西尾幹二全集20巻 目次紹介

目 次

登場人物年表

第一部 前提編

第一章  暗い江戸、明るい江戸
第二章  初期儒学者が見据えた「中華の『華』はわが日本」
第三章  日・中・欧の言語文化ルネサンス
第四章  古代文献学の誕生――焚書坑儒と海中に没した巨大図書館【アレクサンドリア】
第五章  ホメロスとゲーテと近代ドイツ文献学
第六章  探しあぐねる古代聖人の実像
第七章  清朝考証学・管見
第八章  三段の法則――「価値」から「没価値」を経て「破壊と創造」へ
第九章  世界に先駆ける富永仲基の聖典批判

第二部 展開編

第十章  本居宣長が言挙げした日本人のおおらかな魂
第十一章 宣長と徂徠の古代像は「私」に満ちていたか
第十二章 宣長とニーチェにおける「自然」
第十三章 中国神話世界への異なる姿勢――新井白石と荻生徂徠
第十四章 科挙と赤穂浪士
第十五章 十七世紀西洋の孔子像にクロスした伊藤仁齋
第十六章 西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』
第十七章 万葉仮名・藤原定家・契沖・現代かなづかい
第十八章 音だけの言語世界から誕生した『古事記』
第十九章 「信仰」としての太陽神話
第二十章 転回点としての孔子とソクラテス

注 /あとがき /参考文献一覧 /人名索引 /書名索引 /事項索引

追補一 世界のさきがけとなった江戸期の文献学 吉田敦彦
追補二 自然と歴史――西洋哲学から『江戸のダイナミズム』を読む 山下善明
追補三 長谷川三千子・西尾幹二対談 荻生徂徠と本居宣長
追補四 友人からのある質問に対する著者の応答 武田修志 西尾幹二
後記

故吉村昭氏の推薦文

 私の『少年記』については、かつて作家の故吉村昭氏よりお言葉をいたゞき、今度本の帯の文に使わせてもらった。このご文章をいたゞいたのはもう18年も前になる。とても気に入った、有難いお言葉だった。私の全集第15巻を手に取った人はすでにご存知と思うが、そうでない方々のために同文をここに再録する。

 さいごに「史書」と言って下さったのはうれしい。本人は文学の積りだったが、子供の目で見た戦中から戦後へかけての日本社会のディテール、日本人の生活の細部が記録されている作である。小説家なら長編小説にしたであろう。文学であるような、歴史であるような一冊であって、決して思想の本ではない。

 吉村さんの目にとまったのは幸運であり、私には忘れ難い出来事だった。

少年の目に映じた昭和史 吉村昭(作家)

 作者の西尾氏は、小学生時代から中学生になるまで日記を書きつづけていた。これだけでも驚異であるのに、それが今でも作文などとともに手もとに残されているとは。しかも、小学校に通っていた頃は戦時で、当時の東京、疎開先の水戸市などでの生活が初々しい筆致でつづられている。

 この日記、作文を核として、当時の新聞、公式記録、外国の文献まで渉猟してその背景を的確に浮かび上がらせている。過去が現在であるかのような不思議な世界がくりひろげられていて、私は、遠く過ぎ去った戦時下に身を置いているような奇妙な感慨にとらわれた。

 まさしく「わたしの昭和史」であり、一個の感受性豊かな少年が歴史の時間を歩いてきたのを感じる。少年の眼に映じた昭和史は、時間の経過とともに一つの史書としてひときわ光彩を放つものになるにちがいない。

(『わたしの昭和史1』推薦の辞より)

『少年記』の刊行について

 1998年に新潮選書として二巻本で出した『わたしの昭和史』を改題して、このたび一巻本の『少年記』として出版した。全集の第15巻目である。

 5歳から16歳までの自分史である。こんな幼い日の自分について全集の部厚い一巻に足るだけの分量を書かねばならない理由と必然性が私にはあった。昭和15年から26年までの国運の転変史と重なっている。しかし時局論ではない。一人の「ねんね」がいかにして「少年」になったかの成長の物語である。

 反抗期もあれば、自己破壊の逸脱期もある。大人の世界を背伸びした詩や創作への幼い試みもある。つねに父と母とに守られ、忘れ難い多くの先生に愛されたり、憎まれたりした。

 この一篇の主人公は父と母であり、脇役は次々と私の前に登場した印象的な担任教師群像であった。必ずしも友達ではない。友達という存在が本当の意味で出現するのは17歳―18歳より後である。

 いうまでもなく時代背景は決定的な意味を持っていた。それは以下に示す目次によって明らかであろう。たゞ、どんな時代にあっても一人の幼児が少年になる自己形成の歩みには共通の主題がある。ヘッセの『デミアン』を思い出すと言っていた人もいる。

