巻を読み切った。むかし子供向きのあらすじを綴った簡略本でしかこの小説をまだ読んでいなかったからである。

 しかし感動は乏しかった。30歳で病死した若い女性の頭の中の妄想がこの小説の内容のすべてではないかとさえ思った。最後まで読ませるのは構成がよく出来ているせいである。登場人物がすべて異常人格で、語り手の老女だけが僅かに人間としてまともである。こんな世界はどうみても不自然である。

 昭和の初期に西洋の長篇小説に対抗できない日本の文壇は、「私小説」は小説でないといって自嘲ぎみに自信を失っていたが、誰かある作家がこう言ったものだ。「西洋の長篇小説は要するに偉大な通俗文学である。」

 『嵐が丘』は復讐ドラマとしてみても観念的で、一本調子で、この世にあり得ない話である。あれだけ長い作品の中に、人間や人生に関する深い観察のことばがまったくといっていいほど出てこない。全篇これ若い女の妄想の域を出ていない、と言ったのはそのような意味をこめて言った積りである。

 軽井沢で読んだゲーテはドイツ語の格言集や日本語翻訳の長編小説などいろいろあるが、『親和力』を望月市衛訳で久し振りに読み直した。私も年をとって発見したのだが、小説の上手下手、出来映えの良し悪しではなく、人間や人生に関する含蓄のある観察のことばが随所にあるか否かが、作の魅力のきめ手である。

 ゲーテは人間をよく観ているな、とたびたび思う。が、意地悪な眼でじろじろ見ているのではない。何処を引用してもいいが、こんな例はどうか。


 「それはたいへん結構なことです。」と助教は答えた。
 「婦人はぜひとも各人各様の服装をすべきでしょう。どんな婦人も自分にはほんとうはどんな服装が似合い、ぴったりするかを感じ得るようになるために、誰もがそれぞれの服装を選ぶべきでしょう。そしてもっとも重要な理由は、婦人が一生を通じてひとりで生活し、ひとりで行動するように定められているからです。」

 「それは反対のように考えられますわ。」とシャルロッテは言った。
 「わたしたちはひとりでいることは殆どありませんもの。」

 「確かに仰しゃるとおりです!」助教は答えた。
 「他の婦人たちとの関係においては、そのとおりです。しかし愛する者、花嫁、妻、主婦、母親としての婦人をお考えになって下さい。婦人はいつも孤立し、いつもひとりであるし、ひとりであろうとします。社交ずきな婦人もその点では同じです。どの婦人もその本性からして他の婦人とは両立できません。どの婦人からも女性のすべてが果さなくてはならない仕事の全部が要求されるからです。男性にあってはそうではありません。男性は他の男性を必要とします。自分がほかに男性が存在しなかったら、自らそれを創造するでしょう。婦人は千年生きつづけても婦人を創造しようとは考えないでしょう。」

 よく日本の小説について女が描けているかどうかが取沙汰される。例えば漱石の『明暗』は男を全然描けていないが、女は良く描けている、などと。しかしゲーテが何げない登場人物に語らせているこの対話は、女が描けているかどうかの話ではない。

 私は詳しく解説する積りはない。読者はオヤと何かを感じ、考えるだろう。ことに女性の読者は大概納得するだろう。否、男性の読者もわが母、わが妻、わが娘を見て、あるいは職場における同僚の女性の生活を見て、正鵠を射ているなときっと思うだろう。

 女性の強さも、悲しさも、けなげさも、そしてその確かさも全部言い当てていると恐らく思うだろう。女性を突き離しているのではなく、包みこむようにして見ているゲーテの大きさをも感じるだろう。

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 秋の嵐(二)

  『親和力』はゲーテの作品の中では珍しく小説らしい首尾の整っている一作である。ほかに、『若きヴェルテルの悩み』くらいしか小説として迫力のある作品はあまりないといっていい。

 物語としての出来映えを言い出したらゲーテの小説は大概落第である。舞台作品だって迫力の点でシラーにかなわない。『ファウスト』は舞台にかけるとあまり面白くない。ことに『ファウスト』第2部の上演はいつもそれ自体が問題である。

 ゲーテは作品に結晶度が現われる作家ではなく、彼の人生そのものが作品だといえばいちばん分り易いかもしれない。『嵐が丘』の作家とは丁度正反対である。ゲーテの作品の中では失敗作も十分に魅力ある構成要素をなすという意味でもある。

 なぜこんなことを今日しきりに言うのかというと、私が急にゲーテを読み出したことも関係があるが、ゲーテの生涯の中で失敗作が山ほどあって、しかも彼の文学全部を象徴するような位置を占めるある重要なテーマが、十分に扱われないで今まで放置されてきているからである。

 10年ほど前に私が関心をもって、「私の書きたいテーマ」というアンケート誌に答えていたのを『諸君!』編集長が覚えていて、「次の連載にあれをやってみませんか」と誘われた。そして私は今にわかにその気になり出している、そういうテーマがある。

 「ゲーテとフランス革命」がそれである。

 フランス革命はゲーテの後半生を蔽った大事件であった。彼は心を強く揺さぶられ、いつまでもこだわりつづけた。

 彼は革命を嫌悪し、否認した。ゲーテは恐らく近代史において最も高貴で、最も深慮に富んだ、言葉の最高の意味における保守主義者であって、エドマント・バークの比ではない。

 革命をめぐる数多くの散文や劇を書いたが、ことごとく失敗作である。時代とどうしても一致しない何かがあった。彼は18世紀を生きた人で、19世紀以後を拒絶した。しかし、自分の目の前で起こる秩序の破壊に深く傷つき、いくどもそのテーマに立ちもどって、文学上の失敗を繰り返した。

 彼はナポレオンに会って救われる思いがした。秩序を回復してくれたからである。彼は革命だけでなく、ナショナリズムも嫌いで、ドイツの解放にも同情的でなかった。むしろウィーン会議でヨーロッパの秩序を再び建て直したメッテルニヒに期待し、好意を抱いた。

