「脱原発こそ国家永続の道」について

 原発事故から心が離れない。私は事故直後にすぐ判断した。日本の将来のことを考えて「脱原発」こそ目指すべき方向である、と。産経コラム正論(3月30日付)にも、『WiLL』6月号の拙稿「原子力安全・保安院の『未必の故意』」にもそう書いたし、4月14日のチャンネル桜の討論会では福島の学童集団疎開さえ提言した。

 福島第一原発の情勢の悪化を今も非常に心配している。狭い国土における「内部被曝」は人体におけると同様に始末に負えない。それに使用済核燃料の最終処理の見通しの立たない原発は、われわれが子孫に伝えるべき美しい国土を永久に汚辱し侵害するおそれがあると考えられる。私は「守る」とは何か、をしきりに考察した。派遣されたアメリカの大艦隊、「ともだち作戦」の真意と現実、東アジアにおける日本の陥った危ういポジションをどう考えるかも、問題として一体化している。

 こうしたすべての点を踏まえて『WiLL』7月号(5月26日発売号)に「脱原発こそ国家永続の道」(12ページ立ての評論)を発表する。ネットの読者には申し訳ないが、今のこの時点での私の考え方を集約した論考はこれになるので、ご一読たまわりたい。また5月26日より以後に、同論文へのコメントを今日のここに投稿していたゞけるとありがたい。

 事故直後から私は「脱原発」を唱え始めたと書いたが、私を取り巻く言論空間は必ずしも私と同じではなかったし、今も同じではない。あるいは無言と沈黙がつづいている。産経新聞は原発支持であり、『文藝春秋』と『正論』は態度を示さないし、『WiLL』6月号も雑誌として「脱原発」の声は上げていなかった。代りに『世界』がよく売れ、増刷に増刷を重ねていると聞く。

 事故以前にすでにあったイデオロギーの対立が事故以後に引きつづき持ち越されていることは明らかだが、資源エネルギー問題などをイデオロギーに捉えられて考えるべきではない。できるだけ感情的にならずに合理的に、クールに考察を進める必要がある。人は体験から学ぶべきものである。これほどの大事故が起こった以上、心が震えない人はおかしい。今までのいきさつに囚われていてよいかどうか、原発について漠然と抱いていた固定観念をいったん白紙に戻す謙虚さが求められている。

 けれども保守系の言論界を見る限り、歯切れが悪い。原発は現代の産業維持に不可欠の存在と思い定めていて、梃子でもそこから動かない。もとより私とて原発は明日すぐに全廃することはできず、上手に稼動させ少しづつ減らしていく以外にないと考えている。しかし原発の新規増設はいずれにしてももう望めまい。望みたくても国民が許さない。

 いろいろな「悪」がこれから白日の下に曝されるようになるだろう。お金を積んで説得した地域対策費、すでに巨額にのぼり今後さらにどれくらいの額になるかも分らない廃棄物処理コスト、政治家やマスコミにばらまかれたこれまでの反論封じ込め費――これらが次々と暴かれるであろう。また暴かれる必要がある。

 原子力安全委員会委員長に斑目という人物がいる。You Tubeで彼の発言を聞いて、その余りにあけすけな卑劣さに、私は腰を抜かさんばかりに驚き、にわかに信じられなかった。彼は廃棄物の最後の捨て場を引き受けてくれる自治体はあるのかという質問に答えて、「お金ですよ。最後はお金です。ダメといわれたら二倍にすればよい。それでもダメなら、結局はお金ですから、五倍にして、否という人はひとりもいません。」

 巨悪ということばがあるが、巨大なものはどうしてもグロテスクになる。電力会社は日本経済の高度成長を支えるうえで決定的役割を果してきたが、度が過ぎると、自己抑制のコントロールを失う。台所の「オール電化」の叫び声がわが家の戸口にも襲来し、東京ガスを一気に追い払おうとしていた。東京電力のキャンペーンのしつこさは事故のほんの少し前まであった目立つ出来事だった。すべてはやり過ぎなのである。原子力発電が無限の利益もたらすという幻想に今度歯止めがかかったのは良いことだった。

 国民は健全な常識があり、賢明である。おかしいのはいつの時代にも知識人である。昔は左の知識人が常識を踏み外していたが、今はどうであろう。保守系の知識人や言論紙が少しおかしいのではないか。今日(5月20日)の産経の社説は、いま徹底的に批判されるべき(東電以上に批判されてしかるべき)原子力安全・保安院をしきりに擁護しているのには驚いた。

