ハンス・ホルバインとわたしの四十年(二)

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 近代というものは、物を見つめる前に、物に関する観念を教えこまれる時代である。まず人間である前に、人間に関するさまざまな解釈に取り巻かれる時代である。

 私は物が見える(傍点)ということに対して懐疑的にならざるにはいられない。不安をごまかす観念のはびこる時代に物は見えない。私はバーゼルで見た一枚のホルバインの強烈な印象が忘れられない。

 それは高さ30センチ、長さ2メートルの細長い棺のなかに、等身大のキリストの屍体を長々と仰向けに横たえている横断図である。ほかにはなにもない。

 キリストを取り巻く群像もいなければ、十字架もない。だが、そのためもあろうか、私はこの絵の懸けてある部屋に入ったときに竦然とした。等身大の屍体は絵の枠をとび出して、あたかも立体的に、私の目の前に実際に置かれてあると思われるほど凄絶にリアルである。

 なかば開かれた目の中で眼球がひっくりかえり、白眼が剥き出している。顔は一面に青黒く鬱血し、骨ばった右腕は胴のわきにそって台架の上に無造作に置かれ、手首から先は異様に腐襴している。痩せ細った足首も黒ずみ、釘あとももう血の固まった跡らしく、どす黒い。

 これはたんなる屍体、たんなる物体である。ここにはキリストの苦悶をたたえる神話もなければ、秘蹟もない。そう言えば、これに似たものとして思い出されるのは、ダハウの強制収用所跡でみた大型の写真の中の、痩せさらばえたナチスの犠牲者の無残な屍体なのである。

 私は現代に比ぶべくもなく信仰心の篤い時代を生きたホルバインが、かかる「物」としてのイエス・キリストを描くことに成功した、その逆説に魅かれたのである。

つづく

ハンス・ホルバインとわたしの四十年(一)

 バーゼルに住む若い友人平井康弘さんから家族旅行の写真を添付したメールが届いた。今年はヨーロッパも異常気象で、熱波の襲来らしい。早くも会社を閉めてバカンスへとくり出す人が相次いでいるそうだ。

 ご一家はアイガーやユングフラウを望みながら3時間ほどのハイキングをした後、宝石のように輝くエシュネン湖に出るとそこは断崖絶壁に囲まれ、反対側の湖岸に見える滝に近づくには手漕ぎのボートで湖を横断しなければなりませんでした、と楽しそうに書いてこられた。写真を見るとなるほど絶景である。佳き夏の日々であるようだ。

 そして下欄に追伸として、バーゼル市立美術館が開催したハンス・ホルバイン展を見て来ました、と書いてあった。メトロポリタンやルーブルや大英美術館など至る処から彼の作品を集めての展示ではあるが、バーゼル市立美術館所蔵のものがやはり主流をなす、とも書いてあった。「エラスムス像や死せるキリストの絵は先生のご教示で私にとっても思い出の作品です。案内のパンフレットを後日送らせていただきます。」

 間もなくパンフレットが送られてきた。見覚えのある作品が細長い紙の表にも裏にも並んでいた。あゝそうか、と私は思い出をまさぐるように画像を眺めては独りで合点していた。

 私のバーゼル初訪問の若い日の記録は「ヨーロッパを探す日本人」の名で日録にも掲示させてもらったが、ホルバインを見たのもたしかあの初訪問の折である。そして、死せるキリスト、正しくは『キリストの遺骸』(1521-22)を見て衝撃を受け、文章を認めた。

 私の処女作『ヨーロッパ像の転換』の第11章「ヨーロッパ背理の世界」の結びにこのときの強烈な印象が綴られている。旧著を知っている方はご記憶にあるかもしれない。しかし若い読者はこの本をもう知らないかもしれない。

 昭和43年(1968年)11月号の『自由』に掲載されたと記録にある。バーゼル初訪問から二年ほど経っている。33歳になったばかりの8月か9月かに書いた文章だと思う。少し気負っているのは若さのせいとお許しいたゞきたい。

 ホルバインの世界が私の処女作と今私がやっている著作との二つに期せずして関係していることを友人の手紙は思い出させてくれた。

つづく

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内田智氏からの要求に対して

 「つくる会」の元理事の弁護士内田智氏が、去る7月10日付配達証明で、私のSAPIO記事(6月14日号)が職業上の不利益をもたらしたとして500万円を3週以内にみずほ銀行の自分の口座に振込むようにと、口座番号を私に伝えて来た。

 私は7月26日午後内容証明にて、私は八木グループから脅迫状を送りつけられた被害者であって、反証は正当防衛であること、内田氏は昨年11月会内部に小グループの意志形成をする上で主導的役割を果たし、また、会内部の人事に外部の団体の介入を許すような発言をし始めていたこと等から考えて、私への脅迫状や藤岡氏への公安情報利用の威嚇などに、たとえ彼自身が実行犯ではないにしても、責任意識をもつべき立場であることを伝えた。

