全集第21巻B「天皇と原爆」の刊行

この全集目次の下に「水のかき消える滝」という随筆を掲載しています。

ようやく全集の第21巻Bが出来上がりました。
今月二十日発売です。値段は7800円+税
「坦々塾」とともに、の中に塾生の文章もあり、
写真も何枚かあり、面白い読み物となっています。

以下に目次を表示します。

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目 次

序に代えて 米国覇権と「東京裁判史観」が崩れ去るとき


Ⅰ 現代世界史放談
広角レンズを通せば歴史は万華鏡(二〇一六年)
イスラムと中国、「近代」を蹂躙する二大魔圏(二〇一六年)
世界の「韓国化」とトランプの逆襲(二〇一七年)

Ⅱ 変化する多面体アメリカにどう対するか
アメリカへの複眼(二〇〇三年)
真珠湾攻撃七十年の意味(二〇一一年)
百年続いたアメリカ独自の世界システム支配の正体(二〇一二年)
アメリカよ、恥を知れーー外国特派員協会で慰安婦問題を語る(二〇一三年)
不可解な国アメリカ(二〇一〇年)
「反米論」に走らずアメリカの「慎重さ」を理解したい(二〇一四年)
アメリカの政治意志「北朝鮮人権法」に見る正義(二〇〇四年)
ありがとうアメリカ、さようならアメリカ(二〇一二年)
「なぜわれわれはアメリカと戦争をしたのか」ではなく、「なぜアメリカは日本と戦争をしたのか」を問うてこそ見えてくる歴史の真実(二〇一一年)
日本はアメリカに何をどの程度依存しているのか(二〇一六年)

Ⅲ 朝鮮半島とオーストラリア
朝鮮は日本とはまったく異なる宗教社会である(二〇〇三年)
『日韓大討論』余聞(二〇〇三年)
金完燮氏の予期せぬ素顔(二〇〇三年)
石原慎太郎氏の発言に寄せて(二〇〇三年)
竹島・尖閣――領土問題の新局面(二〇〇四年)
韓国人はガリバーの小人(二〇〇五年)
「十七歳の狂気」韓国(二〇一四年)
韓国との交渉は「国交断絶」の覚悟で臨め――世界文化遺産でまた煮え湯(二〇一五年)
世界にうずまく「恨」の不気味さ(二〇一六年)

オーストラリア史管見

Ⅳ 二十一世紀の幕開け――世界の金融危機と中国の台頭
日本とアメリカは共産主義中国に「アヘン戦争」を仕掛けている――本来中国は「鎖国」文明である(二〇〇七年)
金融カオスの起源――ニクソンショックとベルリンの壁の崩落(二〇〇八年)
アメリカの「中国化」中国の「アメリカ化」(二〇〇八年)
金融は軍事以上の軍事なり――米中は日本の「自由」を奪えるか(二〇〇八年)

Ⅴ あの戦争はどうしたら日本の本当の歴史になるのか 
政府は何に怯えて空幕長(田母神俊雄氏)の正論を封じたか(二〇〇九年)
米国覇権と「東京裁判史観」が崩れ去るとき(二〇〇九年・本巻「序に代えて」に掲載)
アメリカ占領軍が消し去った歴史(二〇〇九年)
しつこく浮上する半藤一利氏の『昭和史』を討つ(二〇〇九年)
共同討議の書『自ら歴史を貶める日本人』(福地惇・柏原竜一・福井雄三・西尾幹二共著)の序文(二〇一二年)
旧敵国の立場から自国の歴史を書く現代日本の歴史家たち(二〇一二年)
戦後日本は「太平洋戦争」という名の新しい戦争を仕掛けられている(二〇一〇年)
「世界でも最も道義的で公明だといわれる日本民族を信じる」(フランス紙)――日本が列強の一つであった時代に(二〇〇九年)
日本的王権の由来と「和」と「まこと」――『國體の本義』(昭和十二年)の光と影(二〇〇九年)

Ⅵ 天皇と原爆
第一回  マルクス主義的歴史観の残骸
第二回  すり替った善玉・悪玉説
第三回  半藤一利『昭和史』の単純構造
第四回  アメリカの敵はイギリスだった
第五回  アメリカはなぜ日本と戦争をしたのか
第六回  日本は「侵略」国家ではない
第七回  アメリカの突然変異
第八回  アメリカの「闇の宗教」
第九回  西部開拓の正当化とソ連との未来の共有
第十回  第一次大戦直後に第二次大戦の裁きのレールは敷かれていた
第十一回 歴史の肯定
第十二回 神のもとにある国・アメリカ
第十三回 じつは日本も「神の国」
第十四回 政教分離の真相
第十五回 世界史だった日本史
第十六回 「日本国改正憲法」前文私案
第十七回 仏教と儒教にからめ取られる神道
第十八回 仏像となった天照大御神
第十九回 皇室への恐怖と原爆投下
第二十回 神聖化された「膨張するアメリカ」
第二十一回 和辻哲郎「アメリカの國民性」
第二十二回 儒学から水戸光圀『大日本史』へ
第二十三回 後期水戸学の確立
第二十四回 ペリー来航と正気の歌
第二十五回 歴史の運命を知れ
単行本版あとがき
付録 帝國政府聲明(昭和十六年十二月8日午後零時二十分)

Ⅶアメリカと中国はどう日本を「侵略」するのか

まえがき
〔年表〕 欧米ソ列強の地球侵略史
第一章 米中に告ぐ!あなた方が「侵略者」ではないか
第二章 中国人の「性質」は戦前とちっとも変わっていない
第三章 「失態」を繰り返すアメリカに、大いに物申すとき
第四章 十六世紀から日本は狙われていた!
第五章 「日米戦争」はなぜ起こったのか?
第六章 敢えて言おう、日本はあの戦争で「目的」を果たした!
第七章 アメリカの可笑しさ、自らの「ナショナリズム」を「グローバリズム」と称する
あとがき

Ⅷ 歴史へのひとつの正眼
仲小路彰論(二〇二〇年)
仲小路彰がみたスペイン内戦からシナ事変への潮流(二〇一一年)
『第二次大戦前夜史 一九三七』の解説

追補一 秦邦彦VS西尾幹二――田母神俊雄=真贋論争
追補二 秦・西尾論争の意味     柏原竜一
追補三 『天皇と原爆』論      渡辺 望
追補四 『少年記』のダイナミズム  水島達二
追補五 「坦々塾」とともに