 ゲーテにとって「秩序」とは何だったのだろう。単純に政治的な「反動」の意味にこれを解釈したならば、今までのゲーテ論の過誤を繰り返すことになる。

 ゲーテの往きつ戻りつした文学的失敗の反覆の中に、恐らく問題を解く秘密がある。

 フランス革命との格闘の歳月は、ドイツ文学史によってゲーテが道を踏み誤った一時期として切り捨てられ、顧みられなかった。日本のドイツ文学者に至っては問題それ自体に気がつかなかったほどだ。まさにそのように隠されてきた心の秘密を私は知りたい。

 研究書めいた書き方ではなく、自由評論めいた書き方で展開したいのだが、それでもいざ始めるとなるとこれは容易ではない。時間がかかる。

 私の準備は始まっている。(1)このテーマに関するゲーテの作品、箴言、書簡、当時のワイマル宮廷とドイツの状況の調査・文献を蒐める。(2)フランス革命の歴史研究書を蒐める。(3)ゲーテの全体像を深める。(4)フランス革命からロシア革命をへてソ連崩壊の今日までの歩みをみて革命とは何であったかを考える。

 以上のうち(1)(2)(4)は比較的簡単である。もう半ば揃え終ったともいえる。考えも重ねてきた。しかし(3)がむづかしい。

 (3)は私の文章の背後からにじみ出るもので、それだけに付け焼き刃はきかない。「秩序」という概念も、ゲーテにとっては政治的な意味ではあり得ない。

 一見政治的にみえても――政治的側面も持ってはいるが――そこには彼の自然観や宗教観が反映しているはずである。18世紀にあって19世紀以後になくなった秩序。うまく言葉ではいえないが、人間と自然、人間と人間との間にあった自足的で、調和的な、個人の節度と社会の位階序列と宇宙感情がほどよく釣り合った関係の全体である。

 ヨーロッパ文明はフランス革命以後、200年間この「関係」を破壊しつづけてきた。日本もその潮流に棹さしている。

 そして200年たった今、18世紀人ゲーテの、フランス革命拒絶の意味が感覚的にも、思想的にもずっとわれわれの身近になってきたように思えるのである。

 ゲーテ以外に他のドイツの同時代人は、ヘーゲルも、フィヒテも、ヘルダーリンも、みなフランス革命に熱狂し、興奮した。

 ゲーテの心も震えていたが、逆の方向へ向けてであった。彼の抵抗と冷静は半端なものではなかった。

 そこにわれわれが今共感し、心をひそめて向かっていくべき「高貴とは何か」の鍵がひそんでいるように思えてならないのである。

つづく

北朝鮮核問題(五)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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< 米国と中国と北朝鮮の関係>

 「朝鮮戦争なかりせば、台湾解放は1950年に片付いていた」と言うのが多くの中国人の本音であろう。中国空軍のパイロットだったある人が冗談まじりに「台湾海峡の上を飛んでいると思っていたら、鴨緑江の上でした」と語ってくれたものである。日本の左翼は朝鮮戦争を米国の陰謀と唱えたが、中国で聞いた本音は、以上のようなもので、「金日成は迷惑なことをしてくれた」というものであった。然し、国境の向こうに同じ体制の国が存在することは、国の防衛上不可欠なのである。それが「中朝地の団結」である。

 中国はその後、改革開放政策もあり韓国と国交を結ぶ。一方、北朝鮮は、日本人を拉致し、ビルマでの韓国閣僚テロ、大韓航空機事件などテロを繰り返し、核開発に踏み切る。クリントン政権は米朝合意で核開発を放棄させたつもりであった。北朝鮮はそれに違反して今日に至っている。

 既に6ヶ国協議が始まった後の2004年6月の第二回議会宛報告書で、USCCは北朝鮮の核危機について、「経済など実質北朝鮮の生殺与奪を握っている中国に圧力をかけさせ、北朝鮮に核放棄をせしめる」ことを議会、政府に勧告した。

 問題はいかにして中国に北朝鮮への圧力をかけさせるかである。

 一方、日本では報道されていないが、NORINCO(北方工業総工司)など中国の国有企業はイランなど懸念国へ、大量破壊兵器及び運搬システム(WMD・DS)の輸出を行っており、ブッシュ政権は制裁を実施していた。だが、違反行為は一向に収まらない。そのため、同じ報告書で、USCCは制裁内容の強化を勧告した。

 この二つの勧告に沿う動きは、2005年に開始される。

 6月ブッシュ大統領はエクゼクテイブ・オーダー13382(Executive Order, 大統領執行命令13382)を施行する。これは、WMD・DSを輸出したものとそれを金融などで援助したものの在米資産を凍結する権限を財務長官に与えたものである。

 更に、9月、米国は愛国者法に基づき、マカオのバンコ・デルタ・アジアに、北朝鮮の不正取引にかかわる預金口座を凍結させた。北朝鮮はこれにより大打撃を蒙り、米国に直接対話を要求するが、上記勧告に沿い、米国は微動だにしていない。

 2006年になると、中国外交に変化が起き始める。

 先ず、5月国連安保理のスーダンに係わる決議に同意したのである。ちなみに、スーダンの中央政府はアラブ系が握るが、この政府軍とアラブ系民兵が南部のアフリカ系住民のジェノサイド(民族・人種浄化、殺戮)を繰り返し、犠牲者は50万人に及ぶと言われる。国連安保理はその阻止のために経済制裁の実施を行なおうとするが、スーダンの石油利権を押さえ、偽装した軍隊まで派遣しているとされる中国がスーダン政府を支援し、拒否権をちらつかせるため、解決は常に頓挫してきたのである。しかし、ようやく曙光が見え始めた。

 又、中国銀行は北朝鮮の不正取引にかかわる資金取引停止で米国に協力を約した。次いで7月の北朝鮮のミサイル実験に対する安保理非難決議に加わった。同じ月イランのウラン濃縮停止にかかわる安保理決議にも加わった。これは、北朝鮮、(特に)イランに対する従来の中国の方針を転換させるものとなる。

 そして今回の北朝鮮核実験に対する安保理制裁決議への参加である。

 中国の一連の動きには、米国の働きかけが。愈々効果を上げてきたのではないかと感じられる。
前記エクゼクテイブ・オーダー13382が発動され、中国国有企業、中国の銀行の在米資産が凍結されれば、中国経済は崩壊の危機に晒されるであろう。

