石原萠記さんへの感謝

 石原萠記さんが亡くなった。5月20日に東海大学校友会館でお別れの会が開かれた。その際「皆さまからいただいた思い出の一言」と題した200人余の文章を蒐めた小冊子が配られた。私もその中に参加していた一人だった。私の「思い出の一言」は次の文章である。

 29才のときに書いた「私の『戦後』観」が自由新人賞に選ばれたとき私は翌年夏にドイツに留学することが決まっていた。選者は竹山道雄、福田恆存、林健太郎、平林たい子、関嘉彦、武藤光朗の諸先生であったが、石原萠記編集長も正式に選者の一人だった。

 私はドイツから編集長の指示にしたがい3本のドイツ観察記を送った。右翼政党NPDの初登場をめぐる喜劇的スケッチもその中にある。(単行本未収録、全集で拾い上げた。)

 私は自分の留学を文明論的考察の対象にしようと意気込んでいた。思えば幼い気負いである。鴎外や荷風のヨーロッパ体験がたえず念頭にあった。まだそういう自尊のポーズが失われないですむような時代だった。帰国したらすぐに連載を始めたい。それを可能にしてくれたのは『自由』であり、わけても石原編集長だった。

 こうして出来上がったのが『ヨーロッパ像の転換』である。石原氏は帰国した私にやさしかった。1960年代は周知の通り左翼全盛の時代だった。しかし今と違って、左翼にも相手の存在を尊重する言葉への信頼がまだあった。石原氏はその嵐の中をもまれて戦った戦士だった。

 60年代は『世界』と『自由』が知的言論界を二分した。その安定した対決のバランスを壊したのは70年安保であり、三島事件だった。にわかに言葉より行動が求められる気流の変化が生じ、それはいたずらにささくれ立ち、次に無気力、無関心、無感動のムードに取って替わるようになっていった。

ishihara

もうひとつのポピュリズム

 大学教養部時代の友人のY君(西洋史学科へ進んでテレビ会社に勤務した旧友)から6月9日に学士会夕食会の講演会でEUに関する講演を聞いたといい、そのときのペーパーと講師の論文を送ってきた。講師は北大の遠藤乾さんという国際政治学者で、最近中公新書で『欧州複合危機』という本を出しているらしい。私はその本を読んでいないが、Y君には次のような感想を送った。一枚の葉書の表裏にびっしり書くとこれくらいは入るのである。

 拝復 欧州新観察のペーパー及論考一篇ありがとうございます。フランスの選挙結果は、私には遠藤氏と違って、健全のしるしではなく、フランスのドイツへの屈服、ドイツと中国(暗黒大陸)との野心に満ちた握手、反米反日の強化、等々でフランスには幸運をもたらさないように思えてなりません。

 フランスは衰弱が加速している国です。それなのに自由、平等、博愛のフランス革命の理念に夢を追いつづける以外に「ナショナルアイデンティ」を見ることのできない今のフランス国民は、ルペン支持派とは別の、もう一つのポピュリズムに陥っているのではないでしょうか。マクロンもまたポピュリズムの産物だと私は言いたいのですが、いかがでしょうか。

 フランスは三つに分裂している国です。(A)ドイツに支配されてもいい上流特権階層(B)反独・国境死守のルペン派(C)共産党系労働者階層の三つで、この三分裂は欧州各国共通です。一番現実的なのは(B)で、(A)(C)はフランス革命前からずっとつづく流れです。

 (A)が勝ったので、イスラム系移民が増大し、フランス経済は悪化し、マクロンは早晩窮地に立たされるのではないでしょうか。

                           以上 勝手ご免

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8年前の拙論

 以下の産經コラム「正論」の拙論「敵基地調査が必要ではないか」は、平成21年(2009年)5月26日である。私の原題は、「これ以上の覚悟なき経済制裁は危険」であった。表題は、このときには私に無断で替えられた。

 あれから8年間、我が国政府首脳はつねにただ「経済制裁の強化」を口にするだけだった。私は日本人である前に、人間であり、そして人間である前に、生物である。

 政府も、メディアも、私同様に内心に恐怖を蔵していないはずはない。それなのに、今日も静かに、平和な一日が過ぎて行く。

 皆さん!黙っていていいのだろうか。国内が全土を挙げてヒステリーになる時が近づいている。もう一度言う。私がこれを書いてから8年も経っているのだ。もうここに書いたようなレベルでは間に合わなくなっていることを勿論私は知っている。これからもすべてがどんどん間に合わなくなる。