目次
西尾幹二  「九段下会議」から「坦々塾」へ
西尾幹二  怪異なるかな牛久大佛
小川楊司  「山野辺の道」の途上にて
阿由葉秀峰 『少年記』の故地を訪ねてー浦島太郎の錯覚と眩暈
伊藤悠可  四万温泉の落とし物
中村敏幸  「荻外荘公園」にて新緑を愛でた想い出
長谷川真美 「西尾幹二のインターネット日録」の歴史
松山久幸  書棚の中の初版本
「坦々塾」の記録―招かれた講師と演題

後記

西尾幹二全集19巻「日本の根本問題」目次

序に代えて 「かのようにの哲学」が示す知恵

Ⅰ 歴史と科学
『歴史と科学』(二〇〇一年十月刊)

第一章
歴史と自然
1日本文化の背後にある縄文文化
2原理主義を欠く原理を持つ日本人
3森の生態系の中で熟成した自然観
4世界四大文明に匹敵する「縄文土器文明」
5インドの叡智に魅了された「森の住人」たち
6原罪としての自然科学

第二章
歴史と科学
1科学と「人間的あいまいさ」の関係
2自然科学は現代人の神である
3科学は発展したが「真理」からは遠ざかった
4科学から歴史を守れ

第三章
古代史の扱い方への疑問
1砂漠の文化の基準で森の文化は測れない
2歴史学は科学に偏りすぎてはいけない
3 「二重構造モデル」の重大な過誤
4大陸文化と対峙する日本文化
5歴史は知的構築物にほかならない

あとがき
参考文献

Ⅱ 神話と歴史
「自己本位」の世界像を描けない日本人
危機に立つ神話
森首相「神の国」発言から根本問題を考える
古代日本は国家であり文明圏でもあった
大陸とは縁の遠い日本文明
知識思想世界のパラダイム

Ⅲ 憲法について
改正新憲法 前文私案
「改憲論」への深い絶望――参議院憲法調査会における参考人意見陳述
このままでは「化け猫」が出てくる

Ⅳ ご皇室の困難と苦悩
1 皇位継承問題を考える
  一 皇室の「敵」を先に念頭に置け
  二  「かのようにの哲学」が示す知恵(二〇〇六年四月・本巻「序に代えて」に掲載)

2 『皇太子さまへの御忠言』(二〇〇八年九月刊)
まえがき
第一章 敢えて御忠言申し上げます
第二章 根底にあるのは日本人の宗教観
第三章 天皇は国民共同体の中心
第四章 昭和天皇と日本の歴史の連続性
「WiLL」連載で言い残したこと――あとがきに代えて
主要参考文献

3  「弱いアメリカ」と「皇室の危機」
「弱いアメリカ」と「皇室の危機」(二〇〇九年)
危機に立つ日本の保守
『「権力の不在」は国を滅ぼす』の「あとがき」(二〇〇九年)
天皇陛下はご心痛をお洩らしになった(二〇〇八年十二月)

4 皇族にとって「自由」とは何か
「雅子妃問題」の核心――ご病気の正体(二〇一一年)
背後にいる小和田恆氏(二〇一二年)
正田家と小和田家は皇室といかに向き合ったか(二〇一二年)
天皇陛下に「御聖断」を(二〇一二年)
おびやかされる皇太子殿下の無垢なる魂(二〇一三年)
皇后陛下讃(二〇〇九年)

5 今上陛下と政治
歴史が痛い! (二〇一七年十月、ブログ発信)
沈黙する保守 取りすがるリベラル――インタビュー記事
陛下、あまねく国民に平安をお与えください――あの戦争は何であったのかを問い続けて――二〇一八年十二月十三日(靖國神社創立一五〇年 英霊と天皇御親拝)――
日本人は自立した国の姿を取り戻せ(二〇一九年三月一日)

6 令和時代がはじまるに当って
回転する独楽の動かぬ心棒に――新しい天皇陛下に申し上げたいこと(二〇一九年三月一日)

Ⅴ 日本人は何に躓いていたのか(二〇〇四年十一月刊)
序章 日本人が忘れていた自信
第一章 外交――日本への悪意を知る
第二章 防衛――冬眠からの目覚め
第三章 歴史――あくまで自己を主軸に
第四章 教育――本当の自由とは何か
第五章 社会――羞恥心を取り戻す
第六章 政治――広く人材を野に拾う
第七章 経済――お手本を外国に求めない

追補一
平田文昭・西尾幹二対談 保守の怒り(抄)
追補二
竹田恒泰・西尾幹二対談 女系天皇容認の古代史学者田中卓氏の神話観を疑う
追補三
国の壊れる音を聴け――西尾幹二論  加藤康男

後記

2018年末から2019年初にかけて思うこと

 何を言っても、何を仕掛けても、この国の国民はもう反応する動きを見せない。私は今年も幾つもの石を投げ入れてみたが、国民の心は小波ひとつ絶たない泥沼のように静まり返っている。

 私は沼のほとりに今立って、思い切ってもう一回大きな石を投げてみようかと思ったが、もう止めた。私の真似をして沼に石を投げ入れている人を最近はときどき見掛けるようになったが、彼らも物音の大きい割に、深い処に波浪を引き起こすことはできていない。

 この国の国民はもう過去のことも未来のことも気に掛けなくなった。いま現在が幸せであれば、すなわち平穏無事であればそれで良いのである。

 普通はそれに反発するのが若者というものである。しかしこの国の若者は冬に入ってもスキーに行かない。車に興味がない。外国に行きたがらない。留学とか外国体験とかはもう遠い昔の人の人生記録に出てくる死語と化している。外国に行ってみたい気はあるが、新婚旅行で行けばいいや、と思って、それ以上は考えない。

 けれども本心は結婚もしたくない。男も女もこれから何十年かにわたって見ず知らずの一人の異性の運命と向き合って生きて行くのかと思うと気が重く、そこまでしないでもいいだろう、と他人ごとのように冷淡である。

 この国の若者はこの国のことも考えない。この国の未来を考えていら立つ人を見かけると、何と愚かな人かと思うだけで、何の感興も持たない。

 自分たちの給与は世界的にレベル以下だといわれるけれど、親の家に行くと冷蔵庫に物はいっぱい入っているし、親のいない人でもコンビニという「親の家」があって、不平さえ言わなければ、生きて行くのに不足はない。

