全集の最新刊

 西尾全集次の最新刊は『国民の歴史』です。

 箱入り上製本ですから、箱にはオビがあり、オビの表と裏にそれぞれ次の告知分があります。

表の告知文

日本の歴史は中国や西洋から見た世界史の中にではなく、どこまでも日本から見た世界史の中に位置づけられた日本の歴史でなくてはならない。そのような信念から書かれた大胆な日本通史への試み。

裏の告知文

まず、この本はベストセラーになり広い範囲の読者から支持されたというのはもちろんですが、批判や反対意見もずいぶん出ました。いろいろな激しい議論を巻き起こしており、「朝日新聞」の社説にまで取り上げられたのは、その一例といえます。そしてこの反響の大きさこそ、この本が持っている本質的な「大きさ」と密接に関係しているのではないでしょうか。

・・・・・この本はいくつかのテーマを合わせたテーマ論集のようになっていますが、それぞれの論点をつなげると、一つの体系を持った日本文明論が見えるという、何よりも論としてのスケールの大きさを持っています。・・・・・こういう類の本は、戦後はおろか、戦前の史学書などを見ても、あまり例がないように思います。戦前にも日本文明論はいくつも出ていますが、観念的に書かれたものばかりです。とくに長所の研究成果や史観の変化という動向を踏まえつつ、多くの論点を併せ持ちながら、全体として独自の明確な史観をこれだけのスケールをもって展開した本は、ほかになかったと思います。・・・・・十分に実証的で、学問的な説得力も兼ね備えています。そのため戦後に日本史学(いわゆる「戦後史学」)の中で、専門研究者として仕事をしてきた学者たちが、ずいぶん狼狽しているようです。あちこちで激しい議論が起こるのも、そうしたことの表れでしょう。

『日本文明の主張』より 京都大学名誉教授 国際政治学者 中西輝政

 この一冊は私には珍しい超ベストセラーでした。愛読者の方も、あの全集のすっきりした形に収まったこの本をあらためて読んでみたい、と思う人が少なくないのだと聞いています。

 関連論文は本当に多く、日本史学者の論文を含む新しい追補の論考は3本あります。「後記」も力がこもっています。

 次回には目次をお届けします。どうかよろしくお願いします。

「全集の最新刊」への11件のフィードバック

  1. いよいよこの本が全集に納められるんですね。
    先生、私は今色々頭の中で巡らせているものがあります。
    今の私がこうして普通でいられるのは、この本と出合ったからです。
    それまでの私は、いわゆる普通の日本人でした。
    何も知らない、何も疑わない、そんな人間でした。

    何私はこの本と出合ったことの意義を、何度も書き連ねました。
    先生はそんな私に「どうしてあきんどさんにとってこの本は有益だったのですか」とご質問もうけましたが、正直申し上げて、それが素直に出てくるくらいなら、私の中の疑問は存在しないわけで、逆に私がそれを先生に問いかけたいくらいなのです。

    西暦2001年の8月に私は脊髄の病で100日間入院しました。
    初めて見た自分の脊髄という画像。
    人間というのはこれが崩れてしまうと、どうしようもないということを初めて知った瞬間でした。

    入院中、国民の歴史は愛読書になりました。
    それは購入して二度目の読書でした。
    「もう一度この本を真剣に読んでみたい」その思いで読みふけりました。
    なにしろ、ステロイド剤の影響で、夜眠れない日々が続いたせいです。
    そんなある日アメリカで同時多発テロが起きました。
    隣のベッドの患者さんが「アメリカが大変なことになっているぞ」と、洗面所で教えてくれました。
    何もかもが私の中でシンクロナイズしていく瞬間でした。
    自分のこれからのこと、世の中のこれからのこと、そんな不安と疑問を支えてくれたのは「国民の歴史」でした。

    こんなに分厚い本なのに、読んでいてそれを感じさせない文章力。
    毎日がこの本と向き合える一つの幸せな瞬間。
    これが当時私が感じていた素直な気持ちです。

    私の病の現実をを忘れさせてくれる一冊でした。

  2. 国民の歴史

    あきんど様が、「今の私がこうして普通でいられるのは、この本と出合ったからです。」と告白されていますが、私も18年前に本書を読んで強烈に啓蒙された一人です。就中、「戦後の戦争に日本は敗れた」を読んで戦後日本の迷妄の根源を知った思いがしましたが、今読み返してもこの主張は益々重要性を帯びてきていると思われます。敗戦国の日本民族への「精神の改造」によって、我々日本人は「意識の自由」を喪ったという御指摘に目を覚まさせられました。しかしこうして意識の自由を喪った「普通」でない日本人が増殖し続け最近では「従軍慰安婦」が高校教科書に登場するという異様な国家に日本を導いています。

    日本の軍国主義、軍備、軍事力は悪であり糾弾されるべきだが、米英や中露などの軍国主義軍備、軍事力、核は悪ではなく糾弾もされない、という歪んだ国際常識が今に至るも消えていません。その線上に、戦後の日本の不幸が重なっています。日本の大方の識者も政治家もこの事実に未だにまともに向き合っていません。不快な中韓の反日、侮日を止めさせられないのもここに原因があります。

    今日の産経に櫻井女史が韓国の「軍艦島」プロパガンダに論及して、慰安婦のユネスコ記憶遺産登録を阻止したのは「奇跡的勝利」だと自賛し、歴史戦解決への王道を歩んだ結果と自己評価していますが、頼むべき保守勢力がこのような甘い弛んだ気持ちでいる限り、日本は永遠に立ち直れないでしょう。

