『文藝春秋』12月号――すでに月が替わって今は1月号だが――に、旧宮家の令嬢久邇晃子さん(精神科医)が原発への疑問を書いている。「愚かで痛ましい我が祖国へ」と題したそのご文章は深く味わいがあり、心を打つ内容であった。
今まであまり論じられていない新しいことが二つ書かれていた。代替エネルギー関連の特許は日本が世界の55%を占めているとのことである(国連の専門機関WIPOの報告書)。それなのに日本がそれを生かせているとは言い難い。わが国の技術開発力のすばらしさと、それを社会化していく能力の貧困とのギャップが口惜しいと仰っている。私もそう思う。
最近の風潮では、また少しづつ世論の鎮まるのを待って、原発路線へ戻ろうとする動きがボツボツ目立ち始めている。「自然エネルギーは実現性が無いから、などとそれ自体論拠の薄いことを主張して、原子力発言の割合を含めて現状維持しか方法は無いのだ、と冷笑的な態度を取っている人が大勢を占めている間に、日本は世界に後れを取り、競争力が低下し、これから急速に成長していく可能性の高い有望な分野での(しかも日本が得意な分野での)またとないチャンスを逃している。」と彼女は書いている。
幼少時より外国経験の多かった久邇さんは、日本が戦争に敗れて以来黙々と働きつづけ名誉ある地位を回復したことに好意を寄せてくれる国々として、「ヨーロッパの中でも、東欧の人たちや、ラテンアメリカの人たち、中近東の人たち」を挙げ、日本が万一また失敗し、海や大気などを再び汚染するようなことが起こったら、「日本に対する同情は一転して反感に変わる」だろうと仰り、そのことに心を痛めている。
「愚かで、痛ましい我が祖国。美しい日本の野山を見ると、じっと耐えている東北の人々の姿を見ると、涙が止まりません。」
静かなその語り口に共感した。そして、少し余計な話かもしれないが、こういう方が皇太子妃であって下さったら日本国民は救われたのに、とついあらぬ方向へ思いが及んでしまう昨今でもある。
原発については10月21日に私は有楽マリオンの朝日ホールで、専門家の方々に立ち混ってシンポジウムに参加したことと、文藝春秋から『平和主義ではない「脱原発」』という単行本を出版したことの二つが私の最近のトピックである。
最近は少し根気を失って、原発発言はやめている。たゞしこの本のあとがきである「ひとりごと――『あとがき』に代えて」は読んでもらいたい新稿である。また、小林よしのり氏の新雑誌『前夜』創刊号(12月25日刊)に協力して書いた一文も、「原発は戦後平和主義のシンボルだった」(20枚)と名付けた。これは『WiLL』12月号で田原総一朗氏が「脱原発は一国平和主義と同じだ」と書いたことに対抗し、こういう傾向の考えをからかった題名である。
どうも『WiLL』は遺憾なことに、全体の傾向は原発推進派のようである。私は例外的に扱われているみたいだ。保守論壇はこぞって原発万歳の方向なのであろう。保守の中で脱原発を明言しているのは、小林よしのり氏と竹田恒泰氏と私の三人くらいである。
私は原発の存在が日本の国防を阻害していることを特記している立場である。この点については、正月が明けてから『SAPIO』でもう一度強力にテーマをしぼって発言すべく、昨日、インタビューに応じた。
さて、西法太郎氏がこうした一連の私の言論のあり方について、大変に印象深い言及と分析を二度にわたって書いてくださっているので、以下に感謝をこめて掲示する。
(1)日録10月6日 全集発刊にからむニュース(5)のコメント(1)
1. WiLL11月号の西尾先生の御論考「現代リスク文明論-原発事故という異相社会」を手にとって思いめぐらしたことを以下徒然に綴ります。
西尾先生の御論考はどれも御自身の地頭で思考したことをズバズバ述べていて読む者を痛快な気分にさせてくれます。
それはまるで焔を噴きだす巨龍のような迫力です。それはまるで百畳の部屋いっぱいに拡げた和紙にたっぷり墨汁を含ませた特大の筆を一気呵成に運ぶ大僧正のおもむきです。
展開する内容は小難しくも小賢しくもなく読み下して行けばストンと胸の中に収まものです。これはなかなか出来ることではありません。書き手が自分の意を読者に伝えることは意外に難しいのです。往々にして意余って言葉足らずとなりかねないのです。
