等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳
次に、小川揚司さんのお話です。
小川さんは、冒頭、正面の田久保先生に、外交・安全保障問題の権威であられる田久保先生の前で、このようなお話が出来ることの光栄を述べ、田久保先生はそれに応えて頷いておられました。
小川さんの話のレジュメは、
1.防衛庁・自衛隊での勤務の経歴
2.防衛省・自衛隊が抱える根本的な問題点
3.防衛政策(防衛構想)の根本的な問題点
と、大項目が並んでいますが、時間の関係で、第1項・第2項は省略し、第3項の話をするとのこと。(おやおや、本当は、第1項からの、生の話を聞きたかったのですが。――これは陰の声。またの機会もありましょう。)
因みに、小川さんの入庁は、三島事件の翌年。「事件」に感じて教師になる道を捨て、入庁された由、憂国忌に参加したときにチラッと聞いた覚えがあります。防衛庁の反応の冷淡さ、自衛隊は一体どうなっているんだ。小川さんの苛立ちやフラストレーションが、レジュメの簡単な文面からも伺い知ることができます。
小川さんは、防衛政策・防衛構想の根本的問題点に入る前に、自衛隊の根本問題として、普通の主権国家の軍隊において当然とされている、法的に「これをしてはいけない、あれをしてはいけない」という禁止項目(ネガティブ・リスト)を列挙して、それ以外は何をしても良い(「原則自由」)という方式(「ネガ・リスト方式」)を採用せず、「これはしても良い、あれはしても良い」という、行うべき項目(ポジティブ・リスト)を列挙し、「それ以外のことはしてはいけない」とする方式(「ポジ・リスト方式」)を採っていることを指摘しました。
これは、去る4月28日、九段会館で行われた「主権回復の日を祝う会」(井尻千男・入江隆則・小堀桂一郎の三先生の呼びかけで、毎年この日に開催している。)で、田久保先生が、この場で防衛問題について、ただ一点だけ述べたいとして発言なさったことであり、小川さんはそれを引用される形で、問題点を指摘しました。
つまり、自衛隊は、この点において「軍隊」ではなく、「警察」同然の縛りを受けている、というわけです。
小川さんは、入庁10年目(昭和55年4月)にして、内局防衛局の計画官付計画係長に就いた時、警察予備隊から自衛隊誕生に至るまでの内部資料の原本を整理する機会に恵まれ、それが問題意識をもつ契機になった、ということです。
その小川さんが語るには:――
戦後、GHQの占領政策が転換、日本の再軍備が認められ、その建軍の基礎を何処に求めるか、となったとき、旧軍の幹部達はほとんど公職追放になっており、その上徹底的に旧軍を嫌っていた吉田茂の下、GHQの意向にも沿いながら、旧内務(警察)官僚を起用して警察予備隊を建設した、
というのです。
彼らは優秀な内務官僚ではあったが、やがて旧軍幹部の追放も解除され、警察予備隊・保安隊に配属されるようになったとき、前者は内局の背広組、後者が制服組(幕僚監部・部隊など)になるという構図が形成された。そこから、我が国のシビリアン・コントロールが「文官統制」の意味に矮小化され、偏向されていく。
なるほど、自衛隊を巡る宿痾は、建軍当時に遡る・極めて根の深い問題だと分かります。
やがて、我が国の防衛構想・防衛計画の具体化が図られ、自衛隊の規模や装備の充実が求められます。
しかし、憲法の制約があり、その制約を当然のこととして受け入れているマスコミ世論や野党から、再軍備反対や非武装中立が大声で叫ばれ、また経済的にもまだ充分な力を持っておらず、財政規模も小さかった当時において、充分満足のいく防衛計画が策定できなかったとしても、それはやむを得ないことでしょう。
けれども、小川さんの話を聞いているうち、エッと耳を疑うような言葉が聞こえてきました。
我が国の「本当の脅威」に対処できる「所用防衛力」なんて、予算上不可能ですよ。だから、「そんな脅威」は無いことにしましょう。
予算上実現可能な防衛力で「対応出来る脅威」のことを「実際の脅威」といいましょうよ。
まあ、言葉は正確ではありませんが(実際にはもっと多くの専門用語で説明されていたので)、私が率直に理解した限り、ざっとこんな理屈です。昭和50~55年頃のことのようです。
「平時」にはそれで何事もない。「本当の脅威」が問題になるなんて滅多に起こらないことだ。(それは「政治的リスク」だ。)
防衛庁と大蔵省(いずれも当時)の間で、ざっと、こんなふうに了解したというのです。
いくら何でもこれはひどいんじゃありませんか。