産經新聞平成21年5月26日付 コラム【正論】欄より

評論家・西尾幹二 敵基地調査が必要ではないか

 ≪≪≪戦争と背中合わせの制裁≫≫≫

 東京裁判でアメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人は、日本に対する経済的圧力が先の戦争の原因で、戦争を引き起こしたのは日本ではなく連合国であるとの論証を行うに際し、パリ不戦条約の起案者の一人であるケロッグ米国務長官が経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介した。日米開戦をめぐる重要な論点の一つであるが、今日私は大戦を回顧したいのではない。

 経済制裁、経済封鎖が戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対してすでに「宣戦布告」をしているに等しいのではないか。北朝鮮がいきなりノドンを撃ち込んできても、かつての日本のように、自分たちは「自衛戦争」をしているのだと言い得る根拠をすでに与えてしまっているのではないか。

 勿論(もちろん)、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、という言い分がわが国にはある。しかし、経済制裁に手を出した以上、わが国は戦争行為に踏み切っているのであって、経済制裁は平和的手段だなどと言っても通らないのではないか。
 
≪≪≪北の標的なのに他人事?≫≫≫

 相手がノドンで報復してきても、何も文句を言えない立場ではないか。たしかに先に拉致をしたのが悪いに決まっている。が、悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうか分からない。武器さえ使わなければ戦争行為ではない、ときめてかかっているのは、自分たちは戦争から遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊(うかつ)さ、ぼんやりのせいである。北朝鮮が猛々(たけだけ)しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵(ののし)っているのをアメリカや他の国は笑ってすませられるが、日本はそうはいかないのではないだろうか。

 アメリカは日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。そう思わないのは日本だけである。この誤算がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからである。核の再被爆国になっても、何で早く手を打たなかったのかと、他の国の人々は日本の怠惰を哀れむだけだからである。

 拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、途轍(とてつ)もなく危ういことなのである。

 『Voice』6月号で科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っている。「独裁国家が強力な破壊力をもつ軍事技術を有した場合、それを使わなかった歴史的な事例を見つけることはできない」と。

 よく人は、北朝鮮の核開発は対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だと言うが、それはアメリカや他の国が言うならいいとしても、標的にされている国が他人事(ひとごと)のように呑気(のんき)に空とぼけていいのか。北の幹部の誤作動や気紛れやヒステリーで100万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って本当の問題から逃げることは許されない。
 
≪≪≪2回目の核実験を強行≫≫≫

 最近は核に対しては核をと口走る人が多い。しかし日本の核武装は別問題で、北を相手に核で対抗を考える前にもっとなすべき緊急で、的を射た方法があるはずである。イスラエルがやってきたことである。前述の「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する」用意周到な方法への準備、その意志確立、軍事技術の再確認である。私が専門筋から知り得た限りでは、わが自衛隊には空対地ミサイルの用意はないが、戦闘爆撃機による敵基地攻撃能力は十分そなわっている。トマホークなどの艦対地ミサイルはアメリカから供給されれば、勿論使用可能だが、約半年の準備を要するのに対し、即戦力の戦闘爆撃機で十分に対応できるそうである。

 問題は、北朝鮮の基地情報、重要ポイントの位置、強度、埋蔵物件等の調査を要する点である。ここでアメリカの協力は不可欠だが、アメリカに任せるのではなく、敵基地調査は必要だと日本が言い出し、動き出すことが肝腎(かんじん)である。調査をやり出すだけで国内のマスコミが大さわぎするかもしれないばからしさを克服し、民族の生命を守る正念場に対面する時である。小型核のノドン搭載は時間の問題である。例のPAC3を100台配置しても間に合わない時が必ず来る。しかも案外、早く来る。25日には2回目の核実験が行われた。

 アメリカや他の国は日本の出方を見守っているのであって、日本の本気だけがアメリカや中国を動かし、外交を変える。六カ国協議は日本を守らない。何の覚悟もなく経済制裁をだらだらつづける危険はこのうえなく大きい。(にしお かんじ)
平成21年 (2009) 5月26日[火] 先勝

目ざとい「朝日」の反応

  私は産經新聞6月1日付(前掲)記事において、次のような文章を最後に加えておいた。勿論これは削除されたが、文章の分量が完全にはみ出ていたので、この件の削除に私は異論はない。たゞそこで示唆していた内容がメディアのその後の小さな動きに関連していたので、再録しておく。

 安倍氏は第一次内閣のとき、左翼へ「翼(ウィング)」を広げると称して野党やメディアに阿り、かえってそこを攻撃の対象とされ、他方、味方である核心の保守層からは愛想を尽かされた。今またまったく同じことが始まっている。

 読者は次のようなことを思い出して下さるだろうか。第一次安倍内閣のころ安倍氏は、目立たぬ時期にあらかじめ靖国に行っておいて、「靖国に行ったとも行かなかったとも自分は言わない」と煙幕を張り、間もなく村山談話、河野談話を自分は認めると発言し、祖父の戦争犯罪をまで認知してしまった。いったい安倍さんはどうなっちゃったんだろう、と保守の核心層はひどくびっくりもし、がっかりもしたことを皆さまは覚えておられるだろうか。

