令和四年 元旦

賀正

 自由と民主主義と国土の安全は、我が国では戦後長らく空気や水のように当たり前の存在でした。ところがそう呑気に構えていいのかという不安を最近気にしだしている。それは日本の国内がナショナリズムの熱狂に走ったり、帝国主義化したりする心配ではなく、すべて外国の異常からくる。

 例えば米国国内の信じがたい分断や分裂、中国の時節をわきまえぬ軍国主義化。ソ連が崩壊してから国家を超える連邦の理想は終わったはずなのに、この夢は欧州に乗り移り、国境を低くするというグローバリズムの幻想が生じ、他方、中国が一帯一路の名で経済帝国主義の挙に出た。同時に移民の大波が世界を襲った。だから危険なのは国家ではない。国家の連合である。グローバリズムの行き過ぎた応用の仕方である。

 私は昨年末に『日本の希望』(徳間書店刊)という単行本を出した。そこに家族、民族、国民国家、ナショナリズムはいまや自由と民主主義の敵ではなく、むしろその味方であり、これを守り育ててきた母体ですらあると書いた。日本を取り巻く世界の情勢はいまや明治の開国期に似ていて、何となく「我に利あり」という印象を持っている。

令和四年元旦                 西尾幹二

新刊 日本の希望

現在この本画像がうまく転送できませんが、
この本の感想はこちらにお書きください。
小池さまのコメントより、目次を転載させていただきます。

西尾先生の新刊紹介 

「日本の希望」 徳間書店

【目次】
I
・回転する独楽のように
・上皇陛下の平和主義に対し、沈黙する保守、取りすがるリベラル
・講演筆録 歴史が痛い!
・宮内庁の無為無策を憂う
II
・言論界を動かす地下水脈を洗い出す
・そもそも「自由」を脅かすものは一体何か
・私が高市早苗氏を支持する理由
III
・安倍晋三と国家の命運
・「移民国家宣言」に呆然とする
・日本国民は何かを深く諦めている
・保守の立場から保守政権批判の声をあげよ
IV
・二つの病理
――韓国の「反日」と日本の「平和主義」
・朝鮮と日本とはまったく異なる宗教社会である
V
・中国は二〇二〇年代に
反転攻勢から鎖国に向かう
・日本とアメリカは現代中国に「アヘン戦争」を仕掛けている
・歴史の古さからくる中国の優越には理由がない
・中国に対する悠然たる優位が見えない日本人
・「反日」は日本人の心の問題
VI
・「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」ではなく、
「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」と問うてこそ見えてくる歴史の真実
・今の日本は具体的にアメリカに何をどの程度依存しているか
・ありがとうアメリカ、さようならアメリカ
VII
・二つの世界大戦と日本の孤独
VIII
・上皇陛下が天皇をご退位あそばされる頃合に、
「陛下、あまねく国民に平安をお与えください」と私は申し上げました。

・あとがき

西尾幹二の近況報告(読者の皆様にコメント欄もお願いします)

 西尾全集はその後一体どうなっているのか、との問い合わせが最近多くなってきたと版元から伝え聞きました。お答えします。

 西尾全集は余すところあと2巻になったとお伝えしてから1年有余、新情報が出せず、ご心配とお怒りはしごく当然のことでございます。

 集積された残りの原稿が余りに多く、2巻ではとうてい収まりがつかないことが判明し、読者の皆様へのご負担のお願いを予めお願いを申し上げることにも関連し、版元の英断により次のように決まりました。

第21巻① 現代日本の政治と政治家(印刷完了、目下再校正中)
 〃  ②  天皇と原爆(印刷中)
第22巻① 運命と自由(編集完了、4月には印刷開始)
 〃  ②  神の視座と歴史/年譜、その他、各種記録/

 この20年の著者65才~80才の最も力を発揮したシャープな文章が蒐められた26冊の評論集・単著・書き下ろしの単行本を解体し、第21巻~第22巻の4冊に組み替え、編成し直しました。例えば『平和主義ではない脱原発』は『運命と自由』の巻に所を得ています。先の大戦のテーマは『現代日本の政治と政治家』を経由して、『天皇と原爆』の巻で止めを刺しています。

