『天皇と原爆』の刊行(九)

『天皇と原爆』 感想文

     坦々塾会員 浅野 正美

 西尾先生が常々おっしゃっておられることに、「日本人はどうしてアメリカと勝てるはずのない無謀な戦争をしたのかということをずっと考えてきたが、どうしてアメリカは日本と戦争をしたのかを考えなくてはならない。」という問題があります。本書はその真意を、遠い歴史を遡って突き詰めています。

日本とアメリカを、「二つの神の国」と捉えるところから思索は始まります。日本の神はいうまでもなく天皇を頂点とした神道の神。我が国は古くから八百万の神々が鎮まり給う神の国です。一方アメリカは、初期移民のピューリタン(清教徒)によるプロテスタントを土台としたキリスト教信仰が社会を強く支配しています。アメリカは、キリスト教原理主義国家でもあります。手元に西尾先生からいただいた大変興味深い資料があります。それは世界60カ国の価値観をアンケートして割合を示したものですが、宗教に関するいくつかの設問の日米比較を見ると、アメリカが紛れもない宗教国家だということが大変よくわかります。
(最初の数字が日本で後の数字がアメリカ。単位は%)

天国の存在を信じるか   22/85
神の存在を信じるか     35/94
死後の世界を信じるか   32/76
地獄はあると思うか     17/72

 不謹慎なことですが、最初にこの数字を見たときは思わず吹き出してしまいました。

 正確な名前は忘れてしまいましたが、アメリカには「聖書博物館」のようなものがあり、そこではアダムとイブから始まって、聖書に書かれたいくつかの重要なトピックスをジオラマ形式で展示していて、熱心な信者達が車で何時間もかけて家族で見に来るそうです。ここでは、近々ノアの方舟の実物大?模型を造ると意気込んでいました。その施設を見学していたアメリカ人家族にインタビューすると、学校では嘘を教えるので、子供を学校に通わせないで家で教育しているとその両親は話していました。そうした子供が全米では100万人にものぼるということですから、これには驚きというよりも恐怖すら感じます。

 天地創造、処女懐胎、ノアの方舟、十戒の焼付、出エジプト、復活。門外漢の私でも辛うじてこのくらいの「奇跡」は思いつきますが、これらを現代科学の知見で証明できないことは明らかです。進化論問題という、日本人から見たらばかばかしいとしか思えない論争を真剣に行っている欧米キリスト教国家ですが、西尾先生は聖書もキリストも神話であると、実に明快に言い切っておられます。別の著書では、ああした存在としてのキリストは存在しなかった、とも明言しておられます。

 また、日本人はよく無宗教だといわれるが、決して無宗教ではない。無宗教の国民に天皇は戴けないともおっしゃっています。そしてその天皇を中心とする国学の思想が近代的国家意志と結びついたときに明治の開国を向かえます。思想としての国学は、江戸の中期には沸き起こっていましたが、最初は小川のような細い流れであった国学は、いくつもの支流を呼び込み合流することで巨大な一本の大河となりました。明治とはそうした皇国史観に対して疑うことを不必要とした時代でした。明治の自覚の元、国学は奔流となって大東亜戦争の敗戦にいたるまで、我が国の精神的支柱であり続けました。

 そうした「二つの神の国」の戦いが、先の大東亜戦争であった。そこから冒頭のテーマである、「なぜアメリカは日本と戦ったのか」という問題解明に進みます。そうして、それはキリスト教が伝える西方にあるとされる、約束の地への飽くなき進軍であったと書かれいます。アメリカの国土拡張史を大雑把に列挙してみます。ルイジアナ買収(仏)、フロリダ購入(西)テキサス・オレゴン併合、対メキシコ戦争でメキシコ北部、カルフォルニア収奪、(ここで太平洋に到達)アラスカ買収(露)、ハワイ併合、プエルトリコ・フィリピン・グアム植民地化、と確かに西へ西へと領土を拡大していきました。

 日露戦争後のアメリカは、我が国を仮想敵国として「オレンジ計画」という対日戦争計画を練っていたことはあまりにも有名ですが、清の門戸開放等三原則が示すとおり、太平洋に進出したアメリカは次はユーラシア大陸の権益を虎視眈々とねらっていました。満州建国によって彼の地への権益獲得ができなくなったアメリカは、真剣に日本の排除を考えました。我が国は、領土を奪われたインディアンや、簡単にアメリカの植民地にされた諸国とは違い、総力戦をもってアメリカと戦いました。このとき「二つの神の国」が相まみえたことは歴史の必然といっていいのかも知れません。アメリカの理想を実現するためには、どうしても日本を排除する必要があったからです。その後の歴史はアメリカが望んだ通りに進んだかに見えましたが、大東亜戦争を含む世界大戦における共産主義に対する誤った認識が大戦後の世界と、もちろんアメリカ自身にも大きなコストと悲劇をもたらすことになりました。

