ヨーロッパ人の世界進出(二)

■ヨーロッパの二重性

 まず政治的・社会的な原因を考えてみましょう。アジアの四つの帝国は大きな世界政府がそれぞれブロックをなして、静的に存在していたという風に考えられる。
ところが、ヨーロッパはひとつではなかった。ヨーロッパは内部で激しい戦争を繰り返し、経済・軍事・外交の全てを賭けて覇権闘争がまずヨーロッパという所で行われ続け、その運動がそのまま東へ拡張された。

 中心に中国があり、周りの国が朝貢して平和と秩序が維持されているという古い東アジアの支配統治体制においては考えられない出来事が起こってきました。ヨーロッパでのヘゲモニー(主導権)を巡る争いと、他の地域への進出のための争いとが同時並行的に運動状態として現れ、それが18世紀の中頃以降さらに熾烈を極め、終わりなき戦いは地球の裏側にまできて、決定的果たし合いをしなければ決着がつかなくなるまでになった。19世紀になって帝国主義と名付けられる時代となり、今まで動かなかった最後の砦である中国を中心とする東アジアに争奪戦は忍び寄ったというのが、今まで私たちが見てきた歴史です。

 1800年には地球の陸地の三五%を欧米列強が支配しており、1914年、第一次世界大戦が始まる頃にはその支配圏は八四%にまで拡大しました。日本の明治維新は一八○○年と一九一四年の第一次世界大戦とのちょうど中間にあたる時期に起きた出来事です。拡大するヨーロッパ勢力に対する風前の灯であった日本の運命が暗示されております。

 戦うことにおいて激しいヨーロッパ人は、戦いを止めることにおいても徹底して冷静です。利益のためには自国の欲望を抑え、相手国と協定や条約を結ぶことも合理的で、パっと止めて裏側に回って手を結ぶ。そういうことにも徹底している。しかし、日本人にはこの二重性が見えない。実はこれが国際社会、国際化なのです。

 ある時、欧米人は満州の国際化ということを言い出しました。「満州は日本政府だけが独占すべきものではなくて、各国の利益の共同管理下に置くべきだ」と。国際化というのはそういう意味なのです。では、日本の国際化というのはどういう意味ですか。日本人は無邪気にずっと「日本の国際化」と言い続けていますが、「どこかの国が占領してください」「どこかの国が共同管理してください」と言っているようなものです。間が抜けて話にならない。つまり国際化というのは、西洋が運動体として自分の王家の戦争のためにやっていたあの植民地獲得戦争が、もうヨーロッパの中で手一杯になってしまったから外へ持っていく。それが彼らの言う国際化、近代世界システムなのです。

「ヨーロッパ人の世界進出(二)」への2件のフィードバック

  1. 国際化というのは、西洋が運動体として自分の王家の戦争のためにやっていたあの植民地獲得戦争が、もうヨーロッパの中で手一杯になってしまったから外へ持っていく。それが彼らの言う国際化、近代世界システムなのです。

    西尾先生のご指摘、ただただ敬服です。

    国際化とはすなわち植民地獲得のゲームの延長にしかすぎないものであると考えます。そして私が思うにはヨーロッパには一つになった記憶、文化的基盤の共有が幾分か為されているがゆえに、メッテルニヒ、バークのようなヨーロッパを一つの有機体とみなす保守主義が現れるのではないでしょうか。有機体であるが故に、その内部では若干の諍いはあるものの、結果としては一つの方向を向く。これに対してアジア諸国との間にはそのような記憶も文化的基盤もなかった。それゆえにゲームが過酷化していったのではないでしょうか。

  2. 拝啓 西尾先生

    残暑、お見舞い申し上げます。
    いつも、勉強させて頂いております。

    さて、小生の愚論を少し
    ヨーロッパ人(支配階級)の冷静さの基本には、国家さえ手段に過ぎないという視点が
    あるように思います。
    自己と同一視したら、あそこまで冷静ではいられないでしょう。

    彼らの歴史を考えれば、それも当然と思われます。
    また、支配階級と一般国民も別と考えたほうがよいように思います。
    (何ゆえに傭兵というもの存在するのか:自国民を信じていない)

    国家さえ手段に過ぎないという考え方の典型は多国籍企業で、企業が中心で、
    国家はその構成要因に過ぎないという考え方です。

    現在はこの考え方が優勢を占めているようですね。

    かれらは徹底した特権階級にいて、それを維持するためには手段は選ばない。
    なぜなら、仮にその地位を失えば悲惨な現実が待っていることを知っているから。

    我が国は、大東亜戦争において、結果的に植民地を解放しました。
    そして、彼らの多くの特権を失わせました。
    その結果、旧宗主国の支配階級の連中から今でも恨まれていることを忘れてはいけないでしょう。

    ヨーロッパ人の日本に対する底意地の悪さは、人種的偏見だけでなく、上記恨みもある
    のでしょう。

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