TEL QUEL JAPONより(4)

日中友好を振り返る 

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並べてみる。
日本解放第二期工作要綱 & 環太平洋連帯の構想
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日中関係資料集
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oohira.jpg

トウ小平氏と大平正芳氏との対話
こうして「改革・開放」は始まった
鄧小平氏は日本をどう見ていたか
谷牧・元副総理に日本の旭日大綬章:谷牧氏は、若いころ、張学良将軍の下での共産党の地下党員であった。
大来佐武郎 & 有澤広巳 &…
鄧小平 中国副首相 1978.10.25 1時間
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三極委員会:田中均のVideo Interviewを見ることができる。
The Trilateral Commission by Prof. Antony C. Sutton
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・・・・・追記:2012年11月1日・・・・・
国家間の友好、国家間の国交正常化そのものは、全く否定すべき事柄ではない。それは時代の進むべき方向性である。しかし言葉に惑わされてはならない。解放=侵略、なのはご存知だろう。国交正常化は日本人から中国人への財と技術の垂れ流しであり、友好は諜報員の工作への好都合な場の提供と、日本人への自虐史観のバラ撒きである。

それにしても、こういう視点で日中友好を振り返ると、保守とはなんだったのか、と思う。こういう視点と言ってもまだ詳しくは書いていないので、おそらく意味不明かもしれない。とりあえず上の写真のおふたりの笑顔をご覧ください。まるで法事で久しぶりに兄弟がであったような信頼感と親密感が漂っている。感じませんか?

別冊正論Extra18,(国交前史)埋もれた資料が明かす巨大な対日工作、by 野村旗守、もすごい内容だ。少しだけ要約引用をしてみる。

P.67ー…そして次に思想工作の拠点として選ばれたのが50年10月に設立された日中友好協会だった。先のGHQ機密文書には(日中友好協会内の共産主義党派は駐日ソ連代表部を通じて、北京にあるアジア・太平洋労働会議の局と直接繋がっている)とある。ソビエトの党中央直属の党派が協会内にもあったということだ。
P.67&P.68ー1955年末に発足した「対日工作委員会」の主任は郭沫若、副主任は廖承志他2名、委員には雷任民対外貿易部長、呉茂孫外交学会秘書長、李徳全紅十字会長、などが顔を揃え、この時期の中国がいかに対日工作を重視していたかがわかる。55年頃から日中国交「回復」へ向けて段階的な構想を描いていた。郭沫若も廖承志も日本に留学したり日本で生まれ育ったりしている知日家であるが、ともに実は20年代から中国共産党の隠れ党員だった。廖承志は63年の設立時から83年に死去するまで、中国側の中日友好協会の会長を務めた。72年の日中国交正常化交渉では毛沢東や周恩来の通訳を努めたこともある。(こうして打ち込んでいくとキリがない。直に書物を読まれることをお薦めする。この本発売後1ヶ月半近く経っているのに、雑誌の広告があるだけで、誰もネットで触れていないのも、おかしな話だ。日中友好に心底入れ込んでしまっている日本人が非常に多いのだろう。一般の人たちは愛国や人道主義から絡み取られているので、生涯を賭けている人も多い。保守の大道を行くつもりの側の人たちに「問い」を突きつけることになる。別の観点から行くとズバリ「自民党とは何だったのか」の疑問にもなりえるからだ。Tel Quel Japonも今日は完全にシカトされている)

