GHQ焚書と皇室

足立誠之(あだちせいじ)
坦々塾会員、元東京銀行北京事務所長 元カナダ東京三菱銀行頭取

guestbunner2.gif

  

 西尾幹ニ先生

 拝啓、過日坦々塾では超ご多忙の中,目の不自由な私のためあたたかいお心配りを賜り有難く厚く御礼申し上げます。

 今回の坦々塾での先生のお話は日本の将来を左右するものと考え以下拙論を申し上げます。

 10日のお話は短い時間でしたが、100年の歴史で最重要なものだと感じました。
 
 個人的な考えですが、大東亜戦争は、開戦以前、昭和16年12月8日から昭和20年20年8月15日まで、終戦以降今日にいたるまで、と三段階に分かれると考えます。大東亜戦争、日米戦争はこの第二段階であり日本は敗れますが、第三段階でも米国は兵器を変えた戦争を継続し、それは続いている。日本は戦争に敗れて更に徹底的に洗脳され日本人のidentityは破壊されつつあり日本は崩壊しつつあります。

 こうして第三次日米戦争は最終段階を迎えつつあります。GHQの検閲の実態を研究し「閉ざされた言語空間」で明らかにしました。第三次日米戦争の反撃のチャンスでしたが、十分な反撃の成果までにはいたらなかった。

 先生の「GHQ焚書」は第三次日米戦争に日本が勝利し、日本の歴史と国の形を維持することに成功する、それは第一次から第三次日米戦争を通じての勝利につながると考えます。
 
 ローマは二回のポエニ戦争に勝利したあとカルタゴを非軍事の国としましたが、それでも安心できずに第三次ポエニ戦争で徹底的に殲滅し僅かに残るカルタゴの土地には塩をまき不毛の土地にし、カルタゴは完全に抹殺されました。

 「GHQ焚書」は第三次日米戦争勝利の最後の武器となるものです。
 
 之に敗れれば日本人の精神は塩をまかれて不毛になったカルタゴの土地と同様になります。日本人を「ガラス箱の中の蟻」の状態にし続けたものは米国だけではないでしょう。中曽根康弘始め多くの自民党政治家までが第三次日米戦争では敵に回った。独ソ戦でソ連の最大の脅威はドイツ軍に加わったソ連軍捕虜だったそうです。政府、官僚機構を含めていたるところで「米国への投降兵」「シナへの投降兵」があらゆる汚い手を使い反撃してくるでしょう。

 [GHQ焚書]が世に知れ渡れば彼等の過去は否定されるからです。彼等に最も好ましいことは「GHQ焚書」が世の中から無視され、一部保守層に留まることです。それを排除していくことで国民に「GHQ焚書」を常識として浸透させることが第三次日米戦争での勝利、第一次から第三次までの日米戦争勝利に連なります。

 阿川弘之氏は「春の城」で日米戦争の開戦に「この戦争ならば体を捧げてよい」と思ったということを主人公(阿川氏自身)の言葉として記していますが、この第三次日米戦争に私も同じ気持ちです。「GHQ焚書」で負ければ本当に後はないでしょう。

 皇室問題、皇太子妃問題については弟にWiLLの5月6月号のお説と読者の感想を読んでもらいました。

 多くの国民は週刊誌などから伝えられる断片的な情報に何が本当の問題かは判らずに、ただ「何かおかしい」と感じていただけのことだったでしょう。

 先生の論文は国民に衝撃を与えました。この問題の本質が国のあり方に係わる深刻な問題であることを示され国民は粛然とした気持ちにおそわれたのではないでしょうか。敢えて発表された勇気に多くの人が感銘を受けたのだと思います。女帝・女系問題の際には多くの議論がありましたが、今回は右翼、左翼を含めてセキとして声なしの状態がそれを物語っています。

 この世の森羅万象は合理を越えたものでそれを狭い合理や言葉の中に封じることはできません。
 
 たとえとして適当かどうかはともかく音楽は最初に曲が生まれる。楽譜はそれを何とか記号で記録するものです。

 皇室の存在は文字や合理で説明でくるものではないのでありそこに価値があるのではないでしょうか。

 東アジアで日本だけが西欧に匹敵する文明を誇るにいたったのはここにあります。これも例として適切かどうか分かりませんが、日本は「人事を尽くして天命を待つ」という国体であったのではないでしょうか。その祈りを司ってこられたのが歴代天皇であると考えます。
 
 繰り返しますが、先生の論文の前に世の中は「シーン」となりました。日本が再生した場合、この論文はその魁となったものとして残ると存じます。

 退変乱暴な議論で恐縮ですが、引き続きご指導賜りたくお願い申し上げます。 

                    敬具   足立誠之拝     

期せずして私の原点回帰

――焚書・皇室・三島由紀夫――

 いく冊もの新刊が重なるようにして次々と出ることになった。運が悪いのである。早く出るべきものがぐんと遅れ、そうこうするうちに次の出版予定が近づいてしまった。

 四つの出版社から立てつづけに五冊出るので、各社の担当者で話し合ってもらった。6月から毎月一冊づつ出るように手順を改めてもらった。それでも混みすぎる。私の愛読者の方ですらウンザリするであろう。

 『GHQ「焚書」図書開封』(徳間書店)が二ヶ月おくれてようやく6月中ごろまでには出る。今週校了である。おくれたのは新事実発見があったという積極的理由からであるから、お許しいたゞきたい。

 ナチスのユダヤ人迫害にユダヤ人の協力があったことは世界に衝撃を与えた。米軍の占領政策に被占領国側の人間の協力は必ずあった。GHQによる「焚書」に日本の知識人、学者、言論人の協力があったに違いない、と私は推論していたが、容易に証明できなかった。

 今度の私の本の冒頭の章で、一定の諸事実を明らかにした。東京大学文学部の関与が判明した。二人の助教授(当時)の名前も明らかになった。そのうちの一人は昭和33年当時文学部長になり、私の卒業証書の発行人でもあった。