 彼らを働かせる方法を考え出すのが政府の責任だが、政府は教育無償化などと言って何もしない若者の何もしたくない感情をますます拡大することに手を貸そうとしている。

 この国の若者はこの国を良い国だと思っている。世界一かどうかは分らないが、ネット情報で伝え聞く外国はどこもこの国より暮らしにくそうである。行ってみる気にもならないし、学ぶことなどなさそうである。政府はこの国は良い国だとしきりに言っているので、そうだと思っている。

 彼らは真面目で、小心で、信じ易い人々である。疑うことは恐ろしいことである。そんなことはしない方が良いと心底信じ込んでいて、自分の小さなねぐらにもぐり込む。

 そういう若者が中年にさしかかっている今、日本は寂として声のない深い沼に化している。私は沼のほとりに今立って、石を投げ入れようと思ったが、もう止めた。

 私はたくさんの石を投げ入れてきたのだ。すべてはブクブクといって沼の底に沈んだ。

        (二)

 年をとって仕事の能率が悪い。病気になって忙しさの種類が変わった。現象に目をやってそれを切って捨てる仕事はもう飽きた。私がWiLLにもHanadaにも手を出さなくなったことに気がついた人は多いだろう。本当は正論にも手を出すべきではないのだ。現象評論はもう止めたい。

 これが沼のほとりに立ちつくして石をもう投げたくない人間の正直な新しい心境なのである。

 けれども自分に対するこの戒律を自ら破り、スキを作ると、次々と病気以前の昔に立ち戻ってしまう。すべて産經系だが、『正論』に1月号、2月号、別冊正論33号とに顔を出した。新聞のコラム『正論』にも求められるままに何度か書いた。

 この間にインターネット・ジャーナリズムという名の新しい試みに誘われ、やめればよいのに旧知の仲間に引き込まれて、大きな時間を費やした。一応報告だけしておく。

 公開は1月末か2月にかけてで、「文春オンライン」というのに3回顔を出す。同じく2月にダイレクト社・リアルインサイト共同のネット何とか(?)という大型番組で、2回計8時間の「日本通史」を語る。後者は大企画である。

 沼に石を投げ入れ、この国を変えようなどという野心はもうさらさらない。ただこうした仕事をするのは今までの惰性であるのかもしれない。

       (三)

 石を投げ入れても効果のなかったこの国への絶望がいかに深いかは、年末に完成した西尾幹二全集第17巻「歴史教科書問題」の以下にお見せする目次を見ていただくときっと了解されるであろう。

 この一巻の編集業務に一年を要した。全集作成上の関門だった。

 ひとつ丁寧に見ていただきたい。1996‐2006年の間に何が起こったかを、これによりつぶさに思い起こしていただきたい。そしてぜひこの巻を手に取っていただきたい。あの時代に関するみなさまの自己検証のためにもきっとお役に立てる一巻ではないかと思う。

 そして、沼に石を投げる徒労の大きさを知ることで、この国の正体をあらためて本当に知ることにつながるよすがとなるのではないかと考えている。

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西尾幹二全集17巻『歴史教科書問題』

 目 次

序に代えて
めざしたのは常識の確立(二〇〇一年)

第一部
歴史のわからない歴史教科書
『歴史を裁く愚かさ』と『国民の油断』など
Ⅰ 背景と前提(一九九六年)
Ⅱ 問題提起のための藤岡信勝氏との対談本『国民の油断 歴史教科書が危ない !』( 一九九六年)
Ⅲ 起点と出発(一九九六~一九九七年)
Ⅳ 展開と抗議(一九九七年)
Ⅴ 公開討論『新しい日本の歴史が始まる』と『歴史教科書との15年戦争』(一九九七年)

第二部
理念の探究と拡大――『国民の歴史』と『地球日本史』
Ⅰ 理念の模索と探究(一九九〇〜二〇〇一年)
Ⅱ 理念の拡大――日本五百年史の必要(一九九〇~二〇〇五年)

第三部
検定と異常な騒音、『新しい歴史教科書』の誕生
Ⅰ『新しい歴史教科書』の検定(二〇〇〇年)
Ⅱ 市販本『新しい歴史教科書』のベストセラー化(二〇〇一~二〇〇二年)
Ⅲ 教科書採択と東アジアの政治情勢(二〇〇〇~二〇〇一年)

第四部
教科書採択と政治
1 匿名社会の出現と国家の漂流(二〇〇二~二〇〇三年)
Ⅱ 残された傷痕(二〇〇三~二〇〇五年)
Ⅲ 記録
Ⅳ 退任
追補1 西尾先生の努力は確実に実っている  渡辺惣樹
追補2 国民の歴史』を読んで  石 平
追補3 西尾幹二・ショーペンハウアー・ニーチェ  古田博司
後記

阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「四十二」

(6-60)いかなる時代でも、いかなる社会でも、個人の仕事がなにかの新しさを発揮できるとしたら、長期にわたる訓練や修業を積んだあとで、はじめて新しさが可能になるのである。それも努力してやっとわずかばかりの新しさが出せるにすぎない。そういう経験は、今日でもなお実社会を動かしている現実の法則である。日本でも伝統芸能や職人芸はもとより、近代的テクノクラートの職業においてさえも、この法則は決して死んでいない。しかしどういうわけか学校教育だけが、このような法則を避けて通ろうとする。いわく児童や生徒の自主性を育てるという。いわく学生の自由な判断を尊重するという。個性をたいせつに扱うという。しかし結果的に、青少年は無原則、無形式の中で自分を見失い。自己形成の契機をつかめず、かえって古くさい既成の概念にもたれかかり、ステロタイプの枠の中に閉じこめられることが多いのである。

(6-61)個性は決して主張するものでのはなく、意図せずして自然ににじみ出てくるものでなければならないはずである。

(6-62)教育の成果は、求めてただちに得られるものではない。人はそれを長期の研鑚の結果、自然にもつのでなければならない。性急な期待と計算からは、何も生まれてはこないのである。自ら求めるのではなく、静かに成熟の時期を待つべきであって、もしなにかを求めるのだとしたら、人はむしろ罪過と苦痛をこそ求めるべきであろう。すなわち自らに課す掟をこそ求めるべきであろう。