 中国経済の実態は、元上海総領事(故)杉本信行氏著「大地の咆哮」(PHP研究所)に詳しい。一例を挙げれば、東京には20階以上の高層ビルが100棟立っているが、上海には実に4000棟もあるという。上海は揚子江の運んだ泥が堆積した土地であり高層ビルを建てるのには、地下に相当数の鉄パイプを打ち込まなければならないし、それでも不十分だそうである。ところがほとんどの高層ビルはそんなこともせずいきなり建てられている。中国のビルはエレベーターも少ない。いずれビルは傾き、殆んどのビルのエレベーターは動かなくなるであろう、と記されている。そうなると高層ビルは使えなくなり、融資した銀行は膨大な不良債権を抱えることになるというのである。これは同書の”ほんの一部”であり、しかも杉本氏の本が中国の問題点の総てを網羅しているわけではない。

 ただ、エリート外交官の書いた同書の持つ意味は重い。

 USCCの公聴会証言によれば、中国の健康保険制度、年金制度など社会のセーフティーネットは崩壊しつつあり、その結果、苦しむ人々を救うためにあちこちに、”草の根”NGOが誕生、活動しており、その団体数は今や30万から70万に及ぶと言われる。その多くは海外からの援助を受けているらしい。

 中国自体問題が山積しており、安定とは程遠い状態にある。

 日本では、政治家やメディアは靖国問題が中国問題であるかのように唱えるが、靖国問題は、これら中国の山積する深刻な問題から、日本人の関心を遮断するための方便の意味合いの方が強いことは明らかである。

 東ヨーロッパの共産主義体制の崩壊は、ハンガリーでの自由の拡大が端緒であった。それから、東ドイツ国民のハンガリー経由の大量脱出が始まった。そして、ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一、全東ヨーロッパの共産主義体制崩壊、ソ連崩壊につながったのである。

 今中国は、北朝鮮問題でジレンマに陥っている。

 本音は、何もなしにそっとしておいて欲しいであろう。然し米国の圧力、日本の要求で、北朝鮮問題の処理に向かわざるを得ない。

 これからは、全くの推定である。中国にとって、現状維持以外のベストシナリオは、(病気でも、何でも理由はよい)金正日を亡命などで政権からおろさせ、朝鮮半島非核化させ(註:本当は中国にとってどうでも良いのであるが)、そのかわり、北朝鮮を実質中国の保護国化することであろう。

 ちなみに前記2003年7月公聴会で証人の一人は、「いざとなれば中国解放軍は北朝鮮に進駐するであろう」と述べている。米国は、当然そういったいくつかのシュミレーションを描いている筈である。

 注目されるのは、7月のミサイル実験に対する安保理非難決議は、日本が主導しているように見えたが、今回の核実験への制裁については、完全に米国の主導で行われていることが明白なことである。それは米国が、何らかのシナリオにそってうごきはじめたのではないだろうか。

 あるいは、米中間で虚々実々の取引が続いているのかもしれない。

 中国にとり、なによりも、処理が波風立たずにスムースに行くことが肝要なのである。さもなければ、東ヨーロッパで起きたことが、アジアで再現しかねないからである。

 こうしてみれば、北朝鮮問題は中国問題でもあるのである。

 韓国外交通商相の国連事務総長選出なども、最近の韓国の”太陽政策の変更”その他で、米韓の間に何らかの了解があったことも想像される。

 これから数ヶ月、北朝鮮(むしろ金正日政権)にとっては正に存亡の秋である。中国も万一に備え、準備を整え、体制の引き締めを図るであろう。

 勿論日本にとって、これからの数ヶ月は、正に国家、民族の運命を決めるときとなる。

 銘記すべきは、日本を標的とする200発以上のノドンミサイル総てに核弾頭を装備することを絶対に阻止し、北朝鮮から核とミサイルを一掃させ、拉致された日本人全員を救出することである。機会はこれ一度しか残されていない。

北朝鮮核問題(四)

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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最初で最後の機会

 振り返れば、何と多くの貴重な時間、機会が失われてきたことだろうか。結局、その多くは、現実離れした座標軸に基づく甘い絵空事と、尤もらしい語り口で、迫り来る危機を覆い隠し、北朝鮮に時間稼ぎをさせただけであった。その結果、我々は今日の危機を背負い込むことになったのである。

 月刊誌「現代」の2000年2月号に掲載された、加藤紘一氏と田中秀征氏の対談の一部をご紹介しておきたい。

加藤:北朝鮮については拉致事件の解決が何としても必要です。しかし、事件解決が国交正常化の条件だとして会うことまで拒否していては、話は前に進まない。早期解決のためにも、まず交渉のテーブルに着くべきですね。「テポドン」が飛んできて日本中がパニックになったんですが、冷静に考えれば、核弾頭を積んでいるわけではないし、そもそも核兵器の開発などできているはずがない。

 他方、中国は「テポドン」の何十倍の射程距離を誇る大陸間弾道ミサイルを持ち、しかも高性能核弾頭まで開発している。それでも我々が平気でいられるのは、中国とコミュニケーションがあるからです。だからまず北朝鮮を早く国際常識の場に引っ張り出すことが重要だと思います。

田中:コソボの民族紛争は600年前の戦いに由来しているそうだけど、日本と朝鮮半島が同じ轍を踏んではいけない。後世のためにも、お互いに譲り合って関係を正常化すべきだと思う。野中さんが「最後の政党外交だ」と言っているのはその決意の表れだと思うし、是非とも実らせて欲しい。

加藤:あの超党派訪朝団は村山団長と野中さんの良好な関係があって、そこに野中さんの執念が加わって実現したんですね。(以下省略)

 同じ2000年、米国はどうであったか。
 
 同年10月、米国議会は、USCC(U.S.-China Economic &Security Review Commission,米―中国経済安全保障レビュー委員会)を設置した。クリントン政権下の米中蜜月時代、WTO加盟予定で、バラ色の中国ブーム到来の当時に、経済発展が伴う、中国の脅威の増大を予測し、議会は敢えてUSCCを発足させたのである。

