中国で起こった反日暴動デモについて、私が書いた最初の感想が次の文章です。『正論』11月号(10月1日発売)にのったわずか6枚の短文です。時間的にみて、暴動デモのテレビ映像がまだ生々しく瞼に残っているそんな時期に書かれました。題して「中国に対する悠然たる優位」です。
支那人は自分の喋っていることでだんだん昂奮し、自己催眠に羅る民族で、口角泡を飛ばしという形容があるがじつにその通りで、口の角から唾を飛ばし、足を踏み鳴らし、手を振り、上海では興奮の余りついに黄浦江に飛びこんで死んだのがいたそうだ。演説の値段は普通50銭で、巧いのは1円、女学生は別格でみんな1円、天津で女学生の演説を聞いてみると、森永のミルクキャラメルには毒が入っているから買うなと言っている。丁度その頃支那側で森永に似せた菓子を造りだしていた時で、菓子屋が女学生にお金をやって自社製品の宣伝をさせていたのである。新聞も随分デタラメで、例えば昨夜日本人が果物屋の店先にある西瓜に毒を注射して歩いたというようなことがでかでかと書いてある。長野朗『支那三十年』(1942年刊、GHQ焚書図書)の一節からである。
戦前の「排日運動」が一挙に火を噴いたのは1919年(大正8年)だった。支那の学校の教科書が余りにひどいのは当時日本でも問題になった。「地理」の教科書が最初に狙われた。日本に「あそこも取られた。ここも取られた」と書けば小中学生でも「なんて日本は悪い国なんだ」と思うようになる。しかも根拠のない嘘ばかりである。日本は「我が琉球を縣とし、臺灣(たいわん)を割(さ)き」などと書いている。
英米人の煽動も実に目に余るものがあった。ひそかに学生たちに運動費を出す。英語新聞が排日運動の音頭取りをやる。学生運動の拠点はすべて英米人の経営の学校だった。宣教師たちが排日運動には決定的役割を果たした。ことに基督教青年会の活動が目立った。第一次世界大戦中に拡大した日本の支那貿易をつぶすのに、日支離間を策したのである。
「日貨排斥」(日本商品のボイコット)が排日の第二段階だった。1923年頃から、排日の主役はコミンテルン主導の中国共産党にバトンタッチされた。この第三段階で排日は「抗日」へと転じた。もしそのとき日本の資本と英米の資本が手を結ぶことができたなら、一致団結してコミンテルンの動きを封じ、毛沢東の出現を阻むこともできたわけだが、英米人は愚かにも反共より反日を必要と考え、歴史の進歩に逆行した。二十世紀の歴史の暗黒化はここに始まる。第二次世界大戦における謎、英米のソ連抱き込み、日本の孤立、独伊への接近という流れは、英米が選択した進路だった。すべては支那大陸における「排日」から始まったのだ。支那人の対日劣等感、嫉妬心、自己の立ち遅れを正視しない唯我独尊、いつまでも自己を世界の中心と思い込む愚昧な独善性、煽動されるとどこまでも突っ走る付和雷同性、愛国心のかけらもないくせに群がるアリの集団ような盲目的集合性、人格の不在、宗教性の欠如――支那人、漢民族のこれらの未発達のいっさいのバカバカしさを利用したのが当時の英米キリスト教文化人であり、次いでロシア革命成功直後のコミンテルンの組織運動家たちだった。
昨年は、辛亥革命(1911年)から丁度百年経った。昨日今日の尖閣をめぐる大陸の騒乱を見るにつけ、中華民国治下の内乱時代の支那人の行動の仕方、生き方、考え方等々となにも変わっていないこと、その余りの進歩のないことにあらためて驚く。
なるほどわが国もまた同じ時代に英米文化、西洋文化の洗礼を受け、マルクス主義的共産主義の深甚な影響をもろに受けた歴史を持つ。愚かなイミテーション文化や観念的空想的理想主義を追い回した過去の幾多の錯誤は忘れるべきではあるまい。けれども、支那人たちの狂躁ぶり、無反省な惑乱ぶりを目撃するたびに、大抵の日本人は今や冷静に、軽蔑とある種の憐れみの念すら抱くであろう。
日本は成熟した国家である。いったいあれは何事かという以上の感想を持てない。支那人は森永キャラメルに毒が入っていたと女学生が嘘の演説をした時代と何も変わっていない。日本人は必ずしも意思的努力をして自己を確立しているわけではない。ただ、何となく自然に、日本国民は英米キリスト教文化もマルクス主義的共産体制も自分とは別の世界、他者であり、遠い世界であるとして客観視することができている。同時に、古代支那文化は尊重すべきだが、現代中国から学ぶものは何もないとはっきり認識できている。つまり、そう肩ひじ張らずに、自己を確立しているのである。そのことに自信を持ったほうがいい。
中国サイドからのあるレポートに、日本に対する経済制裁をせよ――とあったのを見て、私は笑った。日本は1996年以来、累計830億ドルの対中投資をしているのに対し、中国の対日投資はほとんどないに等しい。中国は日本からの投資だけでなく、技術に依存してやっと生産を支えている。重機やハイテク機器だけでなく、各生産物の部品や素材を日本からの輸入に負うている。今や日本は少しでもそれらを売りたいという根性をここで抑えて、中国の経済に痛打を与える経済制裁を実行すべきである。
はっきり言っておくが、中国に対し譲歩する姿勢で領土問題の落とし処を探り合うようなやり方をすれば、必ず相手は嵩にかかって威嚇してくる。力で押しまくってくる相手には力で押し返すしかない。日本の力は今のところは軍事力ではない。投資や技術の力である。これを政治のカードにする以外に日本に勝ち目はない。言い換えれば、経済が牙を持つことである。
日本の経済人がこのことを分かっていない耄碌(もうろく)ぶりは真に深刻な憂慮の種子である。経済人に言っておくが、尖閣を失えば、世界の中で日本はいっぺんに軽視され、国債は暴落し、株は投げ売りされ、国家の格が地に落ちた影響はたちどころに他の地域との輸出入にも響いてくるだろう。
戦後の日本は経済力が国家の格を支えてきたが、逆にいえば、国家の格が経済力を支えてきたともいえるのである。尖閣はだからこそ、経済のためにも死に物ぐるいで守らなければならないのだ。
「許容性資産指数」という国連の評価基準を用いると、中国のGDPはいまだ日本に及ばず世界第三位だそうである。中国の「環球時報」(電子版、2012年6月30日付)がそれを自ら認めている。