 けれども、同時にこれは、私の歴史回想記でもある。戦争と戦後を幼年期にどう体験したかの記録でもある。今にして思えば、私の仕事は『少年記』より後、「歴史」をめぐるテーマに一転した。あの戦争をどう思い出すか、という課題に絞られるようになった。そしてそれは日本史の全体や世界の500年史への関心に広がった。その意味で『少年記』は、最晩年の私の根本テーマへの曲がり角であり、跳躍台でもあった。

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西尾幹二全集 第15巻

目次

少年記

遠い日の幻影
二つの夏休み
疎開まで
特攻隊志願の夢
空襲
コンパスの占い
終戦
感情のとどこおり
夜明け
「僕は猫の『クリ』である」
農地改革
あらし
師範附属中学校
対決
偉人論争
社会科
白い帽子
文部省教科書「民主主義」
遊戯と学習
挫折した小説「留やんとKさん」
反逆児
十四歳の懐疑
マッカーサーの日本
アメリカニズム
東京帰還
朝鮮戦争勃発
日本人が思い出せない二十世紀の正午
戦後日本の原型
高校受験
群像
初恋
メランコリー
付録 もう一つの青春
追補 危うい静寂の中から…渡辺望
後記

西尾幹二全集 第13巻 日本の孤独

目 次
序に代えて
“あの戦争”を他【ひ】人【と】事【ごと】のように語っていいのか

Ⅰ 冷戦終結後、われわれの前に立ち塞がったアメリカ
他者としてのアメリカ
植民地外交「日米構造協議」の行方
二つに鋭く分かれる米国観
そもそも外国の正義と善意を信じてよいのか
日本はしばらく動きだすな
日本型資本主義は存在しない
ベーカー演説「欧=大西洋機構」批判
利用される日本
ロンドン・サミットを前に/コール独首相の対日要求に乗るな/宮澤新政権のG7への譲歩を見て/湾岸戦争の教訓を忘れた国際貢献税構想/日本は分相応の支援でよい/朝鮮半島安定化のための巨額支出予想

Ⅱ 湾岸戦争と日本
再び 他者としてのアメリカ
アメリカ側につかなかったと非難される日本
ドイツを襲った反戦ヒステリー
国連とは空虚なるフィクションだ
棒立ちする日本(憲法九条と安全保障をめぐる私の発言)
昭和時代最後の憲法論争に際し/湾岸戦争の勃発後に/イラクへの空爆開始直後に/PKO法案の成立を見て/カンボジアでの国際貢献を契機に(その一)(その二)

Ⅲ 日本の位置
世界の流れは近代以前へ戻りつつある
民族主義を必要としない日本
日米ハイテク競争とドイツ
世界史から見た自民党政治
国際政治に照らしてみた自民党と社会党
チャンスを逸しつつある自民党

Ⅳ 細川政権
“半端国家”の不安
保革ねじれ現象の国民的不幸
細川氏は「共産主義崩壊」を知らない
細川氏の侵略戦争謝罪発言
浮遊する巨船 日本

Ⅴ 北朝鮮核危機(一九九四年)
北朝鮮の核脅威は日本の国内問題
日本独自の朝鮮半島政策が必要
いずれ来る核武装国家・北朝鮮との共存
親北朝鮮内閣の出現は愚挙
社会党と連立した自民党は国を売る気か
日米安保“堅持”ではもうない
米ソの代理戦争を卒業していない日本の政治
米朝合意のリアリズムと日本の対応

Ⅵ 戦後五十年国会謝罪決議
歴史は粘土細工ではない
自社さ連立政権の「謝罪・不戦」決議プロジェクトチームへの私の意見陳述(全文)

Ⅶ オウム真理教
政教分離とは何か――「信教の自由」の日本的誤解
「オウム」を生んだ日本人の精神的不用意
認証制度の不備改正が最重要
なぜ論じぬ、信者の道徳的責任
常識に還れ――オウム裁判「人権派」法律家たちへ
破防法の法的不備露呈
吉本隆明氏の「擁護論」への疑義

Ⅷ 阪神淡路大震災
コリオレイナスの怒り――大震災と自衛隊

Ⅸ 戦争回顧の波紋
救い難いメンタリティ
道徳的責任と政治的責任
歴史の火遊び――「マルコポーロ」と「朝日新聞」
占領軍の呪文
戦争直後に日本の戦争を擁護したあるアメリカ要人
近代戦争史における「日本の孤独」

Ⅹ リベラリズムの限界
韓非子の教訓
宿命を知る
ノーベル賞と文化勲章
西欧に屈した姿勢――大江健三郎のストックホルム講演
論争はすべからく相手の「神」を撃つべし