 6月7日夜日本文化チャンネル桜の私の持時間帯で、〈『GHQ「焚書」図書開封』の発刊と新事実発見〉と題して、深刻な内容の全貌をざっと紹介をする。

 この本は二巻つづけて出るはずである。8月15日までに第二巻を出す予定である。第三巻は大略一年くらい先になるだろう。

 『WiLL』7月号に「親米、親中の時代は終った」という、15ページの評論をのせている。大型の評論である。この論文の前半は5月号に予定されていた。ところが皇室問題を書いて欲しい、という例の依頼があって、その気になって書くことになり、急遽差し換えた。皇室問題のほうは期せずしてご承知のように5,6月の二号連作となったので、「親米、親中の時代は終った」は後回しになって、やっと7月号に、後半分を書き加えて皆様の目に触れることになった。

 今の私が時代に向かって訴えたいのは、チベット問題でも米中がつながっていますよ、というこの論文のテーマである。皇太子論では必ずしもない。

 「皇太子殿下にあえてご忠言申し上げる」はWiLL 8月号に第三弾を出す約束になっている。私がいかに忙しいかがお分かりだろう。その前にもう一作、『新潮45』に秘密兵器をかかえている。これは出てからのお楽しみにしておいて欲しい。

 書物を五冊出すと言っていた順序は編集担当のみなさんで相談して次のように散らしてもらうことになった。

 6月 GHQ「焚書」図書開封  第一巻 徳間書店
 7月 皇太子殿下へのご忠言  ワック出版
 8月 GHQ「焚書」図書開封  第二巻 徳間書店
 9月 真贋の洞察  文藝春秋
10月 三島由紀夫の死と私  PHP新書

 各冊の内容紹介は追ってそのつど少しづつ申し上げる。が、焚書、皇室、三島由紀夫は別に意図したわけでもないのに、期せずして一つの共通のテーマに向かって収斂しているようにさえみえる。

 全冊のテーマが偶然、一つの原点に向かって集中するかたちになった。本当に不思議である。自分で意図したわけではないのである。私も著述人生の終期を迎えているということなのだろうか。

――WiLL 7月号のこと――

 WiLL 7月号、つまり私の「親米、親中の時代は終った」の掲載されている号に、WiLL 5、6月号の「皇太子殿下にあえてご忠言申し上げる」への反論がのせられている。竹田恒泰という人である。私は今まで読んだことがない若い著者である。

 WiLL編集部が私への反論をのせたのは、またそこで盛り上げて読者の気を引こうという、花田紀凱編集長の商策であろう。それは一目で誰が見てもそうと分るやり方である。

 私は昨日雑誌を受け取って、今日竹田氏の所論を拝読した。旧皇族の方だそうだが、であればなおのことこんな政治的発言をするとなにか欲があるように思われて損ではないだろうか。戦後の熊沢天皇の例もあるのである。

 私が学歴主義という言葉を用いて言おうとした明治以来の文明史的な文脈を竹田氏はよく分っていないらしく、「東大卒のどこがいけないのか」というようなシンプルな捉え方しかしていないし、それに妃殿下問題は病気治療の問題ではなくすでに「国家の問題」と私が言ったことについても、また皇室が国民に今与えている不安や違和感についても、何もお感じになっていない呑気さ、あるいは鈍さである。

 ま、それはともかくいいとして、「日録」の読者ならすぐピンと分ることを以下にお伝えしておこう。

 今夜、WiLL 7月号を発売一日前に入手できる位置にいた友人から電話が入り、こう言っていた。

 「花田さんははめられたんだよ。僕は竹田恒泰という名を見てピンと来たよ。八木秀次がこの人に急接近してか、あるいは取りこんでか、とにかく6月の日本教育再生機構のシンポジウムにこの人が出ることはご存知ですか」

 「いや、知らない」と私。

 「つまり、花田さんはまるきり気がつかないで、WiLLは〈つくる会〉内紛に巻き込まれたんだな。」

 「言っておくけど、あれは〈内紛〉じゃないよ。〈つくる会〉側からみて正義の戦い、公判で黒白つける客観的な正義を問う戦いなんだよ。」

 「いやあーご免、それはともかく、いずれにしても竹田という男は八木に利用されたんだよ。」

 「八木さんは6月6日の地裁の公判に、裁判長からの召喚命令を受けていると聞いているよ。」

 「だからみんな息を詰めて見守っている。いよいよ彼も正念場だ。竹田という人がこんなことを書いて、後で大損しなければいいが。」

 「それは分らないが、この人の文章を読んで、私は何年か前に夜中に八木一派から送られた〈怪メール〉と同じような奇妙な印象、なぜ?という根本の動機の分らない異様なものの印象をもったことは確かなのだ。」

 「そうだ。そうだろう。そのことを言いたかったんだ。フーム、成程ねぇー」

 「それに八木さんの側はどうやら歴史教科書の方も出せないことになったらしく、相当に追いこまれているんじゃないのかな。私は教科書検定の詳しい事情は知らないんだが、拳を振り上げた扶桑社もフジテレビもどうするつもりなんだろうねぇ。」

 「とすれば必死で、手当り次第、利用できるものは何でも使おうというわけだね。謀略好きの人だからね。竹田さんも可哀そうだなァ。」

 と友はしばらく感懐ありげな趣きで、二、三言葉を継いでいたが、やがて別の話題に転じて、しばらく談笑し、電話を切った。いつもの対話の調子である。「日録」の読者には関心があると思うので、ご紹介しておく。

坦々塾報告(第九回)(三)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳

guestbunner2.gif

 最後に、田久保忠衛先生のお話となりました。

 田久保先生と言えば、小川揚司さんの言うとおり、外交・安全保障問題の権威として、常に大所高所に立って、バランスのとれた正論を、堂々と展開していらっしゃる。まさに、時宜に適したお話が期待できます。

 実は、田久保先生は、5月13日付『産経新聞』のコラム「正論」の「『胡訪日』以後」というシリーズの第一弾として、「日米同盟と中国の微妙な関係」と題する一文を寄せておられます。
 先生の演題は「最近の国際情勢と日本」ということですが、そこで語られた情勢分析の部分は、『産経新聞』のコラムと重なる部分がありますので、そこには収まらない、先生の思いや、私どもにアピールされたことを中心にまとめてみたいと思います。