(6-63) タブーというものは社会が自己保全を必要とするときつねに生まれる。

(6-64) 人間は平等だから同じ教育を受けるべきだという風に考えるのではなしに、人間は同じ教育を受けていてもいなくても平等だ、という風に考えることはできないのだろうか。少なくとも近代の人格的平等、法の前での平等は、右のように考えなくてはならない。
 しかしさらに一歩を進め、人間の頭脳・才能・体力・容姿・家系に関し、要するに個体の差異においていったい人間は平等だろうか。というより平等であった方がよいと考えるべきだろうか。もしも個体の差異をできるだけ消し去った平等が具体化していったとしたら、かえってそこに怖るべき事態が出現するのではあるまいか。現実に平等でないことが、人間にはかえって安心であり、生き甲斐にもなる。現実の不平等が、人間の自己教育と自己鍛錬のためのもっとも有効な教師であるのではないだろうか。

(6-65)平等が正しい、競争はいけない、競争意識は権力意識だ、等々、日本人をとらえている固定観念をいったんは壊してみることが必要である。教育の目標は政治的平等の達成とは直接にはなんの関係もないし、むしろ正反対かもしれないのである。今の日本にだって、金儲けと権力主義ばかりが青年の心のすべてを支配しているわけではあるまい。努力し、競争し、自分の精神的成長のみを求めて、必ずしも権力をめざさない青年もいるはずである。私はそういう人が本当のエリートだと思う。

(6-66)民衆はつねに贋(にせ)の自由より、宿命のほうを望む。民衆は自分の覚悟に対して知識人のように虚飾が無く、正直だからである。民衆は役に立たない偽善や当てにならぬ期待よりも、自分の置かれた事態を正確に見る方を好む。宿命を認めてかからないかぎり、幸福への新たな可能性などは存在しないことを知っているからだ。不幸な人間が、不幸な前提などがまるで存在しないかのように、自分にも他人にも言い聞かせ、ごまかしているかぎり、いつまでたっても、彼は自分の手で自分の幸福をつかみとることは出来ないであろう。

(6-67)人間はなにか価値ある行為をするために生きている。しかし福祉は生きるための条件をよくすることであるから、もし福祉を生きる目的とするなら、人間はなにかのために生きるのではなく、生きるために生きるという以上のことは言いがたい。人間にとって何が価値ある行為であるかを考えるのが先決なのに、それを度外視して、条件づくりにばかり精を出しているのが今の文明の状況である。だんだん人間が動物に近づいていく徴候かもしれない、

(6-68)権力をもっている人間は、若干の後ろめたさと当然の感情とがあい半ばする意識をもって権力を行使する。権力をもたない人間は、いっさいの後ろめたさなしで、自分の正義を主張する。しかしそれが権力をもつ人間に対する復讐であり、怨念であり、変形された権力欲であることにはたいていの場合気がつかない。彼らがもしかりに権力を握れば、自分をのみ正しいとする途轍もなく危険な権力者になる可能性が十分考えられるのである。

(6-69) 不運や不幸や悪条件に見舞われた人間こそが、人間の心の内奥を覗き見、自分の弱さと闘う最大の課題を与えられた「選ばれた人」であるといっても過言ではないだろう。ところが福祉運動家は、不幸な人間が世間に対してとかくみせる「甘え」を保護しようとする。それが不幸を救い、悪条件を匡(ただ)す唯一の道だと単純に信じている。しかし不幸な人々が、不幸な人々同士で嫉妬し合い、いがみ合い、あるいは多少とも恵まれた人々に怨念をいだく等の、社会的な「甘え」は、ややもすると彼らには物事が半面からしか見えていないことの反映である。彼らは他人の悪には気がついても、自分の内部にもひょっとしたら同種の悪がひそんでいるかもしれないという自省の片鱗さえ欠いている場合が多いのである。
 しかし人間が道徳を考え、生きる価値求め、そしてなによりも高貴に生きるとは何か?を問題にするなら、まずこの自省を第一基盤にして、そこから出発すべきではあるまいか。

(6-70)福祉は施しでも恩恵でもない。恵まれない人々が生きる勇気をどう獲得するかが最も肝心な要点であることを、実践家は知っている(中略)。みかけの同情や物理的保護も、もちろんときにはたいせつであろうが、いちばんたいせつなのは、悪条件下にある人間にも、ときに自分の責任の欠如や性格上の欠点などに気がつくだけの内省の力をもつことなのである。みんな世間が悪い、自分たちは不幸だ、という観点だけでは、真の勇気は生まれてこない。

(6-71)私は世を怨む失敗者をこれまで無数に見て来たと同じくらいに、自分の能力を知らず、偶然を必然ととり違えた成功者をいかに多数見てきたことであろう。

(6-72)他人に要求する前にまず自分に要求する、あらゆる自分の行為に自由でなく宿命を見る

(6-73) 明らかな社会上の不公平が少しずつでも取り除かれることを正しいとする考え方に反対する理由はなにもないが、しかし今の時代に、権利を侵害された者が黙っていれば損をし、抗議すれば利益が少しは保証されるのは、権利の主張が戦術に依存していることを意味している。抗議が効果をあげるためには、ただおとなしく型通りの抗議をしているだけでは駄目で、集団を組み、あらゆる威嚇の手段を利用して、戦術に訴えなければならない。これは現代のいわば常識である。つまり弱い者の立場を守るのも、じつは正義の理法によってではなく、社会の弱点の利用によってなされている。現代では、強いもの(成功者や既得権者)が自分の才能と知恵によってのみ強くなったと考えるのはまったくの空想であり、これもたいてい社会の弱点の利用によってなされてきた。つまり強者も弱者も同じ原理によって生きている。それだけ人間が同質化し、同一線上に並んで競争し合っている証拠である。既得権者は防衛し、立場を奪われた者は攻撃する。どちらもエゴイズムの拡大という点では共通している。

(6-74)近代に入って、自由競争が人間に繁栄をもたらして来たが、同時に人間を不幸にしたともいえる。競争によって他を出し抜く心理、他人に対する思いやりの喪失があたりまえになってしまったし、すべての者が強者であろうとして、取り残された弱者はただ権利を主張すること(それもやはり強者になろうとする意志の一種である)によってしか、自分を生かせなくなってしまったからである。