 私は会を立ち去った理事たちグループの共同行動を批判したのであって、内田氏個人を誹謗するものではまったくない。誤解して氏が金銭を要求するのはまことに不当であり、理解できない。

追記 上記の文章に寄せられたコメントの中に、

内田弁護士の書面が本物で、内容が事実であることが確認されたか心配である。
事実であれば、弁護士さんの行為としては誠に疑問である。

Posted by: 田舎のダンディ at 2006年07月27日 08:10

 というご意見があった。相手が相手だけに尤もなご心配である。

 7月10日ある代表的な雑誌の編集長が八木秀次氏と打合わせのために落合った場に、内田智氏が現われ、500万円を振込めという私宛の件の書面を持っていて、八木氏に渡して報告していた。その際編集長にもそのコピーを手渡している。編集長からの証言である。

 第三者の編集長に私宛の配達証明付の文書のコピーを簡単に手渡すというのもよく分らない、不可解な行為である。

注:このエントリーに関する限り、必要以上のトラブルを避けるために、コメント欄を閉鎖します。
 7月28日

むかし書いた随筆(八)

***西洋名画三題噺――ルソー、クレー、フェルメール***

 フェルメールは日本人好みの画工である。鳴り物入りで特別展がハーグで開かれた。大学の同僚のなかで何人かが春休みにわざわざ出かけて行った。むかしセザンヌ展が上野で開かれると、長蛇の列ができた時代と比べて隔世の感があり、日本人の贅沢と余裕もきわまった感じがする。

 むかしは泰西名画というと印象派どまりだった。ヨーロッパ旅行が大衆観光旅行の範囲の中に入って四半世紀も経って以来、それまで日本人にほとんど知られていなかったフェルメールの名が浮かび上がった。

 繊細で、精妙で、日常市民的で、静かな微光の漂うような明るさのある親しみやすさ、衣裳と器物に注がれた細密画の伝統の目、ヨーロッパ絵画に例の少ない黄や青のコントラストの美しさ、自己主張を抑えた西欧世界らしからぬ慎ましさの詩的小世界――どれ一つとっても、日本人好みではないものはない。
v-9.jpg フェルメールはもちろん私も好きな画家の一人である。中庭の幾何学的構成美を示したホーホや、絹や繻子(しゅす)の緻密な再現で目をみはらせるテルボルフなどの同時代のオランダ人画家とともに、ヨーロッパの美術館を訪れるたびに、私の足を立ち停(どま)らせ、私に感嘆措(お)くあたわざる思いをさせつづけてきた作家だ。「一枚の繒」にとりあげるのなら、例にどれを挙げてもいい。アムステルダムの『牛乳を注ぐ召使い』でも、ロンドンの『ヴァージナルの前の女』でも、パリの『レースを編む娘』でも、どれでもいい。

 今から30年ほど前、ハーグのマウリツハイス美術館で、フェルメールの全作品を蒐めた展覧会が開かれた。私は偶然オランダ旅行中にこれに出合った。その頃、特別展を訪れる日本人の姿はほとんどなかった。フェルメールの名前と画像が心に刻みつけられたのはそれ以来である。というわけで、私も心と時間に余裕があれば、もう今後半世紀は行われないだろうといわれる今回のハーグの特別展に、同僚と行を共にしたかったという気がまったくないわけでもない。

 けれども、あながちその気になれなかったのは、心と時間にゆとりがなかったからばかりではない。フェルメールは西欧美術の代表の位置、西欧精神の中枢を象徴する位置を決して占めていない。フェルメールだけを切り離して、個別に鑑賞しても、われわれは西欧精神の精髄に触れたことにならないだけでなく、明治以来の日本人のとかく陥りやすい間違いを再演することになりかねないからだ。

 すなわち、日本人が自分の好みを西欧世界に投影し、自分の自我の反映像のなかに巨大怪異なる中世末以来のあの幾重にも歴史の層を成す西欧美術の全体を閉じこめ、片づけてしまうという誤解を再び演じることになりかねないのである。

 ジョットなどイタリア初期ルネサンスの祭壇画から始まる西欧近世・近代美術の、キリスト教神話世界に材を求めた壁画風巨大画像の数々に、ヨーロッパの美術館で、圧倒され、打ちのめされた経験を味わわなかった日本人は恐らくいないであろう。