その一方伝えるべき肝心の自分の意を持ち合わせない手合いが物書きの中にごまんといます。そういう手合いは他人の文章を換骨奪胎してあちらからこちから引き写して編集者や読者に迎合するものを仕上げています。それを自分のもののように取り繕います。それが感心するほど上手い人がいます。
西尾先生はひたすら我が道を往くだけです。周りの状況を読んで処世で動くということはしません。KYという語は西尾先生の辞書にありません。なぜなら周囲の空気を読むような姿勢を容認する言論空間にいないからです。政治家は民意を読み取ってその流れに乗らないと商売になりません。言論人は政治家とは違います。あたかもヴェネチアが数百万本の杭をラグーナに打ち込んで堅牢な海上都市を築いたように、西尾先生は「30歳から40歳ごろまで」「爆発といってもよいくらいの活動をして」「多産だった」時代に確固とした思想形成の土台を築いたのです。あらゆるものを〝懐疑〟してその地盤を踏み固めたのです。それがマグニチュード9の大震災や大津波に動じることなく、原発被災以降の日本をそれまでと異なるフェイズに入ったと捉える透徹した視力をそなえさせたのです。
WiLLの西尾論文は次のように結ばれています。
「人類はかつてプロメテウスの火をもてあそんだように、原発はやってはいけない神の領域に手を突っこみ、制御できなくなった「火の玉」が自らの頭上に堕ちてくるのをいかんともし難くもて余し、途方に暮れている姿に私には見える」
ハインリヒ・アルフレート・キッシンガー(英語名ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー)に『核兵器と外交政策』という大著があります。
キッシンガーは、その第三章「プロメテウスの火」の冒頭で次のように説いてまだ30歳台の少壮学者時代の鋭い洞察力をきらめかせています。
「プロメテウスは、神々から火の秘密を盗んで、岩に鎖でつながれて余生を送るという罰を受けた。この伝説は何百年の間、思い上がった野心に対する処罰の象徴と考えられている。ところが、プロメテウスが受けた罰は、慈善行為だったともいえるのではなかろうか?
というのは、神々が自分達の火を盗ませるようにしむけたとしたら、その方がはるかにひどい罰ではなかっただろうか?
現代のわれわれも、神々の火を盗むのに成功したために、火の恐怖と共に生きなければならぬ運命となってしまった」
そのギリシア神話は次のようなものです。
チタン族がクロノスを助けてゼウスと戦ったとき、プロメテウスは一族に背いてゼウスに味方したため、後にゼウスから人間創造の大任を委ねられた。しかし、プロメテウスは自らの創った人間を愛するあまり、ついに天上の火を盗んで人間に与えた。
ゼウスは怒ってプロメテウスをカウカソスの山上の巨きな岩に繋縛し、日毎にハゲ鷲に肝をついばませた。
プロメテウスはヘラクレスに救われるが、神が罰として弟エピメテウスに渡したパンドラの匣が開けられ、封じ込められていた禍の種子が世界に飛散して、人間界は混乱と争いが絶えない悲惨なところとなった。
ギリシア神話と無縁の大日本国(おおやまとのくに)は、世界初の原爆の苛烈な火を降り注がれ、すさまじい災厄を蒙りました。しかるのち生き残った民は大和魂を抜かれ、背骨を熔かされ、精神的軟体動物に成り果てて、哀れを止めぬありさまです。
大和の神々は自ら社稷を汚してしまった民草を守ってはくれないのでしょうか。神を懐うことをなおざりにした民に御陵威は及ばず、守られるに値しないのでしょうか。消え行くしかないでのしょうか。
こんな大和の民が蘇生するには、神韻漂渺の世界を想い、先達の困難克服の営みとあまたの犠牲を顧み、その上に今在るわれわれが存していることを感得することしかないでしょう。しかしこれは易いことではありません。(了)
コメント by 西 法太郎 — 2011/10/11 火曜日 @ 17:48:37
(2)坦々塾ブログ 11月12日 “孤軍奮闘の人”西尾全集の発行に寄せて
坦々塾ブログからの転載
〝孤軍奮闘の人〟西尾幹二先生の全集発刊に寄せて
坦々塾会員 西 法太郎
2011年10月 【西尾幹二全集】 全22巻の刊行が遂にスタートした。年4冊のペースだというから完結まで6年を要することになる。単行本に収められなかった御論攷(『批評』に発表した「大江健三郎の幻想風な自我」など)や未発表の原稿なども日の目を見るというから楽しみだ。
完結の暁には〝西尾幹二大星雲〟の全貌が姿を顕すことになる。しかしこの大星雲は今なお膨張し続けており、完結までに成しゆく著作で巻数が増えることは想像にかたくない。