    戦後一貫して日本は歴史戦というか、戦後の言論戦に惨敗したままであることの認識が彼女や彼らにはありません。一度のユネスコ登録阻止によって全体を覆う惨憺たる敗北が見えないのでしょうか。ウソやでっち上げによる嫌やがらせ、言い掛かりは「潰す」だけのものであって、まともに「戦う」ものではありません。勝って当たり前のことに日本は戦後負け続けているのです。その敗因分析を何故保守の人々は真剣にやらないのでしょうか。「日本国の名誉を守る気概が全くなく」正義の観念を知らない外務省や日本政府自民党に根本原因があり、慰安婦であれば「河野談話」等一連の政府謝罪の否定、北朝鮮であれば総連の解散、パチンコの規制、尖閣なら自衛隊常駐、より本質的には、靖国参拝を首相、天皇、米国大統領が実行すること、これら国策としてやるべきことをやらない限り日本は負け続けます。権力への幇間ではないはずの櫻井女史が投稿するならば、真っ先に政府自民党に鋭い批判の矛先を向けなければなりません。「安倍首相の強い決意」が向けられるべきは、一ユネスコ登録などではなく、個々の反日を統べる全体の根本原因の撲滅であり、それは将に嘗て首相が我々に約束した「戦後レジームの超克」「東京裁判の否定」であるはずです。

    慰安婦、軍艦島、徴用工、南京、その他の嫌がらせ、言い掛かりを潰す意志を示し実行し勝利しなければ日本の明るい未来はありません。そのための手段、論法、戦術、戦略は知恵と気概のある者であれば、考えれば自ずと判明します。

  3. 勇 馬 樣

    久しぶりに貴論拜讀、多々教へられました。御健在なによりです。納得した上で、次について一點だけお教へいただきたく、よろしく。

    今日の産経に櫻井女史が韓国の「軍艦島」プロパガンダに論及
    して、慰安婦のユネスコ記憶遺産登録を阻止したのは「奇跡的
    勝利」だと自賛し、歴史戦解決への王道を歩んだ結果と自己評
    価していますが、頼むべき保守勢力がこのような甘い弛んだ気
    持ちでいる限り、日本は永遠に立ち直れないでしょう。

    権力への幇間ではないはずの櫻井女史が投稿するならば、真
    っ先に政府自民党に鋭い批判の矛先を向けなければなりませ
    ん。

    櫻井女史が、西尾先生の留守に、つくる會にやつてきて、先生の留守を守る人たちに、勝手な説諭を加へると聞いた時から、女史は正邪によつて動く人ではないと判斷しました。そして、それが間違ひだと感じたたことはありません。
    先般、産經が、西尾先生の論文から、批判對象の〈櫻井よしこ〉の名を削つた時も、なるほど女史は、あのやり方を貫くことによつて、自らの商品價値をここまで高めたのだと、理解しました。

    勇馬樣が女史を、「頼むべき保守勢力」または「権力への幇間ではないはず」と評價される根據は何ですか。
    幇間とは太鼓持ち・男藝者のことださうですから、彼女の場合、正確には女幇間といふべきですが。チャラチャラする幇間だけでなく、しかつめらしく、もつともらしい説教をする幇間もゐて、結構それを好む旦那もゐたさうです。女史はピッタリの役柄を巧みに務めてゐるのではないでせうか。

    ある保守系團體の記念日に創業者(櫻井女史の本質を見拔き切つた人です)の挨拶を代讀した人は、出席してゐる女史が目の前にゐることを無上の光榮として、聲を張り上げたと聞き、漫畫だと思ひました。

    勇馬さんの御感想をお聞かせいただければさいはひです。

    1. 池田様

      櫻井女史を「恃むべき保守勢力」または「権力への幇間ではない筈」と評価した根拠と云いますか理由ごときものを大先輩に向かい口幅ったいのですが御下問ですのでお答えしますと、私は長く女史のファンでした。私同様、著書や新聞、テレビの歯切れの良い発言に好感と共感をもつ保守層は多く支持者も多いと思います。発言力も影響力も大きく外相や首相に推戴する向きさえあり、小池知事よりも頼もしく思えました。反権力的言動もありましたが左派勢力が女史を敵視し毛嫌いしています。女だてらに保守の大黒柱を自負されている筈です。

      しかし池田様の御質問に既に顕われているように、池田様の暗示にかかったわけではありませんが、「自らの商品價値を高めた」り、「もつともらしい説教をする幇間」さながら、「女史はピッタリの役柄を巧みに務めてゐる」のではないか、私も「それを好む旦那」の一人だったのではないかと疑い始めたのが昨日の日録への寄稿でした。

      保守が国を動かし得る社会的勢力となって、自民よりも右の政党が力を持ち、日本が変わるためには、保守が小異を捨て大同団結しなければならないと嘗てテルケルにコメントしたところ、坦ケ女史に窘められたことがありました。彼女も生前櫻井女史には批判的でした。私も真贋を見分けることが運動論としても不可欠と思うようになりました。
      女史を含め殆どの保守論客、言論人・有識者・知識人としてマスメディアで発言し著作を出していながら、一方で慰安婦像など「敗けた」「敗けた」と騒ぎ、敗けた責任を主観的にも取ろうともせず、勝つ方策を真剣に模索・追及せず、無責任な言論を垂れ流し続け、一方で「安倍首相の強い決意でユネスコ登録阻止に成功した」などと小さな事例を誇らしげに語る姿が最近漫画的に見えてきました。