 菅総理を批判するのは今は誰にでも簡単にできる。民主党がダメなことは今では高校生でも弁じることができる。中国の悪口ももうそろそろ底をついた。こういう方向のこと、安易なことだけを元気よく語りつづけてきた有名な誰彼の教授、評論家、女性ジャーナリスト諸氏をみていると、原発の是非についてはなぜか固く口を噤んでいるのがかえって異様で、目立つのである。

 保守の論客たちは心を閉ざしている。何かに怯えて見て見ない振りをしている。原発事故の大きな悲劇と不安に対し、人間としての素直で自然な感情で対応しようとしていない。私は過日ソフトバンクの孫正義社長の講演をUstreamで聴いたが、さすが噂にきく大きな人物だけのことはある。真剣に考えていることはすぐ分った。国民の一人として心が震えていた。私は孫という人をこれまで誤解していた。皆さんもぜひ講演を聴いてご覧なさい。

 名だたる保守系知識人、名誉教授や有名な論客がたまたま一堂に会したシンポジウムがあったそうで、四月の末か五月の初めらしいが、「原発は必要だ、一度ぐらいの失敗でオタオタしてはいけない」の大合唱になり、会場で聴いていた人から私に連絡があった。「先生、僕は保守派が嫌いになりました。まるっきり反省がないんです。有名なK先生が、国鉄に事故ひとつない日本の技術をもってすれば、原発の事故なんて今後起こらない!事故が現に起こっているのにそう言うんですよ。」

 日本の技術が秀れているのは確かだが、国鉄にできて原発にできるとは限らないのは、当「日録」の粕谷哲夫さんのゲストエッセー(5月12日)を一読いたゞきたい。また、私の4月22日付日録に付せられた21番目のコメントをお読みいただきたい。原発技術はアメリカ直輸入で、国鉄などとはいかに違うかを考えさせてくれる秀れた内容のコメントだった。

 日本の技術は世界一だというのはひとつの「観念」である。この観念が成立するまでには力量と人格と哲学を具えた技術者たちの戦いの現実がある。日本の原子力発電にそれがあったかどうかが今後問われるだろう。

 保守系知識人は「観念」をう呑みにし、背後の「現実」を見ていない。知識人は左右を問わず、いつもそうである。「現実」から目をそむけて「観念」でものを言う。

 何も勉強しないで原発は絶対に欠かせないときめこんでいるとか、東電叩きは歪んでいる(東谷暁氏)とか、原子力保安院は一生懸命やっているとか、津波対策だけすればよく地震は心配ない(中曽根康弘氏)とか、最近のこういう声に私は思慮の欠如、ないし思考の空想性を覚えるだけでなく、ある種の「怪しさ」や「まがまがしさ」を感じているということを申し添えておく。

 反原発を主張する『世界』掲載の論文や小出裕章氏とか広瀬隆氏とかの所論はどれも力をこめて何年にもわたり原発否定の科学的根拠を提示しつづけて来た人々の努力の結晶なので、その内容には説得力があり、事故が起こってしまった今、なにびとも簡単に反論できないリアリティがある。例えば教授ポストを捨てて生涯を危険の警告に生きた小出氏などは、話し方にもパトスがあり、人生に謙虚で真実味があり、原子力安全・保安院長のあの人格のお粗末ぶりとは違って、説得力にも雲泥の差があるともいえるだろう。

 けれども一つだけ総じて反対派に共通していえるのは、大抵みな「平和主義者」だということである。彼らが軍事ということをどう考えているのかが分らない。ここが問題である。

 福島第一原発の事故の現場について誰も言っていないことは、核戦争の最前線に近いということである。ロボット大国のはずの日本製ロボットは役に立たず、アメリカの戦場用ロボットが初めて実用に耐えたことをどう考えるべきなのか。保守系言論人は、ここに着目すべきなのである。日本の技術は世界一だから一回くらいの事故でオタオタするな、などと空威張りするのではなく、世界一の技術がなぜ敗退したのか、そこから考えるべきである。武器輸出ひとつできない「平和病」の状態で、原発を世界に売る産業政策を口にするのはそもそも間違っていたのではないのか。