 フェルメールにしてからがレンブラントの切り拓いたオランダ市民階級の肖像画の世界の一部に位置づけられるはずである。そして巨匠レンブラントの前にも後にも、数限りない巨匠が相並んでいる。わずか35点の小品を残したにすぎぬフェルメールの世界が、どんなに宝石箱のように美しくても、ティチアンも、ティントレットも、ファン・ダイクも、フランツ・ハルスも措いて、日本人がわかりやすい、なじみやすい、心地よい小風景にのみ心が傾斜し、吸いこまれるというのは、片寄っているというだけでなく、西欧と対峙する態度としてそもそも間違っているのではないかという気が、私はしている。

 私はこの稿に「ルソー、クレー、フェルメール」という小噺三題のような妙な題をつけた。ルソーは日曜画家のはしりといわれた税関勤務のあの純真無垢の魂アンリ・ルソーである。クレーはいうまでもなくパウル・クレー。スイスの画家、版画家で、児童画のように単純な表意的形象で一世を風靡した、『日記』でも知られるあの有名な、色彩と空間構成の巨匠のことである。

 この三人の名前を一線上に並べたのは世界の美術史上でも恐らく私が最初だろう。まことに奇妙なくくり方である。かつて例のない系譜のとりまとめ方だと言っていい。けれども、日本人であれば必ずピンとくるに違いない。日本人にだけはああそうかと分かる。“日本人好みの系譜”と言うべきものである。

rousseau_dream01.jpg ルソーは大正時代に白樺派が持ち上げ、クレーは戦後日本が特に熱狂的に愛好した。そしてフェルメールは今や高度産業社会の爛熟した現代日本の人気の的である。それぞれフランス印象派、ピカソなどの20世紀抽象絵画、そして西欧中世・近世絵画が日本人の幅広い層の鑑賞の対象となった時代の動きのなかで、“日本人好み”の代表として立ち現れた。あえて“日本的センチメンタリズム”の代表と呼んでいいかもしれない。

 この三者に共通点があることはどなたにでもお分かりであろう。前に「詩的小世界」という言葉を使ったが、「メルヘン的抒情世界」という言い方もできるかもしれない。こういう世界ばかりを好きになる日本人――私にもそういう一面がないわけではないが――を、私は本当は好きになれないのである。

(初出 原題「風景のあるエッセイ ルソー、クレー、フェルメール――日本型感傷の系譜」)「一枚の繪」1996年7月号

Paul-Klee パウル・クレー

「赤いチョッキ」1938年、糊絵具、黄昧、65×43ノルトライン=ヴェストファーレン美術館蔵Kunstsammlung Nordrhein-Westfalen, Düsseldorf

東京新聞 7月25日夕刊の記事より (注)

パウル・クレー 創造の物語

日本人好む抒情世界

 「西洋名画三題噺(さんだいばなし)ルソー、クレー、フェルメール」というエッセーを書いたことがある。ルソーは日曜画家のはしりといわれた純真無垢(むく)な魂アンリ・ルソー。フェルメールは十七世紀オランダのデルフトの室内の働く女性たちの衣裳(いしょう)に静かな微光(びこう)の漂うような細密画家。そして児童画のように単純な表意的形象の世界パウル・クレー。この三人を一線上に並べたのは世界の美術史上でも恐らく私が最初であり、最後であろう。

 西欧世界らしからぬ慎(つつ)ましさの詩的小世界。なじみやすい“日本人好みの系譜”といっていい。ルソーは大正時代に白樺派が持ち上げ、クレーは戦後日本が愛好し、フェルメールは海外旅行が普及した現代日本の人気の的である。三者に共通する「メルヘン的抒情(じょじょう)世界」こそ、日本人が自分の似姿を西欧に投影している現れである。

 

西尾幹二 (評論家)

「パウル・クレー創造の物語」展(東京新聞など主催)は、8月20日(日)まで、千葉県佐倉市の川村記念美術館で開催中。詳細はhttp://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/klee2006/

注:東京新聞の掲載は当初予定の21日から25日になりました。

中国の東シナ海進出は止まらない(五)

_VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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宇宙開発関係者の体たらく
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西尾 最後に中国の宇宙戦略の話をお聞きしたい。中国はアメリカ本土に届く長距離核ミサイルを開発して、アメリカを威嚇する段階に入った。アメリカはそれに対するミサイル防衛システムを急いでいる。一方で友人宇宙船の開発に成功した中国は、アメリカのミサイル防衛を無力化するための宇宙ステーション建設を考えている。そこからレーザー兵器でアメリカを攻撃する計画がある、と先生のご著書にはありました。

 かつてのソ連もできなかったことが中国にできるのかという疑問も生じますが、そこまで動きだしているというのは大変な驚きです。これは本当のことなのでしょうか。

平松 どこまで具体化されているかはともかく、その方向に向かいはじめていることは事実です。一点集中主義を貫くことで、それができる国になったのです。この秋には月に衛星を飛ばす計画もあります。そこから考えれば、宇宙ステーションもそう遠い話ではないはずです。 

