藤岡信勝氏正論大賞受賞への私の祝辞

 2月15日赤坂プリンスホテル別館で行われた第21回正論大賞の贈呈式にひきつづく祝賀会で、指名されて私は祝意を述べた。そのときの内容を以下にできるだけ正確に思い出して再現しておく。

 

 藤岡さん、また奥様、本日はお目出とうございます。会場の皆さまは本日は多数ご来場ありがとうございます。

 私が藤岡さんについてつねづね感服していることをまず二点申し上げます。その一つはご文章の論理的明快さです。筋道がはっきりしていて、構造的で、枝葉を取り払った幹のような、ムダを省いたご文体で、私が推定いたしますに、欧文脈に翻訳された場合に原文とのズレが最も少い、日本では数少い文章書きのお一人であろうかと存じます。

 第二点は藤岡さんの比類ない行動力、迅速果敢さ、運動へのエネルギーです。今回も採択が終って直ちに大洗町に跳び、栃木市に走り、大分市に足を運ばれました。時間の許す限り、他の仕事を犠牲にしてでも行動する瞬発力には、私は見ていて凄いな、これは負けた、真似できないなと再三思いました。

 皆さん、私はつねづね思うのですが、人間にはどこか自分を捨てている処がなければ面白くない。人間として鑑賞に耐えないなと思うことがございます。今の日本の首相が見苦しいのは、いつも私心が先立つことが見え見えだからです。

 藤岡さんには自分を捨てている処がある。愚直なまでそういう処がある。それを言いたくてこういうことを言い出したのですが、自分を捨てるというのはどういうことかというと、誤解されるのを恐れないということです。誤解されるのを恐れる心がある、それはどういうことかというと、物書きの場合ならいつでも日の当る場所に出たいということです。

 若いときには誰でもこれがあって、藤岡さんも若いときはそうだったでしょう。私もそうだった。否、今だってそうかもしれない。それは人間誰にもあって責められませんが、年がら年じゅう誤解されまいと、そんなことばかり考えている人は見苦しく、結局自分を見失ってしまいます。

 藤岡さんはたった一つのある事柄に関してだけ徹底して自分を捨てている。教科書問題に関してです。そこは見事です。私心を去っている。そこいら辺に、多くの人の目が狂いなく見ていて、今回のご受賞になったのだと思います。おめでとうございます。

 最後に皆さん、本日はフジサンケイグループの首脳の方々がお集りで、この受賞を共にお祝い下さっていますが、今回の受賞はつくる会に対してフジサンケイグループが「藤岡の教科書で行け!」と指令を発して下さったのだと私は理解しております。

 また扶桑社の社長さんほか皆さん、本日お出でいたゞいているかどうか分りませんが、以上のような次第ですから、扶桑社の方々もこれによって勇気と刺戟を与えられたと思っています。どうか教科書を出しつづけることにたじろがないでいただきたい。そのようにお願いしておきます。

「藤岡信勝氏正論大賞受賞への私の祝辞」への8件のフィードバック

  1. 自分を捨てる・・・この仕切板に立つ勇気も大変ですが、実際に走り出す勇気も大変です。そしてそれを維持していく事も。

    日本の教育現場の異常さをあれやこれやと語る事はたやすい事ですが、実際に矢面に立って敵の弓矢を受ける覚悟はなかなか出来ません。遠隔に左翼を批判できても、実際に相手の振るう刀の威力がどの程度のものかを知るには、やはり戦ってみるしか方法はないわけです。しかも、採択された自治体に素早い対応を要求されそれに応えていく行動力は、真の勇者だと言えますでしょう。

  2. 今私は藤岡先生が編著された「大東亜戦争・・・白熱のディベート」を読書中です。19997年の作品で、徳間書店から出ています。

    内容の濃い大変勉強になる本です。

    ディベートという手段そのものが本来日本人には馴染みの少ない手法ですが、それだけに新鮮でもあり、是非とも多くの方々に接していただきたい作品です。

    議論が苦手な私でも興味を持って読ませていただいております。必見です。

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