      これでは日本は「戦後の戦争」に勝てるわけがありません。負け続けること必定です。政権と政府を変えるか、替えないかぎりこのまま負け続け、日本の真の再生と復興は期待できません。

      肝心要の安倍首相が明確に慰安婦や南京をフェイクだと明言せず、靖国から逃げ、政府も外務省も「人権問題」にすり替えて謝罪を繰り返し誤魔化し続けるならば、民間がいくら張り切り頑張っても、後ろから飛んでくる矢で、中韓の国家ぐるみのプロパガンダに勝てないことは火を見るよりも明らかなのに、そのことを正直に指摘しないのは欺瞞ではないでしょうか。

      敗けることを承知で、個々の反日を批判することで、騒ぎたてることで、商売を成り立たせている方々が多く、それに無邪気に喝采する人々も多く、宇井山様の「月に3千円を出して態々、幇間記者やら提灯月刊誌の廣告やらの「癪の種」を読むことも無からうと、産経を辭めやうと思ふ事も屡々」のお気持ちに共感する次第です。

      女史が女性太鼓持ち(女幇間)でないなら、否、女史ならずとも、本当に日本を憂うる者であるなら、安倍首相を褒めるのではなく西尾先生のように噛みつかなくてはならないはずです。

      以上、保守の動静を全て追っているわけでもなく、保守勢力の内情をよく知りませんので見当違いもあろうかと思いますが、拙い「感想」です。

      但し、身過ぎ世過ぎで処世のため聊かの妥協をする知恵を全否定するものではありません。しかし筋を違えてはアウトではないでしょうか。

  4. 勇 馬 樣

    眞率なお答をいただき、痛み入りました。
    勇馬樣のお考へは夙に想像してゐましたし、實際も、そのとほりでしたが、
    かくも律儀に丁寧にお答へ下さり、恐縮しました。私も、櫻井女史の「新聞、テレビの歯切れの良い発言に好感と共感をもつ」たことがあります。
    その點は御同樣として、前囘の貴論に基いて、少々議論を進めたく、お許し
    下さい。

    正に、仰せのやうに、「『戦後の戦争に日本は敗れた』、そして意識の自由
    を喪った『普通』でない日本人が増殖し続け」ましたね。そして、世界中で惡いのは日本人だ。日本人のやることが惡いのみならず、存在すること自體
    が邪惡であり呪はれてゐるのだと信じ(昭和21年に小學生になつた私も相當期間それを疑ひませんでした)、 ことごとに、 自國を責めます。 かういふ初歩・原始的 自虐日本人を(A)と名づけませう。

    過日、日本テレビ(深夜・山口放送制作?)で、戰中、生きてゐる支那人を、度胸をつけるために刺突(しとつ)したと告白する元日本兵や、滿洲で生體實驗をしたと告白する元醫學關係者が、これでもか、これでもかと登場する番組を見ました。
    告白(告發に及ぶ場合もあり)には熱がこもつてゐましたが、90數歳といふ人もゐましたから、制作はさう古くないのかもしれません。見事な、ワンパタは、告白する内容がオンリーワンのせゐか、他に理由があるのか、分りませんでした。
    この番組の制作者は勿論(A)でせう。放送局とか新聞社とかには壓倒的に
    (A)が多いやうですね。

    これに必ずしも飽き足らない人々も少くありません。日本人はそれほど單純
    ではありません。自國を罵るとは怪しからん、それを聞くのは不愉快だとか
    なりの人が感じます。
    すると、その人たちを相手にに商賣を思ひつく拔け目のない人が現はれて、
    「必ずしも日本が惡いとは言へない場合もある。外國にひれ伏すばかりが能
    ではない」と叱り、諭します。
    しかし、商賣であるから、世の趨勢から逸れてはいけない。今、なにを言へば受けるか、嫌はれるかを常に窺ひ、その絶對基準に基きつつ、偉さうに胸を反らして、訓戒を垂れる。 この人たちを (B)とします。

    その最大の特徴は時流に敏感で、物音によつて、目高の如く、さつと囘頭す
    ることです。これを過ると身の破滅です。
    右に轉ぶか左に轉ぶか分らない問題は原則として論評しない。やむを得ず發言する場合は、徹底的に當たり障りのないことを言ふ。ただし、状況により、鬼面人を威す言も必ずしも不可ならず。

    今のいはゆる保守論壇で活動してゐる人のほとんどは(B)でせう。櫻井女
    史は、その中で、成功者の10指には輕く這入るでせう。
    70年談話といふ奴隸宣言を「安易な謝罪の道をとらなかったことは、日本
    のため、世界のためにも建設的だ」とは! 3項論といふ氣違ひの寢言を
    「憲法9条1項、2項をそのままにして、自衛隊を3項か何かで書き込むことがいかに矛盾しているか、よく分かる。・・・あえてそれを投げたことによって、化学変化が起きた。・・・これで保守は喜んだわけですよ。ああ、こういういびつな形だけども、何と言っても9条ということを俎上にあげてくれたと。・・・議論が活性化したということについては、老獪な男の老獪な目的は達成されたのだろうと思っている」とは!
    御主人樣にとつて、これ以上の幇間がゐる筈がありません(男女の別は問
    はず)。なんともういやつ!徒らにへらへら、ちゃらちやらせず、少々高いところにゐるかのごとく、譯知り顏をすることが高級幇間たる祕訣です。

