2015年の新年を迎えて(三)

 正月十日に高校時代の級友早川義郎君から次の書簡が届いた。彼は元東京高裁判事、退官後は数多くの海外旅行を経験し、著書数冊を出した。著書は美術と地誌学的関心からなる本が主で、例えば韓国や日比谷公園に関するものなどが近著である。

 私の全集の最初の巻、すなわち第5巻『光と断崖―最晩年のニーチェ』のときに「月報」を書いてくれた人だ。全集月報の第一号だったので覚えている方もいようか。

拝啓
 正月早々執筆等に忙殺されていることでしょうね。小生風邪をひき、4日ほど寝込んでしまいました。治りかけてから早速貴兄のGHQ焚書図書開封10「地球侵略の主役イギリス」を拝読しましたが、大変面白く、なるほどなるほどと頷きながら、一気に読み終えました(ちゃんと読んだ証拠に206ページ4行目「礼状→令状」と348ページ2行目「野郎自大→夜郎自大」の2か所の誤値発見)。

 アムリトサル事件のことはあまりよく知りませんでしたが、まさに暴虐の一語に尽きます。アイルランドでも同じようなことをしていますから、ましてやインドではということになるのでしょうか。このほか知らなかったことも多く、啓蒙されること大でした。

 我々のイギリスに対する見方は、日露戦争の際日英同盟が日本の勝利に役立ったということで、多少点が甘くなっているのかもしれませんし、物心ついてから我々が知るイギリスというものが、2度の大戦を経て衰亡の道をたどる20世紀後半の姿であったということで、搾取と暴戻をきわめたイギリスの植民地支配を過去のものとして見逃しているところがあるようにも思われます。これなどまさに貴兄のいうわれわれの「内なる西洋」のなせる業かもしれません。

 アメリカとイギリスとの歴史的関係に関する貴兄の指摘にも教えられるものがありました。アングロ・サクソン同士の一枚岩の同盟関係といっても、それはごく最近のこと、アメリカの軍事的、経済的覇権が確立してからのことで、それまではしばしば対立と牽制の関係にあったことがよく分ります。第二次大戦以後の米ソの緊張関係や一昔前の英仏のヨーロッパでの覇権争いに目を奪われているせいかもしれません。

 それにしても、幕末・維新の元老たちはえらかったですね。佐幕も勤皇も英仏との深みにはまらず、絶えず日本の将来を考え、アヘン戦争を他山の石として対処していたあたりはさすがだと思いますが、武士の躾にはやはりそれだけのものがあったのでしょうか。開封11が楽しみです(今度は自費購入しますので、お気遣いなく)。

 甚だ粗雑な感想で申し訳ありませんが、一筆御礼まで。
                                     敬具
西尾幹二様                     早川義郎

 尚、同書は『正論』3月号で、竹内洋二氏が書評して下さることになっている。また、宮崎正弘氏が早くも年末に氏のメルマガに書いてくれている。併せて御礼申し上げる。

「2015年の新年を迎えて(三)」への4件のフィードバック

  1. ヒトラーは国際ユダヤ勢力が日本に虎視眈々と睨み付け日本を破壊しようと画策する魂胆を暴露する炯眼たる提言 The Jew has been trying to destroy Japan’s National Identity for over 100 years.

    Hitler wrote about it in Mein Kampf…

    “As a result of his millennial experience in accommodating himself to surrounding circumstances, the Jew knows very well that he can undermine the existence of European nations by a process of racial bastardization, but that he could hardly do the same to a national Asiatic State like Japan.

    To-day he can ape the ways of the German and the Englishman, the American and the Frenchman, but he has no means of approach to the yellow Asiatic. Therefore he seeks to destroy the Japanese national State by using other national States as his instruments, so that he may rid himself of a dangerous opponent before he takes over supreme control of the last national State and transforms that control into a tyranny for the oppression of the defenseless.

    He does not want to see a national Japanese State in existence when he founds his millennial empire of the future, and therefore he wants to destroy it before establishing his own dictatorship.

    And so he is busy today in stirring up antipathy towards Japan among the other nations, as he stirred it up against Germany. Thus it may happen that while British statesmanship is still endeavouring to ground its policy in the alliance with Japan, the Jewish Press in Great Britain may be at the same time leading a hostile movement against that ally and preparing for a war of destruction by pretending that it is for the triumph of democracy and at the same time raising the war-cry: Down with Japanese militarism and imperialism.”