・・・・・追記:2012年11月2日・・・・・
並べてみる。
孫平化 : 日本解放第二期工作要綱 : 岡崎嘉平太

第1次日中民間貿易協定
高良とみ & 帆足計 & 宮腰喜助
〇LT貿易:廖承志(Liào Chéngzhì)& 高崎達之輔

中日間の友好往来大事記
日中友好の歴史認識:創価大学文学部
中日間の大きな出来事の回顧
個人のBlogもいろいろあたってみたが、こういうトーン(創価大学文学部感想)に完全に染まっている。日中友好は土台自虐史観、罪悪感からすべてスタートしている。日中国交回復以前の前史からあたってみたが、大陸に残された捕虜や日本人住民の思想改造(特に中共軍に入って内戦を戦った日本兵や中国人に同化して何年か暮らした日本人の受けた思想改造の帰国後の完全払拭は不可能のようだ。日本よりも中共側の報道に信頼を寄せている者もいれば中国側の報道をばら撒いている日本人もいる)が日中友好の名のもとに延々と再生産されている。(対日担当者の中国人工作員の名前も重複して登場する)日本人の平和への希望やヒューマニズム、それに被さる強烈な自己批判は日本解放第二期工作要綱を完全に鵜呑みにさせている。中国人工作員が入らなくてもすでに自覚なく中国の工作員化している日本人は驚く程多い。特にここに出てくる日本人名は伊達や酔狂で記載されている訳ではない。

・・・・・追記:2012年11月5日・・・・・
日中記者交換協定
田川誠一と河野洋平

TEL QUEL JAPONより(3)

日中友好の起源と正体 岡野と杉本の役割

通化事件 未完← Tel Quel Japon過去記事
(上の記事の中より) 通化事件 その5
(注:岡野=野坂 杉本=前田)

中国共産党の根拠地延安 からは、日本人民解放連盟 で野坂参三 に次ぐ地位にあり、当時「杉本一夫」の名で活動していた前田光繁 が政治委員 として派遣された…後日、日本人遺留民は通化劇場に集められ、前田光繁から「川内亮通化県副県長たちは満州国の幹部であったから処刑は仕方のないことであった」旨の説明がなされた…前日(情報漏洩) 2月2日 、正午過ぎに林少佐は蜂起の情報を前田光繁に電話で伝えた。前田は中国人政治委員の黄乃一を通じて航空総隊隊長の朱瑞(zh )に報告した。同じ頃、藤田大佐の作戦司令書を持った中華民国政府の工作員が2名逮捕されており、劉東元 中国共産党軍司令立会いの下で尋問が行われた。工作員は拷問を加えられても口を割らなかったが、日本語の司令書は前田によって直ちに翻訳され、夕刻には中国共産党軍は緊急配備に着手した。

通化事件検定:全7問中7問正解、そして全国1位でした!が、受験者も1人でした。この通化検定7問中に今回の中心人物が登場します。通化事件においては重要人物ということですね。
以上はまえ振り。
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以下は本内容:
撫順の奇蹟を受け継ぐ会:
上のペイジを見て季刊「中帰連」のペイジを知った。
撫順の奇蹟を受け継ぐ会が紹介されていて、「過去を胸に刻み、これからの教訓とする。「前事不忘・後事之師」の中帰連の精神を受け継ぎ、反戦平和と日中友好に取り組む市民団体・受け継ぐ会にあなたも参加しませんか? 」と入会の呼びかけがある。
中国帰還者連絡会とは?をクリックする。
会員=中国を侵略して戦犯となり、中国の寛大政策により帰国したもの。となっている。中帰連は2002年、全国組織を解散し、その事業を「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に受け継いだ。とある。
まるで反日の砦、文章を読むと自虐史観の水源発見、という気分になる。マイク・ホンダやアイリス・チャンはこの組織から見るとヨチヨチ歩きの子供に見える。完璧な洗脳である。120%の洗脳である。日中友好の母心、のような力強く一貫した愛すら感じる。この人たちにとって日本は原罪そのものの国であり、毛沢東は慈愛に満ちたキリストに見えるのだろう。
彼らの体験を聞こう。
沢田次郎さんの話:「認罪」「思想改造」を認識した上で、教えられたStoryから逃れることが出来ないのだ。もう一人の話も聞こう
人間に戻った元将兵たちの声を聴け」 梶村太一郎
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間接的参照:Tel Quel Japon過去記事
GHQ焚書図書開封 敗走千里
間接的参照:Tel Quel japon過去記事
日本人洗脳工作
間接的参照:Tel Quel Japon過去記事
通化事件 未完
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直接的参照:
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連):
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日本人改造洗脳法詳細分析:反日の核構造
中国戦犯の「洗脳」について(1)
中国戦犯の「洗脳」について(2)
脱洗脳講座:田辺敏雄
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以下はあと振り
中帰連 証言集会のペイジ