 これが「ブレーン」と称する5-6人の取り巻き言論人のアイデアに基づく戦略的発言であったことは後日だんだん分ってきた。こんな姑息なことはしなければ良いのに、と第一次安倍内閣を歓迎していた私などは落胆したものだった。5-6人の取り巻きの名前なども新聞その他に公表されるようになった。天下周知の事柄になった。

 そこで、私の今回の産經発言だが、これにただちに反応したのは朝日新聞(6月4日付二面)で、私からの引用の後に、期せずして次のような内容が記されているの知った。私は新たな発見に目を見張った。

 一方、首相を支えてきた保守論壇にとっては、9条2項削除を含む抜本改正が主流で、今回の提案は「禁じ手」(荻生田光一官房副長官)だった。論客の一人、西尾幹二氏は6月1日付の産経新聞で、首相の9条改正案を「何もできない自衛隊を永遠化するという、空恐ろしい断念宣言」「腰の引けた姿勢」と批判した。だが、首相には、戦後70年談話、慰安婦問題での日韓合意に続き、反発は自身が抑えられるという読みがある。事実、首相提案の環境整備ともいうべき動きが進んでいた。

 「憲法改正には2年ほどしか時間がない。公明にも配慮することにもなるが、現憲法に欠けた言葉を挿入するだけで、目的をある程度達成することができる」

 参院選後の昨年7月末、首相のブレーンと言われ、日本会議の政策委員でもある伊藤哲夫氏が講演で語った言葉が、関連団体のフェイスブックのページに残る。

 この時、一緒に講師を務めた西岡力・麗澤大客員教授は翌月、新聞紙上で9条1、2項を残し、3項に自衛隊の存在を書き込む案を例示した。

 伊藤氏は9月、自身が代表を務めるシンクタンクの機関紙に「『三分の二』獲得後の改憲戦略」とする論考を発表。「改憲はまず加憲」からと前置きしたうえで、9条に、3項として自衛隊の根拠規定を加える案を提言。「公明党との協議は簡単ではないにしても進みやすくなるであろうし、護憲派から現実派を誘い出すきっかけとなる可能性もある」と説いた。

 伊藤氏とかつて全共闘に対抗する学生運動を共にした仲間で、首相側近の衛藤晟一首相補佐官はこのころ、太田氏にささやいた。「9条は(自衛隊の)追加ということでお願いします」

 憲法9条1項、2項を残して3項を新設するという5月3日の安倍発言にはまたしても、ブレーンと称する人々の入れ智恵があったのである。安倍さんは自分で考えたのではない。他人にアイデアを与えられている。「今まったく同じことが始まっている」と私が産經論文の結びに書いた一文は証拠をもって裏付けられた形である。

 森友学園も加計学園もそれ自体はたいした事件ではないと私は思う。けれども思い出していたゞきたい。第一次安倍内閣でも閣僚の事務所経理問題が次々とあばかれ、さいごに「バンソウ膏大臣」が登場してひんしゅくを買い、幕切れとなったことを覚えておられるだろう。野党とメディアは今度も同じ戦略を用い、前回より大規模に仕掛けている。

 同じ罠につづけて二度嵌められるというのは総理ともあろうものが余りに愚かではないだろうか。しかも同じ例のブレーンの戦略に乗せられてのことである。

 憲法改正3項新設もこの同じ罠の中にある。

 安倍さんは人を見る目がない。近づいてくる人の忠誠心にウラがあることが読めない。「脇が甘い」ことは今度の件で広く知れ渡り、今は黙っている自民党の面々も多分ウンザリしているに相違ない。

 保守の核心層もそろそろ愛想をつかし始めているのではないだろうか。櫻井よしこ氏や日本会議は保守の核心層ではない。

北朝鮮の脅威が増す中、9条2項に手をつけない安倍晋三首相の改憲論は矛盾だ

seironnishio
平成29年6月1日 産経新聞 正論欄より
 評論家・西尾幹二

 北朝鮮情勢は緊迫の度合いを高めている。にらみ合いの歯車が一寸でも狂えば周辺諸国に大惨事を招きかねない。悲劇を避けるには外交的解決しかないと、近頃、米国は次第に消極的になっている。日本の安全保障よりも、自国に届かないミサイルの開発を凍結させれば北と妥協する可能性が、日々濃くなっているといえまいか。

 今も昔も日本政府は米国頼み以外の知恵を出したことはない。政府にも分からない問題は考えないことにしてしまうのが、わが国民の常である。が、政府は思考停止でよいのか。軍事的恐怖の実相を明らかにし、万一に備えた有効な具体策や日本独自の政治的対策を示す義務があるのではないか。