 アメリカは共産主義という本当の敵に気がつかず、うまくそれを利用したかに見えながら、実は戦後の長きにわたって、勝ち戦の何倍にもわたる犠牲を払うことになってしまったのです。

 以降のアメリカはさらに西に向かって、アフガニスタン、イラク、イランといった中東で実りのない絶望的な戦争に明け暮れています。信仰への熱狂ということでは、イスラムもまたアメリカ人以上に熱心です。しかも神の根っこが同根であるだけに憎悪もまたより深くなるのでしょうか。

 私にはキリスト教もイスラム教もユダヤ教の分派にしか見えません。唯一神「ヤハウェー」と「アラー」は同一であり、キリストはそもそもいなかったと、そう考えることにしています。

 魔女狩り、錬金術の例を持ち出すまでもなく、人間の脳は時にとんでもない暗黒の存在を考え出してしまいます。これを心の闇といっていいものかどうかはわかりませんが、人類が考え出した最大の闇の存在こそが宗教ではなかったかと、そんなことも考えています。人は不安を感じる生物ですが、その不安を解消するために多くの発明、発見を行って生活を快適にし、寿命を延ばしてきました。そしてきちんとした教育こそが、こういった迷信や世迷い言から人間を解放する唯一の道であるということも信じています。にも関わらず多くの国民が高等教育を受ける先進国においても未だに多くの迷信が信じられています。星座占い、姓名判断、手相、風水、血液型などは無邪気な遊びであり、目くじらを立てるほどのものでもないという人もあるかと思います。神社のおみくじのようなものだと。しかし、こうした無邪気な遊びも、今では一大産業を形成しており、こうした心を持つからこそ、人間はたやすく宗教を受け容れてしまうのではないかとも考えることがあります。

『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。

  第三回西尾幹二先生刊行記念講演会

〈西尾幹二全集〉

 第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

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   ★西尾幹二先生講演会★

【演題】「真贋ということ
 ―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」

【日時】  2012年5月26日(土曜日)

  開場: 18:00 開演 18:30
    
【場所】 星陵会館ホール(Tel 3581-5650)
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     地下鉄永田町駅・赤坂見附駅より徒歩約5分

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けます。
★今回は懇親会はなく、終了後名刺交換会を予定しています。

【場所】 一階 会議室

※ お問い合わせは下記までお願いします。

【主催】国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
   
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『天皇と原爆』の刊行(八)

アマゾンのレビューより

「文明の衝突・宗教戦争」としての大東亜(太平洋)戦争, 2012/3/1
By 閑居人 (福島県)
レビュー対象商品: 天皇と原爆 (単行本)

ブッシュ・ジュニアがイラク戦争に踏み切ったとき、「日本を倒して民主主義国家に作り替えたのだから、イラクもできるはずだ」という声がアメリカから聞こえてきた。多くの日本人が、違和感を感じたはずだ。敗戦当初と異なり、戦前の日本が世界で英米仏と同等の議会制民主主義国家であった事実は国民の常識であり、さらにそのルーツは、明治維新以前の江戸時代に確立された統治体制(政府組織)と「村掟」に代表される民法的概念を含む農民社会にあることに気がついているからだ。

だが、アメリカの言っていることは、アメリカから見た「大東亜(太平洋)戦争」の本質をはしなくも露呈している。つまり、あの戦争は、「イスラム世界」同様、全く異なった「日本という宗教・社会体制国家」との「文明の衝突」(ハンチントン)だったと彼らが認識していたことを示している。

アメリカ人の「マニフェスト・ディスティニー」による西漸運動は、西部のフロンティアを超えて太平洋に迫り、中国、満州、東南アジア、豪州を目指した。このとき、アメリカの主要な敵が「イギリスと日本」だったとは、著者の指摘であるが、「利権争奪」の観点に立てばそれ以外にはあり得ない。第一次大戦後、アメリカが「日英同盟の破棄」と「四カ国条約」という名ばかりの相互牽制条約を作り、ワシントン体制を構築したねらいもそこにあった。W.ウィルソンは「14ヶ条」を唐突に出し、「民族自決」をうたったが、その狙いは「大英帝国の解体」だったという著者の指摘は鋭い。結果的に「オーストリア・ハンガリー帝国」を解体しただけだったが。このアメリカの驚くべき狡猾さと事業家的情熱は、アメリカの世界制覇のための自己増殖的活動であり、20世紀を「革命と戦争の世紀」にした原因の一つである。