 しかしながら大変申し訳ないのですが、多くの方から高い評価をいただいている『GHQ焚書図書開封』は全集には1冊も収録することができませんでした。

 まだ私は85才で、書きつづけていきます。収録できなかった作品を今後どうするかは、読者の要望のいかんで決まると、版元との相談会で語られています。残された私の時間は限られています。全集継続には大変な労力を要します。少しでも多くの新しい未知の作品を書いて、残された全集化の仕事は後世に委ねたいとの思いもあります。皆様はどうお考えになるでしょうか。コメント欄を版元も注目しています。

令和3年(2021年)元旦

賀正

 米国大統領選挙で私は明白な「不正」の数々を知った。

 何十万票が一夜にしてトランプからバイデンにすり替えられてしまう投票マシーンの存在。民主党の予備戦でそれがサンダーズを追い落としにも使われていたこと、今後上院の決戦投票でこの後に及んでなお使おうとしていること、そのサーバーの奪い合いで銃撃戦が起こり、六人の兵士が犠牲となっていること。

 ジョージア州の開票所で議員を帰した後の深夜居残りの四人が机の下に隠していた大量の投票用紙をバイデン有利にスキャンしたこと、これが監視カメラに全部映っていて公開されたこと。居住人口より多い投票数、何千人という死者の投票、投票日過ぎてから有効となった郵便投票。

 それでいてCIAもFBIも動かない。州知事や司法長官が言を左右にする。

 米国は今や法治国家ではない。買収や脅迫が横行するベネズエラ並の選挙風景である。大手メディアは一切報道しない。権力構造の全体に異変が生じたのだ。ビル・ゲイツやジョージ・ソロスの名がその一角にあり、他方社会全体の左傾化は著しく、やがて「人民党」が台頭し、二大政党制はなくなるに違いない。(十二月十一日記)

「自由」を脅かすものは一体何か 

評論家・西尾幹二
令和2年(2020)11.19産經新聞正論欄より

≪≪≪日本学術会議をめぐり≫≫≫

 日本学術会議のあり方が問われ出して以来、「学問の自由」という言葉が飛び交っている。しかし「自由」は果たして根本から問い質(ただ)されているだろうか。

 一方、米国と中国の対立が深刻化して以来、日本のメディアはそこに必ず覇権争いの一語を添える。覇権争いは喧嘩(けんか)両成敗の意味を含む。日本のような中小国はどこまでも中立だという意識を伴う。自国の経済と安全保障の損得だけ考えていればいい、と。自分自身の問題をそこに見ない。だがそんなことで果たして「自由」の本質に立ち入れるだろうか。

 そこで私はまず自由を脅かすものは一体何かという問いを掲げてみたい。日本では自由を脅かすものは国家だと頭から信じ込んでいる。だが自由を脅かすものは第一に自分自身であり、今の我々の享受している自由の内容である。
 第二に国家の外にある何か強大なイデオロギー、宗教体系、合理的な仮面をつけた世界説明の闇、その他である。しかし先の大戦の敗北以来、大半の日本人は自由の敵は国家であり、自国の歴史であると単純に捉えがちである。こういう国民は実は少数である。

 ごく大雑把(おおざっぱ)な図式になるが、イスラム圏やインドでは宗教の権威が政治より上位にあった。東アジアの歴史では逆に政治が宗教より上位にあった。それに対し西欧では宗教と政治の力が均衡し、絶え間ない衝突と葛藤が生じ、そこに近代的自由の必要が生じた。

 即(すなわ)ち中世からずっとローマ教会は世俗の権力でもあり、領土を有し、武力を備えた、国家にも似た一大パワーであった。近代的な市民社会の自由の概念-「学問の自由」もその中に入る-は封建貴族や王権を倒せば直ちに得られるというものではなかった。その前に宗教権力が立ちはだかっていた。「自由」のための戦いは三つ巴(どもえ)の構造を示していたことになる。