戦場の加害と抵抗 :証言者 前田光繁(元日本人反戦同盟員)
「兄弟たち、君らの真の敵はここにはいない」 ―― かつて日中戦争のさなか、中国の最前線で日本軍に向かって反戦を呼びかけた日本人たちの一群がありました。「売国奴」、「国賊」などと罵られながらも、どうして彼らが反戦運動に立ち上がっていったのか。日本人反戦同盟のたたかいは、これからの極北の時代にこそ輝きを増すでしょう。今回は、反戦同盟を立ち上げた一人、前田光繁さん(89歳)の体験を聞きます。

maeda.jpg
前田光繁検定前田光繁 wikipedia:

朱徳と行動を共にして戦闘に参加した後、1942年(昭和17年)に反戦活動のため延安に移動し、終戦まで同地にとどまった。終戦後満州に赴き、中国共産党および八路軍の活動に協力しながら、通化事件にも関与した。その後も八路軍のために活動を続け、1958年(昭和33年)に日本へ帰国した。帰国後は日中友好協会の理事を務めている[1](前田氏は立場的にほぼ野坂クローンとして通化事件に関わっている。決起した側ではない)

かつて八路軍に参加した旧日本軍兵士の座談会:
(2012年11月17日:追記)
小林寛澄氏 日本人の八路軍兵士(上)
元八路軍の日本人兵士「中日友好のため、百歳まで努力」
駐日中国大使館が中国人民抗日戦争勝利65周年座談会
「世界」2007年8月号
北京で再会した中日の「戦友」たち:既に息子の時代

光繁さんの息子の哲夫さんは言う。「当時の日本人は、誰も日本が負けるとは思っていなかった。そういう状況下にあっては、父の八路軍参加は尊敬するに値します」

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以下余談:
中国空軍創設につくした日本人教官
中共空軍創設秘話 その3
林弥一郎 wikipedia:

/////追記:2012年10月22日/////
参照:日本解放第二期工作要綱
参照:石平氏が激白!中国人が日本人大虐殺を計画!
参照:韓流研究室
/////追記:2012年10月30日/////
戦慄の「日本支配工作要領」ねずさんのひとりごと
荒んでいく世界
You Tube 田母神塾

・・・・・2013年5月5日・・・・・
「認罪~中国撫順戦犯管理所の6年」NHKハイビジョン特集

・・・・・2013年5月8日・・・・・
日本人中国抑留の記録8(戦犯裁判)
8をあげたがこれは日本の番組で1から9まである。今日本が制作したひどいひどい番組を1~9まで全部見終えた。心底鬼畜生と化しているのは番組制作者および関連者である。
兵隊の出兵とは、前にも書いたが、あの学徒出陣のように天皇陛下のために武士として命を捧げる、などという空想情緒に溺れるべきものではない。「海ゆかば」を歌って、命を捨てる場所を探しに行くことではない。繰り返す。戦争が過酷なのは、ひょっとしたら友達になれるかもしれない、憎んでもいない人をしかも多量に殺さなければならないことだ。敵国の国土を徹底的に荒廃させなければならないことだ。それが兵隊の仕事だ。日本兵の顔を見て欲しい。残忍な顔も卑屈な顔も一切ない、全員素晴らしい人間性に満ちた面構えである。それをジクジク「人道に反する罪?」などでいびり倒す、戦後何年も何年も捕虜の救出もしないで、彼らの苦しむ姿を晒しものにして悦に入る解説者、恥を知れ!吐き気がする!保阪正康はこの間まで正体ばれず保守の論壇で人気を博した昭和史研究家。そして姫田光義は、日本人民解放連盟 で野坂参三 に次ぐ地位にあった杉本一夫こと前田光繁といつもセットで自虐史観洗脳工作を続けている、中央大学教授ではないか。どうしてこんな工作員が堂々と国営TVに出るのだろうか。また日経新聞もたくさんの日本人もグルである。参照:日経新聞 :
129570449938516204991_P1220209.jpg
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以下の文を読まれんことを願う。
参照:中国共産党の対日プロパガンダ戦術・戦略

TEL QUEL JAPONより(2)

日本人洗脳工作 & SUSUMU OKANO (2)

