お知らせ

 いま連載している「花冷えの日に」は三回までつづきます。

3月から4月にかけて私は次の言論活動を行います。
  
  左翼ファシズムに奪われた日本『正論』4月号

  外国人参政権、オランダとドイツの惨状『WiLL』4月号

  愛国心なき経営者は職を去れ『Voice』5月号(4月10日発売)

  半藤一利『昭和史』徹底批判
   共同討議シリーズ現代史を見直す⑤『WiLL』5月号

4月10日午後2時より次の講演を行います。

 私の持時間は約20-30分
集会の主旨は、主催団体である「過去現在未来塾」のホームページを見て下さい。

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【過去現在未来塾発足記念講演会のご案内】

■日時: 4月10日・午後2時~6時  開場: 午後1時より

■場所: 日比谷公園野外音楽堂

【日比谷野外音楽堂登壇者】

●主催者挨拶: 中山成彬「過去現在未来塾」塾長

●基調講演: 西尾幹二先生『よみがえれ国家意識』

●以下の登壇者は、現・前職国会議員、大学教授、文化人、ジャーナリストなど。

●司会: 西川京子

■入場料無料:尚、当塾のシンポジウム等、今後の啓蒙活動などは、広くご賛同戴ける皆様方からの浄財に支えられて運営されますので、当日入口付近にてカンパを受け承りますので、宜しくお願いいたします。

■主催: 過去現在未来塾

■実行委員: 土屋たかゆき・戸井田とおる・水間政憲(事務担当090-5560-9728)

■【過去現在未来塾】設立の趣旨にご賛同いただける団体・組織が御座いましたら、インターネット上に掲載させて戴きますので、事務局へ FAX(03-3269-5873)にてお申し込み下さい。

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花冷えの日に(二)

 トヨタの豊田章男社長がアメリカの公聴会に呼ばれて、謝罪して涙を流した。謝罪したのはまずい、といった論調があったが、他にどんな手があったろう。勿論、謝罪したからには訴訟はこわい。巨額の弁済が求められよう。しかし、トヨタ車がアメリカ市場から叩き出されるという最悪の結果だけは免れたのではないか。

 へたをすると本当はそうなる可能性が十分あった。サンディエゴ近くのハイウェイでプリウスが暴走して止まらないと騒ぎ立てる男がいて、パトカーが駆けつけて止めるという事件が新たに起こった。連日トヨタ非難の声が燃えあがっていたときだったから、まずいときにまずいことが起こったものだと誰もがハラハラした。何の関係もない観客席の私だって、またしても因縁をつけられるのだろうな、とトヨタが気の毒になった。

 現地の新聞が大騒ぎしかけたが、アクセルのメモリーが入っていて、それを点検するかぎり何の異常も発見されなかった。ブレーキもアクセルも正常に作動していた。騒いだ男が怪しいことは明らかだが、トヨタは賢明にもそれを道徳的に糾弾しなかった。男はブレーキとアクセルを両方踏んだんじゃないか、と男に逃げ道を与えてやった。それが効を奏したらしい。アメリカの世論もこれ以上トヨタを弾劾するのはいかにも見苦しい、と気がついたようだ。

 今度の件でアメリカに理性が甦ったかどうかは分らない。事件の最終の帰趨も今のところ分らない。日本企業叩きのリンチ事件をアメリカはくりかえしている。日米スパコン貿易摩擦(1996)、米国三菱セクハラ事件(1996)、東芝フロッピーディスク訴訟(1999)。いずれもクリントン政権時代(1993-2000)の悪夢のような出来事である。

 80年代を通じアメリカの製造業は日本に敗れつづけた。90年代初頭に「戦勝国は日本だったのか」と悲鳴に近い憤怒の声が上ったのを私は忘れない。90年代に入ってバブルが崩壊し、日本が不利になった。アメリカは規制緩和と市場開放の名の下に日本経済の独自のシステムをひとつひとつ壊しにかかった。日本は自分が何をされているのかあのころさっぱり分らなかったのだ。そしてそのかたわら、アメリカは何だかだと難癖をつけて、威勢のいい日本企業を潰すことに余念がなかった。

 アメリカのやってきたことはつねに国家利益を目的とした国家的行動だった。少し大げさにいえば、軍事力を使わない軍事行動である。今度トヨタに加えられた仕打ちもその一つと考えていいだろう。トヨタにほんの少しスキがあれば、GMを追い抜いたトヨタを倒すために、スキを突いていくのはむしろ政治的正義とさえ考えているだろう。私はこの論理はそれなりに分るつもりである。

 私にむしろ分らないのは国家ということを考えない日本の経済人、企業人である。トヨタ自動車の会長で、日本経団連代表としても有名な奥田碩氏は次のようなことばを平然と語りつづけているのにむしろ驚くのである。

 「今のトヨタというのは、国際企業であり、地球企業なのです。」「地球全体を見ながら、社会、経済の仕組みを作っていかないと、とても二十一世紀は乗り越えられない。」「日本の技術で必要なものがあれば、日本は積極的に他国に移転していかなければいけないと思います。」(朱建栄氏との対談本『「地球企業トヨタ」は中国で何を目指すのか』2007)