 例えばイタリア王国とローマ教皇ピウス9世の争いは長期にわたり、有名なラテルノの和解で一応の妥協が図られたのは何と20世紀に入ってからの1929年のことであった。

≪≪≪自由の敵は国家ではない≫≫≫

 西欧では自由の敵は決して国家ではなく、まず宗教であった。宗教の武力に脅かされるというこの観点はわが国の近代史ではオウム真理教までみられなかった。「政教分離」はだからわが国では、国家の悪から宗教を守って、宗教に自由を保障するという根の浅い、甘っちょろい概念であった。自由の側に戦いの試練もなく、血塗られた経験もない。

 西欧の精神は時代が変わってもその本来の精神は変わらず、今では米国がその衣鉢を継いでいる。近代世界では宗教は次第に穏健になり、代わりに共産主義という現代の宗教がしつこい挑発を続けている。同時に自由は過剰であるという自己批判の精神も鋭敏になった。米国政府が中国共産党と全面対決の意志を示している最中、本年10月に米司法省が、巨大富を集中させるグーグルを反トラスト法(独占禁止法)違反で提訴した。外では共産主義と戦い、内では公正な競争を阻害する資本主義のマイナス面と戦う-これが西欧の文化伝統から出た「自由」の発露である。いずれも目前の現実と戦いそこから目を逸(そ)らさない。

 一方日本学術会議の言う「学問の自由」とは敗戦の日の思い出漂うムードを頼りにした消極概念で日本の現実に立脚していない。そもそも誰がどのようにしてメンバーに選ばれているか、はっきり分からない秘密集団だ。草創期には人名を出し組織解剖した桶谷繁雄東工大名誉教授による「日本学術会議は日本共産党の下部組織だ」という明確な証言もある(「月曜評論」昭和52年10月24日)。

≪≪≪自由の本義に立ち還り議論を≫≫≫

 最近ではノーベル賞学者も並べカムフラージュしているが、司令塔はあるに違いない。国会論争で共産党があれほどむきになるのは最後の利権だからだ。論戦は大いに結構だが、やるなら「自由とは何か」の本義に立ち還(かえ)ってやってもらいたい。いつまでも自由を脅かす敵は国家だ、という認識のレベルなら打ち切るにしくはない。

 それに比べてみるなら菅義偉首相の多様性を尊重し、既得権益を排し、出身大学に偏りのない、民間にも目を配った、前例主義に捉われない、公正な競争を前提とした組織であってほしいというのは日本の今の現実に合っていて的確な「自由」の概念の表明である。

 一方米国の大統領選の始末に目をやれば「自由」が見境もなく乱舞した混乱と見えるが、人種や州権による「分断」はあの国の歴史の必然から出ていて現実である。トランプ氏は実にシェークスピアの『コリオレイナス』を思わせる千両役者である。われわれはしばらく推移を見守るがいい。今やロングランの大劇場だ。米国人らしい「自由」の自己表現であって、集票の不正で地に落ちた米国民主主義の信頼の回復は、見えない巨大悪に立ち向かうこの人の無私の情熱、恐れを知らぬ行動の如何(いかん)にかかっているといえよう。(にしお かんじ)

ルポ百田尚樹現象を読んで

松山久幸氏に来たメールですが、西尾先生の意向により、日録本文として掲載します。

松山久幸 様

坦々塾でお世話になっている岡田敦夫です。
ご無沙汰しております。
先月、松山様が西尾先生のインターネット日録へ寄稿された論文を拝読しました。
そして石戸諭氏の「ルポ百田尚樹現象―愛国ポピュリズムの現在地」を小生も買いこのほど読了しました。拙き読後感想を持ちましたので松山様にご報告したくメールする次第です。差支えなければご一読いただければ幸甚です。
(長文にて失礼します)

本来、斯様な感想は日録のコメント欄へ投稿すべきなのでしょうが、最近、他投稿者の皆様との見識の広さに対する小生の僅かな人生経験で発する論の拙さに打ちひしがれており、投稿に躊躇をしております。
また、(こちらの方が本音なのですが)先に読まなければならない西尾先生のご著書を読了していない状態で本書を読了してしまったことが面目ない気持ちもあります。