 公表されたUSCCの議会宛報告書、公聴会議事録には、クリントン時代から中国の国有企業が、拡散防止協定に違反し、イランなど懸念国へ、大量破壊兵器及びその運搬手段(Weapons of Mass Destruction and Delivery Systems, 以下WMS・DSと略す)を輸出していた事実が記されている。

 2002年には、北朝鮮が、クリントン政権時代の米朝枠組み合意に違反し、核開発を進めていたことが判明した。次いで、北朝鮮は非拡散協定からも脱退したのである。

 これに伴い、米議会は北朝鮮問題をUSCCに委嘱する。

 2003年7月USCCは「中国企業のWMD・DS拡散行動と北朝鮮の核危機」に関する公聴会を開催、オルブライト前国務長官をはじめ多くの証人が出席した。この中に、注目すべき場面がある。

 証人の一人(外交官)が、「北朝鮮の核保有は、米国、韓国、中国国の直接的な脅威にはならない。直接脅威になるのは、北朝鮮のノドンミサイル100基(当時)の標的になっている日本である」と述べたのに対して、USCCのドレヤー委員が「この公聴会は日本のためにやっているのか」とたしなめ、議論を米国の国益に引き戻す一幕があった。ここに日米安保についての米国の受け止め方が窺えよう。

 従来の日本の安全保障論議は、「万一北朝鮮が日本を核攻撃すれば、米国の核による反撃で自国が徹底破壊されるから、北朝鮮は日本に核攻撃しない」という前提に基づいていた。しかし、北朝鮮が、日本が描くような シナリオ通りに動く国であるか。今は不明である。それに加えて、米国が、北朝鮮の対日核攻撃に直ちに核で反撃するかについても米国の国益が優先することを忘れてはなるまい。

 今回の北朝鮮核実験に対して、米国、中国、ロシアなどを含め安保理事国すべてが、ともかく日本の希望した対北朝鮮制裁実施で一致した。

 関係各国は自国の国益に沿って行動するものであり、各々の国の事情を考えれば、この問題で全会一致などということは、ほとんど奇跡に近いことであり、滅多にはおきないことを、噛み締める必要がある。

 繰り返すが、これは殆んど奇跡に近いのである。偶々各国の、国益がこの制裁決議で一致しただけであり、こんなことは二度とないであろう。

 米国や中国、ロシアそして韓国にとって、北朝鮮の核保有はそれほど脅威にはならないことは、既述の通りで、最も脅威を受けるのは日本なのである。

 前記公聴会で、証人の一人は、「米国への脅威は、北朝鮮の核保有自体よりも、北朝鮮がテロリストに核を売却することにあるから、北朝鮮から核を購入してやればよいのではないか」と発言している位であり、今の米国の態度が今後どう変るかは状況に依存する。

 中国やロシアは、これまで、北朝鮮の核保有阻止にそれほど熱心ではなかったし、今後態度がどう変わるかは神のみぞ知る類の話である。

 日本はこの機会を失えば、二度とチャンスはない。これを最後の機会と考え、北朝鮮の完全な核放棄と拉致されている日本人全員の解放という、最終目標を目指すことに徹する以外選択の余地はない。

 この過程では、北朝鮮からの核攻撃の恫喝もあろう。北朝鮮は既にミサイルの弾頭に装填可能な小型核を保有しているとも言われる。それが日本に向け発射される可能性も皆無とは言えない。

 北朝鮮の恫喝が強まれば、自称リベラリストの宥和論が蠢き始めるであろう。

 ”平和を愛する、純粋”な怪しげな平和運動家、団体も動き出すであろう。

 いずれも、目前の危機を先延ばしすればよいと言うものとなろう。

 だが、それこそ、北朝鮮に時間稼ぎさせ、やがては、日本に向けられているノドンミサイル200発以上総てに核が搭載されることになる。

 その時は、総てが終わるのである。国連安保理の一致も、制裁も”夢のまた夢”になっていることは間違いあるまい。安保理のまとまりも吹き飛んでいよう。北朝鮮はもう手の付けられない核保有国になっているのであるから。

 今回こそ、北朝鮮からの核の完全放棄、拉致された日本人全員の解放、の最初で最後のチャンスとなろう。宥和論は200発以上の核ミサイルが日本を狙う道を開くことを銘記すべきである。

 日本民族の興廃は、正にこの数ヶ月にかかっている。

つづく

北朝鮮核問題(三)

――安倍政権は重点主義を――

 今日掲げるのはVoice10月号(9月10日発売)の拙稿「まずは九条問題の解決から」の全文である。

 自民党総裁選より前に次期総理は決まっていたという前提で、Voice誌が特集「安倍総理の日本」を組んだ。それへの短文の寄稿である。私は憲法改正について何か書けといわれたので応じた文章である。

 最近、海上の「臨検」をめぐって日本側の法の不備が指摘されている。またその調整が急がれているが、憲法の制約が障害の根本原因であることはみな承知している。

 13日シェーファー駐日大使が「日本の憲法上の制約をわれわれはよく理解している。臨検など、日本ができる範囲のことでわれわれに伝えればいい」というような発言をして、日本側を慰撫している。

 いかにも「親心」に見えるが、こういう温情を示され、それが当り前になって、この侭でいいのだとなることは、日本にとって危うい。日本をいつまでも仮睡状態にしておきたいのがアメリカ人の本音である。

 以下の文は今の時点での緊急提言になると思われるので、ここに掲載する。

 安倍総理には男系が維持できる皇室典範の改訂と、ここにこれから掲示する一点のポイントの憲法改正を実行して下されば、正直、他は何もしなくても良いとさえ考えている。岸信介氏の政権も60年安保改訂だけを実行した短命内閣だった。

 慾張って多くをしようと思わないで欲しい。ひたすら重点主義で行ってもらいたい。

日米安保体制はフィクション

 北朝鮮の七連発のミサイル発射は深刻な挑発でないはずはないが、あのとき私は目の前に薄い膜がかかって、なぜか白昼夢を見ている趣であった。不安が習慣化しているからである。1920年代に『日米もし戦わば』というような本が流行した。いつしか言葉は現実を引き寄せた。同じように七連発のミサイルもまだ相手が遊んでいるような、夢のなかの出来事のように思えているのだが、こんなことを繰り返しているときっといつしか現実になる。