ⅩⅠ 教育論 再論
大学が招く教育破壊
既存の秩序覆す必要
教育にとって「自由」とは何か
「大学院重点大学」構想に一言
談合体質の排除
細川新政権を糺す――なぜ「教育改革」を言わぬのか

ⅩⅡ 文学論 追加
小林秀雄における歴史認識の問題
非常時と平常心――小林秀雄の場合
戯作 時代性と反時代性

ⅩⅢ 「あとがき」集

追補一 天谷直弘・西尾幹二対談 未来志向か、現実主義か
追補二 松本健一・西尾幹二対談 軍事案件にウロウロした海部政治の余りの脆さ
追補三 片岡鉄哉・西尾幹二対談 揺れるアメリカとの付き合い方
後記

日本人は少しおかしいのでは?

 ときどき日本人はどうしてこんなにおかしい民族なのだろうかと思うことがある。わずか12年前に、今から信じられないあまりに奇怪な言葉が書かれて、本気にされていた事実を次の文章から読み取っていたゞこう。

 最近出たばかりの私の全集第12巻『全体主義の呪い』の576ページ以下である。自分の昔の文章を整理していて発見した。

 この作品は初版から10年後の2003年に『壁の向こうの狂気』と題を変えて改版されたが、そのとき加筆した部分にこの言葉はあった。私もすっかり忘れていたのだった。

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全集第12巻P576より

 北朝鮮の拉致家族五人の帰国は、私たち日本人の「壁」の向こうからの客の到来が示す深刻さをはじめて切実に感じさせました。向こう側の社会はまったく異質なのだという「体制の相違」を、日本人は初めて本格的に突きつけられました。それは相違がよく分っていないナイーヴすぎる人が少なくないということで、かえって国民におやという不可解さと問題を考えさせるきっかけを与えました。

 北朝鮮が他の自由な国と同じ法意識や外交常識をもつという前提で、この国と仲良くして事態の解決を図ろうという楽天的なひとびとが最初いかに多かったかを思い出して下さい。「体制の相違」を一度も考えたことのない素朴なひとびとの無警戒ぶりを一つの意図をもって集め、並べたのは、五人が帰国した10月末から11月にかけての朝日新聞投書欄「声」でした。

「じっくり時間をかけ、両国を自由に往来できるようにして、子供と将来について相談できる環境をつくるのが大切なのではないでしょうか。子どもたちに逆拉致のような苦しみとならぬよう最大限の配慮が約束されて、初めて心から帰国が喜べると思うのですが」(10月24日)
「彼らの日朝間の自由往来を要求してはどうか。来日したい時に来日することができれば、何回か日朝間を往復するうちにどちらを生活の本拠にするかを判断できるだろう」(同25日)

 そもそもこういうことが簡単に出来ない相手国だから苦労しているのではないでしょうか。日本政府が五人をもう北朝鮮には戻さないと決定した件についても、次のようなオピニオンがのっていました。

「24年の歳月で築かれた人間関係や友情を、考える間もなく突然捨てるのである。いくら故郷への帰国であれ大きな衝撃に違いない」(同26日)

「ご家族を思った時、乱暴な処置ではないでしょうか。また、北朝鮮に行かせてあげて、連日の報道疲れを休め、ご家族で話し合う時間を持っていただいてもよいと思います」(同27日)

 ことに次の一文を読んだときに、現実からのあまりの外れ方にわが目を疑う思いでした。

「今回の政府の決定は、本人の意向を踏まえたものと言えず、明白な憲法違反だからである。・・・・・憲法22条は『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない』と明記している。・・・・・拉致被害者にも、この居住の自由が保障されるべきことは言うまでもない。それを『政府方針』の名の下に、勝手に奪うことがどうして許されるのか」(同29日)

 常識ある読者は朝日新聞がなぜこんなわざとらしい投書を相次いでのせるのか不思議に思い、次第に腹が立ってくるでしょう。あの国に通用しない内容であることは新聞社側は百も知っているはずであります。承知でレベル以下の幼い空論、編集者の作文かと疑わせる文章を毎日のようにのせ続けていました。

 そこに新聞社の下心があります。やがて被害者の親子離れが問題となり、世論が割れた頃合いを見計らって、投書の内容は社説となり、北朝鮮政府を同情的に理解する社論が展開されるという手筈になるのでしょう。朝日新聞が再三やってきたことでした。

 何かというと日本の植民地統治時代の罪をもち出し、拉致の犯罪性を薄めようとするのも同紙のほぼ常套のやり方でした。

 鎖国状態になっている「全体主義国家」というものの実態について、かなりの知識が届けられているはずなのに、いったいどうしてこれほどまでに人を食ったような言論がわが国では堂々と罷り通っているのでしょうか。誤認の拉致被害者をいったん北朝鮮に戻すのが正しい対応だという意見は、朝日の「声」だけでなく、マスコミの至る処に存在しました。

