西尾幹二全集刊行記念講演会報告(六)

【補足】
ご講演のために西尾先生はレジメを作成されました。(三)からの『昭和のダイナミズム』の冒頭はそれを基にご講義されたのですが、当報告文でうまく表示できず、ご講演に名前が挙がらなかった人物もいますのでこの場で紹介いたします。

(徳富蘇峰)大川周明/林房雄、三島由紀夫/保田與重郎、蓮田善明 、岡潔/
(内藤湖南)平泉澄、坂本太郎/折口信夫、橋本進吉、山田孝雄/
      /小林秀雄、福田恆存/和辻哲郎、竹山道雄、田中美知太郎/
(西田幾多郎)鈴木大拙、西谷啓二、久松真一/

レジメは縦書きです。括弧書きは「点線の上は昭和ではない」人々で、「/」は改行箇所です。(三)の冒頭で上述の表を下(左)から上(右)に向かってご講義されました。

 ご講演の感想
坦々塾会員 阿由葉秀峰

私はこの度のご講演の前半部分を、ふさがれた地下水脈である「昭和のダイナミズム」に至るまでの「導入部」と思い拝聴していました。東西文明の俯瞰、そして歴史を時代区分に縛られない長い時間の尺で捉え、軸足は確りと日本に置いた「広角レンズ」の視点、併せて古代への神秘主義に傾倒した江戸の思想の系譜を「昭和のダイナミズム」と後半部に仰有られました。振り返ってみると、二部に分かれる今回のご講演が「昭和のダイナミズム」の「歴史編」(序章)と「思想編」であったと私には思えたのです。

「外国にふさがれた地下水脈」とは、大川周明、平泉澄、仲小路彰、山田孝雄・・・、彼等が大戦中に、日本の運命に積極的に真のリアリズムを以て関与した「思想の部分」に違いありません。
「ふさがれた」ままの問題は戦後主流の保守思想家たちにもあって、彼らは「徒に戦争を批判または反省する愚」を戒める一方で、「あと一歩というところで口を噤んでいる。(268頁上段)」そして、「一口でいえば戦後から戦後を批判する制限枠内に留まり、アメリカ占領軍の袋の中に閉ざされたままであるという印象を受けるのである。(268頁中段)」と。終戦までの日本の置かれた運命に、我が身を置いて素直に向き合うことを避けている不正直な姿勢から、「そこから先がない。あるいはそれ以前がない、(268頁上段)」。小林秀雄、福田恆存、竹山道夫ら重要な戦後保守思想家たちのことです。雑誌『正論』7月号『日本のための五冊』という企画『戦前を絆(ほだ)す』からの引用ですが、そこで西尾先生は彼等の作品を選ばれていません。彼らが戦前の思想をハッキリ知っている世代であるという点は重要です。私は、彼等は戦後占領軍主導の苛烈な統制から糊口の道を閉ざされる恐怖、実際それを目の当たりに見てきたからではないか、という気もしていますが、分かりません。しかしそれでは真の歴史を描くことも、時代々々の思想や営為も窺うこともできません。
大戦を含めた歴史を振り返るとき彼等に違和感を覚える、という西尾先生のご指摘はとても重要です。今の日本はもはや「そこから先やそれ以前」を糊塗して済ますことができないからです。

全集刊行を記念して西尾先生は、亡くなった遠藤浩一氏とのご対談(平成24年2月2日付当ブログまたは雑誌『WiLL』12月号)で「明治以降の日本の思想家は貧弱で、ニーチェの問いに対応できる思想家はいません。」と、今回のご講演に通じることを仰有いました。思えば、同じ遠藤浩一氏とのご対談で『ニーチェ』二部作の第三部目が大著『江戸のダイナミズム』であると仰有いました。ということは「昭和」の視座で描かれた雑誌『正論』連載中の『戦争史観の転換‐日本はどのように「侵略」されたのか』が書籍化された暁には、それこそが第四部目となるのでは、と想像を逞しくしました。

西尾先生はご講演の締め括りに平泉澄の『我が歴史観』を共感と共に紹介されましたが、私は次の言葉を思いました。「凡そ不誠實なるもの、卑怯なるものは、歴史の組成(くみたて)に與(あずか)る事は出來ない。それは非歴史的なるもの、人體でいえば病菌だ。病菌を自分自身であるかのような錯覚をいだいてはならぬ。」(『少年日本史』「はしがき」)
大正末から昭和45年と長い時間を隔てていますが、「歴史は畢竟、我自身乃至現在の投影。」の認識を経ての言葉であることを思えば『少年日本史』の響きは変わります。そして今日の教育現場では正に「病菌」という錯覚を「自分自身」として教えているといえます。「自虐史観」と謂われますが、自分という認識が無ければ「加虐史観」です。決して歴史の名に値しません。

過去は、裁いたところで、幻とはならない。必要なことは、過去の悪をことごとく肯定する勇気である。さもないと、将来ふたたび反省や後悔をくりかえし、現在の自分の立場もまた悪として断罪の法廷に引き出されることになるであろう。(『第三巻 懐疑の精神』24頁下段)

結局過去の認識は現在に制約されているといえる。われわれの熟知しているごく近い過去の出来事ひとつの解釈にしても、じつに数かぎりない解釈が存在することはわれわれの通常の経験である。それはおおむね歴史家ひとりびとりの個人の主観の反映である場合が多い。あるいは時代の固定観念、すなわち通念の反映像という場合もありうるだろう。つまり過去像はそのときどきの現在の必要に相応して描き出されているのである。(『第四巻 ニーチェ』495頁上段から495頁下段)

「歴史」は「今」を生きる私たちにとって相対的なものです。時代区分についても、「境」は「今」を基準にして後付けするのです。必然的に最近の出来事の方が情報量も多く関心も高いから細かく境を細かくするものです。それはけっきょく自己都合に過ぎません。今から五百年や千年も経てば、細分化さる「今」もかなりザックリと括られてしまうのです。それは仕方のないことでしょう。
「今の自分」との関係から「史実」を取捨選択して「歴史」の材料とするのですから、その「今の自分」という「主体」を無くして歴史はできません。ましてや万国共通の「世界史」など描くことは出来ません。史実と歴史とはまったく別問題で、だから「歴史は行為」することなのであって、歴史からそれを描いた主体がよく見えることはおかしいことではありません。しかし戦後70年かけて「文学が無くなってしまった」時代にどう歴史を描いてゆくのでしょう。

 過去は現代のわれわれとはかかわりなしに、客観的に動かず実在していると考えるのは、もちろん迷妄である。歴史は自然とは異なって、客観的な実在ではなく、歴史という言葉に支えられた世界であろう。だから過去の認識はわれわれの現在の立場に制約されている。現在に生きるわれわれの未来へ向う意識とも切り離せない。そこに、過去に対するわれわれの対処の仕方の困難がある。(『第六巻 ショーペンハウアーとドイツ思想』207頁下段)

過去は固定的に定まっているのではなく、生き、かつ動いているのである。また、過去を認識しようとしている人間もまた、たえず動いている。歴史は、動いているものが動いているものに出会うという局面ではじめて形成される創造行為である。(『同上』482頁上段から下段)

 プラトンの対話篇『国家』でイデアを説くところの「洞窟の比喩」に、ことの難しさを感じます。
生まれながらにして洞窟内に脚と首とを縛られて壁に向かって坐らされている囚人たち。背後に松明(たいまつ)が燃えているが、彼らは振り返ることが出来ないので、彼らの背後をいろいろな物を持って行き来する人々の「壁に映る影」だけを見続け、それを影とは知らず「もの」と思い込んでいる。囚人には影以外のものが見えないからです。あるとき、ひとりの囚人が束縛から放たれて後ろを振り返り歩みだします。松明の光は眩しく目は慣れないが、何者かに外界に連れ出されてしまう。やがて外界に慣れてくると「ものの影」ではなく「そのもの」の姿を認めるようになり、太陽こそがことの原因であることを悟ります。彼は再び真っ暗な洞窟に帰り、縛られ続けている他の囚人たちに外界のことを話し、彼らを連れ出そうと束縛から放ちますが、囚人たちは彼を信用せず捕らえて殺してしまう・・・。
 以上のような筋でしたか・・・。囚人たちは「影」しか知らないので「そのもの」を、それがどうであれ受け容れることが出来なかったということなのでしょう。また囚人の束縛は、囚人の生の支えであったという気もします。

いつの時でしたか西尾先生とお話をしたとき、「私の言論は10年ほど経ってから理解される。」と仰有るので、私が「教育や移民問題を思えば、四半世紀は先んじていますよ。」と申したところ、「それでは困る。」と仰有いました。西尾先生が困られるのも当然で、「今起こっている」問題について声を挙げていらっしゃるのだから「先見」ではなく、「今」響かないのは確かに困るのです。10年や25年経ってから響くようでは全く困るのです。失礼なことを申してしまったと思いました。であれば、雑誌『正論』の中で異彩を放っている西尾先生の連載は今ますます重要で、「戦争史観」五百年史観は、日本人は直ぐにでも「転換」するべきものと思うのです。

最後に、私がこの度のご講演に関連していると感じた西尾先生のアフォリズムを、全集から幾つか拾って纏めてみます。

歴史は認識するものでも裁断するものでもなく、可能なのはただ歴史と接触することだけであり、そこに止まって「成熟」するより他に手はない。(『第二巻 悲劇人の姿勢』36頁下段)

歴史は個人を超えている。知性は全体を把握することができない。知性が歴史全体に対し神の位置に立ったとき、歴史は姿を消す。過去に対しても、未来に対しても、個人は不自由である。不自由の自覚を通じて、個人は初めて「現在」に徹する自由への第一歩を踏み出すことを可能にするのみである。(『同上』143頁下段「知性過信の弊(二)」)

われわれが現在の価値観によって制約され、過去を認識しているにすぎないのなら、自分が未来に何を欲し、どう生き、いかなる価値を形成しようと望んでいるかを離れて、われわれの歴史認識は覚束(おぼつか)ない。過去の探求は、一寸先まで闇である未来へ向けて、われわれが一歩ずつ自分を賭けていく価値形成の行為によって切り開かれる。過去を知ってそれを頼りに未来を歩むのではなく、未来を意欲しつつ同時に過去を生きるという二重の力学に耐えることが、人間の認識の宿命だろう。(『第四巻 ニーチェ』495頁下段「第二節 ワーグナーとの共闘」)

歴史は客観的事実そのものの中にはない。歴史家の選択と判断によって、事実が語られてはじめて、事実は歴史の中に姿を現わす。その限りで、歴史はあくまで言葉の世界である。けれども、歴史家の主観で彩られた世界が直ちに歴史だというのではない。そもそも主観的歴史などは存在しない。歴史家は客観的事実に対してはつねに能う限り謙虚でなくてはならないという制約を背負っている。客観的事実と歴史家本人とはどちらが優位というのでもない。両者の間には不断の対話が必要な所以である。(『第五巻 光と断崖― 最晩年のニーチェ』24頁下段から25頁上段「光と断崖」)

 過去は定まって動かなくなったものではなく、今でも絶えず流動し、休みなく創造されているものである。あるいは絶え間なく再生産されていると言っていい。そして、そうでなくなったものにとっては、どんな素晴らしい過去といえども死物に過ぎない。過去の文化とはそもそも幻影であって、実体ではないのだ。実体はあくまでそれを受け取って再生産する後世の人間の意識の運動の中にしかない。しかもそれはきわめてあやふやな運動で、時代によって異なった幻影を生むし、個人によって異なった再創造の試練を受ける。後世の人間がそのあやふやさに耐え、何らかの価値を賭けていく行為こそがまさしく文化なのではないだろうか。(『第七巻 ソ連知識人との対話 ドイツ再発見の旅』551頁下段から552頁上段「文化観」)

総じてヨーロッパ人がアジアに対する「公正」や「公平」を気取ろうとするときは、ヨーロッパの優越がまだ事実上確保されている場合に限られよう。もし優位がぐらつき、本当に危うくなれば、彼らの「公正」や「公平」は仮面をかなぐり捨て、一転して、自己防衛的な悪意へと変貌することにならないとも限らないのだ。(『同上』349頁下段「仮面の下の傲慢」)

 変わっていなくても勿論いい。日本は日本である。われわれの「近代」がヨーロッパを追い越す段階に達した今になって、日本はやはり日本だったということがはっきりして来たまでのことである。われわれは江戸時代以来の社会心理、人間関係、エートスを保存したまま、外装だけ近代技術の鎧(よろい)で武装して生きているのだ。それはそれでなんら不思議はない。(『第八巻 教育文明論』258頁下段から259頁上段「第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観」)
 