米戦時情報局が見た中国共産党の日本人洗脳工作

日本軍の特攻や玉砕に大きな被害を受け、その対策を心理戦争の面から講じようとしていたアメリカ軍とくにOWIは、延安で中国共産党軍とくに八路軍が多くの日本兵捕虜を獲得し、日本労農学校で反戦教育を施し、その卒業生の日本人民解放連盟への組織化によって日本軍へのプロパガンダ工作をシステマティックに実施しているのに驚いた。

そして1944年の現在は岡野の提唱した日本人民解放連盟中国ばかりか日本でも反戦活動を行う準備を進めている第四段階である。

「戦陣訓」のしばりによって、日本兵捕虜には敗戦協力しか帰国の途はないことに八路軍は気づいた。そこで敵軍工作部は反軍国主義、さらには社会主義思想注入のための再教育を捕虜に受けさせる。さらに思想改造をしたかれら捕虜を前線に送り込み始めた。

OWIや国務省のジョン・エマーソンらは、延安で設立され、多数の日本兵捕虜の再教育を行っている日本労農学校に注目した。『延安リポート』で48ページに及ぶ長文のリポート第45号「日本労農学校(一つの研究)」はOWIのコージ・アリヨシの授業参観や取材に基づく労作である。

学校では、岡野校長は批判と自己批判を学生の進歩に不可欠なものと信じている。彼によれば、それは深く染み付いた古い思考を脱ぎ捨て、新しい生活様式を受け入れるのに役立つ。

網走刑務所にいる日本共産党幹部徳田球一から延安の岡野に密使として派遣された岡田文吉(延安名、沢田淳)という日本共産党員がいる…岡田は「延安入りを敢行した際にも、特に軍部に顔の利く、河本大作氏の庇護をうけて(!これで歴史解釈は大きく変わる)、その目的を達した」という(川口忠篤『日僑秘録』太陽少年社):(参照:暴かれていた河本大作の嘘

1945年末にも予定される連合軍上陸に解放連盟は八路軍とともに上陸し、連携した宣伝・宣撫の戦術、戦略を練っていたことに注目したい。第44号「華北日本人民反戦同盟第一回大会 日本兵士代表の諸決定」は反戦同盟の上に意識の高い者を集めた共産主義者同盟であることを示している。毛沢東が絶好機の到来があれば、解放連盟の共産主義者同盟員を第5列に仕立て、八路軍による日本占領の戦略を念頭に入れていたとも考えられる

岡野は毛の指示を受け、労農学校で集団批判や監視活動を実行した。重慶には鹿地亘や青山和夫のような日本人亡命者が捕虜を指導したし、国民党軍は彼らの協力を歓迎した…日本人捕虜がいる世界の戦域において延安のみで、「社会主義的非戦思想の教育ないし洗脳」(『日本兵捕虜は何をしゃべったか』)が行われた。:(Bruxelles注:Brain Wash=洗脳とMind Controleは別行為をさす。Brain Wash=洗脳という語は中国共産党にその語源を発する、ということを思い出した。)

延安を訪れる連合国側のジャーナリストやアメリカ軍の将校に対し、共産党色を隠し、穏健な民主主義者のポーズを取った。こうした手法が5年後の毛沢東の中国支配の道をひらいた。(SnowもSmedley等もまんまと騙された)

占領期日本では戦時期に洗脳された捕虜や知識人が道具として利用された。その後は工作を受けた一部の日本の政治家やジャーナリストが彼らに代わった。

参照:山本武利 20世紀メディア研究所代表

・・・・・追記:2012年10月29日・・・・・
戦争とインテリジェンス:山本武利
山本武利氏は戦争とインテリジェンスのおそらく日本最高の専門家。日本人のこれまでの戦争理解が観念的すぎる(悪く言えば現実無知である)ことがよくわかる。
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・・・・・追記:2012年11月4日 平成の日常から HP紹介・・・・・
国民全体に浸透しおそらく100年は続くだろう日本人洗脳
後世普通の人が当たり前のように口にするWGIPの一例と、
体験者が記録した詩歌 = 短歌反論の反論 < 元ペイジ

TEL QUEL JAPONより(1)

