『日本と西欧の五〇〇年史』への感想(四)の三

『月刊正論』7月号より 力石幸一

略奪資本主義とアメリカ

 西欧諸国による海洋の争奪戦を主導したのは、キリスト教カトリックとプロテスタントを代表するスペインとイギリスであった。

 スペインは、カール五世が1519年に神聖ローマ帝国皇帝に就いた時から、新大陸の略奪によって一気に大帝国に成長する。その過程で、インカ帝国やアステカ帝国は、スペインの圧倒的な武力と彼らが持ち込んだ伝染病によって滅んだのは誰もが知る歴史だ。しかしここで特筆すべきは、スペイン国内で、インディオの土地や財産を奪うことは果たして許されるか否か、その前にそもそも人間であるのか否かをめぐる熾烈な論争があったことだ。

 ドミニコ会士ラス・カサスとセブールベダという哲学者の間で「パリャドリッド大論戦」があったことは有名である。しかし、この論戦の文書は残されていない。そこで本書は、サマランカ大学の神学教授であったフランシスコ・デ・ビトリアの議論を取り上げる。著者は、ここで自分の解釈を述べるのではなく、ビトリアのせりふをそのまま紹介し、議論の臨場感を示そうとしている。ここにこの本の無言の自己主張がある。

 ビトリアは、インディオの権利を擁護し、万民法を国家の上位に置き、グロティウスらに先だって「国際法の父」と呼ばれた。ビトリアはすでに「人類」という言葉を使っていた。その知性はすでに近代社会を確実に視野に入れていた。しかし、ビトリアの目指した近代社会はどこまでもキリスト教世界の内側という限界のなかにあった。

 ヨーロッパ世界は、古代とは切り離されていた。そこにイスラム経由でアリストテレスの哲学がもたらされる。スペインにおける論争では、アウグスティヌスやトマス・アクィナスの神学が強く意識されたが、それらを超えて議論の中核にあったのはアリストテレスだった。しかし、彼らはアリストテレスの「先天的奴隷人説」を奴隷貿易や略奪を正当化するために巧妙に利用した。ここに西欧の欺瞞があった。その論争の内容をいまここで解説することはできない。

 ただ言えるのは、西欧は、世界に空間と権益を拡大させていく一方、彼らの精神はキリスト教中世の中にとどまっていたことだ。そしてその呪縛は今も続いている。そのことが、現代のわれわれが抱えている困難の原因なのではないかと著者は問いかける。

アメリカという国

 西欧の500年は、つきつめて言えば、イギリスがスペインを追いかけ、追い詰め、追い払う歴史だった。イギリスの植民帝国のつくり方は巧緻を極めていた。徹底して「海」から「陸」を抑え込むという独自な知恵があった。海洋覇権の方法はそれぞれの国によって違っていたが、共通していたのは富の収奪による「略奪資本主義」が基本だったことだ。そして、資本主義の発展に伴って政治体制としての王国は終わり、近代の国民国家が生まれてくる。その行き着く先がアメリカという異形の国家だった。

 アメリカという世界史のなかでも特殊な国の歴史を掘り下げるために著者は、二つの命題を立てる。第一の命題は、「アメリカに国際社会は存在しない」というものだ。アメリカは国であるが、同時に世界でもあって、他国の干渉を嫌う一方で、他国には自国の価値観を押しつける。二つ目の命題は、アメリカは旧世界に比べて退廃していない、純潔の国だという自己認識である。つまり、アメリカとは表面上は普遍的価値を謳いながら、実際の行動は他を顧みない自分勝手な力の行使を辞さないという矛盾を内包した国だということだ。

 その国土の豊かさからアメリカは植民地を必要としなかった。しかし、リンカーン時代の国務長官であるウィリアム・ヘンリー・スワードはアメリカの覇権を確立すべく権益の拡大に努め、アメリカの支配領域を着実に増大させていく。1853年に日本に渡来したペリーは同時代人であり、彼もまた拡張主義者だった。

 アメリカの西方拡大をマニフェストデスティニーといえば美しく響く。しかし、ヨーロッパに対してはモンロー主義を言いながら、実際はアメリカの権益の西方拡大と覇権主義を進めるという矛盾に満ちた行動の正当化にすぎない。その背後にあったのはやはり千年王国論である。

 それではアメリカには中世があったのか、それともなかったのか。古代の奴隷制から直接近代に入ってしまったという見方もあればアメリカはいまだに「自分の身は自分で守る」しかない中世の暴力的世界のままだという説もある。著者は、あえてどちらとも決めていない。おそらくはどちらも正しい。それだけの大きな矛盾がアメリカという国の特異性の根底に存在すると理解すべきなのだろう。