 西尾先生は平泉澄の『我が歴史観』をご紹介されながら胸に深く響いたと仰有いましたが、私は西尾先生の言葉触れて唯々思い入るのです。
 了

『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』その(三)

西尾先生の指示により、長い文章ですが、切らずに掲示します。(管理人)

坦々塾会員 浅野正美

全集第十一巻自由の悲劇の感想

 先生の全集も前回の配本で半分が刊行されて、今回の第十一巻「自由の悲劇」で折り返しを向かえることになった。どの一冊も原稿用紙二千枚になんなんとする大冊である。

 本巻では、89年に起きた世界史上に特筆される政変劇、特にそのことを象徴する出来事の名をとって単に「ベルリンの壁の崩壊」といわれることもある共産主義の終焉と、人間にとって「自由」とは何かを突き詰めた考察、そして「労働移民」の問題を取り上げた論文が並んでいる。私は届いた本の目次を改めて見て、大きく三つのテーマを扱った巻だと考えて読み進めていったのだが、途中からその認識は過っているのではないかと疑うようになった。つまり、この三つは相互に関連し、因果が結びついた問題ではないかと考えるようになったのだ。89年の事件に驚愕し、思考を強制させられた人は多いと思う。当時の私は二十代があと数十日で終わるという、若くて未熟な年代に属していたが、あの日の衝撃は未だに忘れることができない。あの夜、だれとどこでお酒を飲んでいたかということまで、はっきりと覚えている。NHKのニュースでインタビューされた西独に住む老婆が、「絶対に起こらないと思っていたことが現実になった。もうこの先私の人生で何が起きようと、決して驚くことはないだろう」と語っていた言葉も強烈な印象として残っている。先生も同じ趣旨のことを後書きで書いている。

 指揮者のL・バーンスタインは確かドレスデンだったと思うが、ベートーヴェンの第九交響曲を指揮し、第四楽章歓喜の歌では歌詞の「フロイデ(歓喜)」を「フライハイト(自由)」と言い換えて演奏した。あの当時は、自由の勝利を称え、世界全体がそのことを無邪気に祝福するお祭り騒ぎに浮かれていたような印象がある。

 少し私事をお話させていただくことを許していただきたい。「壁の崩壊」からかなり時間が経ってからだが、私はどうしても東欧の国々を見て歩きたいと思い、ウィーンに飛んで、ハンガリー・ルーマニア・チェコを駆け足で回った。その中でも特に行きたかったのがルーマニアだった。本書にも書かれているように、当時大統領だったチャウシェスクとその妻は、民衆の激しいデモと国軍による攻撃によって無惨な最後を遂げた。このときの様子は連日テレビで放映されていたので、今も記憶している人が多いのではないかと思う。ルーマニアの「反革命」暴動は、最初北部の街ティミショアラから始まり、この街でも銃撃戦によって市民の中から多くの犠牲者が出た。そして、私が訪れた時には、そのときの痕跡を示す弾痕一つ見当たらなかった。やがて騒擾は首都のブカレストに飛び火して一層拡大し、夥しい犠牲者を生んだ。ブカレスト郊外にある広大な英雄墓地には、この闘争で亡くなった人たちが埋葬されていた。すべてが個人墓だった。墓石には生年と没年が刻まれていた。いうまでもないが、どの墓の没年も1989年である。私は総てのお墓を巡り、それぞれの犠牲者が何歳で亡くなったのかと計算して回った。なぜか。日本の報道では、若い学生や労働者が自由を求めて立ち上がったと伝えられていたからだ。そこに私は「安保」の光栄を懐かむ懐古趣味というか、郷愁の念のようなものを感じ取っていた。

 実際にこの墓地に眠っていたのは、まさにありとあらゆる年代の人たちだった。そこには0歳の乳児から相当な高齢者までがいた。

 その夜、オペラ座で「椿姫」を見た。切符売り場の窓口では英語が通じなくて、切符を買うのに大変な難儀をした。そうだった、共産圏では一部のエリート以外英語教育を受けられなかったんだ、ということを思い出した。たまたま列に並んでいた中に英語を話す人がいて、助けてもらった。演奏はオーケストラも歌手もひどい水準だった。優秀な人ほど、その能力で自分を高く買ってくれる海外の歌劇場に転身したのだろと思った。こんなところで資本主義の論理を実感できたことが可笑しかった。それでも社会主義時代の遺風だろうか、入場料は信じられないくらい安く、劇場で飲んだグラスワインの方が高いほどだった。この旅では、時間の都合で発火点であるポーランドにも、壁があったベルリンにも行かれなかったが、自分の中ではこれで共産主義のお弔いが済んだという思いだった。それから何年か後、モスクワに行った。美しい街だと思った。サンクトペテルブルク(旧レニングラード)はもっと美しいと、現地の人から言われた。新宿の路上でドイツ人の若者が、ベルリンの壁の欠片を売っていたので買ったこともあった。本物の証拠にと、壁に登って叩き割っている写真がおまけでついて来た。このコンクリート片は今も書棚に飾ってある。

 長々と思い出話を書いてしまったが、私にとってもこのときの体験(壁の崩壊)がいかに衝撃的だったかということを分かっていただきたかったからだ。もうこの先、どんな事件が起ころうとも、それに触発されて外国に行くなどということは絶対にないと思う。

 まだ刊行されているのは1・2巻だけだが、「昭和天皇実録」を読んで改めて感じたことは、昭和天皇の御生涯には実に多くの戦争が起こったという単純なことだ。御幼少の砌であられた日露戦争に始まり、第一次世界大戦、満州事変、支那事変(日支事変)、大東亜戦争(第二次世界大戦)、そしてその帰結である東西冷戦。まさに戦争の御生涯といっていい。東西冷戦の時代、西側諸国は繁栄を極め、平和を謳歌していたが、第二次世界大戦終結によって新たに形作られたその世界秩序は、冷戦終結によって見事に崩壊した。昭和天皇はそれを最後まで見届けることなく崩御されたが、この1989年という符合には、偶然では済まされない意味があるように考えてしまう。それは「壁の崩壊」がフランス革命から200年後に起きたと本書で指摘されている符合とも重なり合うのではないかと思う。

 先生がこの巻のタイトルを「共産主義の終焉」でもなく、「労働鎖国のすすめ」でもなく、あえて「自由の悲劇」としたところに、私は先生が伝えようとした問題の本質をくみ取ろうとした。あるいはこれは私の誤読(誤解)かも知れないのだが。

 先生は本書で、「共産主義の終焉」によって、歴史の進歩主義や人類の歴史におけるフランス革命の必然性という論理展開が完全に破綻したことを丁寧に説明している。本文から引用するのが一番分かりやすいと思うので、これ以外にもいくつかの重要なテーマに絞ってできるだけ多く先生の言葉を引用しながら進めていきたい。

『だからこそ久しい間、ブルジョア資本主義社会が打ち倒されて、プロレタリア独裁の共産主義社会が到来することが、「歴史の必然の法則」と呼ばれて来たのである。そして、その法則に従って、過去の歴史が解釈されてきた。とりわけブルジョア資本主義社会に道を開いたフランス革命に代表される市民革命が、共産主義革命を準備する前段階として評価され、位置づけられて来たのだと思う。(略)そもそも歴史に必然など存在しない。未来の一切は原理的に人間の認識の外にある。未来を限定して考える必然論は、人間が歴史の自由な創造者でもあるという大切な側面を無視した、思考のいわば放棄である(257p) 』

『「歴史の必然の法則」のドグマとは、フランス革命はロシア革命の前史にすぎなかったのである!フランス革命は次に起こるべきロシア革命準備段階として位置づけられ、それによってようやく意義を獲得していたにすぎない。二十世紀にはこのような見方が支配的だった。しかし二十世紀も終わりに近づいて、ロシア革命の有効性が疑われだした。ソ連や東欧は自らの革命を否定した。地球上の他の諸地域において、フランス革命のような市民革命を超克するプロレタリアートのための次の革命はもう起こらない、ということになれば、二十世紀を通じてのフランス革命の意味づけも、根本的に修正させざるを得ないことになってくるであろう。(259P)』

『そもそも否定されたのは「歴史の必然」という考え方である。普遍的なモデルを先行させて考えるあらゆる予見論が誤りとして否定されたのだ。(260P)』

『フランス革命のもたらした「自由」は必ずしも普遍的価値ではなく、南ヨーロッパ・カトリック地帯に起こった風土的精神現象、ローカル現象という一面もあるのではないか。(260p)』

 もう一つ私が感心し驚いたのは、この時点(1989年)ですでに、現在世界のあちこちで起きている混乱と紛争を予言していることである。

『ヨーロッパ流の「近代的自由」の勝利であり、やがて地球の隅々まで「近代的自由」は普遍価値として拡がるであろう、と言う人が多いが、私にはそうは思えない。イスラム世界は堡塁を守り続けるだろう。中国も「近代的自由」とは必ずしも一致しない異質の世界として残るだろう。「近代的自由」の最も良き理解者は日本だが、それでも完全には一致しない。世界は多元体制としての姿を明らかにするだろう。(76P)』

『ソ連の最大の悩みは他民族問題だが、そのコンフリクトの凄まじさは、米ソ両超大国のイデオロギーの覇権争いが終わった後で、地球上で起こる争いの最たるものが何であるか、人種、言語、宗教のコンフリクトこそが二十一世紀の命運を左右するのではないか、という反省をわれわれに蘇らせた。(295p)』

『国際社会で「教義」を持つ文明同士の争いを前にしたとき、日本の特性は無力を露呈する。長所を長所としてどこまで守りきれるか。抽象性を欠く道徳は、自由へのラディカルな情熱を持たないがゆえに、他人の情熱も見えないがゆえに、対策を誤ることにもなりまねないであろう。(343p)』

 まさに二十一世紀の今、人種、言語、宗教のコンフリクト(衝突・対立)が世界の命運を左右する情況となっているではないか。私たちは今、この論文が書かれた時点ではなくて、四半世紀が過ぎた時点で読むことができたために、先生が怜悧に現実を見据えた末に辿り着いた先見性の正しさに改めて驚愕することになる。世の中に、未来を予測する人は多いが、その多くは耳目を集めるための言説が言いっ放しにされているだけであり、検証もされなければ、例え現実がそうならなかったとしても、言った本人も何一つ反省などしない。

 もう一つ、共産主義が完全に否定されたにも関わらず、わが国では相変わらず左翼的な言論が一向に衰えを見せないという奇観というよりも病理的な現象が衰えを見せない。のみならず、それが正義であり優しさであるという共同幻想すらある。

 大衆がその意思決定において判断の拠り所とするところといえば、

『現代の世相は新聞・テレビに動かされ、あるいは知識人、評論家、大学の教師、ジャーナリストに動かされ、これとは正反対の方向の自由ばかりを-私に言わせれば真の自由からの逃走を-しきりに声高に唱える時代を向かえている。(360p) 』

 それだからこそ、こうした立場にいる人の発言には社会的な責任が伴うべきだが、現実は果たしてどうであろうか。

『ドイツでも日本でも、政治主義者の不幸とは、骨の髄まで空想家でしかないのに、自分では現実化だと思っているところにある。(215P)』

『考えてみれば日本の戦後史もこの手の知識人の空しい言論の墓場であった。(略)進歩的な知識人たちは、未来を口にしながら、つねに過去しか視野の中に入れてこなかった。(221P)』

『彼らには学問上の知識はあるが、判断力はなく、知能は高いが、知性のない人たちなのだ。彼らの呪いのヴェールを破り、裸形の現実をありのままに見るようにならない限りこれからの日本も世界も浮かばれないだろう。(747P)』

 なぜ彼らは破綻した共産主義という悪夢にいつまでもすがりつくのか。

『日本のマスコミや知識人は、なぜCommunismを紛らわしくも「社会主義」と訳すのであろうか。そのわけはCommunism の体制とそれ以外の体制との間の深い、決定的な溝を直視したがらない曖昧で無自覚の国民性とCommunism の体制を心のどこかで救いたい、その最終的な敗北と失敗を認めたくないという深層心理と結びついたきわめて後ろ向きの退嬰的心情のなせる業と思われる。そして、スターリン一人に悪役を押しつけ、Communism に期待した自分の過去の不明から目を逸らし、自分の善意と正義心を泥沼に沈めたくないという自己欺瞞に外ならない。(245P)』

