坦々塾報告(第九回)(三)

等々力孝一
坦々塾会員 東京教育大学文学部日本史学科専攻 70歳

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 最後に、田久保忠衛先生のお話となりました。

 田久保先生と言えば、小川揚司さんの言うとおり、外交・安全保障問題の権威として、常に大所高所に立って、バランスのとれた正論を、堂々と展開していらっしゃる。まさに、時宜に適したお話が期待できます。

 実は、田久保先生は、5月13日付『産経新聞』のコラム「正論」の「『胡訪日』以後」というシリーズの第一弾として、「日米同盟と中国の微妙な関係」と題する一文を寄せておられます。
 先生の演題は「最近の国際情勢と日本」ということですが、そこで語られた情勢分析の部分は、『産経新聞』のコラムと重なる部分がありますので、そこには収まらない、先生の思いや、私どもにアピールされたことを中心にまとめてみたいと思います。

 冒頭、先生は、自分は米国に対する批判は人一倍強いのだ、とおっしゃいました。
 西尾さんの対米批判を読んだりすると、すぐにでもアメリカ大使館に抗議に行きたくなる。そこを抑えて冷静になって、「外交上アメリカと対立してはならない。」と自分に言い聞かせる。外交とは、”How to survive.” だからだ、というのです
 ややもすると、(保守派の)反米主義者は、紳士的で論理的整合性のある先生の論調を誤解し、親米一辺倒・対米追随であるかのように批判します。それに対して先生は、逐一丁寧に反論なさるのですが、その反論がまた紳士的かつ論理性を重んじているために、批判者に痛痒を感じさせないということがある。
 そんなとき、悔しい思いを禁じ得ないのですが、先生の上記のお話を伺い、胸のつかえが取れた思いがします。

 先生は26年間時事通信社に勤務され、退職後、ほぼ同期間の研究生活・評論活動を続けてこられたそうです。
 時事通信社では、本土復帰前の沖縄那覇、東京、ワシントンの各支局に勤務されました。その経験を通じて得られた教訓は、アメリカの外交は全世界を通じて展開しており、アメリカを理解するためには世界中を見ている必要がある。反対に、世界を理解するためには、ワシントンに観測の軸足を置かなければならない、ということです。
 
 那覇勤務の頃、佐藤政権は沖縄の本土復帰を、ニクソン=キッシンジャー外交は中国との関係改善を(中ソ対立の中で、敵の敵は味方の論理で)、それぞれ模索していました。
 アメリカは、中国に関係改善を望むシグナルを、様々なルートを通じて北京に送っていましたが、最後の決め手は、沖縄基地からの核撤去だと考えていました。
 アメリカは、シグナルの一つとして、台湾周辺の第七艦隊のパトロールを3分の1に減らすことを声明しました。
 また、中国渡航者の現地でのドル使用の金額制限の撤廃を声明しました。その記者会見に田久保先生は出ていたのですが、隣にいた筑紫哲也氏が、「ニクソンは旅行会社から賄賂を受け取っているのだ。」といったというのです。何とも頓珍漢で独りよがりの内向き議論か、という笑い話。
 一方、佐藤政権は、核抜き本土並み返還が目標。しかし沖縄を含む日本の安全保障のためには、沖縄に核がある方が有利。その核撤去を最も喜ぶのは北京に違いない。しかし、アメリカは、中国との取引の切り札として、沖縄の核を撤去しようとしている。
 佐藤首相は、ワシントンを訪問して、沖縄の核撤去をニクソン大統領にお願いした。ニクソンはその本心はおくびにも出さず、それを拒否した。
 田久保先生曰く、ニクソンはキッシンジャーと二人で大笑いをしたことだろう。
 もし、佐藤さんが、沖縄の核は撤去しないでくれ、といったら、ニクソンは窮したに違いない。キッシンジャーに、日本が沖縄の核撤去を承知するよう説得させただろう。
 そうすれば、日本は核撤去の代償に、どれだけのものを得られたことか。

 この話は、日本の保守政権が、まだまだしっかりしていた時期におけることだけに、考え込まずにいられません。

 ブレジンスキーは、日本を「被保護国」といったことについて、日本を侮辱しているとして非難される。確かに、日本をモナコやアンゴラ並み扱っているわけだから無理もないが、しかしよく考えてみると、彼は如何に日本の現状を正確に捉えていることか。(ブレジンスキー侮るべからず。)