「どこでどのように生きるかを選ぶのは本人であって、それを自由に選べ、また変更できる状況を作り出すことこそ大事なのでは」(「毎日新聞」)12月1日)

 と書いているのは作家の高樹のぶ子氏でした。彼女は「被害者を二カ月に一度日本に帰国させる約束をとりつけよ」などと相手をまるでフランスかイギリスのような国と思っている能天気は発言をぶちあげてます。

 彼女は「北朝鮮から『約束を破った』と言われる一連のやり方には納得がいかない」と、拉致という犯罪国の言い分を認め、五人を戻さないことで
「外から見た日本はまことに情緒的で傲慢、信用ならない子供に見えるに違いない」とまでのおっしゃりようであります。

 この最後の一文に毎日新聞編集委員の岸井成格氏が感動し(「毎日新聞」12月3日)、一日朝TBS系テレビで「被害者五人をいったん北朝鮮に戻すべきです」と持論を主張してきたと報告し、同席の大宅映子さんが「私もそう思う」と同調したそうです。同じ発言は評論家の木元教子さん(「読売新聞」10月31日)にもあり、民主党の石井一副代表も「日本政府のやり方は間違っている。私なら『一度帰り、一か月後に家族全部を連れて帰ってこい』という」(「産経新聞」11月21日)とまるであの国が何でも許してくれる自由の国であるかのような言い方をなさっている。

 いったいどうしてこんな言い方があちこちで罷り通っているのでしょう。五人と子供たちを切り離したのは日本政府の決定だという誤解が以上みてきた一定方向のマスコミを蔽っています。

 「体制の相違」という初歩的認識を彼らにもう一度しっかりかみしめてもらいたい。

 日本を知り、北朝鮮を外から見てしまった五人は、もはや元の北朝鮮公民ではありません。北へ戻れば、二度と日本へ帰れないでしょう。強制収容所へ入れられるかもしれません。過酷な運命が待っていましょう。そのことを一番知って恐怖しているのは、ほかならぬ彼ら五人だという明白な証拠があります。彼らは帰国後、北へすぐ戻る素振りをみせていました。政治的に用心深い安全な発言を繰り返していたのはそのためです。二歩の政府はひょっとすると自分たちを助けないかもしれない、とずっと考えていたふしがあります。北へ送還するかもしれないとの不安に怯えていたからなのです。

 日本政府が永住帰国を決定した前後から、五人は「もう北へ戻りたくない」「日本で家族と会いたい」と言い出すようになりました。安心したからです。日本政府が無理に言わせているからではありません。政府決定でようやく不安が消えたからなのでした。これが「全体主義国家」とわれわれの側にある普通の国との間の「埋められぬ断層」の心理現象です。

引用終わり
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 いかがであろう。読者の皆様には多分びっくりされたであろう。

 「朝日」や「毎日」がおかしいというのは確かだが、それだけではない。日本人はおかしいとも思うだろう。

 これらの言葉を私はむろん否定的に扱っているが、まともに付き合って書いている。狂気扱いはしていない。これらが流通していた世の中の現実感覚を私も前提にしている。間違った内容だと言っているが、気違いだとは言っていない。しかし今からみれば、私だけではない、「朝日」の読者だって自分たちが作っていた言葉の世界は精神的に正気ではない世界だったと考えるだろう。

 日本人はやはりどこか本当に狂っているのだろうか。

少し寒くなりましたね。

 少し寒くなりましたね。皆さんはいかがですか。

 9月26日の私の講演「昭和のダイナミズム」の内容を上手にまとめて下さり、加えて、ご自身の歴史の見方をご披露くださった阿由葉秀峰さん、ご苦労様でした。ことに最後に「歴史とは何か」に関する短文を拙著の各所から拾い出して並べて下さいましたこと――良く読み込んでいるなァ、と感服しました。どうもありがとうございました。

 さて、私の最近の心配は脚力の衰えてきたことです。犬の散歩ぐらいでは足りません。ことにうちの犬は怠け者で、事を済ますと、すぐ「帰る」と言ってきかないのです。

 私は毎日一、二時間早足で歩行することが必要なのですが、仕事の時間にくいこむので忙しくなるとつい外出歩行を止めてしまいます。雨など降って三日くらい外出しないでいると、自分の脚のようでなく、身体が前へ出て脚がついて来ないという状態になります。何とかして歩行の時間を確保しなくてはなりません。深刻な悩みです。

