歴史が痛い

―坦々塾秋季研修会 西尾幹二先生 御講話(文章化 阿由葉 秀峰)―
日時:平成二十九年十月一日(日) 十三時半~

 国会の中で、民族の生存を懸けたような議論が湧き起こらなければおかしい国際状況です。しかし突然、総選挙ということになり、バカバカしい話ですけれども、表に出て来る言論から、にわかに戦争とか軍事とかに関わる言葉がふぅーっと霞の様に消えてゆきました。それはどの党もなるべく触れないようにしている。面白いですね。ほんの一寸でもきなくさいことに触れると投票に影響すると思うのでしょうか。ですから知らん顔をして、憲法のこともだんだんあまり言わなくなる。関係のないことばかり言って、加計、森友がどうだとか、くだらぬことばかり言っている。どっちにしてもそういう状況です。『正論』十一月号の私と高市早苗さんとの対談で、高市さんが面白い発言をされています。

 

若い頃に、国際政治の鉄則は「ネバー・セイ・ネバー」つまり、「何でも起き得る」ということです。ところが、国会議員になって驚いたことは、「起きてほしくないことは起きない」という前提で議論している方々(説明:長老議員)がおられることでした。例えば私が若手議員だった頃、「首相官邸や原子力発電所など重要施設の警護は、自衛隊が担うべきだ」と主張しましたところ、ある重鎮議員から、「国民に銃を向けるのか!」と怒鳴られ、また、二〇〇三年にイラク戦争が勃発する直前、経済産業副大臣だった私は、官邸で行われた副大臣会議の場で「どう考えても数日内にアメリカは爆撃を始めると思うので、各省庁が初動で対応すべきことを情報共有しておきたい」と提案しました。しかしこの時も「平和のための外交努力が行われている最中に、官邸内で戦争が起きる前提で議論がされたことが公になると大変なので、今の発言はなかったことにしよう」ということになってしまいました。
『正論』(二〇一七年十一月号)

 もうとにかく非現実もいいところですが、今も日本はまだそういう状態になったままですよ。それが言いたいわけですね。本当はまさに論じなければならないテーマを皆が逃げちゃって、この長老議員と同じようなムードで選挙戦が行われているのではないでしょうか。そこのところをどのくらい国民が自覚して意識しているかどうかというのが、今日とり上げたいテーマです。折しもそこへまた「タヌキとキツネの騙し合い」みたいな女性が飛び出してきて、妙なことを言い出しているために皆関心がそっちに行っちゃっていると思います。その話は本日のテーマではありませんし、雌ダヌキに騙されたくないのでこれ以上は言いません。

 一番の問題は、ポイントだけ言います。世界の中で、欧州、アメリカその他、いわゆる先進工業国ではどこでも、既成の政権の右側に保守批判の今までの体制を批判するナショナルな主張が沸き起こっていて、中途半端な言論に対して集団的な勢力、声が沸き起こっている。ヨーロッパの場合は特に激しく、フランスのルペンの国民戦線を代表に、ドイツのAfD、イギリスの独立党、オランダとオーストリアの自由党、それからイタリアの北部同盟など、欧州議会の中にいわゆる連合みたいな共同戦線を作っておりまして、それなりにヨーロッパ全体での諸問題に対するアンチ保守政権の勢力が、著しいパワーを発揮しています。

 もちろんもう一つ付け加えておくとトランプ大統領が、一足早く同様の行動を成功させて、共和党の既成の政党路線から一歩も二歩も外れた主張を展開しています。しかも最初の主張を止めない。この「止めない」というのが凄いと思って見ているわけですが、アメリカでは上からの革命が起こっているように見えます。それに対して下からの革命というと変ですが、南北戦争の銅像を引き摺り降ろすような過激なテロリズムの行動があって、それに対して、トランプさんはまた「No!」という怒りの声を上げる。アメリカは荒々しい昔の時代に再び戻っているかのような、そんな印象を持ちます。それはアメリカはまた本源のヨーロッパから別れて、アメリカが出来た頃のあの時代、あの荒々しい時代にまた戻ろうとしているのでしょうか。少なくともそこに戻らないと決着がつかないというような空気を感じます。ですから、トランプのやっていることは一種の上からの革命と思ったらいいのでしょう。そういうことが起こっております。

