若い三候補者応援の旅

明日9月1日19:00~日本文化チャンネル桜に出ます。

報道特番
《西尾幹二が郵政改革を斬る!!》

当日録でも、チャンネル桜の許可の下、動画を配信する予定です。

 私はこの夏、たまたま二着の夏服をしつらえた。なぜ二着かというと、二度つくりに行くのは面倒だからである。そしてまた、一度つくると何年もつくらない。

 よれよれになるまで着て、また慌てて二着または三着をいっぺんにつくる。不精なのである。

 大分、宮崎、静岡を二日で回る真夏の衆議院議員候補者応援の旅は汗だらけになりそうである。私は着古したよれよれの服を着て行こうとしたら妻に叱られた。

 二着のうち一着はまだ着衣に及んでいない。着ないで秋になりそうである。来年の夏にはもうその新しい服を着ることが出来ない身になっているかもしれないではないか、と妻は言った。

 これは嫌味でも皮肉でもない。私は二度重病で倒れている。

 私は手を通していないチャコールグレーの新しい夏の背広を着て、長距離の旅に出た。

 私はこの旅を自分から発起した。無駄なことをする、止めなさい、とは妻は言わなかった。黙って送り出した。

 8月15日の靖国の境内で日本会議事務局総長の椛島(かばしま)有三氏に私が今度の選挙で守りたい六人の名を挙げた。椛島氏の意中の名とぴったり一致した。私は応援に行きたいと言った。協力しましょう、と氏は言った。

 日本会議やつくる会やモラロジーやキリスト教幕屋や自民党県連、市議会議員、その他関連団体の方々が行く先々で私を迎えて、案内してくれた。椛島氏や同会議の松村氏が大分で待っていて下さった。

 旅に出る前日の26日夜中に、『Voice』10月号の原稿25枚が終った。23日に岩手から帰った直後だったので、執筆時間は正味二日間だった。いつもこんな風に時間の綱渡りをしている。いつまで体力がつづくだろうか。

 『Voice』は〆切りから発売まで2週間もかかるという作者泣かせの例外的な雑誌である。26日は最終〆切りで、雑誌の発売日は9月10日である。内容がいい雑誌なのに、『正論』や『諸君!』に立ち遅れがちな理由は多分この日程の不合理にある。

 9月10日では何を書いてももう11日の選挙投票日に影響を与えることはできない。私はコピーを作成し、3人の候補者にせめて読んでもらおうと、三つの封筒の中にそれを入れ旅の鞄に収めた。

 27日の夜羽田空港ホテルに泊まって、28日13:00~15:00、大分市でE氏激励講演会。それから列車で3時間半かかって宮崎、乗り継いで都城まで45分。幹線を外れると、列車は旧式で汚れている。日本の鉄道は決して生き返っていない。民営化は末端を貧寒とさせる見本である。

 F氏激励講演会は20:00~21:00。ここまで椛島さんも同行、かつ熱弁をふるわれた。終って椛島さんは夜行で大分に帰られるので、彼の方が大変だなと思った。私は支援者たちと芋焼酎で乾杯。候補者たちの武運を祈る。

 都城の宿で『Voice』編集部から電話が入り、拙論のタイトルが正式に決まった。すなわち「狂人宰相、許すまじ」。

 この論文は臨床心理学の某教授との合作である。織田信長との比較論でもある。しかし、約4分の3はエコノミスト各氏の意見をも引例して郵政民営化をめぐる経済学上の議論を基礎に置いている。勿論、法案を私なりに緻密に読んで分析している。

 翌29日朝、車で鹿児島空港へ。そこからJALで中部国際空港に降り立った。二人の関係者が迎えて下さった。この空港は初見参である。

 空港から長距離バスで2時間浜松へ。飛行機の中でも、バスの中でも私はたゞひたすら眠っていた。浜松でまた迎えの方がおられて、浜北市へ約40分かけて運んでもらった。

 たくさんの人たちの熱意は私のためではない。候補者のためである。彼らを当選させたいという多くの人の熱い思いが結実した現われである。

 18:00~20:00K氏激励講演会。会場は三つどこも満員で、感情の高ぶりに満ち溢れていた。

 三候補者の様子、状況、観測、見通し等は読者の関心でもある処と思うが、今は書かない。たゞ三氏ともに活力に満ちて、元気だった。

 帰京した翌日8月30日に選挙戦が全国一斉に正式に始まった。衆議院の選挙に応援の無償の講演会を自分から希望して行うなどは私の人生でも初体験である。私に体力の余裕があるわけではない。私の時間はとても切ないほどつねに足りない。

 なにものかへの私の憤りがたゞごとではないことだけは理解してほしい。

 私の講演会に呼ばれた人たちは候補者を支援する各団体の活動家たち、協力者たちである。だから熱心だし、私の話も分ってくれる。

 それにくらべ、候補者が相手にするのは大衆である。さぞ大変だろうな、と同情する。

 帰京して日録を見たらコメント欄に私の所論を読まずに、日録の文章にだけ反応している人が多く、『Will』の拙論をきちんと読んで論評して下さった方はわずかひとりであるのを残念に思った。

 日録はご覧の通り私の郵政民営化批判の論述展開の場ではない。私の論述は、再度確認しておくが、次の通りである。ぜひこれを読んで論評してほしい。
 
 ・小泉「郵政改革」暴走への序曲(20枚)『Will』10月号
 ・小泉首相の「ペテン」にひっかかるな(6枚)『正論』10月号
 ・狂人宰相、許すまじ(25枚)『Voice』10月号。

 尚、私は31日に文化チャンネル桜で「郵政民営化の正体」を単独スピーチ録画してもらう。放映時間は先方に任せる。

 さらに、東京でも講演をする。以下の通りである。

緊急集会!―郵政と拉致と教育を考える―

●登壇者:西尾 幹二氏(評論家)
       西岡 力 氏(救う会副会長)
       椛島 有三氏(日本会議事務総長)
●日 時:平成17年9月4日(日)
      午後2時開場 2時半~4時半
●会 場:ゆうぽうと 6F会議室「菖蒲(あやめ)」
      Tel 03-3494-6339
      東急池上線大崎広小路駅徒歩1分
      JR・都営地下鉄五反田駅西口徒歩5分
●主 催:郵政と拉致と教育を考える東京都民の会
●後 援:日本会議東京本部
●参加費:無料
●お問合わせ:〒153-0042目黒区青葉台3-10-1-601
        Tel 03-3476-5695
        Fax 03-3476-5612(担当:藤井)

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小泉政変と岩手の旅

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 8月22日-23日は忙中に閑あり、少し寛いだ、いい思いをさせてもらった。岩手県花巻温泉の随一の高級旅館「佳松園」で一泊した。

 松の林に囲まれた館の位置がいい。お湯も清潔で、広々としていて、露天の眺めもいい。車を運転してくれた旅館の従業員が「私たちは時間外でも入浴禁止なんです」と言っていた。