西尾 いまから15年ほど前、文芸評論家の村松剛さんが存命中に、「日本は宇宙開発を、どんな犠牲を払ってでも国家プロジェクトとしてやるべきだ」ということを書いていました。文学者には、このような考えをもつ人がいたのですが、要路の人は皆、バカバカしい夢物語としてしか受け止めませんでした。文学的な夢こそがかえって現実的だったのです。

 本四架橋(本州四国連絡高速道路)など、四国に三つも橋を架けるぐらいなら、それこそ宇宙への有人飛行競争に参加したほうがいい。国の威信を懸けてでも、これからでも遅くない。やるべきだと思います。

平松 中国は宇宙開発を着実に進めています。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけては、GPS(全地球測位システム)を担う人工衛星の打ち上げも行なっています。以前、日本の宇宙開発関係者の会合で、「中国がGPSを開発していますよ」と話したことがあります。彼らは、このことをまったく知りませんでした。これには非常に驚きました。

 だからまず必要なのは、中国が何をやってきたかを日本人がよく理解することです。中国が核開発を始めたとき、「あんな国につくれるはずがない」と皆バカにしていました。それがいつの間にか完成し、独自のGPSまで実現し、宇宙からミサイルをコントロールしようとしている。

 もし台湾を攻めるならば、GPSは、大いに力を発揮するでしょう。もともとGPSは、海の上のように何の標識もないところで目標を定めるために、アメリカが開発したシステムです。潜水艦を攻撃するときもGPSを使えば、位置を測定して簡単に命中させることができます。

 中国がそのような方向に進んでいることを日本人はもっと知らなければならない。そうすれば日本人も、自分たちが何をすればいいかを、もっと考えるようになると思うのです。政府の戦略も変わっていくのではないでしょうか。

西尾 いまのお話のなかで、先生がお仕事の関係で日本の宇宙開発関係者の会議に出席なさって、官僚や学者たちはアメリカのことは知っていても、中国の宇宙開発については何も知らない、知識も関心もないということですが、これは驚きですね。由々しい事態で、許されないことでもあります。日本の指導者がかくのごとき体たらくだということに、私は怒りを超えて、絶望をさえ感じます。

(了)

中国の東シナ海進出は止まらない(四)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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日米でいかに中国を弱体化させるか
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西尾 ここでまったく違う質問をしたいのですが、日本には平松先生のお話とは逆に、「中国はもう、どうしようもないほどダメになっている」とする中国観があります。経済格差は大きいし、民族対立が発生しているし、ソ連崩壊と似たようなパターンに入っている。経済上の数字も全部ウソのデータで、エネルギーや水も著しく不足している。得体の知れない病気もはやっている。さらには中国人は一人ひとりがエゴイストで、自分の欲望を満たすことしか考えておらず、国民としてのアイデンティティがない。

 中国は昔から君子と匹夫に分かれ、平松先生は君子、つまり中国共産党を見ている。その一方で、昔でいう苦力(クーリー)や農民、庶民などに焦点を当てて見た中国論もある。その違いからとも思うのですが、先生の中国像と一致しないんです。

平松 「中国が崩壊する」という論は以前からずっとありました。しかし、共産中国の歴史のなかには、「大躍進」や人民公社のたまえに、2000万~3000万を餓死させたなどという話もあった。そのことを思えば、いまは2000万~3000万の餓死者が出たという話は聞きませんから、ずいぶんよくなっているのです。

西尾 でも、暴動はあちこちで起きているようです。

平松 暴動は昔からあります。中国が比較的安定していた1950年代中ごろ、毛沢東は「中国には小皇帝が何十人もいる」という発言をしています。軍閥の親玉のような存在の人を「小皇帝」と称し、そのような人物が何十人もいるという。毛沢東の時代ですらも中国は治まっていなかったわけで、その意味では、いまも昔も変わらないのです。

 かつて大陸で生活した人からこんな話を聞いたことがあります。北京の街では真冬の朝、いつも家の前に何人もの人が凍えて野垂れ死にしていたそうです。いまはそのようなことはない。「だからよくなっているんだ」という。一昔前と比べると、はるかに生活が向上しているのです。腹が減っていては、暴動やストライキをすることができないですよ。

 そもそも人間が死ななくなっています。たくさん生まれるのは相変わらずですが、昔は同時にたくさん死にました。いまは文明化して簡単には死ななくなった。日本に比べればまだまだ劣るしレベルではありますが、医療がずいぶん発達したし、衛生状態も非常によくなった。昔はそこいらじゅうに豚がウロウロしており、糞尿が垂れ流しになっていた。蠅も辺り一面が真っ黒になるくらいいっぱいいて汚かったのが、見違えるほどきれいになった。そのような点から見れば天国ですよ、いまの中国は。