 話を元に戻すとヨーロッパやアメリカのこうした状態に対して、何度も言っているように日本は寂として声が無い。本当はあるはずなんですよね。あるから雌ダヌキが何か言い出した内容をよく見ていると、「保守」という言葉を頻りに言う。それから、左の民進党の勢力を「排除」すると言っているのは一種のイデオロギー宣言と言っても良いわけで、これは望ましい方向だと思いますが、しかしそれが徹底しないのですね。徹底しないのは、憲法九条に踏み込むのは反対で、第八章の「地方自治」に手を付けるとか何とか、何を言っているのだろう、と思う様な及び腰でもあります。つまり保守と言っておきながら肝心要のことは逸らすという、それでいて時々ギョッとするようなことを言うのですね、あの女の人はね。

 例えば、加藤康男さんの本『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(平成二十六年刊 WAC BUNKO)、あの大発言を読んでるんだね。ああいうものを。読んでしかも影響を受けているとみていい。素直な心で読んでいる証拠ですね。彼女の口からそれがポロッと出ちゃったのは、色々ご議論があるようですから、という言い方で朝鮮人虐殺の追悼式に対して、今年は都知事としての追悼文は出さないと言い出したのです。そういう素直な心を持っていたら救いがあると思いますけれど、しかし忽(たちま)ち九条には手を付けないなんて言い出すから訳が分からない。とにかく徹底しないんですよ。意図的に保守の外から保守を、右側から批判するというパワーの結集がこれほど諸外国では烈しいのに、日本には無い。無いわけではないんですよ。無いわけではないのは、「新しい歴史教科書をつくる会」から始まって、「チャンネル桜」に到るまで、そういう声が今までにも約二十年間かなり有効に働いてきているし、皆さんの今日のこの活動もその内の一環だろうと思うわけです。しかし、危険だからこれ以上のことは出来ないと思っている。まぁそういうことかもしれません。でも無いわけではない。二十年前には盛り上ったのに、この強い新たな規制の環境はどこから出て来るのか。

 考えてみますと、ドイツの場合はとても滑稽なことが行われているようですね。ドイツはご承知のようにAfD、「ドイツのための選択」という名前ですが、変な名前の政党が出てきて、これは東ヨーロッパ系と考えて良いと思いますが、理由は「反ソ」なんですね。その理由は、ドイツも含めて西ヨーロッパに民主主義の「ソ連化」とでもいうような思想が拡がっていて、これがシステム化した全体主義、ソフトファシズム、つまり我々が呼んでいる左翼リベラリズムの正体ですけれど、それが鮮明な姿を現していて、異常なくらいドイツのメルケル政権を覆っているように思えます。

 現地に住んでいる人の話は面白いもので、このあいだ少し聞いたのですが、非常に滑稽なことが起こっているようです。あぁ、こういうことなのかと思って聞いたことがある。具体的な話の方がずっと面白い。今回十三パーセントをAfDが取りまして、これは連邦議会に八十人から九十人送り込むことになる数字なので、驚くべきことなんですよ。今までは五パーセント条項というものがあって、ナチスを防ぐために四・九パーセントまで取っていた右の政党があっても一人も国会議員にはなれなかったのですが、いっぺんに九十人くらいの右派系の議員が誕生する。議会が恐るべきAfDが出現するということになって、現実の問題になってしまったわけです。どんなバカバカしいことが起こっているかというと、「議会の座席で私は彼らの隣に座るのは嫌だ。」。座席ですよ。AfDの隣に並ぶのが嫌だっていうんですよ。汚らしいということでしょう。これ子供、幼稚園児みたいなことでしょう。こんなバカらしいことがドイツで起こっているんです。それからもう一つは、事柄を決めるのは、議会の中の最長老が最初の司会者になるという、言わば年長者が座長になるという取り決めがあったのですが、そうするとAfDの議員が最長老になる所がいっぱい出てきて、それが嫌だというために急遽会議を開いて、その取り決めを取り消すという、そういう子供っぽいことをやっている。