 朝食も食材にひとつひとつきめ細かな配慮があり、京都その他の一流ホテルの朝食よりずっと上等だと思った。

 夜は中庭に篝火(かがりび)がたかれ、建物と建物の間に岩清水が湧き出ていた。平成12年の開店で、まだ桧の香も漂っている。

 それで講演は「森林と岩清水の文明」(『国民の歴史』)から始めた。東北は縄文の中心地である。そのあと乞われていたテーマに従い、領土、皇位継承、歴史教科書の順に語った。岩手県神社総代連合会定期大会である。

 午前中は、雛壇に県内の各党候補者が坐っていたそうである。私は12時半からの講演で、郵政民営化のテーマはあえて口にしなかった。ここは小沢民主党の地盤である。郵政反対票を投じた自民党議員は岩手県にはいない。しかし賛成派はいる。集った1000人から成る神社の総代さんの中には特定郵便局長もいれば、小泉シンパもいる。だから私は講演では一言半句も郵政については言及しなかった。

 新幹線は東京まで3時間半である。東京駅で『夕刊フジ』を買った。期せずして小沢一郎氏の顔写真が大きく出ていて、造反組の自民党議員について、普通いわれているのとは違った意味の厳しいことばを語っていた。私は共感した。

 

「首相の術中にはまっている。彼らは『(独裁強権の)小泉が牛耳る自民党ではダメだ』と言うのだから、自民党をぶっ壊すぐらい全面対決しなければ話にならない。それなのに『自分たちこそ自民党だ』なんて言っている。国民の目には奇異に映るし、理解されない」
――無所属で戦う造反組は「いつか復党する」と考えている。
 「復党なんか無理だ。刺客候補が比例重複で当選するんだから、いくら無所属で勝っても、その選挙区には自民党議員がいる。総裁が代わっても、現実問題として復党させられない。権力から離れた元自民党議員なんて誰も応援しなくなる。ピントがずれている。」
――彼らは腹がくくれていない。
 「郵政法案を否決した時点で造反組が総結集していたら、大変な新党になっていた。小泉マジックにも絶対負けなかった。反対する以上は徹底して戦わないとダメだ。子供のママゴトじゃないんだから。そこをまとめ切れるリーダーが」造反組にいなかったということだな」
――それにしても、同じ釜のメシを食った同志に刺客を送るなど、首相の手法は日本人の感覚を超越している。
 「それでも首相が支持されるのは、国民も『今までのやり方ではダメだ』と思い、『首相は本気で改革に取り組んでいるのでは』という期待と錯覚を持っているからだ。しかし、実像はまったく違う」
 「今回の解散は、自分の保身と権力維持のためだけの強行策だ。自民党の不始末でこういう事態を招いたのだから、本来は内閣総辞職以外にない。それなのに論理をすり替えて、権力を振り回して解散した。恐るべき人間だ」

 私はむしろこんな風に解釈する。世の中の人は自分のことでないかぎり悲劇が見たいのである。強者が出て、誰かが転落するのを見たい。退屈しているからである。

 「パンとサーカス」のうちパンは満たされているのでサーカスが見たい。小泉純一郎はこういう頭だけは発達している。

 「“笛を吹き鞭を振る”冷血な魔術師の頭脳だけは備えているわが宰相である。」は、私が佳松園の座敷にファクスで校正用に送られてきた『正論』の、6枚短文の中の一文である。

 小泉首相は再選されたとして、郵政法案を再提出する場合に、過半数でいいと思うのは間違いである。三分の二を得なければ憲法の精神に合わない。また、否決した自民党参議院議員にも衆議院造反議員にしたのと同様に、離党勧告をしなければ筋が通らない。

 彼は筋の通ったことを国民に要求しているような顔をして――そしてそういうことで国民の喝采を得て――じつはいろいろな処で筋の通らない矛盾したことをやっている。造反衆議院議員に離党勧告をしたとき、武部幹事長は自発的に離党してほしい、そうしてくれればいつかまた一緒にやれる日が来るかもしれない、さもなければ選挙後、党紀委員会にかけ罷免する」と言った。これは当事者の未来を不安にし、心をいじめる方法である。悪質である。

 それでも大衆は、「そうだ!それくらいきっぱりやれ!」と喜んでいる。人が追いつめられたり、迷ったり、苦しんだりするのを見るのは快楽だからである。

 が、いつの日かフッとこの空気が変わるときがくるかもしれない。国民が日本社会の体質の異変に気がついて、不安になったときである。その転機が9月11日までにくれば、自民党は敗北するだろう。

 私は参議院で再否決される可能性は高いと見ている。いままで参議院否決派議員の心理を不安にし、追いこんでいて、彼らを硬化させ、彼らの猜疑心を高めてしまったからである。

 公明党の神崎氏は、「もしそうなったら首相の任期を延ばして次の参議院選挙で議員を入れかえればよい」とまで言っているが、ここまで言うのは二院制の法秩序を無視し、国民をバカにした独裁者の無法の論理で、もうお話にならない。

 私は挫折した小泉純一郎の次の行動に注目している。この精神タイプは自己破壊ではなく、必ず他者破壊に向かう。彼は孤独の人である。恐しいことが起こるかもしれない。

小泉政変への友人たちの見解(二)

衛藤晟一前厚生労働大臣激励講演会

日程:平成17年8月28日(日)
時間:13:30~15:30
会場:市町村会館2階ホール
   (※大分県庁のとなり)

古川禎久議員激励講演会

日程:平成17年8月28日(日)
時間:20:00~21:30
会場:宮崎県都城市・小松原地区体育館

城内 実議員激励講演会

日程:平成17年8月29日(月)
時間:18:00~20:00(予定)
会場:静岡県浜松市・浜北市商工会館3階会議室

なお、いずれの選対も電話隊などが不足しているとのことです。
ボランティアでご支援いただける方がございましたら、ご連絡いただければ幸いです。

 この他に、
平沼赳夫(岡山3区/津山市、備前市、赤磐市、真庭市*旧北房町の区域を除く、美作市、赤磐郡、和気郡、真庭郡、苫田郡、勝田郡、英田郡、久米郡)
森岡正宏(奈良1区/奈良市*旧都祁村の区域を除く、添上郡)
古屋圭司(岐阜5区/多治見市、中津川市*旧長野県4区から旧山口村を編入、瑞浪市、恵那市、土岐市、土岐郡、恵那郡)
西村眞悟(大阪17区/堺市南部)
の諸候補を支援することを宣言し、当選を心からお祈りしている。

 
 『正論』誌の冒頭に各5枚ていどの随筆欄がある。10月号は随筆ではなく、論説にするので書いてほしい、といわれたのでどういう意味なのか編集の意図がしばらく分らなかった。

 しかもテーマは「歴史認識」だという。いままであの欄には「私の恩人」とか「わたしの贅沢」とか「銀幕の記憶」といったテーマがついていたが、今度は「歴史問題、戦後60年の今こそ反撃の狼煙を」というものものしいテーマで行くらしい。