 私の「脱原発は国家永続の道」はこの矛盾の轍の中に飛び込んだ論考である。5月26日の『WiLL』7月号をお読みいただきたい。そして、コメントはここに記して下さい。

追記 『WiLL』6月号の拙論の題名「原子力安全・保安院の『未必の故意』は、私がつけた本来の題は「最悪を想定しない『和』の社会の病理」でした。花田編集長は今回は珍しく、題名をひねって取り替えたのは自分の失敗だった、と反省していました。

チャンネル桜の感想  2011年4月25日

 粕谷哲夫氏は私の大学時代の友人で、元住友商事理事。原発事故で考えること多いらしく、いろいろな情報を持ってきてくれるし、電話で長談義も惜しまない。年老いても自分の心で反応しているし、体で受け止めている。イデオロギーからはもっとも遠い。人間としての本源にかえって考えている。私は彼の情報と発見から教えられことが多い。
 
 以下は、4月14日の私も参加したチャンネル桜での討論会に対する彼の感想である。

ゲストエッセイ 

  

粕谷哲夫

 座談会は多様な内容が含まれていてたいへんよかったと思う。そこで議論された個別の問題の感想ではなく、全体的な感想である。

 御用学者の巣としていま東大工学部は評判が悪いが、東大工学部にも立派な人はいる。機械学科を卒業して、国鉄始まって以来の100点満点で入社試験に合格したという伝説的な逸材、山之内秀一郎(JR東日本会長)を思い出したからである。事故の発生を防ぐという強靭な信念の持ち主で、国鉄で事故の撲滅に没頭された。すでに故人となられてしまった。同世代の山之内秀一郎ご自身からお聞きしたお話が、今回の討論を聞いていて浮かんできた。 私はJR に「安全」という文化があるとすれば、この彼のエンジニアリング哲学に負うところ少なくないと思っている。新幹線に開業以来、事故らしい事故が無いのは、偶然ではない。

 山之内秀一郎は、国鉄において事故が如何に発生するかの解明に執念を燃やした。それまでに発生した国鉄の事故のすべてを洗い出し、それらを分析し、分類し徹底的に調査した。彼は改善のために事故を愛したとさえいえるほどに執拗に事故事例を追い求めた。事故を起こした運転手や作業員を処罰するより、まず状況の聴取に努めたのである。その一つ一つに対応してつくられた、的確な対策がこんにちのJR 安全文化の基礎をなしているという。彼にとっては既知の事故の再発は、技術者として許されないという強い信念があったものと思われる。

 山之内は JR の後に、宇宙開発事業団に移籍した。衛星打ち上げの失敗が続いていて、宇宙事業団の体質改善は急務であった。山之内をおいて適任者はないという政治判断があった。宇宙開発そのものは、原発と違っていわば緊急性はない。なくてすぐに困るというものではない。そして、打ち上げに失敗すれば何百億円規模の巨額の資金が吹っ飛んでしまう。「山之内で失敗したら宇宙開発は、国家として断念せざるを得ない」というような最後通牒が突き付けられていたように思われる。とはいえ宇宙事業団内部には既に、衛星に関わる百戦錬磨の専門家が多数おり、いくら優秀であろうと外様の機械学科出身の占領軍のような位置づけの山之内に対する抵抗は根強くあって当然である。またもっと大事なことは、事業団には、山之内から見れば緊張感を欠く雰囲気があったようである。

 「衛星打ち上げの失敗はどこの国にでもある。これだけ努力して失敗したからといっていちいちとがめられてはやっていけない」という雰囲気であろう。この雰囲気を克服して、新しい安全文化を短期間で定着させるなどということは、山之内にしても至難の業であった。

 彼が着任して、初めての衛星打ち上げが行われることになった。その予定時間の天候には若干の不安があった。これで失敗すれば、一巻の終りという差し迫った状況であった。いくべきか立ち止まるべきか、ハムレットの心境である。山之内にはまだ衛星について十分な知見も体験もない。しかし誰かが決断しなければならない。究極の決断は責任者である山之内にある。すべての準備は終わっている。中止して再び立ち上げるには時間もカネもかかる。大多数の技術者は予定通りの打ち上げ発射を主張した。彼らには彼らなりの自身とプライドがあった。山之内は何人かの信頼できる部下をまねいて、個別に耳を傾けた。熟慮の結果、打ち上げの延期を決断した。苦渋の選択である。積極派からはブーイングである。発射の決断をしていたからといって、かならず失敗したということではない。成功していたかもしれない。しかし山之内が決断に至る苦悩のプロセスが全員に感動を呼んだのである。彼の信頼は高まった。以来事故らしい事故はない。

