高校の友人のK君が放射線治療を受けることになった。早期発見だから心配はいらない、彼はそう書いてきた。私は早速次の見舞い状を出した。(注)以外は原文どおりである。
拝啓
寒い日がつづきます。
放射線治療に入った由、驚きとともに共苦の感覚への記憶をもって受け止めました。同種治療はあなたは前にもご経験があり、全快されており、自信もおありでしょう。でも、放射線治療は初めてと思います。私のケースは舌でした。ラジウム針刺入という処置でした。別便でそのことにも言及した『人生の価値について』をお送りしました。この本、ご存知か否か分りませんが、1996年の本で(注:私の発病は1981年)、今度別の会社から再販刊行されます。同題名です。
油井君(注:放射線医・私の主治医で共通の友人)は私の叙述に少し不満みたいでした。
このあいだは私のつくる会退会のしらせに丁寧にご返書を書いて下さり、ありがとうございました。
クラス会の幹事などいろいろやって下さり、感謝します。次回もおねがいします。築地さんからクラス誌のことで連絡がありましたので、ファクスで返信しておきました。
治療における肉体の苦痛はさしたるものではないでしょう。たゞ心の不安が切ないです。不安が永くつづくのもまた辛いです。
病気をするとわれわれも生物の一つだとしみじみと思います。生物であるからには、どんな生物にも末路があり、分っていることとはいえ、肉体が脅されないと分らないことがあるものです。
しかし喉元すぎるとまた忘れるのが人間の常です。あなたも幸いそうなるでしょう。忘れるのはいいことです。病気をくりかえすことは、死へのソフトランディングだと思っています。健康な人はかえってハードな衝撃があるでしょう。
私はいま二つの病院と歯科医院と三つにつき合っています。これが時間の上でもお金の上でも相当な負担と気苦労です。病院は舌ガンのころから私には親しい世界になり、早め早めに行くことにためらいはありません。そのあと心臓をやられました。
それから10年です。それでいて懲りない証拠に、毎晩酒は飲んでいますよ。
あなたは今しばらく食べられなくて鼻からの栄養補給ですか。私はそうでした。治っても味が半年なくなりました。5年後に歯が三本抜けて、旧い患部が何度も痛くなり、再発かと恐れましたが、旧い傷跡が反乱を起こすのですね。そのつど油井さんに電話しましたし、診てもらいました。
大丈夫、すべて過ぎ去っていきます。
そしてどうにもならないときはいつかは来ます。だいぶ先にね。いまあなたは神さまからソフトランディングの試験をためされているんですよ。
私も同じです。いま小康状態です。そう思っています。何がいつ襲ってくるか分らないですから。
では又。お見舞いに病院には行かないよ。代りに同封しておきます。すべて治療が終ったら、ハガキください。
敬具
2月5日
西尾幹二
K・T様
追記
K君は銀行員を立派に務めあげ、フランス語が得意であるためベトナムに派遣された。ベトナム戦争のさなかで、テト攻勢の頃現地にいた。
高校時代に私は歌謡曲しか歌えなかったが、彼はアメリカの映画音楽を英語で歌うのが上手だった。「荒野の決闘」の主題歌の「ハイ・ヌーン」は十八番だった。彼がさいごにこれを歌うまでクラス会はいつも終らなかったものだ。
そうだ、病気が治ったらカラ・オケに無理にでも連れ出して彼に「ハイ・ヌーン」を歌わせよう。