当「日録」にハンドルネームBruxellesでよく投稿されていた方で、TMさんという方がいます。その方のブログTEL QUEL JAPON

は歴史の秘密にせまる新鮮な情報と発見に満ちています。大変に感服し、これから何度かに分けてご紹介したいと思います。

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西尾先生のメイルを拝見して
はじめて自分のBlogを振り返りました。
まだざっと半分しか振り返っていませんが、
力を入れたのは5テーマあると気づきました。
1.プロパガンダのもとは、心理学とそれから派生した
広告技術にあるということ。もとは100歳以上生きたフロイトの甥。
ロックフェラーの人格改造をしたのは、別の心理学者ですが。
強欲な資本家ほどフィランソロピストなのはそれが彼らが指導した
戦略だから。慰安婦像にしろマイクホンダにしろ、あの方面も
広告代理店が介入しています。その名前も突き止めた記憶あります。
これはほかにだれも言わないので、読者の反応全くなしです。

2.日中友好と日本兵の洗脳
立派な日本兵が、洗脳教育されて
土下座して泣き叫んで詫びているfilmをみて
いたたまれない気持ちになりました。
野坂参三が絡んでいます。アメリカの心理操作専門家たち(日系人もいる)
3.日米了解案&松岡洋右に関して&
(日米開戦、終戦工作)
4.ルーズベルト政権にいた共産スパイ
及び、イギリスのケンブリッジ・ファイヴ
の解明&寝返ってすべてを告白したスパイたち
それと原爆関連のスパイ
5.ウイルソン大統領とFRBの成立
リンカーンの解明
FRBの成立過程は、非常に重要で
このへんから経済や金融資本や政策の一部が
国境をなくす、いわゆる陰謀論の必然。
ひとことだけと言われたら、やはりFRBの正体
とその成立の詳細を言い残したいかも、です。
陰謀論に与するつもりは全くありませんが。
FRBが政府から独立しているのは間違いない。

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通化事件 追記4

通化事件:wikipedia
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷:ねずさんのひとりごともう30年以上前に福井先輩から通州事件については聞いていたけれど通化事件は初めて知った。Dixie Missionは中国共産党の何を見ていたのだ!日本人民解放連盟を調べていてこの事件に突き当たった。

通化事件Wikipedia参考文献の一番上に「 医師・紙田治一の記録」というものがある。今日はもう遅いので明日に読もうと思っている。もしや、と思ったがやはりそうであった。紙田治一の生涯 [記録]に親子の写真が出ている。現在は画家となっている紙田彰処女詩集「魔の満月」(書肆山田刊)を持って詩壇にデビューした頃、詩人として出会っている。つまり自らキーボードをたたいて体験者として通化事件の記録を残した紙田治一氏は私の古い友人の父親であった。