『マルクス主義が知的モードとなった二十世紀の初め頃から、人は素直に現実を見ようとしなくなった。民衆のエネルギーによる「下からの市民革命」を近代社会成立の前提条件と考え、各段階を乗り越えたうえでプロレタリア革命が最後の矛盾を克服していくという歴史の必然的発展段階説を信仰するようになった。(311p)』
『明治天皇制を、フランス革命以前のヨーロッパの絶対主義と規定したのは、1932年のコミンテルンから日本共産党に与えられた運動方針の一つであったようだ。日本の学会は、講座派理論と大塚史学に代表されるように、この運動方針に盲従した。なんというばかばかしい迷信が日本の学問を支配し、呪縛していたことであろう。(313p)』

 そんな彼らだが、自らの不明を恥じることもなく、深い精神的な煩悶に悩まされることもなく、実に平然と、いやあっけらかんとすらしている。

『自国をできればコミュニズム体制に近づけたほうが良いのだ、と漠然と思ってきた人々は、大学社会や文壇・論壇や新聞社・出版社に数知れないほど存在していたことを、私は決して忘れてはいない。私が疑問なのは、彼らがいまほとんど動揺もしていない事実である。二十世紀を悩ませてきたロシア革命の理念の、七十年余にしての破産を前にして、本来なら彼らは、東ドイツの人々と同じように放心状態に陥るか、羞ずかしくて人前にも顔を出せない心境になるべきはずのものであろう。(232P)』

 では、人間の複雑性に関して誰よりも鋭敏であるべき文学者はどうであろうか。先生はドイツのギュンター・グラスと大江健三郎の発言を引用しつつ、このように批判している。

『少なくとも「ベルリンの壁」の開放に関するかぎり、ソ連の政策の一大転換が、すべてを決定したのであって、民衆の力は相対的に小さい。グラスは「革命」などという言葉に浮かれているだけで、歴史の底流を動かす力学がまるで見えていない無知を暴露指している点では、日本の進歩的文化人と瓜二つである。(217P)』

『詩的なヴィジョンによって現実が変化するのではない。あくまでも現実的な要請が変化を生み出しているのだということに彼らはもっと留意しなければならない。(226P)』

『「自我の幻想性」と私が呼んだのは、世界中において自分の置かれた位置の認識ができていないことを指す。詩的なヴィジョンで政治に変化を期待する-そしてその無効性と自己欺瞞に永遠に気がつかない-グラス型の文学者は日本にも少なくない。(227P) 』

『文学者が自国の歴史を実際以上に暗黒化して、自分のみを美しい良心の徒に仕立てるという、いい子ぶっている動機が透けて見えるので、文学者らしからぬ、心理的複雑さの欠如というほかはない。(229P)』

 マルクス主義が生まれた背景とは何か。

『マルクス主義はもともとドイツ人がフランス革命よりもさらに徹底した、時代の先を行く革命を実行することで、フランス近代を追い抜こうとする底意を秘めた思想だという一面があるのである。(略)ユダヤ人のメシアニズムの系譜を引くマルクス主義には、千年王国を実現するための弱者の怨恨感情が流れている。遅れたもの、弱いものの暴力による一瞬にしての失地回復と永遠の至福の達成―マルクス主義のこのモチーフは、選民としてのユダヤ人の復讐感情(ルサンチマン)と無関係とは言いがたい。(161P)』

 そしてそれが目指していたものとは、本当に資本主義とはまったく正反対の概念であったのだろか。先生の認識はひたすら深い。

『東側の共産主義体制が自壊していくのを目の当たりに見ながら、両体制は政治制度的にはたしかに対立していたが、精神的には両者の間に本質的相違はなかったことを、あらためてここに確認する。なぜなら、どちらも物質の自由、産業や技術の向上発展への期待、地上の楽土建設への夢を求めてきた点では同じであって、ただそれにいたる手段や目的に相違が認められたにすぎない。(366p)』

 あの当時、共産主義の終焉は「自由の勝利」と讃えられた。ではその自由とは何か。果たしてそれは普遍のそして至上の価値なのか。

『フランス人にしても、ドイツ人にしても、「自由」のドグマによって現実には不自由に陥っている。しかしそれがヨーロッパ人の生きて行くために必要な掟であり、戒律であり、生の形式なのだと私は思う。(89P)』

『「自由」のドグマによって欧米が実際に陥った不自由とはいかなるものであろうか。
それでもなおアメリカは、自由競争のこの原則の旗を下ろすことはあるまい。なぜなら「自由」はこの場合、ただの理想でも、目標でもなく、いわば一個のドグマだからである。ドグマはここでは「独断」と訳されるべきではない。「教義」と訳されるべきである。一つの掟であり、定めであり、言ってみれば戒律である。どんなに不便でも、掟であれば従わないわけにはいかない。これなくしては、国家社会が成り立たず、ばらばらに解体してしまうようなもの、それがドグマだからである。(300p)』

 イスラム教徒の生徒が、戒律で定められているスカーフを着用して登校したことで大論争に発展したフランスでは、

『外から見ている限り、何ともはやばかばかしくも、みっともないコメディーに見えるが、当のフランス人自身は目の色を変えんばかりに切実な面持ちで、真剣である。自分で自分に課した「教義(ドグマ)」に縛られて、身動きできなくなっているからである。なにしろ、ドイツのように、教育の現場に宗教の表徴(しるし)を平気で持ち込むのは、ドイツの「後進性」の表れだと、フランス人は傲慢に解釈し、それが彼らの年来の自負心になっているから始末に負えない。その結果、自分たちの自由も、外国人の自由も、ともに制限せざるを得なくなっていることには気がついていない。(309p)』

『ドイツ人は、学問の選択の自由、研究の自由は、どんな大衆民主主義の時代になっても完璧な形で守らなければならない、という「教義(ドグマ)」に取り憑かれているようである。かりに医学を学びたいという学生がいたとしたら、彼を選抜試験によって門前で追い払うのは、「選択の自由」の原理原則に抵触すると考えるのである。(320p)』

 私たちの感覚ではもはやあっけにとられるばかりである。しかしこれが彼らのパラダイムなのだ。だから彼らにとって日本は永遠に異質の国である。

 

『日本の小学校の朝礼を見て軍国主義といい、日本の労働者を見て会社への封建主義的忠誠心に生きていると頭から決めつける、あのヨーロッパ版「日本叩き」は、ヨーロッパ社会が個人、自由、孤立、プライヴェートの諸価値を、今ではイデオロギーとしてしまったことのいわば裏返しであり、反証なのである。(286p)』

 先生は繰り返し、普遍などなくあるのはローカルな価値だけであると説く。そして、人間は本当に真の自由を欲しているのか、さらにそれに耐えうるのか問う。

『われわれ自由主義体制の人間は、余りにも広く開かれた「自由」の情況の中で、自分というものを維持していくワク組の喪失に悩んでいると言いかえてもよい。そのため、選択の自由は無限にあるのに、何をして良いかわからない。(略)この広い空間の中に自分を維持してくれるワク組が存在しないので、敢えて意図的に小さなワク組を自分の周りに作る。われわれの活動は多かれ少なかれ自閉症的にならざるを得ない。(254P)』

『妨げとなる障害を打破し、自由や平等の拡大を求めてきた結果、この方向をどこまで進めても、人間は自由にもならなければ、平等にもならないという事実にあらためて突き当たる。(340p)』

『何らかの自由の制限なしでは、自由の社会制度そのものも成り立っていかないことは、常識が教えている。しかし、世間が撒き散らしている「自由」の幻想の中では、常識はややもすると時代遅れにみえ、非常識が似非ヒューマニズムの仮面を被って大道を罷り通る。(361p)』

 そもそも、ヨーロッパが育んだ風土・思想・宗教とはいかなるものだったのだろうか。

『われわれは西洋的なヒューマニズムの発生の根源が、孤独と絶望と断念の思想に接していることを知らなければならない。孤独のないところには、人間相互の高度の理解というものも生まれないのである。したたかな自己象徴のせめぎ合う世界にしか、たくましい自己犠牲の宗教が生まれるはずもないだろう。(270p)』

 そして神の死によってもたらされた精神の荒廃とはいかなるものか。

『「もうひとつの縦の垂直の軸」に頼って、すなわち自分の心の内部に問いかけるだけで、横の相対的な関係軸を捨てても安心して生きていける生き方の「型」のようなものだけはまだ残っている。けれども、残っているのは型であり、形式であり、ポーズだけであって、「垂直の軸」の上方には本来は「神」があるはずなのに、じつは何もなくぽっかり空洞があいているに過ぎないのではないか。(略)内心の神に許されたと称して、果てしなく堕落することが起こり得てくる。(285p)』

 再び問う。人は自由な存在なのかと。何ものからも自由であるなどということが果たして可能であろうかと。

『人間は一個人であれ、一民族であれ、この地球上に自分の条件を背負って存在している。障害を持って生まれた個人もあれば、資源や気象条件に恵まれない領土に住む民族もある。そこまで敢えて言わなくても、個人の生涯は彼がこの世に生を享けたときに八割方決定されていると言ってもいい。民族の歴史にしても同様である。しかし、二割から三割くらいはその後の努力に任されている。(349p)』

『人の心は希望の方にばかりどうしても傾く。自由の幅を二割から三割に、三割から四割に少しでも拡大する方法にばかり意を注ぐ。周りの環境もそれをしきりに応援する。しまいに錯覚が生じる。そして、もともと七、八割は最初から制約され、条件づけられていたのだという自らの宿命は、次第に忘れられてしまうのである。(349p)』

そして先生はさらに恐ろしい現実を直視する。それは人間にとって最大の不自由とは何かという問題である。

『山の中腹を切り拓いて開墾はできても、山を動かすことはできない。この場合、どうしても動かない山とは何か。それは自分というものである。弱いものも強いものも、才能のないものも、女性も男性も、誰しも自分というものの限界の中に生きている。(350p)』

『人間にとってどうにも解決のできない困難な相手は、社会的・政治的な課題ではなく、自分という存在に外ならない。自分ほど困った、厄介な相手はこの世にない。(351p)』

『一番手に負えないのは自分という存在である。自由を妨げているのは自分であって、自分の外にある社会的障害ではない。何度でも言っておくが、そのような自分と闘うことから真の自由が始まる。障害と闘うことはなんら自由を意味しない。(352p)』

『百人のうち九十九人が、悪いのは自分ではなく、社会の制度や仕組みに問題があるのだと、自分の外に敵を見つけ、「自由」の不足を恒常的に意識するように教育されてきた現代では、そもそも「自由」であることそれ自体が人間の悲劇であり、何人もそう容易に「自由」であることに耐えられはしない、と深く認識させのは、聖書ではないが、駱駝が針の孔を通るよりむつかしい。(360p)』

そんな人類が到達した世界観を先生はこう述べる。

『われわれの体制にももちろん巨大な悪がある。しかし1989年に人類は、そもそも最善の体制は存在しないので、最悪の体制よりは次善の体制を選ぶ、ということでついに合意を得たのではないかと私は考えている。(234P)』

『1989年のゴルバチョフによる幕引きのドラマは「近代的自由」の導入が理想として後に立つ最大の地域がまだ残ってはいたが、今度の事件で消滅し、このあと「近代的自由」は、最終的に勝利するのではなく、標的を失って、新しい試練に直面するであろう、ということを意味するのである。(323p)』

『共産主義のような偽の自由のイデオロギーにも惑わされず、他のいかなる心地よい理想にも幻影を抱かず、時間的にも空間的にも何もない地平に、そうと承知して生のつづく限り現在を静かに、冷静に立ち尽くしているということ-この単純なことが人間には簡単にできないのである。(739P)』

論文の末尾はこう結ばれている。

『光はいま私自身をも包んでいる。なぜなら、私は自由だからである。しかし、光の先には何もなく、光さえもないことが私には見える。なぜなら、自由であるというだけでは、人間は自由になれない存在だからである。(367p)』

 非常に視覚的な、その映像が目に浮かぶような文章である。これは虚無だろうか。否、私はただ、「現実を直視せよ」ということではないかと理解した。
本書において先生は、複雑極まりない人間のことを知ろうと思ったら、少なくとも若いときに大文学と格闘せよと書いている。まったくその通りだと思う。歴史も未来も、それを描くのはただ人間の営みだけである。人間がその内面に抱える底なしの沼のような闇、その悪を受け容れなければ人間理解など到底叶わないだろう。世にはびこる偽善とお為ごかしからは、真実は何も見えてこない。悲しいかな、すべての人間が自分で思考し、自分で判断することができるほどに、大衆の知性レベルは高くない。先生も指摘しているように、多くの国民は、何の批判精神もなく、疑うことも知らずに、新聞やテレビを通して伝えられる意見や映像を通してただぼんやりと流されていく。