 書く人は田久保忠衛、渡部昇一、小堀桂一郎、中西輝政、それに私である。もう一人江崎道朗氏がおられる。雁首並べて、論壇が問いつめてきた「歴史認識」という共通テーマを巻頭随筆欄で語ることを雑誌は企画している。なにか考えているのである。

 私は言った。「歴史について書くのはいいが、今は政局のほうが気になる。」「政局がらみでいいですよ、いや、ひとりくらい政局を論じてもらった方がいい。」「歴史のテーマになりませんよ。」「小泉さんの歴史認識を冒頭に振ってくれゝばいい。」「なるほど。」

 というわけで約6枚の文章を今日20日に書いた。題名は編集者と相談してつけた。「小泉のペテンにひっかかるな」。『Will』につづく第二段である。

 冒頭の3行だけいま内緒で紹介する。文の頭に振った「小泉さんの歴史認識」についてである。

 

8月15日に小泉首相は靖国参拝をしなかったが、期待していなかったので驚くこともなかった。村山談話にことばを合わせた首相談話が出たそうだが、読んでいない。四年前にも似たことがあったなとチラッと思っただけだった。

 文の最後にも5行ほど「小泉さんの歴史認識」について書いて、まとめにした。残念ながらそれは紹介できない。気をもたせるようだが、10日ほどたったら誌上でぜひ読んでいたゞきたい。

 わが国の宰相がいかに誇りのない人物で、そしていかに知識が狭く、いかに知性が低いかを示すエピソードを二つ挙げておいた。郵政民営化のペテンはこの無知のしからしむるところである。

 なにしろ外資に売り易くするように工夫して会社をいくつにも分けて編成しているのが改革案である。双子の赤字のアメリカは110兆円がないともうやっていけない処に来ているのである。そして日本はさいごの綱である郵貯簡保を売り渡せば、銀行が頼りにならない昨今、国民は自国通貨を信用しなくなり、韓国のようにIMF管理になり、やがてアルゼンチンのように失業者が巷にあふれるような国になるであろう。

 私が12人の知友に発した決意表明のメイルに対して応答して下さった中から、今日は三編を紹介する。

西尾先生のお考えに全面的に賛成です。

小生は、家族会・救う会として北朝鮮への制裁発動を争点とせよという運動を展開すると同時に、個人として郵政反対派の中で拉致議連幹部などを応援に行くつもりです。
また、同じ趣旨の小泉批判を、本日収録した正論10月号座談会(9月1日発売)でもじっくり展開しました。

西岡力

 次の二編は匿名にさせていたゞく。お二人とも九段下会議の参加メンバーである。

西尾先生

節操ない・・見境の無い小泉のやり方。

ジェンダーフリーの使い走りのような人や 外務大臣の座を狙っているのか上昇志向が強いだけの人。 
「郵政」のみで 他の 「人権擁護法案」や「外交問題」etcでの 功績や 考え方など 考慮しない今回のやり方。

どんな思想でも 郵政賛成なら あんたは 良いのか?と 問いたい。
感情ではなく 政治の立場で 議論して欲しい。

「自民党を ぶっ壊す」だけで 「再生させる気はあるのだろうか」 と 解散以降 眠れません。
確かに郵政民営化も必要ですが 外交問題etc 問題山積みのこの時に 政治に空間を作ってしまったことに怒りを覚えます。私は無力です。抵抗の術を知りません。私に何が出来るのでしょうか?

おっしゃるとおりですね。
鍵になるのは財務省が特殊法人に資金を垂れ流しにしている実態を隠したまま、アメリカに言われたとおりに郵政民営化を主張しているという事実が、まだ国民に十分知れ渡っていないということでしょうね。本当は,財務省が、しかも主計局が問題なのだということを,一刻も早く多くの人に知ってもらうことが重要なのだと思います。私も、何か参考になることがあれば、先生にお知らせします。がんばってください。

 心のこもった応答に感謝申しあげる。

なお別件であるが8月23日12:30~14:00岩手県花巻市湯本の花巻温泉ホテル紅葉館で、岩手県神社庁主催の神社総代の定期大会にて、私は「戦後60年国家主権を考える」と題して講演する。関係者の閉ざされた会であるが、1000人から集まる大会で、つくる会や私の一部愛読者など20人くらいなら席を用意すると主催者は言っている。希望者は担当平賀裕貴氏(Tel 019-622-8648)に相談して下さい。

小泉政変への友人たちの見解(一)

 8月28日から次の表が示すとおり三人の候補者を応援する旅に出る。

衛藤晟一前厚生労働大臣激励講演会

日程:平成17年8月28日(日)
時間:13:30~15:30
会場:市町村会館2階ホール
   (※大分県庁のとなり)

古川禎久議員激励講演会

日程:平成17年8月28日(日)
時間:20:00~21:30
会場:宮崎県都城市・小松原地区体育館

城内 実議員激励講演会

日程:平成17年8月29日(月)
時間:18:00~20:00(予定)
会場:静岡県浜松市・浜北市商工会館3階会議室

なお、いずれの選対も電話隊などが不足しているとのことです。
ボランティアでご支援いただける方がございましたら、ご連絡いただければ幸いです。

 この他に、
平沼赳夫(岡山3区/津山市、備前市、赤磐市、真庭市*旧北房町の区域を除く、美作市、赤磐郡、和気郡、真庭郡、苫田郡、勝田郡、英田郡、久米郡)
森岡正宏(奈良1区/奈良市*旧都祁村の区域を除く、添上郡)
古屋圭司(岐阜5区/多治見市、中津川市*旧長野県4区から旧山口村を編入、瑞浪市、恵那市、土岐市、土岐郡、恵那郡)
西村眞悟(大阪17区/堺市南部)
の諸候補を支援することを宣言し、当選を心からお祈りしている。

 
book_home.jpg 8月19日夜ようやく最初の原稿22枚を脱稿した。調べたり考えたりするのに時間がかかり、書いたのはまる2日だった。
『Will』10月号である。
標題は「小泉『郵政改革』暴走への序曲」。

 編集長の花田紀凱氏よりファクスで返信あり、「力作です。なぜ新聞がこういう事を全く書かないのか。怠慢というしかありません。きっと評判になると思います。」と書いてあった。

 衆議院解散が憲法違反であること、今回の郵政民営化法案は財務省の積年の野放図な金融の垂れ流しを覆い隠す秘せられた意図があること、健全に経営されてきた郵便局を株式会社化する目的の一つは郵貯・簡保の資金の実体をあいまいにして財政投融資の実情をごまかすこと、小泉は愛国者ではなく竹中と組んで郵貯バンクを外資に買収させるのに歯止めになる一文を法案に明記するのを拒んだこと、日本の財政全体が破綻にまっしぐらに進んでいる事態に小泉は勇敢に立ち向かうのではなく卑屈にごまかそうとしていること、小泉政権は一種の擬似ファシズム政権であること、「役人が悪い、官僚はけしからん」という単純な感情に引き摺られてテレビや新聞まで大衆煽動に走っているのは典型的な劣情喚起の政治的誘導であること、産経がいちばん浮かれていておかしいこと、小泉が勝てば任期を延ばし独裁体制になること、だからといって民主党が勝っても救いがなく、自民党が相対多数になれば民主党と大連立になる思いもかけぬ波乱の結果が予想されること、etc.・・・・・・・・