 スカッド、ノドン、テポドンの行列は、次回は南に下ろして日本列島に一段と近づけるように威嚇するだろう。失敗したテポドンがハワイを射程内に入れていると知って米国は初めて本気になった。ハワイでは核攻撃を想定した防空訓練さえした。ノドンはとうの昔に日本列島を核の射程内に入れているが、日本国民は運命論者である。

 米国は日本列島を「マジノ線」のような自国の防衛最前線と見ているので、最初の着弾があって日本の都市の一つや二つが吹っ飛んだあとでなければ自ら攻撃はすまい。否、そういう場面になっても、テポドンがハワイやアラスカや西海岸に核弾頭を撃ち込める可能性を実験で証明した暁には、日本を見殺しにする可能性が十分にある。少なくともその段階になれば、一発のノドンの威嚇発射がなくても、日本は北の政治的影響下に置かれる。平和勢力が金正日礼賛に走り、日本の「韓国化」が始まるだろう。

 七発発射の直後に、外務大臣と防衛庁長官はミサイル基地への先制攻撃の可能性を憲法の許す範囲で検討すべきだと重い口を開いた。あの不安な瞬間にみんなそうだと思った。地対地ミサイルや長距離戦略爆撃機を具える準備態勢を急がなくてはいけない。なにも日本がすぐ攻撃するという話じゃあない。用意するだけである。いざとなったら先手を打って攻撃できなければ、防衛なんかできっこない。MD(ミサイル・ディフェンス)なんていってみても、95パーセント防衛できても5パーセント漏らしたら、全国が焦土になるのである。核武装を急ぐ国が増えているのはMDへの不信の証明であり、大国の核の傘への信用度も落ちている証拠である。

 加えて北朝鮮は半島南部のほぼ中央に大型ミサイル基地の建設を始めた。米大陸に届くテポドン開発を明らかに急いでいる。日米安保体制がフィクションとなる――もうすでになっていると思うが――ことが誰の目にも明々白々となる日が近づいている。

 歴史を振り返れば、日清・日露の戦争から日韓併合まで、朝鮮半島の情勢に欧米諸国は無関心であった。バルカン半島や中東には目の色を変えるのに、朝鮮半島で何が起きても彼らは興味を示さない。結局、日本が自分自身で解決しなければならなかった。いまでもその情勢は変わっていない。日本が自らの安全保障の必要から何とかしなければならない地域だ。いまどういう政策があるかは別として、地政学上のわが国の宿命的課題といってよいのかもしれない。

 ミサイル基地への先制攻撃の可能性に初めて言及した二大臣のせっかくの発言も、例によって首相の制止でサッと引っ込められてしまい、国連外交の場に移され、周知のとおり安保理決議に終わった。それで問題が終わったわけではない。日本の不安の解消は先延ばしにされただけである。しかるに、マスコミの空気をみていると、ああこれで良かった、肩の荷が下りた、といういつもの安堵の空気、何事もなかった無風状態に戻っている。ところが、『夕刊フジ』8月6日号は突然「日朝戦争シナリオ、日本人一億人死亡、列島地獄」という悪夢の記事、防衛アナリストの戦慄シミュレーションを掲げた。国民の心の奥に不安が重く居座ってきる証拠といってよい。

全面的改正は困難

 いたずらに騒ぎ立てるのは良くないと人はいうかもしれないが、日本の政治的知性の低さ、能天気ぶりを見ていると、問題の先送りはいつか来る破局を大きくするだけである。平時に危機を忘れない、は防衛の要諦であり、わが国の場合、冷戦を戦争として戦ってこなかったせいもあって、すべての用意があまりに遅すぎる。むろん、憲法が障害要因となってきたことはあらためていうまでもない。

 吉田内閣時代に改正しておけばよかった九条問題が未解決のままここに来て、厄介な問題が新たに発生している。すべて遅すぎたせいである。かつて自民党は自主憲法制定を党綱領に掲げた。いま自民党は憲法改正を目前のプログラムとしはじめているかにみえるが、全面的改正には幾多の困難が予想される。

 改憲はいいが、新しい権利を盛り込め、たとえば環境権だの、知る権利だの、プライヴァシー権だの、フェミニズムの権利だのの新設がさながら改憲の目的であるかのごとく論じ立てる人が現にいる。改正案には地方自治の考え方が不徹底だとか、行政の介入範囲が広く経済活動の自由が明確でないとか、そうした声が改正にこと借りて唱えられ、百家争鳴の観を呈し、いたずらに時間を要し、肝心の九条問題が棚ざらしにされるであろう。

 九条問題自体もまた国際政治の変化で厄介極まりない。米軍再編計画に示されているアメリカ軍のスリム化は、自衛隊をアメリカ軍の下に編入する可能性を探っているようにみえるし、アメリカが対テロ戦争を戦ううえで日本から一定の軍事協力を得る目的が、近年の憲法改正問題と切り離せないようにみえるとの声も一段と高まるだろう。はたして自主憲法改正といえるのか、との批判にどう抵抗できるのか。

 しかし自衛隊が正規の軍となり、自分の判断で先制攻撃をも決定できる独立性を一日も早く確立しなくてはならないのも、また焦眉の急である。わが国は苦悩の多い判断を迫られている。そこでよくいわれる提案だが、戦争放棄条項はそのままにして、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めた第二項、日本を縛ってきたこの矛盾極まりない項目だけを削除する提案を、憲法改正案の差し当たり全提案とする。これを北朝鮮情勢に不安を抱く国民の前に差し出し、投票に掛けることは、国民の合理的判断に訴えやすく、短時日にして理解を得られる可能性に道を拓くのではないだろうか。

北朝鮮核問題(二)

 前回の足立誠之氏の所論からいえるのは、米中両国が一つの方向に向かって動きだし、安倍首相の訪中訪韓はそのシナリオに沿って行われたということである。私もそう考えていた。