西尾 ただ、こういうことは一ついえますね。中国がアメリカや日本のような大資本主義国に対抗するには、富を平均化してしまってはダメで、一部に集中するしかない。国家権力が富を掌握し、民衆を置き去りにするというスタイルをとらざるをえません。

 実際中国では、非常に悪質で非人道的な法律によって、国家による富の収奪が行なわれていると聞きます。一部の農民を都市に連れてきて、一定期間、安い労働力としてこき使ったあと再び農村に帰す。そして新たに農民を都市に連れてきて、また安い賃金でこき使う。これを繰り返すことで人件費を抑えるのです。あるいは土地はすべて国有なので、立ち退きや追い払いといったことを、まことに残酷なやり方で行なっている。

 ならばアメリカや日本は、中国を軍事的、経済的に恐れる前に、まず中国の人権問題を攻撃すればいいのではないか。中国をもっと民主化させ、富の偏在をなくせば、軍事に経済力を集中させることができなくなり、軍事的な拡大も阻止できると思うのです。一方で中国の民衆はもっと幸福になるかもしれません。日米両国は中国に対してそのような戦略を採るべきだと思うのですが。

平松 毛沢東は経済力をまず核兵器に投入し、その後政権はさらに、海岸、宇宙という方向に使ってきた。それを違う方向に使わせるということですね。

西尾 そうです。

平松 ただ富を国民に平均分配すると、豊かになった国民が贅沢な暮らしをしはじめて、世界中のあらゆる資源やエネルギーがなくなってしまう。あまりに影響が大きいから、そのようなことをさせたらダメだというのが、私の考えです。中国は近代化しないほうがいい。「毛沢東流の人民公社がよい」と、私はずっといいつづけています(笑)。

西尾 中国を穏健な国家にしようと、アメリカは中国をWTO(世界貿易機構)に加盟させました。国際秩序に取り込むことで、よりソフトにしようとしうのが冷戦以降のアメリカの戦略のようでした。ところが、どうもうまく進んでいない。逆になっているように見える。

平松 もともと中国は、WTOにおいて優等生になるためでなく、「使えるところだけを使う」と考えて加盟したと私は見ています。だいいち、このまま生長を続けていけば、世界中の資源やエネルギーのかなりの部分を使ってしまいます。中国の国民に冷酷といわれても、私はそのような方向に導く戦略を採るべきでないと思います。私は、中国が欧米や日本のような発展方式ではなく、中国の現実に合った発展の方式を採るように考え、あるいは協力することだと考えています。

西尾 いずれにせよ日本は、いかに中国を弱体化させるかを研究する必要があるのではないですか。それなのに、そのような議論が堂々と語られない。有効国家としての扱いばかりしている。日本経済が中国にぶら下がっているからある程度仕方ないとしても、そもそも経済をもっと政治戦略として使うべきではないか。日本経済の力をもってすれば、一国の軍事力に匹敵するようなパワーがあり、相手を抑えつける政策論もありえるはずです。

平松 日本だけではないでしょうか。国家が総合的な戦略を立てていないのは。欧米の国家なら、どこでもやっている話です。企業にしても皆バラバラで、お互いに競争して足の引っ張り合いをやっている気がします。

西尾 日本政府だって省庁ごとに戦略がバラバラですからね。

平松 そこにいちばんの問題があります。そのあたりが変われば、いろいろな方法が考えられるはずですけどね。

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない(三)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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自衛隊は攻撃できるのか
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西尾 現実問題として、日本が試掘中の東シナ海のガス田に中国の船が接近し、妨害したり発砲したりしようとしたら、自衛隊は何ができるのでしょう。

平松 残念ながら何もできないでしょう。その件について関係省庁の人たちと話したことがあるのですが、彼らの返事は「どのような船が来るかによって対応が違います」というものでした。公船と民間船で違うし、公船でも軍艦とそうでない船では違うと。

 しかし中国では公船も民間船も区別がありません。漁船に見せ掛けた軍関係の船も多く存在するのです。「そう考えなければいけませんよ」と忠告したのですが、あまり理解している様子ではなかった。非常に不安です。

西尾 現在の中国は、明治以降、昭和前期までの日本のように強いナショナリズムが横溢しています。一方の日本は、かつての清朝のようにぼんやししている。立場が逆になっている。いまの中国はどのような技術も軍事に転用しているようです。かつての日本もそうでした。