 『Will』は8月の26~27日ごろに店頭に出るので、選挙前の動きにまだ多少とも影響を与えることができるので第一にこれを選んだ。そのあとは『正論』10月号に5枚のエッセー(最近毎号書いているので今回は短い、たゞし政変について書く)を、『Voice』10月号に25枚の同一テーマの延長をより詳しく綴る。選挙が終って、様子が少し分ってから、『諸君』11月号(9月18日〆切り)に今回の小泉政変と日本政治の今後の行方について私なりの総括を書く予定である。

 発売日は『Will』が8月26日、『正論』が9月1日、『Voice』が9月10日、『諸君』が10月1日という風に少しずつズレるので、時間差を利用しつつ、時局の微妙な変化を映し出すように、むしろ変化を役立てて書きたい。

 ところで、此度小泉政変について私は前回示した通り次のメイルを約12人の知友に送った。
 

小泉のやり方とそれに唯々諾々と付き従う無批判の自民党の大勢になんとも怒りをおさえることができない。評論界も沈黙だが、小生、無力でも抵抗するつもり。

 知友からこれに対するコメントが寄せられつづけている。今回は長谷川真美氏と福井雅晴氏のコメントをご紹介する。

 長谷川真美氏(広島県、主婦)

私のブログでの私の独り言です。
=====================

▲ 民主主義じゃないよね

亀井静香さんは余り好きではないけれど、彼がこう言っていましたね。

これ(小泉さんの手法)は恐怖政治、強権政治だと。

今、小泉さんに反対を唱えることの出来るひとはいません。
現在造反?議員となってしまった人はともかく、
郵政賛成を表明した人で、小泉手法に文句を言える人がいるでしょうか。
公認をしないと言われれば、政治生命を取られたようなもの。

次回は絶対郵政民営化の法案を通して見せると小泉さんは言っています。

つまり、次回は参議院の反対派の公認をしないということで、
賛成へもっていくということ。
脅しを実行したという実績のある恐怖で、
参議院で反対に回った人の意見を変えさせるわけね。

議員さんは、落選すればただの人。
国会議員という立場を失えば、どれほど惨めであるかは
議員をやった人にしかわからないほどのものでしょうから、
参議院で反対派に回ったひとを脅すのにこれほど有効な手はありません。

自民党改革をしているのではない、
小泉イエスマンを回りに集めているだけだと、
平沼さんも言っておられましたね。

今、小泉さんに忠告する人は、だぁれもいない。
みんな恐怖にひきつっている。
みんなイエスマン。
それでも支持率はうなぎのぼり。
大衆はそうやって、ヒットラーを熱狂的に支持したように、
強く、自分を押し通すカリスマにしびれるのかもしれない。

本当にいいのか
こんな手法を認めちゃって。
こんな手法をやんやと、はやし立てて。

恐怖で人を操るなんて、
民主主義を標榜する政治家のすることじゃないと私は思うんだけどなぁ。

福井雅晴氏(企業経営)

西尾幹二先生

色々な方とお話しをしたり、さまざまな文献を調べれば調べるほど、
「郵政民営化」の具体的スキームは彼自身が考えたものでなく、
小泉さんという郵政に対し特別な持論(悪意をも含む)を持つ人間を
「たまたま権力の座に着いたので」利用している人、あるいは組織がいるように思えてなりません。

それがアメリカであるのか、旧大蔵官僚(財務省・金融庁)であるのかまでは明言できませんが。
明言できないというのは、推論による答えは導き出せても証拠が無いということです。

いずれにせよ、こんな法案が通ったあかつきには、今回取った政治手法も含め、
その結果として国が滅ぼされてしまいます。

ヒトラーやゲッペルスがしばしば発したといわれる言葉、
「国民は私を支持したのだ。どんな結果になろうと、連中の責任だ。私はだからやつらに同情などせんよ」
を思い出してしまいます。

そして、ヒトラーに独裁の力を与えた栄養分というのが、彼の側近の怯懦とメディアに踊らされた国民の熱狂だといいます。

「歴史の転換期には、時として、ふさわしいリーダーが不在という現象が起きる。
権力を狙う勢力は、そこヘピエロを送り込み、彼を操縦しようとする。
しかし、ピエロは物理的に力を持ってしまい、社会全体がとんでもない方向へ暴走する。」

これは今上映されている映画の売り文句です。
ヒトラーのような、ただの見すぼらしい変人が、世界をおびやかす独裁者に成長する恐さが表現されています。

今、この時期にドイツ映画「ヒトラー~最期の12日間~」が封切られているというのも皮肉なものです。

 深く考えさせられる内容のお二人のコメントに心より感謝する。

 なお別件であるが8月23日12:30~14:00岩手県花巻市湯本の花巻温泉ホテル紅葉館で、岩手県神社庁主催の神社総代の定期大会にて、私は「戦後60年国家主権を考える」と題して講演する。関係者の閉ざされた会であるが、1000人から集まる大会で、つくる会や私の一部愛読者など20人くらいなら席を用意すると主催者は言っている。希望者は担当平賀裕貴氏(Tel 019-622-8648)に相談して下さい。

お知らせ

下記の通り、講演会を開催いたしますのでご案内いたします。

衛藤晟一前厚生労働大臣激励講演会

日程:平成17年8月28日(日)
時間:13:30~15:30
会場:市町村会館2階ホール
   (※大分県庁のとなり)

古川禎久議員激励講演会

日程:平成17年8月28日(日)
時間:20:00~21:30
会場:宮崎県都城市・小松原地区体育館

城内 実議員激励講演会

日程:平成17年8月29日(月)
時間:18:00~20:00(予定)
会場:静岡県浜松市・浜北市商工会館3階会議室

なお、いずれの選対も電話隊などが不足しているとのことです。
ボランティアでご支援いただける方がございましたらご連絡いただければ幸いです。

小泉政変への私の対応予定

 杉並区で私たちの歴史教科書が採択された日の夜、つくる会の理事会があった。議案の討議がすべて終ってから、別れる前にひとことと許しを得て、私は理事の前で、教科書とは関係がないがと断った上で、此度の政変、郵政改革の日本経済への危険な破壊性、それを無視した衆議院の無謀解散について、個人的に断固反対理論を展開するつもりだと告げて、了承を得た。

