北朝鮮の脅威が増す中、9条2項に手をつけない安倍晋三首相の改憲論は矛盾だ

seironnishio
平成29年6月1日 産経新聞 正論欄より
 評論家・西尾幹二

 北朝鮮情勢は緊迫の度合いを高めている。にらみ合いの歯車が一寸でも狂えば周辺諸国に大惨事を招きかねない。悲劇を避けるには外交的解決しかないと、近頃、米国は次第に消極的になっている。日本の安全保障よりも、自国に届かないミサイルの開発を凍結させれば北と妥協する可能性が、日々濃くなっているといえまいか。

 今も昔も日本政府は米国頼み以外の知恵を出したことはない。政府にも分からない問題は考えないことにしてしまうのが、わが国民の常である。が、政府は思考停止でよいのか。軍事的恐怖の実相を明らかにし、万一に備えた有効な具体策や日本独自の政治的対策を示す義務があるのではないか。

≪≪≪防衛を固定化する断念宣言だ≫≫≫

 そんな中、声高らかに宣言されたのが安倍晋三首相の憲法9条改正発言である。しかしこれは極東の今の現実からほど遠い不思議な内容なのだ。周知のとおり、憲法第9条1項と2項を維持した上で自衛隊の根拠規定を追加するという案が首相から出された。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が2項の内容である。

 この2項があるために、自衛隊は手足を縛られ、武器使用もままならず、海外で襲われた日本人が見殺しにされてきたのではないだろうか。2項さえ削除されれば1項はそのままで憲法改正は半ば目的を達成したという人は多く、私もかねてそう言ってきた。

 安倍首相は肝心のこの2項に手を触れないという。その上で自衛隊を3項で再定義し、憲法違反の軍隊といわれないようにするという。これは矛盾ではないだろうか。陸海空の「戦力」と「交戦権」も認めずして無力化した自衛隊を再承認するというのだが、こんな3項の承認規定は、自ら動けない日本の防衛の固定化であり、今までと同じ何もできない自衛隊を永遠化するという、空恐ろしい断念宣言である。

 首相は何か目に見えないものに怯(おび)え、遠慮し、憲法改正を話題にするたびに繰り返される腰の引けた姿勢が今回も表れたのである。

≪≪≪政治的配慮の度が過ぎないか≫≫≫

 「高等教育の無償化」が打ち出されたのも、維新の会への阿(おもね)りであるといわれるとおり、政治的配慮の度が過ぎている。分数ができない大学生がいるといわれる。高等教育の無償化はこの手の大学の経営者を喜ばせるだけである。

 教育には「平等」もたしかに大切な理念だが、他方に「競争」の理念が守られていなければバランスがとれない。国際的にみて日本は学問に十分な投資をしていない国だ。とはいえ大学生の一律な授業料免除は憲法に記されるべき目標では決してない。苦しい生活費の中から親が工面して授業料を出してくれる、そういう親の背中を見て子は育つものではないか。何でも「平等」で「自由」であるべきだとする軽薄な政治的風潮からは、真の「高等教育」など育ちようがないのである。

もう一つの改憲項目に「大災害発生時などの緊急時に、国会議員の任期延長や内閣の権限強化を認める」がある。趣旨は大賛成だが、真っ先に自然災害が例に掲げられ、外国による侵略を緊急事態の第一に掲げていない甘さ、腰の引け方が私には気に入らない。

 明日にも起こるかもしれないのは国土の一部への侵略である。憲法に記載されるべきはこの事態への「反攻」の用意である。

 ちなみにドイツの「非常事態法」は外国からの侵略と自然災害の2つに限って合同委員会を作り、一定期間統率権を付与するということを謳(うた)っている。ヒトラーを生んだ国がいち早く“委任独裁”ともいうべき考え方を決定している。

≪≪≪2項削除こそが真の現実的対応≫≫≫

 今の国会の混乱は政府が憲法改正の声を自ら上げながら、急迫する北朝鮮情勢を国民に知らせ、一定の覚悟や具体的用意を説くことさえもしようとしないため、何か後ろめたさがあるとみられて、野党やメディアに襲いかかられているのである。中途半端な姿勢で追従すれば、かえって勢いづくのがリベラル左派の常である。
 
 現実主義を標榜(ひょうぼう)する保守論壇の一人は『週刊新潮』(5月25日号)の連載コラムで「現実」という言葉を何度も用いて、こう述べている。衆参両院で3分の2を形成できなければ、口先でただ立派なことを言っているだけに終わる。最重要事項の2項の削除を封印してでも、世論の反発を回避して幅広く改憲勢力を結集しようとしている首相の判断は「現実的」で、評価されるべきだ-と。
 だが果たしてそうだろうか。明日にも「侵攻」の起こりかねない極東情勢こそが「現実」である。声を出して与野党や一部メディアを正し、2項削除を実行することが、安倍政権にとって真の「現実的」対応ではあるまいか。憲法はそもそも現実にあまりにも即していないから改正されるのである。

 日本の保守は、これでは自らが国家の切迫した危機を見過ごす「不作為加憲」にはまっているということにならないか。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)