 それはでも、同じことが日本のメディアにも起こっていますね。具体的には例えば「産経虐め」ですよ。それから保守言論を「正論」「WiLL」「Hanada」の三誌に閉じ込めちゃうというマスメディアの戦略ですね。「チャンネル桜」に出た人は普通のテレビには登用しない。しかし、これでは若い人が遣りにくくなっているだろうと同情していたら、インターネットが出現したためにそんなこと、新聞だテレビだなんて、どうでもよくなってきた。新しい自由の領域が広がったために「保守のための保守の戦い」はずうっと遣り易くなってきている、というのが今の実態で、それがどういうことになるかはまだ決着していない。日本の場合は無自覚で、フワフワ~ッとした状況で誤魔化しているからさらに分りにくい。しかしドイツのような事態が出現したら日本ではどうなるのか。なぜそういうことが日本でははっきりした形をとらないのか。ドイツあるいはフランス、イギリス、オランダ、カナダでも・・・、どこの国でも起こっているグローバリズムに反対する政治勢力が顕在化しないという日本の現実はどこから来たのか、この話を纏めますので、そこから先は皆さんご自分で考えていただきたいのです。

 理由ははっきりしていると思います。第二次世界大戦が終わったあとで、自由民主党がどうして生まれたかというと、占領軍アメリカによって公認された政権として、言わば権力を委託された政党、外国に権力を委託された政党だとして始まったんですよね。それを「宣撫工作」といいます。こういう言葉は普通に使われていたのですが、今は皆さんあまり見ないでしょう。私たちは子供の時からよく見ていました。つまり「宣撫工作」というのは、被占領地域に占領軍が宣伝で宥(なだ)めて、人心を治めて占領政策を潤滑ならしめるというための工作です。もちろんそれはGHQによる沢山の威嚇の上で行われました。それから寧ろおだてて育てる・・・。そのおだてて育てる一つが自由民主党です。それでずーっと来ちゃってるんですよ。一度も自己変革をしないで、疑わないで、アメリカのほうはもうそんなこと忘れてますよ。

 どういうことが基本にあったかとかというと、自由民主党がアメリカから指令されたことは、「反共防波堤」であれ、ということで、反共の砦であればそれでよく、それ以上のものである必要はなく、むしろあってはならない。忠実に我が自由民主党は左翼とは戦ったわけです。例えば六〇年安保、七〇年安保を含めて日米安保条約はアメリカにとっても日本を抑える切り札でしたからね。それから一番の戦いの象徴は社会党が一六〇名を頂点に議席を増やすことが出来なかった。社会党はそれが一番多かったでしょう。つまり社会党はソ連勢力であるためです。国際共産主義勢力に加担している党だ。それを抑えればいいのだから。同時に自由民主党は保守合同を成し遂げて以降、たった一人の脱党者も出してはいけない。数が大事ですから。
 
 だから自民党でバラバラになることはなかったのですね。それは反共防波堤の役目ですから、大人しく役割を忠実に守って、しかし意見の相違はいろいろあったわけですね。それは派閥になったわけですが、ところが派閥がイデオロギーで分けられていなかった。派閥は完全な人間の彩で分けられたものでしたから、多少左っぽい、多少右っぽいなんていうのは我々も知っているんですけれど、派閥はすべからく思想で区別されていなかった。しかもいけないことに、自民党の一党独裁が毀れた時が丁度、雌ダヌキが「日本新党」で味を占めた時であって、彼女にはあの思い出があるんですね。あれとこの間の都議会選挙で「受け皿」となって、自民党をあっという間に圧倒したという二つの記憶があまりにも鮮明であるために、全部それで巧くいくと思って、今でもいるし、だからあの時の小沢一郎を引き込んだり、細川護熙に声をかけたりしていますね。彼女の頭の中は全部あの時代の記憶だという事が分かります。