(6-75)自分の中の俗物性を認めてかかるという生き方を選ばないかぎり、人間は自己矛盾を犯す可能性もある。誰でも完璧に、自分の論理性を守り、最後まで潔癖でありつづけることは出来ない相談だからである。

(6-76)批評だ、批判だと人々が口にする内容の多くに、どれくらい相手を育てようとする大きな愛情があるだろうか。これは日本の今日のジャーナリズムの問題でもある。にぎやかな世相批判が、ただ風潮に終わって、生産的でないのは、批判している当人にどだい改変への情熱が欠けているからである。批判によって何かを動かそうという気迫が最初からないし、批判という自分の行為をすら信じていない。自分は行動せず、ただ口先でたえず批判的ポーズを示すことが、知識人の身分証明だと思っている。

(6-77)ショーペンハウアーはヘーゲルを憎んだ。トルストイはワーグナーを理解できなかった。ゲーテはベートーヴェンをうるさそうに遠ざけた。ヘルダーリンはゲーテにも、シラーにも評価されなかった。こんな話は歴史の中に無数にある。私はときどき、互いに対立し衝突し合っていたこれら個性同士の葛藤を、現代人が色の褪せた古写真を見るように軽んじて、今頃になって気のきかない調停者の役割を演じては、これをもって「学問」と称しているようにさえ思えてならない。もちろんわれわれが、葛藤のすべてを今や相対化して眺めるに十分な距離を手に入れているのは争えない事実であろう。しかしそれはそうなのだが、生命のなまなましい一部が枯渇して、からからに干あがった結果のようにもみえる。

(6-78)小さな人間の偏見は歴史を歪めるかもしれないが、偉大な歴史家の偏見によって歴史ははじめて枠組を得るのである。一面的な好みや傾向性の展開の中にこそ、かえって普遍性が自然な形式で発露するのでなければならないであろう。そして直接的な人生体験とのつながりをもたないような学問が、どうして豊かな学問として成立するだろうか。

(6-79) 歴史的に思考する者にとっては、過去があるだけで、現在も未来もない。過去の理解が、現代に生きるわれわれの人生体験と切っても切り離せない関係にあるという事情、あるいは未来へ向かうわれわれの意識とも結びついているという事情は、彼らによってはまったく無視されている。

(6-80)過去は固定的に定まっているのではなく、生き、かつ動いているのである。また、過去を認識しようとしている人間もまた、たえず動いている。歴史は、動いているものが動いているものに出会うという局面ではじめて形成される創造行為である。

(6-81)過去をわれわれが意識するのは、過去そのものがわれわれを引っ張るからではなしに、われわれの現在の欲求、あるいは未来をわれわれがどう生きたらよいかという期待に応じて、そのたびごとに過去が違った形でわれわれの前に姿を現わすからだともいえよう。つまり定まった過去像があるのではなしに、現在の関心が過去に対するイメージを決定する場合が多い。

(6-82)宗教にとって最重要なのは信仰であって、知識ではない。しかし宗教学は学問である以上、信仰とは一致せず、むしろ信仰を弱め、こわす役割を演じ勝ちである。宗教学者は信仰家である必要はないし、またあってはならないのである。なぜならどれか一つの宗教にとらわれ、凝り固まったなら、いかなる宗教をも正確に客観化することはできなくなるし、さまざまな宗教の比較研究をし、相対化して観察することも、むずかしくなるからである。信じるということは、どれか一つを信じるのであって、あれもこれもを信じるのではない。宗教学者は信じるのではなく、多様な宗教現象を歴史的な相において冷静に、知的に分析することを求められている。彼はどれか一つに限定せず、幅広い知識をもって歴史を展望しつつ、対象をしだいに狭くしぼっていく

(6-83)信仰をどうして学問の対象にすることが出来るだろうか。しかしこの点に関していえば、信仰とは厄介な概念であって、信仰を知るとは物体の運動法則を知ることとはわけが違い、あくまで自分の心が問われるのである。物体の運動法則を知るとは、物体を自分の心の外に対象化し、客観化した後の結果であるが、信仰を知るとは、なにかの対象を知ることではなしに、対象化できないなにかにぶつかることなのである。宗教学者がさまざまな宗教現象を学問研究の対象として眺めているかぎり、彼は信仰についてはほとんどなにも知っていないに等しい。宗教に関する知識をなにももたなくても、敬虔な心をもっている田舎の農婦は、宗教学者よりも信仰において強く、深い可能性がある。ドストエフスキーはこういうコントラストをたびたび描いてみせた。

(6-84)後世のわれわれは、たしかに記録され保存された言葉を介してしか過去の思想家には接し得ないが、言葉の中に思想があるのでは必ずしもない。残された言葉は、思想への媒体にすぎない。比喩にすぎない。内奥は言葉の届かぬ所にある。言葉という間接的な手段を介してわれわれ後世の者は、はるか昔に立派な人間として生きかつ教えていた行為人の誰彼にまでさかのぼって、過去を再構成し、生きた思想の内奥を追体験するところまで行かない限り、その思想を理解したことにはならないだろう。

(6-85)初めに行為ありき、であって、初めに言葉ありき、であるべきでは決してないのだと私は思う。そして行為は瞬時にして消えうせ、言葉をただ媒体として残すのみである。言葉はいかに行為を映し出そうとしても、行為の比喩であり、また影絵でありつづけるほかないであろう。

(6-86)自由は障害を除去することでもないし、制限から解放されることでもない。そういう自由はこのうえなく消極的な概念である。消極的な意味においてすでに自由に達しているにもかかわらず、人間は身体を持つ存在である以上、どうしても自由にはなれない。自由の問題はそこからはじめて出発するのである。

(6-87)今は教養ということが地に堕ちた時代だが、教養とは机に向かって書を繙(ひもと)き、知識を身につける受け身の享受であればよいというそれだけの概念であるなら、衰退するのはむしろ自然の方向だし、そんなに悪いことではないのかもしれない。