 JR東海の葛西敬之会長から聞いた話ですが、超電導磁気浮上鉄道(リニアモーターカー)の実験を、JR東海はすでに成功させている。この鉄道の特徴は、最高時速に達するまでの距離が非常に短いことで、スタートしてわずか8.5キロで580キロに達します。そして同じ距離でゼロに戻る。これはまさにロケットの発射台に転用できる技術で、中国が狙っている。

 日本は急いで実用化し、第二東海道新幹線というかたちにしておけば、いざというとき軍事用に転用できます。それなのに、第二東海道新幹線構想は棚上げになっているのです。せっかく開発した最先端技術がありながら、国が戦略的に動こうとしない。軍事はもとより、民間ですら使われずにいる。非常にもったいない話です。

 先日、広島県呉市にある海事歴史博物館「大和ミュージアム」に行きました。戦艦大和の模型など、大規模な展示があり、大和の技術が戦後、さまざまな平和利用につながったという話もそこで聞きました。軍艦が民間の平和な技術開発に役立ったという一種の弁明ですが、もちろん当時は平和利用を目的として造ったのではありません。国を挙げて、ありとあらゆる技術を軍事に集中し、最強の軍艦をつくろうとしたのです。それがやがて戦後になって民間の技術に転用され、日本を経済大国にする一助になった。そしていまでは、逆に民間の技術も軍事用に転換され国防を担う。これが技術のあるべき姿だと思うのですが、日本はどこまでそうなっているでしょうか。

 軍事評論家の江畑謙介さんによると、光を使った兵器というのは、日本がもっている民間技術を使えば容易にできるそうです。ところが純科学的な研究を行なっているだけで、軍事的な領域につなげていない。自衛隊ですら危機感がないようですから、一般の技術者がそのような意識をもつはずがありませんね。

 戦艦大和は主砲がほとんど火を噴くことなく、九州と沖縄のあいだの海域で沈没しました。なぜこれをガダルカナルへもっていって、真っ先に使わなかったのか残念でなりません。戦争末期になって、航空機の護衛もない裸で、自爆覚悟の特攻隊として沖縄戦にむざむざ向かわせた。むなしい巨艦の最後でした。もっと早い時期に投入していたら、戦局はずいぶん変わったはずです。兵も技術も優秀なのにまさに「将官に人なき」で、同じようにいまもリニアモーターカーをいたずらに死なせてしまっている。「政治家に人なき」ということなんでしょうね。

平松 逆に中国はレベルが低くても、こつこつとやっているうちにだんだん技術レベルが上がってきた。これは国家が総力を挙げて、軍事に集中したからです。

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない(二)

お 知 ら せ

*TLF7月講演会*

講 師 西尾幹二氏 (評論家)

テーマ “GHQ焚書図書”から読み解く〔大東亜戦争〕の実相

と き 平成18年7月15日(土)
     午後6:30~8:30(受付6時)

ところ 東京ウィメンズプラザ・視聴覚室(1F)
    東京都渋谷区神宮前5-53-67(地下有料駐車場有)

交 通 〔表参道〕B2口より渋谷方面に5分(国連大学)手前右折

参加費 男女共1500円・学生1000円(要学生証)
     当日会場までお越しの上、直接お申し込み下さい!

“非営利・非会員制”の知的空間

主 催 東京レディスフォーラム
  〒100-8691 東京中央郵便局私書箱351号
  ℡&FAX 03-5411-0335

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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東シナ海の日中中間線を認めていない
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 西尾 平松先生は中国の国家戦略について、毛沢東が最初から、「核、海岸、宇宙」の三つをセットにしたアメリカとほぼ同じ大国戦略をプログラムとしていたとおっしゃっています。国家百年の大計をきちんと定め、それに従って何十年と動いてきた。それが少しずつ集積して、いま巨大なエネルギーとして浮かび上がってきている気がします。

 その一方で、地図を見ると中国大陸の東側には日本列島から沖縄、台湾があり、中国大陸の東を全面的に覆うかたちになっています。中国としては、日本が近代国家として早く目覚めたため、いつの間にか自分たちの海岸線の先を全部押さえられ、太平洋の出口をふさがれてしまったと感じているのではないでしょうか。

 これは、日本が知らないうちにアメリカにどんどん西へ進出されて、ハワイからサモア、グアム、フィリピンを押さえられ、包囲されたかたちになったのにも似ている。わが国が、それを突破しようとしてアメリカとぶつかった大東亜戦争の構図を当てはめると大変なことになる。中国が太平洋に出るには、台湾海峡を抜けるか、台湾とフィリピンのあいだにあるバシー海峡を抜けるかしかありません。台湾海峡を抜けたあとは、沖縄の宮古島周辺を通らなければならない。中国が太平洋に出ようとしたら、日本と衝突するのは必然というわけです。