 モンデール大使が、尖閣列島がもし攻められたとき、アメリカは日米安保を適用しない、といった廉で非難する向きがあるが、それも、モンデール氏の言うことが当然ではないか。何となれば、尖閣列島は日本の領土、それは日本人が守るべきものであって、そのためにアメリカが血を流す筋はない。

 上記2点は、先生の何とも痛烈な逆説、しかもハッとさせられる指摘です。

 台湾問題。
 馬英九は、天安門事件を非難している。(チベット問題で北京を非難したことは周知の通り。)
 宮崎正弘さんが、馬英九はアメリカの意向に忠実に沿っている政治家であり、北京に靡くことはない、と補足。
 西尾先生から、馬英九は大丈夫、と聞いて安心した、というコメントがありました。
 馬英九に対して北京は表だった批判はしにくい関係にあるわけですから、日本としては、有力政治家・政府関係者が非公式に接触する機会を多くもち(しかも正式就任以前には出来るだけ大っぴらに接触し)、日台関係強化の既成事実を積み上げるチャンスとすべきではないだろうか。

 アメリカ大統領選挙について。
 民主党候補はオバマにほぼ決定。
 レーガン的=ブッシュ的な、善悪判断(モラル)に立つ保守派で、ストロング・ジャパン派の共和党マケイン有利、という先生の「希望的観測」は、みんなを喜ばせ力づけてくれましたが、アメリカの選挙結果の如何を問わず、ストロング・ジャパンへの歩みを強めなければならないことは、言うまでもありません。

 最後に、日米同盟といえども、それは「政略結婚」。同盟関係に「恋愛結婚」はありえない、という指摘。
 その上に立って、先生が日頃強調されている、「民主主義、人権、法の支配」という「日米共通の価値観」という考え方に、私は全面的な支持を送りたいと思います。
 日本人が命をかけるべきものは、日本の歴史と伝統、日本文明の中にあるのであって、日米共通の価値観とは、その一部・その表層に過ぎないことは当然です。しかし、表層的とはいえ、価値観における共通性の意味は重要である。
 アメリカにしても、その共通価値観にそれほど忠実であるとは限らない。その場合、日本として、逆にアメリカにその共通価値観の遵守を迫ることが重要である。(特に、アメリカの対中・対北朝鮮宥和が前面に出たり、台湾の自立を抑制しているような今日において。そうしてこそ、初めて対等な同盟になりうる。)
 その「共通価値観」の延長上にあると思われる、麻生さんの提起した「自由と繁栄の弧」といったスローガンは、その内容実体は兎も角、中華帝国正面に対峙する我が国の戦略的立場を支えるものとして、過小評価してはならないと考えます。

 順序は前後しましたが、西尾先生のお仕事について。
 「GHQによる『焚書』図書」の出版については、日録でも報じられていますので省略します。6月には出版されるそうなので、待ちたいと思います。
 それに関連して、田久保先生が、先のお話の中で江藤淳氏に触れています。
 アメリカで『閉ざされた言語空間』の執筆準備期間中のこと。GHQの憲法案起草の中心人物・ケーディスに面と向かって、言論統制について非難の言葉を浴びせた時、その場に立ち会ったのだそうです。そのときの江藤さんは本当に偉かった、尊敬している、とおっしゃいました。

 西尾先生のお仕事は、常に政治と関わりを持ってきました。これからもそうでありましょう。
 高校時代にも、哲学・文学を目指しながらも、「講和条約の欺瞞性」といったレポートを書いて、「一般社会」(社会科の一科目。)の先生にほめられた、というエピソードを、ご自分から紹介されました。
 思想と政治、その関係、西尾先生にとっても坦々塾にとっても、それは今後とも、引き続き重要問題でありましょう。

 懇親会は、初めて立食パーティ形式。アッという間の充実した2時間でした。
 ただ、私としたことが、このようなレポートを準備する立場にありながら、田久保先生にご挨拶もお話もせずにすませてしまった失礼が、心残りでありました。

 次回は8月、再会を楽しみにしております。

 おわり

文:等々力孝一

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