 中国の経済はいま瀬戸ぎわぎりぎりの資金欠乏に悩み、米国は中国の経済破産を望まず、さりとて中国に核兵器輸送の自由な活動などを決して認めない。

 米国は中国を生かさず殺さず、中国経済を破産に追いこまない代りに、北朝鮮の処理を米国の望む方向で中国に解決させようとしている。核実験という北の暴走は、これを実現するうえでいわば絶好の好機であったのかもしれない。だから暴走ではなく、核実験を含めて米国のシナリオだったという説があるが、そういう奇説を私は採らない。

 中国を生かさず殺さずにするには今の中国には資金の輸血が必要であり、米国にその余裕も、意志もない。米国はむしろ資金引き揚げに少しづつ向かっているときである。

 日本にまたしても期待される役割が何であるかは明らかである。安倍首相が小泉氏とは違って、北京で異例の歓迎を受けた理由は明々白々である。

 安倍氏が首相になって「真正保守」の化の皮が剥がれる変身をとげたのは、それ自体は驚くに当らない。私は前稿「小さな意見の違いは決定的違いということ」(二)で、「権力は現実に触れると大きく変貌するのが常だ」と書いたが、その通りになっただけである。

 ただそれにしても、歴史問題で彼が次から次へ無抵抗に妥協したのは、日米中の三国で「靖国参拝を言外にする」以外のすべてを事前に取りきめていたのではないかと疑われるほどの無定見ぶりだが、恐らくそうではないだろう。妥協なのではなく、あの政治家の案外のホンネなのかもしれない。

 政治家は思想家と違って行動で自分を表現すると前に書いたが、いったん口外した政治家の言葉は政治家の行動であって、もう後へは戻れない。村山談話、河野談話、祖父の戦争責任等の容認発言は、「戦後っ子」の正体暴露であって、恐らくこういうことになるだろうと私が『正論』10月号でこれまた予言した通りの結果になった。

 しかし解せないのは、中国は日本の資金を必要としているかもしれないが、日本はいま緊急に中国を必要としていない。国家の精神を売り渡すようなリップサービスをするまでの苦しい事情は日本にはない。

 とすれば、足立氏も書いている通り、また私が「小さな意見の違いは決定的違いということ」(六)()で示した通り、「中国とうまくやれ」という米国のサインに過剰に応じたのであろう。遊就館展示問題から従軍慰安婦問題まで米議会が介入して来た要請にひたすら応じ、中国にではなく、米国に顔を向けて、言わずもがなの発言を繰り返したと解するべきだろう。

 米国に対するこの種の精神の弱さは次に何を引き起こすであろうか。

 近づく2007年に郵政法案は実施される。そうなれば340兆円を擁する郵政公社は民営化され、民間会社になる。前にも私がさんざん言って来た通り、資産と運用は区別されることになっている。運用を外資に委ねることは民間会社の自由である。

 郵貯の金を外資に自由にさせないために法的歯止めをかけようとした議員たちは、「小泉劇場選挙」でみな落選させられたか、無所属に追いやられてしまった。竹中平蔵氏は一見退いたかに見えて、経済閣僚はみな彼の流れに属している。政策執行の上の直接の官僚組織に彼の手兵がずらりと配置されている。

 安倍内閣は竹中氏のいわば監督下にある。竹中氏がアメリカのエージェントであることはつとに知られている。そして、米政府の内部も最近陣容が変わり、金融政策家たちはゴールドマンサックス系で占められるようになってきた。

 ここから先は半ば私の推理だが、安倍首相の北京での歓迎は次の方向を示している。民営化された郵便貯金銀行の運用権がゴールドマンサックスなどの手に委ねられ、日本の国民のあの虎の子の巨額が中国に投資される可能性がきわめて高いと考えられる。穴のあいたザルのようなあの国にわれわれの大切な預金が投資されるのである。

 投資は経済行為であって、援助でも供与でもない。委託を受けた外国企業が何処で何をしようと日本国民に対し気兼ねする必要はないし、日本政府の関与の外である。

 日本の資本家もこれに参加し、利を求めて群がるだろう。景気はさらに上昇するだろう。良かった良かったと手を叩いて喜ぶ人もいるだろう。しかしいつバブルがはじけてご破算にならないとも限らない。

 靖国参拝を止めさせようと昭和天皇のご発語という禁じ手を使ったのは他のどの新聞でもない、『日本経済新聞』であった。

 この国の資本家たちには愛国心も、国境意識もない。彼らの意を受けている自由民主党は、日本の伝統や歴史を尊重する、言葉の真の意味における保守政党ではもはやない。

 私は安倍内閣の発足時に「教育改革」と聞いて課題を逃げているとすぐに思った。「教育改革」はたゞの掛け声に終るのが常である。お巫山戯めいたメンバーの名を見るまでもなく、内閣の政治宣伝効果の狙いを満たすことさえも覚束ないことは最初から分っていた。

 いつの時代でも、政治家が「教育改革」を言い出したときには、本気で何かをしないための時間稼ぎであり、見映えの良い前向きの大見栄を切ってみせたいポーズであり、パフォーマンスの一種であると思ったほうがいい。

 中国経済のバブル崩壊は近いと噂されているこの時期に、日本国民の永年の勤勉の結晶が、米国投資家の手をぐるりと回って中国に投資される可能性を、私はまず第一に心配している。安倍内閣がやりそうなことだからである。われわれの汗と血の結晶はあの大陸の荒野に吸いこまれて空しくなるのである。

 第二の心配は、米国が日本にMD(ミサイル防衛網)を押しつけ、大金をまき上げ、しかるうえに軍事情報の中枢をいっそうしっかり握って、日本を押さえこみ、中国にその分だけ恩を着せるという構造が固定化されることである。

 朝鮮半島の非核化よりも日本の非核化のほうがはるかに彼らにとって重大な関心事のはずである。

 北の核実験の宣言以来、一番気になるのは米国がどう最終政策を立てているのか、本当の腹が読めないことである。その点では悲しいことに金正日とわれわれはある種の仲間である。

 軍事制裁はしないと端(はな)から言っている米国は、中国と組んで金正日排除をほんとうにやる気なのか、それとも北に核保有国の地位を与えるつもりなのか、目的地は見えない。

