期せずして私の原点回帰

――焚書・皇室・三島由紀夫――

 いく冊もの新刊が重なるようにして次々と出ることになった。運が悪いのである。早く出るべきものがぐんと遅れ、そうこうするうちに次の出版予定が近づいてしまった。

 四つの出版社から立てつづけに五冊出るので、各社の担当者で話し合ってもらった。6月から毎月一冊づつ出るように手順を改めてもらった。それでも混みすぎる。私の愛読者の方ですらウンザリするであろう。

 『GHQ「焚書」図書開封』(徳間書店)が二ヶ月おくれてようやく6月中ごろまでには出る。今週校了である。おくれたのは新事実発見があったという積極的理由からであるから、お許しいたゞきたい。

 ナチスのユダヤ人迫害にユダヤ人の協力があったことは世界に衝撃を与えた。米軍の占領政策に被占領国側の人間の協力は必ずあった。GHQによる「焚書」に日本の知識人、学者、言論人の協力があったに違いない、と私は推論していたが、容易に証明できなかった。

 今度の私の本の冒頭の章で、一定の諸事実を明らかにした。東京大学文学部の関与が判明した。二人の助教授(当時)の名前も明らかになった。そのうちの一人は昭和33年当時文学部長になり、私の卒業証書の発行人でもあった。

 6月7日夜日本文化チャンネル桜の私の持時間帯で、〈『GHQ「焚書」図書開封』の発刊と新事実発見〉と題して、深刻な内容の全貌をざっと紹介をする。

 この本は二巻つづけて出るはずである。8月15日までに第二巻を出す予定である。第三巻は大略一年くらい先になるだろう。

 『WiLL』7月号に「親米、親中の時代は終った」という、15ページの評論をのせている。大型の評論である。この論文の前半は5月号に予定されていた。ところが皇室問題を書いて欲しい、という例の依頼があって、その気になって書くことになり、急遽差し換えた。皇室問題のほうは期せずしてご承知のように5,6月の二号連作となったので、「親米、親中の時代は終った」は後回しになって、やっと7月号に、後半分を書き加えて皆様の目に触れることになった。

 今の私が時代に向かって訴えたいのは、チベット問題でも米中がつながっていますよ、というこの論文のテーマである。皇太子論では必ずしもない。

 「皇太子殿下にあえてご忠言申し上げる」はWiLL 8月号に第三弾を出す約束になっている。私がいかに忙しいかがお分かりだろう。その前にもう一作、『新潮45』に秘密兵器をかかえている。これは出てからのお楽しみにしておいて欲しい。

 書物を五冊出すと言っていた順序は編集担当のみなさんで相談して次のように散らしてもらうことになった。

 6月 GHQ「焚書」図書開封  第一巻 徳間書店
 7月 皇太子殿下へのご忠言  ワック出版
 8月 GHQ「焚書」図書開封  第二巻 徳間書店
 9月 真贋の洞察  文藝春秋
10月 三島由紀夫の死と私  PHP新書

 各冊の内容紹介は追ってそのつど少しづつ申し上げる。が、焚書、皇室、三島由紀夫は別に意図したわけでもないのに、期せずして一つの共通のテーマに向かって収斂しているようにさえみえる。

 全冊のテーマが偶然、一つの原点に向かって集中するかたちになった。本当に不思議である。自分で意図したわけではないのである。私も著述人生の終期を迎えているということなのだろうか。

――WiLL 7月号のこと――

 WiLL 7月号、つまり私の「親米、親中の時代は終った」の掲載されている号に、WiLL 5、6月号の「皇太子殿下にあえてご忠言申し上げる」への反論がのせられている。竹田恒泰という人である。私は今まで読んだことがない若い著者である。

 WiLL編集部が私への反論をのせたのは、またそこで盛り上げて読者の気を引こうという、花田紀凱編集長の商策であろう。それは一目で誰が見てもそうと分るやり方である。

 私は昨日雑誌を受け取って、今日竹田氏の所論を拝読した。旧皇族の方だそうだが、であればなおのことこんな政治的発言をするとなにか欲があるように思われて損ではないだろうか。戦後の熊沢天皇の例もあるのである。

 私が学歴主義という言葉を用いて言おうとした明治以来の文明史的な文脈を竹田氏はよく分っていないらしく、「東大卒のどこがいけないのか」というようなシンプルな捉え方しかしていないし、それに妃殿下問題は病気治療の問題ではなくすでに「国家の問題」と私が言ったことについても、また皇室が国民に今与えている不安や違和感についても、何もお感じになっていない呑気さ、あるいは鈍さである。

 ま、それはともかくいいとして、「日録」の読者ならすぐピンと分ることを以下にお伝えしておこう。

 今夜、WiLL 7月号を発売一日前に入手できる位置にいた友人から電話が入り、こう言っていた。

 「花田さんははめられたんだよ。僕は竹田恒泰という名を見てピンと来たよ。八木秀次がこの人に急接近してか、あるいは取りこんでか、とにかく6月の日本教育再生機構のシンポジウムにこの人が出ることはご存知ですか」

 「いや、知らない」と私。

 「つまり、花田さんはまるきり気がつかないで、WiLLは〈つくる会〉内紛に巻き込まれたんだな。」

 「言っておくけど、あれは〈内紛〉じゃないよ。〈つくる会〉側からみて正義の戦い、公判で黒白つける客観的な正義を問う戦いなんだよ。」

 「いやあーご免、それはともかく、いずれにしても竹田という男は八木に利用されたんだよ。」

 「八木さんは6月6日の地裁の公判に、裁判長からの召喚命令を受けていると聞いているよ。」

 「だからみんな息を詰めて見守っている。いよいよ彼も正念場だ。竹田という人がこんなことを書いて、後で大損しなければいいが。」

 「それは分らないが、この人の文章を読んで、私は何年か前に夜中に八木一派から送られた〈怪メール〉と同じような奇妙な印象、なぜ?という根本の動機の分らない異様なものの印象をもったことは確かなのだ。」

 「そうだ。そうだろう。そのことを言いたかったんだ。フーム、成程ねぇー」

 「それに八木さんの側はどうやら歴史教科書の方も出せないことになったらしく、相当に追いこまれているんじゃないのかな。私は教科書検定の詳しい事情は知らないんだが、拳を振り上げた扶桑社もフジテレビもどうするつもりなんだろうねぇ。」

 「とすれば必死で、手当り次第、利用できるものは何でも使おうというわけだね。謀略好きの人だからね。竹田さんも可哀そうだなァ。」

 と友はしばらく感懐ありげな趣きで、二、三言葉を継いでいたが、やがて別の話題に転じて、しばらく談笑し、電話を切った。いつもの対話の調子である。「日録」の読者には関心があると思うので、ご紹介しておく。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です