    櫻井女史には及ばずとも、日々活躍する男女幇間の顏、十くらゐはすぐに目に泛びますね。宇井山さんがこの欄で言はれるには、さうでない(つまり、
    時好に投じることを必ずしも第一にしない。場合によつては當たり障りのあ
    ることも言ふ。つまり、インチキ・ペテン・幇間に非ざる本物)言論人は西尾先生他一名のみの由。さうかもしれないと、私はほぼ納得しました。

    (B)のごとく、論壇で活動するところまではゆかないが、(B)に影響され、似たことを考へる人たちが今日の「保守」の大宗でせう。
    滿更馬鹿ではなく、一應考へる力はあるので、たとへば慰安婦、南京事件
    ・・・等々には正論を吐きます(ワンパタにしてオートマティックだけれど)。
    しかし、なにしろ(B)先生の當たり障りのない説に馴らされてゐるので、「なに、3項!? ふざけるな!氣が狂つたな」と啖呵を切ること(これは西尾先生のお教へを待たずとも十分可能な筈)が出來ない。「2項はそのままにして、ええと、3項で・・・」と眞劍に考へ込む御婦人を見て、吹出したことがあります。
    あるいは70年談話に「なに、日本の男が行く先々で強姦したと言ふのか。
    そこまで叩頭するくらゐなら、日本なんて解散してしまへ」と呶鳴ることができないのです。かういふ人達を(C)とします。

    私はいはゆる保守派の集まりにいくつか出てゐますが、そこの人々の80~90%は(C)に屬します。
    團體の幹部・地方支部長などを務め、かなりの力があります。(A)ほど單
    純ではありませんが、上記の(B)先生の營業用思考枠から拔け出る人は稀です。
    ある團體が70年談話に抗議聲明を出さうとして結局出せなかつた經緯を洩れ聞いて、つくづく(C)の存在が大きいと感じました。

    そして考へました。(C)は數が多く、各個撃破は大變だ。それに、肝腎なことでは大勢順應といふ、その習性を思へば、彼等の上の(B)の殲滅を先に考へるべきではないか。それが達成されれば、(C)は自然に靡いてくるだらう。

    (B)には論壇人だけでなく、新聞記者もゐる。テレビコメンテーターもゐるが、主だつたところはせいぜい20人くらゐだらう。どんなに多く見ても、殲滅の對象は50人にはなるまい。假に50人ゐても、20人をやれば、あとの30人は自動的に消えるだらう。昔の一人一殺のやうな暴力によらずとも、この程度の人數を社會的に葬り去ることはさしたる難事ではあるまい。

    何事にも具體的方策を示される勇馬さんを意識して、このやうに、誰と戰
    ふべきかを考へてみましたが、いかがでせう。これでよしとされる場合は、
    「どのやうにして」をお考へいただけませんか。

    なほ、その殲滅對象(B)の代表的存在が櫻井女史なのですから、「この
    ような甘い弛んだ気持ち」を女史に對して抱くのはお止め下さいと、お言
    葉を引用したくて、以上申上げました。

    失禮致しました。

    1. 池田様

      私ごとき者に御下問頂けるのは幸せであり、質問のかたちを取りながらご意見を付されていますので回答し易い御下問です。池田様も故坦ケ女史(TEL QUEL)も私などとは比較にならないほど多くの言論人の言動を長期間、冷徹に観察し続けておられますのでその下す判断や評価は精確であり、納得しますので、「このような甘い弛んだ気持ち」をB先生に対して抱くのは止めています。

      ここは故坦ケ女史の意見をぜひ聴きたい局面です。「70年談話」に触れられましたので、女史との2年前(2015年3月)のやり取りを思い出しました。天国の女史の許しを得て転載します。弊ブログに「私擬70年安倍談話ー正しい談話の一例」を掲載したのに対するコメントです。この時は楽秋庵主様からも得難いコメントを頂いています。

      “勇馬様へ
      公開にしようか非公開にしようか迷いました。
      ご期待にそぐわないコメントになると思います。
      安倍談話は安倍総理がお出しになるものです。
      こうあってほしいというお気持ちは充分わかりますが、そしてこういう内容であって欲しいというお気持ちも良くわかりますが、夢物語です。現行消費税と同じ8%くらい(社交辞令の部分)は、重なる部分はあるかと思いますが、もし安倍談話に幾ばくの期待感をお持ちなら、心打ち砕かれる結果になると思います。
      お気持ちの入った部分は、ことごとく触れられることもないでしょう。
      たとえば、
      独善的で偏狭な共産主義とグローバリズムを排しながら。
      卑劣なテロリズムには報復を辞しません、
      アジア・アフリカ諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えてきた欧米諸国の過酷な植民地支配の積罪をこの地上から永遠に駆除することに成功しました。
      具体的に書き出しましたが、他にもほとんどことごとく、安倍総理の口からは発せられないでしょう。
      政界に立候補なされる時にでも、おまとめになればいい考えであり、楽秋庵主様も含めてBlogで考察する内容ではないと思うのです。”

      予想通り、実際に出た安倍談話は、まさに「奴隸宣言」であり、その後の識者(B先生ら)のコメントには失望させられました。池田様も坦ケ女史もこの時点で、安倍首相だけでなく、B群を見切っておられたのですね。今年の憲法3項論を「氣違ひの寢言」と切り捨てられるお気持ちもよく分かり、私も同様の意見を掲載しました。それにしても「化学変化が起きた」「議論が活性化」とは、Bの高級幇間の典型ですが、一体誰の言葉なのでしょうか?