さらに言えば、もう一つの明白な原因は、20世紀を風靡した「社会主義革命」への幻想であり、それを増殖させていく「コミンテルン」による情宣活動と諜報工作である。アメリカとロシア、20世紀の主役は彼らだったのかも知れない。

また、著者によれば、「欧米の金融資本」は、コミンテルンの策動に水面下で飛びついた。そうでなければ、1930年代にマルローやヘミングウェイのような知識人が「人民戦線」に飛び込んでいく背景が理解できないという。もしその通りなら考えられることは、金融資本から迂回された資金をもとに、巧妙なリクルート活動が行われたのであろう。無名の、しかし、功名心に富んだ青年たちを取り込み、出版を陰で援助する。金融資本家たちのロマンティシズムと保険が「人民戦線」というコミンテルンのカバーを新しい価値あるものに錯覚させたのかも知れない。

著者は本書ではあえて触れていないが、この時期、コミンテルンの策動がアメリカの隠された世界制覇の野心と結びついて成果を上げたものは、エドガー・スノーの「中国の赤い星」である。パール・バックの「大地」がキリスト教布教と結託してアメリカの中国への夢想を駆り立てたものとすれば、スノーは食い詰めた貧乏記者がアメリカ共産党と中国共産党の広報政策に乗って、類い希な成功を収めたケースである。この本を読めば、スノーの日本に関する無知と対照的に中国共産党に関する準備周到な叙述に驚かされる。「毛沢東に率いられた共産党」を農民民族主義に偽装し、毛沢東を「やせたリンカーン」と評するなど、アメリカにアピールする手管を考え抜いている。これらの「レッドブック」はイギリスの出版社が一手に引き受けて出版していたが、その資金はコミンテルンから出ていたものと思われる。林達夫は、かつて「ブラウダー主義」と称してアメリカ共産党指導者のとんまぶりを笑ったが、なかなかどうして、スノーもスメドレーも、変幻自在なエージェント「岡野隆」こと野坂参三もアメリカ共産党に草鞋を脱いでいたのだ。

著者は、ハリー・デクスター・ホワイトに代表されるアメリカ政権内部に巣くったコミンテルンのスパイたちを「スパイという自覚がなく、ソビエトがアメリカと共同で世界統治にあたることのできる同志」と考えていた可能性があるという。そのとおりであるとすれば、ルーズベルトを含めて彼ら全体が「社会主義への幻想」を共有していたのだ。

「大東亜(太平洋)戦争」の原因を、日本の陸軍と海軍との勢力争いに矮小化し、「連合国」を国際正義の体現者のように錯覚することは、アメリカの知的誘導に過ぎない。「大東亜(太平洋)戦争」という日本民族の苦難を、当時の国際情勢を踏まえた、アメリカの世界政策の影響として捉えていく著者の視点は、読者を深い考察の世界に導いてやまない。

宗教とは何か(三)

 外国文学にせよ歴史にせよ、言葉の世界であり、文字表記の世界である。しかし涯(はて)しなく時間を遡れば、私たちは言葉も文字もない世界にぶつかる。空間を拡大しても同じである。

 宗教は「外国」や「過去」といった何か具体的な手掛かりのある有限なものを実在とするのではなく、何もない世界、死と虚無を「実在」とする心の動きである、とひとまず言っておきたい。これはしかし途方もないことである。

 宗教の中には死と虚無を認めない立場もあれば、時間と空間の涯に死と虚無しかないことをしっかり直視している立場もある。死ではなく永遠の生、虚無ではなく永遠の存在を信じ、これを主張し、防衛する立場が恐らく世の宗教組織、宗教教団、宗教思想の依って立つ立脚点であろう。数限りない世界の宗教、細分化される宗派宗門、それぞれ独自の経典とそれに基づく密儀秘祭の細則、修行の戒律、伝播と教育と教宣活動、そしていたるところに建立されてきた大伽藍。私はそれらのすべてに関心があり、すべてを等価と見る文化史的見地にどうしても立つので、どれか一つの宗派の選択だけが正道であるとする信仰者の強靭な生き方、聖アウグスチヌスが「まちがった魂を滅亡から救うためには、強制もまた止を得ない」と言ったあの不寛容への決意のようなものに自分を追い込むことは思いも及ばない。それでいて私は宗教人の頑迷さに似たものに敏感であり、信仰に似た心の働きにつねに敬意を抱く。