 冒頭、先生は、自分は米国に対する批判は人一倍強いのだ、とおっしゃいました。
 西尾さんの対米批判を読んだりすると、すぐにでもアメリカ大使館に抗議に行きたくなる。そこを抑えて冷静になって、「外交上アメリカと対立してはならない。」と自分に言い聞かせる。外交とは、”How to survive.” だからだ、というのです
 ややもすると、(保守派の)反米主義者は、紳士的で論理的整合性のある先生の論調を誤解し、親米一辺倒・対米追随であるかのように批判します。それに対して先生は、逐一丁寧に反論なさるのですが、その反論がまた紳士的かつ論理性を重んじているために、批判者に痛痒を感じさせないということがある。
 そんなとき、悔しい思いを禁じ得ないのですが、先生の上記のお話を伺い、胸のつかえが取れた思いがします。

 先生は26年間時事通信社に勤務され、退職後、ほぼ同期間の研究生活・評論活動を続けてこられたそうです。
 時事通信社では、本土復帰前の沖縄那覇、東京、ワシントンの各支局に勤務されました。その経験を通じて得られた教訓は、アメリカの外交は全世界を通じて展開しており、アメリカを理解するためには世界中を見ている必要がある。反対に、世界を理解するためには、ワシントンに観測の軸足を置かなければならない、ということです。
 
 那覇勤務の頃、佐藤政権は沖縄の本土復帰を、ニクソン=キッシンジャー外交は中国との関係改善を(中ソ対立の中で、敵の敵は味方の論理で)、それぞれ模索していました。
 アメリカは、中国に関係改善を望むシグナルを、様々なルートを通じて北京に送っていましたが、最後の決め手は、沖縄基地からの核撤去だと考えていました。
 アメリカは、シグナルの一つとして、台湾周辺の第七艦隊のパトロールを3分の1に減らすことを声明しました。
 また、中国渡航者の現地でのドル使用の金額制限の撤廃を声明しました。その記者会見に田久保先生は出ていたのですが、隣にいた筑紫哲也氏が、「ニクソンは旅行会社から賄賂を受け取っているのだ。」といったというのです。何とも頓珍漢で独りよがりの内向き議論か、という笑い話。
 一方、佐藤政権は、核抜き本土並み返還が目標。しかし沖縄を含む日本の安全保障のためには、沖縄に核がある方が有利。その核撤去を最も喜ぶのは北京に違いない。しかし、アメリカは、中国との取引の切り札として、沖縄の核を撤去しようとしている。
 佐藤首相は、ワシントンを訪問して、沖縄の核撤去をニクソン大統領にお願いした。ニクソンはその本心はおくびにも出さず、それを拒否した。
 田久保先生曰く、ニクソンはキッシンジャーと二人で大笑いをしたことだろう。
 もし、佐藤さんが、沖縄の核は撤去しないでくれ、といったら、ニクソンは窮したに違いない。キッシンジャーに、日本が沖縄の核撤去を承知するよう説得させただろう。
 そうすれば、日本は核撤去の代償に、どれだけのものを得られたことか。

 この話は、日本の保守政権が、まだまだしっかりしていた時期におけることだけに、考え込まずにいられません。

 ブレジンスキーは、日本を「被保護国」といったことについて、日本を侮辱しているとして非難される。確かに、日本をモナコやアンゴラ並み扱っているわけだから無理もないが、しかしよく考えてみると、彼は如何に日本の現状を正確に捉えていることか。(ブレジンスキー侮るべからず。)

 モンデール大使が、尖閣列島がもし攻められたとき、アメリカは日米安保を適用しない、といった廉で非難する向きがあるが、それも、モンデール氏の言うことが当然ではないか。何となれば、尖閣列島は日本の領土、それは日本人が守るべきものであって、そのためにアメリカが血を流す筋はない。

 上記2点は、先生の何とも痛烈な逆説、しかもハッとさせられる指摘です。

 台湾問題。
 馬英九は、天安門事件を非難している。(チベット問題で北京を非難したことは周知の通り。)
 宮崎正弘さんが、馬英九はアメリカの意向に忠実に沿っている政治家であり、北京に靡くことはない、と補足。
 西尾先生から、馬英九は大丈夫、と聞いて安心した、というコメントがありました。
 馬英九に対して北京は表だった批判はしにくい関係にあるわけですから、日本としては、有力政治家・政府関係者が非公式に接触する機会を多くもち(しかも正式就任以前には出来るだけ大っぴらに接触し)、日台関係強化の既成事実を積み上げるチャンスとすべきではないだろうか。

 アメリカ大統領選挙について。
 民主党候補はオバマにほぼ決定。
 レーガン的=ブッシュ的な、善悪判断(モラル)に立つ保守派で、ストロング・ジャパン派の共和党マケイン有利、という先生の「希望的観測」は、みんなを喜ばせ力づけてくれましたが、アメリカの選挙結果の如何を問わず、ストロング・ジャパンへの歩みを強めなければならないことは、言うまでもありません。

 最後に、日米同盟といえども、それは「政略結婚」。同盟関係に「恋愛結婚」はありえない、という指摘。
 その上に立って、先生が日頃強調されている、「民主主義、人権、法の支配」という「日米共通の価値観」という考え方に、私は全面的な支持を送りたいと思います。
 日本人が命をかけるべきものは、日本の歴史と伝統、日本文明の中にあるのであって、日米共通の価値観とは、その一部・その表層に過ぎないことは当然です。しかし、表層的とはいえ、価値観における共通性の意味は重要である。
 アメリカにしても、その共通価値観にそれほど忠実であるとは限らない。その場合、日本として、逆にアメリカにその共通価値観の遵守を迫ることが重要である。(特に、アメリカの対中・対北朝鮮宥和が前面に出たり、台湾の自立を抑制しているような今日において。そうしてこそ、初めて対等な同盟になりうる。)
 その「共通価値観」の延長上にあると思われる、麻生さんの提起した「自由と繁栄の弧」といったスローガンは、その内容実体は兎も角、中華帝国正面に対峙する我が国の戦略的立場を支えるものとして、過小評価してはならないと考えます。

 順序は前後しましたが、西尾先生のお仕事について。
 「GHQによる『焚書』図書」の出版については、日録でも報じられていますので省略します。6月には出版されるそうなので、待ちたいと思います。
 それに関連して、田久保先生が、先のお話の中で江藤淳氏に触れています。
 アメリカで『閉ざされた言語空間』の執筆準備期間中のこと。GHQの憲法案起草の中心人物・ケーディスに面と向かって、言論統制について非難の言葉を浴びせた時、その場に立ち会ったのだそうです。そのときの江藤さんは本当に偉かった、尊敬している、とおっしゃいました。