 討論を聞いていてもそうであるが、どうも原発推進の東電や通産省の要人に山之内のような信頼や醸成された良質の企業文化が欠落しているように思われてならない。いまでも東電で褒められるのは、現場の従業員や作業員で、東電の貴族的な幹部や安全工学的な素養を欠くように見える保安院ではない。原発のような巨大なリスクを背負う、超大型の複雑系のマンモス工業運営は、テクノロジーそのものももちろん大事だが、それ以上に大事なのは山之内流の企業文化である。どの優れた企業にも、その文化の創造には節々に、山之内秀一郎のような立派な人物が必ず存在する(入交昭一郎から聞いたホンダの本田宗一郎の詳細な分析も忘れることはできない)。

 山之内秀一郎は、野球の監督の思考パターンで言うと、長嶋茂雄型というより野村克也型である。野村の名言に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがある。含蓄のある言葉である。

 この野村的なペシミズムは 避けて通れない。懐疑、不安、おそれ(恐れ ときに 畏れ)があって初めて安全の門が開けるのである。原発推進を唱導する地位ある人々には、こういうものが、ほとんど感じられない。「原子力発電こそが輝ける未来のエネルギーだ」「安全は何重にも保証されている」という安全神話と無謬信仰に浸っている。そしてマニュアルをきちんと書けば、すべてうまくいくという認識のようである。万一事故が起これば計量不能な天文学的、あるいは国家破滅につながりかねない巨大リスクを背負うには、それなりの哲学と技量と人間力が必要であるとおもう。

 山之内秀一郎にせよ、本田宗一郎にせよ、対象である電車も列車も自動車も隅から隅まで熟知している。故障があれば自分で治せるし、現場の諸問題にも精通している。原発に関する意思決定、政策決定をする殿上人にはそういうものはない。

 地震学者や原子炉設計者の警告を殿上人たちは寄せ付けなかった。 山之内秀一郎や本田宗一郎が東電にいたら、どうだったであろうか。たぶん原発反対者の意見や警告を渋々ではなく、積極的に自ら求めて聴いたのではないか。

 注目すべきは、原子炉設計者に原発反対者が多いことである。彼らが気付いた問題点に電力会社は耳を傾けないどころか、彼らを近づけることはなかった。

 さらに無視できないたいへん不幸なことは、日本の原子力の問題には多くの場合、イデオロギーがからむということである。原発反対の勢力は、「アメリカの核は汚い核、中ソの核はきれいな核」と恥もなく言いふらした。これに対抗するために、政府や電力会社は、原発の安全神話をつくりあげた。そして西尾幹二も私もそれを信用した。積極派はイデオロギーから自由な反対論者をもブランドを付けて抹殺していった。抹殺と言えば、福島県知事だった佐藤栄佐久はいみじくも『知事抹殺』という本を書いた。討論で出された前田氏の「プルト君」も推進者側の必死の努力の証しでもあった。

 私は福島第一原発事故発生以来、動画を中心とするネット情報の収集に没頭している。ヒロシマの原爆投下の翌朝の新聞を防空壕の中で読んだ経験もあり、翌年には地方の文化講演会で、日本原子力の父といわれる仁科芳男博士の講演を聞きもした。しかしいま新たに全く新しいことを知るに至り、無知を恥じるばかりである。

 とはいえ原発反対論者の言うことにも若干わからないことがある。「ヒロシマは、これからは50年間は草木も生えず人も住めない」、と言われたものである。これにたいしてヒロシマに使われたウランの総量は、福島第一とはケタが違う、キロとトンの違いと聞いて納得した。また、冷戦時代には大気中の原爆実験が行われて、膨大な量の放射能が観測されたという。しからばその影響はどうであったのか? については説明がない。イギリスのセラフィールドの使用済み核燃料の処理工場ではかなりの期間、汚染された水を海に流していたそうだが、アイルランドは具体的にどのような被害を被ったのか? 被ったとすれば、水俣病と比較するとどうなのか? 解説はない。

 原発を推進するにせよしないにせよ、 原発と放射能被害にはいまでも捏造と隠蔽が跋扈している(こういうことは日本だけでなく、どこにもあるものである)。賛否両陣営がひとつずつ論点を潰していくことが出来ないものだろうか?