出典全集第六巻
(6-60)(439頁下段から440頁上段「教育について」)
(6-61)(440頁上段「教育について」)
(6-62)(440頁下段「教育について」)
(6-63)(442頁下段「教育について」)
(6-64)(443頁上段「教育について」)
(6-65)(445頁上段から下段「教育について」)
(6-66)(446頁下段「教育について」)
(6-67)(448頁下段「高貴さについて」)
(6-68)(450頁下段「高貴さについて」)
(6-69)(453頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-70)(453頁下段から454頁上段「高貴さについて」)
(6-71)(455頁下段「高貴さについて」)
(6-72)(456頁上段「高貴さについて」)
(6-73)(457頁上段から下段「高貴さについて」)
(6-74)(457頁下段「高貴さについて」)
(6-75)(464頁上段「高貴さについて」)
(6-76)(466頁下段から467頁上段「高貴さについて」)
(6-77)(470頁上段から下段「学問について」)
(6-78)(471頁下段から472頁上段「学問について」)
(6-79)(479頁上段「学問について」)
(6-80)(482頁上段から下段「学問について」)
(6-81)(482頁下段「学問について」)
(6-82)(487頁上段から下段「学問について」)
(6-83)(487頁下段から488頁上段「学問について」)
(6-84)(497頁上段から下段「言葉について」)
(6-85)(499頁下段「言葉について」)
(6-86)((504頁下段から505頁上段「言葉について」)
「後記」より
(6-87)((644頁「後記」)

全集の最新刊(三)

宮崎正弘氏書評 第十八巻『国民の歴史』
 あの強烈な、衝撃的刊行から二十年を閲して、読み返してみた
  歴史学界に若手が現れ、左翼史観は古色蒼然と退場間近だが

  ♪

西尾幹二全集 第十八巻『国民の歴史』(国書刊行会)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 版元から配達されてきたのは師走後半、たまたま評者(宮崎)はキューバの旅先にあった。帰国後、雑務に追われ、開梱したのはさらに数日後、表題をみて「あっ」と小さく唸った。
 二十年近く前、西尾氏の『国民の歴史』が刊行され、大ベストセラーとなって世に迎えられ、この本への称賛も多かったが、批判、痛罵も左翼歴史家から起こった。
初版が平成11年10月30日、これは一つの社会的事件でもあった。もちろん、評者、初版本を持っている。本棚から、ちょっと埃をかぶった初版本を取り出して、全集と比較するわけでもないが、今回の全集に収録されたのは、その後、上下二冊の文庫本となって文春からでた「決定版」のほうに準拠する。それゆえ新しく柏原竜一、中西輝政、田中英道氏らの解説が加えられている。

 初読は、したがって二十年近く前であり、いまとなってはかなり記憶が希釈化しているのは、印象が薄いからではない。その後にでた西尾さんの『江戸のダイナミズム』の衝撃と感動があまりにも大きく強烈だったため、『国民の歴史』が視界から霞んでしまった所為である。
 というわけで、正月休みを利用して三日間かけて、じっくりと再読した。こういう浩瀚な書籍は旅行鞄につめるか、連休を利用するしかない。
 そしてページを追うごとに、改めての新発見、次々と傍線を引いてゆくのだが、赤のマーカーで印をつけながら読んでいくと、いつしか本書は傍線だらけとなって呆然となった。

 戦後日本の論壇が左翼の偽知識人にすっかり乗っ取られてきたように、歴史学界もまた、左巻きのボスが牛耳っていた。政治学を丸山某が、経済論壇を大内某が、おおきな顔で威張っていた。それらの歴史解釈はマルクス主義にもとづく階級史観、共産主義の進歩が歴史だという不思議な思い込みがあり、かれらが勝手に作った「原則」から外れると「業界」から干されるという掟が、目に見えなくても存在していた。
 縄文文明を軽視し、稲作は華南から朝鮮半島を経てやってきた、漢字を日本は中国から学び、したがって日本文明はシナの亜流だと、いまから見れば信じられないような虚偽を教えてきた。
 『国民の歴史』は、そうした迷妄への挑戦であった。
だから強い反作用も伴った社会的事件なのだ。
 縄文時代のロマンから氏の歴史講座は始められるが、これは「沈黙の一万年」と比喩されつつ、豊かなヴィーナスのような土偶、独特な芸術としての高みを述べられる。
 評者はキプロスの歴史博物館で、ふくよかなヴィーナスの土偶をみたことがあるが、たしかに日本の縄文と似ている。
遅ればせながら評者、昨年ようやくにして三内丸山遺跡と亀岡遺跡を訪れる機会をえた。弥生式の吉野ケ里でみた「近代」の匂いはなく、しかも発見された人骨には刀傷も槍の痕跡もなく、戦争が数千年の長き見わたって存在しなかった縄文の平和な日々という史実を語っている。
 魏の倭人伝なるは、取るに足らないものでしかなく、邪馬台国とか卑弥呼とかを過大評価で取り上げる歴史学者の質を疑うという意味で大いに賛成である。
 すなわち「わが祖先の歴史の始原を古代中国文明のいわば附録のように扱う悪しき習慣は戦後に始まり、哀れにも今もって克服できない歴史学界の陥っている最大の宿唖」なのである。
「皇国史観の裏返しが『自己本位』の精神をまでも失った自虐史観である悲劇は、古代史においてこそ頂点に達している」(全集版 102p)

 西尾氏は中国と日本との関係に言語体系の文脈から斬りこむ。
 「古代の日本は、アジアの国でできない極めて特異なことをやってのけた、たったひとつの国である。それは中国の文字を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでも維持する。これは決然たる意志であった」(92p)

 「江戸時代に日本は経済的にも中国を凌駕し、外交関係を絶って、北京政府を黙殺し続けていた事実を忘れてはならない」(39p)。

 こうして古代史からシナ大陸との接触、遣唐使派遣中止へといたる過程を通年史風ではなく、独自のカテゴリー的仕分けから論じている。

 最後の日本とドイツの比較に関しても、ほかの西尾氏の諸作論文でおなじみのことだが、ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の偽善(ナチスが悪く、ドイツ国民も犠牲者だという言い逃れで賠償を逃げた)の発想の源流がヤスパースの論考にあり、またハイデッカーへの批判は、西尾氏がニーチェ研究の第一人者であるだけに、うまく整理されていて大いに納得ができた。
 蛇足だが、本巻に挿入された「月報」も堤尭、三好範英、宮脇淳子、呉善花の四氏が四様に個人的な西尾評を寄せていて、皆さん知り合いなので「あ、そういう因縁があるのか」とそれぞれを興味深く、面白く読んだ。
 三日がかりの読書となって、目を休めるために散歩にでることにした。