 西尾先生のお仕事は、常に政治と関わりを持ってきました。これからもそうでありましょう。
 高校時代にも、哲学・文学を目指しながらも、「講和条約の欺瞞性」といったレポートを書いて、「一般社会」(社会科の一科目。)の先生にほめられた、というエピソードを、ご自分から紹介されました。
 思想と政治、その関係、西尾先生にとっても坦々塾にとっても、それは今後とも、引き続き重要問題でありましょう。

 懇親会は、初めて立食パーティ形式。アッという間の充実した2時間でした。
 ただ、私としたことが、このようなレポートを準備する立場にありながら、田久保先生にご挨拶もお話もせずにすませてしまった失礼が、心残りでありました。

 次回は8月、再会を楽しみにしております。

 おわり

文:等々力孝一

坦々塾報告(第九回)(二)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳

guestbunner2.gif

 次に、小川揚司さんのお話です。

 小川さんは、冒頭、正面の田久保先生に、外交・安全保障問題の権威であられる田久保先生の前で、このようなお話が出来ることの光栄を述べ、田久保先生はそれに応えて頷いておられました。

 小川さんの話のレジュメは、

 1.防衛庁・自衛隊での勤務の経歴
 2.防衛省・自衛隊が抱える根本的な問題点
 3.防衛政策(防衛構想)の根本的な問題点

 と、大項目が並んでいますが、時間の関係で、第1項・第2項は省略し、第3項の話をするとのこと。(おやおや、本当は、第1項からの、生の話を聞きたかったのですが。――これは陰の声。またの機会もありましょう。)
 
 因みに、小川さんの入庁は、三島事件の翌年。「事件」に感じて教師になる道を捨て、入庁された由、憂国忌に参加したときにチラッと聞いた覚えがあります。防衛庁の反応の冷淡さ、自衛隊は一体どうなっているんだ。小川さんの苛立ちやフラストレーションが、レジュメの簡単な文面からも伺い知ることができます。

 小川さんは、防衛政策・防衛構想の根本的問題点に入る前に、自衛隊の根本問題として、普通の主権国家の軍隊において当然とされている、法的に「これをしてはいけない、あれをしてはいけない」という禁止項目(ネガティブ・リスト)を列挙して、それ以外は何をしても良い(「原則自由」)という方式(「ネガ・リスト方式」)を採用せず、「これはしても良い、あれはしても良い」という、行うべき項目(ポジティブ・リスト)を列挙し、「それ以外のことはしてはいけない」とする方式(「ポジ・リスト方式」)を採っていることを指摘しました。
 
 これは、去る4月28日、九段会館で行われた「主権回復の日を祝う会」(井尻千男・入江隆則・小堀桂一郎の三先生の呼びかけで、毎年この日に開催している。)で、田久保先生が、この場で防衛問題について、ただ一点だけ述べたいとして発言なさったことであり、小川さんはそれを引用される形で、問題点を指摘しました。

 つまり、自衛隊は、この点において「軍隊」ではなく、「警察」同然の縛りを受けている、というわけです。

 小川さんは、入庁10年目(昭和55年4月)にして、内局防衛局の計画官付計画係長に就いた時、警察予備隊から自衛隊誕生に至るまでの内部資料の原本を整理する機会に恵まれ、それが問題意識をもつ契機になった、ということです。

 その小川さんが語るには:――

 戦後、GHQの占領政策が転換、日本の再軍備が認められ、その建軍の基礎を何処に求めるか、となったとき、旧軍の幹部達はほとんど公職追放になっており、その上徹底的に旧軍を嫌っていた吉田茂の下、GHQの意向にも沿いながら、旧内務(警察)官僚を起用して警察予備隊を建設した、

というのです。

 彼らは優秀な内務官僚ではあったが、やがて旧軍幹部の追放も解除され、警察予備隊・保安隊に配属されるようになったとき、前者は内局の背広組、後者が制服組(幕僚監部・部隊など)になるという構図が形成された。そこから、我が国のシビリアン・コントロールが「文官統制」の意味に矮小化され、偏向されていく。

 
 なるほど、自衛隊を巡る宿痾は、建軍当時に遡る・極めて根の深い問題だと分かります。

 やがて、我が国の防衛構想・防衛計画の具体化が図られ、自衛隊の規模や装備の充実が求められます。

 しかし、憲法の制約があり、その制約を当然のこととして受け入れているマスコミ世論や野党から、再軍備反対や非武装中立が大声で叫ばれ、また経済的にもまだ充分な力を持っておらず、財政規模も小さかった当時において、充分満足のいく防衛計画が策定できなかったとしても、それはやむを得ないことでしょう。

 けれども、小川さんの話を聞いているうち、エッと耳を疑うような言葉が聞こえてきました。

我が国の「本当の脅威」に対処できる「所用防衛力」なんて、予算上不可能ですよ。だから、「そんな脅威」は無いことにしましょう。 

 予算上実現可能な防衛力で「対応出来る脅威」のことを「実際の脅威」といいましょうよ。

 まあ、言葉は正確ではありませんが(実際にはもっと多くの専門用語で説明されていたので)、私が率直に理解した限り、ざっとこんな理屈です。昭和50~55年頃のことのようです。
 「平時」にはそれで何事もない。「本当の脅威」が問題になるなんて滅多に起こらないことだ。(それは「政治的リスク」だ。)
 
 防衛庁と大蔵省(いずれも当時)の間で、ざっと、こんなふうに了解したというのです。

 いくら何でもこれはひどいんじゃありませんか。

 私たちは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」なんていう脳天気な憲法をもっているから、防衛計画もなかなか進まないものと思ってきた。しかし、防衛の実際の掌に当たる、その中枢の人たちがこんな考えだったら、どうにもならない。
 
 多くの国民が、「平和憲法」のお陰で平和が保たれた、と誤解し、周囲の国際情勢に眼をふさいでいるというのも、所詮、防衛所轄当事者の意向(希望?)に沿った結果ではないのか、といいたくなります
 