 大衆の混迷は国家の混迷に直結するが、その根本にあるのは、世論を形成する知識人問題であると先生は訴える。国家も個人も、いざとなったらエゴイストになる覚悟が求められるのだ。きれい事と人の善意をあてにするだけのお人好しで、相手もきっとそうであろうなどという甘えは世界では通用しない。
共産主義の七十年にわたる壮大な実験と失敗とは一体何であったのかという問題は、この二十五年間私の中で常に付きまとっている問題だった。特にそれがついに終焉を向かえた瞬間に、同時代人としてそこに立ち会えたということは非常に大きかったと思う。

 ロシアの作曲家、ショスタコービッチの交響曲11番は、1905年1月9日の日曜日に勃発した「血の日曜日事件」への鎮魂歌である。極めて乱暴ないい方をしてしまえば、このときの皇帝に対する不信が、十二年後のロシア革命への狼煙となったといってもいい。1905年は明治三十八年にあたり、日露戦争が終結した年でもある。日本は当時戦況を有利にするための後方攪乱として、ロシアの蜂起陣営を支援していた。だから、もう一度乱暴ないい方を許してもらえるならば、ロシア革命においてわが国は、その実効性はともかくとして、革命側を側面援助したということになるのである。

 フランス革命という母親から、正統な嫡子としてのロシア革命が生まれたというというおとぎ話を真に受けている人は、その前史としての明治天皇制国家を守るための裏工作というエピソードを、どのように読み説くのだろうか。これすらも歴史の必然であると強弁するのだろうか。共産主義が、ブラックマンデー(世界恐慌)という敵失と、右翼による全体主義からの防波堤役を期待されたという二つの外部要素によって、幸運にも生きながらえたという指摘も今回初めて知ったことだった。
東西冷戦終結に伴う当然の帰結として、世界はグローバリゼーションの嵐に巻き込まれた。まさにわが国における労働移民問題とは、遠く二十五年前の世界史を揺るがせた大事件に端を発しているといっていいだろう。冒頭で三つの大きなテーマはそれぞれが独立しているのではなく、お互いが因果関係にあるといったのはそういうことである。

 本巻を私は、本に付箋を張り付けながら読み、その個所をノートに書き写していった。そのノートには、今回引用しなかった文章もあるが、その大学ノート十数頁の書き写しは、自家製超エッセンシャル版として、今後何度も目を通して行きたいと思う。かつてドラッガーを同じようにして読んだ、若い日のことを思い出した。

2015年の新年を迎えて(三)

 正月十日に高校時代の級友早川義郎君から次の書簡が届いた。彼は元東京高裁判事、退官後は数多くの海外旅行を経験し、著書数冊を出した。著書は美術と地誌学的関心からなる本が主で、例えば韓国や日比谷公園に関するものなどが近著である。

 私の全集の最初の巻、すなわち第5巻『光と断崖―最晩年のニーチェ』のときに「月報」を書いてくれた人だ。全集月報の第一号だったので覚えている方もいようか。

拝啓
 正月早々執筆等に忙殺されていることでしょうね。小生風邪をひき、4日ほど寝込んでしまいました。治りかけてから早速貴兄のGHQ焚書図書開封10「地球侵略の主役イギリス」を拝読しましたが、大変面白く、なるほどなるほどと頷きながら、一気に読み終えました(ちゃんと読んだ証拠に206ページ4行目「礼状→令状」と348ページ2行目「野郎自大→夜郎自大」の2か所の誤値発見)。

 アムリトサル事件のことはあまりよく知りませんでしたが、まさに暴虐の一語に尽きます。アイルランドでも同じようなことをしていますから、ましてやインドではということになるのでしょうか。このほか知らなかったことも多く、啓蒙されること大でした。

 我々のイギリスに対する見方は、日露戦争の際日英同盟が日本の勝利に役立ったということで、多少点が甘くなっているのかもしれませんし、物心ついてから我々が知るイギリスというものが、2度の大戦を経て衰亡の道をたどる20世紀後半の姿であったということで、搾取と暴戻をきわめたイギリスの植民地支配を過去のものとして見逃しているところがあるようにも思われます。これなどまさに貴兄のいうわれわれの「内なる西洋」のなせる業かもしれません。

 アメリカとイギリスとの歴史的関係に関する貴兄の指摘にも教えられるものがありました。アングロ・サクソン同士の一枚岩の同盟関係といっても、それはごく最近のこと、アメリカの軍事的、経済的覇権が確立してからのことで、それまではしばしば対立と牽制の関係にあったことがよく分ります。第二次大戦以後の米ソの緊張関係や一昔前の英仏のヨーロッパでの覇権争いに目を奪われているせいかもしれません。

 それにしても、幕末・維新の元老たちはえらかったですね。佐幕も勤皇も英仏との深みにはまらず、絶えず日本の将来を考え、アヘン戦争を他山の石として対処していたあたりはさすがだと思いますが、武士の躾にはやはりそれだけのものがあったのでしょうか。開封11が楽しみです(今度は自費購入しますので、お気遣いなく)。

 甚だ粗雑な感想で申し訳ありませんが、一筆御礼まで。
                                     敬具
西尾幹二様                     早川義郎

 尚、同書は『正論』3月号で、竹内洋二氏が書評して下さることになっている。また、宮崎正弘氏が早くも年末に氏のメルマガに書いてくれている。併せて御礼申し上げる。

西尾幹二全集第14巻「人生論集」読後感

ゲストエッセイ
鳥取大教授 武田修志

 九月も半ばになり、ようやく梅雨のような夏も終わろうとしていますが、西尾先生におかれましては、その後いかがお過ごしでしょうか。

 『西尾幹二全集第十四巻 人生論集』を読了しましたので、いつものように拙い感想を述べさせていただきます。

 今回はこの一巻に、「人生の深淵について」「人生の価値について」「男子、一生の問題」と三篇の人生論が収められていますが、対談「人生の自由と宿命について」のお相手、池田俊二氏と同様、私も「人生の深淵について」を最もおもしろく拝読しました。341ページで池田氏が、「心の奥底をこれほど深く洞察し、心の襞をこれほど精緻に描いたものはどこにもないだろう」とおっしゃっていますが、全く同感です。

 「人生の深淵について」は「新しい人生論」と言っていいのではないかと思います。または、「新たに人生論の可能性を開いた人生論」と。

 どういう意味かと申しますと、三、四十年前までは人生論、あるいは人生論風の教訓的文章はよく出版されていましたし、読まれてもいたと思います。私も高校生から大学生の頃、比較的よく読んだように記憶しています。『三太郎の日記』『愛と認識との出発』といった一昔前の定番の人生論からトルストイ、武者小路実篤、佐古純一郎等、古今東西の人生論あるいは人生論風のエッセーですね。こういう文章が今や誰によっても書かれないし、また読む人もいません。言うまでもなく、こういう文章が、このニヒリズム蔓延の時代を生き抜かなければならない読者にとっても、全く無力だからです。

 小林秀雄が、世間から「私の人生観」を話すように求められながら、「観」とはどういう意味合いの言葉かという話から始めて、明恵や宮本武蔵の話をすることで、間接的に自分の人生観を暗示したに留まったのは、昔ながらの「人生論」の無力、ストレートに自分の生き方を語る不可能を自覚していたせいではないでしょうか。西尾先生もその点では同じだと思います。何か自分はもう人間として出来上がっているかのように、高みに立って、読者に教え諭すように語る、そういう人生論は陳腐であり、不可能である、と。

 それでは、現代においてはどういう「人生論」が可能であるか?

 まさに先生の「人生の深淵について」は、そういう問題意識を持って書かれた「新しい人生論」ではないでしょうか。

 「人生の深淵について」というこの標題が、先生のねらいがどこにあるかを語っています。人生の「深淵」、つまり、人が人生を渡っていく時に出会う「危機の瞬間」に焦点をあてて、人間と人生を語ってみようとしているのだと私は理解しました。人の心の奥底、心の襞を描くに実に巧みな焦点の絞り方です。そして、ここに「現代」というもう一つの視点を持ち込むことで、「怒り」「虚栄」「羞恥」「死」といった古典的テーマへ、先生ならではの洞察を折り込むことに成功しています。全編、これは本当に、読んでおもしろく、同感し、教えられるところの多い、名エッセーだと思いました。

 以下に少しだけ、私が特に同感したところを書き写してみます。

「怒りについて」から――

「(現代社会にあっては)本気で怒るということが誰にもできない。・・・怒りは常に何か目に見えないものの手によって管理されている。」(15ページ)

「・・・怒りは、人生においては何を最も肝要と考えて生きているかという、いわば価値観の根本に関わる貴重な感情と言ってよいのではなかろうか。」(20ページ)

「孤独について」から――

「『孤独感』は自分に近い存在と自分との関わりにおいて初めて生ずるものではないだろうか。近い人間に遠さを感じたときに、初めて人は孤独を知るのではないだろうか。」(51ページ)

「理想を求める精神は、老若を問わず孤独である」(57ページ)

「退屈について」から――

「突きつめて考えるとこの人生に生きる価値があるのかどうかは誰にもわからない。われわれの生には究極的に目的はないのかもしれない。しかし、人生は無価値だと断定するのもまた虚偽なのである。なぜなら、人間は生きている限り、生の外に立って自分の生の全体を対象化して眺めることはできないからだ。われわれは自分の生の客観的な判定者にはなれないのである。そのような判定者になれるのは、われわれが自分の生の外に立ったときだが、そのとき、われわれはこの世にはもはや存在しないのである。」(80ページ)

 ・・・・・こんなふうに引用していくと切りがありませんのでやめますが、今回最も教えられたのは「羞恥について」の一編でした。そもそも「羞恥」という感情について反省的に考察したことが一度もなかったので、以下の章句には非常に教えられるものがありました。

 「羞恥」は「誇りとか謙遜とかのどの概念よりもさらに深く、人間の魂の最も秘密な奥所に触れている人間の基本に関わる心の働きである。」(86ページ)

 「羞恥は意識や意図の入り込む余地のない、きわめて自然な感情の一つである。羞恥は自ずと発生するのであって、演技することはできない。演技した羞恥はすぐ見破られ、厚かましさよりももっと醜悪である。しかし、謙遜を演技することは不可能ではない。謙遜が往々にして傲慢の一形式になることは、『慇懃無礼』という言葉があることから分かるが、羞恥にはこれは通用しない。人は謙遜の仮面を被ることはできても、羞恥の仮面を被ることはできない。ここに、この感情が人間の魂の深部に関わっている所以がある。」(87ページ)

「羞恥はより多く伝統に由来している」(92ページ)

 そして、この羞恥という感情が払底しているのが、また現代であると。羞恥心といったものに自分が無自覚だっただけに、なるほどと納得しました。

 さらにまた(これは池田氏が対談の中で指摘されていることでもありますが)この羞恥という感情がなければ、猥褻ということは成立しないという93ページに詳述されている洞察は、実に目から鱗が落ちるような一ページでした。「人生の深淵について」全体の中でも、先生の思考の深さと明晰さが格別光っている部分ではないかと思いました。

 だらだらと長くなりましたが、この『全集第十四巻』の中で、「随筆集(その一)の部の一番末尾に置かれている随筆「愛犬の死」については、是非ひとこと言っておかなければなりません。

 これは、先生がこれまでにお書きになったエッセーの中でも最も優れたものではないかと思います。小品ですが、実にやわらかな、流れるような文章になっていて、しみじみとした味わいがあり、私は三度読み返してみましたが、三度とも涙なしにでは読み通すことができませんでした。ひょっとすると、この一編が読者へ与える、人が生きて行くことについての、また、死んでいくことについての感慨は、残りの六百ページの人生談義が与える感慨に匹敵するかもしれないなあとも思ったりしました。小説をお書きにならない先生の名短編です。

 (私の弟がたいへん犬好きで、今年の冬、愛犬を無くしましたので、この一編を読ませようと思って「全集第十四巻」を一冊送りましたところ、さっそく読んで、「とても感動した」とすぐに返事を寄越しました。)

 今回はまた表面をなぞっただけの雑漠たる感想になってしまいました。ご容赦下さい。
 今日はこれにて失礼いたします。
 お元気でご活躍下さい。

                                          平成26年9月10日

著者からのコメント

 武田さん、いつものような好意あるご評文、まことにありがとうございます。

 「人生論集」ということばで一冊をまとめましたが、仰せの通りこの題は正確ではないかもしれません。「人生論」という語には古臭いイメージがあるのでしょうね。ただ他に言いようがなかったので、こういう題目で一巻をまとめました。