まず、小生が本書を読みたいと思った理由ですが、主に以下の3点になります。
・松山様の寄稿文に「第二部はつくる会発足の経緯が一般人にも手に取るように はっきりと理解できるほど詳細に語られている。つくる会のことに関して色眼鏡を 付けずに殆ど主観を交えず恐らく事実に対して忠実に淡々と記述されていると思われ、ここはジャーナリストとしての石戸氏の面目躍如たるものがある。このように第三者的立場で書かれたものは他に見当たらない。」
 とありました。
 
小生がつくる会の存在を知ったのは小林よしのり氏のゴーマニズム宣言によります。従って会発足の経緯というものは小林氏の視線によってのみ知り得たことでした。今般、松山様が評価しておられる説明文があるとのことで興味を持ちました。
・小生の認識ではここ数か月の間に、保守層からの百田尚樹氏の人気が急落しているようです。
 今年になってから諸々事情によりYouTube上で虎ノ門ニュースを視聴することが多くなったのですが、コロナ以後、百田氏が出演するとかなりの視聴者からディスる声が上がっているようなのです。その理由についてはいろいろありましょうが、少なくとも現在では百田氏のことを保守系から圧倒的な支持を得ている論客という見方をするのは実態と合わないことだと思います。

 つまり、「え、なぜ今ごろ百田氏なの?」という驚きがあったのです。
・松山様の寄稿文には、石戸氏が本書を書くことにした動機を「川のこちら側」(左派)から「川の向こう側」(右派)へと敢えて足を運んだとのことですが、小生はこの表現に興味を持ちました。
 小生、若いころに「なぜ保守と左翼は会話がかみ合わないのか」について悩んでいたことがあり、ネットでいろいろ調べていた時に下記ページを見つけました。
 
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html

 記載者はかなりエキセントリックな人であるようで上記以外の文は全く面白くないのですが、ここに書かれている図式には納得させられるものがありました。
 つまり、保守は左翼のことを(高さが違わない)横の関係と捉えるのに対し左翼は保守のことを上下(ただしいつも保守が上)の関係と捉えているということです。この説を読んで以後、小生が左翼の人と話をするときは「この人は小生のことを上下の対立軸で見ているのだな。」と思うようにしています。
 本書において、左側にいる石戸氏が保守の側を「川の向こう側」と表現したということは上記図式に反します。そうすると石戸氏が捉えている対立軸はどのようなものなのか、若しかしたら左翼に立場を置きながら対立軸を横の関係と捉えている人なのかもしれない、という興味を持ったのです。

 前置きが長くなりました。

 読後、最も強く印象に残ったことは、石戸氏はこの本を通じてつくる会の教科書運動をポピュリズムであると断定することにより運動そのものを誹謗することが目的だったのだと思いました。一方で石戸氏の取材(というより理論武装?)が甘いため、教科書運動をポピュリズムと断定する証明には至らなかったというのが小生の理解です。

小生はノンフィクションというジャンルの読み物をほとんど読まないのですが、唯一の例外は1998年に最相葉月氏が書いた「絶対音感」です。これも絶対音感というスキルを高尚なものとして持ち上げたいために別の音感スキルである相対音感を矮小化していました。読んで吃驚したのを覚えています。
ノンフィクションって、こんなものなのでしょうか?

石戸氏のストーリーは以下のようなものです。
まず第一部で百田尚樹氏の現在と経歴を丁寧に取り上げ(この辺の記述は面白く読めました。小生は元関西人であり探偵!ナイトスクープは今でも毎週録画して週末に視聴するのが楽しみです)、彼のことを究極のポピュリストである証明をします。そして第一部の最後に無茶振りでつくる会を取り上げ、百田氏の言動はつくる会の運動と連綿と繋がっていると断定をします。
第二部でつくる会の運動の足跡をたどるべく藤岡信勝先生、小林よしのり氏、西尾先生へのインタビューを試みます。その中で藤岡先生および小林氏が運動の支持を普通の人々に求めたということを訊きだし、これを以てつくる会の運動がポピュリズムであると断定しています。