 「軍事的合理性」を犠牲にした「政治的妥当性」との整合を図った苦肉の策。

 一般に、こんなふうに表現されているようですが、確かにそれは言い得て妙かも知れませんが、小川さんの尊敬する元統幕議長・来栖弘臣氏の喝破しているところを、正面に据えるべきでしょう。すなわち:――

世界にも歴史的にも通用しない空論。
謂わば「日米安保」を魔法の杖と考えて、吾が方の足りないところは呪文を唱えれば幾らでもアメリカが援助してくれるという大前提での立論。
基盤的防衛力でカバーしていないところは政治的リスクであるといって逃げる無責任な議論。

 これらの話を聞いて、日本は「被保護国」だ(この言葉は、後ほど田久保先生のお話の中にも登場します。)と、よくいわれるが、初めてその本当の意味が分かったような気がします。

 小川さんには、退職されて「野に放たれた」のですから、そんな無責任防衛論に縛られることなく、歯に衣着せぬ「防衛の語り部」になって頂きたい。

 「政治的配慮」やマスコミに通用するような、オブラートに包んだ物言いではなく、リアルに率直に、防衛問題を生の言葉で語って頂きたい。

 それも一人ではなく、志を同じくする防衛問題の専門家を巻き込み、連れだって。

 数年前、民主党の前原誠二氏が中国の軍事的脅威について触れたとき、集中砲火を浴びたことがありますが、今日では、幸いにも(!?)その脅威はより明らかになっています。反対勢力も依然として強力だとしても、多くの国民の理解を得やすい状況が拡大しています。

 国防の精神を、倦まず弛まず、強力に説き続ける集団が無くては、国家主権の回復・再興などあり得ません。
 

 集団的自衛権の行使、
  武器使用基準の国際標準採用、
  主権的判断による自衛隊の国際協力に対する一般法の制定、
  非核三原則・武器輸出三原則(注)・専守防衛論等の見直し乃至は廃止等々、
   (注)「武器輸出三原則」:本来は、「共産圏諸国・国連決議により武器等の輸出が禁止されている国・国際紛争の当事国又はそのおそれのある国」に対する武器輸出を認めないという原則。
 三木内閣の時代に、上記地域以外の国に対しても、武器輸出を原則的に行わないよう拡張解釈されるようになった。
 中曽根内閣の時代に、同盟国アメリカへの武器技術供与を例外として認めることとし、現在に至る。

 これらを全て進捗させるには、専門家の技術的対応だけでは全く不足で、国民的防衛意識の昂揚が不可欠です。まして憲法改正についてはなおさらです。

 まあ、釈迦に説法みたいで恐縮ですが、これも小川さんのお話に触発された結果としてご了承下さい。

 必要防衛力整備を、予算不足を理由に怠ったり、削除したり、ましてや財政再建の犠牲にするなどとは、もってのほかです。防衛費をGDPの1%程度に抑制するなどという規制を見直し、諸外国並みの2~3%に増額することについても、決してタブー視すべきではありません。

 予算なんて、政府がお札を刷ればよいのです。いや、これは政府の貨幣発行大権(セイニアリッジ)といって、長年黙殺され、封印されてきたもので、こういう安直な言い方は絶対すまいと思ってきたことなのですが、そして、それを主張しているマクロ経済学者の方々が、気安くそのような言い方をすることが、却ってそれが黙殺され封印される原因の一つになってきたと考えるのですが、簡単に分かりやすくするために、敢えて安直な言い方をしました。

 本気で国家主権を再興しようとするならば、お金なんか後からついてくるのです。(かつて春日一幸さんが「理屈は後から列車に乗ってやってくる」とか言ったのを思い出しました。)

 いずれ別の機会に論ずべきことでありますが、今日すでに、経済・財政、保険・医療、公共事業や農林漁業、税制や地方自治、その他さまざまな国家の根本を解決するには、セイニアリッジの発動しかないところに来ていると考えますので、敢えて踏み込みました。

 さらにもう一つ、かつて西尾先生が雑誌の座談でリニアモーターカーの建設に言及したのを把らえて、財政危機を無視した経済知らず、と知ったふうな非難をする無礼かつ軽薄な輩が日録に舞い込んできたことがありましたが、そのような「反論」にあらかじめ釘を刺しておく、という意味も込めてあります。

文:等々力孝一

坦々塾報告(第九回)(一)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳

guestbunner2.gif

 坦々塾の勉強会も第9回を数え、間もなく発足してから2年を迎えます。不肖私は「日録」を愛読し、投稿していた関係でご案内を頂き、初回より参加して今日に至っております。この2年弱の期間は、アッという間に過ぎたには違いないのですが、坦々塾の勉強会に参加して開かれた視野の拡がりからは、もっとずっと長い時間の壁を通り抜けてきたような気が致します。
 
 今回の勉強会は、過去8回のどの会よりも熱気に満ちていたように感じられます。いや、どの会とて、熱気に欠けたことなどはないのですが、今回は特にそれが外に向かって放射していたように思われるのです。

 西尾先生のお仕事が、多かれ少なかれその時々の勉強会に影響するのは当然のことですが、このたびは雑誌『飢餓陣営』に発表された「三島由紀夫の死と私」、同じく『WILL』に連載された「皇太子殿下へのご忠言」、そして前々回の勉強会で講義頂いた萩野貞樹先生の急逝と、大きな衝撃が相次ぎました。それらについて、「日録」にも紹介され、コメントも掲載されたので、お読みになった方も多いと思います。

 さらに、3月10日、チベットにおける僧侶・市民のささやかなデモに対する中共政府の無慈悲で血腥い弾圧のニュースは全世界を駆け巡り、五輪聖火に対する抗議の嵐を巻き起こしました。

 我が国においても、善光寺が聖火の出発地点となることを辞退する一方で、長野市内には数千本の赤旗が林立するという、かつての都内におけるメーデーでさえ滅多に見られなかったような異様な光景が現出しました。

 そのような情勢下に、胡錦濤が国賓として来日したのですから、連日「フリーチベット」を叫ぶ抗議の集会・デモが繰り返されたのは当然のことでしょう。従来は、数百人程度の集会・デモならば黙殺したであろうマスメディアも、今回ばかりは、多少控えめではあっても報道せざるを得ない状況になっていました。