 巻末の随筆集について触れて下さったのは有り難かったですが、『男子 一生の問題』に言及がなかったのは少し残念でした。これは型破りの作品だったので、いつかまたご感想をおきかせ下さい。

 今年は雨が多く、御地も大変だったのではないでしょうか。どうかお元気で。
                                               草々

渡辺望による全集九巻の感想(四)

 これは文学論から離れる内容で、補足的な感想なのですが、全集の後半、掌編の部分での『トナカイの置物』がとても面白く、上質の短編小説を読むような気持ちにさせてくれました。この文章は西尾氏・加賀乙彦氏・高井有一氏の三人のソビエト旅行でのある断片を描いたエッセイです。ロシア文化圏というところは本当に不思議で、こんな愉快な旅行が全体主義国家の支配下で可能だったことがとても信じられない。実に面白い楽天家のソビエト作家なんかも登場します。しかし何といってもロシア文化圏での大きな存在は酒でしょう。ロシア文化圏には欠かせない存在であるこの酒に楽しく翻弄されながら、いつのまにか氏たち御一行が、ロシア文学の世界の一齣を形成していってしまう、つまりロシア的雰囲気に飲み込まれていってしまう様が、鮮やかにわかる気がします。

 そのエッセイにこんな西尾氏の文章があります。

・・・ウォッカは人間を激昂させるなにかを持っているようだ。普通の酒とは少し違う。これを飲んでいると、ある瞬間からにわかに人が変わったようになる。しかも突然走り出したい衝動に人をかき立てる。ドミートリ・カラマーゾフがウォッカに激発されて、唐突に馬車を駆って走る場面があったように思うが、ウォッカ、それもロシア産のウォッカを飲まなければ、この気分は分からないのかもしれない。

「全集九巻」p486 

 旅行途中のある晩、この文章の説明の通り、ロシアウォッカを飲んだ西尾・高井・加賀の三氏はなぜだかわからないうちに深夜の街中を走り出してしまう。走り出して、まだ走りたりなかった西尾・加賀の両氏は、これまたなぜだかわからないのですが、相撲を取って、水溜りの中に転落した加賀氏は泥だらけになってしまうのでした。私は読んでいて心底、大笑いしました。

 またある日、グルジア産コニャックを嗜んだ三人の中で、加賀氏の様子がおかしくなる。そして、次のような場面になります。

・・・さらに暫くして、加賀さんが立ち上がった。ロシアのツァーリズムについてひとしきり弁舌した。ペトロパヴロフスク要塞監獄の印象がよほど強烈だったのに違いない。加賀さんは「俺は皇帝だ」といきなり、思いがけない言葉を口にした。それでも私たちは冗談だと思っていた。酔っているには違いないが、こういう紅潮はつねづねのことだった。それから加賀さんは自分の靴、帽子、万年筆、私のカメラ、鞄、買物袋、高井さんの上衣、シャツ、靴下、何でも手当たり次第に、空いている壁の下に持っていって、次々と並べ始めた。室内にあるものは誰のものであれ、もう彼には区別がつかなかった。しかしそれらを整然と並べることにかけては、不思議なことに乱れがなかった。高井さんがようやく起き上がって、おいどうしたんだ、止めろよ、と大きな声を上げた。加賀さんは「俺は皇帝だ」と再び言った。「見ろ、こいつらは囚人たちだ」。そう言って壁に整然と立てかけて並べたいっさいの物を指して叫ぶのだった。

「全集九巻」p488  

 加賀氏はとても優しい、責任感のある人物で、このとき壊してしまった西尾氏の骨細工のトナカイの置き土産を弁償するために翌日、西尾氏の制止にもかかわらず街中を歩きまわったといい、そのとき弁償してくれた置物はまだ西尾氏は大事にしているといってこのエッセイは終わります。終わってみればなんとも微笑ましいお話です。

 私は加賀氏の作品のよい読者ではありません。彼の作品では『宣告』と『湿原』と『フランドルの冬』、あとは彼のいくつかのドストエフスキー論を読み、それを下敷きにした解説をテレビで観たことがあるくらいです。しかし『フランドルの冬』に出てくる、まるでヨーロッパの内面そのものをあらわすような貴族出身の怪医師ドロマールは20代はじめの私の心に強い衝撃を与えたことがありました。メディアで観るときの優しい加賀氏の観念の中には、ドロマールや、あるいはドストエフスキーの世界のキリーロフやスタブローギンがひっそりと『住んでいて、ロシアの酒に触媒されて、ふと息を吹き返したのかもしれません。この全集感想で述べたように、小説家は自らが筆を起こした小説の時間・歴史の中へ、いつのまにか自己意識を見失ほどに取り込まれていき、そして最終章で再び自己意識に戻る、という意識の明晰と不明晰のドラマを演じる資質が必要とされます。不明晰のうちに住んでいる何かの謎めいた観念がなければ、人は文学などというものなんてやる必要はない。しかしそれがある人は、いつまでも文学に取り付かれる。そのことは近代文学でも、おそらく非近代文学でも同じだと思います。そういう意味では加賀氏は、実はもっとも小説家らしい小説家なのかもしれません。このさりげないソビエト旅行エッセイもそのような文学論の一つだといったら、大げさにすぎるでしょうか。

渡辺望による全集九巻の感想(三)

 これらの問題にさらに関連する全集収録の評論が「現代小説の問題」の二葉亭四迷論でしょう。三島やサルトルは近代小説の終点に近い時点から近代小説の限界を示したと思いますが、その逆、ヨーロッパ型近代小説の始点の時点にあった二葉亭は、近代小説の方法論を懐疑していました。「現代小説の問題」では、苦渋に満ち た作風でやはり近代文学小説の困難に直面している大江健三郎や古井由吉などについて触れたあと、二葉亭の前近代文学の性格について、「引けめ」と「不信感」をもって次のように説明されています。

 ・・・『浮雲』は、近代小説の先駆として、客観描写や写実という目標を一直線に実現したものでもないし、文語体の伝統的文学を上位に置いていたために文語の修辞に依存したのでもない。まさしくそのどちらにも「不信感」と「引けめ」を感じていた。近代小説を実現しているような、いないような、結局小説としても未完に終った中途半端な不均衡の上に、この作の独自性と、二葉亭の理想と絶望があったのである。                                                                                                               「全集九巻」p44    

 
 二葉亭は近代小説を懐疑して作品を書いて、しかし作品としては成功をおさめませんでしたが、しかし文学の世界にはいろんな実験作があるもので、たとえば坂口安吾の『不連続殺人事件』なんかは(純文学ではないですが)
 近代小説の枠組みをまったく逆手にとった傑作です。私はこの作品をはじめて読んだとき、「こんな小説が二十世紀にあるのか」と心底仰天しました。何しろ、作者本人が作品内でときおり顔を出してライバル作家に謎解き挑戦状をたたきつけたり、警視庁刑事に平野雄高や荒広介といった怪人物が登場したり(坂口の文学仲間の平野謙、埴谷雄高、荒正人、大井広介らの合成人物)、近代小説の客観主義を完全に無視して展開するからです。そして話の流れの先がまったく読めない。けれどこんなに面白い小説はない。これは前近代文学に詳しかった坂口だからこそ可能な方法論だったように思えます。
 氏はこのようにも言われていますが、ここで言う「ユーモア」は、坂口の『不連続殺人事件』の方法論に私が感じた面白さとたぶん同義でしょう。

  ・・・文学を信じない文学精神ということがよく言われる。そこには事実への絶対の信頼があり、他方に、在来の因襲的文学形式への信徒がある。又、事物にも可能な限り接近しようとする分析的意識と、事物から剥離していく一方の主観的修辞の爆発、といった両極端も存在することをすでに見てきた。このような時代に文学における精神の自由とは何であろうか。私たちは明治の初期の二葉亭や漱石のユーモアに『ドン・キホーテ』や『阿呆物語』の哄笑に学ぶべきところがあるのではないだろうか。それは簡単にいえば、どうせ面白い話を読んでいるのだからと読者も安心してお話の嘘を楽しむことのできるという意味で、いかにし てお話を真実らしくみせかけるのかという無理なこわばりのまだ発生していない段階のあるべき自由な姿の一つなのである。

                            「全集九巻」p45

 近代小説と書き手の問題の話に戻りますと、三島のような鋭敏な感性の持ち主にしてみれば、近代小説が、形式なんかにとらわれているうちに、近代社会の現実の方がどんどん速度をあげて小説から取り残さされていってしまうという焦慮感があったに違いないと思います。サルトルの「優等生」ぶりとは正反対の反逆児ですね。たとえば戦後派文学という一群が文学世界を支配し、戦争や国家や人間性、ニヒリズムやヒュ ーマニズムの問題をそれら「価値観の崩壊」という形で主題化しつづけるという時代がありました。氏は武田泰淳の小説を取り上げて「戦後作家くさいなあ」と言われていますが、これは見事な皮肉です。私は「近代文学」という言葉を繰り返し使ってきましたが、実際に日本の文壇を支配しつづけたのは さらに狭い「戦後派文学」という概念にすぎなかった面もあるからです。

 戦後派文学は困難な思想的格闘をしているようでいて、実は作者・作品・問題意識の間に安定した構図があって、その構図への依存が戦後派文学を可能にしていたのでした。この構図が戦後、二十年、三十年と経過し、戦後社会が抽象性を高めるとき、アイロニカルな喜劇が起きることになります。近代小説の「一つの視点」の方法論ではとらえどころのない現実が次々に出現し、小説を書く意味がわからなくなってしまう、ということが起きたように思えます。この問題意識を作品化した開高健の『夏の闇』を氏は全集九巻の「日常の抽象性」という評論で取り上げられ、戦後空間の抽象性への直面を描く開高の正直さを評価しておられます。しかし文学文壇の世界は、開高の 正直さの 世界を通り越して、詐術をもってしても延命をはかろうとすいる方向に行きました。

 だったら小説を書かなければよいのですが、近代小説はそう簡単に縊死するわけでもありませんでした。かつて、「価値観の崩壊」ということで、作品のテーマにしていたさまざまな世間的現象、世間的限界、そういった「崩壊対象」を、自分の作品の中に無理に再構築するという行為の作品が出現することになる。小説という形式を生かすために、「崩壊対象」を小説内容で虚構するというこの逆転が、アイロニカルな喜劇でなくて何でしょうか?日野啓三や加藤幸子の作品をとりあげながら、氏はこの方面での近代小説の行き詰まりを「仕切り」という単語を使って説明されています。

  ・・・戦後派の作家たちは、崩壊感覚をモチーフにしてはいたが、今からみると安定し   た「仕切り」の内部に生きていたのだともいえる。古い道徳や秩序に「仕切」られていたが故に、その崩壊の衝撃はひとしお絶望的に、黒一色に塗りこめらる外なかったのであろう。現代の作家たちはあっけんからんとした何もない明るい空間に抛り出されているために、何が起こっても衝撃はなく、むしろ人工的な架空の「仕切り」を必要とするのだ。
                                      
                                                      「全集九巻」p328

 氏が日野啓三の『天窓のあるガレージ』を取り上げているのはこの評論集全体の最も優れた卓見の一つだと思います。私の周囲の文学仲間の習作的小説のほとんどが(日野のこの小説を読んだこともないのに)きわめて類似した物語のパターンを紡ぎだしていたのを思い出したからです。「仕切り」をあえてつくりださなければならないような近代小説の閉塞は、(小説家を志す人間にとって)まったく全体的現象だったということができるのです。

 安部公房に対しての次のような好意的な評価にも同感です。おそらく、戦後作家の中で、近代小説、戦後派文学の限界に最も意識的な作家は彼だったのではないでしょうか。安部公房は近代小説の限定など無視して小説を書いていますし、そして何より、「崩壊対象」の再構築という文学者の詐術を、ひどくむなしいものとして考えていることにおいて、ある意味、もっとも鋭いリアリスト(安部公房の作品はどれも反リアリズムの極致ですが)だということができるでしょう。

  

・・・深刻な題材なのに、あまり悲壮感がなく、乾いた即物的な明るさが漂っているの   は、まさに「反抗」など成り立たないわわわれの時代に最もふさわしい表現形式が注意深く選ばれていることを示している。どのページにも笑いがあるが、その笑いの裏には作者の測り知れない悲しみがこめられている。脱れようにも脱れられない状況を再現するためには、怒りではなく、胸を圧すユーモア以外ないのであろう。