 世論の流れは明らかである。この事故は 「社民党を利する」 こと間違いなく、民主党や保守系には大きな打撃となるだろうと、公言してはばからなかった。今朝テレビで ”No more atomic anything.” の 反原発デモが映っていた。案の定、人口80万を超える世田谷区の区長選挙は、原発反対を軸に据えた社民党が勝利した。これは私の「社民党を利する」 の想定境界線をはるかに越えるものであった。選挙の背景には複雑な事情があったものの、「想定外」の大激震であったことは間違いない。

シアターテレビ出演のお知らせ

■ウェブ配信:シアター・テレビジョン 無料ネットテレビ「ピラニアTV」http://www.pirania.tv
■放送:スカイパーフェクTV! 262ch 「シアター・テレビジョン」
■番組に関するお問合せ:シアター・テレビジョン03-5114-8886(平日10時~18時)
■チャンネルURL:http://www.theatertv.co.jp
■番組名:討論番組『そのまま言うよ、やらまいか!』(各60分番組)

【放送日 放送時刻】
討論番組「そのまま言うよ、やらまいか」#14テーマ:「東日本大震災、原発と民主主義」
出演:日下公人、杉田勝、高山正之、武田邦彦、堤堯、西尾幹二、宮脇淳子、古河雄太、大塚隆一 ゲスト:長谷川三千子(埼玉大学名誉教授)(収録:2011年4月7日)
放送日 放送時刻
05月13日 11:15  18:00 
05月14日 23:00 
05月15日 16:40 
05月20日 16:20 
05月21日 23:00 
05月22日 18:10 
05月27日 11:15  24:15 
05月28日 23:00 

最近の感想

ゲストエッセイ 
坦々塾事務局長 大石朋子

今年は地震の恐怖のせいか、何時もより暑くなるのが早いような気がします。
団扇と扇子が手放せない夏になりそうですね。

私は、日本人が電気を使わなければならないような生活パターンになって行く道を進んできたように思います。
進んできたと言うより、進まされて来たという方が正しいのかもしれません。

この道を進む限りは、資源の無い日本において原発は必要なのでしょうが、江戸時代に戻るのではなく、進む方向を少し変えれば、考え方を少し変えれば、西洋に全て学ばなければならない訳ではないと、今一度考え直す良い機会なのかもしれません。

例えば「はめ殺し窓」。
外の空気を取り入れることなど考えずに設計されているので、常にエアコンを使う以外に空調・温度調節をすることが出来ない。
電気が無くなるということを考えていないからです。
最近のオフィスはこのような窓が多く見受けられます。

最近建てられたマンションも同じように、窓を開放するという考え方をしないので、風通しという発想が起きないのでしょう。
この夏、本当の停電が起きたとき、どうするのでしょう・・・と他人事ですが・・・心配してしまいます。

扉を開けるという動作を省くため、自動ドア、オートロック。
停電の際、扉が開かなくて困ったという話しも聞きました。

嘗て、身体障害者のために作られた「電動歯ブラシ」も些細な量ですが、電気を無駄に使います。
歯磨きしながらボーっと考え事をするのは、私は好きです。

現代の人々は、少しのことを我慢できずに全て電気に頼るのです。

節電の為に【トイレの便座の温度は低めに】とACだったか・・・TVで流れていました。
馬鹿言ってんじゃない!
冷たいのが嫌なら便座カバーを使え!
と、テレビに向かって騒いでいました。

話しが逸れますが、洋式便座のない頃は、多分足腰の弱いご老人は少なかったのではないのかと思います。
何故なら、毎回気付かないうちに、ストレッチ運動をしていたからです。

そんな理由で、少子化問題も起きているかもしれません。
体力が無い、お産が重い。
エレベーターに頼る。足腰が弱る。
こうなると、鶏が先か卵が先かの堂々巡りになります。

全て電気に頼ってきた「つけ」なのだと思います。

今回の震災は貞観津波から千年以上。
歴史を学び、常に備えていれば今回のようなことにはならなかったはず。
山の上には「ここより下に家を建てぬよう」忠告が書かれていたと知りました。

同じ平安時代の清原元輔でさえ、貞観津波は(過去にあった)万が一のような表現として「末の松山波越さじ」という言葉で表しています。高だか百年位前の出来事でさえ、恋の歌の言葉として使われているのが、過去に学ばずにいる例でしょうと思います。

この先、日本という国が続く限りこのまま電気に頼り続ける生活をするということは、原発の増設が続くということなのではないかと、不安になります。

原子爆弾を作るのにプルトニウムが8kg必要だと聞いたことがあります。
現在、どれだけのプルトニウムがあるのでしょうか?