 4年前の教科書採択で、栃木県のある地区が扶桑社版をいったん正式に取り決めてから、マスコミの攻撃と韓国からの外圧で覆した事件があった。参議院で否決されたら、衆議院に再送するのが憲政の常道で、衆議院を解散するのはルール違反において栃木県の田舎芝居と同じではないか、と私は言った。教科書のことで怒るなら、この件でも怒らなければ筋が通らない、と。

 今月は月刊三誌を予定している。今日8月17日に執筆をスタートする。(論文の内容はいつもの通り当日録には発表しない)。

 8月15日に今年は靖国神社に大変な人数の人波が訪れた。日本会議主催の国民集会で2時過に頼まれていたスピーチを果した。日本人は戦争を思い出すことが難しくなった、と私は言った。私が若い人からもらったある手紙と、7月末の「朝まで生TV」の旧軍人と田原さんの対話の食い違いと、この二つから、過去を思い出すことがいかに難しいかを悟った、と語った。

 そのために、世間では反省とか責任とかをめぐって日本人が責められる議論と、それへの日本人の立場を弁明し主張する議論と、この両方の高まりがいまみられるが、後者の弁解、弁明、釈明はもうやめようではないかと私は訴えた。サンフランシスコ講和条約の11条に関連して東京裁判の受諾は「裁判」か「判決」かをめぐる議論ももちろんあってよいが、これもやはり弁解、弁明、釈明の域を出ないではないか。もうそういう受け身の姿勢をやめようではないか、と。

 これではいつまで経っても過去を思い出すことはできない。過去を思い出すのは歴史の理解を通してである。私はそう述べて、日清、日露から以後の日本史について新しいヒントを語った。5分ほどで語ったので、意を尽していない。私のヒントは大きく展開される段階にまだ達していない。

 この日小泉純一郎氏は靖国に来なかった。私はどうせ来ないと思っていたから腹も立たなかった。

 私が痛憤やるかたなく思っているのは、財務省の巨大な不始末を覆い隠すための郵政改革法案の国家犯罪的性格の危険な内容である。国民が知らぬのをいいことに、憲法違反かもしれない衆議院解散をして、大衆だましの目くらまし選挙戦術でこの国をドン底に落とす結果になりかねない独裁政権暴走の序曲の始まりである。(詳しい内容は雑誌論文を待たれたい)。

 15日夜、心ある知友の約10人に次のメイルのメッセージを送った。
 

小泉のやり方とそれに唯々諾々と付き従う無批判の自民党の大勢になんとも怒りをおさえることができない。評論界も沈黙だが、小生、無力でも抵抗するつもり。

 これに対し6人の方から返信メイルがあった。最初にまずつくる会理事福田逸氏(福田恆存先生のご次男)のメイルをご紹介する。

西尾 幹二様

メール有難うございます。
先日の「つくる会」の集まりの最後のお話を伺って、お手紙差し上げようかと思って、そのままになっておりました。昨日は早朝より昼過ぎまで靖国で参拝者などの「観察」をしていたりしましたもので。

先日のお話の折、賛意表明のタイミングを逸したのですが、最近の小泉は常軌を逸していますし、私も偶々、産経の異常な小泉寄り姿勢に不安を感じていた直後のご発言でした。おそらく遠藤さんも同じような感覚をお持ちだと思います。

昨日の、村山談話を踏襲した60年談話に到っては怒りを越えて脱力すら感じました。

この数年、僅かにせよ、日本の覚醒の兆しが見えていただけに、昨日の談話が多くの日本人に深い失望を与えたこと、どれだけか計り知れません。あの談話でも、再び、「侵略」という言葉を用い、「心ならずも」戦争に行かされた式の文言を使っていますが、どこまで英霊達を侮蔑し歴史を歪ませれば気が済むのでしょう。しかも15日参拝は見送られる。国民に対する侮蔑と裏切り以外の何物でもありません。

昨日の日本会議の集まりで、小野田氏は裂帛の気迫で「心ならずも」ではない、「誇りを持って戦い、死んだ」のだと怒りを露にしていました。

政治家は結局、選挙に当選してナンボ、権力を取ることしか頭にない、そのことを今まで以上に鮮明の浮かび上がらせた今回の解散と対立、そいて小泉追随です。
靖国、教育、経済、外交など、国家感は全く顧慮されぬ対立と野合、これは、民主も含めもはや政治とも政治家とも呼べるものではありません。そのことをマスコミは一切論難しません。おかしなことです。これから、論壇がどういう反応を見せるか、大いに関心を持っています。
せめて西尾様お一人でも敢然と戦って下さること、心から期待しております。お気持ち、つくづくお察しします。

とりあえず。ご返信無用に願います。

暑さもまで続くようです、ご自愛下さい。

 次の二例は匿名とさせていたゞく。

本当にこの世の中はスジの通らないことが往行していて、いまいましい限りです。

ついにホリエモンの名前が挙がってきましたが、今の自民党首脳は、選挙に勝つために何でもありの世界のようで、政治家としての気概、国家観など全くなくてただ地位や権力に汲々としている姿を見せ付けられると、元来日頃の議員の不勉強にもあきれていましたが、幻滅を通り越して、私もふつふつと怒りが湧いてきます。

現代のまやかしの中で生きていかなければならない中で、先生はいつも物事の本質を見抜き、それから目を逸らさず力の限り果敢にぶつかって下さるので、先生の背筋がスーと立った姿は、本当に私の苛立ちを鎮めてくださって、安心な気持ちにさせて下さいます。

先生、大変でしょうが、頑張って下さいませ。応援致しております。

昨日は、暑い中を大変でしたね。桜チャンネルで国民集会の模様を見ていたのですが、いつのまにかテレビの前でうたたねをしてしまいましたが、先生が御出演されたとき運よく目が覚めて拝見する事ができました。

今回の解散劇に関しましては私も言いたいことは山ほどございます。

しかし敢えて筆を納めている理由は、これまでのネット論陣の言説と、今回の解散劇によるその方々の揺れは、いったいどうしたものかと思うところにあります。

彼らは政界再編の期待感があまりに強すぎ、まんまと小泉の罠に嵌りました。
そして小泉が靖国参拝を拒否してはじめて自分の判断が間違いである事に気付く次第であるわけです。
おそらく私はそれらは間違いないことだと予測しています。
掲示板を閲覧せずとも、日録や遠藤先生のブログにあるコメントを読んだだけで想像できます。

もしもこれが憲法改正という大掛かりな外科手術を国民に求められた時、はたして日本国民は冷静さを維持できるのだろうかと疑いたくなるような現実が、今回巷でおきているわけです。
とにかく殆どの意見が的外れです。
中には冷静に分析されている方もいらっしゃるのだろうとは思いますが、たぶん殆どのネット論陣は慌てふためいている事でしょう。
その証拠に今度の選挙でいったい誰に投票して良いやら判断しかねているのではないでしょうか。