 第9回の勉強会は、そんな胡錦濤が離日する10日に予定され、
①、西尾先生の「徂徠の論語解釈は抜群」
②、37年の防衛省勤務を定年退職された坦々塾メンバー小川揚司さんの「吾が国の『防衛政策』変遷と根本的な問題点 ――防衛事務官37年間の勤務を通じて痛感したこと――」
③、田久保忠衛先生の「最近の国際情勢と日本」
というテーマが決められていました。どのテーマをとっても現今の情勢の直面する課題と切り結ぶものばかりで、いやが上にも10日の勉強会は待ち望まれるところでした。

 そこに、さらに決定的な一打がもたらされました。

 西尾先生の大学時代の同クラス以来のおつきあいで、坦々塾メンバーの粕谷哲夫さんが、初めての中国旅行から帰ってきて、その報告の文章が寄せられたので、先生の「徂徠」の持ち時間を粕谷さんの中国旅行の報告に回したい、というメールが配信されたのです。

 先ずは、先生の熱い言葉をお聞き下さい。
 

私は「これだ!」と叫びました。粕谷さんの文字に驚きがあり、感動があります。是非彼の生の声で生の話を聞きたいと思いました。

 宮崎(正弘)さん、桶泉(克夫)さんという二人の中国専門家、高山(正之)さんという人間通と一緒の旅で目にし耳にするものが新しく、心が震えています。

 プラトンが「驚き」(タウマゼイン)こそ知の始まりと言った、そのような新鮮な感覚の消えぬうちに、彼が専門家ではないからこそ、彼の見聞を語らせたいのです。

 願わくば、あと5日、余計なものを読んだり、見たりしないで欲しい。感じたまゝ考えたまゝ、見聞きしたまゝを語って欲しい。

 粕谷さんの「報告」というのは、

昨夜 無事 中国・湖南省の旅から帰国することが出来ました。
強行軍でいささか疲れました。
見ると聞くとは大違いというか、今まで想像だにしなかったことを いろいろ見聞したいへん有意義でした。

と書き出し、以下A4版2枚にびっしりと感嘆の言葉が記されています。(このコピーが当日の粕谷さんの話のレジュメ代わりになりましたので、以下この文書を『レジュメ』ということにします。)

 さて、10日当日は、その粕谷さんの話から始まります。50人分に近い机と椅子が教室風に整列された部屋に、皆さん心なしかいつもより緊張した面もちで着席し、粕谷さんの話に耳を傾けました。

 始まって間もなく、早くも田久保先生がお見えになり、最前列の西尾先生と並んで以後の話をともに聞かれることとなりました。

 今回の粕谷さんの旅行は、昨年から始められた一連の中国旅行企画の第2回目で、「中国歴史・愛国主義教育基地探訪」というテーマです。4月26日に東京を発ち、上海を経て武漢に入り、翌日以後、長沙から湖南省各地を回り、5月3日長沙に戻り広州に飛び、翌4日帰国という、1週間超の旅程です。
 
 スケジュールによると、毎日4~5カ所以上を汽車や車で周遊移動し、見学するという、可なりの強行軍であったことが分かります。

 世界数十カ国以上、何百回となく海外渡航をされた粕谷さんが、中国に限って初めてというのは不思議に思っていたのですが、冷戦時代の商社の仕事は、旧共産圏については「東西貿易」という特殊な機関を通じて全く別の担当者が当たっていので、中国に限らず旧共産圏には足を踏み入れる機会がなかったとのこと。――納得。

 粕谷さんが、西尾先生の希望通り5日の間、これというものを読んだり見たりせず、帰国直後の状態を保持してきた、その思いのままを、1時間にわたって語ってくれました。その迫力を、私の筆力ではとても充分に伝えることは出来ません。
 
 粕谷さんのレジュメの躍動した表現を紹介しながら、私の感想を述べることで替えさせて頂きたい。それによっていささか陳腐な表現に陥ることになるかも知れませんが、どうぞ、お許しの程を。

 レジュメの冒頭は次のとおりです。

広州の里子取引(人身売買市場)(宮崎さんも現場を見るのははじめてと)。
文化大革命の負の遺産を捨てきれない中共の悩み。
それにしても影の薄い胡錦濤。
蒋介石と国民党は中国共産党に都合よく利用されている。

 広州は旅程の最後。その高級ホテルのロビーで公然と里子取引=人身売買が行われているとのこと。引き取り手(里親)は、中国人のみならず、欧米人も含まれているらしい。必要とあれば近くの医師が健康診断?もしてくれるようになっているという。
 
 そればかりか、それ以前の移動中にも、人骨の陳列、人骨売買・死体の取引らしきものを目撃しているというのです。
 
 そのような驚くべき中国社会の現実を、粕谷さんは、中国社会の「下半身」と呼びます。勿論、下半身があるからには上半身もある。上下両方を見る必要がある、と粕谷さんは言います。
 
 上半身だけを見て「友好」を唱える有識者・マスコミ・政治家達は大甘だ、ということです。一般論として分かり切ったことであっても、現地を見て改めて実感した上では、言うことの迫力が違います。

 世界各地を広く見聞してきた粕谷さんは、中国の下半身についても相対化してみることが出来ます。
 
 例えば、中国のトイレは、汚いことは汚いが、インドネシヤはジャカルタの中心部においてさえ、高いところから海にウンコを落としているのとどっちが汚いのか、と言います。
 
 一方、インドの汚さも、衛生的な不潔の意味では中国と変わらないが、ただ、宗教的な穢れ(けがれ)を嫌うという規範があるが、中国の汚さは、衛生的に汚いことは勿論、宗教的・道徳的な規制を全く欠いた汚さだ、ということです。

 武漢の街が本当に汚いとも、嘆いています。

 再び、レジュメの一部を引用します。

人口の都市集中は 休耕田を増やしている、意外に多い休耕田。
車窓から見る武漢⇒長沙の田園風景は唐詩の情感を誘う。
毒餃子事件は中国製品輸出拡大阻止を企てる外国製造業者の妨害行為という庶民認識。
紅衛兵は毛沢東をどう見ていたか、四人組逮捕直後の紅衛兵たちの歓喜⇒市中の酒・爆竹はオール売り切れになった。
紅衛兵の熱狂狂乱とその後の冷却、そして4人組み逮捕時の興奮は、チベット/オリンピックの愛国熱狂も同じパターンならん。
紅衛兵の破壊活動はタリバンと酷似、紅衛兵は交通費タダ・食事宿泊タダ。