 一番いけないことはあの時、自民党が社会党と手を切ったときですが、イデオロギーではっきり分かれて分裂すればよかったのに、そうならないで私の記憶では竹下派の人脈で別れたんだよね。竹下派の人脈で党が幾つかに分かれたりしたんですよ。だから松原仁のような人が民主党に入っちゃてるし、西村慎吾も民主党に入ってたじゃないですか。民主党に本来在るべからざる人たちがたくさん入っていたじゃないですか。自民党にも本来左の人がたくさん入っちゃってる・・・。そういう構造のままずーっと来て動きがとれなくなっているというのが、宣撫工作を曖昧にして無自覚に不鮮明にしてきた付けの一つで、この後何度も選挙があるので、改変されるべきなのですがそうならない。イデオロギーには触れない。対立、対決はしない。そういうことでずうっと来た結果に振り回されている。

 それがゆえに今何が起こっているか、つまり保守を正当に政党として政治的に国民の立場から批判するという声が育たない。育たないどころか、そうしない感情を温存させてきていて、国民はそれが政治だと思い込んでいる。そのために欲求不満だけ国民の中に強いので、自民党に対してだんだん失望感が強くなっていて、そんなことを言っているうちにあっという間に、空襲警戒警報が出て、その訓練までさせられて、冗談じゃないよと、何もしっかりした防衛策もとらないし、やれ憲法九条の二項を削除するなんてことすら出来ないで、変なことを総理がやっているような事態で、常識はずれなことを続けていたくせに、いきなり空襲警戒警報で子供たちを机の下に座らせて、年寄りは皆思い出して嗤ってますよ。このバカバカしさというものが日本の不幸と言えば不幸ですが・・・。したがって自民党に対する不安、頼りなさ、ある種の厭わしさ、自民党に対して俺たちの首を絞め続けていくのではないかという、あまりはっきりしないけれど漠然とした嫌悪感。そういうものが漲(みなぎ)り始めていて、本当はチャンスさえあれば・・・、本当に、だからどの人たちも投票に行くのであれば仕方がないや・・・、という気持ちで行くわけで。今度は恐らく投票率が低いと私は思いますが、予言はしませんが雌ダヌキは失敗するでしょうね。そして安倍再選で花田さんが大喜びすると・・・。(笑)バカバカしい事態が訪れるだろうと。

 その先を私は花田さんに言ってるんだけど。そんなことを言ってるんじゃないんだよと。花田さんの雑誌がやっているチンドン屋みたいな表紙、あれは本当に凄い単語を並べて毎回ビックリするような、目を欺くのですが、今月(十一月号)も「腹上死」なんて言葉を表紙に使ってるね。(笑)もう下品の下で、あそこまでくると言論雑誌とは到底言えないと思います。でもそれが売れる。一方でそれが売れるけど、一方で失望している人も沢山いるはずです。失望してる人が即、私の本を買ってくれたり宮本雅史さんの本(『爆買いされる日本の領土』角川新書等)を買ってくれたりすれば良いんだけど、そうは必ずしもいかないというのが世の中の常で。(笑)

 もう一つ一番大事な話があって、なぜ右から烈しい感情が沸き立たないかという事の中で恐るべきことが進行しているわけですよ。それは私が『保守の真贋』(徳間書店)にも書いたように、歴史とニヒリズムということををチラと言いましたが、私たちはどんどん歴史を失ってますよね。どういうことかと具体的にいえば、皆さん世界中どこの国へ行っても同じようになってしまって、例えばファッションなんか、若い男女の着ているものがパリへ行ってもモスクワへ行っても東京と同じなんだよね。世界中皆そうなっていて、それが当たり前だと思っている。国境を越えても何も変わらない。それから今年も来年も同じことが繰り返されるだけで、時間が過ぎても目的が見えない。そのために『応仁の乱』なんて本が流行るのは、目的の見えない闇の中での戦乱が今日に非常に似ているという・・・、無目標の、そして何のために争うのか分からない。分からないからむしろ大変苦痛ですよね。目的さえはっきりすれば良いのですから。それは歴史の喪失なのですが・・・。私が最近得た歴史の喪失は皇室の問題です。言っておきますが私の発言ではありませんからね。これから読み上げます。