私はここで国民がとるべき態度は、小泉への糾弾だと思うわけです。
いくら造反組みが浅はかな部分があろうとも、彼らの態度こそは正道を貫いている事は間違い無いわけです。何故ならこれまでさんざん議論されてきたことに忠実なのは平沼氏以下真の保守政治家だけだからです。
また賛成派に残った議員の中にも相当数の不満を抱きながらじくじたる心境でいる政治家も多かろうと思うわけです。

小泉の策略に気付いていながら、党の運営を思うばかりに手足を出せない政治家は多いはずです。その事を何故国民は援護できないのか?
持論として数年前から小泉の危険性を公で訴えてきたのは西尾先生だけであります。
しかも当初はその批判に対しあざ笑うものばかりでした。
いまここに来てそれらの人間があだ討ちに合っていると言えるのではないでしょうか。
つまり自分達の論説がいかに左右に触れているかを認識し始めているはずです。
そうなれば普通ならばとても書きこみなど出来ないわけでありまして、時代が時代なら切腹ものです。

私は解散後の小泉の言葉を聞いて幻滅しました。
日本は今目を覚ますべき時に来ています。
ここまで小泉にやりたい放題やらせてもまだ自分に降りかかる火の粉さえほろえない程度の国民の民度というものに、私は幻滅しているわけです。
全ての答えは靖国参拝拒否に答えがあるわけです。
国民の言葉よりも中国・朝鮮半島・国内の左翼団体の方が、小泉にとっては重要な立場にあり、その為には日本国民および政治家、そしてこの国の歴史までも犠牲に出来るファッショだと言えるでしょう。

とにかく先生におかれましては、ご自身の意思に忠実に行動され、少なからずこうして理解を示す人間がいる事を忘れないで頂きたいです。

 なお、私は8月28日に大分一区の衛藤晟一候補の選挙応援に出かける。ひきつづき宮崎三区の古川禎久候補の選挙応援にも行く予定で、今調節中である。

 今述べた二氏のほかに、古屋圭司(岐阜五区)、城内実(静岡七区)、森岡正宏(奈良一区)、平沼赳夫(岡山三区)の諸候補も可能な限り応援したい。西村眞悟候補(大阪十七区)も同様である。

 古屋圭司氏は教科書議連の会長。衛藤、古川、城内、森岡の四氏もいづれも教科書議連の会に属し、主導的役割を果している。平沼赳夫氏は拉致議連会長である。

 私に縁の深い九段下会議の議員団代表が衛藤晟一氏、事務局長が城内実氏である。そして何よりも特筆すべきは人権擁護法に身を張って果敢に反対した方々こそ、周知の通り、ここに名を挙げた諸氏である。

 彼らの議席は絶対に守られなければならない。全国のみなさま、よろしくたのみます。

小泉首相に関する私の一年前の論文より

 Voice平成16年8月号に私は「小泉純一郎“坊ちゃんの冷血”――ある臨床心理士との対話」を書いた。この文は拙著に収めるとき、その章の題名を「他人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相」とした。いよいよそのあぶなさが露骨に表立ってきた。

 丁度一年前にかいた上記Voice論文が今日を予言しているので、あらためて読者に読んでいただきたく抄録する。「郵政さわぎ」がなぜ「国家に無関心なあぶなさ」になるのかは、少し時間をいたゞいて論述する。

 

小泉首相は最初に自身が打ち出した一つのアイデアに、いつまでもこだわる性向がある。現実が変っても修正しない。人の意見を聴いて変えることを知らない。勿論、意志の強い指導者を自己演出しているので、頼もしいと思わせる一定の効果はあった。一年ごとに代わるこれまでの弱々しい首相に欲求不満を抱いていた国民のストレス解消に最初は役立った。

 けれども、長くつづくとそれにしても妙だな、と思わせる。郵政事業の民営化――これが国民生活を良くするのにどういう効果があるのか説明されないうちに、首相の頭にこびりついた妄執のごとくに最高政策として掲げられたままである。勿論、郵貯の膨大な資金の流れが財政投融資となり、政府予算の裏予算として使われていることに問題があることはわれわれも知っているが、それならこれをオープンにし、民営化することのメリットとデメリットをご自身で国民にも分るように説明し、どこぞの委員会に丸投げするのではなく、自ら勉強し、民営化の具体的な手続きの方向を本気で、冷静に、数字をあげて理詰めで提言していく誠実さとひたむきさが求められる。小泉首相には今ほどそれが期待されているときはない。

 首相になってから道路関係四公団、住宅金融公庫、石油公団の廃止民営化、特殊法人の改革を唱えつづけてきたが、掛け声ばかりで目立つ成果が上っていないことは、今ではすでに首相の責任問題になり始めていると私は判断している。地方分権論も同じように道半ばにも至っていない。首相公選論や首都移転論はすでに完全にむなしくなったが、郵政をはじめ小泉内閣の主要な改革案件が次々と同じように軒なみむなしくなるにも時間の問題であろう。

 それは政策自体に間違いがあるからでは必ずしもなく、政策提案者の精神に現実とのずれがあり、政治家も官僚も白昼夢を見ているようで、積極的に動く気になれないからである。

 どんな人にも心理的偏向がある。性格の傾きがある。病理学的観察の対象から完全に免れる人はいない。

 小泉氏の場合には、観念への固着傾向が認められることはすでに述べた通りである。言葉に人情や人間味が乏しく、表現不足もたしかに目立つ。通例、固着傾向はさまざまな異様さをその人に与え、他者との良い人間関係の醸成を妨げるケースが多いのである。また、現実に触れて、体験を積んでいく過程で得られる「学習」の成果が少ないということもいわれている。

 総合的で、柔軟な思考態勢がとりにくい。自分に余りにとらわれているので、相手のことを想像できない。共感性が欠けている。情操レベルでの不全につながり易い。他者への同情、憐憫、共感に乏しく、どんな環境にも屈することのない孤立を続けることができる反面、後ろめたさや悔いの感情を持つことがあまりない。

 一般的傾向を言っているだけで、首相にそのまま当て嵌まると言っているわけではないが、彼が所属していた「清和会」の元番記者の次の証言などは、成程と思わせるものがある。

 「小泉が本当に信用している政治家はいない。昔から他人に腹を割らないから、人も寄りつかない。赤坂プリンスホテルにある福田派の事務所で政治家連中がみんなラーメンなど中華を食べているときでも、一人離れた場所でナポリタンを黙って食っているのが小泉だった。ある代議士は『小泉の側近は小泉自身だろう』と突き放して言うほどだ」(松田賢弥『無情の宰相 小泉純一郎』講談社刊)

 彼は北朝鮮に関心などまったくなかったようである。コメ支援を率先して唱えている加藤紘一を見て、「加藤さんもよくやるよ」と冷ややかに見ていたのが小泉氏だったと聞く。その彼が北朝鮮へ行ったのは最大の政治ショーになるからと勧めてくれる姉の信子の指示があったからだそうだが、二度目の訪朝では拉致被害者家族の顔も声も訴えの内容もよく知られていて、いかな小泉氏といえども、家族の期待がどこにあるかは分っていたはずである。私が今回非常に強く感じたのは小泉氏の冷酷さ、他人の運命への無関心である。