日本の自己認識

 それでは、日本の500年はどうだったのか。西欧の500年と拮抗できるだけの歴史が日本にあったのか。

 著者は、呉善花氏の「日本はイデオロギーを持たない稀な国家」という指摘に足をすくわれるような衝撃を受けたという。韓国は仏教も陽明学も捨てて朱子学に転換した。ところが日本は八百万の神といいながら、何を基準にしているのかわからないというのである。

 この批判には、日本は自己を捨てて多角的にものを見てきたが、中国や韓国は自己中心的で他者に照らして自分を省みないと反論することも可能だ。しかし、日本は自分を無にして西洋近代に追いつこうと努力を重ねて大国の仲間入りをした。アメリカとの戦争に敗れたとはいえ、見事に復興を果たした。ところが今、西洋近代500年はほころびを見せ始めている。日本はどこへ進むべきなのかが問われている。私たちの原理とは何なのか。そこには日本人の自己認識という問題が横たわっているのではないか。

 17世紀にはアジアの海は騒然とし始めていたが日本列島の東側の太平洋は人影も島影も見えない北太平洋という闇が広がっていた。その地政学的条件が日本を守っていた。そこにわが国の250年に及ぶ優位と迂闊さ、合理性と手ぬかりという矛盾が象徴されていると本書は鋭く指摘する。世界からの無関心に安住した日本人の迂闊さは、江戸時代だけの問題ではない。今まさに目の前に同じ問題がつきつけられているのではないか。

 本書を通読して痛感するのは、歴史において他者を認識することがいかに難しいかということだ。そして同様に自己を認識することも。

 本書を手がかりとして、さらに日本人の歴史認識が深化することを期待したい。

『日本と西欧の五〇〇年史』への感想(四)の二

『月刊正論』7月号より 力石幸一

世界史の大転換はなぜ起きた

 大航海時代という世界史における巨大な転換がなぜ起きたのか。なぜヴァスコ・ダ・ガマはアフリカの西海岸周りでインドへ向かう航路の発見という冒険に乗り出していったのだろうか。そこには大きな謎がある。

 イスラムによって不自由になった地中海を経由せずにアジアとの交易ルートを取り不自由にな地中海を経由せずにアジアとの交易ルートを取りり戻したいという経済動機を主因とするのが通説である。しかし本書はヨーロッパの精神状況にその原因を求める。「もっと大きくて重大な動機として信仰の試練があったのではないか」というのだ。ここに本書の中核的テーマがある。

 当時のヨーロッパは世界の辺境にすぎなかった。キリスト教徒たちは世界の終末が近いと感じ逼塞した心理状態にあった。その中心にあったのが、「千年王国論」だった。

 千年王国論には、三つの型があるという。前千年王国論、後千年王国論、無千年王国論である。

 前千年王国論は、キリストの再臨が先で、その後に千年王国が実現する。神の再臨を千年王国の実現の後に置くのが後千年王国論。前者は、革命によって理想社会がつくられるというマルクス主義的革命幻想そのものだ。そして後者は神は再臨するがそれには時間がかかるという保守的な漸進主義につながる。

 最後の無千年王国論は、千年王国はすでに教会の中に実現されているというアウグスティヌスの『神の国』の考え方であり、これこそがカトリック教会の立場であった。

 この千年王国における分裂は、キリスト教教会が誕生して以来の「正統と異端」の対立が宿命的に抱えている矛盾でもあったが、千年王国を希求するキリスト教信仰が海洋支配へと西欧諸国を駆り立てていった内部の暗い情念であったことに違いはない。

境界画定は西欧の発想

 西欧諸国による領域拡大に付随したのは、それまでの世界にはまったく見られなかった残酷さと暴力性であった。最初にアフリカ喜望峰周りの航路を開いたヴァスコ・ダ・ガマは、ムスリムを虐殺するのみならず多数の住民を殺害しても顔色一つ変えなかったという。

 海はそれまで誰でも自由に航行できる空間だった。それなのにポルトガル人はインド洋に「ポルトガルの鎖」と名づけられた海上の囲い込みを実行した。貿易に従う船はすべて通行証(カルタス)を要求された。このカルタス制度によってインド洋に新しい帝国が生まれた。それまでの帝国は「陸の帝国」であったが、ポルトガル人がインド洋につくったのは「海の帝国」だった。まさにカール・シュミットの言う「陸の時代から海の時代」への大転換が起きていたのである。

 その最大の実現が、有名なポルトガルとスペインの間で結ばれた、地球を二分する「トルデシリャス条約」であった。

 「この幾何学的領土分割の『境界画定(デマルカシオン)』こそ、ほかでもない、すぐれてキリスト教的、西洋的観念の所産であり、世界の終末は近いというあの千年王国の幻想と危機感、自己破滅と自己膨張の一体化した、地球全体を神の名において統括し救済せんとする特異なイデオロギーにほかならない」と本書は特記する。

