むかし書いた随筆(八)

***西洋名画三題噺――ルソー、クレー、フェルメール***

 フェルメールは日本人好みの画工である。鳴り物入りで特別展がハーグで開かれた。大学の同僚のなかで何人かが春休みにわざわざ出かけて行った。むかしセザンヌ展が上野で開かれると、長蛇の列ができた時代と比べて隔世の感があり、日本人の贅沢と余裕もきわまった感じがする。

 むかしは泰西名画というと印象派どまりだった。ヨーロッパ旅行が大衆観光旅行の範囲の中に入って四半世紀も経って以来、それまで日本人にほとんど知られていなかったフェルメールの名が浮かび上がった。

 繊細で、精妙で、日常市民的で、静かな微光の漂うような明るさのある親しみやすさ、衣裳と器物に注がれた細密画の伝統の目、ヨーロッパ絵画に例の少ない黄や青のコントラストの美しさ、自己主張を抑えた西欧世界らしからぬ慎ましさの詩的小世界――どれ一つとっても、日本人好みではないものはない。
v-9.jpg フェルメールはもちろん私も好きな画家の一人である。中庭の幾何学的構成美を示したホーホや、絹や繻子(しゅす)の緻密な再現で目をみはらせるテルボルフなどの同時代のオランダ人画家とともに、ヨーロッパの美術館を訪れるたびに、私の足を立ち停(どま)らせ、私に感嘆措(お)くあたわざる思いをさせつづけてきた作家だ。「一枚の繒」にとりあげるのなら、例にどれを挙げてもいい。アムステルダムの『牛乳を注ぐ召使い』でも、ロンドンの『ヴァージナルの前の女』でも、パリの『レースを編む娘』でも、どれでもいい。

 今から30年ほど前、ハーグのマウリツハイス美術館で、フェルメールの全作品を蒐めた展覧会が開かれた。私は偶然オランダ旅行中にこれに出合った。その頃、特別展を訪れる日本人の姿はほとんどなかった。フェルメールの名前と画像が心に刻みつけられたのはそれ以来である。というわけで、私も心と時間に余裕があれば、もう今後半世紀は行われないだろうといわれる今回のハーグの特別展に、同僚と行を共にしたかったという気がまったくないわけでもない。

 けれども、あながちその気になれなかったのは、心と時間にゆとりがなかったからばかりではない。フェルメールは西欧美術の代表の位置、西欧精神の中枢を象徴する位置を決して占めていない。フェルメールだけを切り離して、個別に鑑賞しても、われわれは西欧精神の精髄に触れたことにならないだけでなく、明治以来の日本人のとかく陥りやすい間違いを再演することになりかねないからだ。

 すなわち、日本人が自分の好みを西欧世界に投影し、自分の自我の反映像のなかに巨大怪異なる中世末以来のあの幾重にも歴史の層を成す西欧美術の全体を閉じこめ、片づけてしまうという誤解を再び演じることになりかねないのである。

 ジョットなどイタリア初期ルネサンスの祭壇画から始まる西欧近世・近代美術の、キリスト教神話世界に材を求めた壁画風巨大画像の数々に、ヨーロッパの美術館で、圧倒され、打ちのめされた経験を味わわなかった日本人は恐らくいないであろう。

 フェルメールにしてからがレンブラントの切り拓いたオランダ市民階級の肖像画の世界の一部に位置づけられるはずである。そして巨匠レンブラントの前にも後にも、数限りない巨匠が相並んでいる。わずか35点の小品を残したにすぎぬフェルメールの世界が、どんなに宝石箱のように美しくても、ティチアンも、ティントレットも、ファン・ダイクも、フランツ・ハルスも措いて、日本人がわかりやすい、なじみやすい、心地よい小風景にのみ心が傾斜し、吸いこまれるというのは、片寄っているというだけでなく、西欧と対峙する態度としてそもそも間違っているのではないかという気が、私はしている。

 私はこの稿に「ルソー、クレー、フェルメール」という小噺三題のような妙な題をつけた。ルソーは日曜画家のはしりといわれた税関勤務のあの純真無垢の魂アンリ・ルソーである。クレーはいうまでもなくパウル・クレー。スイスの画家、版画家で、児童画のように単純な表意的形象で一世を風靡した、『日記』でも知られるあの有名な、色彩と空間構成の巨匠のことである。

 この三人の名前を一線上に並べたのは世界の美術史上でも恐らく私が最初だろう。まことに奇妙なくくり方である。かつて例のない系譜のとりまとめ方だと言っていい。けれども、日本人であれば必ずピンとくるに違いない。日本人にだけはああそうかと分かる。“日本人好みの系譜”と言うべきものである。

rousseau_dream01.jpg ルソーは大正時代に白樺派が持ち上げ、クレーは戦後日本が特に熱狂的に愛好した。そしてフェルメールは今や高度産業社会の爛熟した現代日本の人気の的である。それぞれフランス印象派、ピカソなどの20世紀抽象絵画、そして西欧中世・近世絵画が日本人の幅広い層の鑑賞の対象となった時代の動きのなかで、“日本人好み”の代表として立ち現れた。あえて“日本的センチメンタリズム”の代表と呼んでいいかもしれない。

 この三者に共通点があることはどなたにでもお分かりであろう。前に「詩的小世界」という言葉を使ったが、「メルヘン的抒情世界」という言い方もできるかもしれない。こういう世界ばかりを好きになる日本人――私にもそういう一面がないわけではないが――を、私は本当は好きになれないのである。

(初出 原題「風景のあるエッセイ ルソー、クレー、フェルメール――日本型感傷の系譜」)「一枚の繪」1996年7月号

「むかし書いた随筆(八)」への4件のフィードバック

  1. ルソークレーフェルメールの3人を一線上に並べるのは、実際美術史ではなかった事だと思います。実に興味深いです。白樺派、戦後、との関連も知りませんでした。
    あ、いつも拝読させていただいております。私かつてニーチェを川原栄峰先生に習ったものです。院ではヴィトゲンシュタインに転向しましたが。明日この記事にトラックバックさせてください。よろしくお願いします。

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