私の記憶では、九段下会議の頃のことですので、現在の正確な数字は知りませんが、英仏の再処理施設には約38tのプルトニウムがあったそうです。その頃の日本には、5.9tあったそうです。
そこで心配していたことが「テロ」でした。
今回、先生も仰っていたことと同じ事を考えていました。
ですから、アメリカはじめ諸外国は、日本が核弾頭を持つことに危機感を持っていた。そんなことだと思います。
日本の再処理施設は常にIAEAの監視下にあったと聞いたことがありました。

2006年。米・ワイオミング州の核ミサイル基地のミニットマンⅢ型ミサイルは分散配置(多分テロを警戒してだと思います)されていると聞きました。
面積は「日本の四国」くらいの面積だそうです。
核、原子力を持つということは、そのくらいのリスクと広大な土地が必要なので、直ぐ傍に民家がある、食料を育てる畑や牧畜業がある、ということ自体がおかしいのではないかと思います。

面積の少ない日本。
冷却するための大河の無い日本は、海岸に水を求めて建設しますが、海岸には大河と異なり津波が起こる可能性がある。
それを考えずに設計したことも今回の震災に繋がったわけで、施設だけを真似しても環境が違えば、それなりの備えが必要になることを考えなかった。そこで大きな事故に繋がった。そんなことだと思います。

私は中学二年の夏休みに「(旧ソビエト連邦の)サターン5型の脅威」という自由研究をしました。
その頃から無防備な日本を憂いていました。
その後80年代に入り、ソ連は中距離弾道ミサイルSS20を西ドイツに向けて、西ドイツのコール首相は国民の反対を押し切って、アメリカの核ミサイル(パーシングⅡGCLM)を配置したそうです。記憶に間違いが無ければですが。

武器としての核を持つことは、私個人は賛成です。
何故なら、周辺に話しをしても無駄な国が、我が国に向けて核ミサイルを設置しているからです。
核を持つということは、核の抑止力になると思うからです。

ただ、楽な生活のみを求めて、増大する消費電力の為だけに原子力を使い、無尽蔵に原発を増設することには絶対反対です。

震災復興のための「国債」のことですが、坦々塾のブログに今年の一月十四日にアップしました「箪笥預金よりも」
http://tantanjuku.seesaa.net/article/180436010.htmlの無記名債券が、特に今の時点では最良ではないかと私は考えています。

歴史に学び、先を読み、常に備えよ。
毎日、そう考えて行動しているつもりです。

蚊取り線香は「ベープ電気蚊取り」だと電気や電池を使うので、
多分ですが・・・今年の夏は「キンチョーの蚊取り線香」(渦巻きのです)が売れるような気がします。(笑)

夏に向けて、「すだれ」の準備と「蔓もの」の種を蒔きました。

大石

  

           

原発をめぐる個人的顛末(三)

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ゲストエッセイ 

川口マーン惠美

(3)ドイツでの憂鬱な日々

先週、二十年来お世話になっている旅行社の女性と電話で話した。日本人が経営している、日本行きチケットが専門の旅行社だ。状況を訊くと、やはりドイツ人のキャンセルが頻発しているらしいが、ただ、そのヒステリックな様子には音をあげているということだった。

キャンセルの確認がすぐに取れないため、あとで連絡すると言うと、「白血病になったらどうするのだ!」と、興奮するお客がいる。「なぜ、原発反対のデモに、数百人しか集まらないのだ」と非難するドイツ人もいたというが、大きなお世話だ。私たちは、今、デモよりも他にすることがある。
シュトゥットガルトのある日本人の話では、郵便配達夫が日本からの手紙を他の雑誌の上に乗せて持ってきて、「触りたくないので、雑誌ごと受け取れ」と言ったらしい。上司にそう指示されたという言い訳が本当かどうかわからないが、無学を証明しているような話だ。いつもは何に対しても懐疑的なくせに、何かの拍子でマイナスの方向に振れると、集団パニックや過激なデモなど、一丸でとんでもなくヒステリックになっていくのがドイツ人だが、今回も例外ではないようだ。そう言えば、チェルノブイリ原発の事故の時も、一番ひどい風評が巻き起こったのがドイツだった。