 三つの課題に責められています。(一)全集のための資料蒐集・整理・配列、校正、後記(自己解説)執筆。(二)『正論』連載(現在15回)。(三)『GHQ焚書図書開封』(現在11巻)のためのテレビ録画、そのための研究と準備。以上三つの課題のために他の一般の仕事が出来なくなっています。健康維持に回す時間をこの中でどう確保するかが今の私の毎日の「戦い」の内容です。

 全集第12巻『全体主義の呪い』(第13回配本)が間もなく刊行されます。目次をお目にかけます。

   目 次

序に代えて ドイツよ、日本の「戦後処理」を見習え

Ⅰ 全体主義の呪い―――東西ヨーロッパの最前線に見る

前編 罪と罰
 第一章 プラハのサロン「黒い馬」にて
 第二章 国立哲学研究所でのディベート
 第三章 「地下出版物」編集者の確信
 第四章 個人の責任はどこまで問えるか
 第五章 恐怖の遺産
 第六章 ドイツーー魔女狩りのページェント
 第七章 人間の罪は区別できるか
後編 自由の恐怖
 第八章 ワルシャワの自由の誇り
 第九章 埋められぬ断層
 第十章 病者の特権
 終 章 嗚呼いずこに行く薄明の未来
あとがき

Ⅱ 異なる悲劇 日本とドイツ

 ヴァイツゼッカ―前ドイツ大統領謝罪演説の欺瞞
 英米からみた日本の謝罪問題
 ヴァイツゼッカ―来日演説に見る新たなる欺瞞(その一)
 ヴァイツゼッカ―来日演説に見る新たなる欺瞞(その二)
 『異なる悲劇 日本とドイツ』がもたらした政治効果とマスコミへの影響―私の自己検証
 ドイツの終戦記念日
 「全体主義と戦争」再考―毎日新聞インタビュー
 欧州戦争と異なる日米戦争の背景

Ⅲ 旧共産主義地域への和解と支援が引き起こす地球上の亀裂

 コール独首相のしたたかさ
 日独共通課題論の誤り
 冷戦後の「戦争と平和」考
 統一ドイツの行方――われわれが初めて出合ったドイツの悪意

Ⅳ 『全体主義の呪い』の改訂版『壁の向こうの狂気』より

 前奏曲(プレリュード)――90年代の日本と世界
 間奏曲(インテルメツツオ)――北朝鮮、イラク、そして中国という新しい脅威
 終 曲(フィナーレ)――「拉致」と「核」で試される日本人の智恵と勇気

追補一 恐るべき真実を言葉にする運命 坂本多加雄
追補二 辻井喬・西尾幹二対談 歴史の終結 歴史の開始
追補三 江藤淳・西尾幹二対談 新・全体主義が日本を呪縛する

後記

全集新内容見本(四)

推薦文より

 内容見本の文字が読みにくいとの指摘があったので、以下に表示しました。(管理人)

澁澤龍彦氏―「不自由への情熱――三島文学の孤独」
  三島さんの自決の問題が謎みたいに言われているけれども、これはぼくに言わせれば、世間で受け取られている常識的見解に反して、意外に単純な問題なんです。深いけれども単純なこと、おそろしいほど単純なことですね。ずばりと言えば、まさに「ニヒリズムとラディカリズムの問題で、それ以上でもそれ以下でもない。(中略)左翼の中にも三島さんの共鳴者が多くいるのは、当たり前のことでしょう。随分色んな人が三島論を書きましたが、このことをはっきり問題の焦点として見据えた人は、ぼくの知っている限りでは西尾幹二さんだけだったようです。この人は三島文学の愛好者でもないし、まことに穏健な思想の持主らしいんですけれども、ふしぎなこともあればあるもので、少なくとも問題の核心をつかんでいましたね。ぼくは敬服したおぼえがあります。
(「日本読売新聞」昭和46年12月20日)

中島義道氏――「西尾さんについて」
 西尾さんは真面目な人であり、正攻法が好きな人である。姑息な手段で勝つことを最も嫌った人である。西尾さんは、失点がないというだけの利点しかない人を嫌った。みずからを危険な場に晒さないで、安全無害なことばかり語る学者たち、裏で取り引きする人々を嫌った。つまり、人間としての「小ささ」を嫌った。これは、そのままニーチェの人間観に繫がる。……西尾さんは、みずから正しいと信ずることを、身体を張って主張し、一歩も譲ることがない。それはある(賢い)人々には愚直にも見えるであろうが、私にはこれが先生の一番好きなところだ。
(西尾幹二全集第6巻「月報」より)