  2. 今回の論評は、私個人の意見を強調する意図から、「である」調で語らせていただく。ごりょうしょ願いたい。

    先生の「英国」への歴史の焦点、実に的を得た時代的解釈だと評します。
    今世紀、いやこの数世紀、イギリスは自国の内紛とはパラレルに、外交を世界的な尺度で成り立たせせてきた。
    その実態を抱えていながらも、彼らを奮い立たせる個人の尊厳には、まず敬服すべき点があるのではないかと、私は想う。

    私の拙い経験談であるが、豪州の友人がおり、彼の国に新婚旅行で訪れた際のエピソードを語らせていただく。

    まず豪州の友人が存在する理由から説明すると、今から35年前にその友人がロータリーの交換留学生として、私の伯父の家にホームステイしたことからその歴史が始まる。
    当時彼は17歳私が18歳の時であった。
    伯父の家には息子家族も存在したが、年齢的なこともあって、豪州の彼は何かと私に親しみを寄せていた。

    そのきっかけが後に我々のその後の運命を生むこととなる。

    他愛もない話なのだが、新婚旅行で彼の地に訪れた際、私が彼の父親が所有する豪華なリゾート地に浮かばせるハウスボートに招かれた時のエピソードだが、ある日の朝、私と女房が朝飯を作る段になって、フライパンを駆使し、ボートの中を炒め物の匂いで充満させたところ、友人が起きてきて最初に発した表情は「異臭」への不快感だった。

    朝ごはんなら日本人にとってはその「匂い」こそが「朝」であり、その匂いを煙たがる彼の態度は、私たちへの「挑戦」だとその時も今も思う限り。
    しかし、玉ねぎをフライパンで炒めたことだけは少々反省するのだが、いずれにせよ、彼が感じた嫌な臭いには何かを臭わなければならないと、その時から思った次第。

    ましてや私は喫煙者であり、その豪華なハウスボートでは、喫煙はタブーなのだが、私はあえて彼の父親に「メイアイスモーク」と尋ねて了承を得ていた。その後私が堂々と喫煙する姿を見て、彼の母親が旦那に私の喫煙を嫌がる言葉をたまたま聞きつけたとき、父親は「いや、最初に彼はタバコを許されるかちゃんと私に聞いてきた。問題があるなら私に言いなさい」と会話していた。

    あとから思ったのだが、日本人ならたとえば一つの決まりがあったとしたら、それを双方がぐじぐじ言い出すのかもしれないと思った。
    しかし彼らはたとえ夫婦であっても「私が主張したことに何か異論はあるのかな」という会話が成立する。

    この文化の差はなんなのだろうと思う。

    実は西尾幹二全集第一巻にこんな文章があった。
    西洋では家を何百年と外装を保ち、隣の家がすぐ横に有り、日本のように垣根で家を囲うような文化がほとんど見受けられない。しかし、それが印象以上に大きな隔たりを産んでいることに気づかなければならないのは、日本人は垣根の中で一つの世界を保つ文化であり、彼の地は家々が並ぶその集団のほどよい塊の外に外壁を築き、町を防御する歴史を辿っている。

    つまり日本人は一歩家から外に出れば他人の社会なのだが、彼らは我が家の存在のあり方がそのような状況であるためか、我が家と他人との公的な区別が日本人のような認識では存在せず、常に個人の「存在」がまず成り立たせる意識が備わっているという。

    彼の地ではつまりドアの向こうにはもう「他人」が存在しているわけだ。
    その事は私の喫煙を問いただす妻にあらかじめ説明する友人の父親の言葉が成立する論理に繋がる。
    少し強引な言い訳だったかもしれないが、彼らは夫婦といえど「他人」であることを意識し合っている象徴ではないだろうか。
    その事は家の構造にある築年の文化意識が少からず影響しているのは歴然で、それを問い詰めていくと「外交の実態の差」に辿り着く論理となりうるという言いわけである。

    日本人と諸外国の認識の差はここから起点としなければならない、小さくても大きな隔たりを認識しなければならない重要課題ではなかろうか。

    その上でイギリスという国の歴史的支配力を把握すべきではないかと思った次第・・・。

  3. GHQ焚書開封シリーズが文庫本になると知って感激しています。大歓迎! 
    このシリーズを地元の図書館で知り、借りて読んでいたのですが、第一巻だけはなんとしても購入したいと調べた所、どこも在庫がなく、それこそ焚書
    されたのではないか(笑)と疑ったのがちょうど一年ほどまえでした。再販を願っていたのですが、文庫本ならば申し分ありません。友人にも薦められるし、進呈することもできます。
    戦前、戦中、戦後の日本の事情を何も知らずに、戦後の民主主義を謳歌して育った世代(69歳)で、何か釈然としなかったことがこのシリーズを読んで霧が晴れた感じがしました。ただ、われわれ世代は、納得できますが、次の世代以降は、洗脳?自体に気づかず、米国型?自由主義、民主主義が身についてしまって、返って、戦争賛美とか、戦前回帰の懐古主義とかで読む前に拒否反応が出ないかと心配です。朝日新聞の問題も、根本に日本を全否定する前提の思想が刷りこまれていたからではないでしょうか。メディアに携わる人こそ読んでほしいと思います。

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