 「国や地域という垣根にとらわれていては、企業も国も成長できません」「東アジアの連携を強化しグローバル競争に挑みたい。」(時事通信社の講演2003.1.20)

 「摩擦を避けながらアメリカでの業績を上げて行くには、外国人取締役を増やす必要があり、今まで現地生産やGMとの合併事業などを進めてきたが、まだまだ『日本企業』のレッテルが取れないとの思いがある。」(朝日新聞2005.5.10)

 グローバリズムであるとかボーダレスであるとか、幕末と終戦につづく「第三の開国」であるとか、そういうことばがぽんぽん出てきて、そして理想のモデルとしているのがEUの市場統合であるのはまた世の多くの、EUに対する誤解を絵に描いたようなものの考え方なのである。

 サブプライム問題に端を発した金融危機はたしかにあっという間に世界をまきこみ、国境を越え広がった。危機の波及がボーダレスであり、地球規模であったことは紛れもない事実だ。しかしその後に起こったことはまったく正反対の動きではなかったか。つまり危機の克服となると、これは国家単位でなされるほかなかたではないか。

 グローバリズムだのボーダレスだのというのはすべてが順調で、いい環境の下にあり、条件がそろっているときには理想的にみえるが、危機に至ればみな自己中心になる。自国中心行動になる。アメリカがいい例である。

 奥田氏は「日本企業」のレッテルがさながら悪であるかのようにネガティブに語り、日本という国家に守られているくせにそのことに気がついていない。自民党という親米政権が倒れたことがトヨタに不利に働いていることを少しでも考えただろうか。

 それよりもなによりも、奥田氏のような日本人としての国家意識をもっていない能天気なリーダーが指導していたがゆえに、トヨタは政治的に攻撃されたのである。トヨタ事件は技術の過失のせいでも、新社長の未熟のせいでもない。朝日新聞が「地球市民」という歯の浮くような言葉をはやらせたように、永年にわたり奥田氏が「地球企業」などという甘い概念をまき散らし、トヨタ社内にだけでなく日本社会にも相応に害毒を流してきた報いがきたのだともいえる。

 今度のトヨタ事件は、世界の各企業が多国籍のようにみえて、それは外観か衣装であって、じつは根底においてはナショナリズムで動いていることを赤裸々に証明したといえよう。

 第三の開国とか東アジア共同体とかアジアとの共生とかいうことばが日本の言語空間にだけ無反省にとび交っているが、法秩序のない中国、国家以前のあの大陸地域と共寝するつもりなのだろうか。

 最近韓国企業の活性化をよく耳にする。韓国経済の好調が伝えられる。麻生内閣の当時、だからほんの一年くらい前だろうが、韓国経済は危機にあり、日中が共同で危機打開の援助を与えたことがあった。その後、ウォン安がつづいたので、それが韓国の輸出力を上昇させている原因ともいえるが、どうもそれだけではないようだ。この国には日本にはない強烈なナショナリズムがある。李明博大統領は官民一体となって世界市場を開拓し、日本が得意としているはずの原子力発電で最近日本を出し抜いてアラブ首長国連邦との巨額契約を獲得した。

 日本が余りにも無警戒で無防備なのは、政治と経済が一体化して動くアメリカ的行動力が韓国にあって日本にない、この点だけでは必ずしもなく、日本企業から技術者が流出して韓国にどんどん技術が移転しつつあるという話をよく耳にすることだ。詳しい事情を知る者ではないが、機密保護法ひとつない戦後日本の自己防衛本能の弱さは、政治や軍事だけのことではなく、経済的な国力の基盤を毀すところにまで次第に及んでいるのではないかとの憂慮を抱いている。

つづく

花冷えの日に(一)

 公園の桜はまだ咲きかけたばかりで、今日は一日雨模様で寒い。しばらく語っていなかった日本をとり巻く政治情勢についてゆっくり考えてみよう。

 政権交代以後わが国の外交が中国に傾いたことは民主党の既定の方針と思われているが、アメリカがそれよりも先に中国に急傾斜したことも無関係ではないと思う。アメリカが余りにも露骨に中国サイドに立った時期があった。日本をないがしろにした。そうなると日本は従来の対米従属の侭では米中両国からもてあそばれる危うい立場になる。中国に接近することでアメリカを牽制する必要があったに相違ない。

 政権交代後の日本の対中接近は不徹底で、動機も不明確だったが、アメリカを警戒させるには十分だった。このところ逆にアメリカの中国離れが目立つ。台湾への武器輸出、ダライラマと大統領の会見、そしてGoogleの中国からの撤退。急に風向きが変わった。日本の対中接近がなんらかの作用を及ぼしていないとはいえない。

 これには経済的動機が大きいことは分っている。人民元を値上げさせ、アメリカの輸出力を回復させる必要もある。2兆ドルを越える中国の外貨準備高は問題である。中国の不動産バブルは崩壊寸前である。アメリカは昔日本に課したような「プラザ合意」を中国にも押し付けようとしている。日本の「マネー敗戦」を知っている中国は今そうさせまいと必死である。