謹賀新年 ―知性の暗闇にとり巻かれて戦っていた過去をあらためて発見して―  平成30年(2018年)元旦

 年末に嬉しいメッセージの記された一枚のお葉書をいたゞきました。

 「全集第18巻『国民の歴史』が届きました。単行本・文庫本を読み、今回3度目となります。先生とご面識を得ることができた大切な本でもあります。」(浅野正美氏、坦々塾事務局長)

 他の方からも、全集の新鮮なページをめくってあらためて『国民の歴史』をもう一度最初から読み直してみたい、という希望を告げた葉書と電話を受け取りました。そこで、同じ希望を持つ方に、今度の全集版の刊行によって初めて発見された同書の本当の壁の存在を、以下の2点において、お示しすることが出来ると思いました。

 「壁の存在」と言ったのは「敵の正体」と言い換えてもいいでしょう。

 (1)は『国民の歴史』の3「世界最古の縄文土器文明」の冒頭部分(52~58ページ)です。日本列島に50万年前に「原人」がいたという考古学上の大詐欺事件がありました。高森遺跡の名で知られています。有名な事件だったので覚えている方も多いでしょう。

 当時の歴史学上の著作はみなこれを記した部分を削除して公刊し直しましたが、私は削除しませんでした。事件発覚後も同じ文章で押し通しました。詐欺の発覚後にも私はちゃんと通用する文章を書いていたからです。

 とにかくこの数ページを全集版で読んで下さい。ご自分の目で確かめて下さい。わが国の歴史学者との差は歴然と明るみに出されました。『国民の歴史』の最大の敵は日本歴史学会の関係者の知性のレベルの低さそのものです。

 (2)次は一冊の終りの方、今度新しく書かれた「後記」の終りの方に「歴史学研究会」という聞きなれぬ会の名を見ることが出来るでしょう(763ページ)。これは日本史学者に限らず、すべての歴史研究に携わる日本の学者を統合的に集めたいわゆる強制的に形成された戦後の組織です。

 この会の存在を今度私は初めて知りました。思想の自由を剥奪した恐るべき組織の名です。このページを読んで下さい。戦後歴史に関する日本のすべてのまともな活動が何によって抑止され、圧殺されていたかが分るでしょう。教科書問題はそのほんの一例です。『国民の歴史』はそもそも何にぶつかっていたのでしょうか。

 (1)と(2)はタイプと内容を異にしていますが、同じ溝にはまった知性の衰弱と国家の敗北がいつまでも尾を引く暗愚の根の深さをいかんなく共通して示しています。尚、「歴史学研究会」のことを私に教えてくれたのは坦々塾のメンバーのお一人である、歴史学者の石部勝彦氏です。あらためて御礼申し上げます。

 『国民の歴史』をもう一度読んでみようとやおら腰を上げて下さる人が一人でも増えることを祈念してやみません。

 その際、全集の刊行によって初めて発見された上記2点を忘れないで下さい。私自身、同書を書いているときには、まさかこういうレベルの知性の暗闇に取り巻かれているとは夢にも考えていないことだったのです。

 これでは良くなるはずの歴史教科書も良くならないはずです。尚、全集の『国民の歴史』には巻末に多数の関係論文が付録として併載されていて、同書の新しい魅力となっていると信じます。次の目次でこの点もご注目下さい。

 目 次

 まえがき 歴史とは何か

1…一文明圏としての日本列島
2…時代区分について
3…世界最古の縄文土器文明
4…稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5…日本語確立への苦闘
6…神話と歴史
7…魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8…王権の根拠――日本の天皇と中国の皇帝
9…漢の時代におこっていた明治維新
10…奈良の都は長安に似ていなかった
11…平安京の落日と中世ヨーロッパ
12…中国から離れるタイミングのよさ――遣唐使廃止
13…縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14…「世界史」はモンゴル帝国から始まった
15…西欧の野望・地球分割計画
16…秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17…GODを「神」と訳した間違い
18…鎖国は本当にあったのか
19…優越していた東アジアとアヘン戦争
20…トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21…西洋の革命より革命的であった明治維新
22…教育立国の背景
23…朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26…日本の戦争の孤独さ
27…終戦の日
28…日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29…大正教養主義と戦後進歩主義
30…冷戦の推移におどらされた自民党政治
31…現代日本における学問の危機
32…私はいま日韓問題をどう考えているか
33…ホロコーストと戦争犯罪
34…人は自由に耐えられるか

 原書あとがき

 参考文献一覧
文庫版付論1 自画像を描けない日本人――「本来的自己」の発見のために――
文庫版付論2 『国民の歴史』という本の歴史
追補一 『国民の歴史』刊行直後に書かれた一読者の感想…柏原竜一
追補二 古代とは何か――西尾幹二著『国民の歴史』に触れながら…小路田泰直
追補三 あれから二十年――『国民の歴史』の先駆性…田中英道
後 記

全集の最新刊(二)

  目 次

 まえがき 歴史とは何か

1…一文明圏としての日本列島
2…時代区分について
3…世界最古の縄文土器文明
4…稲作文化を担ったのは弥生人ではない
5…日本語確立への苦闘
6…神話と歴史
7…魏志倭人伝は歴史資料に値しない
8…王権の根拠――日本の天皇と中国の皇帝
9…漢の時代におこっていた明治維新
10…奈良の都は長安に似ていなかった
11…平安京の落日と中世ヨーロッパ
12…中国から離れるタイミングのよさ――遣唐使廃止
13…縄文火焔土器、運慶、葛飾北斎
14…「世界史」はモンゴル帝国から始まった
15…西欧の野望・地球分割計画
16…秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか
17…GODを「神」と訳した間違い
18…鎖国は本当にあったのか
19…優越していた東アジアとアヘン戦争
20…トルデシリャス条約、万国公法、国際連盟、ニュルンベルク裁判
21…西洋の革命より革命的であった明治維新
22…教育立国の背景
23…朝鮮はなぜ眠りつづけたのか
24…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その一)
25…アメリカが先に日本を仮想敵国にした(その二)
26…日本の戦争の孤独さ
27…終戦の日
28…日本が敗れたのは「戦後の戦争」である
29…大正教養主義と戦後進歩主義
30…冷戦の推移におどらされた自民党政治
31…現代日本における学問の危機
32…私はいま日韓問題をどう考えているか
33…ホロコーストと戦争犯罪
34…人は自由に耐えられるか