 中国の高速道路は立派なもの。その建設投資は海外の華僑富豪の手によっているが、決して愛国的意識で投資しているわけではない。手数料収入で30年回収ということになっているが、実際はもっと短期回収のカラクリがあるという。ちゃっかりカントリーリスクを計算しているわけです。日本人の投資とは全く違う。(台湾人の場合はどうなのだろうか。――筆者の疑問。)

 粕谷さんは、フライング・タイガーズに関する展示に特別に関心を寄せられたようです。
 
 フライング・タイガーズとは、蒋介石軍の一翼として、米国の退役軍人シェンノート将軍(支那名:陳納徳)のもと、米国製戦闘機カーチスP-40(この戦闘機の通称がフライング・タイガー)数百機で編成された空軍部隊(飛虎隊)。義勇軍ということになっているが、歩兵部隊ならいざ知らず、戦闘機百機単位の部隊が米政府の支持・承認なしに派遣できるわけがない。昭和16年4月(つまり日本の対米宣戦布告の半年前。)には、ルーズベルトが秘密裏に調印していたという。
 
 粕谷さんは、戦時中・少年の頃、P-40のことなどよく知っていた、と半ば懐かしそうに語っておられたが(緒戦の頃は、日本の零戦の方が強かったようだ。)、内心、沸々たる怒りをたぎらせていたに違いない。
 
 「真珠湾攻撃を不意打ちだのといって非難するが、これは国際法の中立義務に対する公然たる侵犯である。」
 
 米中の、このような卑劣さは一部で指摘されては来たのだが、それが「抗日戦争」の一環として堂々と展示されているとすれば、その厚顔さに呆れるよりは、日本人を舐めきっているそのことに、怒りを新たにしなければならない。

 さて、話は尽きませんが、レジュメのうち、2~3を引用してこの辺で筆者の報告を締めさせて頂きます。
 
 粕谷さんの、その人柄を通じて、このたびの体験が、きっと多くの日本人に影響を与え、拡げていくことを期待し、また確信しています。

チベットと新疆で中国政府はどうすればいいのか分からず困っている模様。
反日・抗日宣伝には 蒋介石・国民党を肯定することなくしてはありえない中国共産党の矛盾。
中国共産党員には簡単にはなれない⇒大紀元の党員脱党の過剰な報道はウソ・・・・・共産党員の特権をすてるはずがない。

 なお、このたびの旅行には、坦々塾メンバーの鵜野幸一郎さんも参加しており、その感想を述べています。その要点は、――
 ① 世界は悪意に満ちている。特に米中共同。(例:フライング・タイガーズ)
 ② 裏社会と表社会の連続体。net社会に対するウィルスばらまきの脅威。
 ③ 裕福な中国人が、自国を嫌って海外にますます出てゆこうとしている。

[追記]
 坦々塾の翌々日(一二日)、中国四川省でマグニチュード7.8大地震が発生。
 地図でみると、湖南省長沙と四川省成都とは直線距離で800キロはありますから、粕谷さんの行かれたところには被害は及んでいないでしょうが、被害の規模は見当がつきません。
 犠牲者にはご冥福を祈念し、被害者にはお見舞いを申し上げます。
 この大地震が、中国情勢をさらに複雑なものにすることは、疑いありません。

つづく

文:等々力孝一

天下大乱が近づいている(六)

 戦前から戦後にかけてアメリカとイギリスがユーラシア大陸を包囲して支配するという世界戦略がつづいていた。しかしアメリカのイラク戦争の失敗と金融不安の醸成によって、一極集中の大陸包囲政策は次第に難しくなりつつある。ユーラシア大陸は大ざっぱにいって、EUとロシアと中国という地元の大国が中心になって安定維持や紛争解決を図るという、多極化された覇権体制に移っていくだろう。その結果、長い間大陸包囲網の東の要衝にあった日本もその役割を解かれるというきわめて厄介な事態になりつつあるのである。

 「カオスが近づいている」と私が言ったのはこの意味である。大統領選の結果にもよるが、アメリカの対外不干渉主義、いいかえれば寛容主義の方向が大きな流れであることは変わらないだろう。北朝鮮問題へのアメリカの無責任はこの最初の現われである。日米同盟は新たな危機に直面しているとみていい。

 分かり易くいえば、世界は第二次大戦前の情勢に戻りつつあるのである。戦後わが国がアメリカを頼りにして中国やロシアを仮想敵にしていた政策はとても安定していて、気が楽だった。しかしこれからは中国だけでなく、アメリカも油断がならないのである。私が言いたいのはそのことである。60年間忘れていた、すべての国がどこも平等に自分の対決相手、格闘相手だという認識の復活が今ほど求められているときはない。

(「修親」2008.5月号より)

おわり

天下大乱が近づいている(五)

 中国に反発するのはいい。しかしそれだけでは不十分である。中国がなぜここへきて図に乗っているかは経済上昇であり、経済上昇を可能にしたのはアメリカの製造業の没落であり、ベルリンの壁の崩壊以後の西側における手放しの自由経済の行き過ぎ、自己規律の喪失が引き起こしたドル札の濫発である。

 アメリカは外国から商品を輸入し、カネが不足したらまた札を増刷して輸入するというあまりにおいしすぎる基軸通貨国特権に甘えすぎでいた。ソ連の崩壊によって、マルクス主義国家の計画経済という好敵手を失ったがために自分一国の「自由」に溺れた結果だ(小泉政権の「改革」はそのまねである)。

 過剰発行されたドルは世界であふれかえり、中国やインドはそのカネで経済成長をとげたが、中国からアメリカへ輸出する企業の多くはアメリカの企業であって、国内製造業がもう成り立たないアメリカは三十分の一の労働コストで生産できる中国へ工場を移転して、自らはカネがカネを増殖する金融資本主義に走った。その揚句、サブプライムローン問題というアメリカ発の明らかな「金融詐欺」事件を引き起こし、ドルの基軸通貨体制さえ自ら危うくしているのが今の段階である。