私たちは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」なんていう脳天気な憲法をもっているから、防衛計画もなかなか進まないものと思ってきた。しかし、防衛の実際の掌に当たる、その中枢の人たちがこんな考えだったら、どうにもならない。
多くの国民が、「平和憲法」のお陰で平和が保たれた、と誤解し、周囲の国際情勢に眼をふさいでいるというのも、所詮、防衛所轄当事者の意向(希望?)に沿った結果ではないのか、といいたくなります
「軍事的合理性」を犠牲にした「政治的妥当性」との整合を図った苦肉の策。
一般に、こんなふうに表現されているようですが、確かにそれは言い得て妙かも知れませんが、小川さんの尊敬する元統幕議長・来栖弘臣氏の喝破しているところを、正面に据えるべきでしょう。すなわち:――
世界にも歴史的にも通用しない空論。
謂わば「日米安保」を魔法の杖と考えて、吾が方の足りないところは呪文を唱えれば幾らでもアメリカが援助してくれるという大前提での立論。
基盤的防衛力でカバーしていないところは政治的リスクであるといって逃げる無責任な議論。
これらの話を聞いて、日本は「被保護国」だ(この言葉は、後ほど田久保先生のお話の中にも登場します。)と、よくいわれるが、初めてその本当の意味が分かったような気がします。
小川さんには、退職されて「野に放たれた」のですから、そんな無責任防衛論に縛られることなく、歯に衣着せぬ「防衛の語り部」になって頂きたい。
「政治的配慮」やマスコミに通用するような、オブラートに包んだ物言いではなく、リアルに率直に、防衛問題を生の言葉で語って頂きたい。
それも一人ではなく、志を同じくする防衛問題の専門家を巻き込み、連れだって。
数年前、民主党の前原誠二氏が中国の軍事的脅威について触れたとき、集中砲火を浴びたことがありますが、今日では、幸いにも(!?)その脅威はより明らかになっています。反対勢力も依然として強力だとしても、多くの国民の理解を得やすい状況が拡大しています。
国防の精神を、倦まず弛まず、強力に説き続ける集団が無くては、国家主権の回復・再興などあり得ません。
集団的自衛権の行使、
武器使用基準の国際標準採用、
主権的判断による自衛隊の国際協力に対する一般法の制定、
非核三原則・武器輸出三原則(注)・専守防衛論等の見直し乃至は廃止等々、
(注)「武器輸出三原則」:本来は、「共産圏諸国・国連決議により武器等の輸出が禁止されている国・国際紛争の当事国又はそのおそれのある国」に対する武器輸出を認めないという原則。
三木内閣の時代に、上記地域以外の国に対しても、武器輸出を原則的に行わないよう拡張解釈されるようになった。
中曽根内閣の時代に、同盟国アメリカへの武器技術供与を例外として認めることとし、現在に至る。
これらを全て進捗させるには、専門家の技術的対応だけでは全く不足で、国民的防衛意識の昂揚が不可欠です。まして憲法改正についてはなおさらです。
まあ、釈迦に説法みたいで恐縮ですが、これも小川さんのお話に触発された結果としてご了承下さい。
必要防衛力整備を、予算不足を理由に怠ったり、削除したり、ましてや財政再建の犠牲にするなどとは、もってのほかです。防衛費をGDPの1%程度に抑制するなどという規制を見直し、諸外国並みの2~3%に増額することについても、決してタブー視すべきではありません。
予算なんて、政府がお札を刷ればよいのです。いや、これは政府の貨幣発行大権(セイニアリッジ)といって、長年黙殺され、封印されてきたもので、こういう安直な言い方は絶対すまいと思ってきたことなのですが、そして、それを主張しているマクロ経済学者の方々が、気安くそのような言い方をすることが、却ってそれが黙殺され封印される原因の一つになってきたと考えるのですが、簡単に分かりやすくするために、敢えて安直な言い方をしました。
本気で国家主権を再興しようとするならば、お金なんか後からついてくるのです。(かつて春日一幸さんが「理屈は後から列車に乗ってやってくる」とか言ったのを思い出しました。)
いずれ別の機会に論ずべきことでありますが、今日すでに、経済・財政、保険・医療、公共事業や農林漁業、税制や地方自治、その他さまざまな国家の根本を解決するには、セイニアリッジの発動しかないところに来ていると考えますので、敢えて踏み込みました。
さらにもう一つ、かつて西尾先生が雑誌の座談でリニアモーターカーの建設に言及したのを把らえて、財政危機を無視した経済知らず、と知ったふうな非難をする無礼かつ軽薄な輩が日録に舞い込んできたことがありましたが、そのような「反論」にあらかじめ釘を刺しておく、という意味も込めてあります。
文:等々力孝一