梅原猛氏――『ヨーロッパの個人主義』書評より
 ここで西尾氏は、何よりも空想的な理念で動かされている日本社会の危険の警告者として登場する。病的にふくれ上った美しい理念の幻想が、今や日本に大きな危険を与えようとする。西尾氏の複眼は、こうした幻想から自由になることを命じる。(中略)西尾氏は、戦後の日本を支配した多くの思想家とちがって、何気ない言葉でつつましやかに新しい真理を語ることを好むようである。どうやらわれわれは、ここに一人の新しい思想家の登場を見ることができたようである。
(「潮」昭和44年4月号)

三島由紀夫氏――『ヨーロッパ像の転換』推薦の辞より
 西尾幹二氏は、西洋と日本との間に永遠にあこがれを以て漂流する古い型の日本知識人を脱却して、西洋の魂を、その深みから、その泥沼から、その血みどろの闇から、つかみ出すことに毫も躊躇しない、新しい日本人の代表である。西洋を知る、とはどういふことか、それこそは日本を知る捷径ではないか、……それは明治以来の日本知識人の問題意識の類型だったが、今こそ氏は「知る」といふ人間の機能の最深奥に疑惑の錘を垂らすことも怖れない勇気を以て、西洋へ乗り込んだのだった。これは精神の新鮮な冒険の書であり、日本人によってはじめて正当に書かれた「ペルシア人の手紙」なのである。

坂本多加雄氏――(政治学者)
著者の言論人としての活動を導いているものは何か。それは、おそらく、「なにものかに動かされたかのごとく、当時の世人の意に逆らう恐るべき真実を次々と言葉にするしかなかった『運命』」であろう。これは、著者自身がマキャヴェリと韓非を論じた文章の一節にみられる言葉である。本書は、そうした著者、西尾氏の「運命」から紡ぎだされた貴重な一冊に他ならない。
「異なる悲劇 日本とドイツ」(文春文庫 解説より)

草柳大蔵氏――(評論家)
 私は西尾幹二さんという学者が好きだ。『ヨーロッパの個人主義』以来の愛読者の一人である。自己顕示か、さもなくば八方美人が群居している日本の論壇の中で、この人だけは自分にも大衆にも顔をむけず、「現実」に顔をむけている。恐るべき数の「現実」から真実を読み取り、それを適切な言語にかえて論文を書き、メディアでの発言を続けている。その知的エネルギーはたいへんなもので、西尾さんの著書を読みはじめると、まるで超特急の列車に乗ったかのように、思考の途中下車ができなくなってしまう。
『「労働鎖国」のすすめ』(光文社 推薦の辞より)

坂本忠雄氏――(元「新潮」編集長)
 「新潮」は戦前は文壇雑誌そのものだったが、戦後の再出発に当たって昭和21年の坂口安吾「堕落論」を皮切りに、文学を詩・小説・文芸評論の枠から広げ、文学の文章によってその時代の文化の精髄を読者に伝える役割も果たしてきた。西尾さんが敬愛する小林秀雄、福田恆存、田中美知太郎、竹山道雄等の後を引継ぎ、この新しい領域を次々に切り拓いたことを、私は同世代の編集者として心から感謝している。
(西尾幹二全集第9巻「月報」より)

全集新内容見本(三)

第16巻 沈黙する歴史
◆世界戦争を悲劇的にしたリンカーンの正義の戦争観
◆米国は日本攻略を策定していた
◆焚書、このGHQの思想的犯罪
◆全千島列島が日本領
 歴史には沈黙している部分がある。沈黙しつつ声を発している。簡単には言葉にならないが、外から言葉を与えられると不服従を示す。敗者にも正義の思いがある。先の大戦の歴史は日本人にとって自尊心の試練の物語である。

第17巻 歴史教科書問題集成
◆ついに証明された日韓政治決着の悪質さ
◆売国官庁外務省の検定不合格工作事件
◆公立図書館の焚書事件、最高裁で勝訴
◆受験生が裁判所に訴え出た大学入試センター試験日本史の問題
 著者は「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長として中国韓国、外務省、左翼テロ集団の妨害工作と戦い、教科書記述から採択まで運動を牽引した。その全発言を集成。「つくる会」の目指したのは常識の確立にすぎないと語る。

第18巻 決定版 国民の歴史
◆大型付録二、参考文献一覧ほか
 日本の歴史は中国や西洋から見た世界史の中ではなく、どこまでも日本から見た世界史の中に位置づけられた日本史でなくてはいけない。その信念から書かれた日本通史の試みで、72万部のベストセラーとなった。

第19巻 日本の根本問題
◆歴史と自然、歴史と科学、言語と神話
◆皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます
 古代日本人の霊魂観を縄文の森の生態系の中に求める著者は、古代史の扱い方への疑問や危機に立つ神話を論じ、現代の皇室の苦悩と困難についても発言してきた。憲法前文私案、憲法をめぐる参議院での意見陳述等を付す。