 アメリカと中国が綱の引き合いをしているのが経済的動機にあることは分っているが、日本の政権交代後の対中接近もまったく無関係ではなかったと思う。アメリカの中国離れは日本を眺めながら行われている。

 Googleの撤退が示すアメリカの反共意識の回復はいま日本を安堵させている。やはりアメリカは自由と民主主義のイデオロギーを尊重する国だ。そうなればこれ以上無制限に共産中国に傾くことはあるまいと。

 しかし、90年代のクリントン政権の無節操、中国接近と日本叩きを覚えているわれわれは、同じ民主党のオバマ政権が何を仕掛けてくるか分らない不安をも忘れるわけにはいかない。あっという間にまた風向きが変わるかもしれない。そしてアメリカは日本に不利益を与えるのを平然と承知で中国と手を結ぶかもしれない。米中が共同で日本いじめをする政策がわれわれの悪夢である。

 いずれにせよ風向きはたえ間なく変わっている。昔の米ソ対立時代のような「鉄のカーテン」を向うに回している状況とは違う。アメリカもしたたかで猫の目のように態度を変える。中国と日本が手を組んでうまく行った黒マグロ国際会議のようなケースもあるにはある。アメリカと日本が手を組んで中国やロシアを押さえるケースもきっとあるに相違ない。

 だからいちいち気をもんで一喜一憂しても仕方がなく、日本はこれから薄氷を踏む時代を肚を据えて乗り切っていかなくてはならないのだが、それにしては日本政府が場当り的で、方針が不明確で、CO2-25%減などという国益無視のきれいごと一点張りなのはまことに寒心に耐えない。

 およそ政府に国家理性というものがない。内向きでドメスティックである。そしてオバマ政権も歴代アメリカ政府の中ではやはり同じように内向きで、ドメスティックなほうである。財政破綻も省みず、国民皆保険制度を強行したりした。子供手当てでバラマキの小沢・鳩山政権と似ている処がある。

 私が心配しているのは、日米両政府の非国際的自閉的傾向のこういうときもとき、運の悪いときは重なるものだから気になるのだが、いま北朝鮮の政情が風雲急を告げているのである。今度こそ本当に危ないのかもしれない。デノミが失敗し、韓国の反共政権の援助も途絶えた北朝鮮財政はもうどうにもならないらしい。デノミは上層階級の財産を奪った。軍人が飢えている。暴動が起こったら、今度という今度は軍が金正日を守らないだろう。

 北朝鮮の動乱は周辺のどの国もが望んでいない。だから金正日は延命できたのだった。日、米、中、韓、露のどの国も心の用意がない。日本政府が一番なにも考えていない。こういうときに何か起こったら、まさに天下大乱である。

 実際、日本で話題となっている普天間基地の問題をみていると、議論の中に、国土の安全のためにどうするのが最もよいのか、という観点がない。最重要の観点がない。まったく異様な国である。

 こういうときに北朝鮮で何か起きたら、朝野をあげて周章狼狽するだけだろう。見ていられないし、われわれは本当に身の危険を覚える事態になるかもしれない。

 それでもどこか心の中で、アメリカへの期待がある。依存心理がある。正直、私にもある。情ないが(そしてある意味恥しいが)、北沢防衛大臣によりも、交渉しているアメリカの軍人のほうに国家理性を感じる。これは困ったことだ。私の「反米」思想と一致しない。あゝ、何とも耐えがたい矛盾だ。

 というのも、過日トヨタ自動車に向けられたアメリカの対日反感、情念の爆発、衝動的余りに衝動的な攻撃は、私には紛れもなくアメリカという国が引き起こした国家的行動の一つだと思ったからである。腹立たしくもあるあの反日行動は、イラクやアフガニスタンでまき起こされている野蛮の嵐と同じである。

 私はそれを是とはしない。しかし単純に非とはしない。むしろトヨタの奥田碩会長、日本経団連会長が説きつづけてきた「地球企業」の構想、国籍不明のボーダレスの経済行動よりも筋が通っているとさえ考えているからである。

 この話を明日またしよう。明日もまだ桜は咲いている。

つづく

河添恵子『中国人の世界乗っ取り計画』推薦文

 河添恵子さんが産経新聞出版から『中国人の世界乗っ取り計画』という本を出すので推薦文を書いてほしい、と頼まれ、送られてきたゲラ刷りの原稿を読んだ。河添さんには直接お会いしたことはないが、『正論』などでその健筆ぶりは拝見している。

 一読して驚いた。中国人の世界進出のすさまじさはかねて聞いていたし、先週号の『週刊新潮』でもどこかの公団住宅で起こったルール無視の生活態度、ゴミ出し・掃除の仕方で日本人社会に迷惑をかけっぱなしの中国人の暮らし方はすでに読んでもいたが、河添さんの筆は世界中に及んでいて、その比ではない。じつに驚嘆すべき実態レポートである。