≪≪≪防衛を固定化する断念宣言だ≫≫≫

 そんな中、声高らかに宣言されたのが安倍晋三首相の憲法9条改正発言である。しかしこれは極東の今の現実からほど遠い不思議な内容なのだ。周知のとおり、憲法第9条1項と2項を維持した上で自衛隊の根拠規定を追加するという案が首相から出された。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が2項の内容である。

 この2項があるために、自衛隊は手足を縛られ、武器使用もままならず、海外で襲われた日本人が見殺しにされてきたのではないだろうか。2項さえ削除されれば1項はそのままで憲法改正は半ば目的を達成したという人は多く、私もかねてそう言ってきた。

 安倍首相は肝心のこの2項に手を触れないという。その上で自衛隊を3項で再定義し、憲法違反の軍隊といわれないようにするという。これは矛盾ではないだろうか。陸海空の「戦力」と「交戦権」も認めずして無力化した自衛隊を再承認するというのだが、こんな3項の承認規定は、自ら動けない日本の防衛の固定化であり、今までと同じ何もできない自衛隊を永遠化するという、空恐ろしい断念宣言である。

 首相は何か目に見えないものに怯(おび)え、遠慮し、憲法改正を話題にするたびに繰り返される腰の引けた姿勢が今回も表れたのである。

≪≪≪政治的配慮の度が過ぎないか≫≫≫

 「高等教育の無償化」が打ち出されたのも、維新の会への阿(おもね)りであるといわれるとおり、政治的配慮の度が過ぎている。分数ができない大学生がいるといわれる。高等教育の無償化はこの手の大学の経営者を喜ばせるだけである。

 教育には「平等」もたしかに大切な理念だが、他方に「競争」の理念が守られていなければバランスがとれない。国際的にみて日本は学問に十分な投資をしていない国だ。とはいえ大学生の一律な授業料免除は憲法に記されるべき目標では決してない。苦しい生活費の中から親が工面して授業料を出してくれる、そういう親の背中を見て子は育つものではないか。何でも「平等」で「自由」であるべきだとする軽薄な政治的風潮からは、真の「高等教育」など育ちようがないのである。

もう一つの改憲項目に「大災害発生時などの緊急時に、国会議員の任期延長や内閣の権限強化を認める」がある。趣旨は大賛成だが、真っ先に自然災害が例に掲げられ、外国による侵略を緊急事態の第一に掲げていない甘さ、腰の引け方が私には気に入らない。

 明日にも起こるかもしれないのは国土の一部への侵略である。憲法に記載されるべきはこの事態への「反攻」の用意である。

 ちなみにドイツの「非常事態法」は外国からの侵略と自然災害の2つに限って合同委員会を作り、一定期間統率権を付与するということを謳(うた)っている。ヒトラーを生んだ国がいち早く“委任独裁”ともいうべき考え方を決定している。

≪≪≪2項削除こそが真の現実的対応≫≫≫

 今の国会の混乱は政府が憲法改正の声を自ら上げながら、急迫する北朝鮮情勢を国民に知らせ、一定の覚悟や具体的用意を説くことさえもしようとしないため、何か後ろめたさがあるとみられて、野党やメディアに襲いかかられているのである。中途半端な姿勢で追従すれば、かえって勢いづくのがリベラル左派の常である。
 
 現実主義を標榜(ひょうぼう)する保守論壇の一人は『週刊新潮』(5月25日号)の連載コラムで「現実」という言葉を何度も用いて、こう述べている。衆参両院で3分の2を形成できなければ、口先でただ立派なことを言っているだけに終わる。最重要事項の2項の削除を封印してでも、世論の反発を回避して幅広く改憲勢力を結集しようとしている首相の判断は「現実的」で、評価されるべきだ-と。
 だが果たしてそうだろうか。明日にも「侵攻」の起こりかねない極東情勢こそが「現実」である。声を出して与野党や一部メディアを正し、2項削除を実行することが、安倍政権にとって真の「現実的」対応ではあるまいか。憲法はそもそも現実にあまりにも即していないから改正されるのである。

 日本の保守は、これでは自らが国家の切迫した危機を見過ごす「不作為加憲」にはまっているということにならないか。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)

施線部分は、私の書いた原文では、
 「櫻井よしこ氏は五月二十五日付『週刊新潮』で、『現実』という言葉を何度も用い、こう述べている」と書かれていました。櫻井氏の名前は出さないで欲しい、という新聞社の要望に従い前記のように改めました。要望は、同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないからだ、という理由によるものでした。周知の通り私は批判する相手の名を隠さない方針なので、少し不本意でした。名を伏せるとかえって陰険なイメージをかき立てるのではないかと憂慮するからです。