 もっとも中国がそんなことを考え出すのは、長い歴史において、ごく最近の話です。彼らは基本的に、海の民ではありません。そう考えると海への野心は、それほど強烈なものではないのではないでしょうか。

平松 いえ、そんなことはありません。東南アジアを完全に影響下に入れるために南シナ海を押さえ、その後、陸地から進出しはじめています。いま中国は大陸の奥地から、ミャンマーやベトナム方向に盛んに進出しています。

 また台湾を支配下に入れたがるのも、そうすれば直接、太平洋に出られるからです。バシー海峡からマラッカ海峡に至る南シナ海には、日本のシーレーンが通っていますから、南シナ海を押さえられたら日本は中国の顔色を窺わないと船の航行がしにくくなる。

 現在、韓国が中国に一生懸命擦り寄っている理由も、そこにあります。中国はいま東シナ海を影響下に置こうとして日本と対立していますが、もし東シナ海が「中国の海」になれば、黄海は出入り口がなくなって、完全に中国の内海になり、米国の空母や原子力潜水艦が入れなくなる。朝鮮半島への影響力を決定的なものにできるのです。それを予感して韓国は親中戦略を採っていると考えられるのです。

 このような危険は状況になりつつあるのに、日本はまったく危機感を抱いていません。3月に行われた東シナ海のガス田をめぐる交渉にしても、中国が尖閣列島付近での共同開発を持ち出すことなど、考えてもいなかったようです。これは中国の戦略としては当然のことなのです。

 この会談で中国は、日韓共同石油開発が行われた海域にまで日中共同開発を主張しています。ここは80年代初めに日韓共同で石油の試掘を行った場所ですが、大して石油が出ず、放置されたままになっていた。そこをあらためて「開発しよう」といってくるのは、「そこは中国のものだ」と日本と韓国に認めさせたいからです。日本政府は春暁のガス田開発と尖閣列島の領有問題と日韓共同開発海域の問題をまったく別個に考えていますが、中国はそうでなく、「東シナ海の大陸棚とその海域は、全部自分たちのものだ」と考えている。

 中国はいろいろな問題を通して、東シナ海でのプレゼンスを高めることを意図しています。最近「春暁ガス田」に近い平湖油田の拡張工事で周辺の海域に対して、外国の船舶の航行を禁止する措置をとろうとしましたが、日中中間線の日本側海域にまでその禁止海域を拡大して設定していることがわかりました。中国は日中中間線を認めていないから、当然の措置と見ているわけです。このような問題が起こった場合、緊張が生まれるかもしれませんが、日本政府は断固たる態度で対応する必要があります。

西尾 平松先生は、中国はすでに東シナ海の問題を「片づいた」と考えていると書いていますね。

平松 中国は南シナ海も東シナ海も、かなりの程度まで片づいたと思っています。だからこそ西太平洋にまで進んできているのです。

西尾 中国の潜水艦が西太平洋に出て海底調査を行なっています。日本領土である沖ノ鳥島付近のわが国の経済水域ばかりか、北部海域の「公海」にも入ってきている。

平松 たしかに領土から200海里が排他的経済水域ですから、沖ノ鳥島からそれ以上離れた北部海域は「公海」ですが、その「公海」の周りはすべて日本の経済水域になっているのです。

 中国だったらあそこは「自分たちの海」というでしょう。アメリカだって暗黙の了解として自らの海と認めさせるに違いない。その意味で日本は優等生すぎるのです。

西尾 おっしゃるとおりで沖ノ鳥島の北方は、日本が「ここはわれわれの海だ」と認めさせてしまえば、それで済む気もします。最近ようやく沖ノ鳥島の重要性に気づいて、日本も発電施設や灯台を置くなどといいだしました。

平松 そのようなことをドンドンやらないとダメなんです。これまで沖ノ鳥島に触れること自体、嫌がっていましたからね。

西尾 「中国を刺激するから」と。そんなバカなことをいっているから、いつの間にか中国にやられてしまう。

平松 中国が南シナ海に進出したとき、私が、日本の船舶が頻繁に航行する南シナ海のシーレーンを中国に押さえられる状況になることを危惧しても、「なんで、そんなことを心配するんですか」と防衛庁や自衛隊の人たちから笑われたのです。

西尾 先日たまたま防衛庁の人と会いました。私が「いざとなったら将官クラスの人は憲法違反をして、自分で腹を切る覚悟でいないと、この国は守れないですよ」というと、「私どもは決意しています」などと、口ではいっていましたけどね(笑)

つづく

中国の東シナ海進出は止まらない (一)