 多様な自然を尊重する日本を含む多神教の民族にとっては、自由な空間に境目をつけて自らのものにするという考え方は想像すらできない発想であった。

 マゼランたちが世界の海を征服しようとしている時、日本では、豊臣秀吉が世界制覇の野望を抱き、大明帝国に挑戦しようとしていた。

 日本の武威はスペインのフェリペ二世にも伝わり、彼をして日本との戦いを思いとどまらせたほどだ。しかし、秀吉には大明帝国を征服する意図はあったが、海洋を含む領土に境界をつくるという発想はなかった。そしてなにより決定的に欠けていたのは、キリスト教的千年王国という妄想だったのである。

『日本と西欧の五〇〇年史』への感想(四)の一

力石幸一 徳間書店 学芸編集部

西尾幹二様

このたびは、大役をおおせつかり、汗顔の至りです。

なんとかご著書『日本と西欧の五〇
力石幸一 徳間書店 学芸編集部 〇年史』の書評をまとめてみました。

今回のご本は、あまりにも多くの視点から歴史をとらえられているので、どこに絞りこむかに相当悩みました。ドストエフスキーの大審問官のエピソードにからめて自由の問題にも言及したかったのですが、枚数も限られており、結局取り上げられませんでした。

本文の概要を説明するだけでも精一杯で、個人的な感想などもあまり入れられませんでした。

また、理解が及んでおらず、間違った解釈をしているところもあるかもしれませんが、ご指摘いただけたら幸いです。

なにとぞよろしくお願いいたします。

力石氏『正論』2024年7月号より

従来の歴史書の概念覆す衝撃の書

 これまでの歴史書の概念をひっくり返すような衝撃的な本である。歴史について多くの人が持つイメージは、一次資料に裏付けられた事実と、その事実を時系列に沿ってストーリーで語るというものだろう。E・H・カーは、「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話」(『歴史とは何か』)だとする。いかにも優等生的な定義だが、そんな歴史が何の役に立つのか。歴史とはもっと暴力的で血なまぐさいものではなかったか。

 本書を出色の歴史書にしている大きな要因の一つは、「権力をつくる政治と権力がつくられた後の政治」を峻別したことだ。

 「どこかで権力がつくられた後、その後追い解釈で、ワシントン会議がどうだったとか、あれこれ議論しても、全部権力がつくられた後の始末というか、それをめぐる政治にすぎない。権力をつくる政治はこれとは別である。権力をつくる政治は剥き出しの暴力である」

 まさに同感だ。とりわけ戦後日本で語られてきた歴史とは、「権力がつくられた後の政治」にすぎず、今もまだそこから抜け出せていないどころか、その中にいることにすら気づいていない。「権力への意志」なきところに歴史はない。これまで歴史を読みながらずっと感じてきた違和感の正体はまさにこの点にあったことに改めて気づかされるのだ。

100年ごとに遡れば見えてくる

 本書は、歴史考察の時間軸もこれまでとはスケールを異にする。日本人は、「今次戦役の背景を知るのにせいぜい100年どまり」だったが、それでは不十分では不十分で、500年くらいは射程に入れなければいけない。まさに西欧近代500年そのものを問おうというのである。

 では西欧の500年を100年ごとに区切ったらどう見えるだろう。2015年を起点として、100年というと、1914年に第一次世界大戦が始まり、それを契機にイギリスからアメリカへ覇権が移動する。

 さらに100年をさかのぼると、ナポレオン戦争が終わり、ウィーン会議で西欧各国は絶対王政に戻ろうとするが、革命を知った歴史はもう元へ戻ることはなかった。

 その100年前には、1713年にスペイン継承戦争が終結し、スペイン=の1519年にスペイン=ハプスブルグ帝国はルイ十四世の手に落ちる。

 さらに100年前、1618年に三十年戦争が始まり、この戦争の結果ウェストファリア体制が確立し、主権国家の時代が始まる。

 その100年前の1519年にスペイン=ハプスブルグのカール五世が神聖ローマ帝国皇帝となり、太陽の沈まない帝国の基礎をつくる。

 このように100年ごとに時代を区切るだけで、西洋史の見通しがずいぶんよくなることに驚く。

 こうして西欧の500年を概観して、まず気づかされるのは、それが王朝の戦争史だったことだ。なかでも、カトリックとプロテスタントを代表する二つの王国スペインとイギリスである。五世紀にわたって一貫して覇権意志を示した両国が競い合ったのは、アジアの海洋における覇権であった。つまり西洋の500年とは、まさに大航海時代の幕開けとともに始まったのである。