 昨夜書きあげた私の推薦文をまずはご覧に入れる。

 ある移民コンサルタントが移民の相談をしに来た中国人に「卒業証明書は?」と尋ねたら、「どこの大学がいいか?明日準備するから」と言われて絶句したという話が書かれている。偽造書類作成は朝飯前のツワモノぞろいの中国人世界である。中国国内では人民元の偽札問題が日常化している。銀行のATMからも偽札が出る。銀行は回収してくれない。中国の全通貨発行量の20%は偽札だと囁かれている。

 賄賂による無税の収入と不動産と株売買で得た不労所得がメインとなった中国バブル経済で突如成金となった一部富裕層は、先進国に永住権を求めて世界中に飛び出した。彼ら中国人は中国人を信用していないし、中国を愛してもいない。あらゆる手段で他国に寄生し、非常識と不衛生と厚顔無恥な振る舞いのオンパレード。納税してもいない先進国で、教育も医療も同等の待遇を得ようと、がむしゃらな打算で欲望のままに生きようとする。自国との関係は投資目的だけ。自国の民主化なんかどうでもいい。

  私は非社会的な個人主義者である中国人がなぜ現在世界中から恐れられているようなまとまった国家意志を発揮できるのか今まで謎だった。しかしこのレポートの恐るべき諸事実を読んで少し謎が解ける思いがした。法治を知らない民の個々のウソとデタラメは世界各地に飛び散って、蟻が甘いものに群がるように他国の「いいとこどり」の利益だけしゃぶりつくす集団意志において、一つにまとまって見えるだけである。

 「ウソでも百回、百ヶ所で先に言えば本当になる」が中国人の国際世論づくりだと本書は言う。すでに在日中国系は80万人になり、この3年で5万人も増えている。有害有毒な蟻をこれ以上増やさず、排除することが日本の国家基本政策でなければならないことを本書は教えてくれている。

 本は4月8日発売予定だそうである。なによりも事実のもつ説得力には有無をいわせぬものがある。カナダはもとよりイタリアからアフリカまで世界各地の中国人の狂躁ぶりが余す所なく描かれている。

「ドイツ大使館公邸にて」の反響(二)

ゲストエッセイ 
浅野 正美 
坦々塾会員

  ドイツ大使公邸にて 感想文

 西尾先生が日録に連載されていた随筆、「ドイツ大使公邸にて」が完結した。

 この随筆は、大使館での魅力的な会話と、先生の若い頃からのドイツとの触れ合いが交互に展開し、最後にドイツ大使が書かれた三島由紀夫論の紹介と、その感想で閉じられている。

 先生の随筆で来年が日独交流150周年にあたることを知った。私は何一つきちんと勉強したものはないが、若い頃からドイツ・オーストリアの音楽を聴き、少しばかりのドイツ文学を愛読してきた。新婚旅行の行先もドイツ・オーストリアを選び、人気抜群のイタリア、スイス、フランスは訪れなかった。旅程を定めない旅だったのでその街が気に入れば連泊し、次の行き先は宿泊先で地図を拡げて決めるという呑気な旅であった。

 どうしても訪れたかったのは、フュッセンとウィーンだった。フュッセンで、ルートビッヒ二世が建てたノイシュバンシュタイン城をこの目で見たかった。

 フュッセンの地に立ったとき、「ルートビッヒ、貴方は壮大な浪費をしてバイエルンを困らせましたが、100年かけて充分元を取りましたね」、とこころの中でつぶやいた。

 夕食に入ったレストランでは、となりのテーブルで家族連れが食事をとっていた。突然小さな女の子が泣き出して、母親がどんなになだめても一向に泣きやまない。そこで私達が折り鶴を折って女の子に手渡すと、ピタリと泣きやんだ。 「これは飛びますか?」と母親に聞かれ、「飛べないけれど、日本では幸福のシンボルです。」と説明した。作り方を教えて欲しいといわれ、周囲の客も交えて即席の折り紙教室を開いた。

 幸運にもウィーンではウィーンフィルの演奏会を一回と、国立歌劇場のオペラを二回鑑賞することができた。

 オペラの演目は「ボリス・ゴドノフ」と「トロヴァトーレ」で、今でも我が家にはその時持ち帰ったボリスの演奏会ポスターがパネルにして飾ってある。

 もう30年ほど昔、赤坂の東京ドイツ文化センターでドイツオペラのフィルム上映会があった。8㎜と16㎜のフィルムでドイツオペラの名作を上映するという催しで、入場料は一作品500円であった。

 ボツェック・薔薇の騎士・天国と地獄・魔笛・タンホイザー。魔弾の射手、これがその時観た作品である。

 C・クライバー指揮によるバイエルン国立歌劇場の「薔薇の騎士」では、上映終了後満員の観客から盛大な拍手がわき起こった。この作品はそれから15年後、同じ指揮者によるウィーンオペラの来日公演でも観ることができた。カーテンコールの東京文化会館は、ホールの壁が吹き飛ぶのではないかと思えるほどの拍手と歓声に包まれた。帰りにアメ横の居酒屋に入ると、オペラ座のメンバーが先客として飲んでいた。私は彼らに冷や酒をおごった。