 人間は歴史をいくら遡っても、文字言語の確かめられる所までしか遡れない。文字なき以前の遠い時代に、民族の純粋な声を聞き取ろうとした本居宣長のような人もいるが、彼にしても死と虚無を「実在」として、その上に「自己」を組み立てていると見ていい。

 本居は既成のあらゆる存在の名、ことに中国伝来の「天」の概念も仏教や朱子学の理念も否定して、日本の神々の世界に「むなしき大虚無(オホゾラ)」が広がっていると言っている(『古事記伝』第九巻)。現代風にいえばニヒリズムの自覚である。

 自己と事物一切の根底にリアルに潜む虚無が「自己」の前に立ち現れるとき、目前にあるのは名づけようのないものである。「大虚空」としか言いようがなかっただろう。それは古代初期ギリシャ哲学の時代にタレスが万物は「水」であると言い、ヘラクレイトスが「火」であると言った、等々のことに共通する何かであるように思える。

 私は特定の宗教に心を追い込むことがどうしてもできない。今なお死と虚無を「実在」とする立場なき立場に立ちつづけているが、それを「迷える子羊」だとも思っていない。

 だいたい宗教というこの二つの文字は、中国でむかし仏教の中の諸宗、各々の教えを呼んでいた言葉で、明治の近代日本がレリジョンの訳語に採用して以来、アジアの漢字文化圏に広がって、「宗教」は仏教の上位概念になって今日に至ったのである。ヨーロッパ語で宗教思想等が再編成されたときに、総括概念として使われたのが「宗教」で、それまでは仏教や神道やキリスト教や道教や儒教等々は存在したが、「宗教」は存在しなかったのだ。このことは案外多くを語っている。

 “宗教をどう考えるか”というようなこの稿の編集部からの質問が、すでに信仰の立場からではなく、近代の宗教学の立場からのアイデアである。

 宗教学者は信仰家である必要はないが、信仰がどういうことかを知っていなければ、信仰を学問の対象にすることはできないだろう。しかし信仰を知るとは物体の運動法則を知ることと異なり、あくまで自分の心が問われるのである。これは大矛盾である。信仰を知るとは何かの対象を「実在」として知ることと同じではない。対象化できない何かにぶつかることなのである。

 このように、学問と宗教は相反概念なのであるが、明治以来われわれはヨーロッパから近代の学問の観念を受け入れ、死と虚無を「実在」として生きているのが現実であるにも拘わらず、ニヒリズムの自覚に背を向け、誤魔化しつづけて生きている。そのため宗教とは何かを問われたり問うたりして平然として「自己」を疑わないでいるのである。

『悲劇人の姿勢』の刊行記念講演会は次の通りです。

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〈西尾幹二全集〉

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宗教とは何か(二)

 私は外国文学研究家として漱石の苦闘に共感するが、歴史研究にも似たような矛盾撞着があると考えている。歴史研究家にとって認識の対象となる「実在」は過去である。最初は過去を「自己」の外に置いて眺めざるを得ない。だがこの起点に留まる限り、なにも始まらない。あらゆる過去はすでに確定し、現在から見て宿命であって、もはや動かないが、歴史は動くのである。歴史と過去は別である。

 歴史は記述されて初めて歴史になる。歴史は徹頭徹尾、言葉の世界である。記述に先立って過去の事実の選択が行われる。選択には記述者の評価が伴う。評価は何らかの先入見に基づく。歴史という純粋な客観世界は存在しない。それなら歴史は歴史家の主観の反映像かといえばそうはいえない。

 歴史は「自己」がそこに属する世界であり、「自己」より大きな、それを超えた世界でもある。何らかの客観世界に近づこうと意識的に努めない限り、歴史はその扉を開いてくれないが、しかし何らかの客観世界は「自己」が動くことによって、そのつど違って見える存在である。

 歴史家のヤーコブ・ブルクハルトは例えばツキュディデス(古代ギリシャの歴史家)のなかには今から百年後にようやく気づくような第一級の事実が報告されていると言っている。過去の資料は現在の私たちが変化して、時代認識が変わると、それにつれて新しい発見が見出され、違った相貌を示すようになるという意味である。歴史は歩くにつれて遠ざかる山の姿、全体の山容が少しずつ違って見える光景に似ている。それは歴史が客観でも主観でもなく「自己」だということである。

 歴史が「自己」だという意味は、過去との果てしない対話の揚げ句にやっと立ち現れる瞬間の出来事で、大歴史家はそのつど決断をしつつ叙述を深める。私が現代日本の大半の職業歴史家に不満と不信を持つのは、彼らが歴史は動かないと思い定め、固定観念で過去を描いているからである。何年何月に何が起こったかを知ることは歴史ではない。しかし彼らは歴史はあくまで事実の探求と確定だと思っている。