この大事業が完成するまで西尾先生は意気軒昂でおられるだろうが版元が全集発刊の体力を保てるか不安である。それは版元の経営状態を云々するのではなく昨今の出版業界の不昧がこれから更に酷くなる厳しい状況が続くことが確実だからである。先行き不透明な現下、壮挙と呼べる本事業を引き受けた版元の心意気やよしである。
学者としてスタートした先生はその後言論人としてひたすら我が道を突き進んできた。それは周りの状況をうかがって処世で動くことができない性格からそうなったとも言える。しかしそういう不器用さは善である。先生は周囲の空気を読むような言論空間にいないのだ。だからその辞書に「空気を読む」という言い回しはない。
先生はあたかもヴェネチアが数百万本の杭をラグーナ(潟)にどんどん打ち込んで堅牢な海上都市を築いたように、「30歳から40歳ごろまで」「爆発といってもよいくらいの活動をして」「多産だった」時代に思想形成の強固な土台を築いた。
あらゆるものを〝懐疑〟してその基盤を踏み固めた。それがマグニチュード9の大震災、大津波に精神を動じさせることなく、原発被災以降の日本がそれまでと異なるフェイズに入ったと捉える透徹した視力をそなえさせたのだ。
今から66年前、大日本国(おおやまとのくに)の民は世界初の原爆の熱炎を降り注がれる苛烈な災厄を蒙った。しかるのち生き残った民は大和魂を抜かれ、背骨を熔かされ、精神的軟体動物に成り果てて、哀れを止めぬありさまである。
大和の神々は今回放射性物質で社稷を汚してしまった民草をもう守ってくれないのだろうか。神を懐うことをなおざりにした我々は守られるに値せず、御陵威は及ばず、消え行くしかないのだろうか。
こんな大和の民が蘇生するには、神韻漂渺の世界を想い、先達のあまたの犠牲と困難克服の営みを顧み、今その上にみずからが存していることを感得することしかないのだろう、と思う。易いことではないが先生はこのことを感得している。
先生を〝孤軍奮闘の人〟と呼んだのは長谷川三千子氏だが、先日都内で行われた≪東京電力・福島第一原子力発電所事故と原子力の行方≫というシンポジウムに登壇した先生はまさに〝孤軍奮闘の人〟だった。
先生以外のパネリスト5名の内4名は長年原子力村に棲息してきた日本原子力技術協会・最高顧問、京都大学原子炉実験所・教授、九州大学副学長・教授、日本アイソトープ協会常務理事という肩書を持つ学者たちで、あと一人は原発推進に与する作家、つまり脱原発論者は先生ただ一人だった。
司会は田原総一朗氏で、原発擁護派の学者にも突っ込んだ質問をしていたが、先生には「西尾さん、あんた頭がおかしいよ」と罵倒の言葉を投げる悪態をついていた。先生は聞こえない風をよそおいポーカーフェイスで受け流していた。
先生は遠藤浩一氏との最近の対談で「私の書くものは研究でも評論でもなく、自己物語でした。・・・〝私〟が主題でないものはありません。私小説的な自我のあり方で生きてきたのかもしれません」と語った。
学者の書く物には自分を虚しくすることが求められるが、言論人の役割は我らに自己をよく語り、我らをその精神に共鳴させることだと思う。その意味で先生はまごうかたなき言論人である。
先生は百畳の部屋いっぱいに拡げた和紙にたっぷり墨汁を含ませた特大の筆を一気呵成に運ぶ大僧正のおもむきを持つ。その筆鋒は巨龍の口から噴きだされる炎のような迫力で数々の言説を描き出して来た。
そのような先生の言説はどれも展開されたまま読み下して行けば、論旨がストンと胸の内に収まるものだ。先生自身の地頭で思考したことをズバズバ述べていて読む者を爽快、痛快な気分にする。
だが独文学者として書かれたものや全集の核心になるという声がある『江戸のダイナミズム』 は扱っている主題が主題だけに読む者は相当の忍耐と集中力を強いられるだろう。そしてその苦行は必ず自分の知的覚醒となり、心の糧となるはずだ。(了)
西法太郎さん、ありがとうございました。こんな風に論じて下さったのは身に余ることですが、ひとつだけ申し上げたいことがあります。私は「空気を読まない」人間とお書きになっていますが、しかし「処世」とは違った意味で私はいつも世の中の空気を読んでいる人間でもあります。さもなければ言論人としてこんなに長く生きつづけることが出来たはずはありません。普通で使われるのとは違う意味で、私は徹底的に「空気を読む」人間であると考えています。