施線部分は、私の書いた原文では、
 「櫻井よしこ氏は五月二十五日付『週刊新潮』で、『現実』という言葉を何度も用い、こう述べている」と書かれていました。櫻井氏の名前は出さないで欲しい、という新聞社の要望に従い前記のように改めました。要望は、同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないからだ、という理由によるものでした。周知の通り私は批判する相手の名を隠さない方針なので、少し不本意でした。名を伏せるとかえって陰険なイメージをかき立てるのではないかと憂慮するからです。

「北朝鮮の脅威が増す中、9条2項に手をつけない安倍晋三首相の改憲論は矛盾だ」への2件のフィードバック

  1. 付記により、事情がすべて分りりました。

    産経が、そのドル箱にして、安倍さんの提灯持ちの筆頭・スターたる桜井よしこさんをを傷つけたくないのは、当然以上です。
    しかし、その名は出さないにしても、内容を掲載したのは異数のことで、あれれと驚きましたが、その裏には、先生の強い御意向と御尽力があつたのですね。

    慶びに堪へません。衷心からの感謝を捧げ、先生の御健勝を祝します。

  2. “国家の名誉を全うするの道(陸奥宗光)”

    発言が長くなって恐縮ですが、これから仕事が忙しくなりそうですので今のうちにもう少し書かせて頂きます。申し訳ありません。

    河野洋平が5/31の講演で、「安倍は中国の神経に触ること、嫌がることばかりやっている」とペラペラ喋っています。中国か韓国の工作員である可能性の高いこの方は、中国や韓国の最も嫌がる、すなわち日本の安全と国益に叶う方向の9条改正にも次のように反対しています。無教養を反映して日本語のおかしいところもありますがネットにでた文字起こしの文章そのままです。護憲派の元祖でしょうか。こんな漢が自民党総裁や衆議院議長だったかと思うと背筋が寒くなります。戦後日本政治の惨状を体現するお一人のようです。まともな政治家の発言であれば個々の問題点をいくつか指摘する気にもなりますが、工作員の反日プロパガンダと見做せば、外国の国益に資する反対論として、さもありなんと聞き流すだけです。あるいは工作員というのも穿ち過ぎで単純に頭の悪い平和病患者に過ぎないのかも知れません。

    “9条は触るべきでない。このままでも国民の皆さんは納得しているんだからこのままでよいと私は思う。人によっては、自衛隊を、軍隊と言うべき自衛隊の存在がある以上、書くべきだと仰る方もあるが、私はそれは間違っている。つまり、憲法はいつでも現実に合わせて変えていくんじゃなくて、現実を憲法に合わせる努力をまずしてみるというのが先じゃないのか。いや、もちろん世界情勢の変化とかいろいろあるから、そんなこと言ってたら日本を潰すよと仰るかもしれない。しかし、何でも憲法が事実自体がこうなんだから憲法をこう変えましょうと。実情がこうだから憲法をこう変えましょう。憲法が現実を追いかけて歩いているなんてのは、憲法にはひとかけらの理想がないのかと私は言いたくなる。やはり憲法というのは一つの理想が込められてなきゃならんと思っているもんですから、私はこの憲法問題については全く合意できない”

    彼らいわゆる“売国リベラル”や左翼に対して、櫻井女史や小川栄太郎氏などの保守が安倍総理の9条への取組自体を数歩前進と評価したくなるのも理解できないわけではありません。しかし国内で本物の左翼だけでなく保守系リベラルを加えた護憲の大勢力を前にして、怯んだり、ためらったりする心理は畢竟、正面から正論で対決し、打ち破る勇気の欠如の反映にしか過ぎないのです。

    憲法は米国が作ったと米人自身が告白していること、占領期間中に作らされたもので元来無効なことを国民に上手に分かり易く説明することは国政を担う政治家の神聖な義務であり、その能力のない者は国会を去るべきです。この稚拙な河野や破廉恥な蓮舫の意見を論破できない者に日本の政治家の資格はありません。「反発する世論(櫻井)」が存在するなら「同調する世論」に変えるのが保守論客の役割ではないでしょうか。日本の有権者は国際的にみて識字率も知的水準も高く馬鹿ではありませんので孰れの意見が真っ当かの判断は出来るはずです。

    西尾先生の9条2項削除論は必要最小限としてのご意見で、真意は無効論ではないかと推測します。現行憲法は無効であり、従って9条は両項とも無効であり、日本人自身の手で憲法を作り直すことが最も現実的かつ理想的な措置であると考えます。今年4月に公表された「日本のこころ」の草案は前文と序章を含め優れた独自憲法案ではないかと思います。

    時代、時代の国民の声や常識は「あたりまえのこと」として、言論の表面にでることはありません。戦前までの日本国民の常識とコンセンサスは、たまたま陸奥宗光日記に表出した、「国家の名誉を全うするの道を求めん」でした。戦後は日本人男子が占領軍憲法9条によって去勢され、「国家の名誉」を思う心を奪われ、「米人の作りし憲法」を恥とする心を奪われました。そのため9条自体を否定せずに、どのような形にせよ、触ったり、いじったりすることで誤魔化すことは「恥の上塗り」であることを自覚出来ません。去勢されなかった大和撫子勢の奮発と頑張りに期待します。

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