   旧皇族、旧華族のなかから眞子さまのご婚約について賛否両論が沸きあがった。旧皇族の一人は、「昨今、晩婚化が進んでしまって、二〇代での結婚は一般の社会でも少なくなっている。そのため少子化が進み、社会の活力が欠けてきている。皇室が率先して若いうちに結婚し幸せな家庭を築くことは、大変望ましいことではないか」と語った。
その一方で、手放しで喜んでいいのかという声が聞こえてくる。
別の旧皇族関係者が語る。
   「小室家は今後、皇室とゆかりのある家柄になる。ましてや秋篠宮家の悠仁親王殿下が天皇陛下に即位される場合は、天皇の義兄となる。その家系で父や祖父の死因がはっきりしないというのは、非常に大きな問題だ。本人が好きだからとはいえ、なぜそのような人との結婚を許すのだろうか、今後を懸念している」(説明:この件はご承知ですね。お父さんも、お爺さんも自殺しているということですよ。メディアがすでに伝えていて、知っている人はみな知っています。)
   これらの懸念は、皇室記者にも当然のことだが、ある。しかし、婚約記者会見の質問には、宮内庁からいくつかの注文がついたという。
   ベテラン記者が語る。
   「小室さんに関しては、親族が自殺したとか、あるいはよからぬ集団との係わりが噂されている。(説明:よく分かりません。ここにそう書かれているので読み上げておきます。)そのため、質問でも小室さんの家族についての質問は出なかった」(説明:封じられたわけです。質問しちゃいけないって。)
   それだけではなかった。宮内庁は事前に皇室記者に聞き取り調査したともいわれる。その結果、NGとなった質問に、こういうものがあった。
   「小室さんの将来の夢」(説明:夢も言ってはいけないらしかった。)
   「理想の家庭像と父親・母親像」(説明:これも聞いちゃいけないと言わ                                  れた言葉らしいですね。)
   「お父さんがいたとすれば、どのようなことをおっしゃったでしょう」
   「天皇陛下に会われたときの印象」(説明:天皇陛下はお爺様ですからね。)
   このほか、宗教に関する質問とか、「父親や祖父を連想させるような質問」などもほとんどNGになった。(中略)
   小室氏がこれらに関連して会見で語ったのは次の2か所くらいだった。
   「いつも自然体で和やかな家庭を築いていきたいと思います」(理想の家庭像を聞かれて)(中略)
   これでは旧皇族や旧華族が心配するのも無理はない。
『THEMIS』(二〇一七年十月号)

「旧皇族や旧華族が心配してる」だけじゃないですよ。我々国民がものすごく心配しますよ、こんなことは・・・。いくら好きな人だとか愛しているとか言っても、事柄が違うじゃないですか。私は心配を通り越して悲しかった。何ともいいようもなく悲しく、かつ苛立たしかった。もうこの国はダメなのかなァ、取り返しつかないほど壊れてしまったのかなァ、と思いました。

 映画『ローマの休日』ですが・・・、いきなりとんでもないことを言い出すとまたびっくりさせるかもしれませんが。(笑)『ローマの休日』でグレゴリー・ペック演じるアメリカ人新聞記者とオードリー・ヘップバーンが扮するヨーロッパ某国の王女様が、お忍びのローマの出会いがあって、そしてお忍びのデートがあって、それが映画の夢物語であります。しかし初めは王女様と知らなかったけれども、グレゴリー・ペックの方がそれを知るわけですね。それで最後は身分の違いを悟って、「サヨナラ」と言って別れる。ヨーロッパですよ・・・。まぁ、何十年も前の話と思われるかもしれませんが、ヨーロッパだって今でもそうだと思いますよ。

 私の留学時代に同じゼミに「プリンツ」つまり、“Herr. Prinz ”と皆が呼ぶ大学院生がいました。ミスター・プリンスということですが、ハプスブルク家のなんとか家のなんとか、ということで、聞いたけどよく憶えていませんが・・・、でも財産はちゃんと継承してるんだね。素敵な人でしたが、同級生がやはり一目置いていて、そういう人の結婚の話も話題に上ったこともあったようですが、私もあまり関心がありませんでしたから詳しくは聞いていませんが、でも結婚のことは大変で、大変というのは「簡単な人とは結婚できないから大変だ」というようなことを、チラッと言っていたことを憶えています。