 今さらベートーヴェンやカントでもない、という大使館側の教授の言葉は私には少し悲しかった。それは日本が、フジヤマ・ゲイシャによってイメージされることとは違うかも知れないが、ドイツの若者にとっても自国の偉大な文化は過去のものとなってしまったようだ。

 ドイツ人が土偶の造形に現代日本のアニメキャラクターを連想したというのは、驚きであった。土偶の持つカリカチュアは、信仰と切り離せないものだと思う。誇張されたセクシャルな部位には、命を宿すことへの限りない感謝があり、それは豊饒への祈りにも通じるものであろう。縄文の土偶や火炎土器は、最古でありながら前衛的であり、弥生のスマートで均整のとれたものに較べて、一段と新しいイメージがある。

 弥生の均整がバッハであるとするならば、縄文の過剰はワグナーかストラビンスキーに近いように思う。あるいは能と歌舞伎といってもいいかも知れない。とこんな妄想を縄文人が聞いたら、私達がドイツ人の発想に驚いたように、びっくりするだろうか。

 ケルンでは一年おきに世界最大のカメラと写真用品の展示会が開かれる。私はカメラ店に勤務しており、15年程前、運良くこの展示会を見学する機会に恵まれた。ただ、その当時も今も世界のカメラのほとんどは日本が原産国であり、そういった意味ではわざわざ日本からドイツまで「Made in Japan」のカメラを見に行く必要性はまったくないといってよかった。ドイツが小型カメラを発明した聖地であることは揺るがないのだが。

 初日に展示会の見学が終了したところで許しをもらい、私はツアーから離脱した。こうして二度目のドイツと、東欧の短い一人旅をする機会を得た。

 この時は旅程のほとんどを東欧に割き、チェコ、ハンガリー、ルーマニアを駆け足で回った。数年前に冷戦が崩壊し、旧共産圏にも簡単に旅行ができるようになっていた。私はこの時、共産主義の墓参りをするような気分でいた。

 ベルリンの壁が崩れて間もなく、新宿の路上でベルリンの壁の破片が売られていた。何の変哲もない石の混じったコンクリートのかけらで、偽物かも知れないが私はそれを1,000円で買った。今でも書棚に置いてある。

 この時L・バーンスタインがフロイデをフライハイトに替えて演奏したベートーヴェンの9番シンフォニーは、CDやDVDにもなったが、いつかいつかという内に聞き逃してしまった。

 当時テレビ番組で聞いて今でも大変印象に残っている言葉がある。それは旧東独の老婆がインタビューに答えたもので、彼女は「自分が生きている内に壁が壊れるなどということは考えたこともなかった。もうこの先の人生で何が起きようと、私は驚くということはないであろう。」と語った。

 来年の日独交流150周年の催事が、実り多いものになることを願う。私もその内のいくつかに是非足を運びたいと思う。そして西尾先生がおっしゃったように、ドイツが生んだ偉人についてもきちんと紹介されることを祈りたい。職業に関係することでいえば、今から170年前にフランスで発明された写真術は、ドイツで小型カメラが開発されたことで、大衆の手に行き渡った。この時生み出された要素は、基本の部分では現在も変化していない。85年前のデファクトスタンダードが今も通用する珍しい分野ではないかと思う。

 かつてある仏文の教授が、「日本人はドイツを拡大鏡で見ている」、と話されたことがあった。少なくとも私はそうなのかも知れない。それでも、ほんの少しであれ、若い頃からドイツの芸術に親しんだことが、私の人生に大きな彩りを与えてくれたことは間違いない。

   浅野正美

「ドイツ大使館公邸にて」の反響

 「ドイツ大使館公邸にて」と題し六回にわたって書いた拙文は、久し振りにのんびりした随筆スタイルで記したせいか、評判が良かった。あれは面白かったですよ、と声をかけてくれる人が何人もいた。友人たちからもメールの感想文が届いた。ドイツ大使の三島由紀夫論がとりわけ一番関心を持たれた。

 眼のご不自由な足立さんもいつものように音声器で読んでくださっていて、次のような感想を寄せてこられた。

 私が最も興味を持った点は、西尾先生がご指摘されたこと、すなわちドイツ大使が、”ナショナリスト””ナショナリズム”には”敵”としての外国が存在するものであるのに三島由紀夫にはそれがそんざいしていないという指摘でした。

 実は私は2月に二つのグループが別々に拙宅を訪れ、酒と食事をともにして議論したことを思いだしたからです。

 一つのグループは北京時代の部下達でありもう一つはジャカルタ時代の部下達でした。

 その中で、戦後の占領軍の”検閲”や”焚書”について話が及んだ際に、この問題を我国自身の問題であることを放擲して、「アメリカが悪かった。」として今日の状態をアメリカの責任にして終わるならば、そのことは韓国人や中国人が総てを日本の責任にしてしまうことに等しいのではないか、という議論が出てきたことです。