 原書あとがき

 参考文献一覧
文庫版付論1 自画像を描けない日本人――「本来的自己」の発見のために――
文庫版付論2 『国民の歴史』という本の歴史
追補一 『国民の歴史』刊行直後に書かれた一読者の感想…柏原竜一
追補二 古代とは何か――西尾幹二著『国民の歴史』に触れながら…小路田泰直
追補三 あれから二十年――『国民の歴史』の先駆性…田中英道
後 記

全集の最新刊

 西尾全集次の最新刊は『国民の歴史』です。

 箱入り上製本ですから、箱にはオビがあり、オビの表と裏にそれぞれ次の告知分があります。

表の告知文

日本の歴史は中国や西洋から見た世界史の中にではなく、どこまでも日本から見た世界史の中に位置づけられた日本の歴史でなくてはならない。そのような信念から書かれた大胆な日本通史への試み。

裏の告知文

まず、この本はベストセラーになり広い範囲の読者から支持されたというのはもちろんですが、批判や反対意見もずいぶん出ました。いろいろな激しい議論を巻き起こしており、「朝日新聞」の社説にまで取り上げられたのは、その一例といえます。そしてこの反響の大きさこそ、この本が持っている本質的な「大きさ」と密接に関係しているのではないでしょうか。

・・・・・この本はいくつかのテーマを合わせたテーマ論集のようになっていますが、それぞれの論点をつなげると、一つの体系を持った日本文明論が見えるという、何よりも論としてのスケールの大きさを持っています。・・・・・こういう類の本は、戦後はおろか、戦前の史学書などを見ても、あまり例がないように思います。戦前にも日本文明論はいくつも出ていますが、観念的に書かれたものばかりです。とくに長所の研究成果や史観の変化という動向を踏まえつつ、多くの論点を併せ持ちながら、全体として独自の明確な史観をこれだけのスケールをもって展開した本は、ほかになかったと思います。・・・・・十分に実証的で、学問的な説得力も兼ね備えています。そのため戦後に日本史学(いわゆる「戦後史学」)の中で、専門研究者として仕事をしてきた学者たちが、ずいぶん狼狽しているようです。あちこちで激しい議論が起こるのも、そうしたことの表れでしょう。

『日本文明の主張』より 京都大学名誉教授 国際政治学者 中西輝政

 この一冊は私には珍しい超ベストセラーでした。愛読者の方も、あの全集のすっきりした形に収まったこの本をあらためて読んでみたい、と思う人が少なくないのだと聞いています。

 関連論文は本当に多く、日本史学者の論文を含む新しい追補の論考は3本あります。「後記」も力がこもっています。

 次回には目次をお届けします。どうかよろしくお願いします。

西尾幹二全集20巻 目次紹介

目 次

登場人物年表

第一部 前提編

第一章  暗い江戸、明るい江戸
第二章  初期儒学者が見据えた「中華の『華』はわが日本」
第三章  日・中・欧の言語文化ルネサンス
第四章  古代文献学の誕生――焚書坑儒と海中に没した巨大図書館【アレクサンドリア】
第五章  ホメロスとゲーテと近代ドイツ文献学
第六章  探しあぐねる古代聖人の実像
第七章  清朝考証学・管見
第八章  三段の法則――「価値」から「没価値」を経て「破壊と創造」へ
第九章  世界に先駆ける富永仲基の聖典批判

第二部 展開編

第十章  本居宣長が言挙げした日本人のおおらかな魂
第十一章 宣長と徂徠の古代像は「私」に満ちていたか
第十二章 宣長とニーチェにおける「自然」
第十三章 中国神話世界への異なる姿勢――新井白石と荻生徂徠
第十四章 科挙と赤穂浪士
第十五章 十七世紀西洋の孔子像にクロスした伊藤仁齋
第十六章 西洋古典文献学と契沖『萬葉代匠記』
第十七章 万葉仮名・藤原定家・契沖・現代かなづかい
第十八章 音だけの言語世界から誕生した『古事記』
第十九章 「信仰」としての太陽神話
第二十章 転回点としての孔子とソクラテス

注 /あとがき /参考文献一覧 /人名索引 /書名索引 /事項索引

追補一 世界のさきがけとなった江戸期の文献学 吉田敦彦
追補二 自然と歴史――西洋哲学から『江戸のダイナミズム』を読む 山下善明
追補三 長谷川三千子・西尾幹二対談 荻生徂徠と本居宣長
追補四 友人からのある質問に対する著者の応答 武田修志 西尾幹二
後記

故吉村昭氏の推薦文

 私の『少年記』については、かつて作家の故吉村昭氏よりお言葉をいたゞき、今度本の帯の文に使わせてもらった。このご文章をいたゞいたのはもう18年も前になる。とても気に入った、有難いお言葉だった。私の全集第15巻を手に取った人はすでにご存知と思うが、そうでない方々のために同文をここに再録する。

 さいごに「史書」と言って下さったのはうれしい。本人は文学の積りだったが、子供の目で見た戦中から戦後へかけての日本社会のディテール、日本人の生活の細部が記録されている作である。小説家なら長編小説にしたであろう。文学であるような、歴史であるような一冊であって、決して思想の本ではない。

 吉村さんの目にとまったのは幸運であり、私には忘れ難い出来事だった。

少年の目に映じた昭和史 吉村昭(作家)

 作者の西尾氏は、小学生時代から中学生になるまで日記を書きつづけていた。これだけでも驚異であるのに、それが今でも作文などとともに手もとに残されているとは。しかも、小学校に通っていた頃は戦時で、当時の東京、疎開先の水戸市などでの生活が初々しい筆致でつづられている。

 この日記、作文を核として、当時の新聞、公式記録、外国の文献まで渉猟してその背景を的確に浮かび上がらせている。過去が現在であるかのような不思議な世界がくりひろげられていて、私は、遠く過ぎ去った戦時下に身を置いているような奇妙な感慨にとらわれた。

 まさしく「わたしの昭和史」であり、一個の感受性豊かな少年が歴史の時間を歩いてきたのを感じる。少年の眼に映じた昭和史は、時間の経過とともに一つの史書としてひときわ光彩を放つものになるにちがいない。

(『わたしの昭和史1』推薦の辞より)