 もういいですね・・・。歴史が私を苦しめるのです。こんなはずじゃなかった。歴史が堅牢な国では起こりようがない。私たちの国の歴史はどうなっちゃうの。歴史が遠くなるとか、歴史が私達を苦しめるとか、私達に対して絶望感を与えるとかというのは、古い建物が壊れたり、古い樹木が伐られたりするときも痛いですよね。古い言葉が使われなくなるのも辛いです。さっき土地の話が出ましたが、今日は素晴らしいお話(宮本雅史氏の講演)を頂きましたが、「領土」ではなくて「国土」なんですよ。領土観ではなく国土観の概念が領土観の上になければいけないんです。国土の一つが壊れるから辛いのです。私達は美しい国土に恵まれている、しかし狭くて地震も多いのです。そういう国土が毀損されるのは厭なのですよね。同様に緑の樹が伐られたり田畑が荒らされるのは厭なのです。あの緑のふさふさした水田がいつまでも美しい水田であって欲しいのです。瑞穂の国なのですね。そういう美しい自然と風土というものを私達は大事にしてるから、それが破壊されること自体が苦痛なのです。歴史にたいする思いも同じなのですよ。

 今日の秋篠宮家の話は秋篠宮殿下に訴えたいですよね。「どうなさったのですか」と・・・。「ご自分の娘さんのことだけなんですか、お考えになるのは、国民のことはお考えにならないのですか。」陛下にも言いたいですね。「畏れながら、どうなさったのですかと、お孫さんのことだけでおよろしいのですか。ずうっと進歩的と称されていたい天皇なんですか」と・・。そうお尋ね申し上げたいですね。しかしこの思いを実際には具体的にどこへ向けたらいいのでしょう。嗚呼。

 (ここから先はNGにするかもしれませんが)韓国が今、悠然としているそうですよ。どんなことを言ったって日本人はもうダメだ。天皇が韓国に来て謝るんだ、と。そして地べたに頭を付けて謝るんだ、謝らせるんだ、と。そういうことが起こるから日本人は何をやったってもうダメなんだよと・・・。歴史研究をして韓国に反論しようとお前たちは今データを集めているそうだが、そんなことをしたってもうダメなんだよ。そう言ってるそうです。そうなったら全て天地がひっくり返っちゃうんだ、と。しかし治安状態のこんなに酷い、明日有事になる可能性のあるところに外務省が如何に愚かでも陛下を出すとは思えません。それにしても、そのいう噂を韓国人が胸を張って言うそうですから。

 じつはこれは、私が今加わっている産業遺産国民会議の猛烈な鍔迫り合いの最中に日本人幹部の耳に入ったことばです。間もなく、二〇一七年の年末に韓国に約束した文面が決まるのです。文面とは日本側が建物を造ってそこに表札を建てることになっていて、約束させられていた承認事項でしたから、軍艦島を含めて建物につける記録文面をわれわれがあれこれ工夫している最中です。

 しかし日本の歴史について、しかもまったく朝鮮との合併、併合と何の関係もないそれ以前の出来事について、日本が文面を韓国からとやかく言われる筋合いは何もないわけです。日本の歴史は日本の歴史ですから。しかも日韓併合より前の出来事ですからね。近代日本の誕生時の産業遺産は朝鮮半島と日本が相関わる前の時代の話です。本当に何の関係もない。それにもかかわらず、イチャモンを付けてくる。その決着の時が近付いている。それに全敗するかもしれないんですよ。どう決するかは外務省と総理大臣の智恵一つです。

 私は雌ダヌキのほうがこういう時には度胸があると思うんですね。ひょっとすると、分からないですよ、度胸の件は。肝っ玉が無いんだから、あの男(安倍首相)は。肝っ玉が無いというのは一番の問題なんですよ。まぁ、ここから先はもう止めます。