 横田滋・早紀江さん一家が孫のヘギョンちゃんの日本招待の計画があると聴いて、これを辞退する書簡を首相に届けた。孫に会いたい気持は勿論ある。しかし今それを認めたら、娘に会えなくなる。老夫婦の自分を殺すこの切ないまでの訴えは首相の許に届いていたはずである。

 首相は金正日に向かって「横田めぐみさんは生きている。95年にあなたの子供の家庭教師をしていることがわかっている」とただちに切り出す言葉の用意をしておくべきだった。横田早紀江さんは次のように言っている。

 「拉致被害者に関する多くの具体的なデータがあるんですから、総理には絶対にそれを出していただきたかった。『私たちは命懸けで戦っているんです。ぜひ総理の口から具体的に〈これは、こうおかしいじゃないか〉と怒ってきてください』とも細田さんたちにお伝えしました。『この外交で毅然とした態度で接していただくようでないと、小泉総理の人間性が問われると思いますよ』と、そこまで思い切ったことをいったんです。にもかかわらずそのようにしていただけなくて、とても悲しい気分になります」(『Voice』平成16年7月号)

 私はここから二つの理由を考えている。その後朝鮮総聯――破防法対象団体ともいうべき――への首相の友好的接近をみて、なんらかの形で彼は個人的に弱点を握られていて、総聯を通じて金正日から脅迫されているのではないかという推理が成り立つ。

 もう一つは、彼は自分の内面に余りにとらわれているので、相手のことを想像できない人格であること、共感性に欠けているというあの問題である。他者への同情、憐憫、共感が性格的に初めから乏しい。

 小泉氏に感じるのは悪党の冷酷さではなく、情感を持たない機械みたいな人間の無反応、分り易くいえば“坊ちゃんの冷血さ”である。

小泉首相、ご乱心

 小泉首相は演説中に、「殺されても私はやる」と口走った郵政民営化法案が参議院で否決されるや、抵抗する閣僚の一人を罷免までして衆議院を解散した。普通なら総辞職が常識だろう。が、反対した自民党議員を彼は公認候補として認めないという。郵政民営化の賛否いずれかで敵か味方かをきめている。「賛成してくれれば誰とでも協力する。野党でも味方だ。」と首相は記者会見で語った。ここまでの言い方には、非政治的な単純さ、ある種の狂気が宿っている。

 憲法改正のレベルの問題ならこういう我を忘れた熱狂も分らぬではない。しかし国民の多くが態度をきめかねている郵政のような問題には政治はもっと寛容でなくてはいけない。首相は衆議院を解散して、勝ってもう一度法案を出す積りらしいが、同じ構成の参議院でまた否決されないという保証はないだろう。そこまで一つの法案にこだわって政治の長期空白をつくることは常識的に許されない。それを黙認している自民党の執行部、首相に近い筋の議員諸氏に申し上げたい。誰も表立てて言わないが、首相の言動はすでに正常の域を越えている、と。

 解散した夜のテレビの記者会見を聴いた。首相は同じ一つのことをくりかえし語った。「なぜ民間にできることを民間に任せよ、と人は言いながら、なぜ郵政にだけそれができないというのか。民間に任せたほうがいいサービスができるはずだ。なぜ郵政だけは公務員でなくてはならないのか。本当に国民にこのことを聞いてみたい。私には当り前と思っていることをなぜみんなが反対するのか、いまだに信じられない。総裁選にこれを掲げ、党の公約にもした。みんな承知のはずではないか。衆議院で100時間、参議院で80時間も審議した。それなのになぜみんなが反対するのか分らない。なぜ民間に任せた方がいいと分っているのに、郵政にだけそれが出来ないのか。民間にできることは民間に、ではなかったのか。」・・・・・・・

 という具合で、堂々めぐりで、同じテーマに戻ってぐるぐる輪を描いてきりがない。発想の転換がない。思考の柔軟さがない。一つの小さな固定観念にこり固まって、そこを中心にエンドレスに回転するだけである。単純な観念へのこだわり、固執、一ヶ所への固着は、若いときからのものだそうで、政治的信条とは少し違う。むしろ病理学的観察の対象とすべきものである。

 首相に申し上げたいが、防衛と警察は民間に任せよ、とお考えにならないだろう。民間に任せて、万一失敗したら、取り返しがつかないからだ。ならば郵政や道路や鉄道はどうだろうか。防衛や警察ほどではないにせよ、万一失敗したら、やはり明日からもう要らないというわけにはいかない相手だ。国家が後始末をしなくてはならない。

 国鉄からJRへの改革は成功したとみんな思っているが、巨大欠損は棚上げで、赤字鉄道の廃線で苦しんでいる地方の人は多数いる。英国の鉄道の民営化は失敗し、国営に戻った。郵便局の全国ネットワークの破壊を国民が恐れるのは、国鉄の例を見ているからである。

 もしも首相の頭の中に、民間にできることを民間に任せたらすべてうまくいく、とは必ずしも限らないという「常識」がほんの少しでも存在したら、思考はもっとゆるやかになり、「私には当り前と思っていることをなぜみんなが反対するのか」などと単純で、硬直した、首相の口にすべきでない脅迫めいた言葉は出てこないだろう。私が問題にしているのは国民に対する首相の説明の仕方の閉ざされたある頑迷さである。

 巨額の公的資金をつぎこんだ長期信用銀行が外資にさらわれ、血税がドブに捨てられた事実を国民はみな知っている。郵政民営化のそもそもの要請がアメリカから来ていること、そこに警戒すべき謎があることも知られている。郵政省のお役人が民営後の経営者になるものだとしたら、武士の商法で、果してうまく行くかという不安もみな抱いている。首相は国会答弁でも、テレビでも、こうした国民の不安に丁寧に、分り易く説明したことがない。ただ一本調子の、意味稀薄なことばで単調に強弁するだけで、次第に異常にみえてくる。

 江戸時代に「主君押込めの構造」というのがあったのをご存知だろうか。「殿、ご乱心」となれば座敷牢にとじこめ、家老重臣が合意で粛々と無血革命を行った。自民党執行部の面々よ。智恵をみせてほしい。日本は愚かな国ではないはずだ。

ヨーロッパ人の世界進出(二)

■ヨーロッパの二重性

 まず政治的・社会的な原因を考えてみましょう。アジアの四つの帝国は大きな世界政府がそれぞれブロックをなして、静的に存在していたという風に考えられる。
ところが、ヨーロッパはひとつではなかった。ヨーロッパは内部で激しい戦争を繰り返し、経済・軍事・外交の全てを賭けて覇権闘争がまずヨーロッパという所で行われ続け、その運動がそのまま東へ拡張された。