 この儘いけば当然ながら中国の輸出産業も成り立たなくなるので上海株は暴落しているが、中国はアメリカから独立して経済上昇しつづける可能性が果たしてどこまであるのか、アメリカも中国の労働力への魅力を捨てきれる自信を有しているのか、2008年前半は両国が丁度その瀬戸際に立たされている局面にあるといっていい。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(四)

 毒入り餃子事件で、責任は日本側にあるというようなあからさまに挑戦的な中国官憲のもの言いに対して、わが国政府は警察に任せて、自らはひと言の抵抗のことばも述べないでいる。中国からの輸入製品の同様な不始末に対し、アメリカはただちに輸入禁止措置をとった。中国はこれに応じ食品関連の高官を汚職を理由に処刑してみせるという恐るべきパフォーマンスを以ってした。

 日本政府は食品検査体制を強化するという、例によって自分の内側で問題を解決する措置しかとれない。中国は当然ながらいっさいを黙殺する。それどころか中国の食品を侮辱した罪で日本側に補償を求めるという度外れた再挑戦の言辞すらもてあそぶ始末である。

 日本政府のとるべき唯一の方策は、輸入食品の品不足からくる混乱をあえて承知で、大幅な禁輸措置に踏み切ることだった。そのほうが外交的にも中国政府を安心させるという情勢判断がなぜできないのだろう。食品への農薬混入は中国社会では日常茶飯事で、根絶不可能なことは中国政府もよく知っている。昼のランチで腹痛を起こしては午後休職する労働者が少しも珍しくない社会だそうである。農業や殺虫剤の混入を科学的に分析して大騒ぎしてみせた日本側の対応は、日本の市民教育にはなったが、「敵」の正体を知らぬ行為と言うほかない。輸入禁止措置の即決だけがあの国に対する唯一の合理的で、無用な摩擦を引き起こさずに報復を封じる外交政策であった。

 餃子事件に対する日本政府の対応の手ぬるさと見当外れは、東シナ海の領土侵犯の日本側の敗北を不気味に予感させている。チベットの血の弾圧、台湾の国民党の勝利、北京オリンピック・ボイコット運動の予想される終熄(まだ分からないが)は、東アジアの中国の勢威拡大、日本押え込みの第二階程である。第一階程は首相の靖国参拝と歴史教科書の敗北にあった。だから日本の言論オピニオン誌がいっせいに反中国の論調を掲げ、中国の脅威に警鐘を鳴らしているのは当然と思うかもしれないが、私にいわせればこれが「敵」の正体の見えていない言論人の見識の無さである。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(三)

 戦争中の日本軍人の高潔な人格を描いた映画『明日への遺言』(小泉尭史監督)がいま評判である。B級戦犯岡田資中将が法廷で部下の責任を全部ひとりで背負って決然と死刑台の露と消えた実話を基にしたあの映画は、たしかに感動的だったが、ようやく日本映画もここまで来たと喜んではいけない。ここでも「敵」は描かれていないのである。

 アメリカという理不尽な敵、許し難い敵の存在、そして日本の戦争の動機の善、あの時代の日本の「正義」などは、描かれていないのだ。描かれているのは部下の罪過を背負って死んだ一将軍の個人的に傑出した勇気と高貴さである。外国人にも通じるヒューマニティの高さである。自己犠牲の美しさという戦後社会にも開かれた一般道徳である。大東亜戦争の歴史の是非は問われていない。

 だからこの映画はつまらぬと言うのではなく、これはこれでいいのだが、「敵」を見ていない点に限界がある。

 これに対し同じ時期に完成した「南京の真実」第一部の『七人の死刑囚』(水島総監督)は、戦後社会とみじんも和解していない。旧敵国人の多くが拒否感情を抱くに相違ない描き方で、あの戦争の日本人の「正義」を正面から掲げている。あの時代の敵は今も「敵」なのである。そういうメッセージが伝わってくる。岡田中将のような分かり易い人間のドラマ的展開をあえて封印して、七人のA級戦犯の辞世の歌に忠実に、処刑の時間までを緻密に、リアルに描いた『七人の死刑囚』は、自己犠牲の美しさとか個人のヒューマニズムといった一般道徳の次元に逃げていない。法廷の場に日米和解の感情が流れるように描かれている『明日への遺言』と違って、和解などあり得なかったあの戦争の敵の実在、運命そのものを正面から見据えている。

 一般興行用にはどちらが向いているかは分からないが、今われわれに必要なのは歴史を甦らせるこの視点である。カオスが再び近づいている今のわれわれの時局において、60年間忘れられていた「敵」と直面し、これと闘い、解決する知性と意思と情熱のいま一度の復活が求められている。

(「修親」2008.5月号より)

つづく

天下大乱が近づいている(二)

 自己反省が全てに先立って優先されるのである。日本人は自分の心の中だけを覗いて、そこで解決しようとする余り、外にある克服すべき本来の原因を見ようとしないのだ。講和条約が結ばれて旧敵国にもう請求ができないのなら、戦争被害の補償は他の何処にももう求められないと考えるべきである。自国政府が補償してくれるとしたら、それは例外中の例外の政治補償にすぎない。

 ところが自国政府が補償してくれたとなると、戦争を引き起こした原因もいつの間にか自国政府にあると考えるようになって、敵国を忘れるというひっくり返った論理、原因と結果のとり違えが始まるに至る。

 自己反省の度が過ぎて、自分の内部に敵を見出そうとする余り、外部の敵を見失う。それがどうにもならない戦後日本人の業ともいうべき「病い」であることをあらためてはっきり見据えたい。東京大空襲や原爆の補償を講和締結の後にはもはやアメリカに望むことができないのだとしたら、よしんば今はできないとしても、百年後にそれに見合う報復をしようとなぜ日本人は考えないのか。

 日露戦争の敗北の屈辱を忘れないからロシア人は北方領土の占領をやめようとしない。イギリス人はロンドンに打ちこまれたドイツの初期弾道ミサイルV2号を今でも決して許していないそうだ。日本人が戦争が終わって三年も経たぬうちに旧敵国への敵意を失い、親米的になった姿を見て、イギリス人やロシア人はじつに不思議な現象だと首を傾げてきたと聞く。

 カオスがまた再び近づいているのに、カオスから国民を守る政治の機能が麻痺していると私が不安を抱くのは、日本人に特有のこの淡白さ、自我の弱さのゆえである。

(「修親」2008.5月号より)

つづく