 これは重要なことであり、我国が本当に自立してこれからも予想されるあらゆる困難に立ち向かうためには必要なことであると感じた次第です。

 三島のナショナリズムに特定国を”敵”としていないことはそれ自体日本の”国体”につながることであると私には思えるのです。

    足立誠之

 足立さんのいつものお言葉には感服するのが常だったが、今回は一寸違うのではないかと私は思った。銀行時代のお仲間は反省好きの日本人の典型で、自分を道徳的に清廉に保てば国際社会に生きる上でも支障はない、まず自分の誠実を起点にせよ、と日本社会に自省を求める「あぶない善意の人」ではないかと私は思った。自分を主張できない日本人の弱さの代表例ではないかとさえ思ったが、いかがであろうか。

 アメリカ占領軍の「検閲」や「焚書」は比較を絶した悪であり、ナチスや旧ソ連の一連の外国政策に匹敵するレベルである。また戦後韓国人や中国人が総てを日本の責任にして責め立てる慣例も、やはり世界に例の少ない戦略めいた政治謀略の匂いがある。不正直とか嘘つきとか恥知らずといったモラルの問題では必ずしもないことにわれわれは気がつき出している。

 最近のアメリカや中国の行動は日本をかつて苦しめたルーズベルトと蒋介石が握手した時代の再来を思い起こさせるものがある。日本人の善意や誠実で立ち向かうことは泥沼にはまった戦前の失敗をかえって繰り返すことにならないだろうか。

 同じ坦々塾のメンバーの池田俊二さんの次のコメントに私はむしろ説得されている。

 三島が外なるhostile enemyを見てゐないといふ大使の説が先生の「心に一つの衝撃の波紋を投げた」のはもつともです。私も意表を突かれました。

 たしかに三島はあまりにも内省的、自閉的、自虐的であつたかもしれません。しかし彼に外のenemyが見えてゐなかつたとは思はれません。アメ公、露助、チヤンコロ、鮮公、その他のあらゆる惡意は自明の前提だが、そんなことに言及する暇がないほど、、あらゆる現實を見ようとしない「現代日本の腐敗と空虚」に對する彼の怒りがあまりに強かつたのではないでせうか。

 但し「腐敗」といふやうな高級なものがあるとは、私には思へません。「空虚」もあまりぴったりしません。これまた適切な言葉でないかもしれませんが、一言でいへば日本人の「劣化」の方がいくらか當つてゐるのではないでせうか。

 怒りを忘れた日本人の「劣化」があまりにひどく進行しているので、三島由紀夫は怒りの持って行き場がなく自決したのだという考え方は大筋において当っていると思う。日本民族に向けられた「諫死」である。

 三島には敵がいなかったのではない。敵は自明の前提であった。彼が死んで40年近くになり、敵はようやくはっきりとその姿をわれわれの前に見せ始めているように私には思える。トヨタ問題といい、捕鯨妨害問題といい、中国人流入問題といい、外国の対日心理をめぐる情勢は第二次世界大戦前とそっくり同じになってきている。

 たゞそれに気がつかないのが、池田さんが言う日本人の「劣化」である。その劣化の原因について、彼は福田恆存の言葉を引いて次のようにつづけている。

 

 その原因は、「漱石のうちにはヨーロッパ的な近代精神と日本の封建意識と兩方がせめぎあつてゐて、前者がけつして後者と妥協しなかつたことに大きな苦しみがあつたのです」「兩者がめつたに妥協できぬといふことこそぼくたち日本人の現實なのであります」(福田恆存による角川文庫版「こころ」の解説)と言はれてゐる、その「現實」に妥協どころか、少しも向合はず、全て曖昧に、だらだらと過して來たことではないでせうか。

 先生の、日本と西歐の近代はパラレル、むしろ、多くの點で日本の方が先んじてゐたとの御説には教へられ、共感しました。しかしながら、世界を制霸したのは西歐の近代で、日本のそれではありませんでした。そこに遲れて參加した日本の、向うさまに合はせんが爲の努力は眞に涙ぐましいものでした。ところが、2代目、3代目に至ると、合はせる、合はせないといつた意識すらなくなり、萬事ずるずると來た結果が今の日本のていたらくでせう。その根本を深く憂ひたのが、福田恆存であり西尾幹二である――私はそのやうに考へてをります。

 「自民黨が最大の護憲勢力だ」(三島由紀夫)、「今の自民黨は左翼政黨である。その代議士の大部分は福島瑞穂なみ」(西尾幹二)、どちらも、根本を見失つた、あるいは見ようといふ氣力さへない現状を見事に言ひ當ててゐる
と思ひます。

 世の中には福田恆存の弟子と言いたがる評論家がごまんといて、最近新全集が出てまた増えているので、私をそう呼ばないで欲しいと池田さんにあえてお願いしておくが、それはともかくここで言う「劣化」、現実と向き合わずに全て曖昧に万事ずるずるときた日本人のていたらくの正体について、最近『正論』4月号で、私は多少とも新しい分析をほどこした。45-46ページにかけての「日本の保守とは何であったか」について語った部分である。興味のある向き注意を払ってほしい。