前述の旅行社の女性は、「在独の日本人のお客さんと話すと、皆、憂鬱そうです。そのうち、日本人差別が起こるのではないかと、心配していらっしゃるお客さんもいますよ」と、かなり落ち込んでいる様子だった。私たち日本人はそのうち、“井戸に毒を投げ込んだ民”にされてしまうのだろうか。
すでにドイツでは日本からの食料品の輸入は規制されており、お寿司屋も客が激減。はっきり言って、ドイツの安い回転寿司屋は、日本人の経営でないものがほとんどだし、日本からの高い輸入魚など元々使っていないのに、それでもドイツ人はもう寿司屋へは行かない。

ニュースでは、港に到着した日本からのコンテナが、被曝検査を受けている様子が報道された。ドイツ国民を安心させるためなのか、危機感を煽るためなのか、そこら辺がよくわからない。昔、狂牛病の疑いのある牛肉の缶詰をドッグフード用として輸出したのは、確かドイツだったが、私たち日本人は、放射能に汚染された品物を売ったりはしない。そういえば、フランクフルト空港では、強制ではないが、人間の被曝検査も行われている。

4月5日から広島国立美術館で予定されていた特別展「印象派の誕生」は、急遽中止。作品の60パーセントを貸し出すはずだったフランスで、日本向けのすべての美術品輸出停止命令が出たためだ。岡山県立美術館も同じで、22日からの「トーベ・ヤンソンとムーミンの世界展」は、フィンランドが原画の貸し出しを取りやめたため、やはり中止だ。他にも、中止になったものは、たくさんある。

日本では何が起こるかわからないということと、作品に同行する人間の安全確保のためだそうだが、そういうことなら、日本はこれからもいつどこで地震があるかわからない不確実な国だから、将来は、著名な音楽家も、高価な美術品も一切やって来なくなるということなのだろうか。この間まで日本にたくさんいた外国人も、ごそっと引き揚げてしまったようだし、いっそのこと、日本は鎖国してしまえば、平和でいいかもしれない。

そんな中、昨日、ダイムラー・ベンツの人と世間話をしていて、少し気が晴れた。「そういえば、お宅の会社は、ハイテク作業車を20台も寄付してくださったんですってね」と私。 新聞で読んだのだが、瓦礫の上でもガンガン走る「ウニモグ」4台、ショベルやクレーンを取り付けられるトラック「ゼトロス」8台など、優れモノがすでに日本に到着しているらしい。「社員の間で寄付も集めているよ。先週、50万ユーロ近くになっていた」ということだが、嬉しい話だ。しっかり集めてほしい。
「いやあ、それにしても、福島原発のおかげでドイツの原子力政策が180度方向転換した。あの事故なしには、こんなに早く原発廃止の方向にはいかなかっただろうね」と彼。3月27日に行われた我が州バーデン・ヴュルテンベルクの州議会選挙では、原発反対を唱えていた緑の党が突然票を伸ばし、50年以上続いていたCDU(キリスト教民主同盟)の政権を覆してしまった。(CDUは得票数は第一位だったが、二位の緑の党と三位のSPD社民党が連立して、CDUから政権を奪った)。そんなわけで、緑の党の支持者である彼は大喜びなのだ。しかも、今年はまだベルリン、ブレーメン、そして、メクレンブルク‐フォーポメルン州(メルケル首相の選挙区)と大事な地方選挙が続くので、この調子でいくと、ドイツの政治地図は、フクシマの負の力で左寄りに塗り替えられる可能性も捨てきれない。

私は原発推進派ではないが、フクシマ後の緑の党のはしゃぎようは、いくら彼らが30年来原発廃止に力を注いできたからと言っても、少々目に余った。それに、私はメルケル首相のファンなので、今回の一連のことで、彼女の力が弱まってしまうのは残念でならない。ドイツ在住の日本人にとって、これからもまだまだ憂鬱の日々は続きそうだ。