                                                       「全集九巻」p324

 近代文学小説が現実に力を失っていった背景には、私は小説の書き手の多くが、本質的にはかなりの欠点をもっているといわなければならない近代小説の形式を模範なものとして依存しつづけた結果、社会的現実があって小説作品がある、という本来の関係も見えなくなってしまったことがあると考えます。そしてついに、氏の言われるように、小説内部での「仕切り」をつくるという、社会的現実を小説内部で虚構するという逆転現象まで起きるに至っているのです。これは近代小説という「最後の砦」の中の「最後の姿」を描き出す一つといっていいでしょう。

 取りとめない感想になってしまいましたが、それはこの全集九巻のかかわる分野が広すぎて、まだまだ私に消化しきれていないことによります。これはあくまで第一段階の感想であり、時間が経過し、再読するに連れ、第二、第三の感想があらわれてくると思います。
 

(つづく)

渡辺望による全集九巻の感想(二)

 たとえば「『平家物語』の世界』という全集収録の西尾氏の評論についてです。ここで語られている巧みな近代文学批判の妙は、私のかつての文学仲間の文学崇拝の対極にあります。私の文学サークル、文学仲間で、小説の模範的テキストは一貫してマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』でした。その理由について、小説内部の時間操作の技術力を極限にまで高めた作品にある、というのが定説でした。しかし私はその見解に、当時から今にいたるまで、一度も賛成できないでいます。

 もちろんプルーストの小説が凡作ということではありません。しかしその小説内部での時間の流れの作り方は、特に斬新なものではないと『失われた時を求めて』を初めて読んだときから思いました。一例をあげれば、少なくとも近代文学とさして変わらない歴史の長さを有しているサイエンス・フィクションの世界に、『失われた時を求めて』を超えるような、時間認識に関しての名作はたくさんあります。

 私のそういった見解はしかし、「サイエンス・フィクションは小説内部の世界をさまざまな小手先の物語装置に依存していて、作者の視点が曖昧にされているけれども、プルーストの純文学作品は作者の一つの視点以外の何物にも依存していない」とよく反論されました。たとえば、『失われた時を求めて』より早くに書かれたH・G・ウェルズのSF作品は「時間旅行」というSF的小手先に時間認識を預けてしまって、作者の「一つの視点」を放棄しており、作品全体にあるのは虚構の時間認識でしかない、というふうにです。

 しかしこの「一つの視点」ということこそが深く考えられなければならない問題なのです。全集九巻には収録されていない西尾氏の三島由紀夫論「不自由への情熱」の次のような箇所を引いてみましょう。

 ・・・自分が歴史を構成するのではなく、歴史の中へ自分が這入り、自分を超えたある大きな目に見えぬなにものかの内部で、自分自身の姿が見えなくなる、それが「物語」であり、「叙事」の精神である。『戦争と平和』も、『ブッデンブロオグ家の人々』も、『静かなドン』もそのようにして書かれた。物語に必要なのは偶然性であり、自分がどこに連れていかれるかわからないような出来事の自然な生起、偶発的な生起、いいかえれば、作者が叙述の中なかで自分が見えなくなることがまさしく小説というもののもっとも本質的な性格に外ならないであろう。
 

 これは小説というものの矛盾した性格をたいへんよく言い当てている言葉です。小説を書き始めるときに、作家はその世界に入っていく自分を明晰に認識しているにもかかわらず、いつのまにかその自分が見えなくなっていってしまう不明晰に陥り、歴史=時間の中で自分を見失う。しかし本当に見失ったのではありません。なぜなら、作家は、書き始めのときにも増しての明晰さをもって、小説=叙事の最終章を書き記さなければならないからです。自分を見失っていたプロセスが、実はすべて明晰な意識の見えざるコントロール下におかれていたのかもしれません。いずれにしても、小説の中での自分=「「一つの視点」の喪失と回復のドラマ」が近代小説の原 則なのであって、これ を演じられないと近代小説というものは成立しないことになります。だから、明晰すぎる意識の持ち主であった三島由紀夫は、「豊饒の海」で重大な破綻をきたした、と氏は「不自由への情熱」で語られています。

 私の周囲の文学仲間のプルースト好きについていえば、これはサルトルの長編小説の失敗のようなものだと思われます。中村真一郎がサルトルについて、「サルトルは短編は面白いのに、長編になると小説の骨組みしかなくなってしまう」といい、「小説とは自分が見えなくなってしまうようなところにおいて初めて可能になるということがサルトルにはあまりわかっていない。これはサルトルが頭がよすぎるからなのだろうか」と評していたことがあります。サルトルが小説に関して大変な勉強家で、プルーストの手法を繰り返し学んで、自分の長編小説の模範としていたことは有名です。

 しかし勉強すればするほど、サルトルの長編はつまらなくなっていく。「骨組み」があるだけで「肉」がないからです。この「肉」とは何かといえば、「「一つの視点」の喪失と回復のドラマ」、自意識のドラマです。しかし意識の絶対優位の実存主義を説くサルトルもまた、三島とは別の意味で明晰すぎる意識家であって、不明晰を信じない人間でありました。プルーストを技法的に学んでも、この意識の問題を乗り越えない限り、近代小説はどんどん不可能になっていってしまう。私の当時の周囲の文学仲間とサルトルが似ているなあ、と思うのはそこのところに外なりません。サルトルは「文学の優等生」なのですが、しかし優等生ということはイコール名作者になるとは 限らないのが文学 の世界なのです。そして何より言いたいのは、ブルーストは成功した大河叙事小説の書き手であっても、トルストイやマンに比べると、技法が目立ちすぎる作家の一人であって、「模範」とすれば眼高手低の作風を呼び込みやすい、ということです。

 だったら、いっそのこと、近代小説の枠組みから離れてしまえばいいのではないか?たとえば西尾氏の平家物語論の次の部分は、そんなふうに考えていた当時の私の見解とまったく同じものです。近代文学としての条件を欠いていることが、物語として「劣っている」ということは少しもありません。『平家物語』がもっている、近代小説を超えた面白さをこれほど明瞭に説明した文章を私は他に知りません。

  ・・・『平家物語』の作者は、あるときは平家一族のこころを知っているかのように説明しているし、またあるときは、木曾義仲の、あるいは鎌倉殿頼朝のこころを知っている立場に立ってこれを語っている。それは、きわめて視点を自由にした、一つの立場にとらわれない、常識的な発想に立っているのであって、そのつど、現実の立場の変化に応じ、わりに責任なく動いていく一般人の視点というもので、事柄を素朴に表現してしまうところがあるためと思われる。一例をあげれば、壇ノ浦で家臣たちが自決し、二位殿が安徳天皇を抱いて入水して、なお決心のつかない、平家最後の頭目衛門督宗盛公とその子に対し、作者はその場面ではかなり冷たい目で、おろおろしている宗盛父子を臆病者として描き出しているところは誰も知っていよう。この場面では、宗盛父子が命を惜しむのはただ浅ましいものであって、海へ突き落とされても、聴き手は少しも不自然を感じない。しかしその三段あとで、宗盛父子一行が京の大路を引き廻される場面が語られる。ここで父子に対する作者の感情は一転しているのである。

                                        「全集九巻」p93

 「一つの視点」とは「神の視点」ということと同義で、小説の書き手は小説の内部の中では全能の存在になることができる。全能の存在だから、自己喪失しても最後はそれをとり戻すことができるという意識のドラマも可能になります。『失われた時を求めて』を小説の極意と考える識者は、その「神の視点」を小説の作者が有していると考える人でしょう。そういう意味では「一つの視点」をもちえない『平家物語』は近代小説としては失格です。

 しかし、「神の視点」は「一つの性格」「一つの感情」を必ずしも意味しない。さまざまな、矛盾した顔と人間的感情をいっぱいもったインド神話のような「神」がいてもかまわないはずです。激情にかられるかと思えば不意に優しく人間(人物)に触れる神=作者が、平家物語の背後にいる。『平家物語』は複数の作者の可能性がよく言われますが、もしかしたら、単一の作者がさまざまな人格を演技しているのかもしれません。平家物語は近代文学の前提に何も関心がないがゆえに、先生いわく「そのために、『平家物語』は雑多で豊富な内容と形式をかかえることが可能になった」(全集p94)のです。たしかに叙事詩も歴史論も宗教論も『平家物語』には豊か過ぎるほ どにある のです。

 ここにおいて、「近代文学の可能性」が「近代文学の限界」にテーマを変えることになります。

 『平家物語』の後白河法皇に対して西尾氏の描き方も非常に面白い。後白河法皇は、『平家物語』で表だった登場はあまりなく、発言もほとんどなく、様々な政治的行動を起こすけれども、その内的世界を『平家物語』の作者はほとんど描こうとしない。しかし描かなけれ描かないほど、その存在は異様に肥大していき、『平家物語』の主人公と思わんばかりの存在になってしまう。後白河法皇のこの「沈黙」もまた、「一つの視点」のコントロールの下の描写と告白に依存する近代小説のアンチテーゼ足りうる、と私は氏の評論を解釈しました。たとえば西尾氏は次のように言われています。
 

・・・もっとも注目すべきことは、『平家物 語』の作者が、後白河法皇の隠れた動機や術策の裏側に目を注ぐということをほとんどしていないことである。いや、それを術策として強調したことさえもない。当時のひとびとにとってこれは思いも寄らぬことであったのか、意識してそうなったのか、一考を要する問題の一つではある。が、いずれにしても、『平家物語』の叙述に限ってみただけでも、彼は敗れていく家臣にあるときは涙する温情家であり、またあるときは、危険の芽をいち早くつみとるべく、昨日の味方を敵にし、そしてときに、昨日の敵にやすやすと院宣を与える。そしてその立場はつねに強い。つねに残っている。これはまことに謎めいてみえる。『平家物語』は法皇の内的動機を説明せず、 矛盾した外的行動をただ現象的に記録してばかりであるが、そのためにかえって謎は深められるのである。

                                        「全集九巻」p95

 『平家物語』の後白河法皇の不気味な存在感は、私には三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を連想させます。『サド侯爵夫人』の「主人公」は、実は作品内部に一度も登場しないサド侯爵に他ならない。彼は物語を表面的になぞれば、登場人物の女性たちによって断片的に語られるだけの存在に過ぎません。しかし姿を見せなければ見せないほど、彼の存在感は物語内部で大きなものになっていく。物語の最後に、公爵夫人ルネの悲劇の拒絶によって 、彼は物語世界から最終的に登場を拒まれるのに、その存在はついに得たいの知れないものにまで化していきます。

 描写や告白を使うことのない後白河法皇の存在の展開は、西尾氏の言葉を借りれば「伝説」のようなもので、少しも客観的な記述に依存していません。しかし神という見えざる存在を主人公とする宗教神話を考えれば明らかなように、「伝説」の力はあらゆる物語世界の頂において私たちの観念を支配しています。「伝説」の力こそ、物語作者が究極的に欲する力なのではないでしょうか。しかしいつのまにか「客観的描写作品」を描くような職業意識に沈んでいってしまうのではないでしょうか。

 三島という人は明晰な意識家であると同時に近代小説の限界にひどく意識的で、か なりの不満をおぼえていた人物です。近代小説の単調な時間の流れ、単調な作品と作家の関係に飽き足らないということを、彼はよく言っています。そんな彼が戯曲という小説に似て非なるものの舞台世界を生かして、近代小説ではありえないような主人公の描き方を巧妙に示したということができるでしょう。

(つづく)

渡辺望による全集九巻の感想(一)

 

「無能なオバマはウクライナで躓き、日中韓でも躓く」は、また後日連載します。

 今回の全集第九巻は、他の全集の内容に比べて、ずっと自分の根幹に生々しく迫るものが多く、読んでいて、自然とたくさんの感想が湧いてきまして、それを文章にしたためたくなりました。西尾氏(西尾先生とお呼びすべきを失礼を承知で西尾氏と表記させていただきます)は文学は自身の故地であり根拠地である、とおっしゃっています。私も氏の広さと深さにはとても及びませんが、文学の世界には、自分の始点のようなものを感じる人間の一人で、それが今回の全集を自分にとって身近なものにしている理由のように思います。

 故地であり根拠地である、と偉そうに言いましたが私の場合は、公の形で文学に関係する文章を同人誌以外に発表したことはなく、十代の頃から文学青年ということを公言していただけで、特に残るものを書いていたわけではありません。「文学青年としての個人的記憶」のみが私の文学経験、といってよいです。だから西尾氏の文学論への感想といっても、自然と自分の思い出話のようなものが混じってしまうような感想、文学論になるのはどうしても避けられません。