追記:2012年10月12日
通化事件:英文資料を読むより10倍の時間と100倍の疲労を感じ、何度も何度も休憩を入れながらフラフラになってようやく読み終えた。思考がいろんな方向に結びつき、過去の情報と繋がり、閃いては消え、立ち止まっては、頭を休め「読み」に戻る、また途中何度も投げ出したくなったことも事実である。古い友人の父親が書き残したものでなければ、途中で「読み」を放棄していたかもしれない。いろんな思考が立ち上がり浮遊し、途中で時間を奪った。心と頭が疲れた切った。これを読んで、疲労困憊しない日本人はいないだろう。知識があればあるほど独自の判断を入れたくなる。そして現場にいなかった者として、いくら考えても深く考えても、それは「独断」を免れない。判断は論理を必要とするが、今は疲れて論理が動かない。かすかに感情的思考がただ残るのみである。所謂感想である。
感想1:南京虐殺と、慰安婦問題に類似したものがセットで出てくる。これらは、通化事件からパクった転用ではないか。つまり、自分たちのしたことを、立場を逆転させてあれらを捏造したのではないか。だからありありと、目の前に展開するように語れるのだ。そっくりすぎる。つまり通化事件が、南京や慰安婦の種、になっているのではないかということ。
感想2:これを水島さんにぜひ映画にしていただきたい。このインパクトなら南京のPropagandaを押し返せる。私は過去記事で水島さんの映画のコンセプトを2度否定している。過去記事1過去記事2。早い話が南京のPropagandaを打ち崩すための映画に「南京の真実」などという勘違いするようなタイトルを付けること自体が最悪である。「7人の死刑囚」などというコンセプトも否定すべきことをはっきり否定するものではない。死刑囚という前提を持ってきて、どうして否定できるんですか。 「通化事件」だったら、南京の虐殺というのは、なかったとかあったとか言ってるけれど、本当はこれだったのかと、たいていの人は思うでしょう。慰安婦もしかり。嘘よりも事実が強いに決まっているのです。事実を見せれば、パクリがわかる。
感想3:満州国成立前から満州には漢人が多くいた(焚書図書開封7)らしいけれども、文章の中で満州族を漢民族のように勘違いしている記述が2度あったのが気になった。(引用:だが、第二の悲劇は日本人よりも、むしろ満人……今は中国人となった漢民族の上に、より多くの試練を下すものであった。)満州人は本来女真族の筈で、五族協和で満漢が出てくるのは満州族は漢民族ではないということなのだから。
感想4:この資料は元共同通信社記者、社会部長・山田一郎氏の著「通化幾山河」(『秘録大東亜戦史』満州篇下巻、富士書苑、昭和28年)を基本的に参考にした。ーとありましたが、本当に山田一郎なる人がいたのかどうか、身分を隠した、いかにも偽名のような名前。幾山河にしても瀬島龍三回想録と同じタイトルで、内容と合わないように思うのです。なぜそう思うかといえば、「このとき、山田一郎著「通化幾山河」について事実に相当違いがあるという多数の意見が出され」という筆者の発言もあるので、この点は見落としてはならないのではないかと。所々に日本軍の悪や平和主義が匂うところも、少し気になる。この程度のマイナス史観は「言挙げ」の松原久子氏にもあるものなので、気にする方がおかしいが。パースペクティブをもって書くためにはこの本を参考にせざるを得なかったこともよくわかる。山田一郎氏に関してはあとで調べれなんとかわかるだろう。
感想5:映画にする場合は、紙田氏の視点、つまり蜂起自体が仕組まれた工作にハメられたものであるという見方で描くのがベストだと思う。(引用1:略称「日解連」と呼ばれるこの団体は、北支山西省延安の日本人政治学校で岡野進(野坂参三)から共産主義教育を受けたといわれる杉野一夫(杉本一郎)という人物の指導の下に、中共軍の日本人に対する意志伝達の下請け機関として生まれたものであった。引用2:岡野進(後の日本共産党の野坂参三氏)が作ったという大会運営方式で議事が進んでいった。)通化事件には明らかに岡野(野坂)の影がある。ひとつ前の記事にNozaka was responsible for the POWsと書いた。野坂は延安で日本人捕虜の思想改造を担当していた。その完成したものが通化に来て全てを動かしている。野坂と一番頻繁に接していたAriyoshiはOWIのPropaganda心理作戦の専門要員である。仕組まれた工作の必要がなければ、延安から共産党員化した日本人が送り込まれる必要はない。(参照)野坂が教育したPOWsは全てが農村出身者か無産階級者であった、で?と思ったが、共産化しやすそうな人間を選んで命を維持させ(他を殺戮することで、彼らはすでに選抜された者なのだ)彼らを優遇し、完璧な党員に仕立て上げたものと思われる。通化事件加害者の中には中国共産党に加わった旧日本軍人が多くいた。実際彼らは満人や国民党兵や多くの日本人住民を虐殺した。戦後「中国で女を強姦したとか、中国人を多数虐殺した」とか歴史の証言者として語る日本人の多くは、中国共産党員になっていた日本人だとすると、すべての説明がつく。事実彼らはそうしたのであり、それを証言するのも彼らが宿題として持ち帰った任務なのだ。いずれにせよ通化事件は引っ張り出して公にし拡散しなければならない。いろんな不可解な謎の解明に繋がるはずだ。
感想6: この通化事件を読んで一番思うことは、ねずさんのひとりごとのタイトルにあるように「国を失うことの過酷」に尽きる。国を失えばこうなるのだと、読んで鮮明に感じ取っていただきたい。本来人間存在は国家とかくも直接に一体化しているものなのだ。私が一番それを感じたのは以下の部分だ。(引用:「紅軍進駐万歳!」と赤い字で大書したアーチである。楊旧通化省長以下の日満要人が駅頭に出迎えた。手に手に赤い小旗を持って。)国を失くすということをこれほど痛感させるシーンはない。否応なく奴隷化しなければならない被占領者の悲哀であり屈辱である。たとえハメられたとは言え、決起した日本人たちを誇りに思う。日本は占領期間があったとは言え、国土が残り国民も日本人であり続けた。しかし満州国は消え、その国民も泡のように消えた。「国を失うことの過酷」をシミュレーションでもいいから体験することは、今の日本人の意識に大きな変革をもたらすだろう。そう願いたい。
追記:2012年10月28日
感想7:紙田治一氏遺稿のこの部分、永久陣地「光建設」の計画は、どのような作戦と連動していたのだろうか?敗戦を目前にして、日本本土が占領された場合、ここで踏ん張るという発想は地政学的にも有り得る。永久陣地という呼称も「光建設」という計画名も非常に説明的でわかりやすい。それは着々と準備されていたのだ。御前会議で敗戦が決まった時点で、計画は突如破棄・忘却されたのだろう。敗戦後関東軍が引き上げたとは言え、共産中国は余力が出来次第、やはり不気味な「永久陣地」をたたきつぶそうと、計画的に延安から前田光繁をはじめとして、骨の髄まで共産化した工作員を送り込んだと解釈できる。