VOICE6月号 特集「中国の脅威」は本物か より

「海への野心」で膨張する大国に日本は何ができるか

平松茂雄
西尾幹二

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中国が主張する領土
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西尾 平松先生は最近、『中国は日本を併合する』(講談社インターナショナル)というショッキングな題の本を出されました。それによると、中国は近代化に立ち遅れ、そのための失地を回復すると称して領土拡大を狙い、その範囲はわれわれが考える以上の広域に及んでいます。

 帝国主義列強から奪われたと称して、現在のカザフスタン、キルギス、タジキスタンの一部、パミール高原、ネパール、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジア、さらに台湾、沖縄、朝鮮半島、ロシアのハバロフスクから沿海州一帯、サハリンを、中国は自分たちの領土だと主張している。とくに日本にとって由々しいのは、現在の沖縄、琉球諸島を「日本によって占領された」と考えていることです。

 海についても黄海、東シナ海、南シナ海を「中国の海」ととらえ、すでに南シナ海はほぼ手中に収められている。領域についてのこの考え方は、中国政府が公文書で発表したものなのでしょうか。

平松 いえ、そうではありません。ここで示した範囲は、毛沢東が政権を取る前に「将来、自分が権力を握って国家をつくるとしたら、そのときの中国はどのようなものか」を考え、アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーに語ったり、論文に書いたりしたものです。中華人民共和国建国当時、中学生が使う教科書には、その地図を入れています。

 当時の毛沢東は、中国は1840年のアヘン戦争以後、帝国主義列強に領土が侵食されたという前提に立っていました。それを回復するという使命感に燃えていたのでしょう。これは毛沢東や共産党だけでなく、アヘン戦争以降の中国近代史に出てくるリーダーたちに共通して見られる意識でもあります。

 ただ、いきなり取り返すことはできませんから、まず自分たちの力を蓄え、それを背景に回復を図ることを考えた。それには「核兵器を保有しなければならない」と、ひたすら核兵器開発に力を入れたのです。この場合の核兵器とは、たんなる戦争の手段でなく政治の手段です。核兵器を保有すれば、アメリカやソ連などの大国に相手にしてもらえるというわけです。

 早くから核兵器保有の効果を見抜いていたという点で、少し褒めすぎかもしれませんが、私は毛沢東を非常に先見性のある政治指導者であり、戦略家だったと評価しています。この点については私が続いて出版した『中国、核ミサイルの標的』(角川書店)で詳しく書いています。

西尾 中国最古の詩集『詩経』に、「溥天の下、王土にあらざるは莫(な)し」と書かれた詩があります。大空の下、どこまで行っても王の土地である。自分はどんどん膨張していって、天下と一体になってしまうというようなイメージを語ったものです。広大なユーラシア大陸のなかで絶えず民族移動をしてきた中国人にとっては、先生もお書きになっていたとおりに、国境の観念はもともとないのかもしれません。

 日本人も別の意味であまり国境意識がありません。物事を明確に分けるのが苦手で、なんとなくぼかしてしまう。人と人の境も、人と自然の境も曖昧にさせてしまう。

 一方ヨーロッパ人は、中国人とも日本人とも異なり、国境をはっきりさせます。三者を並べたとき、まったく逆の理由になりますが、国境観念が稀薄である点で、日本人と中国人は似ている気もするのですが・・・・。

 そこで一つ質問します。以前ロシアに行ったとき、ロシア人も非常に広い場所に住んでいるので、中国人と似ているという話になりました。「あなたの生まれたところはどこですか」と聞くと、日本人の場合、まず海岸線が頭に浮かび、「そこから何キロ入ったところに自分の故郷がある」と考えますが、ロシア人はそうはならない。ドニエプル川やボルガ川などの流れを思い浮かべて、「二番目の蛇行の角を曲がったところに故郷がある」などと考えるそうです。そのあたり中国人は、どうだと思われますか。

平松 よくわかりませんが、やはり海よりは長江や黄河などの川ではないでしょうか。あるいは湖とか。

西尾 最初に海を考える発想は、中国人にはないのですね。

平松 ありません。中国が海に出はじめるのは1970年代からで、国連の「海洋法条約会議」がきっかけです。1980年代になって本格的に活動するのですが、このとき海軍の指導者が述べた理由は「これから魚を食べよう」というものでした。中国人の食生活は豚肉と切り離せませんが、魚をもっと食べようというわけです。

西尾 それが現在の乱獲につながるのですね。

平松 長いあいだ世界の水揚げ高トップは日本でしたが、7、8年前から中国になっています。これは淡水魚を含めての数字ですが、まもなく海の魚だけでもトップになるでしょう。

 彼らは世界のあちこちに行って魚を捕っていますから、そのうち世界中の魚を食べ尽しかねません。中国では高速道路が整備されたため、かなり奥地まで魚が届くようになっています。10億の人間が魚を食べはじめると考えても、けっしてオーバーな話ではありません。

つづく