 三島の1970年のクーデターに「敵」がいなかったという例のテーマをめぐって、平田文昭さんがさらに一歩踏み込んだ展開を示唆して下さった。

 ドイツ大使公邸にて六 の簡単な感想です。

三島は、自民党以上に昭和天皇こをそ最大の護憲勢力、と考えていたでしょう。
彼はクーデターの成功を考えたでしょうか。
成功するということは、昭和天皇が認めるということです。
それが可能と彼は考えたでしょうか。
もし三島に、絶望のかなたの「夢」がもしありうるとしたら、
自衛隊の決起以上に、天皇が認めることが、それなのではないか、とさえ思えます。
こういうことを世の三島論はいいませんね。

先生の『三島由紀夫の死と私』をまた読み返しました。

 三島が死によって覚醒を求めた相手は自衛隊でもなければ自民党でもなく、むしろ昭和天皇であったのではないかという大胆な見方である。『英霊の聲』をみればそのことは明らかだが、たしかに誰も触れようとしない。そしてそのことは日本人が万事だらだらと曖昧に生きているうちに少しづつ予想もしなかった不気味なかたちになって国民の前に姿を現わしつつある。GHQの蒔いた種子(皇統を断絶させようとする)が大きく育って皇室をゆさぶっている不安については、ついにテレビでさえ公然と語られるようになった(3月7日テレビ朝日のサンデープロジェクト)。

 加えて亀井静香金融大臣が「天皇は京都にお住いになったら」と言い出した。平田さんは先の文につづけてこんなことも言っている。

このところ、皇室の京都還幸論が言われだしています。
発信源はおそらく佐藤優です。
佐藤優が最初というのではなく、彼が影響力をもつ議論を展開した、
或いは、
佐藤優という伝道者を得ることで、この論が影響力を持ち出した、
という構図とみています。
これは偶然か企図されたものかはわかりませんが、
(私は国際的な状況の反映の可能性は捨てきれません)
妙な政治状況があって、これがこの論に幸いしています。
この論をなすものは、みな南朝派です。これも興味深いところです。
このところ、私のなかでは
南朝擁護論、皇室の京都還幸論、唯祭祀主義ともいうべき考えかた
への疑義がどんどん大きくなっています。
これらの思想との対決は、日本の歴史の過去にも、形を変えて
(という意味は南北朝以前からということですが)
ずっと続いてきたようにも考えております。

 私は必ずしもよく分らない内容にまで筆が及んでいるので、いつかもっと明確に書いてもらいたいが、われわれは『保守の怒り』においてすでにこのテーマを取り上げている。天皇を文化の象徴化に限定する幸福実現党の京都遷都論への批判を私もあの本で語っているが、佐藤優氏には言及していない。

 平田さんは最後に次のように書いている。

ウルトラナショナリズムが、きわめて極端な種類のナショナリズムというのは
考えさせる指摘でした。
ナショナリズムというと、どちらかと言えば、ナチズムを連想させるような観念になった観があります。
パトリオティズムでなく、ナショナリズムの語を使ったときに、
三島とナチの対比が現ドイツ大使の念頭になかったはずはないと思います。
だからこそ、外敵なきナショナリズムが奇異にみえたのではないでしょうか。

まとまりませんが、取り急ぎしたためました。
坦々塾では日録の先をうかがえるのではないか、と期待しております。

平田 拝

 3月6日(土)に坦々塾が行われ、私はそこで「『鎖国』の流れと『国体』論の出現」と題した報告をした。いづれここでも紹介されるであろう。

ドイツ大使館公邸にて(六)

 最初に話ししたように、私はキルシュネライト教授とシュタンツェル大使に、文学に関する最新の自著を差し上げたいと考え、『三島由紀夫の死と私』を二冊持って行って帰りしなにお渡しした。

 教授は日本文学の専門家だし、大使も日本文学と中国文学の研究歴があり、若い頃に三島について論文を書いていることが大使館から予め送られて来ていた大使の略歴書に載っていたからである。

 公邸を辞して十日ほど経ってから、大使はご自身の二篇の論文のコピーを私に届けてくださった。その中に1981年に英文で発表された三島論があった。題してTraditional Ultra‐Nationalist Conceptions in Mishima Yukio’s ‘Manifesto’となっていた。ここで Manifesto というのは、三島が楯の会隊長の名で1970年11月25日に市ヶ谷台の自衛隊基地で切腹前に提示したあの「檄」のことである。

 「われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ」で知られる有名な文章だ。「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。」

 シュタンツェル大使は「檄」の内容をきちんと正確に捉えていた。「三島の生涯はなんらultra-nationalism に捧げられたものではなかったが、しかし彼は何を措いてもまず ultra-nationalist であった。」