 「文学青年」などという言葉はたぶん今、世間的には死語なのでしょうが、私が大学生時代だった1990年代にもすでに半死の言葉でした。自分は大学・大学院時代と都内のある私大の文学サークルに所属していたのですが、サークルの部室があった階には、同じく芸術系表現系のサークルが集中していて、近所には、演劇サークルや映画サークルがたくさんあり、そうした表現系サークルは空間的にも精神的にも「近所」で、自分たちの仲間だけでなく彼らともずいぶんと議論を交わしたり酒を飲んだりしたものです。

 これがさらに十年二十年前だったら、文学仲間・文学サークル内部だけで侃々諤々できたのでしょうけど、私たちの時代はすでに「文学派」の学生が独力でいろんなことをやるのは困難になっていました。同時代の文芸作品で論じることいのできる作品が非常に少なくなっていたせいです。おかげで私は、いつのまにか、演劇にも映画にも多少詳しくなることができました。

 そういう面々の「近所」サークルの面々に議論の度毎にいわれたのが、「文学なんていう時代遅れのものをよくやっているなあ」ということでした。彼らが言うのは、「物語」に情熱を燃やすのは、文学も映画・演劇も同じである、しかし個人が小説や文学論を書くというようなスタイルは時代遅れもいいところ、時代はどんどんビジュアルになっているのだ、というようなことでした。

 今から考えてみればずいぶん青臭い議論をしていて恥ずかしいのですが、あまりに「文学は終わり」と彼らにいわれて、自分は何だか戦国時代に敗戦が決まっている弱い城に籠城している侍になったような卑屈な気持ちになっていきました。それでも自分は敗北覚悟で文学を自分の根拠にしているんだ、と居直って、文学を読んだり、同人誌に書いたり、議論したりしていました。少なくとも人並みに世界文学と日本文学を読んでいて、心底好きな作家、あんなふうに書けたらいいなあと思える作家が両手で数えられるくらいはいました。

 そんな自分が文学サークルその他、文学仲間に馴染めたかというと、ぜんぜんそうではありませんでした。文学が好きになればなるほど、文学を共にする仲間の見識の狭さが気になって、自分が文学世界で孤独孤立していくような気持ちに陥ってしまう。私が一番嫌だったのは、「近代文学」という精神的地面を揺るぎのない安定したものと思いこんでいる周囲の楽観性のようなものでした。

 私にとっては、近代文学そのものはぜんぜん安定した精神的地面をもっていない。自分もやはり、「文学は終わり」とどこかで決定的に思っていたのでしょう。ただ、「いかにして」「なぜ」、「文学は終わり」なのかはなかなか明瞭な答えを見出せない問いかけで、それは今も続いています。

 私の「文学青年」だった1990年代は、文化論的にいろんな解釈ができる時代だと思いますが、こと近代文学という面に関していえば、文壇雑誌とか文芸時評とかが力をまだかろうじて持っていた時代で、文壇の価値が通用した最後の頃だったといえると思います。最後の砦みたいなことになっているから、より一層強く依存していたのかもしれないのですが、文学仲間は誰も、ほとんど悲壮といえるほどに、文壇雑誌や文芸時評を真面目に崇拝していました。つまりもうヨレヨレになっている近代文学の法衣のようなものを厚くかぶって、その衣以外の知的衣服を拒否していました。敗れつつある戦国時代のどこかの城の中の光景で、絶望的な念仏を唱える武士のような気配 です。

 そういう自分の過去の背景を前提にして西尾氏の全集・文学評論について考えたいのですが、当時すでに読んでいたものもあるし、今回の全集ではじめて目を通したものもあります。

 氏のこれら文学評論の性格を一言で言いあらわすなら、近代文学が直面している「最後の姿」を緻密に描いている知的物語、といえると思います。近代文学の精神的地面がどんどんぐらついていっているということ、そしてその終末的な状況を、悲壮的でも楽観的でもなく、時代全体の物語というような筆遣いで描かれているところです。言い換えれば、「いかにして」「なぜ」、「文学は終わり」なのか、という自分がずっと考えてきたことを助けてくれる評論集、といえます。

 「最後の姿」を描く、というと何だか世界の終焉のような響きがありますが、決してそのようなことはありません。文学は何も近代文学小説がすべてではない。近代文学以前には広大な古典文学の世界があり、世界宗教の説話もまた文学であり、また近代文学が取り扱ってきたテーマは決して秀逸に解決されたものではなく、その多くが哲学理論的に検証して甚だ軽薄なものだ、という非難も可能でしょう。

 大学時代の「近所」サークルの面々が言っていた通り、映画にも演劇にも「文学」はあるし、私に言わせれば優れた文明論や歴史論にも「文学」はあります。近代文学小説というのはあくまで、ある文明的限定において成立している一つの芸術形式です。ところが、このことが、当の文学に集う面々があまりよくわかっていないようなのです。

(つづく)

教育文明論の感想(三)

ゲストエッセイ
武田修志 鳥取大学教授 ドイツ文学

 平成二十五年も余すところ数日となりました。
 お変りなくお元気で御活躍のことと拝察申し上げます。
 こちら鳥取は今日は朝から猛然たる雪降りで、瞬く間に四、五センチの積雪になっています。

『西尾幹二全集第八巻』を読了いたしましたので、ひとこと感想を申し述べます。

 この大冊は、先生ご自身が後記でお書きのように、一つの精神のドラマですね。一九八十年代の十年余りの月日を、日本の教育改革のために、情熱の限りを尽くして孤軍奮闘した精神人の記録です。この全集第八巻に収められた御論考はかつてほとんど拝読したことのあるものですが、今回全編をまとめて読み直し、当時の先生の気迫に圧倒されるような思いが致しました。

この長編物語の中で、今回一番心に刻まれた場面は、先生がその大部分をお書きになった「中間報告」の原稿を、文部官僚たちが膝詰めで先生に書き直しを迫ったあの場面です。先生ご本人のみならず、読者まで胸の痛みを感じるシーンです。審議会委員が削除をもとめているわけでもない文案に手を入れたり、削除したりする、これはまさに思想の検閲ですが、更に、深夜先生一人を、座長以下係官十名余りが取り囲んで、先生の文章の上に直接抹消の線を引いたコピーを渡して、一語一語、一文一文書き直しを迫るーいったいこれは何だと、今回改めて憤りが噴出してきましたが、ここで冷静に考えてみますと、この時こそが、先生が十年の間、情熱を傾けて戦われた「敵」との決戦の時であり、主戦場だったのだと思います。先生は屈辱によく耐えられて、先生にできる限りの勝利を勝ち取られたのです。もし先生があの場面で席を蹴って、退席してしまわれたら、先生ご自身がお書きのように、「中間報告そのものがさらに全面的に骨抜きに」なっていたことでしょうから。「中間報告」が文体をもった、肉声の聞こえる文書として公にされたというだけでも、当時あの冊子を読んだ人には、ある感銘を今に残して無意識のうちに影響を与えていることでしょう。

先生はこの孤軍奮闘のドラマの最後に、こう書いておられます、「私は『価値』を問題にしていたのだ。『価値転換』を問題にしていたのだ。ところが、諸氏はすでに存在する一定の価値の範囲における制度の修正、ないし手直しを考えていたにすぎない」と。これは、このドラマの締め括りの言葉として、誠に的確なものだと思います。全編を読んで、まさにこの通りだと思いました。

 文部省の有能な係官たちがどうして、審議委員が問題にしなかった先生の文案を、なんとしても改竄しなければならないと考えたのか。彼らの歴史理解、人間理解が、日教組風な歴史理解や人間理解に染まっていて、先生の理解に密かに違和を感じ、敵意を燃やしていたということもあるでしょうが、根本的には彼らは、個の価値を尊重し、創造性を最も大事にする先生のような生き方をこそ、否定したかったのではないでしょうか。それというのも、彼らは先生に対して、文案の語句を直すという形で迫ったきたわけですが、本当のところは、(彼らが意識していたか、していなかったかは分かりませんが)先生の文章の文体をこそ改変したかったのではないかと思います。文体というものは、筆者の人間そのもの、筆者の生き方そのものだからです。

思えば、先生とお付合い頂くようになりましたきっかけが、『日本の教育 ドイツの教育』を、この書が出版されましてからすぐに、読んだことでした。先生のお若い日の御論考「小林秀雄」を「新潮」紙上で拝読しましたのは、私が大学一年生か、二年生の時でしたが、『日本の教育 ドイツの教育』に出会ったときは、私もすでにドイツ語教師になっていて、三十代の初めでした。この新潮選書を読んで、ドイツ文学者にもこういう本の書ける人がいるのだと、強い憧れのような気持ちを抱いたことをよく覚えています。ドイツ文学者が扱うテーマとして非常に斬新であり、また文章が学者風の重たくおもしろみのないものではなく、はぎれよく、味わいがあるー「この人は自分の手本だな」と思ったものです。その後、ある医学部の二年生のクラスで(当時はまだ医学部の学生は第二外国語を八単位学んでいました)、先生のドイツでの御講演をテキストにしたものを取り上げ、一方、日本滞在の長いあるドイツ人の日本論をドイツ語で読み、これを先生のテキストと比較して、感想を書くよう課題を出し、私自身も多少長い感想を書きました。そして、学生と私の「レポート」を先生へお送りしましたら、先生にたいへん喜んでいただきました。その後先生からはたびたび御著書を送っていただくようになり、私は先生の熱心な読者になったのでした。今回も全集第八巻を通読しますと、例えば「教育はそれ自体を自己目的とする無償の情熱である」という意味の言葉が繰り返し述べられています。更に先生はまた、94ページでこうもおっしゃっています、「私が教育について真っ先に言いたいのは、教育家が学校教育についてつねに謙虚になり、限界を知って欲しいということである。教育はつまるところ自己教育である。学校はそのための手援けをする以上のことはなし得ないし、またすべきでもない。教育はなるほど知識や技術を超えた何かを伝えることに成功しなければ教育の名に値しないが、しかしまさにそれだからこそ、われわれが聖人君子でない以上、学校教育は知識や技術を教えることに厳しく自己限定すべきだと私は言いたいのである。」これらの言葉は、先生の教育についての基本理念と言っていいものだと思いますが、これはまた、こういうふうに先生から教えを受けて、、私が教師生活の中で、いつも忘れずに肝に銘じていた考えです。私は教師になって今年で三十九年になりますが、私の教師人生は、こういう先生のお考えをどういうふうに教室で具体化するか、そのことに終始したように、今、感じられます。教師としてのありよう、教育についての考え方等、先生の御著書をいつも参考にして考え、実戦してきたように思い、今回改めて先生への感謝を新たにしているところです。

 今回の全集第八巻が単に「教育論」と題されずに、「教育文明論」と銘打たれているところに、先生の思いがひとつ表れているかと思います。私の勝手な理解では、この書を単に一九八〇年代の教育改善のための具体的提案や議論の記録として受け取らずに、近代の新しい段階へ踏み出して行かねばならない我々日本人の生き方を問うた書と受け取ってほしいという意味ではないかと思います。この新しい近代では、重要な近代概念の二つである自由と平等がどのようにパラドキシカルに理解されることになるか、その理解を誤まれば、教育も社会もある袋小路へ迷い込んでしまうであろう、と。そういう意味で、この書における先生の御奮闘の姿は、少し距離を置いて見れば、(先生も自覚なさっているように)時代の先を一人行くドン・キホーテの姿と見えるかもしれません。そして、このドン・キホーテの理想は、三十年前には半ばしか理解されませんでしたが、おそらく次の世代において、日本の教育と日本人の生き方が問い直されるとき、よみがえってくるのではないでしょうか。それ故、今回、先生の教育論の全論考がこういう全集の一冊という形でまとめられたのは、のちのちのために非常によかったと思います。

 いつものようにまとまりのない感想になってしまいました。
 今日はこれにて失礼いたします。
 よいお正月をお迎えになってください。

平成二十五年十二月二十八日

教育文明論の感想(二)

ゲストエッセイ
岩淵 順 大学院生

拝啓

 西尾幹二著作集三部作の一冊目が刊行され、さっそく私も購入いたしました。現在修士論文の作成と平行しながら着々と読み進めていて、あと少しで読了するとこまで来ています。どの章もどの章もとても知的好奇心が刺激され、且つ色々と考えさせられることが多くあります。

 その感想もいずれまとめて御報告できると思いますが、まだしばらくはこれまで読んだ著作の感想の方を述べていこうかと思います。今回ご報告するのは、『日本の教育 ドイツの教育』を読んだ感想です。