 金正日を排除した後に、中国の勢力圏としての北の位置づけ(韓国中心の半島統一はしないこと)を米国がどう保証するかが、中国にとり問題の中心なのではないか。唐家璇前外相の緊急の訪米訪露はそこまで話合っているかどうか気になるが、これまたまったくわれわれには見えない。

 いずれにせよわれわれは袋の鼠である。国内が無責任になり、無気力になり、投げ槍になるのは当然であるのかもしれない。

 安倍首相はひとつでもいい、米国の指令ではない独自の外交政策を打ち出し、東アジアのリーダーの実をみせて欲しい。

 そうすれば100個の教育再生会議をつくるより、はるかに効果的な、はるかに強く国民を鼓舞する「教育再生」の有効な役割を果すことが可能となるであろう。

つづく

北朝鮮核問題(一)

 「秋の嵐」という新しい連載を始めたばかりですが、時局が急を告げているので中断し、「北朝鮮核問題」(一)(二)を掲げます。(一)は足立誠之氏のゲストエッセイ(緊急投稿)です。

足立誠之(あだちせいじ)
トロント在住、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

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 秒読み迫る北朝鮮情勢

 北朝鮮の核実験と、今起きている事柄を並べてみたい。

 今年に入り、国連安保理で、5月のスーダン決議、北朝鮮のミサイル実験に係わる決議案、イランウラン濃縮に関する決議案に中国は賛成した。従来これらの問題で中国は常に、拒否権をちらつかせ、障害となってきた。

 中国銀行は北朝鮮不正取引に係わる資金移動阻止で米国に協力を約した。

 日本では、何故「アジア外交の再建」が執拗に叫ばれるのか。又、何故、昭和天皇のご発言に係わる、富田メモが絶妙のタイミングで公表されたのか。

 米国議会は何故、唐突に民主党議員が「日本の次期首相靖国訪問しない」旨の発言を要求し、従軍慰安婦非難決議を下院委員会が行った。それが、安倍首相の訪中訪韓が決定すると、下院は、従軍慰安婦非難決議を取り下げた。何故なのか。

 米国が、米国の意図に背く、「太陽政策」を採ってきた反米韓国の、外交通商相の国連事務総長就任を何故認めたのか。裏になにもなかったのか。

 安倍政権発足と、急遽の訪中訪韓の決定。何故、中国は態度を急変させ首脳会談を受け入れたのか。これらの事柄は命脈のない出来事ではない。

<中国・北朝鮮関係>

 1949年、中国人民解放軍は中国本土から国民政府軍を駆逐し、10月1日、中華人民共和国の成立が宣言された。さらに台湾解放を準備しつつあった。1950年6月、北朝鮮軍は38度線を突破南下、韓国のほぼ全土を掌握する。米軍を中心とする国連軍が反撃し、鴨緑江、中朝国境に迫った。中国は義勇軍を派遣し、戦争は一進一退し最終的に38度線付近が停戦ラインとなる。

 中国の介入の理由は、周辺への影響力の維持である。

 しかし、朝鮮戦争により、台湾解放は未だになっていない。中国の北朝鮮への恨みは強い。(中国外交部スタッフ複数から聴取。朝鮮戦争は北朝鮮が起こした不必要迷惑な戦争であったというのが彼等の認識である)両国が口にする「地の団結」など表向きのことで、本来存在しない。

 共産主義国家北朝鮮は国境を接する中国には必要であったが、金日成は迷惑な存在であった。金正日はそれに輪をかけた迷惑な存在であろう。中国の援助、忍耐に甘えながら、米国との二国間関係を模索し、中国の意向に沿わない勝手な行動をとる。

 日本の制裁で中国の負担は益々高まりつつある。中国の寛容にも限度がある。

<米中関係> 

 中国は大量破壊兵器・運搬手段を懸念国へ輸出、米国はそれに制裁を加えてきた。しかしその政策の効果が上がらない。05年6月ブッシュ大統領はExecutive Order 13382 を施行し、違反企業、それを金融などで支援した企業に対する在米資産凍結権限を財務長官に付与した。それまで中国は、中国領土内の空港、港湾、鉄道などの施設を自由に使わせており、北朝鮮から、ミサイルなどの輸出も放任されていた。それは不可能になった。

 中国企業の米国内での資本市場で、IPOなどでの資金調達がほとんどできなくなった。中国国内資本市場は殆ど機能していない。中国の金融機関の不良債権は、極めて危険な段階にある。

 中国の国内では、国有企業のリストラ、農村の崩壊で、健康保険、年金などのセーフティーネットが崩壊した。これをカバーする”草の根”NGOが中国全土で動き出し、その資金は海外(主に米国と思われる)から出ている。中国自体の存続すら危うい状態である。一方、中央の権力闘争も、上海市総書記の汚職がらみの解任などで、激しさを増している。胡錦濤政権は、危うい中で生き残りを図っている。ともあれ、米国の対中包囲網の威嚇は強まるであろう。

<米国の北朝鮮問題政策> 

 クリントン政権の”米朝枠組み合意”は失敗した。USCCは北朝鮮の核問題への対応政策を中国に行わせることとした。

 経済など北朝鮮の生殺与奪は中国が握っていることから、中国に圧力をかけて、問題を解決させることを基本政策として定めた。その圧力は如何にしてかけるのか、それが、鍵であろう。

 昨年9月の中国国籍Banco Central Asiaの北朝鮮資金凍結は、先ず、Banco Central Asiaの持つ米国内資産凍結から始まる。Banco Central Asiaは自ら保有する北朝鮮のマネーローンダリング口座を凍結しない限り、同銀行の在米思案が凍結されることになった。中国銀行が北朝鮮の不正取引に係わる資金取引阻止に協力しない限り、中国銀行の在米資産凍結の危険が常に存在することになる。中国銀行は、北朝鮮の不正資金の凍結協力せざるを得なくなった。協力しなければ、中国銀行の在米資産は凍結され、中国経済は万事休すとなる懸念すら孕む。