 「檄」は主要な四点から成ると捉えられている。すなわち、(一)現代日本の腐敗と空虚、(二)それに対決されるべき真の日本(天皇によって支えられる)、(三)その真の日本を実現する真の人間(ここでいう man は human ではなく male 、すなわち samurai )、そして(四)としてはsamurai の孤独死ではなく共同体の同志によって達成される行為、すなわち「軍」の果す犠牲的行動がなによりも高く評価されていると、彼は解釈している。

 経済的繁栄にうつつを抜かして自分自身を失っている堕落した現代日本に対する三島の憤りを、この論文はその文脈においてとりあえず正確に捉えている。そして、天皇に体現されるところの「真の日本」の実現をこそ三島が目指していた目的であると見て、その実行の要として国軍の復活を激越に求めていたと理解している。このシュタンツェル大使の「檄」の読み方は、概して誰しもが承知している理解の仕方といえるだろう。たゞなぜそれなら、三島のあり方を ultra-nationalism と呼ぶのであろうか。

 私が面白いと思ったのは次のような強調点だった。「三島は自国の外になんらの敵のイメージをも創り出さない。自国の悲惨がその国のせいだと言い立てるスケープゴートを国外に創らない。日本がアメリカの政治的リーダーシップ に従うあまり独立を失っているのは嘆かわしいと見ているけれども、それはアメリカが日本に敵意をもつ国だからではない。しかもアメリカ以外の国はどこも言及されていない。三島が主に苦情を申し立てているのは、自国の国内の状態に対してであって、敵対感情を投げかけてくるような外部からのいかなる脅威に対してでもない。」

 三島が死んだ1970年を考えれば、日米関係は最も安定していた。ドイツ人外交官の眼に、外敵の恐怖も脅威もない時代に、苛烈なナショナリズムを燃え立たせる三島の情熱は不可解なものに見えたのではなかろうか。「真の日本」などというものは今までどこにも存在しないとか、三島のいうsamurai の概念は道徳的であっても社会的ではない、等と野次をとばしているのも、浮世離れした行動に見えたからであろう。

 けれどもシュタンツェル大使はもう少し奥深いところを見ていた。ナショナリズムは他の国に対して敵意を持ったり持たなかったりするが、それは自国に対する外の世界の反応のいかんに応じてそうなるのである。それに対し ultra-nationalism は伝統的で民族的な文化の諸要素に頼ることで市民意識の中に nation の概念を固める目的を狙いとするようなイデオロギーであって、きわめて極端な種類のナショナリズムである、という言い方をしている。そして、三島を理解するのに江戸幕末期の「国体」の概念と比較することの必要を説いているのが興味を引く。

 古代以来の神話の伝承、天照大神の子孫としての万世一系の天皇家の統治に由来する「国体」の観念が、あの righteousness(義)とか truth(真)の概念を保証してきたのであって、三島がもち出したさまざまな概念と「国体」の概念との類似性は明瞭である、と断定している。そして吉田松陰は三島が「真」の日本人として心に抱いていた人物であった、と。

 しかしここから論旨は急に一転する。物事はだからすっきり明瞭になっているわけでは決してない、と彼が言い出しているのが私には面白かった。三島の概念も、また明治から昭和にかけての各種の「国体」の概念も、どれもとらえどころがなく、把握しがたいと彼は言う。はっきりした輪郭をもった一つの思想に還元されていない、と。天皇といい、侍といい、義といい、真といい、どれも巾広い含蓄のあるシグナルめいた言葉であって、あらゆる種類の具体的な政治的解釈を許してしまう恐れがある、と述べている。

 「(三島の檄に出てくる)典型的に urtra-nationalist の諸概念は、日本の国粋思想の伝統から真直ぐに由来している。それらは伝統主義者のカテゴリーにさかのぼって関連している。同時に、それらは漠然とした観念連合から成る信号めいた単語を多用しているので、巾の広い異なる政策の一連のつながりを理解することを許してしまうのである。」

 三島の思想と行動に江戸幕末の志士の「国体」論を結びつけて考える人はこれまで多くはなかった。ドイツ人がこの観点を引き出したことは興味深いし、評価できる。

 三島が南朝の支持者であったことを思えば光圀の水戸学とその幕末への影響と彼とを結びつけて考えることは少しも不自然ではない。また、江戸の国体論と昭和前期の国体論はつながっていても、大使の言うように、われわれ日本人にも「はっきりした輪郭をもった一つの思想に還元されない。」

 その意味で論文は私にも納得のいく内容であった。ただ、私が一読してハッと目を射抜かれたのはこの点ではなく、三島が自国の外にいかなる hostile enemy をも見ていないというあの個所だった。

 あれほどの激烈な行動が「敵」を欠いていたのだ。内省的、自閉的、ある意味で自虐的行動だった。外国人にあらためてそういわれた。そのことがいろいろな関連事項を私に考えさせ、私の心に一つの小さくない衝撃の波紋を広げたのだった。

 たしかに三島の行動は戦後の日本人らしく内向きだったといえるかもしれない。しかしその洞察と予見の力は大きく、「自民党が最大の護憲勢力だ」と言った彼の当時の言葉は、いま深く鋭く私たちの目の前の現実を照らし出しているのである。

(了)