しかしながらこのようなこじつけが通用する訳はなく、本書の記述は常に迷走し続けているようです。例えば、P.127からP.128にかけての記述です。西尾先生の「国民の歴史」と百田尚樹氏の「日本国記」を同列に扱うかのような質問をして西尾先生から「書いた動機が違うんだよ。」と叱られている。にもかかわらずその後も「おかしいなー。つくる会と百田さんとは連続しているはずなんだけどなぜ断絶しているのかなー。」と問いかけている。
終章に至っては、改めてつくる会の運動と百田氏の活動が繋がっていると断定しておきながら詳しい分析に踏み込むと相違点ばかりが浮かんでくる。
これは結局両者は繋がっていないんだという証明になってしまっていると小生は考えますが、著者の石戸氏は分かっていないようです。

 斯様な感想ばかり書いてしまうと、まるで小生が本書を読んだことを後悔しているように感じられたかもしれませんが事実は正反対で、この本を読んで良かったと思います。
ひとつは、つくる会の活動の流れを知ることができたということです。

 小生も2002年から西尾先生が会を離れられるまでの間、短期間ですがつくる会に在籍していたことがあります。そのころを思い出しながら、西尾先生はじめつくる会に携わった方々の思い、悩み、葛藤、苦しみについて少しでも思いを馳せることができた気がします。
次に、登場する人の人物像がよく見えてきたということです。藤岡先生と小林氏は、上述した左翼と保守の分類で言うと若しかしたら左翼側におられるのかもしれないと思いました。本書において両氏とも権威(朝日新聞)に対抗する思いを強く述べています。当然、西尾先生も権威に対する対抗心はお持ちですが藤岡小林両氏の思いは権威との上下関係であるのに対し西尾先生の捉え方は横の関係であるように思います。

 著者の石戸氏はどうでしょうか?小生にはよく分かりませんでした。というのは小生の理解では、石戸氏の捉え方には上下の関係と横の関係の両方が存在する様に思えたからです。
石戸氏は、藤岡先生や小林氏(百田氏も)が権威に対抗する思いを語るとき、わが意を得たりと言わんばかりの反応を示しています。逆に西尾先生にはこういう対立軸を見いだせず、消化不良なインタビューになっています。石戸氏にとっては上下の関係で対立をとらえた方がしっくり来ているように思いました。

 一方で、西尾先生、藤岡先生、小林氏、百田氏に対し著者の石戸氏はきちんと敬意を払って接しているように思いました。思想信条が異なる相手にインタビューをするのですから、対立軸を上下関係に捉えている人だとどうしてもやっかみや(逆に)蔑みなどの感情が露呈してしまいそうなものですが、本書では斯様な感情は見いだせませんでした。
ただ、西尾先生をはじめ、登場人物を全て呼び捨てで表記するのはけしからんと思います。せめて冒頭に断りの一文でも書くのが礼儀ではないかと思いました。

さて、話題は全く変わりますが、小生が住む神奈川県藤沢市で、市民としてまことに恥ずかしい出来事が起こりました。来年度より、市立中学校で使う歴史教科書が育鵬社版から東京書籍版に変更されることになったのです。
https://www.asahi.com/articles/ASN705WMXN70UTIL01B.html
コロナ禍に気を取られているすきに、敵は着々と運動を進めています。教科書問題については小生近年は勉強不足であり、どう行動をしたらよいのか戸惑っているところです。ただ一人で憤っているだけではダメだということは解っているのですが、、、、、、、

岡田敦夫 拝

坦々塾研修会・懇親会 ご報告①

吉田圭介

11月9日、恒例の坦々塾研修会・懇親会が開催されました。
不順な天候が続いた本年ですが、当日は秋らしい穏やかな晴天に恵まれ、これまでとは違う会場の中野サンプラザ研修室に35名の方々が集い、和やかなうちにも熱心な考究の場となりました。
まず研修会第一部として、坦々塾会員でもある、朝鮮問題研究家・松木國俊先生を講師に、「反日韓国の行方」のタイトルで、悪化する日韓関係についてご講演を頂きました。

初めに松木先生は、1980年から4年間商社マンとして韓国に駐在したご経験を振り返り、当時の50代以上の韓国人は日本の統治時代のことをよく覚えていて対日感情も良かったというご自身の印象、また昭和17年における日本軍への朝鮮人志願兵の倍率は62倍超にもなったという歴史的事実、さらに朴朁雄氏の著作『日本統治時代を肯定的に評価する』の記述から、戦前戦中には無かった反日感情が李承晩の個人的偏見と政治的策略に基づく徹底した反日教育によって引き起こされ、その後の日本統治時代を知らない世代が自家中毒をおこしていったのだと、韓国の反日感情形成の経緯を分析されました。