 米国の大義名分は北朝鮮の核武装、人権、日本人拉致と固まりつつある。

 米国のExecutive Order 13382 で、北朝鮮の中国経由のミサイル輸出は困難になり、愛国者法による北朝鮮の不正取引にかかわる金融制裁、日本の北朝鮮に対する経済制裁は、確実に北朝鮮を追い詰めつつある。

<秒読みに入る米国の対北朝鮮処理>

 北朝鮮の核実験は、米、中、韓いずれにとっても、金正日の追放の大義名分は整った。

 何よりもこれは、イラクで苦戦するブッシュ政権にとって起死回生となる。

 米国は、中国、日本、韓国を巻き込み、北朝鮮処理の最終段階に入りつつある。

 中国は、北朝鮮への自国の影響力が及ぶ、緩衝地帯が北朝鮮に存在すれば、金正日政権でなくともよい。満州吉林省には、朝鮮族自治区もある。傀儡政権も考えられる。韓国政権はレームダックとなった。日本に金正日政権の崩壊に反対する勢力は皆無である。米国が日本に靖国、従軍慰安婦の唐突な要求は、「急いで中韓とうまくやれ」のシグナルである。それがどうやら成功しつつある。

 米国が望むのは、最早6カ国会議の再開ではない。北朝鮮による、核実験の実施である。朝鮮半島問題、東アジア問題は大きく転換しつつある。

秋の嵐(一)

 晩夏から秋に入っても、今年は雨が多かった。10月6日には関東は嵐に襲われ、ある会合に出ていた私はタクシーを拾えず、ずぶ濡れになって帰った。

 9月は月の半分を軽井沢で過したが、雨ばかりだった。一夕知人を迎えて草津の温泉宿に遊んだ。が、その日も強い雨だった。

 浅間山の稜線がくっきり美しく明晰に見えたのは滞在も終りに近い最後の二、三日だけだった。私は山荘で独居し、読書ばかりしていた。選んだのはゲーテだった。暫らくして当「日録」のゲストコーナーに伊藤悠可さんが登場して下さって、書かれた文章の主題をみたらゲーテだったので私は偶然に驚いた。

 このところ私が日々何を勉強し、誰と会い、どういう会合や対談に参加しているか、「日録」らしい記録を提示していなかったので、9月末から10月6日の嵐の日までに身辺に起こった毎日の出来事を少し丁寧に語って、報告を兼ねて、近事の感懐を述べておきたい。

 今年の6月イギリスを旅行したときにエミリー・ブロンテ『嵐が丘』の古跡を見る予定になっていたので、この長篇小説の新潮文庫訳を持参し、往路の機内とバスの車内で全巻を読み切った。むかし子供向きのあらすじを綴った簡略本でしかこの小説をまだ読んでいなかったからである。

 しかし感動は乏しかった。30歳で病死した若い女性の頭の中の妄想がこの小説の内容のすべてではないかとさえ思った。最後まで読ませるのは構成がよく出来ているせいである。登場人物がすべて異常人格で、語り手の老女だけが僅かに人間としてまともである。こんな世界はどうみても不自然である。

 昭和の初期に西洋の長篇小説に対抗できない日本の文壇は、「私小説」は小説でないといって自嘲ぎみに自信を失っていたが、誰かある作家がこう言ったものだ。「西洋の長篇小説は要するに偉大な通俗文学である。」

 『嵐が丘』は復讐ドラマとしてみても観念的で、一本調子で、この世にあり得ない話である。あれだけ長い作品の中に、人間や人生に関する深い観察のことばがまったくといっていいほど出てこない。全篇これ若い女の妄想の域を出ていない、と言ったのはそのような意味をこめて言った積りである。

 軽井沢で読んだゲーテはドイツ語の格言集や日本語翻訳の長編小説などいろいろあるが、『親和力』を望月市衛訳で久し振りに読み直した。私も年をとって発見したのだが、小説の上手下手、出来映えの良し悪しではなく、人間や人生に関する含蓄のある観察のことばが随所にあるか否かが、作の魅力のきめ手である。

 ゲーテは人間をよく観ているな、とたびたび思う。が、意地悪な眼でじろじろ見ているのではない。何処を引用してもいいが、こんな例はどうか。


 「それはたいへん結構なことです。」と助教は答えた。
 「婦人はぜひとも各人各様の服装をすべきでしょう。どんな婦人も自分にはほんとうはどんな服装が似合い、ぴったりするかを感じ得るようになるために、誰もがそれぞれの服装を選ぶべきでしょう。そしてもっとも重要な理由は、婦人が一生を通じてひとりで生活し、ひとりで行動するように定められているからです。」

 「それは反対のように考えられますわ。」とシャルロッテは言った。
 「わたしたちはひとりでいることは殆どありませんもの。」

 「確かに仰しゃるとおりです!」助教は答えた。
 「他の婦人たちとの関係においては、そのとおりです。しかし愛する者、花嫁、妻、主婦、母親としての婦人をお考えになって下さい。婦人はいつも孤立し、いつもひとりであるし、ひとりであろうとします。社交ずきな婦人もその点では同じです。どの婦人もその本性からして他の婦人とは両立できません。どの婦人からも女性のすべてが果さなくてはならない仕事の全部が要求されるからです。男性にあってはそうではありません。男性は他の男性を必要とします。自分がほかに男性が存在しなかったら、自らそれを創造するでしょう。婦人は千年生きつづけても婦人を創造しようとは考えないでしょう。」

 よく日本の小説について女が描けているかどうかが取沙汰される。例えば漱石の『明暗』は男を全然描けていないが、女は良く描けている、などと。しかしゲーテが何げない登場人物に語らせているこの対話は、女が描けているかどうかの話ではない。

 私は詳しく解説する積りはない。読者はオヤと何かを感じ、考えるだろう。ことに女性の読者は大概納得するだろう。否、男性の読者もわが母、わが妻、わが娘を見て、あるいは職場における同僚の女性の生活を見て、正鵠を射ているなときっと思うだろう。

 女性の強さも、悲しさも、けなげさも、そしてその確かさも全部言い当てていると恐らく思うだろう。女性を突き離しているのではなく、包みこむようにして見ているゲーテの大きさをも感じるだろう。