第20巻 江戸のダイナミズム
◆本居宣長が言挙げした日本人のおおらかな魂
◆中国神話世界への異なる姿勢
 ―新井白石と荻生徂徠
◆転回点としての孔子とソクラテス 
 地球上で歴史意識を有するのは地中海域、支那大陸、日本列島の三つで、西洋古典文献学、清朝考証学、江戸の儒学・国学は、古代を近代に取り戻す言語文化ルネサンスで、古い神の廃絶と新しい神の創造を目指す精神運動だった。

第21巻 真贋の洞察
◆自由の涯には破壊しかない
◆日米軍事同盟と米中経済同盟の衝突
◆中国の米国化、米国の中国化
◆日米は中国に阿片戦争を仕掛けた?
 保守は人間の生き方であって概念ではない。政治的な左右の対立にも関係がない。ニューヨーク同時多発テロから中国の台頭、世界の金融危機、グローバリズム、揺らぐ主権国家の中で何が真贋か、迷いを絶つ道を説く。

第22巻 日本人のスピリットの復活
◆天皇と原爆
◆戦争史観の転換―五百年史試論
 米国に封印されている日本はこのままいけば「戦後百年」というおかしなことになる。平和と繁栄の中で少子化、親子殺人、格差増大、内向きの政治外交力の低迷が続く。先の大戦は「宗教戦争」であったという認識の修正が必要だ。

以下の文字が小さいため、以上の内容見本を掲示しました。

shinmihon51.jpg

全集新内容見本(二)

第8巻 教育文明論
◆『日本の教育 ドイツの教育』
◆講演 日本の教育の平等と効率
◆『教育と自由』
著者の教育哲学のすべてがここにある。日独学校比較、中曽根臨教審批判、中央教育審議会委員としての中間報告から大学改革論までを総括し、少年期からの体験を踏まえ、教育の光と影を学究的に明らかにした渾身の一冊である。

第9巻 文学評論
◆老成と潔癖―現代小説を読む
◆オウム真理教と現代文明―ハイデッガー
 「退屈論」とドストエフスキー『悪霊』などを鏡に
◆作家論・高井有一/柏原兵三/小川国夫/上田三四二/綱淵謙錠/手塚富雄/江藤淳/石原慎太郎
◎ 追補 桶谷秀昭/江藤淳・西尾幹二対談
『平家物語』の世界、『徒然草』断章形式の意味するもの、人生批評としての戯作、本居宣長の問い、明治初期の日本語と現代における「言文不一致」、漱石『明暗』の結末、芥川龍之介小論、ほか現代作家論、文芸時評等、第2巻以外の文学論を一括した。

第10巻 ヨーロッパとの対決
◆異文化を体験するとは何か/漱石の文明論と現代/横光利一『旅愁』再考
◆戦略的「鎖国」論
◆講演 知恵の凋落
◎追補 入江隆則/西部邁・西尾幹二対談
 世界に中心軸はなく西欧は閉鎖社会であるのに、西欧の尺度が国際社会を圧倒している不健全に対し、著者はドイツの講演会で近代日本の真価を訴え、パリ国際円卓会議で論争し、シュミット元独首相の政治的偏見にも挑戦した。

第11巻 自由の悲劇
◆フランス革命観の訂正
◆ロシア革命、この大いなる無駄の罪と罰
◆ソ連消滅―動き出す世界再編成と日本
◆ギュンター・グラスと大江健三郎の錯覚
◆『自由の悲劇』
◆『「労働鎖国」のすすめ』
 共産主義の終焉は自由の勝利のはずだが、そこに自由の「悲劇」を見た著者は、現代世界の民族宗教対立を洞察し、わが国への移民導入の危険をいち早く予言した。ロシア革命の無意味化はフランス革命観を変え、近代の意味を変えた。

第12巻 全体主義の呪い
◆『全体主義の呪い』
◆ヴァイツゼッカー独大統領謝罪演説の欺瞞
◆『異なる悲劇 日本とドイツ』がもたらした政治効果とマスコミへの影響
 ベルリンの壁崩壊後のチェコ、ポーランド、東独で哲学者や言論知識人と「自由」をめぐる徹底討論を交わした。それを踏まえてヴァイツゼッカー独大統領の謝罪演説の欺瞞を突いた「異なる悲劇 日本とドイツ」は大きな反響を呼んだ。

第13巻 日本の孤独
◆“あの戦争”を他人事のように語るな
◆近代戦争史における「日本の孤独」
◆ニュルンベルク裁判の被告席に立たされたアメリカ
 日米構造協議や湾岸戦争処理における米国の圧力、敗戦に呪縛され続ける日本人。著者は米国を他者として突き離すことを訴え、欧州戦線とは異なる日米戦争の背景を探り、近代戦争史における日本の孤独を覚悟せよと説く。