続いて先生は近年の日韓間の諸問題について、
・朝鮮人戦時労働者問題(徴用工問題)は1965年の日韓基本条約で完全に解決と明記されたことであり、最高裁判所が条約を覆すのはウィーン条約違反であること。
・レーダー照射問題に関しては100%韓国側に非があること。
・日本から送られた戦略物資の20%が行方不明でありイラン・北朝鮮に渡った恐れもある以上、日本の国際的義務としても韓国のホワイト国除外は当然であること。
...等々を列挙され、対抗措置と称してGSOMIA破棄やビール等日本製品の不買運動に奔る韓国を批判し、就中、福島の放射線被害を誇張して国際社会に喧伝する行為は、風評被害と戦い続ける被災地の人々に対し、人道上許されない行為だと強く非難されました。

さて、このような韓国人の不条理なまでの反日感情がどこから生まれるのか?という点について、先生は次にご自身の現地調査の結果を数々の映像を交えて披露してくださいました。
・ソウルの独立記念館における、日本兵が朝鮮の少女を捕らえてトラックに積み込む情景や慰安所で少女が犯される様子を描写したジオラマ。独立運動家の女性を日本の官憲が拷問し、骨の折れる音や悲鳴までついた動く蝋人形。しかしそれは実際には、余りに残酷すぎるからと日本が禁止した李氏朝鮮時代の拷問であること。
・西大門刑務所歴史館や2015年に出来たばかりの釜山の国立日帝強制動員歴史館等でも同様の展示が並べられ、日本兵による強姦場面等がサド・マゾ趣味の成人映画さながらに流されていること。
・韓国の子供たちが授業の一環としてそれを見せられ、絶えず「これが日本人の仕業だ」と引率の教師から指導されていること。
・軍艦島(端島)を「地獄の島」として描いた幼児教育用の絵本。
・日本大使館前の「少女像」や「徴用工像」の周囲には、日本への呪詛の言葉を記した札や石が絵馬のように並んでいること。ただし肝心の徴用工像は、日本の新聞に載った日本人労働者の写真がモデルであること。
...等々の惨状を紹介された先生は、こんなことでは1000年経っても日本人と韓国人が仲良くなれるわけがない!と嘆かれ、本当に日韓の友好を考えるなら駐韓日本大使館はこれらにキッチリ反論すべきであり、そうしないのは職務怠慢だ!と強く憤られました。

昨今流行の浅薄な嫌韓言辞とは違う、真に日韓の未来を憂える松木先生の誠意を見る思いが致しました。

お話は自然と日本側にも大いに責任があるという点に及び、捏造事実に基づく反日映画に自己のキャリアアップだけを目的に平気で出演してしまう人気俳優や、相手の求めるがままに謝罪すべきと主張する流行作家等々の、深い思慮に欠けた日本人の言動を批判され、その根本原因として、過去無分別に謝罪を繰り返してきた日本政府の責任を指摘されました。
そして謝罪というものの意味について述べられ、謝罪をするからには責任者の処罰と相手への賠償が必ず伴うのが国際社会の常識であり、そこまでする覚悟が無ければ謝罪などしてはならないこと、日韓の謝罪に対する認識の違いが摩擦の原因の一つである、と分析されました。さらに、武貞秀士氏や呉善花氏の考察を引用し、韓国人の求める謝罪の有り様とは、韓国が日本を35年間支配し、日本人が地に頭を打ち付けて許しを請い、日本人が世界中から蔑まれるようにすることなのだ、と喝破されました。