 ブルクハルトが歴史の中に「不変なもの、恒常的なもの、類型的なもの」を認めると言ったとき、それはイデアという一語に近いが、哲学者のようにそうは簡単に言わなかったのは歴史は、動くものだといういま述べた前提に立っているからで、動くものの相における普遍の「価値」に向かう姿勢を示している。

 ブルクハルトの歴史探求も私には宗教体験に似ているように思える。

つづく

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宗教とは何か(一)

 『寺門興隆』(興山社)という雑誌に「宗教とは何か」という文章を書いてほしい、という難題をぶつけられた。その四月号に次の文を記した。三回に分載する。

 私はドイツ文学の研究者から出発し、政治や歴史について考えたり書いたりする仕事を主にする人生を送った。特定の宗教に帰依したことはなく、信仰心を持つ人間とも思っていない。つねに宗教に関心を持ちつづけてきたが、文化史や政治史における宗教の影響力に関心があるのであって、したがってあらゆる宗教に関心があり、宗教そのものには関心のない人間なのかもしれない。教養主義は宗教の敵であるが、私はそれに毒されている。

 教養主義はさまざまな知識を横並びに広げ、あらゆる価値を相対化する。しかしさまざまな知識を潜り抜けなければ、いかなる価値も樹てられないという矛盾もある。宗教は価値に近づくのに異なる入り口から這入る世界なのかもしれない。異なる入り口から別の通路を抜けて一直線に価値に迫るのが信仰であろう。

 自然科学者は山川草木森羅万象を、社会科学者は社会、法、国家、経済組織等をそれぞれ「実在」と見なして、それらを対象化し、それらの理法を究めようとするのだが、認識主体である「自己」をとり立ててあまり問題にしない。人文科学ではそうはいかない。私はドイツ文学者であり、文芸評論家でもあったので、若い頃から外国文学を学んだり研究したりすることの矛盾に悩んできた。

 私が当時対象とする実在は「外国」であった。外国を主観と客観の対立する認識の相において客体として捉えようとするのだが、ここに留まっている限り、外国研究は実はほとんど前へ進まない。日本人である自己を捨ててある特定の外国の人間になり切るくらいの所まで行く、すなわち主観を捨てて客観の世界へ没入する所まで行く、そこではじめて何かが見えてくるといっていいだろう。私自身がそこまでやったという自覚はなく、私は中途半端だったが、自己を捨てることが必ずしも自己を失うことにはならない場合がある。

 夏目漱石のロンドンの憂鬱はこの点で示唆的である。図書館で万巻の英書を読もうとした漱石は自己錯乱の果てにふと悟るところがあって、外国は結局分らない、イギリス文学を知るのにイギリスの専門家の手引きにいつまでこだわっても駄目で、英書より漢籍のほうが良く分る自分の感受性を信じることが大切だと気づいて、「自己本位」ということを言い出した。

 これは漢籍が分る東洋人の自分の主観でイギリス文学を割り切ればいいという話ではなく、いったんはイギリス人になり切ろうと努力する「自己」が先行していた。しかしその「自己」が邪魔だということに気がついた。それはまだ、自意識の段階の「自己」だからであり、そこで悪戦苦闘して、万巻の英書を読破しようと思い込むなど錯乱に近い状態を経て、ふと悟るものがあり、外国という「実在」に直接するリアルな瞬間を持ったのである。

 漱石の外国体験は宗教的悟りに似ているといえないだろうか。

つづく

「GHQ」第八回南太平洋の陣取り合戦・お知らせ

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『Voice』と『週刊新潮』 ・お知らせ

 5月初旬に出る私の二つの論考は次の通りです。

 「ありがとうアメリカ、さようならアメリカ」(「Voice」6月号)は親米保守と護憲左翼が手を結んで日本の防衛をあいまいにし、危うくしている今の安閑としたムードに一石を投じたつもりです。25枚論文です。

 「『正田家』と『小和田家』はいかに皇室と向き合ったか」(「週刊新潮」今週出る号)は4ページ論文で、皇室の過去と現在を追った私なりの本質論です。大変な分量の雑誌記事のコピーと6冊の単行本を資料として托されたので、月刊誌なら100枚論文になるところですが、わずか13枚の内に組み立てるので苦心しました。とり上げた事実はひとつひとつ校閲部が検証するので、週刊誌がいい加減なことを書いているとよくいわれるのはまったくのウソです。月刊誌のほうがずっと大雑把です。今度そのことを経験しました。

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