      C群への御見立ても、最近保守派の集まりに時折出て、現在保守活動を担っている方々の80~90%がCと直感しています。

      以上前置きが長くなりましたが、「どのやうにして主だつたBの20人くらゐを社會的に葬り去るか?」ですが、朝の散歩で考えたことを以下に記します。Bの50人中、20人を落とせばCも靡くという賢明な作戦に賛成です。

      ただ私は「殲滅させる」べきではないと考えます。

      殲滅も有力な論客が正面から議論を仕掛ければ「さしたる難事」ではあるまいと思いますが、彼らの役に立っている範囲では活かして働いてもらうべきと考えます。

      と申しますのは、改めて言うまでもなく、「初歩・原始的自虐日本人、放送局員、新聞人(A)」の背後に、日本を貶めることが良心的と考える悪質故意犯の左翼知識人・弁護士・スパイ(AA)が立憲民主などを根城に多く存在し現在侮れない勢力です。この者達やA群に対しては発言し戦って貰うことで日本社会に影響を及ぼすことがこれまでもあったし(櫻井女史にはこの方面で功績があります)、今後も動いてもらう必要があるのではないでしょうか。正面の左派を先ず黙らせることが今一番重要なことで、彼らを葬り、壊滅することが先決問題です。

      その上で、Bの「營業用思考」が跋扈し蔓延ることを牽制するため、良心に訴えて、矢張り議論で説得し、その反論を大衆に見える形にもっていくしか方法はあり得ないと思います。

      「売文の徒」と「憂国の士」の2分は観念的には可能ですが、実体は「売文99%、憂国1%の徒」から「売文1%、憂国99%の士」までの間で種々様々と思います。家族の生活がかかっていますのである程度寛大に、「売文51%。憂国49%」までに的を絞れば10人程度でしょうか、この人達と田原などではない「公正な司会を得た公開討論」か中村燦と林健太郎の展開したような「誌上討論」をすれば、C群も、世間も、世間の動向には敏感な安倍首相も、自民党も変わるのではないでしょうか。ネットも活用今はこれ以上の知恵はありません。

      前のコメントで幇間という言葉を不用意に使いましたが幇間で私の念頭にあるのは松廼屋露八です。彰義隊土肥庄次郎の明治の成れの果てですが、彰義隊は元々義を彰かにするため立ち上がった反革命勢力で、損得ではなく「正邪によつて動く生粋の日本人」の集まりでした。土肥が上野で敗走後、生きるために太鼓持ちの露八になった人生は近代日本の歪みの何かを象徴します。

      「国民の歴史」の21章「西洋の革命よりも革命的だった明治維新」も大変参考になった論考ですが、維新を基本的に肯定的に捉えられ、「世界の他の文明では例をみない内発的な体制変革」で「指導者層の入れ替えを思い切って行った革命」とされることには賛同します。しかし明治の指導者層には、幕末に親幕の孝明天皇を弑逆し、密勅や錦旗を偽造し、戊辰戦争で天王山の戦いだった上野戦争での会津藩を偽装する卑怯な作戦等々の不正な手段を弄する重大な瑕疵があった以上、維新革命の正統性に問題があり、それが明治の近代日本の頽落現象へつながり昭和の破滅に至ったのではないか、などと云い始めたのは例のレヴットの「日本人2階建て論」を思い出したからです。

      卑怯な政権簒奪だったため明治政府の指導者層は殊更徳川時代という1階を否定し若しくは隠蔽したため(廃仏毀釈もその一つです)、2階で右往左往する羽目になりました。共産中国に観るべき美術作品や建築がないように、明治以降の日本の芸術には観るべきものがありません。外国人観光の目玉は全て江戸以前です。

      暗黒の封建時代とされる江戸が既に近代化を歩み始めていたことも「国民の歴史」が教えてくれますが、1853年に日本が外国に汚染されるまで日本人は1階の立派な本格純和風の平屋に住み、ヘルシーな和食、優美な和服、ダイナミックで充実した高度な江戸の日本文明を築きリアリティのある生き方をしていましたので、1868年までの日本人は自信を以て新しい科学技術にも対応し、遣外使節も堂々と外交をこなし小笠原も北方領土も確保しています。この時代の手書きの書簡をオリジナルで読む機会がありましたが、美しい文字としっかりした内容に魅惑されます。

      西尾先生の仰るように、学歴はなくとも腕のある職人の自信や人生が1階だとすれば、西洋を知らず、伝統文化を体現し、剣に覚えのある武士、西洋コンプレックスから完全に免れて和魂をたっぷり保持していた武士の自信や人生も1階といえるでしょう。古代中国にも近代西洋にもたじろがない日本独自の伝統、文化、国民性を明治の指導者層は軽視し、日本の歴史は明治にゼロから始まると認識し、強烈な西洋コンプレックスにとり憑かれました。日本人が地に足を付けて生きたのは江戸時代まででした。マッカーサーは「明治の軍人と昭和の軍人がまるで別の日本人だ」と云ったようですが、私には、江戸の日本人と明治以降の日本人はまるで別人のように思えます。これがAやAA群だけでなくB群の先生方にも尾を引いているような気がします。