追記:2012年10月17日
通化事件 その1 & その2 & その3 & その4
通化事件に巻き込まれた流転の王妃
追記:2012年10月19日
通化事件 その5 &
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追記・参照 2012年10月29日
年表 日中戦争以後詳細
戦中・戦後を中国で生きた日本人について
Interview List 必読
岡野進の残留日本兵改造
例:11.日本人民解放連盟の出現
例:7.解放連盟の学習会
例:11.牡丹江
例:4.敗戦後の満州
例:28.和平会談決裂
例:29.残留日本軍の終焉
米澤泰英 新刊案内

暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏
長谷川毅著:Tel Quel Japon過去記事
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・・・・・追記:2012年11月8日・・・・・
無理だと半分諦めていた書物を入手した。大東亜戦史7満州編(下)、富士書苑 昭和49年2月5日9版発行、というものだ。謹呈 中東和英の署名と印鑑がある。この人は執筆者のひとりだ。その裏には寄贈者 川北哲殿、という記述もある。お借りした先は、和歌山県立図書館。貴重な写真、イラスト、略図などもある。人が借りて読んだ痕跡は全くない。何故この本を入手したかといえば、山田一郎氏の「通化幾山河」が収録されているからだ。全部で18あり「通化幾山河」は7番目にある。軍人であろうと民間人であろうと、満州に暮らし引き上げてきた親族のいらっしゃる方には、興味深い書物になるのではないかと思う。文字を介してであれども「現地に飛ぶ」体験が視点が必要だと思うからだ。「大事に扱ってください」と図書館員からの伝達があった。言われなくても、撫でるように大切に扱うつもりだ。皆さんにもそうして欲しい。
・・・・・追記:2012年11月10日・・・・・
この文章のなかに以下の部分があるのでピックアップしておく。よくある名前なので何とも言えないが野坂と行動を共にする山田一郎なる人物(おそらく仮名)が登場する。野坂同様大抵が別名を持っているので紛らわしい。

四六年五月二十三日付の東京のCICが野坂の帰国日程をまとめたものがあるにはある(26)。しかしそれは一月十二日に福岡、一月十三日に東京に着いたといったソウル以降の記録が新しいだけである。釜山から福岡までに同船した者には森健、山田一郎、梅田照文のほかに佐藤タケオという人物がおり、さらに野坂よりも数日前に釜山から福岡に着いた岡田文吉が、彼と東京まで同行したとある。

ついでながらこの岡田文吉はTel Quel Japon過去記事に登場する延安名、沢田淳なる人物で、網走刑務所にいる日本共産党幹部徳田球一から延安の岡野に密使として派遣された男である。ご記憶あるだろう。あの河本大作の力を借りて日本から延安入りする日本共産党員である。
探してみるとこの文章に「通化幾山河」を書いた山田一郎氏が登場する。松本重治にイメージが重なる人物のようだ。ひょっとしてこの山田一郎氏と同一人物なのだろうか?