 この本に関してはちょっとしたエピソードがあって、実は手に入れた場所が日本ではないのです。それはどこかというと、今年の春休みに海外旅行で行ったタイで購入したものです。タイ東北部のチェンマイという町で、たまたま見つけた日本食の食堂に行った時に、日本の古本を売っている本棚が何個か置いてあり、その中で見つけたのでした。

 どうやら、そこのタイ人の女性の旦那が日本人で、その人が日本で集めたものを置いていたらしいのですが、まさかこんなところで日本の書籍に、それも西尾先生の著書に出会えるとは思ってもいなかったので、非常に驚いた出来事でした。

 ちなみにそこにはなんと、あの小堀桂一郎先生の『東京裁判の呪ひ』と、あの伊藤隆先生の『昭和史をさぐる』までが置いてあって、これ幸いとばかりにその二冊も購入しました。

 こんな場所でこんな良い本が手に入るとは、随分と好い機会に恵まれたものだと上機嫌でホテルに帰ったことを覚えています。ちなみに、その日本人男性はかなりのインテリだろうと思われるでしょうが、実際はどうもタイ人女性の「ヒモ」をやっているように見受けられました(食堂の空いている椅子に座って終日テレビを見ているだけの生活をしていましたから)。

 というわけで、この本はそのタイ旅行中に読んだものなのですが、実は教育についての本というと、どうも真面目で堅苦しいイメージがあり、最初はそんなに面白いものではないだろうとあまり期待しないで読み始めました。

 ところが、実際に読んでみると、おもしろくないどころではなく、非常に興味深い内容でたちまち夢中になって読み耽ることになりました。

 ドイツの教育制度との比較によって、日本の教育制度の構造が浮き彫りにされ、どこに問題点があるのかということが、とても良く理解できる内容でした。

 教育の平等化をより徹底させようとすると、かえって学校間に差別が出て来てしまうという逆説は、非常に見事な洞察であったと思われます。

 学校のレベルを細かく意識するというのは、まさに私の経験にそのままあてはまることでした。私は進学競争の病理にどっぶりと漬かっていて、その中でさんざん苦しめられてきた類いの人間だったので、この西尾先生の分析にはいちいち思い当たる事ばかりでした。

 大学を受ける時に、少しでも偏差値の高い大学へ行く事に異様に執着し、本当に細かい数字で大学にランクを付けて、また、それを自分のアイデンティティにしようとして、大学の偏差値に対して、今から考えると滑稽なほどコンプレックスを感じていました。

 ついでに、私は会社勤めを一年半程した経験があったので、企業に関する分析に関しても、本質をよく突いていると感心していました。短い期間でしたが、私が実際に会社の中で体験したことを、西尾先生の推察は驚くくらい的確に捉えていたと思います。

 あまり物事の道理をはっきりとさせず、あいまいなままで上司の意向だけが通って行くというのは良くあった事ですし、仕事が出来る出来ないよりも、人当たりの善し悪しや、協調性等で評価される比重がかなり大きかった事を覚えています。(ちなみに私は、昼休みに他の同僚と一緒に昼ご飯を食べに行かないという理由で、協調性に欠けるという勤務評価をもらった事がありました)

 ある一定のレベルの大学を出たという事で、それが暗黙のステイタスのようなものになっているのを感じた事もあります。(役員との交流会の時に、役員の一人が「これからは、学歴も年齢も関係ない時代になりますよ」といっていたのですが、新入社員の学歴を見ると全員いわゆる「日東駒専」以上になっていて、其れ以下の大学出身者はおらず、さらには名簿の並びが年齢順(大学院の出身者がいた)の五十音順に並んでいました)

 この本ではすでに、日本の教育の最も核心となる問題点を明らかにしてしまったので、問題を解決する方法についても、議論の余地はないように思われます。

 無理に平等にしようとするから、返って差別が強調されることになるわけで、西尾先生が提案した、逆に少し差別を作った方が良いという論が、問題を解決する最良の方法だと思います。

 最初からある程度の差別があれば、案外と差別を意識しなくなるというのが人間の心理ではないでしょうか。ドイツの教育現場を見ると、差別があって当たり前という社会の方が、人間の心が安定している状態にあるというのがそのことを証明していると思います。

 競争が人間性を損なわせるとは限らないという意見も、私は高校の時の経験から納得できます。実は私は高校ではいわゆる劣等生だったのですが、そんな私に対して、学年で上位に入るような、いわゆるエリートといったタイプの人間の方が、成績の善し悪しに関わらず対等に接してくれたのです。

 まん中よりもちょっと上くらいの人間でも、同じような感じだったと思います。それに対して、ひどかったのはまん中よりも下の部類に入る人間、あるいはもう少しで劣等生になるかならないかといった人間です。

 そいつらは自分たちが感じている劣等感をごまかすために、露骨なまでにこっちを見下す言動を、ことあるごとに投げかけて来たものでした。おかげで一時は登校拒否のような状態にまで追い込まれたこともありました。

 しかし、最後は開き直って、「いくらこちらを馬鹿にしたところで、お前もたいして勉強できないということは変わらないだろう」と言ってやったら、さすがにこたえたらしく、その時は激昂していましたが、それ以後は何も言って来なくなりました。

 というように、競争社会においては、下になる人間の方が、自分のアイデンティティを保つために、(努力する代りに)さらに下の人間を叩くという構図になっていて、案外と上の方の人間の方がしっかりした人間だったりするものだと思います。

 ちなみに、私も中学校までは学年でも上位に入るような人間だったので、その時の経験からいって、決して勉強の出来ない人間を馬鹿にするような態度は取らなかったと断言できます。だいたい、自分が努力してより上を目指すということに夢中で、下の人間のことをそんなに意識する余裕が無かったと思います。

 以上のような事から、日本の教育の問題は平等化の行き過ぎであるという事は明らかであり、その解決の為には、多少の差別を容認するしかない、そのことをしっかりと認識する必要があると思われます。(落ちこぼれる人間の問題もありますが、私のようにどん底の状態に堪えて、そこから這い上がってきて、ちょっとやそっとじゃへこたれないという精神力を身につける場合だってあります。エリートの方がその点が弱かったりしますよね)

 ところで、これは余談になりますが、このさい思いきって書いてしまおうと思います。それは、大学のゼミでこの本を話題に出した時のエピソードです。

 私の指導教官なる人物に、西尾先生の書いた『日本の教育 ドイツの教育』という良い本を最近よんだという話をしたところ、私も昔読んだ事があるとの返事が返って来たので、ああ、読んだことあるのですかと問い返したところ、その次に予想もしなかった返事が返って来たのです。彼女がいった言葉はこうでした。
「あれって、ドイツはすばらしいと言っている本でしょ?」
一瞬面喰った私は、思わず「はあっ!?」と聞き返してしまいました。いったいどこからそんな意見が出て来るのか、あまりのことにあっけにとられてしまい、何と反論すればいいのか分らない状態でした。

 いや、だってですね、西尾先生の書いた著書からは、一番遠く離れていて、むしろそうではないということをライフワークにしてずっと主張してきたはずなのに、その著書を読んだ人間からまさかそんな言葉が出てくるなんてとても予測できません。

 私はべつに自分の指導教官を軽蔑して喜んだりするような行為をしたいとは思っておらず、むしろ尊敬できるのなら積極的に尊敬したいと思っている人間です。しかし、こんなことを言っているかぎりは、そうもいかないというのが実際のところです。

 いったいこの人は何を読んでいたのでしょうか。どこをどう読んだら、ドイツを賛美している本であるなどという感想が出てくるのですか。どこにもそんなことは書いてないじゃないですか。

私はこの『日本の教育 ドイツの教育』という本は、ドイツの教育制度と比較しながら、日本の教育制度の問題点を見事に描き出した名著である、と思っています。
 
 その本に対してこんな的外れの解釈しか出来ないということは、これはもう文章読解力に欠陥があると断定されても仕方がない事だと思われます。

 ちなみに、私はもともとこの人には不信感を少なからず持っていたのですが、この出来事によってそれは徹底的なものとなりました。この人の経歴は、東京大学の“教育学研究科”を出ていて、専門は“ドイツの家族社会学研究”ということになっているのです。不審に思いながらも、どこかちゃんとしたところもあるはずだと思っていたのですが、どうやら根本的にダメだったらしいということが証明される結果となりました。

 それにしても、西尾先生が述べられていたもので、本というものは、読者に読まれて初めて価値が出てくるものであるという考えがありましたが、この出来事はまさにその考えが正しいことを証明するエピソードだったと思われます。

 読解能力の無い人間が読んだ場合には、いくらすばらしい名著であっても何の役にも立たないということを、このエピソードは見事に物語っていると思われます。私自身も、まだ西尾先生の著書の価値をすべて自分のものにしているとは思っていないので、もっともっと有効活用できるようにして行きたいと思います。

(追記)
 ところで、江戸時代の教育についてこれを読むことによって、それまでに抱いていたものとはかなり違う印象を与えられました。

 江戸時代の武士の教育というと、『葉隠れ』に代表されるような、「武士道は死ぬことにあり」といった、観念論に終始しているようなイメージを持っていました。

 しかし、実際はもっと現実的で実践的な教育観を持っていたというのを読んで、とても意外であるという感想を持つと共に、このような事実があったとしないと、明治以後の急速な実用主義への傾倒を説明することは出来ないのではないかとも思いました。

 幕末について語る人間がよく使うフレーズに「夜明け前」というのがあり、日本人は明治維新によって、それまでは全く暗愚であったのがいきなり啓蒙されたような語られ方をしてきました。

 しかし、西洋の思想に触れたとたんにいきなり変わってしまうというのでは、あまりに日本人及び日本の文明を軽く見すぎているのではないでしょうか。自主性というものがまるでなく、まるっきり馬鹿扱いしていると憤りを感じます。

 これと関連した話で、坂本竜馬が勝海舟の弟子になる時のエピソードがありますが、あれもどうかと思います。けしからん奴だから斬ってやろうと思っていたのに、会ったとたんに感化されて思わず弟子入りしてしまったというものですが、これも随分と竜馬を馬鹿にした話だと思います。

 そんなにコロッと変わってしまうなんて、なんて主体性の無い人間だという印象を抱きますし、第一、それまで斬ろうと思っていた自分は一体なんだったのかと思ってしまいます。(おそらくこのエピソードは、後になって誰かが創作した俗説だと思われます。竜馬関連の話は十中八九がこの手のものではないかと睨んでいます。坂本竜馬という人物は持ち上げられ過ぎている気がします。本人も迷惑していることでしょう。)

 実際は勝海舟はかなりの人物らしいと、事前に竜馬は知っていた上で会いに行ったというのが実際のところらしく、それと同じように、江戸時代にも実用主義に通じるような思想がすでに用意されていたと考える方が自然であるかと思われます。

 常識的に考えれば、やはり歴史とは連続しているもので、何も無い所からいきなり新しい思想が生まれてくるということは、まずあり得ないことだと思います。

 とするならば、明治維新が起こる前に、すでに教育に関する徳の衣更えは完了していて、日本の近代的学校制度はその延長線上に成立したとする考えにも、私は無理することもなく納得することができます。そうでないと辻褄が合わないし、やはりこれは非常に鋭い考察だと思います。

 そのことに加えて、驚異的に教育が一般化した原因として、“村落的メンタリティ”に注目したことが非常に印象的であり、かつ説得力のある考察だったと思います。

 結論からいって、この考察は全く当を得た指摘だと思います。なぜならば、日本人のメンタリティというものは、底流では全然変わらないものだという確信があるからです。

 色々と外的な要因がいわれていますが、所詮は表面的なお題目にすぎず、実際に日本人が行動する時の動機は、だいたいが無意識の「日本的な感情」から派生しているものがほとんどであると見ていいかと思われます。

 現代に目を向けてみても、「自由」とか「平等」などの空疎なお題目をたいした主体性もなく唱えて喜んでいる人間にかぎって、自分というものが確立されず、結局は旧い因習にすがるしかなくなるというのが、大体お決まりのパターンであります(それだったら、最初から普通の生活を送っていた方が、ほっぽど個性的な生き方が出来たのではないかと思ってしまいます)。

 戦前を否定して「進歩主義」を唱えていた多くの日本人が、その裏でもっと旧式の“村落的メンタリティ”に嵌っていたとしても、別段あり得ない話ではありません。意識していないだけに、逆にその作用をもろに受けてしまうものと推察します。

 この“村落的メンタリティ”の作用は、日本社会の隅々に根付いていて、あちらこちらでそこから派生した現象が観察できるものと思われます。どこまでも日本人の行動に影響を与え続けていくのではないでしょうか。

                              敬具