      最近、幕末史を調べ始めて、坂本龍馬も西郷隆盛も勝海舟も小説家が作り上げた虚像であることを知りました。榎本武揚は露八こと土肥を終生贔屓にしましたが函館戦争で生き延び出世したことで露八に頭が上がらなかったようです。世に蔓延る者には本物は少なく、世を厭う者に本物が居る、歴史に埋もれた名も無き人々が本物で、歴史に名を残す者には偽者が多く居ることの象徴のような気がします。例外が誰かは言うまでもないことです。

      幇間という言葉から飛んだ連想が働いてしまい問わず語りになってしまいました。贅言お許しください。

  5. >勇馬眞次郎様

    私のコメントにレスをくださりありがとうございます。
    池田様とのやりとりには横レスを入れるつもりはありませんが、私は「国民の歴史」に関して、かなり思い入れがありますので、もう少し突っ込んで語りたいと思います。

    昔は日録もけっこう色んな方が閲覧され、投稿もされていました。
    若い人もお年寄りも。今から15年前のことなんですが。

    先生がネットに初参加したころ、私もたまたま日録にお邪魔したのですが、私の中ではいまだに当時の参加者の方々が、閲覧している気分で書き込んでいるのが事実です。
    当時はもっともっと生々しい投稿が多くて、それが逆に親近感があったのか、色んな角度から意見されていました。

    ある日先生からこんなことを電話で言われました。
    「ブログ形式になってから、投稿がかしこまったものばかりになって、閲覧者が堅苦しい感じでここを見ているんじゃないか。もっと気軽な意見も書き込める『おちょくり塾』みたいな場所があると、幅の広いものになると思う」と。

    たしかにそうかもしれないと、当時は思いました。
    でも、その後のネット界というのは、テレビよりも重要な立場に成り代わり、危険なコメントが飛び交うことを制限する方向に管理されるようになりました。
    例えば旧日録管理者の方が開いている掲示板を、奥様はもちろん、私も閲覧できません。完全に部外者カットという処方です。
    何が言いたいかと言いますと、当時は極端な「右」も「左」もいませんでしたが、どちらかというと右側に軸足を置きながら何かを語ろうという感じでした。
    なんとなく暗黙の了解で、右寄りにも左寄りにもなりたくない自分を鍛え上げようという感じで、それぞれが参加していた感じでした。
    それとは別に、昔からネットに参加していた方々もいて、初心者にとってはその方々がある種ネットのバイブルみたいな存在でした。

    NC4日本チャチャチャ・・・というかなり昔の掲示板をご存知の方が、今ここを閲覧されている方の中でどれだけいるのかなと思うわけですが、実は私はこの時代の後の参加者です。ですからうわさで聞くだけで、実態は知りません。
    が、この時代の方々が持ち合わせていたものは何かと想像すると、「柔軟性」と「専門知識」です。それがなければレジェンドとならないわけでしょう。

    でも彼らは専門家ではないし、学者でもない。
    でもそれがかえって良かったということなのかも。

    そんなお仲間に当時私は書き込みしたわけですが、たいして歴史認識があるわけでもない私の意見を、熱心に読み込んでくれる方もいらっしゃって、かえって恐縮したわけですが、何がそうなるのかを自分なりに考えてみると、キーポイントは「国民の歴史」を読んだ時の自分の気持ちが、根本的にここでは生きていることだと思うんです。

    人それぞれ感動する書物があるんでしょうが、私にとってこの本は「人生のバイブル」です。通史ではなく物語形式だったこの本の魅力に虜になりました。
    よくぞこの形式で600ページも書き込めるものだと、読み始めたころは感動を超えて人間として著者の能力の高さに崇拝さえ感じていました。
    その当時私は「西尾幹二」という人物さえ存じていませんでした。

    よくよく考えてみると、西尾先生にとってもこの本はチャレンジの本でした。
    この本がきっかけで「西尾幹二」という名前が知れ渡ることになったのかもしれません。
    そんな背景を全く知らない私は、ただ病床でこの本を読み込んでいました。
    はっきりいって著者の名前など気にもせず、ただこの本を読み入っていたのが本当のところです。誰が書いたとかそんなことにはまったく興味がわかなかった。

    読書中は保守がどうだとか左翼がどうだとか、そんな論議なんかどうでもよくなった瞬間だった。どちらでもない正しく日本を表現しようとしている本だと感じました。
    そしてどうしてなのかいまだにわからないのですが、ふつふつと勇気がわいてきたのです。

    そんな入院中の私のことを隣の患者が気にかけてきて、「何か私にも読みたくなる本はありますか」と尋ねてきたので、「新しい日本の歴史教科書」を渡しました。
    すると、えらく感動したようで、「これは面白い教科書だ。こんな教科書は今まで見たことがない」と、かなり喜んでいました。

    そのあと二人で色々人生を語りました。
    そのお相手は、室蘭新日鉄の構内下請け会社の社長さんで、心臓の持病と脳内の血栓を処置する目的で入院されていた方でした。
    そのお隣さんが、こんな質問をしてきたんです。
    「戦国時代で一番の武将は誰なんですか」と。
    私はこうこたえました。
    「強さだけなら武田信玄でしょう。その時代の新しさをうまく利用したのは織田信長でしょう。努力と賢さがともなって武士が初めて天下を司ったのは秀吉でしょう。300年近く時代をつなげる渾身が備わっているのは家康でしょう。」
    この時の私は誰が正しかったとか、誰が悪かったという観点では語らないようにしようと、今の尺度で時代を図ることはしないようにしようと考えました。