 中心に中国があり、周りの国が朝貢して平和と秩序が維持されているという古い東アジアの支配統治体制においては考えられない出来事が起こってきました。ヨーロッパでのヘゲモニー(主導権)を巡る争いと、他の地域への進出のための争いとが同時並行的に運動状態として現れ、それが18世紀の中頃以降さらに熾烈を極め、終わりなき戦いは地球の裏側にまできて、決定的果たし合いをしなければ決着がつかなくなるまでになった。19世紀になって帝国主義と名付けられる時代となり、今まで動かなかった最後の砦である中国を中心とする東アジアに争奪戦は忍び寄ったというのが、今まで私たちが見てきた歴史です。

 1800年には地球の陸地の三五%を欧米列強が支配しており、1914年、第一次世界大戦が始まる頃にはその支配圏は八四%にまで拡大しました。日本の明治維新は一八○○年と一九一四年の第一次世界大戦とのちょうど中間にあたる時期に起きた出来事です。拡大するヨーロッパ勢力に対する風前の灯であった日本の運命が暗示されております。

 戦うことにおいて激しいヨーロッパ人は、戦いを止めることにおいても徹底して冷静です。利益のためには自国の欲望を抑え、相手国と協定や条約を結ぶことも合理的で、パっと止めて裏側に回って手を結ぶ。そういうことにも徹底している。しかし、日本人にはこの二重性が見えない。実はこれが国際社会、国際化なのです。

 ある時、欧米人は満州の国際化ということを言い出しました。「満州は日本政府だけが独占すべきものではなくて、各国の利益の共同管理下に置くべきだ」と。国際化というのはそういう意味なのです。では、日本の国際化というのはどういう意味ですか。日本人は無邪気にずっと「日本の国際化」と言い続けていますが、「どこかの国が占領してください」「どこかの国が共同管理してください」と言っているようなものです。間が抜けて話にならない。つまり国際化というのは、西洋が運動体として自分の王家の戦争のためにやっていたあの植民地獲得戦争が、もうヨーロッパの中で手一杯になってしまったから外へ持っていく。それが彼らの言う国際化、近代世界システムなのです。

ヨーロッパ人の世界進出(一)

 昨年2月から毎月1回のペースで10回行われた『歴史教科書 10 の争点』という連続講座が間も無く本になる(徳間書店刊、定価未定)。

 聖徳太子(高森明勅)、大仏建立(田中英道)、ヨーロッパの世界進出(西尾幹二)、江戸時代(芳賀徹)、明治維新(福地惇)、明治憲法(小山常実)、日露戦争(平間洋一)、二つの全体主義(遠藤浩一)、昭和の戦争(岡崎久彦)、占領下の日本(高橋史朗)が10の講座の内容で、人選とテーマ設定のコーディネーターは藤岡信勝氏であった。

 私は昨年4月8日に文京区シビックホールで300人くらいの会衆の前で上記テーマについて話をさせてもらった。その内容が今度の本に収録される。

 それに先立って、つくる会機関誌『史』(ふみ)の平成16年5月44号にこのときの講演の要約文がのせられた。要約文とはいえ、きちんと手をいれ、これはこれで独立した文章としてまとまっているように思うので、ここに再録する。

 『国民の歴史』第15章の「西欧の野望・地球分割計画」が念頭にあるが、後半で同書にも、教科書にも書かれていない新しいテーマに触れた。ヨーロッパの世界進出がまだ終っていないのは政治的理由によるのではなく、後半で述べられたこの新しいテーマによる。

ヨーロッパ人の世界進出

ヨーロッパ近代の本質とガリレオ・デカルト的思考の恐怖

■西洋はなぜアジアを必要としたのか

 十五世紀まで無力だったヨーロッパはなぜかくも急速にアジアへ進出することが可能だったのでしょうか。

 ポルトガルはアフリカの南海岸を南下してアジアをめざし、スペインは大西洋を西へ西へと回って西インド諸島を発見、コロンブスがその代表としてアメリカ大陸発見ということになった。なぜポルトガルは南に行き、スペインが西へ行ったのか。

 彼らはジパングやインドを求めてきたのですから、地中海を東へ渡って陸路を来るのが近道だと思うのですが、それができなかったのは、当時、地中海がイスラム勢力に完全に制圧されていて、通行不能だったためです。しかし、全ての教科書はヨーロッパの進出をヨーロッパ文明の世界への展開という見地で書いており、扶桑社版の『新しい歴史教科書』のみが、ヨーロッパはイスラム勢力を迂回し南と西へ進んだという事実をはっきり書いています。

 当時の世界の中心は東南アジアでした。スペインやポルトガルがこの地域一帯を支配していたなどという事実は全くありません。それもまた多く誤解されている点で、ヨーロッパの世界制覇ということは現実には行われていなかったのですが、彼らの観念、頭の中では世界征服の地図はでき上がっていました。それがトリデシリャス条約で、大西洋の真中に南北に線を引き、ポルトガルとスペインが地球を二つに分割する協定をローマ教皇庁が承認しています。

 当時、ヨーロッパは本当に狭い地域におさえこまれていました。イベリア半島のイスラム勢力をやっとの思いで追い出した年が1492年、ちょうどコロンブスがアメリカ大陸を発見した年です。
ヨーロッパはたいへん遅れた地域でした。14、5世紀、生産性は低く、科学技術は遅れ、内乱と宗教的迷信に支配される、考えられないほど野蛮な地域でした。「ローマの平和」と言われた古代の時代が過去にありましたが、それが過ぎてから千年にわたるヨーロッパの歴史の中で十年以上平和だったことは一度もありません。

 なぜヨーロッパ人はかくも戦うことを好み、武器の開発に凌ぎを削り、順次東へ進出してきたかというと、故国にお金を送るため、ヨーロッパの中で果てしない戦争を繰り広げるための戦費が必要だったからです。そのために、アジアに進出してアジアの富を攻略することが急務だった。

 当時、ヨーロッパの横にはロシアのロマノフ王朝、西アジアのオスマントルコ帝国、インドのムガール帝国、そして東アジアの清帝国という四つの大帝国があり、それぞれが大きな枠の中に安定して存在していて、一種の世界政府でした。このうちロマノフ王朝だけはヨーロッパ文明側にくっついていきますが、オスマントルコ、ムガール、清は16世紀から18世紀くらいの間に次々と西ヨーロッパの餌食となってしまうのです。アジアの大帝国は西洋よりも遙かに豊かで進んでいた国であり、近代を生み出したとされる三大発明、火薬、羅針盤、印刷術は中国を起源とします。中国科学の方がはるかにヨーロッパに優越していました。

 つまり、西洋はアジアを必要としていたのに、アジアは西洋を必要としていなかった。物は豊富で政治は安定し、帝国の基盤は盤石で何一つ不足はないかに見えたその三つのアジアの大帝国。しかし、何故に遅れていた西ヨーロッパがアジアに勝る状況を生み出してしまったのか。