ゲストエッセイ
河内隆彌:坦々塾会員、小石川高校時代の旧友 元銀行員
『超大国の自殺』パトリックブキャナンの翻訳者
遅ればせながら、「GHQ焚書図書開封10-地球侵略の主役イギリス」拝読いたしました。毎度のことなのですが、今回は、自身でいささか生活に触れましたインドも大きく取りあげられ、大変興味深く読ませていただきました。
イギリスの搾取と分割支配の爪痕は小生在勤中のカルカッタ(現コルコタ)の街なかのいたるところに刻み込まれていました。19世紀の中ごろまで、中国、インドのGDPが当時の欧米各国のそれを大幅に上回っていたことの知識はありましたが、たとえばインドの識字率がかつて60%だったことなどには目から鱗の落ちる思いでした。
小生はいつぞや貴兄に、インドはイギリスによって外側から統一された、と申し上げました。しかし、それはインドがバラバラの国だった、という趣旨とは少々違います。かつて南アジア、印度亜大陸に一つまとまった、ムガール帝国ほか藩王国から成る小宇宙があったことには間違いありません。ただそれは「一つの(いまで言う国家の)主権」のもとにあったわけではなく、たとえばヨーロッパを一つの小宇宙として見たときと同じようなものと言うことができましょう。いずれにせよ、ほかの各国と同じように、インドを一つの国(a nation)として片づけてしまうとちょっと理解が行き届かなくなるのではないか、という気がするのです。インドは連邦制で、29州(一番新しい州はなんと昨年、州として独立したテラン・ガーナー州)と7直轄地域で構成されています。一番人口の多い州はウッタラ・プラデーシュ州で、1億9900万。1億以上の州には、ビハール、マハラシュトラ州があり、5000万以上の州も七つほどあります。言葉の面で見れば、連邦憲法上の公用語はヒンドゥー語、准公用語は英語ですが、各州が認める州公用語は22言語です。また紙幣(インド準備銀行発券)には単位ルピーを示す言葉が17言語で記されています(中国とは異なって、各言語は「字」も違います)。というと驚く人も多いのですが、インドの面積はEU圏の72%、人口はEU5億に対する12億、インドの大きな州はヨーロッパ各国、ドイツ82(単位百万、以下同じ)、フランス、イギリス62、イタリア60、スペイン46よりずっと大きい、また言葉にしてもヨーロッパには英語、仏語、独語、イタリア語、スペイン語などがあるので、インドの事情をこう説明すると納得していただけます。小生はやや言葉足らずで、インドは統一国家ではない、などと申し上げましたが、国際的に、連邦制国家インドはむろん統一主権を持ったひとつの国家です。
英国は海からやってきて、この小宇宙を、ご著書が示される奸智と策謀を駆使して一つの植民地にまとめました。そして英国が去った後、インドはそのままの形(パキスタンとそこから独立したバングラデシュ、スリランカとなったセイロン、ネパールなどは分離したが・・)で独立国となりました。この広大な地域は、むしろ統一国家であることの方が不思議で、歴代政権の国家運営の努力は並大抵のものではないように思われます。印パ(ヒンズー教対イスラム教)紛争、バングラデシュ独立、スリランカにおけるシンハリ人、タミル人の確執などなど、深刻なトラブルがかつてあり、現在進行形のものがあるにせよ、インドが世界最大の民主主義国家としてまずまずの成長を続けている点は大いに評価されましょう。
イギリスは植民地時代にも分割統治、宗教対立、民族対立を煽りましたが、去るにあたっても紛争のタネを蒔き続け、現在の印パ核兵器保持競争にもつながっています。日本人にとっての近現代史における句読点は、たぶん「明治維新」と「敗戦」だと思うのですが、インド人にとっては「the Mutiny(反乱)」と「the Partition(分離)」である、とインド人から聞いたことがあります。前者は1857年のいわゆる「セポイの反乱」であり、後者はイギリスの置き土産である、1947年の血を血で洗うような「インド・パキスタンの分離」でいずれの事件にも深くイギリスが絡んでいます。
ご著書、日英同盟の項にある1915年、シンガポールにおけるインド兵の反乱を帝国海軍がイギリスの要請によって鎮圧した、という話、Colin Smith “Singapore Burning”の冒頭の章に結構詳しく載っているんです。インド兵の反乱を煽ったのは、シンガポールで捕虜となっていたドイツの軽巡洋艦エムデンの乗組員ほかドイツ人捕虜たちでした。駐屯していたイギリスの正規兵が欧州、中東戦線に出払ってしまったあと、イスラム教徒主体のインド兵に捕虜の監視をさせていたところ、インド兵がドイツの友邦トルコに好感を持っていることにドイツ人が気づき、君たちはトルコ人と戦うことになる(すなわちマホメットを敵にすることになる)と裏切りを使嗾したのが事の発端だったようです。
このシリーズで戦前の立論に直接触れられることは本当に貴重です。ご著書「あとがき」にあるように、それらは「今かえって非常に鮮明に感じられ」ます。ソ連崩壊後、冷戦時代に見えなかったもの、本質的に隠されていたものが見えてきたせいでしょうか?こちらが馬齢を加えたため既視感が積み重なってきたせいでしょうか?「歴史」が「いま」と交錯する局面が本当に多くなった様に思われます。今後とも焚書図書のご紹介をよろしく。
昨今の話題、映画「ザ・インタビュー」、仏週刊誌「シャルリー・エブド」などの下品なdefamationのプロパガンダを、「言論の自由、表現の自由」の名のもとに徹底して擁護する欧米の姿勢に改めて白人の傲慢さを垣間見ます。このところ欧米の首脳は、同性婚問題でソチ五輪をボイコットしたり、「私はシャルリー」とパリに相集ったり(オバマは行かなかったことで非難を浴びているようですが・・)何かつまらぬこと?に熱心で、どこかヘンですね。まがまがしさを感じています。以上ご著書拝読感想まで、乱文お赦しください。