    そのことをどう受け止めてくれたかはわかりません。
    でも、事実として残ったことは、私は全くかかわりのない方に歴史認識という舞台で堂々と語ることができた。そして相手方はそれを熱心に聞き入ってくれた。
    私は「新しい歴史教科書」の教え通りに行動した。ただそれだけのことです。

    私はそういうことをまさかこんなに早く言動に移せるとは思っていませんでした。
    ましてや、こんな話題にこんなにも早く接するとは思わなかった。
    今自分が熱心に読み込んでいる書物の主題と現実が結びつくとは驚くばかりでした。
    なにかのシンポジウムでこれを語るのとはわけが違います。
    ある意味ハードルの高い場所で自分の思いを語ることができたこと。この意味の重さが私には大きかった。

    私はそれ以来、自分の言葉に自信を持てるようになりました。
    言い切ることができる人間に成れたことの喜びでした。
    病中だったことも原因かもしれません。何かの覚悟が自分に強く備わったからかもしれません。要素がそこに強くあったのは事実でしょう。
    しかしどうでしょう。普通ならお互いの病気に遠慮しながら接するのが普通で、まさかこんな話題で盛り上がることは尋常ではないと思います。

    こうした接点が生まれた理由は、何もかもが「新しい歴史教科書」のおかげです。
    どこかで日本人は真実を語らないまま生きてきた証もそこにはあったと思います。

    「国民の歴史」はそんな日本人の心に、いろんな形で刺激を与える作品だと私は考えます。

    哲学や思想をストレートに語るよりも、この本のように、日本人のプライドを刺激する形で読者に魂を告げる方法の方が、ベターではないかと私は今も思っています。

    1. あきんど様

      私もこの「国民の歴史」に関して思い入れがありますし折に触れ繙いています。
      隠居ながら未だ仕事のようなものを抱えていますので日録を含めネットの世界に本格的に関われず、又過去10数年外地に居りましたので、国内事情にも疎く、ご紹介されたかような過去の経緯は大変参考になります

      ネットの言論界が、「テレビよりも重要な立場に成り代わり、危険なコメントが飛び交うことを制限する方向に管理されるようになりました。」というのは本当でしょうか。本当であれば由々しき問題と思います。

      「柔軟性」と「専門知識」に、「真率さ」と「愛国」が加わればネット言論界が日本社会を変える力を得ると思います。田母神氏60万票もネットの力だったと聞いています。レジェンドにせず今現在の有効なツールとして活用すべきと思います。専門家でも学者でもない普通の庶民の健全な発言がまだまだ足りません。これが入院患者、ご近所の旦那や主婦、職場の仲間、同窓生へと拡大して、声なき声が声としてネットに登場し拡大すれば日本が変わると思います。

      今朝のMSNに【江崎道朗のネットブリーフィング】として「日米は戦わされた? アメリカの保守派が唱え始めた「スターリン工作史観」」が登場しました。ビアードやウェン・コーエンのエピソードで内容に新鮮味はありませんが重要な事実を採りあげており、この記事はフェイスブックにも引用され多くの方が読むと思います。「新しい歴史教科書」もSNSを通じて徐々に支持が広がることが期待されます。

  6. >勇馬眞次郎様
    掲示板方式からブログ形式になったころから、ネット界は少しづつ管理者の意見が際立つ方向になったと思います。
    昔は日録も掲示板形式でしたが、10年くらい前でしょうかブログ形式に切り替わりました。
    そのころから投稿が少しづつ減り始め、その反面やっかみみたいな投稿も減りました。
    昔『北の狼』さんという、かなりの熱弁者がいらっしゃって、彼の投稿は本当に勉強になりました。放射線治療の医師だそうですが、お忙しい毎日の中、彼は本当に専門家も驚くような論文を提供してくれてました。

    他にも他所ではありましたが、『長谷川平蔵』さんとかがいて、実にバランス感覚に優れた管理人さんもいらっしゃいました。
    ちなみに日録管理人の長谷川さんは当時平蔵さんと名前が一緒だったので『年上の長谷川』というハンドルネームで区別されていました。
    当時は長谷川さんのことを「年上の姉御」と呼んでいたりしたんです。

    こうしたネット界の名だたる方々がここ最近はお目にかかれなくなり、どこでどうされているのかわかりませんが、彼らがネット界から遠ざかった頃から、保守系の書き込みが浅く広くなっていった感じかなと感じております。

    そんな中で私はというと、本当にごく普通の日本人という立場で語らせてもらってます
    す。あまり突出した書き込みはしたくないのが信条で、『あきんど』という名前にできるだけ沿った形で書き込みをしようと、一応心がけているつもりなんですが、はたしてそれがいつも保たれているかどうかはわかりません。

    さきほど話題にしました『北の狼』さんが、日録がブログ形式に代わった際こんなことを語っていました。
    「掲示板方式は、投稿者が横並びになるので、スレッドを立ち上げる管理人の立場が軽くなり、些細な投稿にも左右されてしまうが、ブログ形式は管理人の権威が保たれ、掲示板が荒らされるのを防ぎやすくなる。」と。
    今やブログ形式は当たり前になり、閲覧者の投稿は管理しやすくなったようです。
    そのかわりに、閲覧者の投稿は掲示板方式の時代は重々しいものがありましたが、ブログ形式では少し重みにかける感じがするのは確かです。