第14巻 人生論集
◆『人生の深淵について』
◆『人生の価値について』
◆『人生の自由と宿命について』
◆『男子、一生の問題』
評論家の小浜逸郎氏曰く「西尾はモンテーニュやパスカル、ラ・ロシュフコー、キルケゴール、小林秀雄、福田恆存等のモラリストの系譜に連なる人間観察力、心理洞察力を持つ倫理思想家」。人生の価値、自由・宿命について他。

第15巻 私の昭和史
◆『わたしの昭和史』二分冊
 西尾幹二の少年記二分冊。学齢前の日米開戦、学童疎開、艦砲射撃から逃れて山奥への再疎開、美しい田園生活、詩や小説を書く自我の目覚め、終戦、マッカーサーの日本への懐疑、抑留帰国者がソ連万歳を叫ぶのを見ての14歳の懐疑。初恋。

全集新内容見本(一)

第1巻 ヨーロッパの個人主義
◆『ヨーロッパ像の転換』
◆『ヨーロッパの個人主義』
◎追補 竹山道雄・西尾幹二対談
 西尾幹二の思想形成の出発点は三つある。その第一が『ヨーロッパ像の転換』『ヨーロッパの個人主義』という西欧文明体験記で、留学記録ではなく、西欧の深さに感動し、同時に日本を確認し、日本の立場を主張する自知の書。

第2巻 悲劇人の姿勢
◆アフォリズムの美学
◆文学の宿命
 ―現代日本文学にみる終末意識
◆不自由への情熱―三島文学の孤独
◆行為する思索―小林秀雄再論
◎追補 福田恆存・西尾幹二対談
 西尾の思想形成の出発点の二番目は文学評論である。処女作「小林秀雄」、「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」、「三島由紀夫の死と私」等、悲劇人と見立てた三者の評文を第2巻に集中した。三者の価値の尺度は「真贋」である。

第3巻 懐疑の精神
◆ヒットラー後遺症/政治の原理 文化の原理/自由という悪魔
◆老成した時代
◆観客の名において―私の演劇時評
◎追補 今道友信・西尾幹二対談
 思想形成の第三の出発点は懸賞論文「私の戦後観」から始まった時代批判である。60年代末の大学紛争と青年の反乱への徹底批判、70年代の無気力、成熟と老成という逃避への懐疑、情報化社会への懐疑、比較文化論への懐疑。知性を欠く知能への懐疑。

第4巻 ニーチェ
◆第一部・第二部全一巻
◎追補 渡辺二郎・西尾幹二対談
 著者の不朽の名作『ニーチェ』の完全本。観念的哲学論ではなく、ニヒリズムを具体的に生きた一人の人間像をニヒリズムの語を使わずに描出した「評伝文学の魅力に溢れた傑作」(斎藤忍随氏)である。資料広汎で学問的にも完備。

第5巻 光と断崖―最晩年のニーチェ
◆光と断崖
◆ドイツにおける同時代のニーチェ像
◆ニーチェ『この人を見よ』西尾訳
 第4巻『ニーチェ』の続編。最晩年に仏教に心を傾けたニーチェの謎、キリスト教の信仰が隠していた闇は露呈し、光と闇の対立のない遠い異世界のアジアに彼は何を見ていたか。『権力への意志』は幻であった。他にも未刊行の重要作品収録。

第6巻 ショーペンハウアーとドイツ思想
◆ショーペンハウアーの思想と人間像
◆ショーペンハウアーの現代性
◆ショーペンハウアーと明治の知性
◆ニヒリズムとしてのドイツ思想の展開
―カントからニーチェまで
◆北方的ロマン性
 ―ドイツ的根源性の原型
◆ドイツの言語文化
◆私の翻訳論
◎追補 斎藤忍随・西尾幹二対談
 「ヨーロッパにおける歴史主義と反歴史主義」という別系列の論文と、愛読者の多い『ニーチェとの対話』がここに収録された。ショーペンハウアーの主著『意志と表象としての世界』の全訳は著者の業績。ここには抄録のみ。

第7巻 ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅
◆『ソ連知識人との対話』
◆ソルジェニーツィン氏への手紙
 ―貴方は自由をどう考えているか
◆ドイツの大学教授銓衡法を顧みて/ドイツの家/技術観の比較―日本とドイツ
◎ 追補 内村剛介/岩村忍・西尾幹二対談
「真の自由には悪をなす自由も怠惰である自由も含まれている」は、ソ連に具現化した全体主義社会への著者の批判の要諦である。本巻は1977年のロシア、80年代のドイツを歩いた小説風紀行文で、読み易く面白い。