ここで松木先生は、今回の徴用工裁判問題が「日本の植民統治の不法性」を根拠とし、言わば「慰謝料」を請求してきているという点、関連する日本企業は二百数十社・請求総額は2兆円に及ぶ可能性もあるといった点で、慰安婦その他の問題よりも重大であるということを、ご自身の新著『恩を仇で返す国・韓国』から引用され、韓国の最高裁判所が示した判断が3つの点で誤っていると指摘されました。すなわち、
・日韓併合が両国政府の合意の上で合法的におこなわれた点を無視していること。
・過去の統治行為の合法・不法を現在の大韓民国憲法の価値観で判断していること。
・日本の最高裁の判断を否定し、外国である日本の財産を自国の裁判によって押収しようとする主権侵害行為であること。

さらに、日韓協定締結時に日本が支払った経済協力金8億ドルは、当時の韓国国家予算の半分であり日本の外貨準備高の4割にあたったこと、日本が朝鮮半島に残置し放棄した民間資産は10兆円以上にのぼること、そして、廬武鉉政権までは韓国政府自体も徴用工問題は日韓協定で終結したとの見解をとっており、2005年から2007年にかけて6万人の元徴用工に5000億ウォンを給付していること等々の事実から、如何に現在の韓国の要求が不当なものであるかを詳細に論証されました。

経済協力金8億ドルの話や日本の残置資産の話はメディアやインターネットでもよく取り上げられますが、韓国政府が既に徴用工に補償金を支払っているという事実などはあまり言及されることが無いように思います。日本人がきちんと押さえておかなければならないポイントだと感じました。

ここで先生は話題を変えて、現在の韓国の経済状態についてお話をされました。世界的な半導体需要の減少や中国企業の追い上げ、さらにトヨタよりも高くなったという現代自動車に代表される賃金の上昇等々の要因により、半導体と自動車以外主力輸出品の無い韓国の輸出額は19%も減少していること、中流層以下は教育費の負担から少子化と海外脱出が加速していること、日本の輸出管理強化に対抗して国産化を叫んでいるが、コストに見合うものが出来るわけがないこと、また、同じく対抗策として掲げる日本製品不買も、日本の会社員に聞くと韓国市場は無くなっても困らないという状態で影響力が無いこと、さらに根本的な問題として、韓国が輸出をする際、韓国企業の決済を担保するだけの信用力が韓国の銀行に無いため日本の銀行が信用状を出しているのが現状であること。
...等々の事実から、反日なんかやってる場合じゃない!と韓国経済の危機的状況を指摘されました。

この状況を文在寅大統領はどう乗り切ろうとしているのか?お話は文在寅という人物の解析へと進みました。
このまま経済不振が続き、財閥をはじめとする産業の低迷が進むと、自由主義経済が行き詰まり社会主義へと移行する道が拓けてしまう。実はそれこそが文大統領の狙いなのではないか...と、先生はご自身の衝撃的な推察を披露され、戦後の軍事政権と財閥を「日本と結託して私腹を肥やしてきた悪者・積弊」と規定して政権を獲った文大統領の目指すものは、北朝鮮との一国二制度を経由した高麗民主連邦共和国なのだと洞察されました。そしてそれは、政治的自由の無い核武装した反日国家の誕生を意味するが、その核によって歴史上初めて中国を含む周辺諸国に対抗できる国になれる以上、彼らは絶対にそれを手放さないであろうということ、その目的のためであればGSOMIA破棄などはむしろ望むところなのであろうということ、しかし、GSOMIA破棄が今後の韓国の外交カードになるようなことは絶対にあってはならず、輸出管理の透明化という筋が通るまで、日本はその国家意思である輸出管理強化を1ミリも妥協してはいけないことを強調されました。

彼らの目を覚まさせるにはどうしたら良いのか?先生はいくつかのポイントを挙げられました。すなわち、
・前出の信用状の問題のような、韓国に対する産業・金融面での日本の絶大な支援・影響力の実態を韓国国民に徹底的に知って貰うこと。
・韓国司法による日本企業の資産の現金化と差し押さえが行われた場合への、日本側の経済制裁措置を明確に示すこと。
・それらにより、日本を敵に回すことのデメリットを韓国国民に強く実感させること。
・韓国側の対抗措置を恐れる向きもあるが、制裁は返り血を浴びる覚悟を持って行うのが当然であり、アメリカの対中制裁の如く、日本も損害を恐れずに制裁を加えるべきであること。
・徴用工問題は我が国の名誉・尊厳、引いては国の将来が懸かっている問題であり、ここで韓国の歴史捏造を許せば我々の子孫までもが永久に屈辱に塗れ、財産を搾り取られることになる。肉を切らせて骨を断つくらいの覚悟で対処しなければならないこと。
そして、先生は再びご自身の在韓時代のご経験から、
・韓国人はその国民性として、交渉においてはダメ元で過大な要求を突き付けてくる。
・一方で日本人は、交渉の決裂を何より恐れてこちらの要求を下げてしまいがちである。
・韓国人との交渉で一番良い方法は、席を蹴って立つ覚悟を見せることであり、こちらの確固たる意志・決意を示して初めて、相手の妥協を引き出すことができる。
といった、日本側の持つべき心構えを説かれました。