    そういう意図からなのか、未だに掲示板にこだわっているところでは、閲覧そのものを制限しているところもあるようです。

  7. 勇 馬 樣

    「C群への御見立ても、最近保守派の集まりに時折出て、現在保守活動を担っている方々の80~90%がCと直感しています」と御同意いただければ、それ以上申したいことは殆どありません。

    「保守活動を担っている方々」とは、”戰後レジームからの脱却”を唱へた誰かさんと全く同樣に、戰後民主主義の申し子にして、WGIPの遲效性の猛毒にトコトンやられてゐる人たち、と私は理解してゐます。

    つまり、敵國の、日本人をかういふ風にしてやらう、二度と刃向ふ氣を起こすんではないぞとの狙ひに、ほぼ100%應へ、はまつた存在です。でも、自らはそれを自覺せず、時に、朝日新聞や ”偏向”教科書を批判したり、南京・通州・通化事件を問題にしたり、御讓位を論つたりしますが、所詮 變形した中毒症状にすぎません。

    私も保守派の集まりに出る度に、今の日本のありやうはこの人たち(C)によつて決まり、そして間もなく、この人たちとともに滅びるのだらうと感じます。

    そこで、多數の(C)に對して上から影響を與へてゐる少數の(B)を殲滅するのが手つ取り早いのではないかと考へた次第です。

    (C)も(B)も、基本的に、風向きによつて動くことは同じですが、ただ、風向きの變化へ の反應のスピードはかなり違ひます。(B)にとつては、なにしろ、生業の浮沈に直結することなのですから、即斷即決です。(C)には飯が食へる、食へないの問題がないので、慌てません。主に(B)の動きを見て、ゆつくりと大勢に蹤きます。
    しかし、スピーディーな(B)にも、仰せのとほり使ひ道がありませうね。うまく活用できるなら、勿論結構なことで、殲滅論は取り下げます。

    大切なのは、決定的要素たる風向きをどうやつて變へるかでせうが、そのた
    めに(B)を踊らせ、もう少しマトモな世にできたら愉快でせうね。
    (B)が踊り始めるのは、既に大勢が決してゐる場合のみの筈で、私には、彼等を、どんな場面でどう使ふべきか智慧がありません。實踐家 勇馬樣に頼
    り、お任せするほかありません。なほ、私の言ふ「マトモな世」とは、氣違ひの寢言には、皆が笑つて取り合はない。化學反應とかなんとか餘計な言葉を考へ出さずともよいーーその程度のことです。高尚なことは決して望みません。

    嘗て、つくる會に後足で砂をかけて去つたたあと、櫻井女史に竝ぶ名幇間を
    務め、數年前に、「さらば〇〇〇〇」と啖呵を切つて、御前を去つた某氏の
    ことにも觸れたかつたのですが、時間切れになりました。

    (追伸)私の淺薄な言ひ種により、「賣文の徒」 「憂國の士」などとお惱ませしました。かく二分した場合、往々、前者が國を救ひ、後者が滅ぼすと、私は申しくなりますが、眞面目な勇馬さんには御迷惑でせうね。

    妄言多謝

    1. このブログを見ておられる多数の方々にもBやCが混じっておられて池田様と私のやり取りが過激すぎ反感を持たれているかも知れません。少なくも私の意見を独りよがりとみる向き、納得されない向きに対してこの場で少しばかり弁明します。

      保守には親米従属と自主独立の2派があり、池田様のいわゆる「WGIPの遲效性の猛毒にトコトンやられ、保守活動を担っている方々」は、前者を指すと思われます。“戰後レジームからの脱却”も日本の真の独立ではなく、あくまでポツダムを大前提にして国際社会復帰した戦後の体制を否定しない人々と理解します。その意味で「戰後民主主義の申し子」と呼ぶことができます。

      米国の、日本人が二度と米国に刃向ふ氣を起こさせないように企んだ意図に、ほぼ100%應へる意識を持ちながら自らはそれを自覺できずにいる方々で、池田様が「所詮 變形した中毒症状」と呼んでいます。

      池田様の、「今の日本のありやうはこの人たち(C)によつて決まり、そして間もなく、この人たちとともに滅びるのだらうと感じます。」は痛切なお言葉です。そうはさせないお気持ちから西尾先生が昨夜のプライムニュースに出演されたのでしょう。

      相手となった衛藤晟一氏は、「自衛隊は他国同様「国防軍」にすべき。総理や閣僚の靖国神社参拝に問題はない。」という意見の持ち主で(WIKIによる)、首相の最側近であるらく、権力中枢に居るらしい彼を説得することが「決定的要素たる風向きを變へる」最善の方法でしょうか。それともその奥に居るらしい米国の、政権よりも、世論に訴えるのが早道でしょうか。そうなればそれこそ民間の努力では追い付かず政府の仕事となってきます。

      私は足元で、米国などを恃まず、日本人が江戸後期に在来の伝統文化を凝縮した日本固有の士魂を取り戻すことが最善だと考えています。昨日彰義隊などを持ち出した所以です。

      なお、「賣文の徒」 が國を救ひ、「憂國の士」が滅ぼす例を、「さらば〇〇〇〇」と啖呵を切つた方を含め、お時間のあるとき池田様に教えて頂ければ幸いです。

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