・・・・・追記:2012年11月23日・・・・・
大東亜戦史7満州編(下)、富士書苑 昭和49年2月5日9版発行、を読んで暗澹たる気持ちになった。整えたインフラ、武器、軍人、そこに暮らした日本人、日本の敗戦は、すべての投げ捨てのような気がする。武装解除の命令の前に、熟慮すべきことがあったのではないのか。せめてこの本を紹介しておきたい。
9784769827191.jpg
参照:菊千代さん: 参照:鉄太郎さん

コメント

滿族人不喜歡日本人
滿族人最希望日本滅亡
滿族人萬歲

  • 2013/01/01(火) 19:49:30 |
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「インターネット日録」の再出発にあたり

当ブログ「西尾幹二のインターネット日録」のヴァージョンアップの改築工事中ですが、面倒な作業を続行している高木薫さんにまず厚く御礼申上げます。

間もなく坦々塾新年会のシンポジウムと質疑応答を録画したYouTubeを開示いたします。再出発にふさわしい内容と存じます。

さて、私はといえば、全集第13巻『日本の孤独』の「後記」約50枚を一昨日完了し、これから『正論』の連載に取りかゝるのですが、その前に「確定申告」の計算を計理士に渡すという面倒な、一年でいちばん嫌な仕事を片づけねばなりません。

きっと気づいている方はいると思いますが、『正論』の連載は遅々として捗りません。いま新しい鎖国論を試み始めていて、その入り口で立ち停っております。鎖国に入ったわが国の前期鎖国時代(1630~1750)を日本の外から眺めるという視点が、今までの歴史書にほとんどありません。日本史研究家にありません。

イギリスの地球侵略史の全体構図の中で、なぜ日本列島と北太平洋は見逃されていたのか。日本の軍事的強さゆえなのか、ぼんやり見過ごした幕府の迂闊さなのか、恵まれた富(金、銀、銅の埋蔵)のゆえか、東側の海(北太平洋)が深く荒涼たる深淵であったがゆえか、そういうことを今までの歴史家は考えないのです。日本史の内側のことを詳しくほじくっているばかりです。

今このテーマにぶつかっていて、勉強の時間が足りなくて、立往生しています。連載は2回休みました。編集長に「あゝ書けない!今月も書けないですよ。時間が足りない!」と嘆いて、代りになんらかの『時局論』を書きます。かくて3月号は「日韓合意の悪夢の到来」を、4月号は「覚悟なき経済制裁の危険」を書いて、お茶を濁しました。これが真相です。

濁したお茶も、それぞれ味も良い、こくのある濃いお茶ですから、安心して飲んで下さい。水で薄めてなんかしていません。けれども歴史論より10分の1の時間で書けるのです。

「GHQ焚書図書開封」をYouTubeでご覧下さっている熱心な愛読者の方もおられるので、これについてもひとことご報告しておきます。

この仕事は本当はもう止めたいのです。種本はいくらもありそうですが、使える本、テレビに向いている本、読みあげて分る本は尽きかけています。テーマは勿論まだたくさん残っています。「ユーラシア侵略国ロシア」「ノモンハン事件」「満州」など、きりがないほどテーマは残っています。今週からロシア史に取りかゝりました。3月末放送を皮切りにロシア史をつづけます。4月にいよいよついに200回目!の放送録画となります。順にYouTubeでも流布しています。

次回の刊行本は「GHQ焚書図書開封」第12巻「名著発見」で、和辻哲郎、真山青果、山中峯太郎、を取り上げます。わけても真山青果の戯曲『乃木将軍』が白眉です。この巻では、司馬遼太郎の『殉死』を集中的に批判しました。すでにYouTubeでご覧の方もいるでしょうが、本になったら「歴史とは何か?」をしかと考えて下さい。通俗作家は結局は通俗的なのだということもきっと分るでしょう。

では、読者の皆さま、今後も「インターネット日録」をご覧下さい。コメント欄もよろしくお願いします。