この心構えの問題こそ、外務省はじめ日本政府・日本国民が未だに理解していない重大問題であり、韓国人を相手にまさしく返り血を浴びて論争してこられた松木先生だからこそ指摘できる、迫力に満ちたご提言だと強く感じました。

続いて先生は、その気迫に満ちた論戦の実践として、本年6月末に挙行された、ご自身の所属する国際歴史論戦研究所によるジュネーブの国連人権理事会への会員派遣の成果を報告されました。
端島(軍艦島)の元島民の坂本道徳氏による当時の平穏な生活の証言や韓国人研究者・李宇衍氏による朝鮮人徴用工の給与・待遇の実情報告等の日本側の反論スピーチの映像が紹介されましたが、松木先生の印象では、議長をはじめとする人権理事会の要人は日本人・韓国人・中国人の区別も碌に出来ないような何も判っていない人ばかりで、反日活動家による日本に対する根拠なき非難がこれまで10年以上に亘って言いたい放題になってきた実態が痛感されたとのことでした。そして、本来は日本政府が率先してこういう反論活動をすべきなのに、民間が孤軍奮闘しなければならない現状を嘆かれ、さらに、証言をした李宇衍氏はその直後から凄まじい脅迫・バッシングを受けているが、韓国人が真実の歴史を知ることこそが日韓友好の道という信念を持った李氏は少しも怯んでいないという心強い事実を披露されました。また、李氏の所属する落星台研究所の所長・李栄薫氏による、母国・韓国の歴史捏造を批判したインターネットTV『李承晩学堂』と、7月の発売以来、韓国では異例の15万部を売り上げている著書『反日種族主義』が紹介されました。この本は日本でも文芸春秋社から日本語版が刊行され大きな話題になっています。
これら韓国内の良識派の奮闘の結果か、韓国では保守派の勢いが盛り返してきており、10月3日の反文大統領デモ参加者は100万人を超え、また在日韓国人の中でも「自由韓国を守る協議会」を立ち上げるといった動きが出てきているとのことです。

最後に先生は、すべては結局のところ安全保障の問題に帰着するのだと総括し、それを考慮するに当たっては最悪の状況を想定しなければならないことを力説されました。すなわち、38度線が対馬海峡まで下がっても日本が自主独立を維持できるだけの国防力を備えることであり、当然に憲法改正が必要であり、そして外交的威圧装置としての核兵器を中国や統一韓国が保有する可能性が有る以上、日本が威圧に屈して属国となるのを防ぐためには核兵器の保有もやむを得ない、その実現可能な手段として、ドイツと同様のアメリカとの核シェアリング、米原潜への自衛隊員の同乗といった方法も検討すべきであること、等々。そして何より、中国をはじめとする侵略性を持った国家と対等に渡り合い、子孫に自由で豊かな誇りある日本を残すために「自分の国は自分で守る」という気迫を持つことである!という熱いお言葉で、先生はお話を締め括られました。

時折、韓国人と論争を交わした際の韓国語のやり取りも交えた、迫真に満ちた先生のお話は、韓国を深く知り愛するが故の誠実な憂いに満ちていて、強い感銘を受けました。また日本のメディアでは中々見られない現地の映像も数多く紹介され、極めて現実的・実践的な韓国論であったと思います。韓国を罵倒して気勢を上げるような次元の低い場ではなく、真の日韓の友好と相互理解を模索する講演会となったことを、松木先生に感謝申し上げる次第です。